・・Ocean Bright・・ ◆蜂親分の苦悩◆

TOP | BACK | NEXT

9.隣の兄貴

「もう、もう、もうっ!」

 管制塔でのメンテミーティングが終わり、葉月と隼人は大佐室に一緒に戻った。
 勿論、デイブも引っ付いてきたし、ロベルトまで──。
 四人一緒に大佐室に戻るなり、葉月はプンプンと怒っているのだ。
 何故かというと、あれだけ大勢の人に『側近との恋仲』をからかわられた為。

「おい、もういい加減に降参しろよ。嬢ちゃん」

 またもやソファーでふんぞり返っているデイブも、そんな葉月に呆れた顔。
 遠慮して二中隊に帰ろうとしていたロベルトはデイブに無理矢理に連れてこられたのだ。
 皆……心の何処かで『今日は睨む達也がいない』と判っていて……。
 その彼もポツリと一言……。

「しかし、僕もちょっと驚きましたね」

 デイブの横で、ひっそりと座っているロベルトは意外そうな顔で隼人をチラリと見たのだ。

「……」

 隼人はまた密かに頬を染めて、ロベルトの眼差しを避けた。
 葉月が『もう、もう』と怒っているのも、隼人がああいう面前で、からかわられるまま、あっさりと『明日、彼女を飛ばすのを心待ちにしている』と、恋人の感覚で認めたからなのだろう。
 いつもは何かとそういうからかいを、真顔でサラっとかわす隼人が、照れつつも認めた事にロベルトも驚いたようだった。

 そう……近頃、隼人は結構『おおっぴら』になっているのだ。
 隼人も『自覚』している。
 これから、『夫妻』になれば誰の目から見ても、『なにもかもが公認』なのだ。
 恋人のように、『いつ別れるとも解らない』関係でなく、『別れたら一大事』の関係になり……恋人のように、どのように愛し合っているか曖昧な想像をさせるのではなく、結婚をすると『はっきりと』男女の生活の営み全てが『認知』されるように……誤魔化しようがなくなるのだ。
 そう思うと、つい……今までの『硬い姿勢』が取り払われてしまう。

 葉月は、慣れていないらしくちょっと心臓に悪かったようで、大佐室に戻るなり、愛用の『冷蔵烏龍茶』をコップに汲んで、一息ついている。
 そういう所は、まだまだ『お嬢ちゃま』のようで、隼人は彼女らしいと微笑んでしまった。

「ハリス、ここまでうちのフライトチームのために、他中隊なのに……有り難うな」

 デイブの御礼に、ロベルトが『とんでもない』と慌てていた。
 デイブとしては、ビーストームフライトチームとして御礼を言うのは『最後』。
 そう思って、丁寧に後輩のロベルトに礼を述べているのかと思うと隼人はまた……哀しくなり、すっと自分のデスクにひとり戻った。

「中佐はコーヒーで……ロニーはアイスレモンティーでよろしい?」
「そうだな」

 遠慮なく答えるデイブに対して……

「いや……葉月、僕はすぐに戻るから……」
「いーじゃないか! 嬢から入れてくれるなんてそうはないだろう?」

 葉月が止める前に、デイブが落ち着かないロベルトを引き止める。

「そ、そうですか?」
「なぁ? 嬢。丁寧に入れてやれよ? お前、すっごく『世話』になっただろう?」

 それが、メンテチームの事は元より……元恋人にも関わらず、現恋人の隼人と組ませた事。
 そして……一昨年の短期間であった『恋仲』をほのめかしているのが隼人にも伝わった。

『いえ……僕は……』

 相変わらず控えめで大人しいロベルトには、デイブのシャキシャキした動きには、圧倒されてばかりのようであたふたしていた。

「勿論よ。私、ロニーの好みは良く知っているの」
「お。お前も言うなぁ?」

 ニヤリとデイブは笑ったのだが、葉月は穏やかに微笑んでいた。
 葉月としても……今あるロベルトとの『信頼関係』はなくてはならないと言ったように、心の中で暖めている様子が判る笑顔だった。
 それは隼人は男としてはなんとも思わない。
 隼人にとってもロベルトは既に『大事な同僚』だから……彼女もそれと同様に感じていると思っているから。

『!』

 デスクに座ると、閉じているノートパソコンの手元に、小さな小包が置いてあった。

(来た!)

