35.姉と供に

茶色の瞳を葉月はジッと見つめる……。

そして、問いかけた。

『どうする? 外に出る? 父様に内緒で……

出てどうするの? 私に出来るの??』

飛び出す勢いならいつでもある。

今までだってあった……。

でも……葉月はそっと数年前痛手を負った『ミャンマー任務』の事を思い出した。

あの時、仲間は助けたが……

ミャンマーに肩入れしていた外人部隊の敵に自分は捕らえられて力無く傷ついただけ……。

男の力に適わず……意志に逆らって『犯されて妊娠』した。

その男……二人目の子供の父親……。

哀しい男だったから、最後には情が移ってしまった。

お互いに情が移ったせいか葉月はその男以外の手に掛かることはなく

その男が『俺の女』といきがって守ってくれたのが唯一の救い。

だが……だからこそ……逃がしてくれず手放してもくれなかったのだ。

『子供が出来た!? 本当か!』

その男がこぼした初めての笑顔を葉月は今でも覚えている。

それを知ったその男は……捕らえていた葉月を親元に帰してくれると急に言い出した。

『俺のような男の子供を身ごもったとは不名誉かも知れないが……

俺がこのようにしか生きられなかったから……お前の力で

俺の分まで不自由なく育ててくれ……お前、金には困っていないようだから大丈夫だろう』

そう……任されたから……達也と別れてでも……

『自分が傷ついた』と思いたくないから……

子供を産んで育てれば……傷ついたことなど忘れると思ったから……。

その男が……葉月を逃がすために命を落としたからなおさら……。

『あの人が死んじゃったから……あの人の分まで私が育てる!!』

それも叶わず……。

残ったのは『傷』だけ……。

家族にも仲間にも『傷』を残した……。

(その二の舞になるかもしれないのよ!?)

葉月は鏡に映る自分の頬に手をそっと添える。

あの時よりかは、葉月ももう……大人になっている。

だからこそ……今、躊躇っている。

 

『バカね……レイ? あんた、またメソメソしているの?』

『!!』

 

葉月はハッとした!

鏡に映る自分の姿の後ろに……髪の短い女性が見えた!!

 

『皐月お姉ちゃま!?』

自分と同じ栗色の髪……栗色の瞳……

そっくりなのに違うのは彼女の瞳はいつも燃えているように熱い視線……。

『まったく……私が付いていないとレイはいつも泣き虫』

『レイ』……そう、姉が付けた葉月の愛称……。

姉の方が、祖母により雰囲気が似ていたのに……。

姉は、『レイチェルおばあちゃまみたいに、美しい女性になりますように……リトルレイ』

そう……いつも葉月に囁いていたのだ……。

だから、大人達は今でも『レイ……リトルレイ』と葉月を呼ぶのだ。

『レイ……リトルレイ……アンタ、またメソメソ後悔するのね?

葉月……愛せる男はそう見つからないわよ? このまま手放すの?

私だったら迷わず行くわよ……怖いなら付いていってあげようか?

手間のかかる妹……いつも、いつも側にいないと泣いてばっかり……』

 

「!!」

あまりにもリアルな問いかけなので葉月は額に汗を浮かべて振り向いたのだが!

「…………」

振り向いても冷たい手洗い場の風景しかない……。

(私がそう……心で求めていると?)

