・・Ocean Bright・・ ◆黒猫が往く◆

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5.猫さん急便

 講義が終わった放課後。
 林に囲まれ、ひっそりと奥まった場所にある『医学生寮』。
 そこに、いつものように、医療センターからの続き小径を通って、同級生と帰寮しようとする。

 隣の青少年は、真一よりちょっと背が高い親友──『エリック』。
 同じ深緑色の肩掛け鞄、水色の夏服シャツ、紺色のスラックス。
 真一も彼も同じ栗毛。
 近頃、エリックと目線が近づく程、真一の身長も伸びた。

 クラスメート達が言うには……。

『お前達、近頃本当に目立つなー!?』
『しかも、後ろ姿は兄弟みたいだ』

 だ、そうだ……?

「なぁ? 真一、あれ……どうなった?」
「ああ、うん! 叔母の部隊にいるジョイ……っじゃなくて、フランク中佐に相談したら、一緒に手配してくれるってさ!」
「やったな! 俺たち、今回の式典で初体験じゃん? フランク中佐がそうして協力してくれるとなんだかホッとするなぁ」
「それがさー。相談したはいいけど、なんだか中佐の方が張り切っていたんだよね〜?」

 その時のジョイの張り切り具合を思い出して、真一は眉間に不安なしわを寄せる。

『なぁーんだって!? 式典で模擬店をしたい! おー! 良いじゃない♪ お兄さんに任せなさい。出し物から、場所取りから張り切っちゃうよぉー?』

 しかし、本部入り口にいるジョイの手元、彼のパソコンの周り、なんだかものすごい書類の数と、ファイルが積み上げられていて尋常じゃぁなかった。
 葉月から聞いている……『四中隊が式典の全ホスト役を請け負った』と。
 そうなると、一番この仕事の負担がかかるのは、『総合管理』を受け持っている『ジョイの班』であるのは真一にも分かった。
 だけど……葉月はこういう『イベント』は敬遠しているし、もし? 協力してくれたとしても、手際はどうだろうか? 隼人も同じような感じがするが、手配してくれるとなると、ここは葉月と違って手際よく器用にこなしてくれるだろう! と、断言できるが……メンテチームを動かし始めたばかりの彼の負担は……若叔母の甥っ子としては避けたかった。
 それで……こういう手配は、天下一品だろうジョイを頼ってみたが……。
 彼のせっかく綺麗な青い目の下は……うっすらとした『くま』が出来ていた。
 それで……真一は、ジョイは無理だと思ったのだが……。

『だーいじょうぶっ! なんたって、こういうイベントの楽しみも持たないと……もう、俺もへたばりそうだから……』
『じゃぁ……お願いしちゃおうかな? 友達にもなんだか俺のつて頼られちゃって』
『そりゃ、大変だ! 御園中隊の沽券に関わる! 任せなさい!』

 それで……甘える事にしたのだが、本当に? あんなに疲れていて大丈夫なのだろうか? と不安になる真一。

『よろしかったら……私も協力しますよ? 大佐の甥御さんだし……』
『お? テッド! 助かるなー?』
『他の出店も、同じく募金を含めていろいろな目的があるようですが、医学生がワクチン募金の為に出店すると聞いてはですね……』
『だよなぁー? 心配するな! 真一!』

 ジョイの目の前の島……その席の先頭にいる栗毛で緑色の瞳のお兄さんが、にっこりとそう言ってくれたのだ。
 勿論……初対面ではない。
 彼はずっと前から、この本部にいる……。
 けど──今までは存在感がなかったのに……。
 急に? 彼が立派なお兄さんとしての存在感を醸し出したので、真一はハッとしたのだ。

 皆……そうして真一を可愛がってくれるのは有り難いし、協力してくれないと不安な部分もあるのだが──。

「あのさ……フランク中佐に頼るばかりでもなく、教わって出来る事は、俺達でやろうよ」

 真一は……そう言っていた。

「そうだな……何から何までしてもらっちゃ……俺達が遊びでやっていると思われるしな」
「そうだよ。収益金は、ワクチン募金に出すって提案で皆でやるんだから……」
「ああ、それは同感だね」
「うん!」

