1.残り香

あの日…。隼人は西日が射し込む中、

自分の部屋をはいつくばって、ある物を捜していた…。

葉月が『すっぽかす』ように、隼人を置き去りに『帰国』してしまった日だ。

その日の…前の日。

この時間…。この部屋で…。

隼人は『ウサギ』を抱いていた。

白い肌にブラインドの影を落として…。隼人にしがみついていた『ウサギ』

栗毛のウサギだ。

でも…。

隼人の捜し物は見つからない。

隼人がこうしてムキになって捜している物を、『ウサギ』が持ち帰っていないことを願っていた。

なぜならば…。

彼女が持って帰ってしまったのなら、隼人の知らないところで

隼人のことを『想い出』として刻み続けてゆく存在が…存在してしまうからだ。

それが、後味が悪くて仕様がない。

でも…。やっぱり彼女が持って帰ったようだ。おそらく…きっとそうだと隼人は思った。

今まで机の引き出しの奥にしまいっぱなしで、手に取ることもなかったのに…。

栗毛のウサギさんのお陰でその捜し物に息が吹き込まれたかのように

『意味』が生まれてしまった。

『あの…写真…。何処に行ったんだろう?確か…昨日。床に落としたんだけど?』

彼女が愛した男と、自分が並んで写っている写真。

彼女がふと、見つけて持って帰ってしまったのなら…。

彼女はもう、愛すことが出来ない死んだ男と、想い出になる男をその写真一枚に閉じこめて

祖国に持って帰ってしまったに違いない。

そんな風に…。切ない思いを抱え込ませて見送ることも出来ずに返してしまった自分が口惜しい。

どうせなら…。隼人の勘違い。

まだ、この部屋の何処かに落ちている方が気が楽だ。

彼女にそんな思いをさせた男になりたくなくて…。

隼人はその写真を捜したが、やっぱり何処にも見あたらなかった。

隼人の回想が始まる。

俺が言う『ウサギさん』が黙って帰った、二日前。

その日はウサギさんの『送別会』だった。

俺ははふと、思いつた事を実行するために二階にある『統括科』に出向いた。

「ハァイ。マダム・フジナミいる?」

その統括科には俺の…年下の上官『藤波中佐』の妻が働いていた。

「どうしたの?大尉?『中佐』は?」

パッチリ…大きな瞳の『雪江さん』がいつもの元気で明るい笑顔でやってきてくれた。

「あ。ウン。中佐室でなんだかバリバリ仕事しているんだ。

まだ『帰国』まで時間があるって言うのに…。何であんなに意気込んでいるのかな?」

俺が何気なく呟いて…ため息をこぼすと、雪江が『クスッ』と笑ったので、首をかしげてしまった。

「あなたにとって『中佐』って…もう、すっかり『葉月ちゃん』なのね。

私が言う『中佐』って言うのは…ウチの旦那のこと。もうすぐ訓練が終わってランチの時間じゃない?

そのつもりで…『一緒じゃないの?』って聞いたつもりだったの♪」

なにやら…意味深な眼差しで面白がる雪江さんを見て…

俺はハッとして身体の体温が上がっていくのが解った。

「もう・いい」

フッときびすを返して、統括科を離れようとした。

「あ!待ってよ!!隼人さん!」

雪江さんは、さっさと去ろうとする俺を追いかけてくる。

「ねぇ!私に何か用があったのでしょう?」

雪江さんが早足で追いかけてくるが俺は『そうだけど。言えるか!』と

心で叫んで無言で歩き続ける。

まるで、彼女とはすっかり意気投合…そんな風に見られたのが嫌だった。

本当はその通りなのだが…天の邪鬼は認めないのだ。

「もう!何なの!?大尉は…。そんなに怒らなくてもイイじゃない!

もう、『側近』の話だって断ったのでしょう??葉月ちゃんだって諦めたのでしょう?