自分が作り出した『幻』としか言いようがなかったが……。

鏡をもう一度葉月は見つめたが……姉の姿はもう……見る事はなかった。

『……わかった。お姉ちゃま……』

葉月は鏡に向かって瞳を輝かして……

コートのポケットにしまい込んだ『銀書簡』をもう一度握り直した。

「お待たせ……」

「…………」

葉月がいつも通りの『稟』とした表情で戻ってきたので

山中はホッとしながらも……そこまで毅然としようとしている葉月を痛々しく感じる。

葉月が先ほどよりしっかりした足取りで通路を歩き出したので

山中もその速度に合わせて後を追う……。

「お兄さん……やっぱり、私、細川のおじ様達とマルセイユに戻るわ」

「え!?」

先ほど、あれだけ『私も司令室にいたい』と懇願していたのに……

急に素直に『予定通り、帰る』というので山中は驚いた。

「えっと……どうしたんだよ? いいのか??」

山中は早足で葉月の横に並んで彼女の顔を覗き込んだ。

少しばかり……目が赤くなっていたが……彼女の顔はいつもの冷たい冷静な顔。

「いいの。よく考えると、中将の娘という親の七光りの我が儘だったと気が付いたの

もう……私がジタバタしてもどうにもならないから……」

葉月が無表情に呟く。

「……そう……お嬢が決めたなら……いいけど……」

「マイクには悪い事したわ。もう一度、司令室に行って謝る」

「……そうか?」

葉月が何か急ぐように来た道、司令室に毅然と歩き始めたので

山中は訝しく思いながらも……首を傾げながら言われるままついてゆく。

「中将……第二陣が海中移動を始めました」

「…………」

(もう……手遅れか……)

亮介はジッと腕を組み、唇を噛みしめていた。

フォスター第一陣の発信が消えてからはなんの連絡もない。

せっかく……娘の恋人として……

あの黒い輝く瞳の男と解り合えそうだと出会ったばかりだったのに……

『葉月……可哀想な私の娘……』

そう、うなだれていたところ……。

マイクが先ほど『お嬢様が一緒にいさせてくれと何でも手伝うと切願するのですが……』

と……申し出て来たが……

亮介は心はそうさせてやりたい父心なのだが、

『総監としては許せない』と言い張った。

ところが、後輩のリチャード=ブラウン少将までもが……

「リョウ先輩……私も娘には甘いですよ。中佐の願い聞き入れてあげて下さい。

私も……タツヤとは短い間の家族でしたが……息子のように思っていましたし……

私の娘も別れたとはいえ……ここにいたらハヅキ嬢と同じ事言い張ったでしょうから」

そう言い出したのだ。

亮介は、そこでホロリ……と崩れそうになったが首を振った!

「いかん! いかん!! 総監がその様な事しては示しが付かない!

娘が娘として我が儘を言って聞かないなら私が言う事を聞かす!マルセイユに返す!」

そう……亮介が言い張ると……

『特例はあってはいけない』と言う事に諭されて誰もそれ以上は

葉月の言い分を助言する者はいなくなったのだ。

(むぅ……葉月のヤツ……そろそろ期待して戻ってくる頃だが……

良和が怒鳴り散らして止めてくれるといいのだが……)

 

『コンコン』

(そらきた!)

扉を叩く音を耳にして、亮介は真っ先に席を立つ。

扉を開けると、案の定……葉月が山中を従えて立っていので……

亮介は情け心を出すまいと娘を厳しく見下ろしたのだ。

だが……

「将軍……一日お世話になりました。

先ほど……将軍の側近に失礼を申しましたが、お許し下さい。

細川中将の元、チームメイトを連れてマルセイユ基地に退陣いたします」

娘が……しんなりと敬礼をしたので、亮介は『あんぐり』……唖然とした。

「帰るのか?」

「はい……」

娘の……いつもの固い冷たい顔。

その落ち着きに……亮介の後ろにいるマイクもブラウンも同じく『唖然』としていた。

(どうゆう心境の変化だ?)

亮介は逆に不信感を抱いたのだが……

「あの……将軍……。最後に違う我が儘をお許しいただけますか?」

「な・なんだ?」

帰ると言い出したのはいいが……それと違う『我が儘』と来て亮介はドキリ……とする。

すると……

「父様……頑張ってね……」

葉月がふわりと……亮介の胸元に抱きついてきたのだ!

それは……ここ最近ずっとなかったことで……亮介は戸惑い……

部下の手前とあって思わず、頬を赤らめてしまったのだ!

だが……

『パパ中将!』

いつもの如く……口うるさいマイクの後押しの声が聞こえた……。

(うううむ。。)

亮介は唸りながらも……そっと娘の肩を抱きしめる……。

「私が最後まで見届けるから……大人しく休んでおいで……」

「はい……」

素直な娘の栗毛を撫でて……亮介は昔そうしていたように……

葉月の頬にそっとキスをした……。

「じゃぁ……帰ります」

葉月はそれだけ言うと、気が済んだかのようにサッと亮介から離れた。

そして……毅然と通路を山中と歩き始めた。

「…………葉月?」

何かが引っかかって、亮介は娘を今一度引き留める。

「なんでしょうか? 将軍」

中佐の顔で娘が振り返った。

「いや……何でもない」

「失礼いたします」

「失礼します、将軍」

娘と山中が揃って頭を下げて背を向けた……。

亮介は暫く……その若い二人の背を眺めていたのだ。

『ゴメンね……パパ……行って来ます』

娘がその様な『決心』を宿していることを少しばかり感じ取っていた亮介だが……

そこまでは気が付かず……

(まぁ……今回は素直で助かった)

