45.思春期

週末のいつもの夕食。

この日も葉月は島ならではの魚介ものを使ったようだった。

隼人の横に真一が腰をかけて男ふたりが

テラスに背を向けて座る葉月に向き合う形。

コレも定番の席になってきている。

隼人の横でも真一は箸をゆっくり動かしながら

まだ、ため息をついてご飯をつついていた。

しかし葉月は知らぬ振り。いつもの無感情らしく焼き魚をつつく。

隼人もここはいつもと違う空気だが入り込もうとは思わずにシラっとテレビを見ていた。

「ねぇ。葉月ちゃん」

静かな席を真一の一言が響き渡った。

「なに?」 葉月もいつも通りの受け答え。

「俺の母さんも葉月ちゃんみたいに背が高かった?」

隼人は一瞬ドッキリ……。真一から葉月に母のことを問う場面に初めて遭遇したのだ。

母のことを聞くと言うことは、やはり色々と気にしているのか

『真実』がわかったので色々と知りたがっている──。そうともとれたのだ。

しかし葉月は落ち着いてにっこり笑顔。

「そうね。私ぐらいあったと思うわよ? スタイルはウンと立派だったわ」

葉月の明るい返事に、真一がやっと少しだけ微笑んだ。

「父さんは? 谷村のお祖父ちゃんみたいにそんなに背が高くなさそうだった……」

笑顔でこたえていた葉月の表情が一瞬強ばったように隼人には見えたが……

「真兄様は……からだが弱かったでしょ? 運動が出来れば……もっと立派な体格だっただけよ……」

そっと葉月が寂しそうに呟く。

「おれね? 母さんと父さんが同じぐらいの身長だったて聞いていたから……俺伸びないかもね。」

真一はそういってまたため息……焼き魚をつつく。

確かに真一の身長は今のところは葉月より低かった。165センチと言ったところだ。

「何言っているの? シンちゃんは今時の子だし。

隔世遺伝でお祖父ちゃまみたいに大きくなるかもよ?