この先、二人がどうなるって訳でもないのに。どうしてそんなに怒るのよ!」

雪江さんは、俺の背中に張り付くように追いついてきて…

ショートヘアの生え際をかき上げて大きいため息をつく。

そこでやっと立ち止まって雪江さんを見下ろした。

「そうだよ!俺と彼女は何もない!今からも。これからも。これでお別れだ!」

…と、自分に言い聞かせたいたりする…。

「…。でも。それだけじゃ、味気ないだろう?彼女…せっかく遠いところから

俺みたいな男に会いに来て…二ヶ月も側近の話黙って…

上手に俺に会わせて仕事してくれて…。

その…。先輩のことも、早く立ち直って欲しいし…。

『餞別』贈ろうと思って…」

などと…口ごもると、雪江さんが急にパッと明るい笑顔をこぼして

『すごいわぁ♪』と、俺の腕にしがみついてきた。

「それで?女の私に相談って事?何か決めているの??」

雪江が大きな瞳を輝かせてはしゃぎはじめたので少したじろいでしまった…。

「俺…。女物疎いし…。でも…『香水』がいいかな…なんて…。」

「香水?葉月ちゃん。『ディオール』使っているわよ?それが知りたかったの?」

「あの香り…『ディオール』なの?」

「着けているの知っているの!?あんなにさり気なく着けているのに!」

「そう?時々…鼻を掠める程度に…着けているなとは思っていたけど。」

すると。雪江さんが意味有りげにニンマリとしたので、おれは『何だよ』とふてくされた。

「香水なんてやめたら?葉月ちゃんはね。元々ああゆう物に興味はないのよ。

お化粧だって、ファンデーションに薄い口紅だけ。

日焼けしないようにしっかりしたお手入れの化粧品にお金はかけても

色とりどりの物には興味ないみたいよ?」

「そうかな?時々…。ランチの時間に読んでいる雑誌で

『マニキュア』とか眺めて『つけたい・・』とかいっているけど?」

「そりゃね。女の子だもの。多少願望があっても『仕事』がそうさせないってね。

それに彼女。うんとキレイだもの。必要ないわよ」

「じゃぁ?何がいいって…いうのさ?雪江さんは…」

「そうねぇ。『ピアス』とか」

「いっつも同じ…小さいパールの付けているじゃないか。」

「隼人さんがあげたら、あのピアスも外すかもよ?」

「『お嬢さん』だろ?イイやついっぱい持っているよ。俺なんかがあげなくっても。

何で?香水はダメなのさ?」

『香水』を諦めさせようとする雪江さんに首をかしげた。

すると…急に…快活に話していた雪江さんがうつむいて口ごもった。

それでピンと来てしまった。

彼女が今着けている『香水』は…『男が選んだ物…』と。

興味がないのに着けているのは『そうゆう事か!』と…

俺は妙に胸が燃えるのが自分でも解ったくらいだ。

「…。あの香り…。彼女には合っていないよ。もっとさわやかなのがいいと思って!」

何故か…ムキになっていた。ハッキリいいきった俺を雪江さんがビックリ見上げたぐらいだ。

「本当に…そう思っているの?」

「そう思わないのかよ?」

そんな照れ隠し…天の邪鬼な俺を見て…雪江さんはクスクスと笑いはじめた。

「そう…。あなたがそう思っているなら。そうねぇ。彼女のイメージってどんななの?」

「イメージ?何でそんなこと必要なんだよ?さわやかな物ならなんだってイイよ。

雪江さん選んでよ。俺が町の雑貨屋まで買いに行くから。

そう思ってさ。『ピアス』なんてこの町じゃ、彼女に合う物はないと思って…。」

ウサギさんはいつも良いものを手にしているのは知っていた。

そんなものはこの街にはない。パリにでもゆけば別だか?

でも、そんな物をあげても彼女は喜ばないだろう…と、俺は思っていた。

それに、俺も…『女は高価な物で喜ばせる』男になりたくなかったのだ。

「もう。だめねぇ。女心解ってない!いい?隼人さん…」

女性である雪江さんがまるで『説教』でも始めるような眼差しで俺を見上げるのだ。

俺も…女の心はよく解らないから…構えてしまった。

「いい?香水はね。『消耗品』なのよ?アクセサリーはそれでも残るけど、

香水は使ったら無くなっちゃうんだから!その、香水にあなたの思いを吹き込ませないと!

こんなイメージで選んだんだって…使い終わった後にもその男の人の女性に対する想いが残るでしょう??」

雪江さんににらまれて…俺は『そぉ?』とおののいたが…。

そう言われると…『う〜む』と腕組み…よぉく『お嬢さん』をイメージする…。

「なんて言うのかな?けっこう『がさつ』?」

そう言うと…雪江さんは先程以上に俺をにらみつける。

「だって、そうだろう?皆。彼女のことスッゴイ『お嬢様』って言うけどさ。結構・普通だぜ?

そりゃ…一目見たら…クオーターだから不思議な感じ醸し出しているけどさ。

中身はちゃんと『日本人』だし。普通の女の子だよ?

