エピローグ

2.心の旅

隼人がマンションに帰ると葉月は起きあがっていた。

『ハックシュン…』

リビングで鼻をかんでいるところで…

「本当に風邪だな。それ…」

「うー…参ったわ…。」

ため息をついてリビングに腰をかけると葉月もいつもの席に座り込んだ。

「シンちゃん拗ねていた?」

「あ。うん…ちょっとだけね。」

真一が拗ねたのは自分の中途半端な叔母への接し方だとは言えなかった。

「すぐご機嫌治るわよ。いつもの事よ。」

「なんだよ。お前のことであんなに取り乱していたのに、随分余裕だな。」

すると葉月が致し方なさそうに少しだけ微笑んだ。

「いいの。兄様に父様におじ様…。みんな真一を事実から遠ざけて。

私は…いつかは真一が知るのじゃないかと構えていたから。」

この前。真一の成績が落ちて母の死の事実を知られたと

かなり取り乱していたくせに葉月がだいぶ落ち着いている。

隼人はその方が腑に落ちない。

真一も取り乱しはするが、ものすごく落ち込むわけでもない。

何かが不思議だった。

この若叔母と甥の間だけ何か見えない何かがあるように思える。

「葉月がそう言うなら…俺は…見守るだけだけど…。」

「それでいいの…。ごめんなさい…。大切な試験前にいろいろバタバタして…。」

『クシュン…』

葉月が微笑みながらくしゃみを繰り返す。

「俺のことは気にするなよ。だいぶ…参考書も読みつぶしたし…。

自信があるとは言わないけど…受かるつもりではいるから…。」

隼人の余裕ある言葉に葉月も安心したのかいつもの微笑みを浮かべてくれた。

『もう休みな。』

隼人の言葉に葉月は素直に頷いて…今度はパジャマの上にカーディガンまで羽織る。

隼人が額に手を当てると…

「お前熱あるジャン!?はい。もう寝た・寝た!!」

驚いて葉月を部屋に押し込めた。

隼人はその後、書斎にこもったが…葉月のくしゃみは夜中まで聞こえた。

ため息をついて…この日も葉月のマンションに泊まることにした。

試験勉強も程々に、隼人は持って帰ってきた書類をチェックして

葉月が後で見られるように片づけておく。

夜の二時頃…やっと葉月のくしゃみが聞こえなくなり隼人も書斎のベッドで就寝。

(ああ。いろいろと…気が気じゃないなぁ。心配ばっかりかけやがって…)

いつの間にか彼女のそばを離れると落ち着かない自分になっていることに気が付いた。

それにしても…葉月は山本のその後は何も聞かなかったと隼人は思った。

あの後。葉月をタクシーに乗せて本部に戻るとジョイは不在。

山中の兄さんが顔色を変えて隼人に詰め寄る。

『大丈夫だったか??お嬢?』

本部内は平静そのもの…。

事情を知っているのは補佐と側近の隼人だけらしく、

山中の兄さんの慌て様が浮き彫りされているようだった。

『ジョイは?』

『細川中将の所…。』

『そ。』

隼人が落ち着いているので山中も徐々に落ち着いたようだった。

ランチ抜きで不在の葉月の穴を埋めるべく空軍管理の仕事の没頭。

一時間した頃、コリンズ中佐が尋ねてきた。

『よ。色男。嬢はどうした?』

『帰しました。気力抜けしていましたので』

『へぇ。あの強がり嬢ちゃんが、よく言うことを聞いたなぁ。』

色男の意味が分かっていたが隼人は慌てることなくシラっと流して業務に専念。

からかいが今は通じないと解ってか、デイブもそれ以上はふざけなかった。

隼人の席に腕組み腰をかけてくる。

『山本の処分決まったぜ』

デイブは制服のポケットから煙草を出し、隼人に背を向けて呟いた。

隼人もマウスを動かす手が止まる。

『明日から謹慎。謹慎解除後、転勤だ。ヤツが二中隊で働くことは明日から無いって事だ。

理由は空軍管理体制が変わって、納得いかず、コリンズチームに喧嘩をふっかけたってことになった。

上官命令に背いたという業務妨害ってやつだ…。』

(懲戒免職じゃないのかよ!)

隼人はマウスをグッと握りしめた。

その様子をデイブがジッと肩越しから眺めている。

『だろうな。俺もそう思ったぜ?だがなぁ…』

『何ですか?』

『周りの反応だよ。何をして懲戒免職になったか?それが噂になって見ろ。

御園中佐をロッカールームで襲った。一番傷つくのは誰だ?』

『それじゃぁ!なんですか??女は傷つき損!男は何したって失う物はないって事ですか!?』

葉月が襲われたことを『噂』にしたくない。

だから、騒ぎにならない程度の『処分』で片づけた。

山本は職を失わずに経歴に、ちょっとした傷が付いただけで終わり。

隼人にはそれが我慢できなかった。

葉月をあんな姿に追い込んで、もう少しで葉月が壊れかけるところだったのに!

