・・Ocean Bright・・ ◆ウサギ覚醒◆

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11.燃える鳥

 空母艦を起点としているフライトチームは、その上空で十機全機、滑走路へと次なる演技に向かおうとしていた。
 ただし……デイブと葉月の機体のみ……他の八機とは違う方向へ向かう。

 他の八機は、滑走路の左右に分かれる手はずだ。
 四機対四機で、滑走路上、観客席や見物客が集まる目の前で、交差するのだ。
 その前に、デイブの機体は沖合の上空から……葉月は高官棟の上空、山側から四機が交差する寸前に、その間を縫って二機が交差する。
 その後直ぐに、四機が交差するという、交差に交差を瞬時に繰り返す荒技だ。

 数年前に一度している演技ではあるが、いつ事故を起こしてもおかしくない程、危険度が高い。
 チームワークが揃っている事もさることながら、お互いの交差する時に対する機体との息の合い方が揃わないと、いつだって事故になる危険がある。
 だが──ここ一ヶ月以上の訓練で、その勘は見事に、チーム一同取り戻し、完全たる演技に仕上がっていた。

「お嬢様──山側から切り込むようですね」
「ああ……」

 金網フェンスの側で見物をしている黒猫ファミリーの頭上には、左右に別れた片側の四機が揃って滑走路に向かってこようとしている瞬間だった。
 青い噴煙を一瞬だけ引いていった一機のみが、町上空から山側に飛び去っていった。
 それが『二号機』だと思ったのだ。

「今度は……彼女、どこから来るの?」
「山側から、あの基地中央の建物の上から……」

 純一の側で空ばかり見上げていたアリスは、先程から『どれが彼女なのか』とばかり聞いてくる。
 それも純一でなく、ジュールにばかり……。
 それでもジュールは根気よく答を返していた──『今演技している中にはいないと思う』という返答が暫く続いていた。

 もしかすると、五機編成の演技の中に混ざっている可能性もあるが、それはジュールには確認出来ない。
 だが──全機演技であるタッククロスと、葉月が担当であるコークスクリューには必ず見られると教えたのだ。
 そのタッククロスの体勢に入ると、純一がもたれていた金網から背筋を伸ばし、緊張をした面持ちで滑走路に目を凝らしていた。

「でも──! 彼女が飛ぶだろう軌道と垂直に四機……向こうからも四機、向かって来ているじゃない!」

 アリスはヒヤッとした青ざめた顔で声を上げ、ジュールに答を求めた。
 このままでは……彼女は両方から向かってくる八機に挟まれかねない『フォーメーション』だったから!
 すると、目の前のジュールがフッと微笑んだ。
 そして真顔で滑走路を真剣に見つめている純一さえも……。

「その通りさ──その八機が交差する前に……沖合からくるキャプテン機と義妹様はすり抜けて交差する。そういう演技だ」
「うそっ!」

 ジュールのそんな余裕ある返事に、アリスは驚き、次には金網に飛びついていた。
 もう──頭上には四機……飛び込んでこようとしている。
 沖合からも一機、そして山側から一機姿を現し、この二機に限っては、既に上空からの急降下を始めていた!

──『義妹はとんでもないお転婆だ』──
──『俺達が思いもしない危険な所も、飛び込んでいく……そういう命知らずのバカ妹だ』──

『!!』

 アリスが見開く大きな青い瞳には、その空気の中を勇ましく切り込んでいく『鳥』がいた!
 あれが……あれが! 私の愛する人を掴んで離さない『物』!!

 足がすくんでいるのが分かる。
 彼女の姿は見えない。
 だけど──そこに彼女がいた!
 ギリギリの極限に突っ込んでいこうとしているまるで『火の鳥』のような『姿』がそこにある!
 アリスには見える!
 その燃えさかる瞳と、何にも捕らわれずに突っ込んでいく……何かに対して燃え尽きていこうとしているような……そんな凄まじさ!
 そして……その果てに見えたのは『儚さ』!?

