・・Ocean Bright・・ ◆うさぎのキモチ◆

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8.従兄の忠告

「おぅ! 久し振りだな!」
「お世話をかけまして、申し訳ありません」

 隼人は次の日、横須賀基地へと午前中の内に出向いた。
 横須賀基地棟舎が並ぶ内の正面玄関で、右京と待ち合わせていたのだ。

 制服姿の右京に会うのは、隼人は初めてだったが……相変わらず……一目ですぐに彼だと判るムードを放っていた。
 キラキラと輝くすんなりとした栗毛に、スッとしたモデルのような体系。
 軍服でも貴公子のような彼がジッと空を仰いで待っていたのだ。
 隼人に気が付くと、これまた輝くばかりの笑顔を見せてくれた所だった。

「朝一に、葉月からFAXとオンラインでのデーターが届いたよ。ROMに落としておいたけど──それで良かっただろ?」
「そこまでして下さったのですか? 私自身で予備のROMを持ってきたのに」
「それぐらい、俺にも出来るよ。音楽三昧の少佐でも!」

 右京がムキになって隼人に詰め寄ってきた。

「いえいえ。そこまで私は言っておりませんよ?」
「あはは。冗談だよ。結構、暇なんだ。もう少しすると秋の公演会ツアーで忙しくなる」
「そうですか──」
「今年は珍しく……ロイからも依頼されてしまって」

 右京はロイから頼まれたという事で、なにやら得意気に顎をさすって微笑むのだ。

「連隊長が依頼? ですか……?」
「ああ、小笠原式典の『マーチングやマスゲーム』を指導してくれないかと。俺もその時期は忙しくなりそうだから、検討中だけどな」
「そうなのですか!? 実は……一度、見てみたいんですよね! 右京さんの……マーチングとか演奏を!」
「そうか? そうか!? 招待してやるぜ♪ 葉月にも久し振りに見に来てもらいたいし」
「是非!」

 そんな風にして、右京とはすっかりうち解けられる様になって、隼人も久し振りに会ったが、ホッとした。

☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆

 二人で右京の音楽隊がある棟舎に向かう。
 その小さな棟舎の中にある一室に通された。
 小さな個室である。

「まぁ……音楽隊長というと、こういうレベルでね」

 大きさは十畳間という狭さで、彼の席であろうデスクの上には、書類にノートパソコンに、そして……図形を書き殴った紙切れと楽譜が散らばっていた。
 そして机の下には、ケースを開けたまま……銀色の小さなトランペットが見えた。

「それは……右京さんが? コルネットでしょうか?」

 隼人は銀色の小さなトランペットを指さした。

「ああ……指揮者になる前はトランペットとコルネットを担当していたんだ。今でも人数が足りなきゃ応援で手にするゾ」

 右京は優雅に微笑みつつ、机の上に無造作に置いている『マウスピース』を手にした。
 金管楽器の管につける個人専用の吹き口だった。

「右京さんは色々な楽器が演奏できるんですね」
「軍隊で音楽となると、金管に携わるのは仕方がないよな」

 右京は銀色のマウスピースを手の上で転がして、無造作にデスクに腰をかけた。

(はぁー。葉月が言ったとおりに紅茶のような? 石鹸のような香りがする)

 それが『ブルガリ』の香りだろうか? と、隼人は部屋に染みついているような
 柔らかい香りに暫しぼうっとたたずんだ。
 部屋が雑然としている分、デスクに腰をかけている右京が、もの凄く浮きだって見えるほど、彼だけが輝いて見える。

「おおっと、応接セットも小さくて悪いが、そこに腰掛けな」

 十何年も使い古したようなテーブルと一人がけのソファーが向かい合っているだけ。
 ソファーというか……椅子と言った方が良いかも知れない。
 そこにも右京が散らかしただろう楽譜が散らばっていたのだが、それも右京が優雅な手つきで綺麗に束ねて、隼人を促した。

「悪いな、散らかっていて。秋の公演会のスケジュールを立て始めた所なんだ。早めに広報課に提出しないといけないんでね」
「そうですか」

 従妹の大佐室とは天と地の差がある、彼の『仕事場』。
 だが、右京は何も気にしていないようで卑屈になる様子も感じられない。
 そこが隼人は『すごいな』と思ってしまうところでもあり、従妹が大佐になるためのサポートを影ながらしてきたその心境が……部外者側に位置づけられている隼人には、これまた計り知れない所。