 送り主は、あの『菅原さん』だ。
 隼人はドキドキしながら、その箱をデスクの一番大きな引き出しにサッとしまい込んだ。

「サワムラもこっちこいよ?」

 デイブがついたてを覗き込んでいる。

「あ、はい……」

 なんだか自分の動きが『ギクシャク』しているような感覚に陥りながら、隼人は立ち上がって、応接ソファーに向かった。

「いよいよ明日だな。楽しみだ──」

 デイブはそう言いながらも、ここ最近見せている遠い目を大窓の空に向けたのだ。
 向かいに座った隼人は……それを見てまた俯く。
 せっかくメンテチームが出来たのに葉月と一緒に『降りる』というのは、とても残念な話で、隼人もそう思うと肩の力が抜けてくる。
 葉月はまだ知る由もないから、ご機嫌で男三人のお茶入れをしていた。

 

「おっすー! ただいまー!」

 静かに向き合っていた男達の静寂を破るように……『私服姿』の男がにこやかに大佐室に入ってきた。

 サングラスに、ジーパンにガッチリとした革の黒ブーツ。
 さらりと裾を出している白いシャツのボタンは全て開けられ、肌にはピッチリとした黒いタンクトップ、厚い胸板が強調されて……。
 腰には、ジャラリとしたハードなチェーンアクセサリーの音。
 まくった袖から伸びている逞しい腕には、ハードなシルバーブレスレット。
 何処かのハードロッカーのような身なりで……。
 勿論、ソファーにいた男達は一瞬、唖然としたのだが……。

「達也!? どうしたの!?」

 その派手な格好をした男性が一目で誰と判ったのは、葉月が一番早かったようだ。
 彼女はキッチンから出てきて、大声で驚いていた。

「ああ、帰ってきちゃった」

 達也はサングラスをフッと頭の上乗せて、さらりと葉月に答える。

「帰ってきたって……! まだ、休暇は三日もあるのよ?」
「親父と喧嘩した」

 途端に達也はムスッと顔をしかめる。

「また!?」

 葉月の『また?』に、ソファーにいた男達はちょっとおののいたのだ。

「だってよぉ? 帰省しない、結婚は突然、離婚も突然、帰国も突然。親父に数日間、散々説教されて、もう、ウンザリだって? だから、俺は帰ると出てきた。親父もああ、出て行けってさ! 後の残りの休暇は、小笠原の官舎でゆっくりする」
「ちょっと! どうしてそうなるのよ! せっかくの休暇なのに!!」
「お前だって知っているだろう? 俺の頑固親父の事! だいたいお前が休暇をくれると言い出したときも、俺は嫌だと言っただろ? 絶対に、こういう事になると思ったんだ!!」
「もう!」

 葉月は怒ると、スタスタと急に大佐席に向かっていった。
 それをただ唖然と見送るだけの、ソファーの男達。

「あ……」

 達也がやっとソファーにいる面々に気が付いたのだが。

「ああっ!」

 ロベルトがいるのを知って、嫌悪の顔をこれまた素直に現したのだ。

「じゃぁ……お忙しそうなので、僕はこれで……」

 達也の『敵視』を昔から感じているのだろう……ロベルトは苦笑いで立ち上がった。

「なんでだよ! ハリスいいじゃないか?」

 またデイブが引き止める。
 隼人はただ眺めていた。
 こうしてみると……葉月に関わった小笠原基地の男三人が揃うのも珍しいことだと。
 まるで他人事のように……。

「ウンノ! お前も帰ってきたからと、その格好は何だ!?」

 デイブもなんとなく解っているのか、せっかくロベルトと向き合っていた所を、丁度良く達也に邪魔された事を、服装のせいの様にまくし立て始める。

「あ、すいません。制服に着替えられなかったんですよぉ。慌てて定期便に乗り込んだので──」

 達也はケロリと、黒髪をかくだけ……。

「一度、官舎に帰って、着替えてから来るとか! ここは職場だぞ!?」
「ええっと……まだ車持っていなくて、先にこれを渡したかったので、これ、重いんですよ!」

 そういって達也が弁明するようにあたふたととりだしたのは……肩にかけていたクーラーボックス。
 四角いボックスは達也の荷物とは別で目立っていた。
 それを床に降ろして、達也はボックスを開ける。