……などと……ホッと胸をなで下ろして緊張感が緩まない作戦室へと戻ったのだ。

「小娘! 遅いではないか!!」

コリンズチームをまとめて甲板に出ると入れ替わりの当直チームが

輸送機から降り立ったところだった……。

細川にいつも通りどやされながら、コリンズチームは入れ替わりで

わらわら……と、輸送機に乗り込んだ。

源メンテチームはメンテ引継をしてから後から帰ってくることになっていた。

「いや〜……フジナミが重傷とは言え見つかって良かったな! 嬢ちゃん!!」

「…………」

接戦を交えた重任からの解放とあってチームメイトは元よりデイブも元気になって

葉月に話しかけたのだが……

葉月は無言……。

「……と、悪かったな……とは、言っても容態が解らないもんな……」

同期生である葉月のより深い心配を汲み取ってくれたのか

デイブはそれ以上葉月に気休めのような言葉はかけようとしなかった。

コリンズチームメイトを先に搭乗させて……葉月は山中と細川と最後に乗り込む。

「中将……先ほど、私に無理矢理寝ろと煽りましたわね」

葉月は無表情にポツリ……と乗り込む細川に呟いた。

「それが?」

「……有り難うございました。潜入している彼等のこと考えると落ち着きませんから……

私の為にそう勧めて下さったのですね?」

「…………」

細川は無言だったが……

『感謝するわ、おじ様……休養が取れて体が軽い』

葉月の心は既に戦闘態勢に入って集中が始まっていたのだ。

「そうはいうが……お前、良く堪えたな。素直に帰ると」

細川も葉月が我が儘を言い出し……止めるために一発怒鳴る覚悟をしていたようだった。

それもしなくて済んだことで、彼は葉月にそう囁く……。

しかし……葉月は『ニヤリ……』

「大人になったと言うことで」

「どうだかな……」

葉月の生意気な一言に細川は呆れて輸送機に搭乗した。

「さぁ……お嬢……帰ったら藤波の所に行こう……」

輸送機に乗るまで安心できないとばかりに……

山中が葉月に手を添えて優しく輸送機にエスコートしてくれる。

『…………』

輸送機に乗り込みながら……葉月は山中にも心で謝罪していた。

今度の輸送機は丁寧に座席がある綺麗な輸送機だった。

そこに皆、思い思いの席に陣取ってシートベルトを締めた。

(…………おにいちゃま……約束通りにしてよ)

葉月は、座席に座って……輸送機が甲板から上昇……

上空を滑り出した感覚を身体で感じ取って……

コートの袖の下……ダイバーウォッチのタイマーを『ゼロ』にセットした。

そして……目をつむる……。

飛行……5分経過……7分経過……。

『マイキー! お前、頑張ったなぁ♪』

『お嬢が大胆すぎて困ったよ!!』

解任後のメンバー達の明るい会話……。

「嬢ちゃん! マイキーをあまりびびらすなよ!!」

デイブが葉月にいつもの『ヤジ』を飛ばして皆が笑ったのだが……

「!? 嬢ちゃん? どうした??」

デイブが声をかけると……葉月は座席でうずくまっていた。

山中も目をつむっていたのだがその声に驚いて起きあがる。

細川もふと……視線を向ける。

デイブと山中が葉月の席に……覆い被さって心配そうに覗き込む。

「ご……ごめんなさい……疲れているのか……気分悪くて……」

「なんだよ! パイロットが飛行機酔いなんて洒落にならないぜ!?」

「……でも……吐きそう……」

葉月が切実にデイブを見つめる……。

いつにない……じゃじゃ馬の弱々しい女性らしい視線……。

実は、デイブはいつもは男肌の葉月がこうなると弱いところがあった。

「そうだな……お前も緊張の連続だったからな……

山中……お前、貨物室で……何とかしてやれ」

「あ……はい」

「いい……一人で行きたい」

「でも……お嬢」

「いや……そんな所みられたくない」

「…………」

山中もデイブも顔を見合わせて……ため息をつくが……

そこは葉月は『女性』

それもそうだろうと退いてくれた……。

葉月は、口元をハンカチで押さえながら……力無く貨物室の扉を開けて消えていった。

貨物室の扉を閉めて……

そっとポケットから……父から貰ったキャンディーを取り出して

深緑色飛行服の胸ポケットに移した……。

それを終えて……

葉月はすぐさま、長いコートを脱ぎ捨てる!

