16.花束捧げて

 

 『ボス……朝ですよ』

 そんな声で純一は目を覚ました。

 

「そうか……」

「昨夜はお疲れさまでした。ハラハラしましたよ。」

大きなスイートルーム。金髪の男がカーテンをサラッと開ける。

窓辺から強い朝の日差し。

純一は朝日はあまり好きではなかった。思わず手をかざした。

「おい。ジュール。全開にするな。」

「ああ。スミマセン。今日は天気が良すぎますね。」

金髪のジュールは白いシャツにもうキチンとネクタイを締めていた。

シャツの袖にも、純一が唸ってしまうようなお洒落なカフスまで止めている。

「お前は早いなぁ。」

「私は帰ってきてから、すぐ寝付きましたからね。」

「………。」

意味ありげな生意気な微笑みを弟分のである彼が投げかけてくる。

言葉にはしないが…

『ほら。あなたの可愛いい義理妹…。他の男が触っていますよ?気になったでしょ?』

そう言われているのが純一には解った。

フランス人の彼は、英語もイタリア語もバッチリで、

純一に気遣って日本語までマスターした優秀な直属部下。

勿論、純一もだてに外国暮らしをしてきたわけじゃない。

それぐらいの語学は長年身につけてしまった。

だが。部下は日本語を使う。

「やっぱり。日本に来たら『富士山』ですね。今日は絶景ですよ。ボス。」

ベッドの横の展望大窓に青空と雪をかぶった富士の山。

だからか…『全開にするな』といってもジュールはカーテンを閉めようとしなかった。

純一もやはり…日本人。

やっとその気になって、ガウンを羽織って窓辺に立ってみる。

「この季節に富士を見ることになるとはなぁ。」

「いつもは…『秋』ですからね…。先ずは…エスプレッソ…ですか?」

「そうだな。」

純一は顎の無精ヒゲを撫でながら生返事。

『それでは…。』と、ジュールは朝食作りへと外に出ていったようだった。

純一は窓辺に腰をかけて、景色を眺める。

二合目まで雪をかぶった富士と濃い真っ青な空。

下には鏡のように輝く芦ノ湖がチラリと覗いていた。

『くそ親父!』

息子の生意気な言葉に思わず頬がゆるんでいた。

窓辺に額を宛てて…

『アハハ!』

声を立てて…膝に手を叩いて大笑いをしてしまった。

(皐月の息子。そうでないとな!)

ガウンをほどいて、バスルームに向かう。

裸になった自分を見下ろしてみる。

肋骨から下腹にかけて大きな傷跡。

それをさすりながら、バスルームで先ずはひとっ風呂。

バスローブを羽織ってでると、テーブルにはもう朝食が準備されていて

ジュールが優雅な手つきでエスプレッソを注いでいるところだった。

「ヘリは始末しました。日本にいる部下に、返却。売りに出しましたよ。」

「いつも。素早い手はずだな。」

「日本に来れば。いつものことです。小笠原から一晩で箱根に帰る。

ヘリは不可欠。ここなら、富士の演習場にこっそり着陸できますからね。

自衛隊への許可も『表向き』らしく取りました。」

「ほう?お前いつの間にそんなルートを作ったんだ。」

「まぁ。いろいろです。」

「やるようになったな。お前も。」

「ボスのお陰ですよ。」

「そうか?」

「ゆっくり。召し上がって下さい。11時には、下に車を用意します。

『花束』も手配しておきましたよ。丁度良い季節なのでいつもの倍の本数で」

「悪いな。いつも…。しかし、あまり多く持っていくと…皐月は怒るぞ?」

「歳の数だけ持ってくればいいのに…ですか?」

「いや。歳の数持っていくと余計怒るなアイツは──」

「はは♪皐月様らしいですね。お逢いしたことありませんが?

では──歳など忘れるぐらいたくさんの『本数』というとで」

「そう言えば…許してくれそうだな…。」

純一が静かに微笑みながら、スクランブルエッグを頬張ると

ジュールもにこりと微笑んでサッと部屋を出ていった。

(生きていれば…皐月も36歳か…)

ふとそう思って…純一はフォークを持つ手を止めた。

純一の中で輝く瞳を放つ女性。

(お前の瞳にそっくりだったぞ)

崖をよじ登ろうと、瞳を強くむき出し向かってこようとした少年。

純一はまた。そっと微笑んで一人の朝食を静かに取り始める。

 

 

 『ボス。そろそろお時間ですよ』

 11時近くになって、純一は大きなパウダールームでヒゲを丁寧に剃っていた。

 

