・・Ocean Bright・・ ◆蜂親分の苦悩◆

TOP | BACK | NEXT

5.信じて……

「なにしてんのよジュリ! こーすんねんっ!」
「ちゃうもん……ジュリはこうしたいねん!」

 そんな女の子二人の会話に、葉月は唖然としていた。
 金髪の9歳になる女の子と、まだちいちゃい濃い栗毛の5歳の女の子が、リビングテーブルで、お土産のケーキを分け合っているところ。
 葉月の横で、サラが呆れた溜息をこぼしている。

「二人の間でブームなのよ……」
「関西弁が!?」
「そう。デイブが良く見ているの……大阪の新喜劇とか……。この前はカフェのレンタルビデオコーナーで借りてきてね?」
「デイブ中佐が……新喜劇!?」

 葉月は、苦笑いしかこぼせなかったのだが……最後には笑い出していた。

「ほら! 二人とも! お姉ちゃんに有り難うと言ったの!?」
「おおきに! 葉月!」
「おおきに」

 姉のリサが元気に言うと、それを一生懸命真似する5歳のジュリ。
 ママのサラがまたもや『あいた』という様に額を押さえて、うめき声を漏らす。

「あはは! どういたしましてっ!」

 するとリサがサッと葉月に向かって走ってくる。

「ね! 葉月! 日本ごはんを作ってよ!」
「こら。リサ! おもてなしをするのはうちの方よ!?」
「はづきー作ってーー!」

 ジュリまでピッタリと葉月の足に抱きついてきた。

「そうねぇ?」

 葉月はちょっとその気になって考えてみたのだが──。

「そうだわ! 関西っぽいの作ってあげる!」
「ほんま!?」
「ほんまぁー?」

 姉妹揃っての声に、葉月はまた微笑んでいた。

 

「ごめんなさいねぇー。ゆっくり話したいけど、子供がいるとどうしても……」
「いいのよ、可愛いわね──。私も……ほら、昔はあんな風に姉妹だったわけだし。ジュリを見ていると思い出すわ。私もお姉ちゃまの真似ばっかりしていたもの」
「……そうだったわね……」

 すんなりと昔の事を思い出している様な葉月に、サラが一瞬、驚いたようだが……。

「葉月が昼間、動けるといいのだけどね……お仕事の邪魔にはなりたくないし──。あなた、昨年の春からちょっと休む間もないほど忙しそうに外国へと飛び回っていたし……」

 サラと二人でキッチンに入って、ボウルなどを揃える。

「本当に、ご無沙汰しちゃってごめんなさい……。澤村が来てから急に流れが速くなって……」
「流れが出来るほど……彼が良き相棒になったって事ね?」
「ええ……小麦粉ある?」
「あるわよ? 何をする気なの?」

 上の戸棚から小麦粉の袋を取りだしたサラの向こう。
 リサとジュリが興味津々、キッチンを覗いているのだ。

「うふふ……なーにが出来るでしょうか!?」

 冷蔵庫から卵とキャペツを取りだした葉月は、キッチンの入り口にいる姉妹に笑いかける。

「なになに!? 葉月!」

 リサがピョンピョンと跳ねている横で、ジュリもピョンピョンと跳ねていた。

「なんやろうねぇ? 大阪風といきまっせ?」

 葉月がそれなりの関西弁を使うと、リサとジュリが面白がってはしゃぎ始める。

「なんなのよ? 葉月……」

 サラもウズウズしているようだった。

「ホットプレートある? それから……豚肉、出来れば……海老とかタコとかイカとか……」
「肉ならいくらでもあるわよ。うちにはとんでもない大食らいがいますからね。シーフードも冷凍でいいならあるわ」
「上出来」

 それらを全て揃えて調理にかかった。
 そんなに手間はかからない、小麦粉と卵を水で溶いた中に刻んだキャベツと具材を放り込んで、混ぜるだけ。

「ザッツ、お好み焼き」
「きゃー! 一度だけ、本島で食べたことがあるわ!」

 混ぜ終わった大きなボウルを掲げると、サラまで声をあげ、娘達と飛び上がった。

「さぁ……後はまあるく焼くだけよ。ソースとマヨネーズはあるかしら?」
「あるある!」
「本当は削り鰹とか青海苔もあるといいんだけど……。焼き上がりにトッピングするのよ」
「スーパーで見かけるけど……買ったことはないわ。そういう風に使うのね?」
「お好み焼きの場合はね」