 隼人が腰をかけると、右京が自分のデスクの上から水色の封筒を手にして戻ってきた。

「一応、抜けていないかチェックはしておいたが、確認してくれ」

 急に『軍人らしい顔』になったので、隼人は驚いた。
 そう──その時、彼の中にも『御園の風格』が備わっている事を感じ取れたから。

「有り難うございます」

 隼人は受け取って、早速、中身を確かめた。

「!」

 朝一に一枚づつ送信しただろう小笠原からのFAX用紙。
 デイビットに頼んだチームメイトの補助員ローテーション。
 源が提案してくれた澤村チーム全体活動の研修プラン。
 その他に多少、参考になりそうな空軍ミーティングの情報の周知票も入っている。
 それをきちんと小分けにして、丁寧にクリップでまとめてある。
 しかも、紙の角に乱れがないほどの綺麗な束ね方。

──『お兄ちゃまは細かい人よ』──

 今の部屋の状態では想像がつかないが……。
 こんなに丁寧に束ねてくれている『気遣い』を感じた隼人は、葉月の言葉に納得した。
 しかもボールペンで手書きにてページが振ってある。
 これは着信後に右京が添えた物だとすぐに解った。
 やると決めた仕事に対しては、きちんとしている性格だと隼人は唸った。

(葉月と大違いじゃないか?)

 葉月なんて、かなりのおおざっぱ。
 そこを細やかなジョイがフォローしているぐらいだ。
 こういう『神経』はきっと右京とジョイは似ていると思った……。

「葉月は相変わらずだな。とにかく送信してきやがって。ちょっとばかし説教しておいたぜ。苦労しているだろうな? アイツの補佐達は……」

 右京も、隼人が手元で確認している書類の整然さに唸っているのを解っているようで、溜息をつきながら、隼人の向かい側の椅子に腰をかけた。

「きちんとした頭紙も付けないで、いきなり本文から送信だぜ? どんな書類が届くかと、それも言わずに区切り無しにとにかく一度に送信するんだ。ほら、そのローテーション表も、周知票も、メンテ研修の物もとにかく切れ目無しに。届いた時に、どれがなんだか解らなくて葉月に連絡したぐらいだ。ジョイにやらせろと叱ったところだ。ジョイにやらせたら一発だ。ジョイは日本での事務形式もすっかりこなしているな。オチビには呆れた──」

「ああ……そうでしたか。申し訳ありません……私も教えが足りないようで。彼女がFAXを送信するとしたら、小笠原内部だけですから……。内部ではそこまでしなくても、何処の部署もお互い様で大目に見てもらっていますし」
「お前達が全部しているからだろうな。あいつの『隊長的業務』はさすがだが? こういう基礎的な所がまだまだ小娘というか? 備えている知識もあるが、時々、ポッコリと無知なところがあって驚かされる」

 右京は再び、額を片手で覆って大きな溜息を落とした。
 かなり……驚いて呆れている様子で、隼人は苦笑いしか出来ない。

「良く民間企業にもいるだろ? そういう初歩的な事が出来ない重役が。下の事務員がいなくなったら、そういう事もできなかったりな? まさにそれだと俺は思った」

 右京は頬を引きつらせて、心底、怒っているようだった。

「帰ったら、気を付けます」

 隼人は側にいる分だけ、お嬢様のいたらない所は、先輩である自分の責任とばかりに頭を下げたくなる気分だったから、その通りに下げた。

「いいや。澤村が謝る事はない。むしろ、同じ家族として従妹がこれじゃぁ……。こっちが申し訳ないぐらいだ。すまないな──毎日、苦労が耐えないだろ?」
「いいえ……そんな。彼女のおかげで私はここまで来た男ですよ? ですが、お兄さんのご心配もごもっともですね。今後は少しずつ、教えてみます」
「澤村は? フランスにずっといたのに、ちゃんと身につけているな?」
「え? ああ、はい……。先輩に日本人がおりましたし、父にも継母からも、こういう事を勉強しておくようにと、書物を渡されましたので」
「色々な本を読むのが趣味だと、葉月から聞かされている。なんでも料理の本まで読んでいるとか。感心だな。俺なんて妹と母親がいないと、なんにも生活が出来ないボンクラだからな!」

 彼は自分の事をそう言って、膝を叩いて笑い出した。

「とんでもない。お兄さんがいないと御園の女性達も心細いに決まっています。葉月も、こうして直ぐにお兄さんを頼ってくるぐらいですから……」

 きっと葉月の代で言うと、やっぱり右京が一番の支えであるに違いなかった。
 よく考えると……男と言えば右京だけ。
 葉月も、葉月の従姉にあたる右京の妹、鎌倉姉妹も……女性だ。

