・・Ocean Bright・・ ◆白鷲兄様ふたり◆

TOP | BACK | NEXT

6.彼女のために……

──ゴゥー……!──

 今日も朝の爽やかな青空には、訓練機の白煙が描かれる小笠原基地の海上……。

『嬢! 先に行くぞ!』
「ラジャー! 回転開始後、こちらも上昇開始!」

 しかし、この日……コリンズチームの訓練風景は、いつもとは違っていた。

 デイブが先に大空に舞い上がり、螺旋を描き始める。
 その後を葉月の機体が、追いかける形に──。

 この日、サワムラメンテチームは甲板では第二中隊第二チームの『山下メンテチーム』のサポートで活動している所。

「──! おや? 昨日までとは感じが違うね!?」

 空を見上げてハッと驚いたのは、そのサポートメンテチームのキャプテン『山下少佐』だ。

「はい。昨日……細川中将よりヒントをもらったみたいでしたよ」

 隼人がニコリと微笑むと、山下キャプテンは唸り始めた。

「おいおい? お嬢は大丈夫かな……」

 上空ではデイブが描いた螺旋噴煙の輪っか中心へと、葉月の2号機が突っ込もうとしている所だった。

『おい……見ろよ』
『本当だ!』

 甲板上のメンテ員達も、ザワザワとざわめき立ち、空を見上げ始めている。

 隼人はちらりと……母艦入り口付近で、若い側近を従えて通信機器のそばにいる細川に目線を走らせる。
 彼は紺色の空軍キャップの上に、ヘッドセットマイクを付けて、静かな眼差しで上空を見上げている。

(さて……中将の反応はどうだろうか?)

 これで彼が『駄目』と判断した場合、今回問題になっている『コリンズのチャレンジ演技』は却下され、ここで葉月達の挑戦にピリオドが打たれてしまうのだ。

「……」

 無言で空を見上げている細川。
 隼人は、我が事のように緊張を募らせた。

「よし──!」 

『!』

 隼人には、細川の口元が、そんな風に動いたように見えた。
 その証拠に、細川の表情は引き締まり……側に付き添っている若い側近に、急に慌ただしく指示を出し始めたようだ。

 細川がヘッドセットマイクを、口元に引き寄せた。

「嬢! そうではない! コリンズの噴煙を確かめてからでは遅い!」

 ついに細川が吠え始めた!
 甲板上のメンテ員全員が振り返る!

「梶川、無線をこっちに持ってこい!」
「はっ。将軍──」

 細川の訓練専属の若い側近が、細川を取り巻く通信機器を、細川が向かう先へと動かし始める。
 空母入り口付近でただ眺めていただけの細川が、甲板の先へと身を乗り出す形に!

「コリンズ! 気持ちは解るが、こぢんまりした回転をするな! それでは嬢に負担がかかりすぎる! もっと緩く長く描いてみろ! 頭で描いているイメージと飛行操縦は異なるのだぞ!」

『ラジャー!!』

 隼人のヘッドセットマイクにも、パイロット二人の意気込んだ声が聞こえてきた。
 そして、ニヤリと微笑んだ。
 これで、ついにデイブと葉月は細川に『了解』をさせて……巻き込んだのだから……。

「さって、負けていられないね〜。あっちで頑張ろうかな!」

 隼人の横にいた山下キャプテンが、急に忙しく動き出す。
 その山下に合わせるように、彼配下のメンテ員達は自分達受け持ちのフライトチーム戦闘機の整備へと向かっていく。
 隼人も気を引き締める。
 なんせ──隼人配下のメンテ員達と言ったら……先輩達とは違って、昨日とは違うフライトチームの熱が入った訓練に視線が奪われてばかり……隼人は、苦笑いをこぼした。

「さぁ……! 着艦まで山下チームの手伝いに行こう!」

 隼人の号令に、後輩達もハッと我に返って動き始める。

「やれやれ……。まだ小笠原の雰囲気に馴染むのに時間がかかりそうだな」

 そうも言っていられない時期に差し掛かっているのだが……。

「……」

 山下チームの後を追っていった後輩達を眺めながら、隼人は一人甲板にたたずんだ。
 他人が見ると……後輩達を眺めているように見えるだろう……。
 だが──この大事な訓練中、隼人は違うことを考えていた。