 この点では、エリックとは気が合う。
 去年、一回生上の先輩達がそうしているのを見て……真一達は感化されたのだ。
 来年になれば、もっとスケジュールがきつくなる。
 ここの医学生は、殆どが、横須賀基地かもっと上、フロリダ本部の研修生になるのが目標だ。
 特に、フロリダ本部への入り口は狭い。
 そして──それが真一の今の目標だ。
 だから、今の内に、『イベント』を楽しむ、そして──有効に体験する。
 それで、模擬店出店を思いついたのだ。

『げっ……! まただぞ?』

 寮への小径を歩いていると、芝生の裏庭に、同じく水色のシャツ、紺色のタイトスカートを穿いている女の子が二人。
 真一とエリックを見つけた途端に、笑顔になり……瞳が輝き……そして、お互いの耳でささやき合っては、こちらを見てもじもじしていた。
 ……そう、二人お目当ての女の子が、また『新登場』?

 さらに? クラスメート達が言うには──!

『お揃いみたいで、余計に目立つんだよなぁ?』
『御園なんか、この前まで俺より背が低い坊ちゃんだったのに』
『しかも、軍内有名一族の一人で将来期待大だよな?』
『エリックも……親父さん、第一中隊の本部員だろう?』

 何かと『二世っ子』──いや、真一は四世っ子になるのだが……友達は羨ましがる前に……『それが揃って歩いていたら、女は気になる』という事らしい??

「先週、やっと一組追い払ったのに……! 道……変えるか?」
「目の前まで帰ってきているのに!? 知らない顔で通り過ぎれば、それでいいじゃん?」
「お前、どういう顔するんだよ! 冷たい顔で?」
「それが……心よりの親切なんじゃないの? 変な期待を持たせるより……興味ないよって意思表示だよ。明日に期待させるって気の毒? 明日から彼女らは新しい事を見つけるさ。早いほうがいいんじゃない?」
「……あのさ……時々、お前らしくない事が最近出てきて、驚くよ? 俺──」

 エリックの意思表示は──『やんわり』遠回りの帰宅経路を繰り返し、興味がない事を諭す。
 真一の意思表示は──『ばっさり』今日、この日の内に興味がない事を示し、終わらす。

 二人の意見が割れた。
 だが……立ち止まっていては、女の子達がやって来てしまう──。

「真一?」

 その時、後ろからそんな男性の声──!
 誰の声か分かって、真一はなんだかホッと振り返った。

「隼人兄ちゃん──」
「良かった。丁度、帰り時間だろうと思って本部を抜けてきたんだ」

 白い半袖、黒い肩章──。
 金色のマークは星ふたつにラインふたつ。
 その大人の男性がにっこりと近づいてきた為、真一とエリックの目の端に映っていた女の子達が、フッと怖じ気づいて退いていったのが分かった。

 『ばっさり』する事は出来なかったが、なんだか真一もエリックもホッとした顔。

「なぁに? 兄ちゃんが仕事中にここまでくるなんて?」
「ああ、ほら。模擬店をやるんだって? ジョイから聞いたよ」
「あ、うん……。その……忙しそうなのは分かっていたんだけど……葉月ちゃんに知られちゃったかな?」
「ああ。でも聞いて喜んでいたよ。ただし……ジョイの邪魔にならないようにってこれ」

 隼人がにっこりと一枚の紙を真一の目の前に、ヒラリとちらつかせる。

「なに? それ……」
「ジョイ流、模擬店の準備の仕方だってさ。場所の抽選会に出る手はずとか……ああ、四中隊でも何かやるらしいから、それの仕入れで合わせて出来そうな物にしてくれると、ジョイも助かるってさ」
「わっ! 俺達、ちゃんとやるやる! それだけで助かるよ〜」
「四中隊は、ジョイとフロリダ出身部員が総出で『アメリカンホットドッグ』をやるんだってさ……」
「そうなんだ! 分かった。友達と相談しておく」
「パンかソーセージを使う物にしたらどうかな?」
「そうだね、そうだね!」
「いいっすね!」

 隣で遠慮がちに声を出したエリックを、隼人がスッと見下ろした。
 そこで……エリックもハッとしたよう……。

「あの……初めまして……」
「あ、エリックだね? 彼女と真一から良く聞いているよ? お父さんのマッキンレイ少佐とも、本部同士で何度かお会いしているし」
「そうですか……」
「大佐嬢も……挨拶はまだのようだけど、真一がお世話になっている親友だから、いずれといつも言っているよ。その時はただのじゃじゃ馬嬢だから遠慮なく……お姉さんとして挨拶してくれると彼女も喜ぶだろうから、俺からも宜しく」
「いえっ……こ、光栄です、と……伝えてください!」
「あはは。本当に普通のお姉さんだよ? そんなにかしこまらなくても」