「お参りの時はいつも剃るのですね。」

ジュールが支度が遅い純一を気にしてパウダールームを覗きに来た。

「だらしがないと、皐月が怒るからな。」

「………。ボスらしくないような気がしますが…恒例ですからね。」

「まぁな。一年に一度だ。」

純一はつるりとした頬を撫でながら、白いシャツに

この日は、ブルーグレーのタイを締める。

銀色のカフスボタンを付けて、

胸ポケットにネクタイとお揃いのポケットチーフをあしらう。

「完璧ですね。」

ジュールの誉め言葉に微笑まずに純一は、いつものサングラスをかける。

そして…革手袋。冬なので、怪しまれないのが丁度良い。

二月の箱根は小笠原と違って極寒なので、黒いカシミヤのコートを羽織る。

二人の男は黒い格好で颯爽と外に出る。

ロビーを歩いていると支配人らしき年輩の男が駆け寄ってきた。

『スミス様!』

ジュールが振り返る。

「お世話になったね。支配人。こちらの『社長』もお部屋に満足しておりましたよ。」

ジュールは日本語でニッコリ…茶色のサングラスの奥から茶色の瞳を緩める。

「いえ。こちらこそ…。我がホテルのオーナーのご友人と聞いて…」

「また。来させていて頂くよ。オーナーにもそう伝えておきます。」

ジュールは純一を隠すように立ち、支配人との会話を素早く切って歩き出した。

「よくいうな。お前がオーナーだろ?」

「フフ。オーナーの上のオーナー。影の権力者など支配人には関係ないでしょ。」

「まったく。『スミス』なんてありふれた偽名だな。それで?俺は何の社長だ?」

「イタリアで成功した中国人」

ジュールの悪戯げな微笑みに純一も思わず笑ってしまった。

「大したモンだ。」

「しかし。ここのホテルも日本のバブル崩壊で手を引こうかと思いましたが…。

綺麗に格を上げてくれたのでボスを泊めることが出来るという物です。

私の下の所有者が頑張って保ち続けた努力は買わないといけませんね。

今回、ボスが宿泊すると知ってかなり喜んでいましたよ。

でも?少し古くなったかな?リニューアルでも企画しましょうか?」

ホテルを出てジュールが建物全体を見渡す。

「お前の『商事』手腕には全く参るな。」

「私が出来る事なんて。『戦闘』かこれぐらいです。元はボスがしていたことでしょ?」

「お前とエドが良くやるようになったからな。」

「そうそう。エドがデザイン会社を持っていたから、掛け合ってみても良いかも知れませんね。」

「お前達は本当によく働く。」

「ボスが作った基盤がしっかりしているから、私達も思う存分出来るって物です。」

『さぁ。出国の時間が迫っています。鎌倉に急ぎましょう。』

ホテル前に停めた黒窓ベンツのドアをジュールが開ける。

純一は颯爽と後部座席に乗り込んだ。

支配人が入り口で深々と頭を下げて見送っていた。

二人は一路、鎌倉に向かう。

 

 

 箱根から小田原に抜けて鎌倉へ。

 ジュールが運転するベンツは快走する。

 

「なぁ。ジュール」

「はい?」

「線香とか…手に入らないか?」

「線香?ですか?皐月様の墓地は外人墓地でしょう?」

「だよな。」

「申し訳ありませんが…。今は二人きりの移動ですからね。

私が買いに行っても良いのですが…私じゃ日本では目立ちます。

ボスは外に出ない方が宜しいでしょう?そうならそうと言ってくだされば…

黒髪に染めて置いたのに。東京とかなら別ですが?ここではぁ…。」

ジュールは道沿いの田舎風景を眺めてため息をついた。

「だな。余計なこと言った。」

純一もため息をついて、胸ポケットから平たい銀色のケースを取り出す。

そこから綺麗に列を並べている煙草を一本くわえた。

「では…鎌倉の町中に出てみましょう?宜しいですか?」

「鎌倉かぁ」

「誰にも会わないと思いますよ?」

「………。」

ジュールはボスの生まれ故郷と気遣って口にすると

純一は煙草をくゆらせたまま黙り込んでしまった。

それでも『やっぱり…いらない』とボスが言えばそこまでのこと。

それを言わないと言うことは、今回は線香がどうしても欲しい。とジュールは取った。

ジュールはため息をついて、運転を続けた。

鎌倉に着いて、ジュールは町中の人混みに紛れて、何とか『線香』をゲット。

『悪かったな』

ボスがそう言って、頬を緩めたので、苦労も報われると言う物だ。

その足で七里ヶ浜の外人墓地まで。

「ボス。夕方には下関まで行かねばなりません。狭山にセスナを用意してますから…。」

「解っている。」

「私はここでお待ちしております。ごゆっくり…。」

ジュールは後部座席から大きな花束を抱えるボスを送り出す。

彼は枯れ木が並ぶ静かな教会へと一人向かっていった。

ジュールは車の中から、通行人に警戒を配る。

平日なので人はまばらだったが異国故余計に気を張った。

(まぁ。日本は穏やかな方だな)