 『今度買う』とサラも本気で覚えるつもりのようだった。
 リビング横のダイニングテーブルにホットプレートを設置して暖める。
 葉月がおたまでプレートに流して焼き始めると、逆に子供達は大人しくなった。

「大阪で食べられるの?」

 リサが堪能な日本語で尋ねてくる。

「そうよ。でも、何処でも食べられるわよ? 丸いのは関西風で、広島風というのも有名ね。それには麺が入っているの。焼くのは難しいから、一般家庭では関西風がほとんどじゃないかしら?」
「メンってなに?」

 ジュリも日本語で尋ねてくる。
 どうやら、コリンズ家では二カ国語が完璧に成されているようだ。

「メンというか……そうねぇ? ジュリに解るように言うと……パスタってところ?」
「パスタがジャパニーズではメンなの?」
「ええっとぉ……」

 葉月が困っていると、そこはママの出番。

「ジュリ? いろんな国特有のメンがあるのよ。あなたも食べたことがあるでしょう? ラーメンとか、『うどん』とか『そば』とか」
「あ。ほっそいつるつるって食べるアレ?」
「そうそうそう!」

 サラのニッコリに、ジュリも満足そうに微笑んでいた。

「こーして……」

 程良く片面が焼き上がったので、葉月は一時息を止めて深呼吸……。

「ひっくりかえすの!」

 フライ返しでクルッと反転! なんとか上手にひっくり返って葉月もホッとする。

「わー! いい匂い!!」

 まず姉妹二人分を焼いて……最後に葉月はソースを塗りつけて皿に盛る。

「熱いからね」
「こぼさないで、あちらで食べなさい」
「サンキュー! 葉月! いこう! ジュリ!」

 サラは葉月と向き合いたいらしく、娘二人をそっとリビングのテーブルへと送り出す。
 リサがちゃんと妹の面倒を見ながら、姉妹は楽しそうにテレビ前のテーブルで食べ始める。

「リサはお利口さんね。やっぱりお姉ちゃまだわ」

 葉月はそんな姉妹を微笑ましく眺めながら……二回目、サラと自分の分を焼き始める。
 サラも、子供達が大人しくなってホッとしたようにダイニングの椅子に腰をかけた。

「二人とも……上手にここに順応してくれて助かっているわ。といっても……リサもここに転属で来た時は1歳だったから、ここが最初の場所のような物。ジュリに至っては完全に、ここが故郷よね」

 サラは頬杖で、娘二人を愛おしそうに見つめている。

「なんといっても……キャプテンが熱烈な親日家だもの……」
「そうそう……出会った時も『神風、神風特攻隊』ってうるさかったのなんの」
「サラは? 中佐に出会ってから?」
「そうよ。すっかり感化されちゃったわ……。それに心より愛しているわよ、ジャパン。きっとここに来たからね? そうでなければデイブがひとりで騒いでいるだけだったかも?」

 葉月が焼いている傍らで、彼女は遠い昔を懐かしむような目で娘達を見守っていた。

「……サラはここに来て良かったと思っている?」

 聞くまでもないと思ったが、葉月は尋ねてみた。

「勿論よ! 私はジャパンを愛しているわ」
「そう……良かった!」
「それより、葉月はどうなのよ!」

 座っているサラは、立っている葉月の脇腹を肘でつついてきた。

「え? うん……まぁまぁ……」
「まぁまぁなはずないでしょう? デイブから『丘のマンション』で同棲しているって聞いたときは私、飛び上がるぐらいビックリしちゃったんだから! 三ヶ月ほどはデイブに毎日……『男が出ていったかどうか? 追い出されたか?』って聞いちゃったわよ」
「追い出すって……失礼ねぇ?」

 葉月はそんなサラの予想に、ちょっとむくれたのだが……。

「そうよね……今までの私だと『長続きしない』……。男が疲れて出て行っちゃう……そうだわよね?」
「ごめん! そういうつもりで言った訳じゃないのよ……? それに……サワムラが出ていかなかったみたいだから『本物なんだわ』と解ったし。ただ葉月が可愛いとか、側にいて『俺なら彼女を慰められる』とか……。そういう葉月に受け入れてもらえたという一時的な熱愛でもないと通じたわ。良くいるじゃない? 良い所だけ堪能することしか考えていない『独身貴族』が……。そういう『軽い気持ち』であれば……その……」