 初めてエリックは隼人と対面。
 だけど──隼人持ち前の穏和な笑顔に、あのエリックが少年のように頬を染めたのだ。

「まぁ……そういう事で、ジョイがいない時は、俺でも達也でも……ああ、そうそう、ジョイの一番助手の『ラングラー大尉』に何でも相談してくれたら良いよ」
「ラングラー大尉って……テッドって呼ばれている栗毛のお兄さん?」
「そうそう。真一がワクチン募金の模擬店をするって話に感化されたみたいで。将来、葉月の優秀な補佐候補だよ」
「そうなんだ!」
「テッドが葉月に真一の事を褒めていて、葉月も鼻が高そうだったぞ〜」

 隼人が茶目っ気ある笑顔で、真一をからかうように、鼻をツンと指でつつく。
 真一は『にゃっ』と思わず目をつむってしまった。
 横で、すっかり子供扱いの真一を、エリックが笑いを堪えて見ていたのだ。

「じゃぁ……そういう事で。俺も片手間の伝言で悪いけど、真一の事だからって無理言って抜け出してきたんだ」
「あ! そうなんだ……有り難う! 兄ちゃん!」
「いやいや──じゃぁな、頑張れよ!」

 隼人は、颯爽と手を振って去っていった。

「へぇ……ああいう人なんだ。お前の姉さんの『彼氏』って! なんだか解るな〜!?」

 隼人からそよいで来た『爽やかな風』に、エリックはすっかり気圧されたようだった。 

「だろ、だろ? とぉっても優しいんだぁ……」
「特別なんだろうな? お前の姉さんが側に置くぐらいだから……。それにあの姉さんを『普通』だってさ! なんだか余裕!」
「うんうん」

 満足そうな真一を、エリックが呆れたような微笑み。

「さっきの『ばっさり君』は何だったんだろうなぁ?」

 冷たい青少年から無邪気な少年に変貌した真一を見て、エリックは不思議そうだった。

(親父みたいにはならないもんねっ)

 そう──若叔母と父親の『みょーな男女の匂い』に気が付いてから、真一も一人色々と考えた。

(きっと……親父は葉月ちゃんを引っ張っては、はね除けていたんだ。俺と会う時みたいにね!)

 真一はむっすり。
 そんな顔になった真一にもエリックは訝しそうに首を傾げていた。

 さぁ──やっとくつろげる寮に帰ろうとした時だった。

「えー。こちらですかね? 医学生寮って言うのは?」

 また……男の人の声。
 今度は隼人と違って、変に低い声だった。

「そうですよ」

 すぐさま答えたのはエリック。
 真一も遅れて振り返った──。

『!』

 その顔、姿を見て……真一の動きが止まった──!

「たった一つのお届け物なんですけどね……基地中に配送してこれが最後の一個だったので……」

 そこには……配達業者の制服を着た、背が高い高い黒髪の男性が、つばがある制帽のひさしからにっこりと……黒い瞳を輝かせていた。

 

『親父──!』

 

 そう、目の前には……あの男!
 満面に微笑んでいるのに、なんでこんなに隼人と違うの? という程……うさんくさい満面の笑顔を携えている。

「ええっと? お届け先は『御園真一様』ですねぇ〜」

 驚きもあったが……なんだか真一はすっかりしらけた目つきを向けていたのだ。 

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「ああ、御園って言うのはこいつの事ですけど──」

 いつも真一よりはきはきしているエリックが、素早く『宅配屋』に答えた。
 真一としては渋い顔。

「おや? 偶然ですね〜。良かった!」

 また、らしくない笑顔でニコニコしている父親を見て、真一は目を細めるだけ。

「あー。でも! 寮管理官主を通してもらわないと! 『いかがわしい荷物』があったらいけないから、勝手には受け取れないんだ!」
「あ……そうですか」

 まるでケチを付けるように言い放った真一のいつにないムキのなりように、エリックが横で固まっていた。
 それに対して、そう……やっといつもの冷たい眼差しで表情を引き締める父親が真一をスッと上から見下ろす。