そして、貨物室の一番後部に急いで向かって……鉄壁に向かって

『あるもの』を手探りで探す!!

 

『マルセイユ行きの輸送機に乗り込むはずだ。後部貨物に準備を施してある。

待ち合わせは……上空飛行時間、15分の位置からの……海上』

 

『銀書簡』にはその様に記されていた。

だからこそ……その『待ち合わせの方法』にも葉月は躊躇ったのだ。

でも……もう、後戻りは出来ない……!!

『そうね……私なら……出来るとお兄ちゃまは信じているのね……』

葉月はダイバーウォッチの時間を確かめながら額に汗を浮かべる。

『あと5分!』

(あった!!)

義理兄が言ったとおり……きちんと準備がしてあった!

その用意された物を葉月はすぐに袋から出す!

まず……ゴーグルをしっかりと頭、目元に装着!

救命胴衣を羽織り、ヒモを引っ張ると空気が『プシュ!』と入る。

そして……背中に用意された物を背負う……。

ウエストのベルトを固定して、肩のバンドが外れないか確認!

 

『スタンバイ、OK?』

 

葉月は、ヒヤッとして振り返った!

誰もいないが……解っていた。

「お姉ちゃま……いくよ。私……」

葉月は躊躇わずに、後部の扉に向かう……。

そして……ハッチを開けるレバーを見上げた。

それに……手をかけて……思いっきり体重をかける!!

『ヒュゥーーー……バタバタバタ!!!』

急な気流が開けられた後部ハッチから入り込んできて

葉月は飛ばされそうになったが思いっきり踏み絶えた!

降ろしたレバーに捕まって……繰り広げられた風景を真っ直ぐに

ゴーグルをした目で見つめた!

水平線は……夜明け前の葡萄色……ブルゴーニュワインの色……。

まだ明けていない紺色の空には瞬く星達……。

そっと下を見下ろした!

『怖いくない! さぁ! ジュン兄の所に行こう! 葉月!!』

「ふふ……お姉ちゃまが逢いたいだけじゃないの??」

葉月のピンク色の唇が余裕気に緩むと……姉の声は聞こえなかった。

 

見下ろした下界の海は……神秘的な紫の鏡……。

 

「綺麗だわ……最高のダイビングになりそう……」

葉月は頬を切り裂く潮風に吹かれて……背を外に向けながら……

ハッチの天井に捕まり、身を乗り出した!!

一本に束ねた髪が『ヒュルリ』と葉月の肩ではためき始めた……。

『…………』

デイブが落ち着きなく座席で静かに黙り込んでいると……

細川中将が彼の目の前に立ちはだかり、デイブを見下ろしていた。

「コリンズ……小娘が長いようだが……」

「……ああ、ええ。私もそう思っていたところで……」

監督とキャプテンの言葉の交わし合いに気が付いて

山中も二人の席に寄ってくる。

「私、様子見てきます……」

山中なら……葉月も気まずい姿を見られても支障がないだろう……。

デイブはそう思ったが……

「いや……私がみてこよう……」

監督自ら部下の不具合を確認に行く。

それは、男性である山中が見るよりかは……

葉月の『昔なじみおじ様』が見た方が、気まずい場合は

葉月の心が傷つかなくて済む……そんな、申し出だったのが

デイブと山中にも解って……その方がホッとすると言うところ。

細川が後部に足を一歩、向けたとき……。

『バタン!!』

コックピットから輸送機のパイロットの一人が顔色を変えて飛び出してきたのだ!

フランス人の彼は……まず、細川の顔を見て……

そして、構わずにとにかく走るように貨物室の入り口に向かっていった。

「……!」

葉月の様子がどうなのだろうかと、もめていた男三人……

同じ事を思いついたのか一緒に顔を見合わせ……

特に細川の顔色が急変した!

「まさか!?」

細長い身体を機敏に動かしパイロットが扉を開けようとしている所に

細川が走って行く!