──『でも──義妹は、とても儚くて脆い』──

 その意味も分かったような気がする!?
 彼女……燃え尽きようとしている?
 アリスにはそんな風に見えた。
 何故? そんなに突き進んで燃え尽きようとしているの?
 そんな声が、心の中で叫ばれていたが、足が震え、金網を握っている手に汗をかいているアリスには、声にはならなかったぐらいだ。

──ゴゥゥウーーー!!──

 八方から滑走路中央、一点に集まってくる『凄まじい轟音』がまるで立体のステレオのように耳をつんざく!
 心なしか、会場の観客達の賑やかな声も健在でありながらも、緊張に包まれ、それでいてやや静まりかえったような気さえする程……手に汗握る瞬間が近づいてきていた!

「来たな──!」

 あの静かな純一ですら……眼差しを光らせながら、金網に張り付いた!
 彼の眼差しが、見た事のない強い輝きをみせていた。
 心配とか……見ていられないとか、そういう眼差しではなかった!
 何か『やってみせろ』というような……『期待心』にて、今心躍る気持ちだと言わんばかりの、不敵な笑顔すら浮かべているではないか!?

 そんな彼を見て、アリスは良く分からないが愕然とした。
 彼女への『期待』が、今……隣にいる男の瞳を見た事がない強さに輝かせているのだから!

 だが──そんなアリスを落ち込ませる暇もない程、今はそれどころでない光景が目の前で繰り広げられている!
 アリス達がいる頭上には、海上から向かって来ていた四機が既に降下、交差前の傾斜飛行に移っていて、もう滑走路中央、交差点は直ぐ目の前!
 まだ──その四機の交差線上を、縦に割ってはいる二機は交差していない!
 でも、もう滑走路の地面目の前の低い位置まで降下していて、それこそ交差する前に滑走路に翼がつくのではないか!? というぐらいの体勢に入っている所!

「ああ……!!」

 アリスは目を覆った……!
 が、思い直して、直ぐに真っ直ぐに滑走路中央に目を馳せる!

 『わぁ』とした歓声が滑走路上に広がった瞬間。
 二機が交差し、彼女の機体は、海上へと抜けていく!
 その直ぐ後に、見事に四機で対する八機が交差していった!

「よし──!」
「流石──行きましたね!」

 純一とジュールが揃って身を乗り出し、満足そうな満面の微笑みを浮かべ、空を見上げた。
 二人とも本当に満足そうで、清々しい、自分達が何かを達したような顔をしているのだ。

『ふぅ……』

 それでも、アリスが震えているその隣で、純一がネクタイを緩めていた。

「前もヒヤヒヤした……今日もやっぱり、一度している事とは言え……参ったな」

 フッと、彼が緩く微笑む。
 その額には汗が滲んでいるではないか?
 むしろ、ジュールの方が『彼女は出来て当たり前』という涼やかな顔をしている。

(これじゃぁ……流石のジュンも気が気じゃないってワケね……)

 信じていながらも義兄としての心配も、確実に持っている事も見てしまった気がする。
 アリスはがっくりうなだれた。
 彼が『参った』などと言うなんて……。
 こんな彼──見た事がない。
 見た事がないが……『人らしい』そんな純一を見てしまった気がした。

『義妹は……』

 彼を人として生かしている?
 彼のこんな人らしい所。
 鉄仮面のように冷徹な『黒猫のボス』でなくてはいけない……そんな強靱であるべき『彼』をこんな風に、ありきたりな人としての『意味』を……彼女は持たせている?

 そんな気さえした。
 それと共に──彼女の『燃え尽きようとしている儚さ』は強烈に感じた。
 まだ──アリスの勝手なイメージだから、彼女と会わないと確実ではないけど……。
 それが飛行機に乗っている彼女から感じた『印象』だった。

 純一という『男』そして『人』に対し、そんな風に燃え尽きていこうと向かっている彼女が、彼を引っ張っている? 進ませている?
 初めて、そんな風にも見えたし──その『燃え尽きよう』としている彼女を追う彼が……彼女の手を必死に掴んで離さず、何かからとどめているような……そんな光景がふっと浮かんだ。

 お互いのなにか……人としての弱さも強さも、よく知り分けていて、それでいて──離れていても『信じ合っている』、『思い合っている』。
 その『想いの強さ』が……なんだか二人だけの、二人だけが知り得る物で、誰も入る余地のない、壮大な物に感じられてきた。