「これ。コリンズ中佐も一本、いかがっすか?」

 達也がとりだしたのはワインボトル。

「ワイン!? あ! そうだ! お前のオヤジさん、ワイン職人だったな!」

 デイブは喜び勇んで、ソファーから立ち上がる。
 隼人も驚いて、思わず席を立った。

「わ。本当に親父さんが作ったんだ!」
「そうだぜ♪ 兄貴が土産用に見繕ってくれたんだ」
「わー! 白もあるじゃないか?」

 隼人も思わず手にとって、シゲシゲと『甲府ワイン』を眺めてしまった。

「そうだ。コリンズ中佐! 確か、サラは『ロゼ』が好きでしたよね!」
「おお!? 覚えていてくれたのか、嬉しいな♪」

 達也がロゼワインを一本差し出すと、デイブはすっかりご機嫌になって、先程の『ご注意』も忘れてしまったようだ。

「じゃぁ……本当に僕はこれで……」

 四・五中隊の隊員同士で和気藹々としている隙を縫って、居づらそうなロベルトが本当に大佐室を出ようとしていた。

「待てよ」

 背を向けたまま……達也がロベルトを呼び止める。

「達也……?」

 隼人はちょっとヒヤリとし、デイブも見守るように急に厳しい顔つきに。
 そして、何をしに行ったか分からないが、大佐席に戻った葉月も、そのまま二人の様子に身動きを止めたようだった。

「これ……嫁さんと呑んでくれよ」

 隼人はもう一本あったロゼワインを差し出し、ロベルトと向き合った。
 同じ様な長身の男二人が視線をジッと噛み合わせる。

 ロベルトの方がやや背が高い。
 隼人はなんだかハラハラする。
 達也は思い立ったら、すぐに『噛みつく犬』の様な所があるからだ……。

「……有り難う」

 ロベルトも小さく微笑んで、差し出されるまま社交辞令のように受け取ろうとしていた。

「遅いけど、『結婚祝い』──。おめでとう」

 達也はただ……真顔でボトルを突き出しているだけ。
 まるで『結婚したのだから、葉月に近づくな! 縁は切れたんだ』とも取れるような……そんな達也の言い方に、隼人は益々ハラハラ……。

「有り難う……」

 ロベルトもそれだけだった。
 彼はそっと眼差しを伏せて、表情も硬く……隼人と同じ事を感じているのだろう。
 だが──達也はもう一本取りだした。
 今度は白ワインだった。

「これはアンタに……。葉月が世話になったし……それから……」

 すると達也はちょっと俯いて、なにやら躊躇っているのだ。

「──?」

 ロゼのボトルを抱えているロベルトは、首を傾げて達也を見下ろしている。
 そして、達也は振りきるように顔を上げた。

「これからも『うちの嬢ちゃん』をよろしく」

 それも真顔だったが……達也はちょっと照れくさそうな顔をしていたが、『うちの嬢ちゃん』という言い方で、全面的和解は譲らないが、『よろしく』と、葉月との今の状態を認めたようだ。
 だけれど……ロベルトは直ぐに満面の微笑みを見せた。
 彼特有の、匂う高き優雅なあの微笑みだ。
 そう……達也が言うところの『ヒゲの気取ったキザ笑い』だろうが、ロベルトの一番の魅力であると隼人は認めている微笑みだ。

「勿論……こちらこそ、よろしく。妻と楽しませてもらうよ。サンキュー」

 ロベルトはそれだけいうと、デイブと隼人にちょこんと頭を下げて出ていってしまった。

 