 サラがそこで口ごもった。

「そうよ。私を持て余して……『こんな女は御免だ』と投げ出すと言いたいのでしょう?」
「だから……葉月が悪いとか言うのではなくて!」
「サラ……本当の事を気持ちよく言ってくれるのがあなたじゃない? どうしたの?」

 葉月が、ニコリと微笑むと、サラはいつになく困ったように俯いたのだ。

「そうね……」

 吹っ切れたようにサラが微笑み、顔を上げた。

「でも? 私は葉月の味方よ」
「解っているわ。感謝している」
「そう? 良かった」
「それに、私の事を、投げ出した男性なんてひとりもいないわよ」
「ロベルトはどうなのよ?」

 思わぬ過去の男性の名が、先輩の妻から出てきて葉月は一瞬驚いたのだが……。
 デイブには見抜かれていた事は、葉月も知っているし……隼人が来て、ロベルトと別れた話もお互いに少しは言葉を交わしあったから。
 でも……そこで、ロベルトは投げ出したと、少し『誤解』をしている風だったので、葉月も口を開く。

「彼は……投げ出したんじゃなくて、私を離してくれたのよ」
「離した?」
「そう……。私がね? 『家庭』と言う物を男性と築く事に無理を感じていると知ったから。それ以外にもいろいろ……。彼には結局、最後まで『肩の傷』の事は話せなかったし。彼も、私の肩の傷を目の当たりにしているのに、『無理に打ち明けなくて良い』って。そっと今のままにしておこうと思ったんだと思うわ。結婚の事はとりあえずまた今度にして……側にいようと思ってくれていたのよ。その前に……私が『逃げ腰』だったから……私が逃げたのね。きっと──。逃げた先に……澤村がいたの。それを知って、ロニーは身を退いたんだと思うわ。悪いのは──『私』なのよ、サラ……」
「そうだったの……」

 多く、細かくは語らずとも──サラはだいたいを察してくれたようだ。
 葉月は心の中で思った。
 サラは……葉月がまだ見ぬロベルトの妻とも親しいはずだから……。
 きっとその妻の事を思い浮かべながら、ロベルトの選択を思いやっているのだと。
 サラが黙ったところを見ると……ロベルトとその妻はつつがなく家庭を築いているのだろう。
 そう、うかがえる。

 どのような妻かは葉月は知らないが……仲むつまじく、そして……葉月と離れてロベルトが選んだ今の世界は、誰もが羨む幸せを皆が見届けてもらっているのだろうと……。

「デイブが『今度は俺達も心配は無用の男』とすごく信頼していたから──。サワムラの事。だから……今度は大丈夫そうね?」
「そうね……。出来た! はい……ママ」

 二人分のお好み焼きが出来上がって、葉月も手元に置き椅子に落ちつく。

「サンキュー。誘ったのはこちらなのに……今夜は楽した気分」
「いいのよ。ママのお役に立てたなら来た甲斐があったわ」

 葉月も微笑みながら、フォークを手にした。
 二人で一口ずつ頬張る。

「うん。美味しいわ! 今度、私も作ってみるわね。デイブを驚かすわ」
「うん、簡単でしょ?」

 二人で微笑み合った。
 そして……葉月はそっとフォークを置いてしまった。

「?……どうしたの? 葉月……」
「私……彼を愛しているわ。本当よ……」
「……解るわ。ごめんなさい、心配するあまり……余計な事を沢山言ってしまったわね」

 彼女がいたわるように……そして、謝るように葉月をそっと抱きしめてくれる。

「ううん……違うの。サラ……」
「なぁに?」

 そして彼女はその大らかさで包まれる笑顔で、葉月の頬をそっと包んでくれた。

「サラは……デイブ中佐に会う前に、愛していた男性はいる?」
「──!? え? どうしちゃったのよ?」

 葉月のいつにない『女の子らしい』質問に、サラは面食らっている。

「忘れられない想い出の人はいる?」
「……」

 真っ直ぐに見つめ、そして真剣に答を求める葉月に、姐御さんはまだ戸惑っている。
 だが……。

「ええ……いるわよ」
「その人の事、デイブ中佐以上に愛している?」
「まさか……想い出の人は想い出よ。既に終わっているわ。デイブが一番に決まっているじゃない?」
「想い出の人は……もう、好きじゃないの?」
「いいえ……今でも『好き』よ? でも、愛しているではないわね」
「嫌いになったから、別れたの?」
「そうね? 嫌いになって別れたはずだけど……結局、別れというのはお互いに何かがあったからよ。私にも悪い部分はあったし、彼にもね──。謝る機会があるなら謝りたい部分はあるわ。別れた後はね……なんだか良い部分だけ残ったりしてね……私の場合はね? そりゃ……本当にとことん、嫌いになって別れるケースを持つ人もいると思うけど」
「……そう」