 だが、隼人は思う。
 彼は自ら『放蕩』振りを見せているが……きっとそうではないと睨んでいる。
 彼が本気になれば、きっとロイぐらいの地位になんて簡単になっているだろうと──。
 葉月と関わりを持つようになってから思っていたが、彼はいったい何を思って、こうしてワザと『ボンクラ』のような姿を見せているのだろう? と。
 真一の保護者になるには一番候補になりそうな長兄であるのに……。
 裏に回って、葉月を支えて、真一を見守っている様子。

「葉月も元気そうだったな──。上手くやっている様で」

 長い足を組みながら、右京が肩肘をついて頬杖を優雅にした。
 その堂々とした仕草が、少佐といえども、隼人を圧倒させる何かを感じる。

「いえ……私も至らない事ばかりで」
「お前も仕事ばかりらしいな? 葉月が働かせてばかりいるから休暇をあげたと言っていたが、こんな仕事を取りに来るなんて、相変わらずだな。中佐になって益々、大変だろうが……これからも、あんなオチビだけど頼むよ」
「は、はい!……勿論です」

 葉月の『兄』と言われる一人に、そう言われて隼人は背筋が伸びた。
 それに、嬉しくも思った。
 少しばかり頬を染めて、はにかんだ隼人を、大きなお兄さんは、穏やかな笑顔で眺めているだけだった──。

(どうしようか……)

 まだ、葉月には伝えていないが、なかなか会えそうもない右京には、今日の内に『結婚の心積もり』を伝えようかどうか迷った。

──コンコン──

 そんな時にドアからノックの音。

「どうぞ」

 右京も砕けた姿勢を正して、座る姿勢を整えた。

「失礼いたします」

 日本人である若い女性が一人、トレイにコーヒーを乗せて入ってきた。

「高田、悪いな──」
「いいえ、少佐も一言、仰っていただければ宜しいのに」
「いや。小笠原の従妹と親しくしているお客だから……」

 隼人の歳ぐらいの女性だった。
 黒髪を束ねてきちんとした姿勢を保って、テーブルに寄ってきた。

「噂の中佐さんでしょう? 少佐」

 彼女がニコリと右京に微笑む。

「ああ、かの有名な澤村君だ」
「いえいえ……そんな、有名だなんて。やめて下さいよ!」

 だが、彼女が隼人にもニコリと微笑みながら、コーヒーカップを差し出してくれた。

「いいえ? 少佐が良くご自慢するのですよ? 従妹の一番の側近だと」
「こら、余計な事を言うなよ」

 今度は右京が思わぬ事を明かされて、照れ始める。

「横浜のお父様、澤村社長も時々、こちらにいらっしゃいますしね」
「父も右京さんにはとてもお世話になっているようで、有り難うございます」

隼人は改めて頭を下げた。

「あーもう。今、久し振りに会って色々話していたんだ。もう、いいから」

 右京は鬱陶しそうにして、彼女を追い払おうとした。

「あら……大佐嬢のお話ですか? 少佐が一番したいお話はそれしかありませんものね」

 コーヒーを出し終えた彼女は、サッと立ち上がって意味ありげに右京に微笑んだ。

「あーもう! 旦那と一緒に練習でも監督してこい!」
「まぁ──気を遣ったのに随分ですわね、少佐」
「旦那と一緒の音楽隊で、サッサと結婚したのにまだ居座っているんだぜ?」

 右京がお返しのような紹介を隼人にしてくれる。

「居座っているとはなんですか? もう、少佐のお世話なんてしませんからね」

 彼女は途端にツンとした。

「そうですか。高田さんは何の楽器を?」

 隼人がにこやかに話しかけると、彼女は直ぐに笑顔に戻る。

「ホルンです」
「旦那は大太鼓だ。タヌキみたいにでっかい腹で支えられるから適任でね」
「タヌキとはなんですか! もう! 世界中の男性が少佐みたいな王子様ではないんですからね」
「俺が王子? やめろよ。せめて鎌倉の貴公子と言え」