そんなに心配なら好き嫌いせずにキチンと食べなさい。」

葉月のママ言葉に隼人はまたクスリと微笑んでいた。

葉月は真一の目の前に……彼が一向に手を着けない『もずく』の小鉢を突き出す。

真一はいつも……『もずく・嫌い。』といって残すのを隼人も知ってはいた。

葉月に言われて渋々食べることもある。だが……

「やだ!嫌いって言ったら嫌いなんだ!!」

いつもと違う癇癪を真一が起こしたので……隼人も葉月も瞬間に動きが止まった。

「何言っているの? 我慢すればいつも食べられているでしょ!?」

葉月も……いつにないヒステリックに……。

「なんで葉月ちゃんは俺が嫌いって解っていていっつも出すんだよ!!」

「『栄養』があるからでしょ!!」

「鎌倉では出ないモン!!」

「ここは『島』なの!鎌倉じゃないの!!」

初めてみた若叔母と甥の喧嘩……。隼人はビックリ……硬直していた。

が……。

葉月が立ち上がって真一がちょっと怯えたように身をすくめたので……

「はいはい……『もずく』如きで喧嘩なんてするなよ。貸してご覧??」

仕方がない……とため息をつきながら真一の小鉢を手にキッチンに持っていった。

そして……隼人なりの細工をしてキョトンとしている栗毛のふたりの所へ戻った。

「どうぞ。お坊ちゃん。お試しあれ。」

隼人がニコリと真一に勧めると、意外と素直に箸をつけた。

『あ……』

真一が一口、口に付けて……

「何したの!? 隼人兄ちゃん!全然酸っぱくないよ?? 俺酸っぱいのがいやだったのに!」

真一はするすると一鉢。ぺろりと食べてしまったのだ。

葉月も唖然として隼人をみていた。

「うちの弟も……もずくの酸っぱいのは嫌いって言っていたから……一緒かなって……」

隼人がおどけて笑うと葉月は『そうだったの……』と納得したように微笑んでくれたが……

せっかく……食べられた喜びもつかの間、真一はうつむいていた。

「どうしたの? やっぱり……嫌いかな?」

隼人は真一が座る椅子の側にひざまずいて、栗毛の中を覗く。

「シンちゃん?」

葉月も優雅な手つきで真一の頭に手を伸ばしたときだった。

真一はダッと立ち上がって瞬く間に林の部屋に駆け込んでいってしまったのだ。

隼人はビックリ……何がいけなかったかさっぱり解らなかった。

困惑して葉月をみると……。

葉月もなんだか寂しそうにうつむいていた。しかし……

すぐに顔を上げて隼人がいつも知っている笑顔をこぼしてくれた。

「いま。そうゆう時期なのよ。」

「時期?」

「本当の親が恋しいのよ。隼人さんが……パパみたいに優しいから……

いつもなら嬉しいところ……今日は本当のパパが恋しくなったのよ……。」

隼人にはその気持ちが良く解った。

もういない母を何処で恋しがってもどうにもならないもどかしさ。

「俺……よけいなこと……」

真一のためを思ってしたつもりだった。

しかし、葉月はニッコリ……。

「ううん。本当のパパが恋しくなるくらい……優しいって事よ。大丈夫。

明日になったらいつも以上に甘えてくるわよ。覚悟しておいてね。」

葉月はそう笑って……林側の部屋に様子を見に行ってしまった。

ドアは完全には閉められなかったので隼人はそっと隙間を心配で覗く。

『葉月ちゃん……どうして? どうして父さんは側にいてくれないの??』

ベッドに座った葉月に真一が子供のように抱きついていた。

違和感がない。光景。

でも隼人にはズキリ……とした感覚が走った。

『どうして俺はあんな風になれなかったのだろう?』

それは自分の恋心が原因だったが……。

輝く継母に昔はあんな風に甘えていた。

『バカだな。昔のこと……。』

彼女のことはもう・女とも母とも思っていなかったが……。

何処かでまだ乗り越えられない『染みる傷』があるのは確かなのだ。

『いつも天国でみていてくれているわ。私がいるじゃない? 隼人さんだって……皆いるじゃない?』

葉月の胸でだだをこねる真一。

隼人が見たことない美しい葉月の姿がそこにあった。

真一の栗毛を撫でる白い手が夜灯りの中、ほのかに光っているように感じる。

隼人はその光景に見とれていたのだ。

暫く。真一のすすり泣く声は止まることはなかった。

隼人はそっと……ドアから離れて、テラスから見える漁り火にため息をつく。

その晩は、真一が泣いたまま林側のベッドを陣取って眠ってしまったので

隼人は葉月の部屋にお邪魔することとなった。

シルクのパジャマを着て……佐官試験の参考書片手にベッドに入る。

葉月は臆することもなく、隼人の横でスリップドレス一枚になる。

「それ・本当に刺激的だなぁ。」

隼人は何とかしてくれとばかりにため息をつくと……。

「おやすみなさい」

『知らない』とばかりに葉月は、また隼人に背を向けて壁側に寝転がってしまった。

(ふぅ)

いつもの彼女に隼人はやや呆れて、彼女の方にライトが当たらないよう

自分の手元に引き寄せた。

隼人もそれどころではなく、活字に集中する。

1ページ。2ページ……4ページ……めくったところで葉月の頼りなげな寝息が耳に届く。

良く寝付いたようで隼人は安心して彼女の肩にシーツをかぶせて……

ベッドサイドのライトを消して自分も横になった。

葉月の背中に抱きついたが……今日は良く寝入っているようで起きやしなかった。

(母親かぁ……)

今日は何処か葉月にそんなイメージを抱いていた。

そんな彼女もいる……。

葉月の柔らかい肌の暖かみ。小さな寝息。シルクの栗毛。

その一つ一つを感じ取っているうちに隼人もスッと眠りにおちてゆく。

 

『♪〜♪〜♪♪♪〜♪ーー♪』

 

なにやら子供じみた鼻歌が聞こえてきて隼人はフッと起きあがる。

ミコノス部屋の薄い水色のカーテンからうっすらと光がこぼれていた。

黒髪をかきながら隣を確かめると……

やはり、猫のように長い身体を曲げている葉月が

シーツを丸め込むように壁側でよく眠っていた。

(8時か……早いなぁ……真一君)

昨夜と違ってご機嫌のようだが……こんなに朝早く何をしているのか気になって

隼人はリビングにシルクのパジャマ姿で様子を見に出ることに……。

「早いね。おはよう……」

葉月の部屋から出るところは……みられたくはなかったが……

「おはよう! あ、俺とお揃いのヤツ!!」

真一は一人で勝手にダイニングテーブルで、

葉月が買ってきた市販のパン袋を開けて食べているところだった。

隼人と同じ白いパジャマを着てそれを嬉しそうに引っ張り隼人に突き出す。

若叔母の部屋から出てきても真一は自然に笑顔をこぼす。

バターロールをくわえて無邪気な笑顔は朝日に輝いて

隼人が気に入っている葉月の笑顔以上だった。

(どうやら……叔母さんに甘えてご機嫌復活かな?)