 真剣に聞き入る葉月に、サラはまだ戸惑っているようだが丁寧に応えてくれた。

「どうしちゃったの? 葉月からそんな質問をされるなんて思ってもいなかったわ。でも──これで解っちゃったわ。あなた……本当にサワムラと正面から向き合っているのね?」

 サラは喜ぶようにそっと微笑んで、葉月の頬をもう一度撫でてくれる。

「それで? 葉月は忘れたくない男性がいるわけね? まさか……ユウスケ?」

 遠野とデイブはフロリダ時代から親しい間柄だったから……妻のサラもそこは良く知っている。

「違うわ……もっと昔から」

 苦悩したような顔で首を振った葉月の返事に、さらに彼女は驚き……息を止めたようだ。

「……驚いたわ? あなたにそんな存在があったなんて!」
「でも……今は澤村を一番に愛しているつもりなの。でも……『つもり』にしか見てもらえない」
「じゃぁ……澤村は? その男性の存在を知っているって事!?」

 葉月はこっくり頷く。

「初めて……それに気が付かせてくれたのは彼で。だから……胸の奥にそっとしまって自覚していなかった『その人』の事……彼に話したの。澤村が好きだから……その人の事を『忘れなくちゃ』と思わせたのは、澤村だったから。それから……彼が私を『信じてくれない』ような気がして」

 するとサラの目つきが変わった──!
 葉月の両肩をがっしりと掴んで、グイッとサラと正面に向き合わされる。

「それで!? あのサワムラは……その男の事を知って、最近、あなたに冷たいとか!?」

 気迫をこめるサラの眼差しに、葉月は慌てて否定する為に首を左右に振った。

「ううん……とっても優しくしてくれるわ。今まで以上に。だからって素振りが変わるほどの気遣いをしているわけでもなく。今まで通りよ? だけど……」

 力を抜くように葉月が俯くと、サラもそっと肩から手を除けて行く。

「──あのサワムラが許さないほど、葉月が忘れられないと思わせる程の男性なの?」
「彼はそう感じていると思うわ」

 俯く葉月を、サラはしっかりとした眼差しで見下ろしている。

「そうだったの……」

 サラはそれだけ言うと、暫く黙り込んだ。
 そして……また、葉月の両肩を今度は……そっと掴んで顔を覗き込む。

「葉月は、その人の事を忘れたくないの?」
「忘れたくないわ。私には大事な人なの……幼いときからずっと……」
「じゃぁ……忘れなくても良いのよ」
「!?」

 葉月が驚いて顔をあげると、サラはニッコリと寛大に微笑んでいた。

「無理に心から追い出さなくてもいいのよ」
「でも……それでは彼が……隼人さんは許してくれないかも?」
「それなら……サワムラはあなたにとっくに『忘れてくれ』と怒り出すでしょうね? そういう肝が小さい男ならね? 彼は一度でもそう言ってあなたを責めた?」
「いいえ?」

 葉月は首を振る。

「あら? 良い男じゃないの? 自分の事より、あなたの心を許している証拠だわ」
「でも……彼は私の為に苦しんでいるように見えるの」
「それも……サワムラ自身が選んだ自分なりの葉月への愛し方だとおもうわ。遠慮なく、受け取っておきなさい……」
「嫌──! あの人に楽になって欲しいの!」
「だからといって無理をしてあなたが壊れたり、上辺の嘘でサワムラを安心させようとするのは、サワムラが望んでいる真実ではないと思うわ? 私も同じよ? 葉月はね……恋にはちょっと曖昧で、目が見えていない小さな女の子みたい。そう思っていたから……『大人の素振り』は絶対に無理よ。あなたが駄目になる。今まで逃げてしまったのも、そういう事でしょう? 大人の振りをして駄目になりそうになって逃げた。違う?」
「……」