 葉月とデイブのことは、式典が終わってから……。
 そして、二人の式典へ向けての挑戦もなんとか滑り出したようだ……。

「俺も……集中しなくてはいけないんだけど……」

──ゴウゥー……──

 デイブと葉月の機体は、空母鑑目の前の上空でいつにない苦戦めいた飛行形態を描いている。
 他のメンバー達は、滑走路上で編隊を組んだ飛行訓練をしている。

「よし……いいぞ……! おまえ達にしては上出来だ!」

 細川の珍しい褒める声──。

 そんな熱気を受けながらも、隼人は空を飛ぶウサギの姿を遠い目で眺めていた。

 『決めた』……から。

(今日、ロイ中将の所に行く……)

 もう……そうでもしないと、今の隼人は前に進めそうにない……。

 

☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆

 

 滞りなく訓練が終了し、先に甲板をあがったコリンズフライトチームを追うようにして、サワムラメンテチームも整備終了後、一足遅く甲板をあがった。

「やっと、メシ!」

 無邪気なエディが早速、ロッカールームを出ようとしているところ。

「キャプテン! 先に行っていますよ! 今日は一緒に食えるよね!」

 隼人もさっとシャワーで汗を流して、デイビットと隣り合っているロッカーで見繕いをしている所だった。

 だが……隼人は、そんな無邪気なエディの誘いに、ふと躊躇っていた。
 その様子に即座に気がついたのは、隣にいるデイビット……。

「キャプテン……今日も何か?」

 昨日はといえば……デイブがチーム引退する事を知ってしまい、皆とのランチを放棄し行方知らずになった葉月を捜索するために、隼人はチームメイトとの初ランチを欠席してしまっていた。
 そして──今日も……実は、心ならずとも、そのつもりであったのだ。

「……ああ、ちょっと……」

 隼人の申し訳なさそうに俯いた表情を見たデイビット……。

「そうだよね。キャプテンほど……本部員に側近に、チームのキャプテン……。これほど忙しい人もいないと俺は心得ているよ。大丈夫さ……メンバーとはこれから毎日食事が出来るんだから。俺から上手く言っておくし……」
「悪いな……」
「いいや──。皆にも、サワムラ中佐はそういうポジションの人だと……」

 デイビットがそうして理解しようとしている姿、協力的なのはとても助かる。だが──違うのだ。
 仕事がどうこう……と言う用事で、皆をないがしろにしているわけではない。だから……。

「違うんだ。デイビット……仕事じゃないけど……」
「仕事じゃなくても……行ってきたらいいさ……。中佐にだって色々ある。いちいち、俺たちに何処に行くとか言わなくても……」
「……! デイビット……」

 そこには同世代の男の笑顔。
 隼人は『それもそうだ』と、急に心が軽くなる。

「じゃぁ……お言葉に甘えて……」

 隼人は急いで制服の上着を羽織り始める。
 今行けば……もしかするとロイは食事を終えたぐらい、通常内勤の昼休みが終わる時間帯になるから……。

「俺は中佐に甘えてもらえるポジションにいるサブキャップだよ。光栄だね」

 まだ、白いカッターシャツを羽織っているデイビットの笑顔に、隼人も微笑み返し、すぐさま入り口に向かう。

「悪い! エディ……。今日も『野暮用』なんでね」

 入り口でメンバーを待ちかまえているエディに、隼人はサラッと手を挙げてドアを開ける。

「ちぇ。キャプテンの野暮用っつたら……だいたい『レイ』だろうけどねっ!」

 正解なので、隼人はちょっと誤魔化し笑い……。

「いいよ。レイは中佐じゃないと、きっと駄目なんだ。俺がメンバーに上手く誤魔化してやるよ」
「お。助かるな」

 エディはすっかり『我こそ理解者』の顔。
 隼人は思わず吹き出しそうになりつつも、ちょっと我が儘なエディの可愛らしい気遣いに感謝。
 それに、それをチラリと見ていたデイビットも可笑しそうに笑いを堪えている。

「じゃぁ……」

 隼人のそんな『一番身近』で『新しい仲間達』──。
 隼人は笑顔で飛び出した。

 

☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆

 

 カフェテリアに辿り着き、隼人はエレベーターを降りてすぐにカフェ全体を見渡した。
 中央には毎度の如く……先に甲板をあがったコリンズチームが賑やかに食事を進めている。
 今日は、その中で葉月も騒々しい男達に埋もれながら、楽しそうに食事をしている姿が……。

『あ、隼人さん……』

 葉月のそんな声が聞こえてきそうな視線とかち合う。
 その証拠に彼女が遠慮がちな笑顔でも、隼人に向けてスッと手を挙げて振ってくれている。
 そんな仕草も以前なら、絶対になかったのに……。
 そんな『意外な仕草』に出くわしても、今の隼人はそんな感動もするどころではない。
 とにかく……隼人自身も、『この気持ち、この決心』をロイに伝えたい。

 いや……? 誰かに聞いて欲しいだけなのだろうか?