ジュールもやっと一服。煙草をくわえた。

くわえながら…昨夜の小雨の中…ボスと共に聴いた

『令嬢のアリア演奏』に耳を馳せた。

黒髪の男の胸に飛び込んだ葉月を思い浮かべてジュールはむかっ腹を立てていた。

ボスはそれを眺めてもいつもの平静顔。だからジュールも押さえ込んだ。

だが…その後アリアを聴き終えるとすぐ『帰るぞ』と言ったボスが、

帰り道ずっと無口になったのをジュールは見逃さない。

(あんな男…。どうせまた逃げるさ。葉月様は、ボスが一番。他の男に…など…。)

ジュールが認めている男はただ一人。純一と言う男だけだった。

 

 

 冬の潮風が吹きすさぶ中…。純一はコートを脱いでスーツ姿になる。

江ノ島が今日はよく見える。

純一はそれを眺めて、座り込んだ。

「皐月。遅れて悪かったな。許せよ。」

ジュールが買ってくれた線香の束を握って金色のジッポーライターで火を点ける。

「線香…。お前の墓には似合わないが…何となくな。

久しぶりに『日本人』に戻った気分になってなぁ…。」

彼女の名前が刻んである地面の石版に一握り。そして…。

「源じい。レイばぁ。俺も何とかやっているぜ。悪いないつも…。」

彼女の祖父母にも一握りずつ…。線香を添える。

そして大きなチューリップの花束をザッと肩に抱えて…

「皐月。お前の息子。立派に育っているぞ。楽しみだろ?」

墓石が隠れるほどの大きなチューリップの花束を潮風の中置いた。

まだ寒い風の中、赤い・黄色い・白いチューリップが愛らしく揺れる。

その中から赤いチューリップを一本、純一は抜き取った。

「お前に似合うのは…『赤』だな。」

彼女の名前が刻まれているところに純一はひざまずいてそっと口づける。

そしてそこに…線香の横に赤いチューリップを添えた。

「お前は…まだ俺を許してくれないのか?」

純一は肋骨下にある傷を押さえて墓石に微笑んだ。

「あの夜…。俺がお前との約束を守っていたら…。」

そう…純一は事件の夜。皐月と葉月の元に行く約束をしていた。

と・いうか…。

『赤ちゃんが出来て…パパとママに報告するの。純兄も葉山の別荘に来て!』

などという…皐月の一方的な押しつけで22歳だった純一は聞き流した。

だから…純一は行かなかった。

子供が出来たなど…信じていなかったのだ。

御園の跡取りにしようと…婿養子にしようとしている強気で我が儘な

皐月の『作戦』だと思っていたのだ。

フロリダから来る予定だった亮介と登貴子も予定がずれて遅れてくることになった。

皆の予定がずれた合間に『姉妹』が襲われた。

その『悔やみ』を純一はずっと引きずっている。

今でも…その事を思い返すと…。

純一はギュッと革手袋が鳴るぐらい拳を握りしめて悔やんでいる。

「三途の川でいつも俺を追い返すな。お前は…。

今度ばかりは…俺もお前の所にいけると半ば…ホッとしたのになぁ。」

純一はまた…肋骨の下の傷を押さえた。

「お前すごく怒っていたな。くたばっている場合かって。

葉月と真一の元にもどれって…。厳しい嫁だな。」

純一はフッと微笑んでまだ痛みが残る肋骨下の傷をさすった。

 

 

 去年の夏。葉月とフランスで会った後…出かけた任務で致命傷を負った。

だから…秋の『恒例参り』にはいけなかった。

死線を彷徨ってやっと動けるようになったのは、年が明けてから。

ジュールとエドの報告で、息子が真実を知って苦しんでいると初めて知った。

『オチビは…どう対処している?右京はどうしている?』

そう聞くと、直属の部下二人が困ったように口をつぐんだ。

『どうした?』

そこは大人で割り切りが良いジュールが口火を切った。

『葉月様はいま…例の男と暮らしています。男は少佐になったそうで…。

葉月様は…正式中隊長に…。真一様は…彼を父親のように慕って…

三人で家族のように暮らしています。それで…何とか持ちこたえているようで…。

葉月様も右京様もそろって気づいていない振りを真一様にしております。』

『…。そうか。ならいい。』

そんなところだろう…と、純一は義理妹が選ぶ生活は予想はしていた。

だが…エドが珍しく反抗した。

『ボス!このまま…真一様を放っておいて良いのですか?

お待ちになっていると思いますよ?』

エドはどうしたことか真一をいつも気にかけている。

だからだろうと…純一は取り合わなかった。

しかし、熱くなった若いエドとは対照的に、ジュールが冷たく言い放った。

『私もそう思います。ボス。お墓参り行っていないでしょう?