 アリスの瞳に……自然と涙が溢れてきていた。

「……アリス」
「もう……何も言わないで……」

 そんなアリスを純一は触ろうとしないが、そう言葉だけはかけてきた。
 だけど──もう、充分だ。

「凄かったですね〜いや、流石……お嬢様」
「ご苦労、エド──」

 一番大詰めの場面を見学していた中にエドはいなかった。
 その彼が今……観客の歓喜の中、両手に飲み物を持って、この金網外に潜んでいる黒猫一行の元に戻ってきた所。
 エドはこのアリスと純一が無言で向き合う重い空気に耐えられずに、『飲み物を仕入れてきます』と言い出して、抜け出していたのだ。

「中にそれとなく入場しましたが、皆、空に釘付けのようで……私も今、戻ってくる途中で見ましたけど──流石でしたね!」
「ああ……俺もヒヤッとしていた所だ」
「そうですよね……本当にそうでしたでしょう。ボスは……」

 エドはまず、純一にアイスコーヒーを差し出した。
 紙コップにストローが差してある、デリバリータイプの物だった。
 アリスにはアイスカフェオレ、ジュールも同じ物だったようで、エドがそれぞれに渡し、自分の分を最後に手にしてホッとした様子で一息ついていた。

 するとエドは、慌ててその一息の一口を飲み干したかと思うと、純一にこう言い出した。

「ボス。この飲み物ですね……滑走路隣にある陸訓練のグラウンドで行われている模擬店で購入したんですが……」
「それが?」

 純一の目の前は、タッククロスが終わった為に、次なる最後の演技、山場へと意識が傾いている様子だ。

「あの……ご子息が模擬店を出店していましたよ。ご学友と、ワクチン募金を兼ねて……チラッとだけ確認しただけですけど……」
「ほぅー」
「へぇ……そんな事をやる年頃になったのか」

「!?」

 また、アリスの耳がぴくっと反応する。
 今度は『息子』だ!

 エドの報告に純一は、無関係そうな顔をしているが、エドはなにやら興奮しているようで? ジュールは明るい笑顔で興味津々のようだ。

 すると、純一がジャケットの裏ポケットから、お札を一枚取り出し、それをエドに差し出した。

「悪いが……もう一度、行ってくれるか? ショーが終わってからで良い……」
「も、勿論ですよ!」
「別に俺に頼まれたとか……そういう事は言わないで良い」
「ですけど……」
「言わなくても分かるだろうさ……あからさまに分かっても、ボウズはなんて言うか、それも分かっている」

 そこで、純一は可笑しそうにクスクスと笑い出していた。

「エドの姿をみれば……“真一”は、なんでも見通すさ……そういうボウズだ」
「……そうですね。かしこまりました」

 『シンイチ』──そう聞こえた。
 アリスはそちらも気になってしまう。
 すると──。

「ショーが終わってから……エドと一緒に行ってみたらどうだ?」
「え!?」

 滑走路を見据えたままの純一が……アリスにそう囁いた。

「ボウズがこの祭典の為の模擬店をしているそうだ。医学生らしく、ワクチン募金を兼ねたチャリティー出店のようだな。良かったら……協力してやってくれ」
「……え! ええっと……」

 アリスが戸惑っていると……。

「行ってこいよ。可愛らしいご子息だぞ」

 ジュールがニヤリと微笑んだのだ。
 エドもなんだか嬉しそうに微笑んでいる。

「そう……ボスにそっくりで……」
「行く! このショーが終わったらね!」

 『ボスにそっくり』の一言で、アリスはそう意気込んでいた。

「どこがだ。アイツは母親似だと何度も言っているではないか」

 純一は部下二人の言い分を静かに否定したが、部下二人の顔は『そうかな〜』という顔だった。

『母親似も興味あるわ!』

 アリスは拳を握った。

「いよいよ最後……今回の最大の山場だ……」

 側にいたジュールの表情が引き締まった。
 アリスも再び、空へと視線を戻す。

「今度は何?」

 ハラハラとする交差演技を終えて、上空には戦闘機が散った後で、轟音は沖合遠くで響いているだけだった。
 だが──微かに見る事が出来る空母艦の方向から、また……二機が旋回してこちらに向かってくるのが分かった。