 右京が真顔で抗議するので隼人はおののいたが、高田女史も呆れていた。

「中佐もたまにはこのお兄様を叱って下さいね」
「いえ……その」

 隼人は繕い笑いしか出来なかった。
 どうやら、右京にとって気兼ねない既婚女性部下であるらしい。

「まったく手厳しい後輩でね。若い頃から彼女にはやられてばかり」
「少佐が危なっかしいからですわよ? 広報課へ提出する演目を考えて下さいましたか?」
「うーん……その」

 右京が急に口ごもる。
 隼人もそんな右京が徐々に解ってきて、ちょっと笑いたくなったが堪える。

「あれ? もう秋の新色が出たんだな?」

 右京は途端に彼女の唇を指さした。

「え?」

 彼女が頬をちょっと染めて手を当てた。

「由美に似合っているよ。それ! お前は秋の色が似合う女だと俺はいつも言っているだろ? その色、正解だな!!」
「え? そうですか? 先週、気分転換に買ってみたんですけど……」

 隼人は絶句。

 先程まで彼女に仕事の進み具合を注意されていたのに……。
 そんな風にして、誤魔化してしまうなんて──と……。
 『美的感覚』は敏感だというだけあって、右京の着眼は隼人では気が付かない所だ。
 口うるさい後輩をサッとやりのけてしまった、その女性扱いに隼人は唸った。

 だが──彼女が急にハッとした。

「あら! もうちょっとで少佐に騙される所でしたわ! まったく! そうして女性を弄んでばかりで! 私には通じませんわよ!」

 もうちょっとで彼女を気分良くして追い払おうとしたのを失敗したとばかりに、右京はチッと舌打ちをしたのだ。
 それにも隼人は笑いを堪える。
 どうやら、彼女には適わないのは本当のようだ。

「弄ぶとは失礼な。どの女性も真剣だ」
「どれだけの数の真剣がおありなのでしょうね? 疲れますわよ」
「う、うるさい! 澤村君と話をしたいんだ! 説教は、後で聞くから!」

 右京は急に子供のように駄々をこね、やっと彼女を追い払った。

「澤村中佐……ごゆっくり」

 彼女は隼人にだけニコリと微笑んで出ていった。

 

「まぁったく……」
「お兄さんは……御園のお父さんにも似ていますね?」

 時々無邪気な態度を見せるところに、隼人はそう感じた。
 亮介と重なってしまったのだ。

「俺は遊び人じゃないぞ?」

 まだ、隼人に繕うように右京は言い分けてくる。

「あはは。解っていますよ」
「お前も遊んだだろ? 結構──。この前、俺の車を貸した時の『やり取り』で解ったぜ」
「いえいえ……それはお互い様でしょうし。独身である男性にはある人はあってもよい話です」

 隼人が静かに微笑みながら、コーヒーに砂糖を入れると、右京がニヤリと微笑んだ。

「なんだかな。お前は『奥の手』をいっぱい持っていそうで、面白そうだな。気が合いそうだ」
「え? そうですか?」

 どうやら右京に気に入ってもらえたのは嬉しいが、認めて欲しいところではない所を気に入られたようで、隼人は苦笑いをこぼした。
 右京はそれ以上は深く探らず、なんだかご機嫌にコーヒーを飲み始めた。

(おお、さすが。准将の息子の仕事場だな)

 炒りたての香りに、適温、カップの出し方も的確で、隼人は唸った。
 まるで喫茶に来たようなコーヒーだった。

「さすが、御園准将のご子息ですね。今、大佐室でも若い青年達にお茶入れを教えているんですよ」
「ああ、それも葉月から聞いたぜ? なんでも海野が教育を始めたとか? そうそう……海野も入れ替わりで帰省休暇を取るんだってな? 小笠原に帰ったら、海野に甲府に帰る前に一度顔を見せろと伝えてくれないか?」
「ええ……勿論」

 隼人よりずっと前に……達也は既に右京とは親しい様子。
 解っていたが、右京から『会いたい』と言ってもらえるほどの関係になっているのは予想外だった。

「海野も良い奴だったが……後一歩、惜しかったな」

 右京は足を組んで、カップを傾けながら部屋の窓へと視線を馳せた。

「……」

 隼人はなんとも答えられない。
 つまり──達也はずっと昔に、今の隼人ぐらい認められていたようだったから。

「それは……そうと……。澤村も葉月の事で困っている事などないか?」

 右京は窓辺に視線を馳せたまま……隼人を見ずにそんな事を呟いた。
 その眼差しが、急に真剣になっているように見える。
 先程までの『おふざけ』の笑顔が消えたようにも……。