 ふと、隼人はそんな自分の気持ちに首をかしげながらも、葉月には悪いがスッとお返しの手振りだけして、そっとカフェテリアを再び見渡す。
 ロイが見あたらなかったのだ。

(それもそうだ……。連隊長なら早い時間に来ているだろうし……)

 もし、ロイを見つけられたのなら……高官クラスが位置取っているエリアで、他のおじ様連中と側近を従えてかなり目立っているはずなのだ。
 それが確認できなかった。
 出来なかったのだが……!

「!」

 カフェテリアの隅、壁際の二人がけの小さなテーブルに……静かなオーラーを放ち、誰も寄りつかない『クールなエリア』が目についた。
 そこには栗毛の男性が、そそとアフターコーヒーを優雅に味わっている姿が。
 そう……『リッキー』だった。

 隼人は一瞬迷ったが……。

『行く!』

 拳を握って、隼人は一直線……リッキーの元へと向かった。
 勿論、それを葉月が気が付くだろう事も承知である。

「お疲れ様です。お一人ですか?」

 彼の周りが『ひんやり』しているのは、彼が連隊長付きの主席側近だからだろうと、隼人は思った。
 リッキーの周辺は、四方、席が二つばかり空いていて、皆が避けて席を取っているのが解る。

「ああ……お疲れ様? 訓練上がり?」

 だけど、リッキーはいつも通りの優雅な微笑みを、コーヒーカップを傾けつつ向けてくれた。

「はい、たった今……。今日は連隊長はご一緒ではないのですね?」
「ああ。最近は水沢が付き添っているんだ」
「そうですか……水沢少佐が」
「そう。俺は四六時中……ロイに、べったりだからね。今、独り時間を堪能中。小うるさい面倒な同い年上官がいないと、たまにはほっとするからね。ロイも一緒なんじゃないかなぁ?」

 いつも一緒の二人……。
 同い年であって上官と部下、上手いバランスが取れているのは、ロイよりも、このリッキーの采配だと葉月も言うぐらいだ。
 とぼけた顔で、そんな心情を語る側近に隼人は思わず微笑む。

「あ、それ……私もちょっぴし解るかも?」
「あはは! 君はレイといつも一緒。しかもプライベートまでご苦労様」

 リッキーのからかいに、隼人はちょっと照れたが……すぐにそんな気分ではなくなった。

「何か用かな? 俺の側に寄ってくるって事は余程じゃないかなぁ?」

 自分の周りの空いた席を見渡しながら、これまたリッキーは、とぼけた口調。

「ええ……まぁ……」

 いざとなると、なんだか言いにくい……。

「女でも俺の所には、面と向かってこないよ? さすがに皆の目を避けてくるぐらいだ」

 思わず、隼人は『へぇ』……なんて聞き入ってしまい、すぐに頭を振った。

「連隊長と、お話ししたいことがあって……」
「!?」

 そう言っただけなのに、リッキーは変に過剰な反応を見せ……コーヒーカップを置き、表情が変わった。

「……もしかして? 『例』の事かな?」
「!」

 今度は隼人が驚いた。
 隼人がロイに話と来たら……『それしかない』とでも言いたそうなリッキーの口振りに……。

「……そうですが……」
「……そう」

 通じたとお互いに解ったのだが、リッキーは静かに再びコーヒーカップを手にする。
 そして、隼人の背……カフェの中央へとスッと何気ない視線を走らせているのが隼人にも解る。

「もう、離れた方がいいと思うな……。レイが気にしている」
「解りました……」
「ロイに報告しておくよ。何か? レイに変化が?」
「……いいえ。彼女は元気ですよ。表向きは……」
「了解──。後で、それとなくコンタクト取るよ」

 リッキーはそう言うと、まだコーヒーも半分残っているのに、トレイを持って席を立ってしまった。

「お邪魔してしまって──」
「いや? こんな事はしょっちゅうだ。食事を口にした途端に呼び戻される事も良くあるしね」

 いつもの穏やかで、にこやな微笑みを残してリッキーは颯爽と去っていた。

「なんて言うか……仕草も表情も気配りも、ほんと、流石だな」

 リッキーの優雅なたたずまいの背中を見送りながら、隼人は感心の溜め息。
 だけど……初めて思った。
 彼のいつもの変わらぬ笑顔──底知れない笑顔だと初めて気が付いた。