「では……そういたしましょう──」

 ベージュに緑のライン、黒猫の刺繍が入っている帽子に、作業制服。
 その業者風の姿でも、颯爽とした身のこなしで、純一が真一達を交わしていった。
 そして──純一は細長い背中を見せて、寮の玄関へと何食わぬ顔で向かっていく。

「なぁ? どうしたんだよ、真一? あの人が持っていた細い箱、宛先ラベルにお前の名前書いてあったのに……」
「いいんだよ。決まりは、決まりなんだから──!」

 エリックがいなければ、そのまま受け取っていたかもしれない?
 だが……こうも易々基地内に侵入してきた父親に驚きはしないが、そこまで出来るくせに、なにも……友達がいる時に声をかけるなんて!
 そうなったら……知り合いだと悟られないように、ただ受け取って……彼がそのまま去っていくのを易々許す形になってしまう。
 寮管理官を通しての受け取りは、規則と言えば規則だ。
 だが……今のように、中に入っている業者と言うのは、きちんとした検問を終えて基地内で配送する。
 だから……基地内にいる業者には、皆は安心感を持っているのだ。
 なので、それほど、皆が気にしない規制が緩い『基地内配達』。
 それに対して、真一が生真面目に突きつけた事に、エリックは『そこまでするか?』と訝しそうだ。

「だって。見た事ない業者だもん」
「でも……有名な黒猫の刺繍がしてあっただろ?」
「色が違うもん」
「色々な制服があるんだろう?」
「会社名が『猫急便』だったもん。本物の会社の正式名とは違っていた」
「え?」

 エリックは驚いて振り返った。
 去っていく男の背中を彼は凝視する。

「……ここからじゃ、判らないなぁ?」

 そう、本当に小さな刺繍だったのだ。
 だけど、真一は見逃さなかった。

『こんにちはー!』

 父がそれでも、なに怯むことなく玄関で叫んだので、真一の身体は硬直した。

『はーい!』

 そして寮看守官の夏目の声……。

『お荷物のお届けなんですが……』
『あー。はいはい』

 夏目が愛想良い笑顔で、父の目の前に現れる。
 真一は固唾を呑んで見守る。
 『顔、見られても平気なの?』と、そんなちょっとの心配をしたが、父・純一はなんら動じることなく、本当に宅配業者のように堂々としている。

『これ、一つなんですけどね──』
『ああ。確かに、うちの寮生ですね──はい、お届け主も私が知っている方ですね』

 純一が、茶紙で包装されている細長い箱を夏目に差し出す。

(お届け主って? 誰! 夏目さんも知っている人? 右京おじちゃんの名前を借りたのかな?)

 真一はそんな風に予想したが……果たして?
 と、父がチラリと、後ろにいる真一に振り返る。
 その目線を気にした夏目も、真一とエリックの帰寮を目に止めたようだ。

「おや? 本人がそこにいますね」
「看守官を通さないと、受け取れないとおっしゃるので……」
「はぁ? それは手厳しい……」

 夏目が苦笑いをこぼしている。

「規則をきっちり守るとは、しつけが行き届いていますね」
「いやいや? たまたまのようで……」

 そこで夏目がお決まりの如く、制服のポケットから印鑑を取り出した。
 そして……。

「……猫急便? えっと……あまり聞いた事がない業者ですね?」
「……そうですか? まぁ……個人事業ですのでねぇ……。たまたまこちらの荷物を依頼されたので……」
「はぁ……。わざわざこんな離島まで?」
「そうでもしないと仕事がない個人事業なので。それにうちの売りは『何処へでも!』ですからね」

 これまた『何処へでも!』という部分を大声で強調するのが、真一に突き刺さる。

(くそ親父〜! 俺が自分で届けに来いって言ったあてつけか!?)

 真一はムッとした。
 そんな業者の妙な口調に夏目が首を傾げる。
 そして──夏目は訝しそうに、帽子を目深に被っている純一の顔を覗き込んだ。

「──!? あの……どこかで?」
「いいえ? お初目ですが?」

 真一はその会話を聞き届けて、ドキドキしてきた!

「……!」

 なんだか夏目の表情が急変した!
 それに……純一と真一の顔を交互に眺め始める!

「あの? その……」
「印鑑、頂けますか?」
「あ、ええ……」

 狼狽し始めた夏目を見て……真一は走り出す!

「ありがとう! 猫急便さん!」

 夏目が印鑑を押すなり、真一はその箱をサッと受け取った。

(やっぱり! 右京おじちゃんの名前を借りたんだ!)