そう……どんなに強がっても、健気でも真一だってまだ子供だ。

あれぐらいブレーキが壊れて甘えたい葉月に素直に甘えれば気が済んだのだと隼人は思った。

だから……昨夜はいつもは遠慮して帰るところ……泊まりに来たのだろう。

隼人も反省。

これからは真一の気遣いなどは『大丈夫』と言われても

無理に引き留めて泊まるよう勧める事にしようと思う。

「なに? 一人で……腹減ったのかよ?」

隼人は真一の不健康そうな食事にため息ついて側に寄った。

「うん。葉月ちゃんがいつも夜食用に買ってくれているから。」

「しょうがないな。背が伸びるように何とかしようか?」

「何とかって??」

バターロールをくわえてキョトンとする真一に隼人はニッコリ微笑む。

書斎の部屋でいつものジーンズにこの日は青いギンガムチャックのシャツに着替える。

シャツの袖をまくって……キッチンにはいると……。

「ねぇねぇ! 隼人兄ちゃんって……。本当はすっごく料理できるんじゃないの!?」

隼人がキッチンに入ったので真一は目を輝かせて飛んできた。

「さぁてね。がっかりするなよ。」

フライパンを片手に取ると真一も……

『俺も着替えてこよう!!』と元気良く書斎に飛んでいった。

(もう……隠すこともないだろう……)

隠すというか……意地を張ることもないだろうと思った。

『有り難う。隼人さん……。あんな風にまとめてくれて……

隼人さんがいなければ……二・三日はシンちゃんと険悪だったかも……。

私じゃ出来ないこと本当はたくさんあるの……。』

真一が泣き疲れて眠った後……。葉月と初めてキッチンで一緒に洗い物をした。

『もずく……どうやったの? 教えて?』

葉月が情けないような瞳ですがるので……隼人も隠してはおけなくなったのだ。

『砂糖だよ。甘酢とね……ちょっとくわえただけ。』

すると葉月はまた……茶色の瞳を潤ませる。

『私なんて……本当は……』

若叔母としての重荷なのだろうか? それとも……力及ばないもどかしさか……。

『嬉しかった。隼人さんがあんな風にしてくれて……私じゃダメなの。私じゃ……。

私じゃ物足りないときに……あの子はああやって拗ねるの。昔から……。

いつもは聞き分けの良い子なのに。私じゃ物足りないからああやってだだこねて……。』

それは……女では与えることが出来ない何かを求められたとき……

葉月はどうにも出来ない。いくら母代わりでも。

隼人は本当に父とも兄にもなれるわけがないと思っていたが……。

こうしてちょっとでも、ふたりの間で何かが出来るなら……

そう思ってフランスを出てきたのも一つの理由だったことを思い出させてくれた。

だから……もう。隠すことも意地を張ることもない。

隼人は冷蔵庫から卵と牛乳を出してボールにあける。

着替えた真一がすっ飛んできた。

片手でパンパン……と卵を割る隼人をみて真一は動きを止める。

「すっごーーい!」

『手慣れてる、手慣れてる! 』と真一は隼人にくっついて離れなくなった。

ボールに入れた卵と牛乳を泡立てていても真一の瞳は子供のようにキラキラ。

耳を切り落とした食パンを浸すと……

「フレンチトーストだ! 家で食べるの初めて!」

「そう?」

「だって。うちは葉月ちゃんもお祖母ちゃんもアメリカ流だモン! 