 あの笑顔を崩さない裏で、色々な判断を瞬時に下し……そして、人に読みとられない為の『変わらぬ笑顔』じゃないかと……。

「……」
「──!」

 ふと気が付くと、訝しそうに、こちらをうかがっている葉月と視線がかち合った。
 かち合ったのだが……隼人は何事もなかった素振りでフッとトレイ置き場に向かう。
 すると……丁度、デイビットを始めとしたサワムラチーム一行がエレベーターから降りてきた。

「あれ? キャプテン! 野暮用はどうしたの?」

 食事を選ぼうと、惣菜が並ぶ棚に向かう隼人を見つけたエディが、すぐさま駆け寄ってきた。

「ああ、結構……早く終わったよ」
「そうなんだ……」

 エディはチラリと、コリンズチーム一行を見る。
 葉月がそこにいるのを確認して、野暮用がなんだったのか、それなりに気になる様子。
 あまりメンテ以外の事には神経が行き届かないエディにしては、珍しい反応かもしれなかった。

「見ているとさ……なんだかレイと中佐って、見た目安定しているようで、実は不安定ぽいっていうかぁ……」
「──! そうかな?」

 隼人はどっきり……。
 何かと『疎い』と言われているエディにまで、そう見られていると……流石に……『俺の様子が変なのだろうか?』──と。

「まぁ……いいけどね」
「……」

 もうエディの目の前は、食事の事で頭いっぱいのようで、スッと惣菜棚に行ってしまった。

「キャプテン……終わったんだ用事」
「ああ、不発だったんでね──」
「そっか。じゃぁ……また続きがあるんだ」
「大丈夫。何とかするから」
「……」

 デイビットが初めて不安そうな顔を……。
 隼人は、そんな彼の理解ある数々の態度にすっかり甘えて、すんなりと口走った事に気が付いた気分に……。

「いや……チームに迷惑になるような事はしないよ」
「違うよ。キャプテン──」

 デイビットのかしこまった表情に、隼人は釘付けになった。

「勿論──。俺たち来たばかりだから、中佐に頼っているよ。けど……だからこそ『不安』な事は、たとえ俺たちに話してくれなくても、ちゃんと心の中のモヤは気持ちよく振り払って、思い切り、俺たちと一緒にいて欲しいからね……。今は来たばかりで、見守る事しか出来ないけど……。本当に困っていることがあるなら、力になれることは協力するし……」
「……デイビット」

 改めて──自分がフロリダまで行って引き抜いてきたメンバー達の素晴らしさに、隼人は感動していた。
 でも、デイビットはちょっとばかし『来たばかりなのに生意気で余計なお世話だったか』という気後れした顔で俯いている。

「サンキュ。もし……俺が変に不安定になったら、本当に頼りきるよ」
「勿論……! その心構え、整っているよ」

 二人が微笑み合っている横……そこにニンマリと二人の先輩を見上げているメンバーが一人。

「私も! 忘れないでくださいね? これでも男性よりかは、恋愛体質向きな女性ですから。そういう事でお悩み?」
「トリッシュ!」

 自分達より小柄なので、話に夢中になっていて側に近寄ってきている事に気が付かず、隼人とデイビットは思わず飛び上がった。

「生意気だな、この!」
「きゃっ!」

 隼人がちょっとばかり目をつり上げて拳を振り上げると、トリシアは面白がって逃げていった。

「やられるな……あの年頃の女の子には!」
「あはは! トリッシュはうちのマスコットガールになりそうなほど、俺たちを楽しませてくれる存在になりそうだね。キャプテン」

 トリシアは、そのまま走り逃げ、先に食事探しに夢中なエディの後をひっついて一生懸命話しかけていた。

「フロリダ同士で、トリッシュが一番安心しているメンバーは、どうもエディのようで……」

 メンバーと一番長く時間を過ごしているデイビットが、チーム内のそんな様子も隼人に報告してくる。

「そうか……。ま、すぐには変な関係にはなりそうにないな。……なるとしても、遠そうな組み合わせだな」

 隼人は疎いエディと無邪気で若娘のトリッシュが、自然体で寄り添っているのを見つめて、ちょっと溜め息。

「だろうね……。もしそうなったら、狼狽えるのはエディの方だろうと俺は思うね」

 デイビットも、仲が良い二人を見ても……そういう心配はないだろうと逆に呆れた顔で見守っていた。

「それはそうと……良かった。今日は一緒に食事が出来る」

 デイビットの嬉しそうな笑顔……。
 隼人もそっと微笑む。
 そのうちに他の後輩達にも、あっという間に囲まれて隼人は初めてメンバー達とのランチを共にすることに……。