 宛先ラベルには……『ぬけぬけ』と? 父とは一番親しかったという右京の名前に、鎌倉の住所。
 真一は、チラリと冷ややかに父親を見上げた。
 やっぱり、何食わぬ動じない眼差しとかち合う。

「御園君──あの……」

 夏目の動揺した顔……。

「あの! この前の誕生日に右京おじが……時計を買ってくれるっていってくれたんだけど……その……品切れで! それで今日届いたみたいで!」

 真一がしどろもどろに言うほど、夏目は不審そうに父親を見上げる。

「で! なんだか? どんな手を使っても、早く届けるって言っていたから! 無理が利くこの猫急便に頼んだんじゃないかと思うんです!」
「……そ、そうかい?」

 眉をひそめている夏目を見て……純一がクスクスと笑いをこぼし始める。

「そーなんですよぉ。ええ、御園の右京さんはお得意様で。結構、『こっちをはずんでくれるので』ねぇ」

 そして純一は、お金を現す指の輪っかを作って、夏目に軽やかに笑った。

「ああ、そ、そうですか……ええ、すみません……なんだか、ちょっと昔の知人……いえ、知っていた男性を思い出しましてね?」
「こんな顔、何処でもいますからね。そういう事もあるでしょう」

 (うわぁ! 夏目さん……やっぱり親父と同世代って事は!?)

 そうだ、そうだ! 小笠原にいるぐらいだ! 夏目も若い頃は横須賀基地にいたかもしれない!?
 真一はヒヤリとした汗が背中からにじみ出てくるのが分かる。
 けど……横にいる長身の男性は、にこやかに……そして、涼しい顔をしているだけだった。

「似ていますね」

 さらに、まだ訝しそうな夏目の一言に、真一の頬は燃え上がるほど緊張!

「ああ! 猫急便さん! お、おじさんに届けて欲しい物が!」
「おや? そうですか? 御園の『ぼっちゃん』なら右京さんに免じてサービスでお届け致しますよ」
「! ちゃんと払うよ!!」
「あはは!」

 ムキになった真一を、夏目もエリックも唖然と見ている。

「ちょっと、エリック!」

 真一は友達の腕を引っ張って、ロビーに引き入れた。

「なんだよ? 真一……知り合いみたいな感じじゃないか?」

 エリックにも不審がられて、真一はヒヤヒヤ……。
 まさか……こうも堂々とやってのけられるとは思っていなかったのだ。

「まぁ……ああいう人を食った業者だから、俺、苦手なんだよ!」
「それで? あんな風に夏目官主に届けろってたきつけたのか?」
「まぁ……うん……そうなんだけど……。それで……俺が部屋に荷物を取りに行く間、あの人が帰ってしまわないよう見張っていてよ!」
「ああ……まぁ、いいけどな? 仕事だから逃げないだろう?」
「だーって! あんな態度の人だよ? おじちゃんが言っていたんだ! なんでもやってくれる業者がいるけど、『うさんくさい』て!」
「そうは見えないけど……」

 エリックはチラリと、父の方へと肩越しに視線を流す。

「いや! あの人の『サービス』って言うのが怪しんだよ! まぁ……やってくれる人だとは聞いているけど?」
「分かったよ。早く行ってこいよ」

 なんだか訳の分からない苛立ちを募らせたエリックが、真一の背中を押した。

 真一は『ごめん!』と合掌をして、部屋へと向かう!
 二回生になってから部屋は二階に……真一は階段を駆け上がった!

(ああ……もう、どうしよう……!?)

 荷物なんてないのに……夏目の探るような視線を避ける為に出た咄嗟の嘘。

(もう──親父があんな堂々と届けに来るとは思わなかったよぉ……)

 人前に姿を現したのも初めての事だ。

 真一は部屋に入って……なんとか頭脳回路をくるくると回した。

(そ、そうだ──!)