「後部ハッチが全開になっているんです! どうして!?」

パイロットが取り乱して、細川に報告をしながら……思ったより開かない扉にかじりつく。

デイブと山中も、ハッとしてすぐに将軍の後を追う!

コリンズチームのメンバー達も、くつろいでいたところ急に言葉を止める。

パイロットが扉を開けると……!!

「うわ!!」

扉の前に固まっていた男達は『バタバタ』と音を立てて入ってくる気流を腕でしのぐ!

そして……細川が見た物!

明けの空が目の前に広がり……それを背景に葉月が……

今にも飛び降りそうな装備を装着してハッチに立っているではないか!

(しまった! 純一か!)

細川の脳裏にすぐにそう過ぎった!

葉月一人ではこんなに大胆に手際がいいはずがない!

オマケに一人で輸送機から空中ダイビングを試みるなど……

葉月が信じて疑わない……偉大な義理兄の『そそのかし』なしでは考えられないからだ!

「葉月! そこで何している!!」

「嬢! 何しているんだ! 戻ってこい!」

デイブも気流に踏み絶えながら、葉月に叫んだ。

「お嬢! 一人でどうするつもりなんだ!!」

せっかくここまで『側近代理』として押さえ込んできた山中も怒り半ば叫んだのだ。

 

「おじ様! ごめんなさい!!」

ハッチの天井バーに掴まっている葉月が気流が入り込む音の中叫んだ。

「父様に伝えて! 『秘密任務実行する』と!」

「バカモノ! 秘密任務などあるか!! 戻ってこんとお前は『懲戒免職』だぞ!」

それは……本当のことだった……。

細川の脅しではない……言い渡された任務に背いた『罰』になるのは本当なのだ。

ところが、葉月はアクアマリン色のゴーグルから『キラリ……』と

瞳を輝かせて、真っ直ぐに細川を見据えてくる。

「それでもいい……ここで後悔するなら……それでもいい……。

中佐も、中隊長も捨てたって構わない!」

「……葉月!!」

細川は、激しい気流に向うように細長い身体を一歩前に出す。

『中将!!』

壮年の将軍がグラリ……と、よろけても葉月を捕まえようと前進するので

デイブと山中が揃って細川の背中に飛びついて身体を支える!

「おじ様……父様に、コートの左のポケットを見て……と伝えて……」

葉月がそれだけ呟くと、身体を折り曲げて背中から倒れようとしている!

「この! バカ娘、親不孝をするのか!!」

細川が思い余って叫んだ言葉に葉月の動きが止まった……。

『親不孝? 私は葉月の幸せを願っているのよ? 良和おじ様』

『!?』

そんな声がしたような気がして……

細川は逆らう気流の中……前進しながら葉月を見上げた。

 

『皐月!?』

 

細川は、思わず目をこすってしまった!!!

葉月の後ろに……姉妹同じ瞳を輝かせる髪の短い女性がそこに!!

彼女は紺の戦闘服を着込んで、妹の首に手を回して不敵に微笑んでいるではないか!?

そして……その勇ましい女性が葉月を空に引っ張り込もうとしているような気がした!

だが……もう一度見据えると……

そうではなくて……姉にそっくりな表情を宿した葉月がいるだけで……

髪を束ねているから、髪が短く見えて……

彼女の姉と錯覚したのだと細川は首を振ってそう納得しようとした。

 

だが……次の瞬間!!

 

「バイ……おじ様……」

『いってくるわ……この子と一緒に! 任せて!!』

やっぱり……!

妹の首を引っ張る姉……。

姉に任せて、下界に背を落とそうとしている妹……。

『栗毛の姉妹』が重なって細川には見えたのだ!!

 

「お嬢!!」

「嬢ちゃん! まて!!!」

細川を支えていたデイブが堪らなくなったのか、力強く前に走り込んだが

彼は躓いて床に気流に勝てずにしがみつく!

 

だが……

葉月は背を海面に向けて躊躇わずにハッチの天井バーから手を離し……

瞬く間に姿をハッチの前から消してしまったのだ!!

 

『あああ!!!』

そこにいた全員が叫んだが……既に遅し!

男達がハッチに辿り着いて、見下ろした風景……。

 

青紫色に輝く海面に小さくなった栗毛の女が鏡に吸い込まれて行く景色が見えるだけだった!