 そんな中、やっと席に着いたサワムラメンテチームの横を、食事を終えたコリンズチームが去っていく。

「メンテ、お疲れ! また明日も宜しくな!」

 黒髪のリュウが、気前よい敬礼をウィンクと共に投げかる挨拶をしてくれる。
 ところが……その目線の先は、金髪の女の子だった。

「リュウ大尉、お疲れ様! 昨日は、お世話になりました」

 トリシアのはつらつとした笑顔がそこにあった。

「今日はトリッシュじゃなくて、残念だったな〜」
「あら! そんな!」

 トリシアが、昨日、リュウ3号機の担当だった為かそんな会話が……。

『おやおや……』

 隼人の横にいたデイビットが苦笑いをこぼした。
 隼人も気が付いた。

 なるほど? トリシアは新しいマドンナになりそうな気配だ。

「よ。サワムラ……出来れば早めに担当を固定してくれよ」

 今度は隼人の側にデイブがやって来た。

「ええ……そのつもりです」

 いつもの笑顔でデイブに返答したその時だった。

「そうして欲しいわね……」

 デイブの背後に隠れていたように出てきたのは『葉月』。
 彼女は妙に怒ったような硬い表情だった。

『……』

 その声色がちょっとばかり、皆には普通に取れなかったようで、メンテチーム一同がフッと黙り込んだ。
 隼人も、葉月のいつない様子に気が付いて席から彼女を見上げる。

「大佐……何か?」

 まさか、先ほどのリッキーとの接触を不審に思っての反応ではないだろうな? と、隼人も硬い面持ちに……。

「昨日の担当に、スロットルを『ややきつめに絞めるように』と頼んでおいたのに……そんなに感触が変わっていなかったわ。伝達、忘れていないでしょうね?」
「!」

 葉月のその発言に、隼人はハッとし……急に心が凍りつく感触に……。

「いえ! 私は昨日、甲板をあがる前に、大佐の指示通りに整備をしましたけど──!」

 慌てるように、隼人と葉月の間に滑り込んできたのは……昨日、葉月の2号機を担当した三宅だった。
 彼は葉月の機体の担当を希望している。
 だから……彼は自分がした事に、不備がないと『大佐嬢』に訴えるかのよう……。

 すると……葉月が溜め息をついて、メンテチームを見渡す。
 チームメンバー達の誰もが『ゴクリ』と喉を動かしたかのように、食事の手を止めて緊張した様子に。
 デイブはなんだか分かっているかのように、葉月がする事を黙って見ているだけ……。
 隼人もそのまま葉月の言葉を待ってみる。

「……だったら、私が心配したとおり……担当が固定されていないが故の『不備』のようね」

 葉月はチラリと席に座っている隼人を冷淡に見下ろしてきた。
 隼人もフッと俯く……それが、何であるか判ってしまったからだ。

「誰も悪くないわね。三宅君はちゃんと整備した。ところが今日、2号機を担当してくれたジャックがきつめになっていると思って、元通りに緩めてしまったという事になるわね? ね? コリンズキャプテン?」
「まぁ……そうだなぁ。俺の方も、ちょっと違和感があったな……」
「機体をいじくり回されているようだわ」