──『そこまで自分を追い込んで壊したいというのは、俺にとっても無意味なんだけど』──

 ある時、隼人がそう言っていたのを葉月はふと思い出した……。
 サラが彼と同じ様な事を言っているのかと……。

『遠慮なく受け取っておく』

 隼人もきっと同じ事を言いそうだ……。
 葉月はそう思った。
 だけど──。

「彼はそれで良くても、私は嫌なの……」

 そっと納得できないとばかりに俯くと、サラが溜息をついた。

「いい? 葉月……」

 彼女の人差し指が、スッと葉月のツンとしている小さな鼻をつついた。
 葉月はまた顔を上げて、サラを見上げる。

「今までのサワムラを思い返してみなさい」

 まるで母親のように諭すような、厳しい眼差し。
 ちょっと怖くて葉月は固まった。

「男の人を奥まで入り込ませないあなたに、どれだけヤキモキしたかしらね? サワムラは、投げ出さずにこの一年……あなたに『信じてもらおう』とどういう感じだったの?」
「……」

 葉月は首を傾げて、少し考えて……。

「とっても一生懸命だったわ。なんでも……私が優先で一番だったわ」
「でしょう? それが葉月にもちゃんと通じたのでしょう?」
「うん……」
「そうよ。サワムラは、心の底まで振り向いてくれないあなたに、時には傷つきながらも諦めなかったのよ──。それを葉月はどう思う?」
「!」

 葉月は急に……ハッとした!

「……私も、同じようにしないと駄目ね?」
「OK……レディ」

 直ぐに気が付いた葉月に、サラがやっとにっこりと笑顔になった。
 だが、葉月は今頃、そんな事に気が付いた自分に呆然としていた。

「私……バカね……。本当にバカっ!」

 隼人がちょっと不審がっている態度に、思い悩むなんて──!
 葉月は自分の至らなさに急に腹立たしくなってきた。
 だけど……サラがまたそっと柔らかく抱きしめてくれる。

「ううん……葉月は直ぐに気が付いたから、えらいわよ。いつまでも気が付かない人間だっているんだから──。そして、気が付いてもなかなか行動できない意固地な人間もいるのよ──。それにいつまで経っても、自分が優先の愛を求めずにはいられない人とかね? 葉月がそんな子じゃないと信じているわ。だから……頑張るのよ?」
「サラ……」

 あまりにも暖かい胸の中で、葉月は救われたような気持ちになって、彼女を抱き返した。

「葉月? あなたも『信じている』というオーラをいっぱいサワムラに送るのよ。諦めずに、送るのよ……彼のように、そうすれば、絶対に通じるから」
「解ったわ……今すぐでなくても、私も彼のように諦めない」

 葉月はもう一度、サラをきつく抱きしめる。

「本当に……どうした事かしら? 一年、会わない間に……葉月ったら……。こんなに女の子らしく、そして感情豊かな子になっていたなんて……嬉しいわ!」

 今度はサラがギュッと抱き返してくれる。
 二人で微笑みあって、そっと離れた。

「私にこんな相談をしてくれるなんて……私を信じてくれて有り難う、葉月……」

 乱れた栗毛をサラがそっと手ぐしで、整えてくれる。

「ごめんなさい……。デイブ中佐に相談しても良いのだろうけど……」
「ダメダメ! デイブはやっぱり男だからね。同じ事は言うと思うけど……。それによく言われるのよ。女の部分はお前が支えてやれなんてね!」
「今までだって……その通りにしてくれたわ。サラは……。肩の傷の事、知ってしまったと言われたときは驚いたけど。だって……サラったら遠慮なく突っ込んで来るんだもの。まるでキャプテンの飛行みたいに! だから……こんな私がいろいろと言えるようになって。あなたのそういう遠慮なく突っ込むけど、ちゃんと大きく深く受け止めてくれる事。逆に──感謝しているの」
「まぁ……嬉しいわ。あなたにそこまで言ってもらえて……。勿論……これからだって……」

 サラはいつものように元気に『これからも!』と言い出したのだが……彼女が急に何かを思いついたようにフッと表情が曇ったのだ。
そして、俯いてしまった。

「サラ?」
「ううん、これからだって同じよ。私達は……友達だわ」
「うん、これからも宜しくね?」
「勿論よ……葉月。でも……」

 いつにない柔らかい笑顔を浮かべているサラ。
 そんな彼女は、この上ない笑顔で葉月の両手をそっと包んでくれる。

「お二人があって……私はここまでこれたのよ。本当よ──サラ」
「有り難う、葉月。勿論、デイブと同じく……私はあなたの幸せを願っているわ。いつまでも……何処にいても見守ってあげる」
「サラ──」