「お嬢様──キャプテンと二人で、今までにない演技にチャレンジするそうだ」
「今までない挑戦?」

 ジュールの顔は真剣で、そして……スラックスのポケットに手を突っ込んで金網前にたたずんでいる純一も、微動だにしなくなり表情は硬い。
 今までにない挑戦がどういう物であるかは、アリスには解らない。

 それでも……アリスはそれを見届けようと、真剣で強い眼差しを放ち続けている純一の横で、自分も……何かを見届けようと、再度……滑走路に向き直ったのだ。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

『見事だった。皆、良くやった──陸本部の連隊長無線からも、見事との労いが届いているぞ』
『サンキュー、サー!』

 全員での息のあったタッククロスを無事に終え、葉月を含めた全機は起点である空母艦上空に舞い戻ってきた所──細川から珍しい労いの言葉に、皆が活き活きと返答をした所だった。

『さぁ──コリンズ、嬢。いよいよだ……目標は訓練中に達成出来なかったが、悔いが残らないよう精一杯やってこい!』
『ラジャー!』

『グッラック──キャプテン』
『グッラック──お嬢!』

「ああ、サンキュー。行ってくるぜ!」
「皆、有り難う。行ってきます!」

 細川の最終演目への指示、そして、最後の演目を旋回にて待機、見守る側になるメンバー達の激励。
 その声を耳にかすめ、葉月は先へと飛んでいるコリンズ機の尾翼を見つめながら追った。

「嬢──“悔いが残らないように”というお達し付きだ」
「ウフフ……そうね」

 デイブがククッと可笑しそうに笑い出す。
 葉月も同じ気持ちだったので、笑い出した。
 だが、次の瞬間──デイブの声色が変わった。

「嬢──行くぞ。打ち合わせ通りだ。『俺達らしく』やってやろうぜ」
「オッケイ! キャプテンについていきますわ」

 葉月も意気揚々と返答すると、デイブの不敵な漏らし笑いが聞こえてきた。

 もう滑走路が直ぐそこだった。

「いつも通り、俺が先に行く──すぐ来い」
「ラジャー」

 デイブの機体が葉月の視界から消えた。
 訓練で何度も試してきた『位置』を葉月は視線を左右に振りながら素早く確認する。
 目の前の山の位置、左右の高い山の位置。
 位置ばかりが頼りではないが、一種の『目印』であり、それも一応は目盛りとして確認する癖がついていた。
 それはデイブも同じだろう──。

『始まった──!』

 コックピットの二時の方向、デイブの機体が斜めに降下した。
 下から上へとスパイラルを描く為の曲線旋回飛行に移行したという感触を、目の端に感じた。
 葉月もデイブが引いている赤い噴煙を意識しながら、今度は『目盛り』でない『勘』と『感触』で機体をやや斜めに傾け、デイブが巻くスパイラルの現在の軌道から、葉月のホーネットがどの軌道を取るかを手元のスロットルが考えるより先に『位置取り』を開始する。

『コリンズ、嬢──無理をするな。無様な飛行になるぐらいなら三回転で締めておけ!』

 細川のそんな声が聞こえてきた。

『……』
『……』

──ヒュー……──
──ゴゥゥウウ〜──

 もう細川の声は聞こえている物であっても、その指示により何かを『判断する』という思考回路ではなくなっている。
 二人の神経は今──空の気流と機体の飛行音の中──自分達も溶け込もうと集中している所だ。
 この気流の圧迫感と、機体の飛行音……特別意味はないが、少なくとも葉月にとっては『何かの信号音』という感覚がある。

 ここは全くと言っていい程、『異世界』だ。
 何もない──。
 ここは、本来なら『人間』がいる事はできない、いるはずもない『許されていない』過酷な自然の『空間』だ。
 入り込めるはずもない『人間』が、これまた『考えられない物体』──鉄の塊を用いてでも、割り込んでいる『空間』だ。
 だからこそ──ここに来るには『過酷』で『難関』だった。
 だからこそ一瞬たりとも気は抜けない場所であり、ここで『存在』する為の大事な『信号音』を葉月はいつも身体に取り込んできた。