「……なんだよ? 兄さん」

 達也は照れくさいのか、サングラスをフッと降ろしてムスッとした顔に……。
 するとデイブが笑い出す。

「お前も、ちっとは大人になったみたいだなぁ?」
「ちっととはなんですか? 随分の間違いでしょ?」
「まぁ……めでたしだな」

 隼人もホッと胸をなで下ろし、徐々に二人が男同士として距離を縮めるだろうと確信できた。

 葉月は──? と……デイブと揃って隼人は大佐席に振り返ると……。何喰わぬ顔で、受話器を手にしていた。

「きっと内心ハラハラだったと思うぜ?」

 デイブが隼人の耳元でククッと笑いを漏らす。
 ロベルトと付き合っていたことが達也に『ばれた』という報告は葉月から受けていたので、隼人も今の場面はかなりハラハラだった。
 そして葉月も、思わぬ展開になって内心は慌てていただろうに……あの顔。
 それも葉月らしくて、隼人はそっと笑っただけ。
そして葉月が何をしているのかと首を傾げた時だった。

「ご無沙汰しております。小笠原の御園です」

 何処かに電話をしたようだ。

「ええ……その節は本当に申し訳ありませんでした」

 何故か……心苦しそうに葉月が頭を下げながら神妙に詫びている。

「いえ……わたくしが、最終的には彼を傷つけた訳ですし……。本当に申し訳ありませんでした。いえ……そんな……」

 デイブと隼人はまた……顔を見合わせた。
 何処にかけているのかと見守っていると……。

「ところで、お父様? 達也がこちらに戻ってきたのですけど?」

 丁寧に詫びていたかと思うと、急に葉月は親しい口調に……。

「うわぁ! お前! なに俺の実家に勝手に電話しているんだよ!!」

 急に慌てた達也が、腰のチェーンをジャラッと鳴らしながら大佐席に駆けていく。

「達也と仲違いなさったとの事ですが、なにもかも私が……」

 葉月がそう俯いた途端に、達也の動きが止まる。
 デイブも隼人も揃って……『何を謝っているのか』判って二人で顔色を変えた。

「え?……ですけど……そのあまり達也の事をお責めにならないで下さい。彼をフロリダからまた連れだしたのは『私』です。本当に……」
「やめろよ! お前のことは一切、関係ないんだからな! 親父との喧嘩は!!」

 達也は葉月から受話器を取り上げようとしていたが、葉月はそれを交わして触らそうとしない。
 隼人は……葉月がひとりで詫びている姿に、胸が締め付けられる思いだった。

 そう……最初は拒んでいた葉月を、無理に自分がやりたいように向き合わせたのは……『この俺』、隼人であるのだから……。
 達也が戻ってきて、家族と久し振りに顔を合わす。
 話は当然、スピード結婚と離婚になる。
 達也の話によると──。

『転属して半年後、すぐに結婚したからさ。親父は猛反対。昔気質な男だから“早すぎる”とか言われたし……それにフロリダなんて遠くていけないとか言われて、結婚式にも親父は来なかったんだ。兄貴だけが来てくれた』

──という事らしく……結局、達也の父親とマリアは一度も対面していないとの事だった。

 マリアもマリアで、『反対』して結婚式に来てくれなかった義父の事を気にして、達也の実家とは馴染めないまま時が過ぎたという状態だったらしい。
 マリアの『日本は嫌い』というのは、そんな所からも来ていたとの事だった。

 葉月としても、昔の別れた原因で達也を遠いフロリダに転属させるはめになった責任や今回も、その為に達也の結婚生活にピリオドを打たせたこと。
 あれだけ騒ぎを起こしておいて、また……『一緒に仕事』。
 そんな事で達也をあっちへこっちへと振り回したのは『自分だ』と責めているのだろう。

 それが達也が休暇を残して『父親と喧嘩別れ』したと聞いては……『自分のせい』と何処かで密かに休暇を心配していた彼女としては、がっかりしたに違いない。
 隼人自身が『海野と仕事をしたい』と望んだことで、葉月がこういう『責任』を感じる事──考えていなかった。

 葉月の達也への休暇は、きっとこういう覚悟もしていただろうし……そして、いつかは昔は親しかっただろう彼の父親に頭をもう一度下げる。
 そして、今回の休暇は、そういう意味でも達也をなんとか実家と和解させたい。
 葉月にはそんな気持ちもあったようで、隼人はそんな事は思いつかなかった。
 達也とは『解決済み』ですっかり安心していたし、達也の休暇にも何も感じなかった。

