37.恋人の本性

「そちらでお休みになって。すぐに私も行きますから…」

「では。お言葉に甘えて…。遠野大佐がいるときでも…

こちらにお伺いしたことはないので…緊張します。」

「そう言えばそうね…。少佐が四中隊に来るのは初めてだったわね…。」

葉月が隊長席を離れて、ついたてのある事務の間から

そっと…ハリスを応接ソファーにエスコートして出ていった。

ハリスも優雅な葉月の身のこなしにつられるように…

二人そろって…まるで隼人の存在など最初から無いとばかりについたての向こうに消えていった。

(俺って!何なのだよ!?)

二人だけの世界の会話に入ることも出来なかった隼人は

ムッとして眼鏡を手荒く外して、机に投げつけた。

『お茶を入れるわ。ロニーはいつものでいい?』

葉月のハリスに対する元・恋人らしい語りかけに…

(ああ。誘った自分が勝手にやれ!)

今度は側近として気を使う気にはなれずに隼人は、葉月に勝手にやってもらうことにした。

『お・お構いなく…』

彼の遠慮がちな返事にもなんとなしに隼人はむかつくだけだ。

すると…そんな風に一人で悶々としていると。

『隼人さんは?』

「………」

いきなり…『大尉』ではなくていつもの呼び方で一瞬ビックリしたが

隼人は反応を示す気になれなかった。

『いつもの…でいいでしょ?』

「…………。」

『隼人さん?大尉!?』

「俺の好みなんてどうでもいいだろ!ハリス少佐の…

お客様の好みのお茶を入れるべきじゃないのか!?」

席を立ち上がって、ついたての上からキッチンにいる葉月に思わず叫んでいた。

ハリス少佐は隼人のすぐ目の前…ついたて裏のソファーでビックリ…のけぞっていた。

葉月も呆然として、キッチンで動かしていた手元を止めて立ちつくして隼人を見つめていた。

(あ…)

隼人はやっと我に返って…いつにない自分に思いっきり恥ずかしさを覚えて、すぐに着席をした。

『言われなくたって…そうしているわよ!

少佐には『紅茶』あなたには『カフェオレ』。文句ないでしょ!!!』

葉月のムキになったいつものお返しが返ってきた。

(だったら。いちいち俺の分まで聞くなっちゅうの!)

わざとらしい葉月の『ロニー』と『隼人さん』の呼び分けに

隼人は『くっそー』と…苛ついていて落ちつきない自分じゃない自分にも腹を立てながら

机にたたきつけた眼鏡を再びかけ直して、意味もなくマウスをカチカチと動かした。

すると…

ついたての影から『クスクス…』と笑いをこぼすハリス少佐の声が…。

(くっそー…。彼にだけはこんな・ガキみたいな俺…見せたくなかったのに!)

品の良い・紳士である彼に子供っぽいところを見せてしまって

隼人は顔を真っ赤にしている自分にさらに腹を立てていた。

「ハヅキ…。君でもそんな風にムキになるんだ…。」

彼のそんな声が聞こえた。

(やっぱり…ハヅキって呼んでいたんだ)

そう一瞬…思ったが何か違和感が急に生まれた。

三人で行き交いさせていた…半透明な心の『くもり』がサッと晴れたように感じたのだ。

そう…三人がやっとお互いに『現・恋人。元・恋人』をさらけ出した瞬間に思えた。

そっと…ついたてから、葉月に対する本当の自分をさらしたハリスを覗いてみた。

彼はやっぱり…拳を栗色のヒゲのところで押さえて笑っていたが…。

葉月はキッチンで白い肌を真っ赤にして唇をとがらせていた。

「僕。初めてみたよ。そんなハヅキ…」

ハリスはそう言ってまだ・笑っていた。

(ええ!?俺にはいつもあんなお嬢さんだけどなぁ??)