 その音を聞き分け、葉月は毎回異なる『軌道』を確保する為の『信号音』と『我が感触』を察知し、指先に伝達する。

『ワン──!』
『オッケイ……キャプテン』

 デイブが描いたサークルをくぐるわけでもない。
 葉月が描いた直線が軌道になるわけでもない。
 本当に同時進行の作業なのだ。
 強いて言えば、葉月の機体が描く直線が一歩先に頭を出した直線に、デイブがスパイラルを巻くというように、人の目には映る……そんな瞬間的であり、それこそ本当に日々のタイミング合わせ、考えるより、合わせてきた身体が覚えあっている二人だけの感覚のみなのだ。

『ツー!』
『ツー、オッケイ……!』

 以前のスタイル──『ただ直線で上昇する飛び方』を止めた後──葉月の機体に課せられる『飛行技巧』はかなりの負担を要していた。
 回転をするデイブにも遠心力がかかるが、そのデイブの毎度異なる軌道に合わせて、直線を保つ為には、葉月も直線を描きながらの回転を余儀なくされた。
 だからこそ──途中で、二人の平衡感覚が狂い、お互いのタイミングも狂えば、軌道も大きくずれてきた。
 ただ回転するのみなら、デイブ一機での四回転は可能だろう。
 問題は、もう一機、異なる軌道を描く『パートナー』が存在する為、この演技の難関度が高くなっているのだ。

『スリー!』
『……!?』

 いつもここだ!
 ここでの葉月の状態は、コックピットが下に向いている状態で、葉月の視界には海と空が逆になっているのだ。
 それに気がついているのだが──もう、今……デイブが何時の方向に位置しているかも、次なる軌道の予測を見切る事も出来ない状態だ。
 一か八かで突っ込むと、コックピットのまったく離れた空間に、デイブが描いている『四つ目』のサークルを確認する──!
 今回も……この本番でも! 結局、同じ結果が出てしまった!

『……惜しかったな。いや、良くやった。それでも充分だ。本部からも見事との通信が……』

 細川から……『終演』を告げる声が届いた。

『嬢、分かっているな』
『ええ!』

 葉月とデイブは……そのまま機体を立て直し、海上で共に旋回……。
 空母には帰ろうとしなかった!

『──なんのつもりだ!? 戻ってこい!!』

 細川にも気が付かれたようだが、二人は構わずに『開始点』──つまり、再度滑走路会場に引き返したのだ。

「嬢──首根っこを掴まれ連れ戻されるまで……」
「ええ! 私達の限界がくるまで──!!」
「もう一度、行くぞ!」
「オーライ!」

 そう! 二人が密かに打ち合わせていたのは、『何度もやり直す』という事だった。
 ショー的な『美しきまとまり』を、二人は放棄したのだ。
 きっと観客は、不思議に思うだろう。
 関係者以外は、誰も四回転にチャレンジしているなどとは知らないのだから。
 だから、監督である細川は『三回転でも充分、観客を満足させられる』と思って、最高の結果を『来てしまった本番』には、要求しないだけなのだ。

「嬢を三回転でいつも見失う──何故だ」
「私も──」
「嬢──お前は思うまま……最後には真っ直ぐいけ。俺がなんとか捕らえる!」
「……」

 デイブは訓練中も『再トライ』する時は、毎度、そう言っていた。
 そして、葉月も自分なりの打開策を打ち出せないまま……先輩である彼のその言葉に頼らざる得なく……それで、一か八か言われた通りに直線を引くと、デイブとの軌道がずれているのだ。

 一瞬……迷ったが、デイブは再度……葉月の目の前から姿を消し、回転前の降下に移っていた。

「嬢──行くぞ」
「ラジャー!」

 再び──同じ事を繰り返す!