ボスが何とか回復したのは皐月様のお陰かも知れませんよ?

お礼参りに行かないと…また・守ってもらえませんよ?

それに…右京様も、手一杯でしょう…。ここはボスをお待ちかと…。』

皐月様が云々…は純一は聞き流したかったが…

『右京が手一杯』に気が傾いた。

『解った…。来月行こう。ただし、ジュールと二人でだ。』

そう言うとエドは真一に会えないが為にガッカリしたようだが…。

『きっと。真一様喜ぶでしょう。安心しました』と

あまり笑わないエドもここではにこりと微笑んで安心したようだった。

 

 

 「有り難うよ。皐月…。俺をいつも追い返してくれて…。

だが…せっかく会ったんだ。お前の肌に触れてみたかったぜ。」

『バカほざいてないで、とっととお帰りなさいよ!!純兄はパパなのよ!!』

清い水が流れる川で白いドレスなどを着ている彼女は

純一の死線を彷徨う夢の中では美しい女性だった。

気のせいか…短かった髪は少し伸びていて今までになく女性らしかった。

軍人だった彼女からは想像が出来ないほどに。

「女より母親だよな。お前はすごいよ…。」

純一は立ち上がって墓石に微笑んだ。

「知っているか?葉月に男が出来たぜ?あれもお前の差し金か?」

こうして問いかけても…いつも返事など帰ってこない。

無口なはずの自分はここでは喋ることしかできないのだ。

「もし…だぜ?あの男が『御園』を受け入れたら…お前の願い通りだな。

息子は立派に育ち…。守った妹は『女になる』…。

そうしたら…今度こそ、俺のお役目ゴメンだな…。その時はお前のとこへゆけるか?」

『純兄…後は…まかせた…わよ』

そんな声が蘇って…純一は眼差しを伏せた。

皐月の血塗れの姿を思い出した。彼女の最期を…だ。

「そうだったな。まだ…先は解らなかったな…。死にかけたせいか弱気になりかけた。」

スラックスのポケットに手を突っ込んで、純一は七里ヶ浜を見渡した。

風が…純一のネクタイをはためかす。

「おっと。俺もな。『子猫』をたくさん飼っているからな。そろそろ行くぞ。

くたばっていなければ…秋にまた…。いや。お前なら蹴飛ばしてでも俺を

『俗世』に突き返すからな。絶対…また…来るさ。チューリップ抱えてな。」

純一は、墓石にもう一度口づけてそこを離れる。

階段で、数年前、偶然出逢った『息子』を思い出して立ち止まった。

『息子の俺より立派な花束持ってくるなよ!』

(はは…そういえば。あの時から生意気だったか)

おかしくなって純一は思わず声を殺してまた笑っていた。

ジュールが待つ『愛車』へ。

『??』

ドアを開けると、ジュールがなにやら『交信中』だった。

「どうした?」

ジュールが呆れて、耳に付けていたイヤホンをボスに差し向けてくる。

純一はそれを耳に押し込めた。

『ジュン!怪我も治っていないのにいつまで出かけているのよ!!』

その声を聴いて、純一はイヤホンを離したくなったが…

「うるさい。大人しくしていろと言っただろ。エドを困らすな。」

フランス語で返すと…

『死にかけたのに!心配しているんだから!』

まくし立てた女のフランス語がキンキンと返ってくる。

「あー。わかった。明日には帰る。ボウズにあったしな。」

『え?そうなの…!そうだったの!?それで出かけていたの?』

彼女がスッと…黙り込んでしまった。

「お前、チャーム付のカルティエ時計、欲しがっていただろ?土産に持ってゆく。

だから…エドを困らせて通信なんかしてくるな!」

『ほんとぅ♪うれしーーー♪』

「エドに代われ。」

『申し訳ありません…。手の着けようがなくって…。』

「構わない。アイツにも心配かけたからな。悪いな『おもり』をさせて。明日帰る。」

『お気をつけて…。』

そこで通信は切ってジュールに返した。

「うるさい子猫だ。」

純一が後部座席に乗ると、ジュールもため息をついた。

「そこが可愛いのでしょう?」

「まぁな。退屈はしないなぁ。」

「エドが音を上げないうちに帰りましょうか。」

「そうだな。中国ルートで帰るとするか。」

「懲りませんねぇ。去年死にかけたこと…忘れないで下さいよ。」

ジュールの呆れた笑いに純一もニヤリと微笑み返した。

「数年ぶりに『桜』を見たな。」

「小笠原は満開でしたね。一枝持ってくれば良かったでしょうか?」

「俺に一枝は勿体ない。」

黒いベンツは、颯爽と走り出して七里ヶ浜から姿を消す。

純一は腕組み…青い海の島の桜風景を…

まだ殺風景な冬の本島…故郷鎌倉に幻を重ねた。