この前だって、夜勤明けの時。俺の目の前で大あくびして煙草吸ってたし。

お茶を飲んで『アチチ!』とかいって、制服にこぼしたりさ!」

「失礼ね!ああ見えても彼女はね!!」

「解っているよ!…何処かやっぱり…『スペイン貴族の末裔』っていう雰囲気・急に出したりするし。

やっぱり…『血筋かなぁ?』って、思うときある。だから不思議なんだよ。その『ギャップ』」

「『ギャップ』?」

「そう…。『中佐』として、しっかり大人の顔もあるし。何処か26歳の女の子らしい

憎めない…可愛いところもあるって言うのかな?……アッ!」

「何!?もっといいイメージが閃いた??」

「康夫には言うなよ!絶対にっっ!!」

つい、『可愛い』と口を滑らしておれはすかさず雪江さんに釘打ちをした。

彼女はまた呆れた顔をして『もう!』とガックリ肩を落としてまた俺をにらみつけた。

「解っているわよ!だから、『コッソリ』私の所に相談に来たのでしょう?『天の邪鬼さん』!」

俺は…そう言われて…ぐうの音も出なかった。

それから、雪江さんは『カフェに雑誌があるから…』と言うことで

二人でカフェに向かうことになった。

その途中。雪江さんはこう言っていた。

「葉月ちゃんはね…。何でも真剣勝負なのよねぇ。全力投球って感じしない?」

俺は、この二ヶ月見てきた彼女を振り返って『そうだね』と、何気なく返事をしておく。

「時々。フイッとそっぽを向く気まぐれなところがあるけど。

でもその気まぐれって彼女がフッと影にはまったり…身動きが出来なくなったときなんだって

康夫がいつも言っているわ。いつも何処かで『真実』を捜しているのよね。

真実が見えなくなると急にそっぽを向くんですって。逆に言うとこっちが見限られるって事。

気を付けないとね。」

(なるほどね)

とは、思ったものの…。この時はそんなに胸に止めることもなく

俺は彼女への『贈り物』に対する緊張感でいっぱいだったのだ。

カフェに着くと雪江さんは、マガジンラックから女性雑誌を取り出して

近くのテーブルの上に広げた。

「これはどう?香水って香りが変わるの知っている?」

「ああ。着け立ちの香りとか?ミドルノート…ラストノートとか?」

「そうそう♪この香水はね。最初は無邪気なジンジャーリリーの香りでね。

ラストノートは妖艶な大人の香りに変わるんですって。

可愛いと色っぽいが備わっていて恋人に着けて欲しい香りNO1ていうけど?

隼人さんのイメージってこんなのじゃないの?葉月ちゃんは何処か『男の子』っぽいところあるし

甘い香りよりはいいと思うけど…」

と、雪江さんが指さした香水には葉っぱのモチーフが付いた緑色の瓶だった。

『百合とムスクか…いいかも』と、俺は一目で気に入った。

「瓶も緑の葉が付いていて『葉月』って感じだね。ウン。わかった。これ買ってくる。

え〜〜と。なんて書いてある?」

眼鏡をかけていなかったので俺が目を細めていると…。

「グレのカボティーヌ♪」

雪江さんがニッコリ教えてくれた。

その彼女に贈ったカボティーヌ。

彼女はそれを着けてそして俺のベットに残り香を残して去っていってしまった。

あの香り…。

俺の中ではもう彼女の香り…。

雪江さんが言ったとおり、肌を重ねていくウチに彼女の手首、首筋…胸元から立ちこめた香り…。

無邪気な百合と…艶めかしいムスクの香り。

スラリとした足や鍛えて均等が取れている長身の彼女の裸。

良くあっていたと思う。

俺の部屋で思い詰めた瞳で裸になった彼女がそうやって何度も浮かぶ。

木陰でキュンキュンと鼻を動かして俺をジッと見ていたウサギさん。

俺の腕からスルリといなくなった。

『いいの。無理して側に置かないで…。私・わかっていたのよ』と、ばかりに。

やっと心の何処かで、木陰に置きっぱなしにしていた栗毛のウサギを持って帰ろうとしていたのに

ウサギさんは一時、俺の腕の中で安らいで何処かへ消えてしまった。

もう二度と…木陰で俺を見つめることはないのだろう…。

俺は残り香がするベットのシーツを撫でながらそっと腰をかけた。