 

 その頃──空母甲板では。

「中将──連隊長付きの陸本部無線から……連絡が」
「……たっく! 毎度、やってくれる!」

 側近の梶川少佐が手元の無線マイクを、頬を引きつらせている細川に、怖々と差し出していた。
 それを細川は、手荒く奪い取り、鼻息も荒く口元に近づけた。

『細川中将──』

 無線機のスピーカーから聞こえてきたのは、リッキーの声だった。

「今、止めるのは危険だ──。今、奴らが始めてしまった演技が終わったら……何が何でも連れ戻す!」

 細川は、間髪入れずにどやすような声で、リッキーに言い切ったのだが……。

『おじさん──ロイがやらせろと言っているけど?』
「なに?……」

 細川の勢いが、急に止まり、黙り込む。
 暫し、何かを考えあぐねている様子で──。

「どれぐらいの有余が許される?」
『……そうですね。あまり長々とされても、観客から不審がられるでしょうからね。数回、数分と言った所です──』
「ふむ?」
『中将? そこに会場から配信しているモニター画像、見えていますよね?』
「ああ……二回目も……駄目だったようだな──」
『あー、残念……でしたねぇー』

 リッキーの残念そうな溜め息が聞こえてきたが、細川も密かに──肩を落とし溜め息を吐いていた。

 陸の通信本部は、来賓席の後部に設置されており、そこには『資料課』の隊員が、今回の航空ショーを映像に納める為、撮影カメラを設置しているのだ。
 それに合わせ、空母艦から肉眼では確認しにくい会場の現状を、甲板にいる細川監督の元に画像配信する撮影も施されている。
 そこから配信されてきた画像モニターが細川の側にあるのだが……命令を破ってまで『やり直し』にトライしたデイブと葉月の機体が、いつもの如く、三回転以降のずれた飛行図を残している画像が映っていた。

『また──海上で旋回していますよ』
「もう、良い。ロイには解ったと伝えてくれ。どちらにせよ、パイロットの二人の意気込みは分かるが、体力的『限界』には勝てないだろう。もって後二回だ」
『ラジャー。では……後二回、五分程度の延長という事で伝えておきます。奇蹟を信じていますよ……』
「うむ……」

 ロイの心意気を細川は有り難く思いながらも……眉を吊り上げ、今度はインカムヘッドホンのマイクを口元に近づけた。

 

「くそっ! どうしてだ──!」

 デイブのもどかしそうで、悔しがる声が葉月の耳にも届いた。

「まだ──私は行けるわ!」
「よし……俺もだ。もう一度──!!」

 『二回目のトライ』も失敗に終わった!

『この馬鹿者──!!』
『!!』

 海上へ旋回へと向かっているデイブと葉月の耳に、細川の怒鳴り声が届いた。

「中将、お願いです! 俺達の納得出来るようにさせてください!」
「私からもお願い致します! まだ……私達、出来ます! お願いします!!」

 葉月もいつにない必死さで、細川に懇願する声を張り上げた。

『毎度、毎度──お前達には、私の命令などあってないものだろう! 今後は勝手にやれ!! 絶対に指揮側の苦渋を味あわせてやる!!』

「中将……」
『五分でまとめろ。それから、限界に挑みすぎ事故を起こす事だけは許さん! 私の最後の命令だ。あと二回で撤退しろ……』
『!!』

 細川の諦めたような静かな声……。

「有り難うございます! 中将!!」

 二人はそれぞれのコックピットで満面の笑顔を浮かべていた。

「嬢──! もう一度、行くぞ!」
「ラジャー!!」

 三回目のトライだ!
 これぐらいは訓練でも毎度、行っている。
 ただ──二回、三回繰り返した後は、感覚を戻す為に水平飛行を挟んで、再度挑むメニューだった。
 この三回目で失敗した場合……四度目のトライはおそらく、今まで以上に身体に負担もかかれば過酷なトライになる……という事を葉月は頭にかすめた。

(次で……絶対、決める!)

 眼に力を込め、葉月はスロットルを握る。
 海上のキラキラとした水面を見下ろしながら、再度、滑走路を目指す。

『でも……さっきまでと同じ飛び方では……もう、絶対に駄目だわ!』

 葉月はそう思った。
 どうすればいいか解らない。
 それに……デイブの『毎度の任せろ』に頼りすぎていても、もう皆無だと悟った。
 彼にだけ負担をかける事に甘んじている事は解っていた。
 だったら──!!