隼人は葉月と分かち合った愛で落ち着いた気持ちになっていたところを

再び怒りがこみ上げてきた。

『まぁ。落ち着け。転勤先は『岩国基地』の班室だ。』

『岩国だって…外国提携の大きい基地じゃないですか!?』

『島を追い出されたら…ヤツにもう出世はないぜ。島が一番の外国への出口だからな。』

『出世とか出世しないとかそうゆう問題じゃないでしょう?』

『嬢がそう望む。中将がそう言ったんだよ。俺もそう思う『節』があるし…。

ジョイもそれで納得した。後はフランク中将の怒りはお前並だろうな。

そこは、お目付である細川中将がなだめるだろうって…ジョイが一番冷静かもな。』

隼人にはデイブが言っている意味が分からなかった…。

ジョイが一番落ち着いていて…細川が葉月の心を良く解っていて…。

隼人と、一番偉い連隊長のロイは怒るだけで…

それをなだめなくてはいけないって『何なのだ!?』と。

その隼人の静かな怒りを見てデイブがため息をついた。

『俺も納得いかないところはあるが…納得できる部分もある。

サワムラ。お前も嬢の側にこれからいれば解ってくるかもな。』

(それは俺がまだ…アイツを良く理解していないって事!?)

毎日毎日…誰よりも側にいて…こんなに彼女といろいろ乗り越えてきたのに…

長年いた男達にはそんなにまだ足元にも及ばないのか?と隼人は困惑した。

『頭冷やせよ。嬢が一番嫌いなことは何か。

二度と味わいたくない物は何か…それが一番大切だと

中将が言っていた。本当なら懲戒免職だって怒鳴り飛ばしていたぜ?

今にも殴りかかりそうにしていたがね?あの将軍が取り乱したんだから。』

『取り乱した?』

『ああ。いつもは冷たい顔して怒鳴っているが…そうじゃなくて…

顔を真っ赤にして怒り散らしたんだぜ?それに…俺だったら懲戒免職の方がさっぱりするな。

こんな処分受けてまで軍人にしがみつこうとはしないぜ?恥だぜ?

もしかしたら山本も耐えられなくなって自主退職するかもな?

その方が『山本の意志』。こっちが懲戒免職で『解雇』にしたら…

嬢が逆恨みされるケースもあり得るって訳だ。向こうからやめさせるか…

キツイ十字架背負って生きてもらうかだよなぁ…。』

そこまで聞いて…隼人もハッとした。

言われてみれば…。今の怒り任せでどん底に落としてその後…。

葉月がずっと逆恨みされるのも困る。

本当は被害者なのに。こんな風にして、加害者をやりのけるなんて

腑には落ちないが…山本の意志で己を罰してもらうしかないようだった。

『嬢がなんて言うか解るか?きっとこう言うぜ?

『無事だったからいい。少佐には奥様も子供もいる。責任ある立場』ってね…。』

隼人はデイブのその予想に呆れてしまった。そんなことあるだろうか?と

鼻で笑いたくなったぐらいだ。

『そうでしょうか?あんな目に遭わされて…そんなの人が良すぎますよ。

トラウマに触れられてあんなに変貌したのに。可哀想すぎますよ。』

隼人の恋人を第一に思う気持ちはデイブにも解っていた。だが…

デイブは冷たい表情で、隼人に語り始める。

『そこが…嬢の『おバカ』で『甘い』所なんだよ。呆れるぐらいにな!

嬢が一番望んでいるのは…相手が心から反省して詫びる事じゃないか?

俺はアイツの幼児体験の『本音』ってヤツはさすがに聞いたことないから想像だが…。

痛めつけたって…恨みを返したって…姉貴は戻ってこない…。

その虚しさがどんな物かアイツは誰よりも良く解っているはずだ。

争いの向こうに何がある?何もない。だけれども消えない怒り。

俺には…我慢できないな…そんな『心の旅』。

嬢は行ったり来たりしているはずだ。怒りと絶望と虚しさの間をな。

自分をかばって死んだ姉貴の事で縛られ続けているのに、

山本のことなんか嬢にして見りゃ小さな事かも知れないぜ?

この事で振り回されるぐらいなら。早く忘れて無かったことにしたい…。

嬢はそう思う…。それが細川のおっさんとジョイが出した答えだ。』

『…………。』

デイブの今の話…。

隼人は反論が出来なかった…。

それと同時に…。

『俺…まだまだっすね…。』

彼女をありきたりに守るだけ。大切にするだけ。

葉月の本当の心の奥底…。まだ知らなかった。

悔しいが自分より先にいた、男の言葉に納得していた。

すると、デイブは火も点けない煙草を口にくわえて隼人の席を降りる。

『まぁ。俺はお前が嬢ちゃんを甘やかしすぎて逆に女らしくするんじゃないかと心配していたが。

平手打ちの『男に負けるな!じゃじゃ馬!』って喝は気に入ったぜ??