パンケーキは食べるよ。でも、さっすが! フランス帰りだね!!」

バターを敷いたフライパンに濡れた食パンをおくと真一は

『すごい! すごい!』と大興奮。

隼人もおかしくなって笑っていた。

「おはよう……早いのね……あら? いい匂い……」

葉月が栗毛をかきあげながら……黒いガウン姿でキッチンにやってきた。

葉月も隼人の手際を初めてみてビックリ……固まっていた。

しかし……

「隠していたの? 意地悪ね……。道理で料理にはうるさいと思ったわ。」

朝日の中。そう微笑んで『シャワー浴びてくる』と

キッチンで仲のいい男ふたりを残してバスルームの方へ消えていった。

「俺もね。15でフランス行ったときはチビで良くバカにされたよ。

16から……今ぐらいに急に伸びたからね……真一君も今からだよ。

来年にはお嬢さんを越しているかもね。」

隼人はフレンチトーストの火加減をみながら今度は野菜に手を伸ばす。

「……」

元気を出してもらおうと言ったつもりだったが……真一が口を曲げて致し方なさそうに微笑んでいる。

『あれ?』と、隼人も違和感の反応に戸惑う。

「俺ね。身長伸びなくても本当は良いんだ。」

「どうして? 昨夜・気にしていたじゃないか」

「違うんだ。本当は……」

「え?」

妙な発言に隼人はレタスをちぎっていた手元を止めてしまった。

真一はそれ以上は何も言わなくなった……。しかし、一言。

「だって……。俺。皐月母さんと真父さんの子だモン……。そう思いたかっただけ。」

『は?』

良く解らない一言だった。

両親が同じ身長だったから自分も伸びない。そう悩んでいたのじゃないか?

二人の身長以上に成長したいそう思っていると思ったのに

一晩明けて真一は、二人の子供であるなら伸びなくても良いと言う。

『思春期』の気まぐれか『思春期』の良く解らない心の変化。隼人には

今はそうとしか判断の付けようもまとめようもなかった。

「……栗毛はママ譲りだし。顔はパパ譲りだろ? 鼻筋は葉月によく似ている。」

隼人がそういうと真一は安心したようにニコリとお気に入りの無邪気な微笑みを浮かべた。

はしゃぐ真一と朝日がこぼれるダイニングテーブルに

出来た物をセッティングしていると葉月がワンピースに着替えて出てくる。

『すっごーい! 何コレ!!』

葉月はテーブルの豪華さをみてかなり驚いたようだった。

「ドレッシングも手作りだよ!!美味しかったよ! 葉月ちゃんも早く!」

「お世話になっているお返し。」

隼人の微笑みに……葉月が誘われるように……しかし呆然といつもの席に着く。

『頂きます……』

三人でいつもの席で隼人流モーニングに向き合った。

「おいしーー! フレンチトースト、カリカリだよ!」

真一のお褒めに隼人もニッコリ……。

葉月はサラダをフォークでおそるおそるつついていた。

隼人は真一より葉月の反応が気になる。

「何だよ、何も仕込んでないから早く食えよ。」

隼人が不服そうに呟くと葉月はやっと……口に運んだ。

「美味しいです。敵いません……」

葉月がにっこり。でも、女としての立場を奪われたが如く言葉は強ばっていた。

「クルトンも作ったんだけど。どう?」

「えー! そこまで!!」

「うん。トーストの耳。フライパンでちょっと油多めに炒めるぐらいで簡単に出来るよ。」

「参りました……。」

葉月はもうどうでも良いわとばかりに……ふざけた泣き顔を浮かべて……

「でも。おいしい! たすかるー!」

急に調子のいい笑顔を浮かべて真一のようにぱくぱく食べはじめた。

「そういうと思った。調子がいいのは前からだし。」

「なに! それッ!」

隼人のシラっとした言い分に……葉月がムキになる。

それを横で真一がおもしろそうに笑っていた。

でも……隼人は一安心……。料理が出来るばかりに女を敵に回したことがあるからだ。

葉月には何とか受け入れてもらえたようだ。

『さいこー!』といつもの元気の良さで食べる真一をみて

葉月と隼人は目を合わせてお互いにっこりと……微笑みあう。

「やっぱりね! 俺思ったんだ。最初から……。『サワムラさんはただモンじゃない』って。」

真一が嬉しそうにフォークで隼人を指した。

「なんだよ。それ?」

「だから俺……フランスにいる兄ちゃんに……メー……」

その先、真一が何を言おうとしているか解り、

隼人は隣の真一の首をつかんで口をふさいだ。

「なに? フランスにいた隼人さんがどうかしたの??」

葉月がキョトンと向かい側の男二人を見入っている。

真一も嬉しさのあまり『うっかり……』とばかりに隼人に舌を出す。

隼人も真一も葉月に向かって苦笑い。

『男同士の秘密だったね!』

対面する前から二人でメールのやりとりをしたのは葉月には内緒。

「よかったね! 葉月ちゃん。いい旦那さんになってくれるよ!」

「バカね! ませたこといわないの!!」

真一の一言に葉月は真っ赤になって……いつもの強がる顔でフレンチトーストをかじっていた。

やっと戻ってきたいつもの『葉月家』の雰囲気。

隼人もこの空気が好きになって来てはいたが入り込むほど何か……。

違和感が伴う『疑問』が生まれてゆく不安も新しく感じ始めていた。