 『誰も悪くない』と言いつつも、そこは葉月は隼人をさらに冷ややかに見つめてくる。
 そう……その『不備』の責任は、キャプテンである隼人の不注意とばかりに……。

「申し訳ありませんでした。大佐……」
『!』

 隼人がスッと席を立って、すぐに頭を下げて詫びたので、メンバー達が驚き戸惑い始めていた。

「明日から、前日担当と本日担当の『伝達』を強化しておきます。教えていただいて……」
「まぁ……サワムラ。まだ、始まったばかりだし……」
「……」

 デイブは、にこやかに労ってくれるのだが、葉月は変わらず淡々とした様子は崩さない。
 その上、そのままスッと去っていった……。

「すまないな……サワムラ。なんだか今日は不機嫌で……」

 なぜかデイブが葉月の事を詫びてくる。
 いつもは隼人が彼女の訳の分からない態度を詫びたりするのに……。

「いえ。いつもの事ですし……彼女の言い分は当然の所ですから……」

 隼人もなにげなく笑顔を浮かべると、デイブはホッとしたように葉月を追いかけていった。

「……」

 『不機嫌』とは気が付かなかった。
 葉月は、昨夜の『夢』もなかった事のように、朝は例の訓練への意気込みで元気だったのに……。

「やっぱり、大佐は大佐かも……」

 食事が再開した中、三宅が胸を押さえながら、ちょっと怯えた顔をしていた。

「本当……ああいう時は『流石の冷たさ』って感じだな」

 今日、葉月の機体のスロットルを緩め直してしまったジャックも、溜め息をついていた。

「俺が指示しきれなかったんだから……皆は気に病まなくてもいいんだよ」

 隼人はそんな風に葉月を変な風に『畏怖』し始めたメンバーに取り繕った。

「でも、レイは間違っていないな」

 やっぱりエディは葉月よりなのか? 葉月の言い分を擁護しようとする。
 エディは元より、葉月の機体担当を決めてもらっていたのに、今の『ローテンション担当』に苛立ちを持っているからかもしれないが……。
 隼人は苦笑いで流しておいた。

「お、エディ。和食に挑戦か?」

 少しばかり沈んでしまったサワムラチームのランチタイムを和やかにしようと思ったのか、デイビットは隣に座っているエディのトレイを覗き込む。

「うん! この茶色くて水っぽい魚。一度食べたら結構口にあったから。今日も!」
「それ、煮付けって言うんだよ」

 エディの妙な表現に眉をひそめた三宅が、不服そうに説明を始める。

 そんな調子で、三カ国混じり合っているサワムラメンテチームの食事がちょっとした笑いで和み始めた。

「なんか……大変なんだろうね。中佐は……」

 デイビットも、葉月の様子には少し調子が沈んだようだった。

「いつもの事なので慣れっこさ……」

 隼人はまた、それとない笑顔で誤魔化した。

 コリンズチームがエレベーターに消えてゆく。

(俺に対する何かを抗議するようだったなぁ……?)

 でも、隼人には葉月が当然の注意を促してくれた『意味』が通じていた。

『私の事はいいから……ちゃんと目の前の事、集中してよ!』

 きっと、甲板に出て彼女は隼人の散漫している集中力に気が付いてくれたのだろう……。
 隼人は、フッと溜め息を落とした……。

 

☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆

 

 食事を終えて、隼人は皆と別れて本部の大佐室に戻った。

 そこには既に事務作業に勤しんでいる葉月の姿。
 達也は午後の陸訓練のサポートへと山中と外へと出かけてるようで不在だった。

 無言のまま、隼人もデスクについてノートパソコンの扉を開いた。
 葉月も脇目もふらずに書類に向き合っていて、隼人が帰ってきても無言のまま。
 いつも会話も控えめに業務はしているが、なんだかぎこちない空気を隼人は感じてしまう。
 気付かれないように溜め息を小さく付いて、キーボードに指を置いた時だった……。

「謝るつもりはないけど……でも、あんな言い方でごめんなさい」
「!」

 書類から目を離さない姿勢で……葉月のそんな声が。
 その声は、先ほどの斬りつけるような冷たさでなく、隼人がいつも耳にしている彼女の柔らかい声だった。

「そう思うなら……謝るなよ」
「そうだけど……」
「確かに俺の不備。真っ先に教えてくれて有り難う。しかも後輩達の前で言ってくれると『キャプテン』としての重みが身に沁みたね……。お嬢さんのいつもの采配と言ったところかな?」
「……」

 ちょっと申し訳なさそうな顔を葉月が書類目線から上げてきた。

「……でも、ちょっとばかり八つ当たりだったかも?」
「八つ当たり?」

 隼人もそんな葉月の『──らしくない』心情告白に驚いて、ノートパソコンから顔を上げてしまった。

 そして、やっと葉月が膨れ面で黙り込んでいるのだ。

「……なんだよ?」
「……その……」
「言いたい事は、ちゃんと言ってくれないと俺もどうしようもないんだけど」
「……」

 それでも葉月は、少しばかり黙り込んでいた。
 黙っていたが、何かを決したように大佐席からやっと隼人の方へと身体を正面に向かってくる。

「確かに昨夜は、隼人さんの言葉に甘えさせてもらって色々と話したけど……それで本当に良かったの?」
「……!?」
「ある部分は良くて……本当は改めて困った事になったりしていない?」
「……葉月」

 やはり、彼女は自分の本当の心根を語った事を後悔しているようだった。
 あんな風に『心にしまっていた義兄』を、人の耳に入れた事も『初めて』になっているのだろう。
 隼人に聞いてもらって安心した反面、隼人の反応が気になり、そして……それがやっぱり『自分のせい』なのだと……そう思っているのだろう。
 それで、変に集中力を欠いている隼人に対して、『それどころじゃないだろう』と言う腹立たしさ……そして、『なぜ? 私の事を信じてくれないのだ』と不満に思っているのだと、隼人にはそう感じ取れる。