 葉月もそっと……彼女の大きめの手を握り返した。

 子供達はテレビに夢中で、笑い声をたてていた。
 夕闇に包まれたリビング。
 コリンズ家の窓辺は、オレンジと紺色が混じった夕暮れの景色を映している。

「あら? 冷めちゃったわね……頂くわ」

 一口しか頬張っていないお好み焼きに気が付いて、サラがフォークを手にする。

「サラ? 今日は私の話じゃなくて、何か? あったんじゃないの?」

 葉月も自分の事ばかり話してしまった事に気が付いて、改めて尋ねてみる。

「ううん……? 本当にあなたの顔が見たかっただけよ」
「……そう?」

 葉月には、そっと微笑んだサラの顔がちょっと疲れているように見え始める。

「あの……私の方こそ、出来ることがあれば相談してね? 頼りないかも知れないけど」
「あら? 大佐様でしょ。頼るときは思いっきり頼るわよ」
「……そう?」
「安心したわ。サワムラとどんな風なのか、あなたから聞きたかっただけなのよ」
「そう──」

 サラは急に無言になって、葉月が焼いたお好み焼きを一生懸命に食べていた。
 そんな彼女の横顔に、葉月は近頃のデイブの横顔が重なって見えたような気がする。

「近頃、デイブ中佐……元気がないように見えるけど……」

 ポツリと呟くと、サラの手が一瞬止まる。

「気のせいよ……。ほら、四回転なんて無茶を自分で言いだして、出来ないらしいじゃない? だからじゃないの?」
「そうかしら?」

 出来なくても、絶対に諦めない直進型のデイブが、あれぐらいで元気がないなんてしっくりこない。

「いいのよ……葉月。そんなくよくよしている旦那なんて放っておいてちょうだい」

 いつもの強気な彼女の笑顔。

「そうね? キャプテンらしくないものね」
「そうそう! 自分で無茶を言いだしたんだから、放っておきなさいよ。葉月も付き合わされて大変ね! あなたまで危険な荒技にいっつも引きずり込んで!」
「いいえ……私、キャプテンが一緒にして欲しいと認めてくれる事、とっても嬉しいのよ。成功するように、サポートするわ」
「……だけど、無茶も程々にね? 昔のように……デイブを助けるために突っ込むなんて許さないわよ」

 サラのキラリとした眼差しが葉月を突き刺した。

「やだ……また『あの時の事』? 勘弁してよ」
「ふふ……私とあなたが一番最初に喧嘩した時よ」

 葉月も思い出して、ふてくされながらお好み焼きを頬張った。

「そうよ、そうよ! 夜間当直のスクランブルで、対岸国機との牽制の時でしょ?」
「そうよ。デイブがロックされかけて、あなたが前に飛び出して相手国機と、あわや衝突のニアミス」
「だって……危ないと思ったのよ。キャプテンは平気で先頭を行くし……」
「それがキャプテンよ」
「あの後、キャプテンに横っ面をひっぱたかれ、サラにも呼び出されて、余計な事するなと叱られて。あの頃は、キャプテンとは険悪の仲だったから……若い私には、結構、堪えたわね」

 葉月は益々、膨れ面でムシャムシャとお好み焼きを口に放り込む。

「まだ、解っていないのかしら?」

 またもや、サラの諭すような厳しい目。
 葉月はビクッとして姿勢を正し、表情も素直に神妙に戻す。

「解っているわよ。ああいう無茶はもう卒業なのよ」
「よしよし」

 彼女がやっとニコリと微笑んでくれる。

「あんな事されて、子分が犠牲になって助かっても嬉しくないって夫婦揃って言われたわね」

 遠い昔の話──。
 葉月は懐かしむように、窓辺の滲む夕暮れに目を細めた。

「あなたはデイブ以上に『命知らず』だったわね。そんなあなたがコントロールできなくて、デイブはキャプテンとして初めての難題」
「難題だったの? 私が!」

 葉月が可笑しくなって笑うと、他人事と言っているように聞こえたのか、サラにまた睨まれた。
 当然、葉月はスッと大人しく引っ込む。

「どうしてあんなに無茶をして、自分を大切にしないのかと……デイブは悩んでいたわよ。だけど──自分以上の『無茶』を目の当たりにしてデイブはショックだったみたい」
「ショック?」
「そうよ……。自分も『無茶野郎』だったから──。自分が『相手を失う恐ろしさ』を、葉月に教えてもらったのでしょうね? それから……キャプテンだという自覚も。『自分が突っ込むことは怖くないが、子分が突っ込んで行く怖さは初めて知った』と言っていたの。リーダーだから、誰よりも勇敢に先頭を行くことばかり考えていたデイブはね。子分を守るという事も……自覚したのよ。あなたを大切に飛ばし続けたいと思ったのよ。その後、すぐにフランク中将に呼び出されて、あなたの過去を知って……。デイブは二重のショックを受けたけど、私達夫妻はあなたの無茶の意味を知ることが出来たわ」
「……そうね。あの後から、キャプテンはいつも私の横を飛んでいたわ。そして……カフェでもいつも隣にいるの……。目を光らせて、私の後ろにいてくれて……」
「デイブは……あなたに立派なキャプテンにしてもらったのよ。勿論……他のチームメイトと共にね……」
「……サラ?」