 だけど『達也』だけじゃない。
 葉月はそれを既に解っていたようだ。

 さらに……『達也の家族とも親しかった』。
 それを目の当たりし、過去はどれだけこの二人が親しかったかも痛感したのだ。
 隼人は……達也が戻ってきて葉月が感じる『痛み』。
 それもある事は承知の上で、彼女に『一緒に引き抜いて欲しい』と頼んでいたのだ。
 隼人はギュッと拳を握りしめる。

「葉月、貸して──」

 自然と隼人の身体は、大佐席へと向かっていた。
 しかも、達也と葉月の受話器争奪戦の間をスッと縫って、葉月の手から受話器を取り上げた。

「初めまして。わたくし、一緒に側近職をさせていただいている澤村と申します」
「隼人さん──!?」
「に、兄さん……!」

 驚く二人に構わずに、隼人は落ち着き払った顔で受話器に耳を傾ける。

『……!?』

 向こうから息づかいは聞こえたが、声は返ってこない。だが……。

『ああ……初めまして、君が澤村君? せがれから話を聞いております。なんだか、あなたがとてもお兄さんで、甘えさせてもらっているようで。本当に、お世話になっておりますね』

 ハキハキとした若々しい男性の声が届いた。
 意外と穏和な話し声で、隼人はホッとする。

「あの……」

 隼人が葉月の代わりに、『自分が達也を引き抜きたかった』と話そうとすると……。

『なんだか“葉月ちゃん”が動揺しているようだけど、他愛もない親子喧嘩ですよ。こんな風に彼女が電話をかけてくるのじゃないかとも予想済で、待っていたくらいです』
「え?」

 なにもかも理解している落ちついた海野父の声に、隼人は言葉を失った。
 しかも達也の父親もかなり親しい様子で『葉月ちゃん』と呼んでいるのにも驚いた。

『数年ぶりに会ったので、私も大人げなくやりあってしまいましてね。ちゃんとせがれから聞いております。あなたという先輩とどうしても仕事をしたかったのだと。ああ。マリアさんとの事は最初から認めていなかったので、なんとも思っていません。どうぞ、これから、どんどん使ってやって下さい。私は数年前、せがれと葉月ちゃんがいつか一緒になると夢見ていた一人なんですよ。それをあのバカ息子は……葉月ちゃんを置いて……』

 急にそこで、彼の父親がチッと舌打ちをしたのだが……隼人の手前と急に我に返ったらしく、妙な話題に触れる寸前にハッとしたようだった。

『ああ……でも、君と彼女が今はお似合いらしいね。それも息子から聞きました。でも……私は葉月ちゃんが幸せになるなら、せがれと共々応援するつもりです。なので……せがれが勝手に休暇を残して帰ったのはつまらない親子喧嘩ですよ。あなたから……葉月ちゃんに気にしないように説明して下さい──』
「そうでしたか……申し訳ありません」

 なんだか達也が息子にしては、本当に静かに落ちついている印象だった。
 寡黙に葡萄畑を耕し、ワインをジッと見つめているような職人の姿が脳裏に浮かんだ。
 そんな印象だ──。

『あはは、うちの次男坊はやんちゃで手を焼くでしょう? 昔からです。あなたはとっても落ちついていらっしゃいますね。息子もそう自慢しておりましたし、お声で判りますよ。どうぞ……こちらこそ息子をお願いいたします。鍛えてやって下さい』
「と、とんでもありません! 彼には……僕の方こそ沢山、助けてもらっているんです!」
『あのせがれが? アハハ! そういっていただければ、私も父親として嬉しいですね』
「いえ。本当ですから──」

 海野父は、可笑しそうにクスクスと暫く笑っていた。

『どうも達也は、この山の実家が落ち着かなかったようですよ。潮の香りが恋しかったのでしょうし、あなた達といる事が落ちつくようでした。ただのんびりしている実家での休暇に一人で苛々していたようで……』
「ああ……そうだったのですか……。いえ、僕も帰省中はそう感じたものですけど……」

 チラリと達也を見ると、葉月と揃って『何を話しているのか?』と落ち着きなく、隼人の側を離れない。
 だが、隼人は彼の父親が何を言いたいのか解る。

『苛々している所に、私が小言を言うのでよけいに苛ついたのでしょう? それなら早々に小笠原に帰れと言っただけです。アレもすっかり海の男なんでしょうね』
「ああ……なるほど」