「別に、困ったりなんてしていない。昨夜も言っただろう? 葉月があんな風に話してくれる事が嬉しいのだと……」
「嬉しくても……」

 やっぱり葉月は不服そうだった。

「新たな不安? ああ、あったさ!」

 無理に……そしてありきたりに取り繕っても葉月は納得しない。
 現に葉月には、それなりに隼人の心中は殆ど見透かされているのだから。
 だから、隼人は正直な所を突き返す。

「……それで、リッキーの所に何か話しに行ったの?」
「……」

 やっぱり……葉月には誤魔化せない。
 彼女がある程度、勘づく事も覚悟でリッキーに近づいたのだから……けど……隼人は今度は誤魔化す方向へ。

「たまたま見かけたから、挨拶代わりに寄っただけだよ」
「嘘つき。もう、いいわ!」

 やっぱり、誤魔化しは通じなかった。
 いつもは自分が気にしないように『誤魔化しも不安にさせない為の隼人さんの気遣い』と分かったとしても、葉月も素知らぬふりで受け止めてくれているのだが、今回は、その手は通用しなかったようだ。

 彼女はそのまま拗ねるように無言になり、事務作業に戻ってしまった。
 隼人も今回は『譲りたくない』為、そのまま放って置く事にして、そそと業務を再開する。

「……なんでリッキーなのよ」

 それでも葉月はやっぱり納得できないらしく、事務作業にも集中できない状態に陥ったようだった。

「……私に言いたい事があるなら言えばいいじゃない? 何? 兄様の事、私から聞きたいと言っておいて、リッキーやロイ兄様じゃないと駄目な質問とかあるわけ? 兄様達と手を組んで何を企もうとしているのよ?」

『……?』

 妙にムキになっている葉月に、隼人は妙な疑問を感じた。
 まるで……義兄との事には、ロイやリッキーには首を突っ込んで欲しくない、触れないで欲しい……とでも言いたそうで、それでいて、そんな『小笠原兄様達』を頼ろうとしている隼人に非常に不満のよう……。

「どうした? もし、俺が連隊長とホプキンス中佐を頼ったら、都合が悪い事でもあるのか?」
「……別に」

 そう言った葉月だが、淡泊で冷静を装った様な口調の中にも、やはり不服さが見え隠れしている。

「ああ……そうか。連隊長は黒猫の兄貴が恋敵で、あまり良く思っていない所があるからか?」
「……」

 今度は葉月が黙り込んでしまった。

「そうか。そういう事は俺には言えない訳なんだな!」
「……そうじゃないけど……」
「そうだろう? ロイ中将から兄貴の事を聞き出して、葉月にとって俺に聞かれて都合が悪い事があるって聞こえるけどな? 俺には──!」
「──!!」

 図星だったのか、葉月がいつにない……トドメを刺されたように、衝撃的な顔をしていた。
 隼人もその葉月の顔に、驚き……切り口上だった口を締めてしまったほど。

「いや……そうだろうと分かっているけど。言い方悪かった……」
「……」

 彼女はそのまま硬直した状態で、今にも泣きそうな顔をしていた。

「……だから、良いんだよ。今はそんな葉月が本当のおまえで……昨夜言った通りに俺自身がそんな葉月を知りたいのであるのだから『困ったり』なんて事はない。……それで知った上で……」

 隼人はそこで言葉を止めた……。
 何故なら、今からしようとしている事は、葉月には『余計な事』だと思っているからだ。
 だが……『必要な事』だと判断したのだ。

「知った上で……何?」

 言葉を止めてしまた隼人が言わんとしている事を、葉月は知りたがる。

「……葉月」

 本当はロイに会ってから……彼女に言うつもりだった。
 だが……隼人は覚悟を決めて、スッと席を立ち上がり、大佐席で不安そうに顔を歪めている彼女を見下ろした。

「……なに? どうしたの?」
「葉月……」

 隼人の切羽詰まった表情に、葉月が革椅子の上で息を止めたのが判る……。

 

「俺が……兄貴に会わせてやる。会って……あるがままの自分をぶつけて来い」
「──!」

 

 沈黙が漂った……。
 けど……止まっているような空気は微弱ながら、二人の間で震えている……。

「やめて──!」
「!」

 さらに空気を大きく揺るがしたのは葉月だった!