「いいえ……特には」

 本当はある。
 あるが右京には聞けない事だと、隼人は心得ていた。
 

 今は……まだ。
 あの真一に似ている男性が、昔から御園と縁ある男なら。
 きっと右京も知っているに違いない。
 隼人はそれが解っていたが……達也がフロリダに弾かれたように、周りの『兄貴達』を刺激しないつもりでいるから、聞くつもりはなかった。

「そうか。それなら……いいが?」
「どうしても困ったことがあれば、ご相談いたします」
「そうしてくれ。いずれ……そうなるだろう」
「……」

 右京は、隼人が解っていて『黙った』事を見抜いているのだろうか?
 とても焦れったそうな様子で、ため息をついてコーヒーカップをテーブルに戻した。

「出来れば……その際はロイには気付かれないようにして欲しい。まず、俺に知らせるなり、相談してくれないか?」
「!」

 隼人は、おののいた。
 隼人が今……解っていて黙っている事は確実に見抜かれていると!
 それをロイに気付かれると困るという事は、どうしてかは良く解らないが。
 達也をフロリダへと飛ばしたのは『ロイ』だ。
 それを右京は解っていて、今度はロイを刺激しないよう……『まず俺に──』と言っているように聞こえる。
 だが? それとも隼人の腹を探るために、味方ぶっているのだろうか?
 隼人は思いあぐねた。

 そして──決めた。

「あの……」
「ん? どうした?」

 隼人が両膝の上で、拳を握り……俯き、とても緊張した様子を醸し出すと、右京も顔をしかめつつ、何を言い出すのかという構えを見せている。

「あの……」
「なんだ。やっぱり、気になっている事があるのだろう?」

 右京も身を乗り出して、隼人の口から引き出そうとしてはいるが
 本人の意思で言い出すまでは無理強いをするつもりもないようだ。
 だが、隼人が言いたいのは、そんな事ではなく──。

「彼女との結婚を考えています。それで……」
「結婚──?」

 右京は隼人の父親のようにあからさまには驚かなかったようだ。
 ただ、すこしばかり片眉を動かすぐらいの静かな反応だった。

「それで? 葉月はなんと言っているんだよ?」
「いえ……彼女にはまだ。父には意向は伝えました」
「なんだ。相手にも伝えていないのに、俺に報告しているのか?」
「なかなかお会いできませんから、私の意志だけお伝えしておこうかと」
「そうか? それは有り難いけどな……」

 右京は常に淡々とした反応だけ。
 その後は椅子に深く身体を沈めて力を抜いたかと思うと、また窓辺に視線を馳せながら拳を唇にあて、足を組んだ姿勢でジッと黙り込んでしまった。

(驚かなかったけど?)

 まるで右京には、こうなることが解っていたかのような静かな反応だった。
 そして──。

「葉月が一度で了解するかが問題だな」
「……解っています」
「理由は色々あるけどな。もし……葉月が了解できたのなら、俺への相談とやらも必要なくなるだろう」
「……そうでしょうか? 彼女は……」

 隼人はそこまで言って、それ以上が言い難く口をつぐむ。

「まぁ、いいさ──。今後の様子次第と言う事で。だが、葉月がOKするまでは……俺に先に報告したようにロイには言わない方が良い」
「はい。ハッキリとするまでは、もう親しい人にも言わないつもりです」
「俺の事、気にかけてもらえて……それは嬉しかったけどな」

 右京は力無く微笑んだ。
 どうせなら──葉月が心より結婚を決めたという報告なら喜べたのだろうか?
 それとも? 隼人という男では『まだ、なんともいえない話』という評価なのか?
 だが、隼人も一目置いている彼女の従兄に、真っ向から反対はされなかったのはホッとした。

「決まったら、ロイは大喜びで張り切るだろうな?」

 右京がポツリと呟いた。
 隼人と向かっているのではなく、独り言のように……。
 また、窓辺に視線を馳せて……。

「……でしょうね」

 それはそうだろうと隼人は相づちを打ったのだが、やっぱり独り言だったのか、右京はそんな事を呟いていた事を今気が付いたようにハッと隼人に向き直った。

「ああ、まぁ……当たり前の事だよな? ロイも葉月の事は随分と気にかけてくれているんだから」
「そうですよね」

 そこで二人は、お互いに笑い声を立てたのだが、どうも噛み合っていないような……ちぐはぐとした微笑み合い?
 特に右京は何かをはぐらかすように、誤魔化すような微笑みだと隼人には思えて仕方がない。