 急にひらめいて、真一は自分専用のクローゼットへと駆けた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 咄嗟に思いついた物を手にして、真一は急いでロビーに戻った。

(あの親父の事! 用事が済んだと思って……)

 胸が……切なく引き締まった。
 階段の途中で、急がなくてはならないのに足が止まってしまった──。

(……そう、自分の事だけなんだ……あの人は)

 持ってきた咄嗟の物と、受け取った細長い箱を見下ろした。

 これが……父の愛情の形?
 これだけの事?
 真一はそれだけじゃ満足していない。
 だから、エドの前で反抗的になり、あまつさえ、涙だって流した。
 だけど──父の姿は時計だけだ。

 もし? ロビーにもういなかったら?
 もう──駄目かもしれない。
 そう思った……。

 今度はそれを確かめたくないような……恐ろしい気持ちが真一を襲う。
 足取りは、ゆっくりとした速度に変わっていた。

「おーい、早くしろよ!」

 最後の階段をゆっくり降りていると、見張ってくれていたエリックの声──。

「別段……逃げようなんて感じじゃないけど?」

 エリックがちらりと視線を走らせた先には……ロビーに背を向けて玄関先で煙草を吸っている長身の男性。
 そして──夏目がカウンター席で、まだ……訝しい不審な目つきで、その父の背を見張っているかのよう……。

(待っていてくれたんだ!?)

 それを期待していたのに、ああしてのんびりと待っていてくれた姿。
 それを見ただけで……真一の胸の奥で、何か熱い物がこみ上げてきたかのよう……。

「お、お待たせ……」

 そんないつらしくない彼の背に、恐る恐る声をかける。

「いいえ。丁度、一服出来たので──」

 そう言った父の目は……もう、変なうさんくさい取り繕った眼差しでなく、真一がよく知っている静かな視線だった。

 不思議がっているエリックも、そして、夏目までカウンターから出てきてしまい、真一の側にやって来てしまった。
 また……真一はヒヤリとしたのだが……。

「時計の修理ですか? 右京さんがもし、あなたからそういう言づてがあったら預かるようにと言われていたので……」

 淡々とした父の声に真一は驚いた!
 口の端に煙草をくわえたまま……彼はいつもの冷静な眼差しで、そう言ったのだ。
 夏目と親友を前に……もう打つ手も思いつかなかった真一の為に……そう考えてくれたのだろうか?

「……そうです。これ……」

 そしてもっと驚いたのは、真一がクローゼットから『咄嗟』に持ってきたのは、そう──父が誕生日ごとに届けてくれた時計のひとつだったから……なんだか見抜かれているようで驚いたのだ。
 その黒い立方形の箱を差し出した。

「どれ……?」

 その箱を受け取った父が、 何の躊躇いもなく蓋を開ける。

「おや? 確かに調子が悪いようですが、どうなんでしょうね……ちょっとゆっくり見させて頂けますか? 私、そういう心得もあるので……」
「そ、そう? じゃぁ……ええっと」
「明るいところで眺めたいので、そこの海際までおつきあい頂けますか? ほら……やっぱり監視の目がないとね? 勝手に持って行かれたなんてならないように立ち会いして頂きたいのですが?」
「……!?」

 ただ受け答えに詰まってばかりの真一に対し、父はもっともらしく先へと言葉を連ね、真一を連れ出そうとしている!?
 そんな彼の初めての様子に、真一はただ……唖然として父を見上げていた。

「ああ、看守さん。心配しないでください。そこの……寮の出口、そこ以上はこちらの坊ちゃん連れ出したりしませんから」
「……ええ、よろしいですよ」

 妙に確信したような夏目の落ち着いた眼差し、そして即刻返ってきた『了解』の返事にも真一は驚いた。さらに──。

「エリック……お邪魔してはいけないから、先に行っていなさい」
「あ、ええ……分かりました」

 エリックは始終、不思議そうだったが……夏目が言い聞かそうとする優しい声に促されて、彼は自室へ向かう階段へと消えていった。

「有り難う──夏目さん」
「!」

 まるで知り合いのように、父が神妙にそう言った!

「いいえ……どうぞ、ごゆっくり……」
「御園嬢にも連隊長にも報告しても構いませんよ。あなたの責任への負担にはなりたくないので──」
「いいえ。報告はいたしません。私はあちらの事情はお聞きしていても、首を突っ込む立場ではありませんから──。こうまでするには何かあってのこと。それに……御園嬢がどうというより、私はその子の事を一番心配しております。彼が嫌がるなら別ですが? そうではない様で……。当然でしょうね……血の繋がりがあるあなたが現れたのですから……私はそういう事の方が報告するより大事だと思いますよ」
「痛み入ります……『この子』が世話になっているようで……」
「どの子も一緒ですから──」