 彼女は席を立ち上がったかと思うと、机の上にある書類やバインダーを爆発したように両手でガザッと床へと振り落としたのだ!

「葉月──!」

「何故? どうして? どうやったら、そんな事が言えるの? 私のあなたへの気持ちは『嘘』だって言っている!」

 職場で……こんなに乱れた葉月に、正直……隼人は驚いてしまい、たたずんだまま……。
 そう……一番触れても、触っても……隼人でも『駄目な箇所』をたった今……掴んでしまった!
 隼人はそう思った。

「私はお兄ちゃまとは、もう……何もない!」

 栗毛を掻きむしるように両手で鷲づかみに頭を振る葉月に、当惑する隼人ではあるが、心を鬼にして葉月に向かった。

「葉月が何もないと心に決めても……! 今までは容易に消えないと、自分で分かっているんだろう?」
「……違う!」
「いや……そうだ!」

 『違う』……そう呟きながら、困惑する葉月の姿を見て、隼人は確信する。
 それだけ『取り乱す』のだから……『それは嘘で固めた姿』を壊されたからなのだと!

「……私を信じてくれないの……」

 ややもすると葉月は涙顔で、スッと隼人を見上げた。

「信じているさ……」
「だったら……」
「いいか……葉月。それとこれとは違う問題なんだ」
「違う問題?」
「そうだ……」

 目尻に涙をためている葉月が、子供のように小首をかしげて隼人をじっと見つめ、落ち着いてきた。

「俺は……葉月が俺を信じてくれている事も、俺と信じ合いたいと欲している事も解っているよ。けど……兄貴との事は、葉月の人間的に『これからのため』に一番大事な事だと思っている」
「人間的に……これからのために……?」
「そうだ……葉月、逃げちゃ駄目だ」
「逃げる……?」
「そうだ。後ろを振り返るなとよく言うけど……。後ろを振り向いて駄目な事は『それに捕らわれる事』……。振り向いてすべき事は『それが何であったのか、核心を捉える事』……。そのすべき事から、逃げるなと俺は言っているんだ」
「……?」

 葉月はやや困惑したように首をかしげていた。

「俺も逃げない。おまえと一緒に、この事ついて一緒に向き合うために『出した答え』がこれだった。そう……受け止めて欲しい……」
「……でも……」

 それでも葉月は、呑み込めない様子だった。
 隼人としては、それでも構わないと最初から予想し、覚悟していた。

「俺の問題だとも思っている。好きにさせてくれないか……」
「……」

 葉月は黙っていた。そして……。

「よく……解らない……」

 葉月はふらりと大佐席を離れ……外に出て行こうとしていた。

「……葉月。逃げないで俺と一緒に……『向き合って、やり直そう』……」
「……」

 自動ドアの前で、葉月が立ち止まった。

「……もし、私がお兄ちゃまに会って、お兄ちゃまと何処かに行っちゃっても? それでも?」
「……そうしたら、それを選んだ葉月が、『本当の葉月』だ」
「──!?」

 葉月が振り返った。

「……捨てられても?」
「……戻ってきてくれると『信じている』」
「!」

 すると、葉月は急にそこに座り込んで泣き崩れ始めた。

「葉月……」

 隼人はそのまま自分のデスクから見守る。

「私……本当にあなたに愛されているって……これ程、強く感じた事ない……」

 彼女は座りこんだまま、膝に顔を埋めて泣きじゃくり始めた。

「……だから、もう……やめて? 解ったからやめて? 私は何処にも行かないし、隼人さんの側がいい……」
「……葉月」
「だから……変に私を……私を……」
「……解ったよ」

──『変に私を揺さぶらないで』──

 葉月がそう言いたいのだろうと、隼人は思った。
 それだけ聞き届けた隼人は、葉月の側によって彼女を大佐席まで、いたわるように連れ戻す。

 葉月は暫くは、すすり泣いていたのだが……。

 その日の夕方……。
 葉月が気を取り直して空軍ミーティングに出かけた隙を狙ったかのように、隼人の席に内線が入った。

『澤村君? ロイが……今なら話せると言っているよ』

 リッキーから頼んでいた連絡が入った。

「解りました。今すぐ、お伺いします……」

 隼人は内線を切って、席を立ち上がる。

 大佐室を出る前に、隼人はふと……葉月のデスクに振り返った。

「ごめんな……。それでも、必要だと俺は思うんだ……」

 それだけ呟いて、隼人はロイの連隊長室へと向かう──。

TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2007 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.