『……』

 理屈ではもう、なにも思い浮かばない。
 だが……葉月は開始地点目の前で、一瞬目を閉じ……酸素マスクの中で、深呼吸をした。

『絶対に──キャプテンから目を離さない!』

 そう決めた!
 それをする事は……彼の機体を視界に入れておく為に、なるべく至近距離をキープするという事だった。
 それが危険である為、そこを避け……。

 そう──! そこだ! と、葉月は急に閃いた!

 『守りに入ったな。ああ、俺もそうさ……』

 「!」

 デイブの先程の問いかけが聞こえてきた!
 葉月の眼が大きく開く──。
 デイブは……『判っていた』のか!?

『以前の私なら……やっていたかも知れない!』

 そんなニアミスの危険を冒しても『それが成功の要因であるなら、やってやる!!』という『恐れ知らず』を──!!
 きっとデイブもそうだっただろう!
 だが……やはり、二人はそこに『恐怖』を持つようになってしまっていたのだ!!

「さぁ……行くぞ!」

 デイブの旋回前下降が始まった!
 葉月の手元に多少の迷いが生じたのは言うまでもないが──!

『行く!!』

 迷いを振り払い、葉月はコックピットの360度に意識を張り巡らせた!

『ワン!』
『ワン……オッケイ!』
『ツー!』
『ツー……オッケイ!』
『スリー!!』

 ここだ! 葉月はいつも目の前の風景で上下の感覚を確認していたのだが!
 それを見ずに、首を後ろにひねった!!

(いたっ!)

 それは五時の方向──かなり後方ではあるが、この小さいコックピット、透明なキャノピーの端っこを、下巻き旋回の為にデイブがスッと降下していく姿がかすっていった!!
 葉月が今まで、勘と感触で感じていた角度とは大分違っていた!
 だが──次の瞬間……!

 今度は、葉月の左側、十一時の方向に……もう! デイブの機体が至近距離で上昇していたのだ!

『嬢! 危ない!!』

 軌道は合っている!
 でも──タイミングがずれた!!
 位置を確認している間に、先に抜けるべき自分の機体より先に、デイブがサークルを半分描いてしまっている!
 このまま、直進するとニアミスどころか『衝突』!!

『ひっ!』

 流石の葉月も肝を冷やす!
 だが、そこが『叩き込まれている勘』というのか、手が咄嗟に機体を回転させ急降下させる操作に移っている!!

 間一髪──!
 葉月の機体は、不自然な降下をするはめになったが……何とか危機は奪回したようだ!

 落ち着いてからコックピットを見上げると、デイブも同じく危機を奪回する為、葉月とは逆方向へ急上昇回転を行った後のようで、今回のトライで描かれた噴煙の線画は、今まで以上に最悪の形態を空に残していた!

 だが──!! 葉月は冷や汗を額に感じながら……息を切らしながら……暫し、茫然としつつ、水平飛行で無意識に海上へと向かい……。

「あと……少しだった!!」

 今まで以上にない、感触と手応えが残っていた!
 それはデイブも同じようだった!

「嬢──! 今の……分かったか!?」

 彼の興奮した声がやってくる!

「え、ええ……! 今までと違ったわ!」

 最悪の飛行図を残してしまったが……成果は今まで以上だ!!

「よし──命令でいうなれば、次で最後だ」
「ラジャー」
「……勿論、命令と言うだけだが?」
「……」

 そこには『あと二回』という命令で、あと一回きりのチャンスに追いつめられたが、それでもデイブの意志は葉月には通じる。
 『その命令も破り、限界に挑む──!』のだと……だが、デイブはこう言った。

「嬢……それでも、もう俺が限界かも知れない……」
「分かるわ……」

 訓練で言うと、ここで一呼吸置いて数分水平飛行のワンテンポを置いていた。
 続けて四回目は初めてであり、それは葉月の胸のあたりの感触も、こめかみのあたりの感触も……もう、限界が近づいている事は否めない状態だったから……。

「意気込みはあるが……何度もチャンスがあるというのも、ずるずるしているようで際限ない」
「同意……」
「──次で決めるぞ!」
「オーライ!!」

 海上で同じ高度に揃った二人は、そこで旋回をし、再び滑走路へと『最後のトライ』へと向かった!!
 最後のトライの心積もりだ!
 これで失敗し……諦められるか、それとも? もう一度、命令を破ってトライしようという気持ちになるかは……分からない。

 だが──二人は最後の挑戦に立ち向かう!!