隼人は首を傾げながら…やっと・違和感の訳が分かった。

つまり…。

葉月も…隼人によって…見られたくない、見せたことない姿を

前の恋人に見られてしまったと言うことだった。

自分でも見たことない元・女恋人の姿を初めてハリスは見た。

ムキになる…お嬢さん。

その姿を見てしまったハリスは…心の何処かで…

『彼女も幸せにやっている』そう…確信したのだろう。

だから。もう…『元・恋人』…『結婚を先にしてしまった男』という気負いがなくなってしまったから…

急に以前の如く『ハヅキ』と言えるようになったのだと…。

「アハハハハ!!」

隼人が笑うと葉月がビックリしたようにキッチンからまた呆然と隼人に振り返った。

「アハハハハハ!!」

隼人が笑うと急にハリスも大声で笑い出した。

「なによ!男二人で!私をバカにしているの!!」

葉月がたまりかねたようにキッチンから出てきて大笑いをする男二人に食らいついてきた。

「自分でカマかけておいて、逆にひっかかってやんの!」

隼人は葉月をついたてから指さしておもいっきり笑ってやった。

「なに!?私がカマかけたって何よ!」

「まったく…俺とハリス少佐を向き合わせてシラっと上手くすまして丸め込もうとしたんだろ?」

「すまして丸め込むって何よ!失礼ね!

お互い気にしているだろうと思ったから私から『本当のこと』さらそうとしただけじゃない!」

やはり…隼人の前では『ロニー』と呼び…

ハリスの前では『隼人さん』と呼び…。

『ロニーとは付き合っていたし、隼人さんとは今付き合っている。

でも。そんなことは関係なしに二人でこれから上手くやって欲しい…』

葉月は今日・この場でハリスを呼んで隼人と目の前で向き合わせて

この事実をさらけ出したうえで二人の男を『仕事で納得させて』向き合わそうとしていたようだった。

しかし…その必要はなくなった。

ハリスは葉月の今の姿を見て…葉月の今の『幸せ』を確認して満足をしたし…

隼人も…ハリスと付き合っていたときにはない姿を葉月が見せてくれている…

それを知って充分満足だ。

葉月の今の幸せを確認して笑ってくれるこんな男と張り合う気にはなれない。

彼は確かに葉月の『恋人』だったかも知れない。

でも…今でも…『結婚』した今でも…

彼は葉月のことは大切に想ってくれる男だ。

それは…再び『奪われる』とかいう男でなくて

これからも…『葉月には幸せになって欲しい』と心底願ってくれている男なのだ。

「またそうやって。あの手この手ですまして丸め込もうたって。無駄だぜ♪

俺とハリス少佐は上手くやっていけるんだからな!女の出る幕じゃないぜ。

源中佐とか。山本少佐とかとは俺とハリス少佐は訳違うんだぜ!

じゃじゃ馬の手の内なんかお手の物って言うもんだ♪」

隼人がニヤリと葉月を見下ろすと、葉月がまたムキになって頬を膨らませた。

「よく言うわよ!さっきまですっごく怒っていたような顔して!

隼人さんだって今までロニーのこと解っていてすました顔していたじゃないの!

ロニーだって気になるから今日・わざわざ。私に内線をよこしてきたんじゃないの?

その二人が解っていながら、距離を置くぐらいなら私からすべてをさらして

取りなそうと思ったのに!それを何!『女の出る幕じゃない』…って、私はねぇ…」

すると。ハリスがまた…そんな二人のやりとりを聞いて大笑いしだした。

葉月はまた・頬を染めて隼人への反論を引っ込めた。

(こりゃ・おもしろい♪)

生意気嬢ちゃんは、どうやら本性はハリス少佐には出しにくいらしく

彼が笑い出すといつものスッとした無口な女になるらしい。

「そうだったかな?そう・毎回お前に振り回されてたまるかってんだ♪」

「振り回すって何よ!わたしはね…」

ハリスがまた笑い出すと葉月はまた・顔を真っ赤にして言葉を引っ込める。

(へぇ…。彼の前ではすました女だったてことかよ)

こうなったら振り回された分。化けの皮をはがしてやる!と、隼人も燃えてきた。

「俺と?ハリス少佐を格好良く向き合わせて?中佐らしく上手く事を運ぼうとしただろ?