 しかも! いつもふてぶてしい父が……丁寧に礼儀正しく夏目に頭を下げたので、真一はあまりの驚きの連続に横でただ固まっている事しかできない。
 それに夏目と父の分かりきった会話。
 そして、夏目がやっぱり御園の事情を聞かされている事も……予想はしていたが、真一としは改めてのちょっとした衝撃だった。
 だって……『血の繋がりがある』なんて! 親族以外の第三者が見抜いた、知っている事なんて今までなかったのだから!
 つい最近、隼人が知ってしまった事にだって動揺していたぐらいなのに……。

「あなたが無事だったという驚きはありましたが……良かったですね」
「……いえ」
「では、猫急便さん……うちの子、預けますよ」
「有り難うございます──」

 夏目の穏やかな笑顔に、純一はひたすら神妙に頭を下げるだけだ。
 彼は、カウンター奥の事務室に姿を消していった。

「……初めて言葉を交わしたが、あの方も同じ時期に横須賀にいたからな……。皐月が目立っていたから、俺の事も知っていたのだろう」
「!……でも! 親父? そこまで判っていて、よく堂々と夏目さんの前に!」

 すると、帽子のつばをつまんで、彼がニヤリと真一を見下ろした。

「ガキは判っていないな」
「何が!」

 またもやムキになる息子に向かって、余裕のニヤリ顔。

「彼は、お前が入寮する時に赴任してきた。つまりは──右京と京介オジキが探し当てた『適任さん』って事さ」
「!」
「感謝しろ。勿論、お前に限らず、『何処の子も一緒』というぐらいだ。仕事に関しては全うな精神の持ち主だからこそ、たくさんの未成年を離島で預かる職を安定させている。だが──間違いなく、お前の事を聞かされて、彼は御園に協力してくれているんだ。彼が気が付かなければ、そのまま流したが。やっぱり──あの人は京介オジキが目を付けただけあったな──俺が礼を言わずに去れるか? お前が世話になっているのに」
「……」

 さらに真一は……戸惑いながら、唖然とするだけ。
 こんな風に彼が本当に父親としての礼儀を自分の前で見せてくれるなんて!?
 期待はしていても、諦めていた事……だけど、現実起こっている事。
 夢のようで? 信じられなかった。

「時間がない。いくぞ──」
「え? ええ??」

 しかも……逞しい腕が、真一の肩を強引にさらっていく。
 強い力が、真一を前へ、前へと連れ去っていくのだ!

「ちょ、ちょっと! 離せよ!」

 素直に現れたかと思ったら、こうして強引に前へとつれて行く……。
 本当に勝手だ!
 真一の気持ち、戸惑いも喜びも、そして……納得していない『不信感』も全て……解っていない!

 だから、真一は肩を回して、純一の腕を振りほどく。
 帽子のひさしから、そんな息子を涼やかに見下ろす父の眼差しとかち合う。

「──返す。どこも調子は悪くない」

 その途端に、ポイッと真一が渡した黒い立方形の箱を投げられた。
 真一もそれを受け取った。

「俺との話はないのか? あるからエドに言付けをしたのではないか?」
「……」

 真一は唇をとがらせた。

(俺があんたと会いたいから、会いに来たっていうのかよ?)

 そう……真一が望めば来る、望まなければこの人はあっさり来ない人なのだ。
 だが……そんな真一を見下ろして、純一は作業服のポケットに両手を突っ込んで、溜め息ひとつ。

「……17歳か。もう、時計なんて子供じみた手では、通用しないって事だろ? お前が欲しいのは時計じゃない。俺からの届け物でもない……だろ?」
「……」

 真一は黙っていた。
 そして──父は林の小径の向こう、寮の出口にある海辺へと視線を馳せていた。

「お前になくても、俺の方は話がある。つきあってくれ」
「!」

 あの動じない眼差しが、真一を一時……真っ直ぐに逃げずに見つめていた。
 黒い瞳は……育ててくれた真叔父によく似ている。
 大きくて、とても輝く黒い瞳。

 いつになく向こうから話しかけてくれている。
 それが『うっとり』も混ざっているし……『びっくり』も混ざった変な気持ちだった。

「行くぞ」

 そして、父は背筋を伸ばして真一の先を颯爽と歩き出した。
 真一は慌てて、その背を追う。

 だけど──なんだか途中から、そんな父の背が遠く感じた。
 すぐ、目の前にあるのに──。
 だから──真一は追いかけるように必死に、大股で歩く父を追う。

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