 隼人もニコリとやっと笑みがこぼれた。

『ただ……それだけなのですよ』
「分かりました」

 隼人が明るく返事をすると、向こうの父親もホッとしたような息づかい。

『達也としては、君達が恋しいから早めに実家を出たとは言えなかったから、私と喧嘩したと言って誤魔化しているのでしょう? まったく、葉月ちゃんが、そんな風に気にすることを心得ていなくて、なっていませんね? だから……葉月ちゃんにはそっと伝えて下さい』
「承知いたしました」
『申し訳ありませんが……もう一度だけ、彼女と代わってもらえませんか?』

 息子でなく、葉月ともう一度話したいと、ちょっとばかり遠慮がちな声。
 だけど……隼人は快く承知して、葉月に直ぐに受話器を渡した。

「あの……」

 葉月も戸惑い気味で、もう一度受話器を耳に付けた。

『葉月ちゃん……もう“あの事”は終わりにしようね。二度と口にしてはいけないよ』
「お、お父様……」
『またそんな話になったら、私は葉月ちゃんとは口をきかないよ』
「お父様……」
『いいね……。君も達也も新しく始めたと思っているから、何も気にしちゃいけないよ。後はね……澤村君にお話しておいたから、彼から聞きなさい──』
「……でも」

 隼人と達也には、葉月と海野父が何を会話しているのかは分からないのだが……見ているうちに、葉月がそっと涙を流し始めていたので顔を見合わせた。

「では、最後に、最後のお詫びを……本当にお父様、ごめんなさい」
『ああ……ちゃんと聞き届けたよ。有り難う……。これで終わりだね』

 葉月が一言詫びた後、瞳からドッと涙を流したので、そこにいた側近二人もちょっと驚き。

「お父様……有り難う……本当に、有り難う……」

 葉月は何度もそう言って、ハンカチで涙を拭っていた。

「俺……ちょっと不味かったな。帰り方」

 達也も葉月がこんな風に思っていたことに、『今』気が付いたようだった。

「俺も……達也の帰省にそんな気構えしている事、気が付かなかった」

 隼人も反省だったが、なんとか丸く収まったみたいだ。

 

 するとソファーで事を見守っていたデイブが、そっと立ち上がった。

「なんだか、お茶タイム逃したな。俺、本部に帰るわ」

 デイブの存在をふと忘れていた隼人に達也も、ハッと振り返った。

「す、すみません! 空軍で集まっていた所に間が悪く帰ってきてしまって!」

 派手な私服姿の達也も急にいつもの側近らしい雰囲気になって慌てていた。

「いいってことよ。ただミーティング後だったんで、丁度良くティータイムをしようとしただけだ。そうだ、暇があるなら海野もサラに顔見せてくれよ。ワイン、サンキュー!」

 ワインボトル片手に、デイブは青い瞳をウィンクさせてサッと大佐室を出ていった。

「……」

 隼人はちょっと気になり、まだ会話中の葉月を置いて大佐室を飛び出した。

 

「コリンズ中佐!」

 また……先日のように、ワインを抱えているデイブの背は丸くなっている。

「なんだ……また……」

 なにかと気遣って追いかけては呼び止めに来る隼人に、デイブは困った顔を見せ始める。

「あの……」

 本当は何故、追いかけたのか分からなかった。
 でも──達也以外に、あんな葉月の過去の話になっても違和感なく側にいる先輩が、こんな身近にいた事を、さっき痛感した気がしたのだ。

 あまりにも身近すぎる『お隣の兄貴』だったのだ──。
 そんな先輩が……いなくなってしまうのが惜しくしようがない!