 彼女も遠い目で窓辺に視線を馳せていた。

「だから……葉月。あなたの幸せを私達夫妻は、祈っているのよ。いい? サワムラと頑張らなくちゃ駄目よ?」

 その眼差しが……ちょっぴり潤んでいるように葉月には見えたのだが……。
 葉月は圧されるようにこっくりと頷いていた。

「今度の航空ショー楽しみだわ! 本当にデイブが四回転出来るか……ね? 私は『無理無理』って毎晩煽っているの。すると彼はムキになって頑張るから!」
「まぁ……さすが、奥様! 今後の参考にしなくっちゃ!」
「あらら? 葉月? あなたでも『奥様』になろうとか思い始めているのかしらぁ〜」
「え?……そうじゃないけど」
「うそうそ! 顔に書いてあるわよ! 私はハヤトの妻になりたいって!」
「そんなはずないわよ!」

 葉月は急に熱くなった頬を両手で覆った。

「ほらほら! 顔に出いている、出ている! その顔を今すぐ、サワムラに見せたいわね!」
「ち、違うわよ!」
「ま。私の前でなくて、そういう顔はサワムラの前で素直にしないさいよ」
「ラジャー。ミセス・キャプテン」

 二人でやっと声を立てて笑い始めた。

 

 そうして葉月は、懐かしい昔話をサラと続けた。
 だけど……時々……この気っぷの良い彼女が、遠く目を細める姿。
 それが今夜はやけに目について仕様がなかった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「え!? 相手国機とキャプテンの間に滑り込んできたのですか!?」

 そして、こちらも夕暮れの大佐室。
 男同士も、『葉月突っ込みニアミス事件』の話をしているところだった。

「ああ……勿論、相手にロックされそうになった時はヒヤッとしたが……。目の前に嬢が飛び込んできたときは、もっとヒヤッとして操縦を忘れそうになったぜ。あれが今までの中で一番、恐ろしかった出来事だったな。あれで相手国機とニアミス、爆破したところで、俺もその爆破に巻き込まれていただろうな。それから……相手国も俺達『ビーストーム』だと確認するとスッと退いたりした時期もあったな。なんたって『大馬鹿野郎』が混じっているんだから。女だと解ったらきっと卒倒している」
「それは……アイツ、後先考えていない無茶? ですよね!? 完全に!」

 葉月の昔の姿に……隼人は絶句した。

「……あの時、アイツは『死ぬ』という事に怖さは無かったと思う。俺はそういう嬢の無茶は『若さ故の格好付け』だと思って頭に血が上ってさ……。着艦して直ぐにアイツを殴り飛ばしたっけな……」
「殴った……!」
「ああ……後にも先にもそれ一回だけだったが、あれは頭にきたからな。それに……俺の中にもああいう無茶の血は流れていたが、それ以上をされてショックで。それが如何に、危険でやってはいけないことか……嬢に教わった気がしたんだ」
「……」

 デイブの手には、頬張った後のチョコレートの銀紙。
 彼がそれを手の中で転がしながら、弄んでいた。

「それを聞いたサラも逆上してさ……」
「奥さんが?」
「ああ……この時、俺とサラの間では葉月という新しいメンバーは……。チームの和を乱すだけでなく、自分ばかりが『命知らずの格好良いパイロット』と気取っていると思っていたから──。サラに『連れてこい』と意気込まれてさ。もしかすると女同士、何か葉月にも解るかも知れないと思って連れていったら……。サラも葉月の顔を見るなり、初対面でビンタだぜ?」
「奥さんまで!?」

 隼人は壮絶なやり取りに、またもや絶句。
 今度は身動きが出来なくなる。

「サラは……『パイロットなんて辞めてしまえ』って嬢に怒鳴ったな」
「それで? 葉月は?」
「泣きもしないし、言い返しもせずに……そうだな眼差しだけが光っていた」
「彼女、逃げましたか?」
「ああ……逃げ出したぜ?」