付き合っていたとか付き合っていないとか関係ないとか『仕事』だからとか?

中佐のすました顔して、業務的に格好良く男二人をまとめて見せようって魂胆??」

「だって!」

「『だって』は却下。もういいよ…。葉月の言わんとすることは、俺もハリス少佐も解ったからさ…。」

『そうですよね?少佐。』

ついたてから隼人がニッコリ…ハリスに笑いかけると…

彼は涙目になった目尻を指で押さえて『そうだね…』とまだ・笑いをこらえていた。

「ハヅキ。よかったね。素敵な彼が出来て…。

いや…サワムラ大尉がこんなに上手なお兄さんじゃ、

さすがのハヅキもやられっぱなし…。安心して甘えられるね♪」

「ここでは『彼』じゃないわよ!おまけにすっごく意地悪で『甘える』なんてとんでもないわよ!」

とうとう…ハリス少佐にまで葉月は真っ赤な顔をしてくってかかった。

すると…またハリスは大笑い。

『もう!仕事の話を真面目に三人でしようとしたのに!』

葉月の口から悔しそうに小さくそんな文句がこぼれて聞こえた。

「無理・無理♪毎回…そう…格好良くすましてやり手の令嬢気取ったて…

『日本式ビジネス文章』もろくにかけないお嬢ちゃんだって事ぐらいいつかはばれるようにさ…。

葉月は葉月らしく、可愛いお嬢ちゃんだって事ぐらい、俺も少佐も解っているって♪」

隼人がニヤリと…今まで振り回された分…葉月の化けの皮をはがすと

さすがに葉月は『ビジネス文章』の弱みに触れられて、おまけに男に『可愛いお嬢ちゃん』と言われ

すっかり…恥ずかしそうに黙り込んでしまった。

「あはは!ハヅキが照れているよ♪初めてみた!」

ハリス少佐も面白がって葉月を指さして笑ったのだ。

「もう!知らない!!そこまで言うなら二人で勝手にやって!!」

葉月は、二人の男にいいようにやりのけられて

今までにない化けの皮をはがされて、動揺が抑えられないらしく

とうとう・怒りだして26歳の女の子らしくすねて隊長代理室を出ていってしまった。

隼人とハリスは思わず一緒に『クスリ』とこぼして止めることもなかった。

「いつもあれぐらいだと。扱いやすいのになぁ…」

隼人は呆れて、やっとついたての事務の間をでて、応接ソファーでハリスと向き合った。

「………。本当はいつもはあんな彼女であって…

大尉はその姿をよくご存じなのでしょう??」

今まで散々…一緒になって葉月をからかっていたハリス少佐が

初めて切なそうにグレーの瞳をかげらせた。

隼人はそんな彼の気持ちがやっと自分のことのように感じて…

ため息をついて彼の前に腰をかけた。

「申し訳ありません…。あなたの気持ちも考えずに…悪ふざけしすぎました。」

隼人は今度は先輩に礼儀を尽くすように…膝に両手を当てて深く頭を下げる。

頭を上げると彼がそっと…微笑みながら首を振ってくれた。

「いつから…私が彼女と付き合っていたと?解ったのですか?」

「彼女がフランスで…あなたのことで少しばかり思い詰めていたので…。

彼女の口から『アメリカ人のメンテナンス員と付き合っていた』とは聞かされていました。

その上…フランスを出ていく少し前に『付き合っていた彼が結婚することになった』とも…。

島に来て『新婚のアメリカ人メンテナンサーは葉月の元・恋人』それぐらいは解っていましたから…

先日・挨拶にお伺いしたとき…メンバーの方が『新婚』とおっしゃっていて…それで解りました。」

隼人に事情を語っていた葉月に、ハリス少佐は驚いたのか一瞬息を止めていたが…

すぐに、諦めたように微笑んで『なるほど』と納得したようだ。