「あの……! 絶対にフロリダに帰らないで下さい。お願いします!」

 隼人はデイブに向かって深々と頭を下げていた。
 だけど、デイブはそっと微笑んで首を振ったので、驚いて頭を上げた。

「勿論、まだ……帰国するとは決めていないが……」

 彼が優しく眼差しを伏せた……。
 その途端に、急に哀しそうに彼の青い瞳が揺れる。

「今……アレを見て思った。嬢は近頃、持たなくて良かったものを長いこと抱え込んでいたが、それを次々と捨てて……新しくなってきている。お前と海野さえいれば大丈夫だ」
「いえ! 僕だって海野だって……まだまだ駄目な所はいっぱいあって……」
「だが──お前達、三人の間に俺が入る隙はなかった。駄目なところは、三人でちゃんと鍛えていけば大丈夫だし……そうするべきだ」
「中佐が……好きなんです!」

 隼人が思いきり叫んだので、デイブが面食らった。

「彼女……あなたのこと、本当に信頼しているし、僕たちも──!」

 するとデイブがフッと微笑む。
 その目尻にはちょっとだけ涙が光っているようにもみえなくもない。

「俺は『嬢の問題』には結構距離がある『部外者』だと思っていたけど──」
「!」

 隼人だけでなくて、デイブもそう思い、影ながら見守り続けていた事に驚いた。
 隼人と同じ『部外者』という気持ちを持っていたことにも!

「だが……いつの間にか、俺もすっかり『嬢の兄貴』になっていたみたいだな。フランク連隊長や、ジョイや、細川のおっさんの気持ちが解る。嬢が側にいなくなると……こんなに寂しいことはないなと……今頃、つくづく。すっかり関わっていたみたいだな……」
「──中佐」

 だったら……葉月から離れないで欲しい。
 そう言いたいのに、今度は声にならなかった。

「でも、俺は心より嬉しいんだ。サラと一緒に……『葉月』の成長が──。だから……それで良いと思っている……。勿論、これからだって見守って行くさ……」
『これからもな……』

 最後のその一言は、寂しそうに消え入る声だった……。
 デイブはそれだけ言うと、今度は背筋を伸ばして歩き始める。

 隼人もそれを見送っただけだった……。
 彼が通路の向こうに消えて行く。
 本当に……いなくなってしまうのか?
 本当に……引き止められないのか?

 隼人は唇を噛みしめながら、本部へと踵を返した。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 大佐室に戻ると、大佐席では葉月がまだ涙を拭っていたが、私服姿の達也と向き合って、いろいろと話し込んでいる様子だった。

「少し、カフェで休んできたらどうだ? な?」

 達也がそういって葉月をなだめているところ。

「うん……小池のお兄さんの班室にも行かなくちゃ。出かけてくる」

 葉月も気分を切り替えるためか、カフェのチケットを引き出しから出して立ち上がった。

「隼人さん……ちょっと出かけてくるわね?」
「ああ……」

 葉月は、ハンカチで目元を隠すようにして大佐室を出ていった。

 

「はぁ──! まいったな、やっぱ『あの話』になると、まだ駄目だなぁ?」

 葉月が落ちついて出ていったので、途端に達也が力を抜き、自分の席に座った。

「迂闊だったな……俺達」

 葉月が出ていった自動ドアを眺めて、隼人は溜息を落とす。

「いやー。俺が一番、迂闊だった」

 達也もそうとう堪えたのか、額を抱えてデスクにうなだれていた。

「留守中……何もなかった?」

 ポツリと達也が尋ねてくる。
 達也の父親が言うとおりに、『気になって帰ってきた』というのが裏付けられる彼の様子。

「……特には」

 あったが……隼人はまだ言えないと判断してそう答えた。

「着替えるか……」

 少しはホッとしたのか、達也は気だるそうに立ち上がって旅行バッグを取り出す。

「まさか……仕事するんじゃないんだろうな?」
「え? ここでは制服じゃないとやばいだろ? さっきも本部の女の子に騒がれちゃったよ」
「休暇、消化しろよ。俺もそうしたんだから──」

 隼人は達也がキビキビと動こうとするのを何故か止めようとしていた。

「悪かったな! 葉月と二人で仲良くお仕事が出来る数日間を、潰してさ!」

 なんだか達也もムキになって突っかかってくる。

「そんな事、言っていないだろ? 休暇は休暇で消化しろと言っているだけじゃないか?」
「そりゃ、俺もちょっとは家の事したいから、直ぐ帰るよ」

 隼人の前で、遠慮もなくジーンズを脱いで、ビキニパンツ姿になるので、隼人はそっと目線を逸らし顔をしかめた。
 達也の逞しい胸に腕に、ガッチリとしてはいるが均等が取れている細身の身体をみると、また変な想像力が働きそうだったから……。