 隼人は葉月らしいなと溜息をこぼした。

「だけど、うちの女房がそれで諦めると思うか?」
「え?」

 隼人はさらなる修羅場でもあったのかと、引きつり笑い。

「嬢を追いかけて、ひっつかまえてさ……『戦闘機で逃げないくせに、こういう事は逃げるのか』って。俺までヒヤヒヤしたぜ? 格好付けで飛んでいる良い証拠だって叱りつけて。『死にたいなら、私が殺してやる』ってさ……」
「えーっと……」

 隼人は益々、苦笑い。
 先程、挨拶を交わしただけだが、その様子がパッと目に浮かんだので余計に絶句だった。

「そうしたら……嬢が何て言ったと思うか?」
「……さぁ?」
「……『殺して下さい。いつまでも生きていたくないのです』だってさ」
「……」
「その時、初めて葉月が泣いたんだよ。サラが『その訳は?』と聞いても何も言わなかった。その上、今度こそ逃げられて……さ。サラは途方に暮れていた。何を考えているのか解らない嬢のことで、俺が毎日苛ついていたんだが、サラまでもが『まったく理解不能』と暫く、プリプリと怒っていたけど、葉月が気になって仕様がなかったみたいだ」
「そうでしたか……やっぱり、彼女……死にたいとその頃も」
「──? なんだ、そんな話はサワムラにしているのか?」

 独り言のように呟いた隼人の一言に、デイブがフッと顔を上げて反応した。

「いえ……その訓練校入校した頃も、男子訓練生ともめてばかりいて、めちゃくちゃになりたかったと……消えていなくなりたかったと言っていたので」
「やっぱり……『あの事』が原因か……」
「そのようですね。入隊時より一層、記憶も鮮烈な時期だったでしょうし」
「入隊時にも何か?」
「いえ……それは解りませんけど。だけど、そういう心積もりは幼い頃から、ずっと付きまとっていたのではないでしょうか? 彼女がパイロットになったのも、何が目的だったか……聞いたことありませんし」

 するとデイブがそれに初めて気が付いた様に、ハッと顔を上げたのだ。

「そういえば……そうだな? 聞いたことがないな?」

 今となっては、葉月はパイロットという職務は一番の誇り。
 だが……何故? そうなったのかと言えば……聞いたことがないと。

「もしかして……一番、危険でそれらしい理由で死ねるからとも考えられますけど」

 隼人がそんな事を、あっさり認める余裕で呟いたので、デイブがさらに驚いた顔に。

「……実は」

 急にデイブが隼人に迫るようなせっぱ詰まった顔に──。

「どうかしましたか?」
「今日はサワムラ……お前に思い切って聞きたいことがある。男として」
「なんでしょうか?」

 姿勢を正して、隼人も神妙に向き合った。

「お前と嬢は……『子供』についてどう考えている?」
「はい? 子供とは?」
「だから……将来、子供を作る気か、それとも……今すぐその気か、どういうつもりかって事」

 聞き難そうに、デイブは短い金髪をこりこりとかいて、頬を赤らめていた。

「えっと……」

 そりゃ……隼人も正面切って聞かれて頬を染めたのだが。

「今すぐかも……しれません」

 消え入るような隼人の小さな声。

「なに──?」
「いえ……それは解りませんけど」
「どっちなんだ!? そういう心積もりで『しているのか』と聞いているんだが!?」

 妙にデイブが突っ込んでくる。

「……」

 隼人は黙り込む。

「いいか? サワムラ……。俺が引退するに当たって大事な事なんだ。中将は、そこまで考えていらっしゃったぞ」
「中将が──?」
「ああ。嬢は間違いなく、将来はお前と結婚するってね……」

 デイブは半信半疑のように呆れていたのだが……隼人は細川の見解にドッキリと胸の鼓動が強く波打った。

「……仰るとおりです」
「え!?」

 足を組んでゆったりとくつろぎ談話していたデイブが、飛び上がるように姿勢を正した。

「彼女に申し込みました。結婚しようと──」
「マジかよ!?」

 デイブのすっとんきょうな声が夕暮れの大佐室に響いた。
 しかし、細川はそう思ったとして、デイブを除けて何をしようとしているのだろう?
 隼人にはそれが気になったが、目の前の先輩は口をパクパクとして、隼人を指さし絶句しているだけだった。

 暫く──二人の男が向き合ったまま、沈黙が漂っていた

TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2007 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.