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 その頃──滑走路の観客会場では、今までとはちょっと異なる雰囲気が流れ始めていた。

「海野君──観客達も、不審がり始めたね?」
「ええ……同じ事何度も繰り返しているわけですが。流石にあのようなニアミスと不自然な飛行図形を残しては……」

 和之が心配そうにあたりを見渡していた。
 周りの一般客は、先程のニアミスで崩れた赤と青の不自然なスモークの線画を観てから、皆が初めて悲鳴めいたとどろきを響かせていたのだ。

「もう……充分だわ。なんとか葉月さんに空母艦に帰還するように出来ないのかしら?」

 美沙は、先程の『ニアミス』を見てから、恐ろしくなったのか顔を覆っていた。

「俺も──そう思う! もう充分、迫力満点だったよ!! 危ないよ、あれ!!」

 ご機嫌で観覧していた和人まで、必死で達也に向かってくる。
 たが……達也は和人の肩を撫でながら、微笑む。

「ああいう『人』だから……俺達がついていけているって分かるかな? 俺達如きの叫びじゃ、あの大佐嬢は退きやしないんだ」
「でも──何かあったら……兄ちゃんだって……」

 兄の恋人として、彼女の危険を案じている和人の不安顔に、達也はさらに微笑む。

「──ああ、きっと甲板で、あの兄さんなら『そこまで来たなら、行け、行け』と押しまくっているよ……きっと」

 遠い海上を見渡す達也の横で、和之もフッと笑い出していた。

「だろうね? 彼女なら……きっとそうでしょうな? そう、そして息子も……海野君、君も。私もその三人の気持ち、解るな……」
「澤村社長……」

 和之は冷静で、動じていない。
 むしろ──『私も葉月君のトライを最後までしっかり見届ける』と言う余裕だった。
 まるで、そこに……隼人がいるかのように達也は錯覚した。
 その主人の姿に、妻の美沙も息子の和人もスッと落ち着き始めたようだ。 

 今度、達也は直ぐ隣で並んで寄り添っている女性二人を見下ろした。
 サラと登貴子も、先程から──ハラハラしながら、不安をお互いの手を握り合って支え合い、上空で過酷な挑戦に挑んでいる『最愛の人間』を見守っている。

「大丈夫ですわ。ドクター……きっと!」
「もう……私は駄目そうよ。サラ……」
「博士……私達の二人はきっとやりますわ! お嬢さんを信じてあげて!」

「パパー! あと一回転!」
「あと一回!!」

 デイブの娘達も、立ち上がって空に叫んでいた。

 前列の席では、ロイと亮介も……もう楽しむような談話をしている様子もなく、非常に険しい表情で固唾を呑み、緊張している様も達也には伝わってきた。

「来た〜! パパ! ファイト!!」
「ファイトォー!!」

 リサとジュリが空を指さす。

 そこには、四度目の挑戦の為に、海上から舞い戻ってきた二機が現れる。
 何故か解らないが!?
 一般会場から『頑張れ!』とか……拍手が響き始めていて、達也は驚き振り返った!

 二人が何かしら、挑戦している事が──通じているようだった!

『葉月──お前なら出来る! やってくれ……俺に見せてくれ!!』
──お前は何度だって乗り越えてきた──

 その奇蹟を……達也は空を見上げて祈った!

 最後のトライが始まる!!

 ★今回のお話しなのですが、念のため★
 本文中の『航空演技』に対する挑戦展開は、完全に私の想像からなるフィクションドラマです。(四回転がどうのこうのとかもです)
 本職、専門家の方の正しき見解とは異なる恐れがあるかと思います。
 専門的でなく申し訳ないのですが、ご了承頂けると幸いです_(_^_)_
 尚、ご参考までに──。

●航空自衛隊ホームページ●
 こちらの『装備等』→『ブルーインパルス』→『ギャラリー』→『Blue Impulse Movie』にて……航空演技の動画が閲覧出来ます。ご参考までに……よろしかったら是非──。(What'sNewにも記載)

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