 それにあの『格好』
 ジーンズを好んでいたような葉月とは、お似合いの若いセンスに、隼人はちょっとばかり嫉妬を感じる。
 シンプルな格好を好む隼人からは考えられない派手さだった。

「そうそう! 兄さん、見てくれよ!」

 そんな隼人をよそに、達也はまたいつもの明るさで、バッグからパンフレットを差し出してくる。

「なに?」

 既にデスクでパソコンに向かった隼人は、面倒くさそうに返事をした。

「初日に、横須賀基地で右京兄さんと会う約束していただろ?」
「ああ……車を買うとか何とか?」
「買っちゃったぜ! 小笠原に運送してくれるのは一ヶ月以上先だけど!」

 達也は契約したと言う車のパンフレットを指さして得意気になっている。

「うわ! 見せろよ! 何を買ったんだよ!」

 隼人も人のことなのに楽しみにしていたから、思わず喜んで席を立ってしまう。
 二人でパンフレットを開いて、達也の席で覗き込んだ。

「真っ黒いスポーツワゴンにしたんだ! いいだろ? 荷物が運べて。兄さんにも時々、貸してやるぜ♪」
「おー! ホンダにしたのか」
「兄さんも買う気なら、右京さんに頼んだ方が良いぜ。あの兄さん、どこでも上得意様だからさ。ちょっとだけどサービスしてくれるし」
「うーん……俺もそろそろ考え時かな?」
「だろ? 葉月の『走り屋』みたいなスポーツカーなんて、実用的じゃないしな」

 それもあるのだが……隼人としては『結婚するから』という理由からだった。
 隼人はふと自分のデスクに振り返る。
 今日、届いた『指輪』──。
 達也にも、まだ……その心積もりは言えなかった。

 いつ、どう言えば良いのだろう?
 達也はどんな風に受け止めてくれるのだろう?
 そう思いあぐねていると……。

「あ! そう言えば……右京兄さん。来週から小笠原に来るんだってさ」

 スラックスのベルトを締めながら、思いついたように達也がそう言った。

「え? 右京さんが?」
「ああ。なんでも連隊長に依頼されていた小笠原音楽隊の式典マーチング。それの指導を引き受けたんだって。これから週に二日はくるらしいぜ?」
「あ、引き受けたんだ。お兄さん」
「悩んでいたみたいだけど、今日、俺が帰る手続きしてくれたんだけどさ。俺の帰省初日は悩んでいたけど、三日ばかりたったら急に決めたって感じだったような? 今日、帰るときにそう言っていて、葉月にもそう伝えてくれって」
「……」

 悩んでいたのに、急に──と達也は言う。
 隼人にも……そんな感じに取れた。

『ロイ中将が……葉月から結婚決意を知ったから?』

 右京には『葉月が結婚を了解するまで、ロイには先に言うな』と言われていた。
 だが……葉月が了解していたから良かったのだが……。
 葉月が隼人にも相談せずに、独断でロイに報告してしまった。
 あの時、慌てたのはそれがあっての事だった。

 勿論、ロイが喜ぶと思っていたのだが……。
──『おめでとうとは、まだ言えないな』──
 あの仕事の時のような硬い顔。
 それに──『俺は完全に隼人の味方だ』──強く言い切ってくれたあの言葉。
──『こうなったからには、驚くことも聞かされたのだろう?』──
 問題の『黒猫兄貴』の事を、よーく知っているというような口振り……。

 勿論──頼もしいのだが。

(かえってロイ中将らしくない気がする)

 隼人はあの後、そう思っていた。
 義妹の喜び事には、結構、手放しに喜びそうなロイが……。
 なんだか……今から何かが『始まる』かのような警戒した顔。
 やはり……彼等にも『黒猫兄貴』がちらついているような気がする。

 そこへ来て、公演会で忙しいからとロイの申し入れを迷っていた右京が、『小笠原へ行く』と決めたところもひっかかり始めたのだ──。

TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2007 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.