「出たとこ勝負かな? 気難しい従妹だと解っていると思うけど、『頑張りな』。俺は、葉月さえ望んでいる事なら反対なんてしやしないからさ──」
「はい、有り難うございます」

 今度の右京の優雅な微笑みは、本当に心より祝福を待ちかまえてくれている
 『従兄』という兄の微笑みだった。

「どうだ? ちょうどランチの時間だ! 俺がおごってやるから付き合えよ」
「いえ……ご馳走だなんて。私もそれぐらいは……」

 遠慮深い隼人に業を煮やしたようにして、右京は椅子から立ち上がった。

「なんだよ! こういう時は甘えてくれた方が嬉しいんだけどな!? 海野だったら、『やったぁ! 沢山、食っても良いか』と即刻、喜ぶところだけどな? アイツのああいう所は可愛いと思うぜ?」
「アハハ、彼らしいですね……」

 隼人はそんな達也がすぐに目に浮かんで笑い出した。

「では、お言葉に甘えさせていただいて……」

 隼人も席を立つ。

「海野は海野。澤村は、そういう謙虚な所が……可愛いところとは思っているぜ?」

 右京に肩をポン……と、叩かれた。
 隼人もニッコリと微笑み、彼と一緒に音楽隊長室を後にした。

 

☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆

 

 横須賀基地の大食堂へと連れて行かれる途中、様々な人が右京に声をかける。

「お疲れ様。御園少佐」
「あはは、お疲れ。元気か?」

「こんにちは、少佐」
「やぁ──この前は、美味しいお菓子を有り難う」

「お疲れ、右京君──。おや? 見かけないお連れ様だね? お父さんの知り合いかい?」
「お疲れ様です。ああ……ほら、小笠原の従妹の側近で、澤村中佐ですよ。休暇で実家の横浜に帰省中なんですが、業務で従妹から中継ぎを頼まれましてね……」
「初めまして、澤村です」
「ああ! あの御園嬢の所の! いやはや、こちらこそ初めまして。お噂はかねがね……」

 男性、女性、年齢も階級も様々だった。
 右京はその度に、極上の笑顔を浮かべて一人、一人、漏らすことなく挨拶を返す。
 とても人気者のようだった。

(うーん、葉月とは全然違うなぁ?)

 同じ御園一族の一員ではあるが、右京はまったく自然体であって
 葉月のようにいちいち構えているような固さは一切なかった。
 それとも、右京が大人だからだろうか? 葉月が幼いだけなのだろうか?
 とにかく……何処を歩いても右京は良く声をかけられるし、爽やかに挨拶をする。

 その上……。

 エレベーターに乗ろうとする時も、扉が開いてそこで待っているのが、『御園右京』だと解ると、何故か自然と皆が乗れるように道を空けてくれる。

「有り難う」

 右京が微笑むと、女性達が皆、頬を染めるのだ。
 そして──エレベータの中は急にあの『柔らかいフレグランス』が立ちこめる。

(すごいなぁ。魔術みたいだ──)

 とても軍隊の中とは思えないような、華やかさが沸き上がって、隼人ですら頭がクラクラと参りそうなぐらいの右京の優雅さだった。
 これでは、側に寄れた女性が彷彿とするのも無理がないと思ったし、男性達は無口になり、妙に緊張しているようだった。
 だが、右京はそんな周りの反応なんてあってないような物で、本当にナチュラルな雰囲気でシラっとしているだけ。

 勿論、エレベーターが到着した時も同じく……道が空く。のだが──。

「お先にどうぞ──」

 彼は男性にも女性にも同等に微笑んで、先に降りることを進める。
 右京がそういえば、皆もニコリと微笑み会釈をして先に降りる。

 それも『魔術』?
 皆が右京の言うがまま、振る舞うがままに自然と動くのだ。
 そして嫌味ではない。
 あくまで自然だった。

(すっげぇ……葉月以上じゃないか?)