嬢にはやっぱりじゃじゃ馬流の勢いがないと嬢じゃないからな。

嬢のじゃじゃ馬を煽ってくれる…そうゆう男は…』

そこでデイブが口ごもり…煙草をため息混じりに口元から外した。

『何ですか?』

『いや。そうゆう男でいて欲しいって言いたかっただけだよ。』

『??』

『じゃぁな♪頑張れよ!色男!!』

デイブの大きな手にまた力一杯・肩を叩かれて隼人は『いてー』と顔をしかめた。

(海野達也…以来って言いそうになった…やばい・やばい…)

デイブはポロッと出そうになった言葉を飲み込んで

その口を閉じるかのようにもう一度紙のフィルターを口に戻して、隼人の元を去った。

元恋人は過去の男。二度と葉月の元には戻ってこない男。

そんな男の名を隼人に聞かせたところでどうって事無いが…。

デイブはまた一つ…妹後輩の苦い過去を思い出して

金髪をかきながら…自分の仕事場に戻った。

隼人は、デイブが言いかけた先の言葉がふと気にはなったが…。

情けないばかりの自分にため息をついて業務に戻った。

その後…。ロイから内線があった。

『どうゆう事だ!!』

ロイの怒りはデイブが言った如く隼人並みに激しかったが…

『彼女。さすがですね。一人でやっつけてしまって…』

『それがどうした!そんなことより!葉月はどうなった!?』

『いつも通り。落ち着いたら笑っていましたよ?』

『………。そうか…。』

葉月が『笑った』の一言でロイの怒りはスッと冷めたようだった。

その後の情けないような兄貴分の心配ぶりの方が…

『コリンズから聞いた。お前だいぶ葉月を手なずけたな』とか

『頼むぞ?あいつはなぁ…』など…。

その後の『言い聞かせ』のような話の方が長くて

隼人は途中で受話器を置きたくなったぐらいだ。

だがロイが良いことを話し出した。

『女子ロッカーの管理を徹底する!鍵は細川のおじさんの所に取りに行くとか!

統括科の女性隊員に預けるとか!女性だけの暗証番号作るとか!!

ロッカーの鍵をオートロック式にして外の入り口には防犯カメラ付けて

その上、中には非常ベルを備えることにした!

今週末の休みに徹底工事をする手配をしたところだ!!

ベルが鳴れば管制塔の警備員が直行!

ロッカーで捕まった男は皆、以後は謹慎処分。犯行を行った者は懲戒免職。

本国の警察に突き出してやる!空軍のロッカーに限らず基地中の女子ロッカーはすべてだ!』

ロイの女性管理に対する熱心さと柔軟さが伝わってきて隼人もホッとした。

『それは良い考えです』と隼人も賛成…。

心の中で…密会は上手くやろうとすれば『同意』でやるヤツもいるだろうな?と

自分が前科者になってしまったので密かに苦笑い…。

そんな中…

『あ。おじさん…』

ロイがそう呟いてやっと熱弁話を止めてくれた。

どうやら連隊長室に『細川中将』がなだめに来たのだと隼人は思った。

隼人はそこでふと思い出す…。

『父様と母様に言わないでって…おじ様に言わなくちゃ…』

葉月が気にしていた一言…。

『あ…フランク中将…細川中将なら…代わっていただけますか??』

『は?』

一介の大尉が『将軍に代われ』と言うのもおかしな話だったが…

ロイとしては、妹分の一番の側近…。思うところを理解してくれたようですぐに代わってくれた。

『なんだ。』

ドッシリとした冷たい声…。

隼人は背筋がピシッと椅子の上でのびた。

『本日は…初めて訓練でお世話になりましたのに…ご挨拶遅れま…し…』

『だから・何だ?』

短い言葉なのに妙にドッシリしていて隼人は緊張したが。

『彼女が…フロリダのご両親には…今回のことは知られたくないとこだわっていたので…』

すると。細川の『フン…』という鼻息が受話器から聞こえた。

『解っている。あのゴルフ親父が寝込んだらイカンからな。

フロリダの太陽の下、馬鹿笑いでもさせておくのが一番の平和だ。』

(きつぅ…)

葉月が鬼おじ様と恐れているが口の方もだいぶきつそうだと隼人は苦笑い。

『それだけか?嬢はどうした?』

『落ち着いたようなので、本日は体調不全と言うことで早退させました。』

『ならいい…。』

それだけ言うと細川は『ガチャリ…』と受話器を置いてしまったのだ。

(わぁ…取っつきにくいおじさんだ…)

隼人は皆が畏れるだけあると…また苦笑いで受話器を置いた。

コレでひとまず…一安心…。

葉月の希望通り、細川はフロリダには報告しないと言っているし

早退したことも、どやされなくてホッとした。

(意外と…解る人なのかもなぁ…)

心の何処かでそんな好感があったりする。

余計なことはいらない…必要なことだけ言え。

余計なことは言わない…必要なときだけ言えばいい。

その応対は…まだロイにはないかも知れないなと隼人は畏れ多くながらも

細川の方が頼りがいある上官に思えてきた。

連隊長のロイも結局は『お目付』付きなのだな…と。

そのずっと下にいる葉月と自分…。

まだまだだな…と。当たり前なのだが隼人はまた・情けないため息をついた。

何はともあれ…山本は葉月の目の前から消える…。

自主退職しようが、経歴に傷が付こうがもう知った凝っちゃないと

隼人はまだ消えない悔しさを噛みしめていた。