「ハヅキから?彼女が自分から私のことを??」

「はい。…他にも色々と思い詰めた状態でフランスには来ていたようで…。」

「そのすべてをサワムラ大尉には打ち明けたと?」

「私だから…って事はないでしょう?彼女にとって…はち切れんばかりの気持ちが

つもり積もってフランスという…自分の肩に重荷が掛からない土地ではじけた…。

その側にたまたまいたのが…私という男だっただけです…。

正直な話。彼女が何を悩んでフランスに来たかなんて…私にとっては初めから関係のない話。

そう思って…彼女を初日から避けていたぐらいです。藤波にも散々この事では迷惑かけましたから。」

「では…。彼女とはどうして?今の状態に??」

ハリスが不思議そうに首を傾げ…そして…

やはり・葉月が帰ってこなかった理由を知りたそうに隼人の顔をのぞき込んだ。

隼人もここでは天の邪鬼は出来なかった。

この男から葉月を奪ってしまったことには…代わりはないと思っていたからだ。

「最初から…最後まで。『うっかり』ってヤツです。

彼女とは…初めて出逢ったときから…すべてが『うっかり』でした。」

隼人は照れながらそっと黒髪をかいた。

「『うっかり』??」

ハリスは、そんな隼人の照れ顔にも首を傾げてまた・うつむく隼人をのぞき込むのだ。

「そうです。『うっかり』です。すべてがコントロールさせてくれない…。

そんな彼女にいつの間にか…動かされていたんです。

『うっかり』だから…ここまで来てしまいました。彼女に体も心も…動かされてしまったんです。」

隼人は今度は照れずに…葉月のまっとうな男としてハリスのグレーの瞳を真っ直ぐに見つめた。

ハリス少佐もそんな隼人の黒い瞳を真剣に真っ直ぐ見つめる。

二人の男は、何かを確かめ合うように嘘偽りのない瞳を与え合うように…。

隼人は彼の瞳を見て『決心』を固めた。

この男とは『仕事』でもやっていけると…。

葉月が付き合った男は…彼女が選んだだけある…。

そう信じられた。

だから…フランスで感じてきたことをすべて…彼に告げても良い。

彼に『葉月を奪った』と罵られても良い。

葉月と今付き合うことは…許して欲しい…認めて欲しい。

それは。後から来た男の手前勝手な願いと解っていてもだ。

葉月がフランスで隼人に打ち明けてくれたことも…。

葉月の代わりにこの男に伝えたいと思い始めていた。

隼人の口から…こんな言葉が出ていた。

「ハリス少佐には…悪いことをしたと思っています。」

そう言うと彼が驚いたように顔を上げた。

彼が結婚を決めてから…葉月とつきあい始めたことは事実だが…。

おそらく…葉月を引き留めていたのはおごるわけでもなく…

この自分と出会ってしまったから…。

そうでなければ…葉月はこの男の元に帰ることだって…

フランスで隼人と初日からすれ違ってしまった日から

葉月は日本に帰ることもできた。

でも…『うっかり』ではあったが…隼人は知らずに葉月を引き留めてしまっていた。

あの…木陰で出逢って…『サボタージュのランチ』にさえ行かなければ

隼人の中で日本からやってきたご令嬢中佐は鼻持ちならない…

遠野という先輩が残していったやっかいな存在で

疎ましく思って追い返そうとしていた相手だったからだ。

その事については、この…『葉月が不在の間に結婚を決めてしまった』と

負い目を感じている男の重荷も…隼人はおろしてやねば…『仕事』もままならない…。

そう思ったのだ…。

葉月が丁度良くいない。

男の本心を語るには今しかないと…隼人は心を決めた。