 とにかく食堂で会う人、会う人……ここでも右京は人気者だった。
 部署も階級も性別も関係がないようで、彼の社交性がうかがえる。

「小笠原にいる従妹の側近! 俺より偉い中佐だぜ!」

 同世代の男性陣とは特に気兼ねがないらしく、隼人を紹介してくれる。
 隼人もその度に、笑顔と握手を繰り返した。

 そして誰もが、彼が御園の御曹司であるとか少佐であるとか、音楽隊員であるとか……そんなラインよりも……『それが御園右京だ』……と、いう彼特有の『個性』を尊重しているように見えた。

 隼人はやっぱり……

(この人自ら、上に立とうと思えば……)

……本当に計り知れない実力と器量を持っていそうだと、逆に冷や汗をかきそうになってきた。

 そして──『これが御園』なのだと改めて痛感した。
 そして──この基地の人々のように……『右京』という人間がすごいのだと、隼人も思った。

 

「さてと、たいしたメニューはないけど食おうぜ」
「いただきます! やっぱり本島の基地だけあって和食は多いですね」
「まぁな! それよりさ……フロリダはどうだった? それも聞きたかったんだ! マイクも元気だったか? 親父から聞いたけど、葉月がまた何かを企んでいるって?」
「ええ──実は……」

 隼人はフロリダ出張の話を、右京に気兼ねなく報告した。
 マイクと葉月が始めた『合同研修』の事も。
 そして、達也とマリアの『円満離婚』の事も。
 マイクが失恋した事は、これは何故か言えなかった。
 右京は、『そんな事があったのか? 葉月もしょうもないな!』……なんて、驚きながら、そんな時は瞳を輝かせて少年のように興奮して聞いてくれたのだ。

 そのキラキラしたガラス玉の瞳が無邪気に輝くと、葉月よりも、真一と亮介を思わせる『御園特有の憎めなさ』の輝きを思わせるのだ。

 

「はぁ……澤村が帰ったらマジで仕事しないとなぁ? 高田に叱られそうだなぁ」

 音楽隊棟舎への帰り道、お腹いっぱいになった右京は、昼下がりの日差しに、栗毛を輝かせながら気だるそうに肩を落としていた。

「彼女、お兄さんには強いんですね」
「そりゃなぁ? 付き合い長いし、旦那と俺は同期生だし」
「そうなのですか?」
「昔から、口うるさいしっかり者の妹という感じだな? ああ。俺の妹で例えると『薫』っぽいかな? 薫は派手だけどな? 由美は慎ましやかだ」
「信頼しているんですね」
「何故か良い女は、俺にはそっぽを向くんでね」
「え……」

 隼人はドッキリした。
 ああいう慎ましやかな女性が好み?
 それに彼女に好意を寄せていた事を、右京が急に暴露した様なので驚いたのだ。

「昔の話だよ。彼女は高田を選んで正解だ。俺じゃぁ、苦労するだろうし? 変な三角関係にもならなかったし、俺の密かな思いで、若い頃の良き想い出さ。むしろ──彼女との関係が消滅するより、こうして友情を結べた事の方が爽やかで良かった。俺と高田の間に挟まれていたら、彼女……退官していたと思うしな……」

「そうだっだんですか」

 その時の右京の眼差しと瞳は、日差しにとても透き通っていた。
 純粋な眼差しだった。

「おっと、葉月も由美とは顔見知りだけど、この話は知らないんだ。男同士の内緒だぜ?」
「ええ、勿論」
「お前もその内にフランス女性とのエピソード聞かせろよ」
「あははー。どうなんでしょう?」
「ずるいぞ!? 自分だけ」
「お兄さんが勝手に教えてくれたのに──」
「お前、急に遠慮がなくなってきた気がする!」
「え? そうですか?」

 隼人が笑うと、右京もそこを気に入ってくれたのか可笑しそうに笑いだした。

 そして──。

「なんていうのかな? 俺もさ……今の澤村みたいに『必死』な時もあったぜ。でも……今、思うと……やっぱり密かに持っていた想いだとしても『失敗してもあの時、言っておけば違う事があったかも』なんて思い返したな──今日は。だから──」

 彼は、降り注ぐ日差しの中、フッと眼差しを伏せて微笑んだ。

「だから──澤村にも葉月にも、今ある想いは思いっきり相手にぶつけて欲しいと思っているよ」
「……右京さん」
「──なーんちゃって。由美以外にもいっぱい思い悩んだ女性が……」

 右京は急におちゃらけると右手の指を『一、二、三、四』と折り始めたので
 隼人は苦笑いをこぼした。

「ええ、解りますよ? お兄さんは鎌倉の貴公子ですからね」
「あはは、そういう事!」

 彼は数えていた手を拳にして、隼人の胸をトンと叩いた。

 でも──隼人は思った。
 華やかに見える右京だが、彼もきっと……葉月のように『臆病』にならざる得ない『足かせ』を、引きずっているのではないだろうか?と……。
 そんな風に見えた一瞬だった。

 そんな事を思っていると……。

「澤村──」
「はい?」

 また、右京が隼人の目を見ずに、外の風景に視線を馳せて真剣な顔。

「もうすぐ皐月の命日だと知っているか?」
「え、ええ……」
「じゃぁ、これだけ忠告しておく──。『命日前後は葉月に単独行動はさせるな』とね」
「!」

 隼人は、一瞬だけ息を止めた。
 右京に悟られない様に、何も知らない顔をするのに精一杯。
 だけど、心の奥ではかなり衝撃を受けていた。
 何故なら……『姉様の命日に……良く来るみたい。でも、その時期にでも私には会いに来ないの』……あの葉月が打ち明けてくれた『時期』に何が起こりうるか右京も良く知っている!

 そして──彼が謎の兄貴の事を、良く知っている事もこれで解ったから!

「ええ……敏感な時期でしょうからね。彼女が嫌な過去を思い出さない様に見守っているつもりです」

 あくまでも『悲しい姉の命日』として隼人は答えたが、それが精一杯だった。
 右京はそんな隼人の徹底した『とぼけ』に、さすがに驚いたようだが笑っていた。

「じゃぁ──俺はここで。今日は会えて楽しかったぜ。葉月にも澤村社長にも宜しくな!」
「え? まだ……音楽隊は向こうですよ?」

 途中の渡り廊下で、右京がふらりと外へと道を外そうとしていた。

「悪いな。由美には適当に誤魔化してくれ」
「え? ええ??」
「気を付けて帰れよ! 良い報告を待っているからな!」

 右京は、棟舎の裏へと続く小道へと進みながら爽やかに笑って去ろうとしていた。
 つまり……

(兄さんまで、裏庭でサボタージュかよ!?)

 葉月に似て、どうも『気まぐれ気質』も備えているようだった。

 だが……きっと彼の事。
 静かな裏庭でそれなりに心落ち着けながら、頭の中ではしっかり内容を思い描いて、隊長室に戻ったら一気に仕上げるに違いない。
 隼人にはそう思えたが、呆れた溜息を一つ落として、荷物を置いてきた右京の事務室へと向かった。

 

「ええ? 途中で用事があるからと少佐は言っていたのですか?」

 案の定、隼人が一人で音楽隊に戻ると、高田女史が声をあげた。

「はい」
「もう! 解っているんですよ! また棟舎裏ね! 時々、そこでヴァイオリンを弾いていたりしているんですもの!」

 ばれているので隼人はまた苦笑いしかこぼせなかったが、途中から穏やかに微笑んでいた。

(やっぱり葉月と一緒だな)

 人気のないところで、自分の音を楽しむ右京が自然と脳裏に浮かんだ。
 葉月のように──。

「申し訳ありません。偉そうなお兄様でお困りでしょう? 澤村さんの方がお偉い方なのに!」

 彼女は申し訳なさそうに隼人に頭を下げるのだ。

「いいえ……私は成り上がりの中佐ですから。そんな事は思っていませんし」
「そうですか?」
「ええ……大佐嬢のお兄様だといつも思っていますから」
「ああ……私達の隊長が中佐のように、とっても真面目な方だと心強いのですが」
「いえ? あなたは右京さんを本当は信じていらっしゃるのでしょう?」
「え?」

 隼人がそういうと、由美が多少たじろいだ。

「私の大佐嬢もそうですから。ふらりとしていながら、やる時はやるのでしょ?」
「え……まぁ……そうですわね」

 彼女は急に神妙になって頬を染めた。

「じゃぁ……私はこれで。うちにもじゃじゃ馬がおりますので」
「まぁ……中佐ったら」

 由美がクスリとこぼす。

「また、いらして下さいね? あんなに楽しそうに張り切っている少佐も久し振りでしたから」
「そうですか……? ええ、今度は大佐嬢と一緒に」
「是非──」

 高田女史の礼儀正しいお辞儀に見送られて、隼人は横須賀基地を後にした。

 棟舎裏の芝土手で寝ころんで……一人、遠い空を眺めている栗毛の男性。
 その姿は、人に囲まれている時の華やかな雰囲気は消え去って、静かに漂うばかりの哀愁が見え隠れする遠い目。

 隼人は駐車場にある車の側に来て、音楽隊棟舎を見つめる。
 ウサギさんを思うように、見えなくなった彼女の従兄のそんな姿が見えるように感じたのだ。

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