11.夢の時間

 

 次の朝──。

 隼人が制服の金ボタンを留めながら階段を上がっていると。

(あれ?)

今朝はパーティ後という事もあり、隊長とのトレーニングはお休み。

葉月の様子を眺めようかとやってきたのだが、その部屋の前で

亮介がうろうろしていた。

「おはようございます? どうかされましたか?」

隼人が声をかけると、亮介がビックリ飛び上がりそうなほど驚いたのだ。

「や、は、隼人君、おはよう〜」

隼人が首を傾げながら、階段を上がりきると亮介の背後になにやら『物体』が──。

「それ、なんですか?」

覗き込むと、亮介が頬を染めながら隠してしまったのだが、

なにぶん『物体』が大きい物だったのですぐに解ってしまった。

 

透明なセロハン包装をされている『ぬいぐるみ』だった。

水色のリボンがかけられていたのだ。

そして……

その大きなぬいぐるみが、亮介が少女だった娘に贈ったぬいぐるみを手放したため

『新しいお友達をプレゼントする』と、先週、『約束した事』だと解ったのだが──。

 

「な、なんで……ウサギなんですかっ!」

そう──亮介が背中に隠した大きな物体はこれまたリョウタに負けないほど

大きな『ウサギのぬいぐるみ』だったのだ。

隼人は葉月を『ウサギ』と呼ぶことを、亮介にいつ聞かれたのかと驚いてしまい

そこで一人おののいたのだ。

「え、なんで驚くんだい!? いけない物だったのかな!」

いつも娘の面倒を見ている青年が、もの凄く狼狽えているためか

亮介もなにやら不安そうで自信喪失!といった情けない顔に──。

「い、いえ……僕は大変良いと思いますよ」

隼人は引きつり笑いで誤魔化す。

「え? 隼人君はいいけど、葉月はダメなのかい!?」

何故、ウサギを選んだか解らないが、亮介はあたふたしだした。

「ええっと……お父さん? どうしてウサギをお選びに?」

葉月はもしかしてむくれるかもしれないと

隼人は頬を膨らませている彼女の愛らしい表情を浮かべつつも、ちょっと取り繕って尋ねる。

「ほら、葉月が帰省してきた日に!

シャツのポケットにピンク色のウサギをお供に連れていたからね?

今のお気に入りは『ウサギ』だと思ったんだけどな〜?」

「あーあ。なるほど!」

隼人は亮介がウサギを選んだ経緯が、隼人経由でない事を知って

それだけでなんだかホッとしていつものにこやか笑顔をこぼす。

「彼女、喜ぶと思いますよ」

隼人はにこやかに答えつつ、心の中でひっそり『ニヤリ』と微笑んでしまっていた。

これで葉月は完璧に『ウサギ』と決まったも同然と……。

どうでも良い事なのだが、なんだかしてやったりと思ってしまった。

 

「昨夜、渡しそびれてね。だからと言って……部屋に勝手にはいるのもな〜」

それで、一人でうろうろしていたらしい……。

「お母さんに頼んでは如何ですか?」

「いーや! 『パパが約束したのだから』と言われてノーフォローだよ〜」

そうしてオロオロしているパパをママが楽しんでいるような気も……

隼人にはしてちょっと引きつり笑い。

登貴子は時々、そういう『企み』や『密かに先手必勝』が好きそうで娘の葉月にも見え隠れすると

隼人はフロリダに来てから『葉月の中身はお母さん似?』と思うようになってきた。

かと思えば、亮介のようにすっとぼけつつも、いざというときは『バン!』と

弾けるところも似ているとも思った。

やはりお二人の娘だと、隼人はこの家に滞在中につくづく感じることが出来たのだ。

 

「あ、では……僕がドアを開けて様子を見ますね?」

なんで……他人である男が父親に出来ないことを出来るようになるんだ?と

隼人はちょっと亮介の前で緊張。

ノックはしたが反応がない。

そっと扉を開けると……朝日がこぼれる白いカーテンが揺れていて

その日差しが葉月の白いベッドに降り注いでいた。

葉月は昨夜、隼人が寝かせたままの格好でシーツを巻き付けて熟睡中。

 

「疲れたんでしょうね? 昨夜も色々ありましたし……」

隼人はホッとして、ドアを開け放し亮介にも中を見せようとした。

「はぁ……寝ているのか」

亮介はちょっとガッカリしていたが……。

「どうです? 季節はずれですがサンタクロースのように枕元に。

起きたらビックリします〜。ぬいぐるみの影にハッとして構えたりして」

隼人が笑うと、亮介も変な緊張が解けたのかおかしそうに笑ってくれた。

「それもいいね? フロリダ発夏のサンタか」

隼人の提案に亮介も乗り気になったようだ。

二人でそぅっと葉月の枕元に近づいて、そぅっとウサギのぬいぐるみを置いた。

葉月は一向に起きる気配もなく、なんだかとても無防備で無邪気な顔で眠っている。

二人で頷き合って、抜き足差し足でサッと部屋を脱出。

 

「はー! なんだかドキドキしたなぁ、もう」

亮介は何故か興奮しているのだ。

「ウサギの両手に何かを抱えさせていましたね?

カードに『レディ・レイ』って書かれていたような?」

ウサギの手には青いリボンがかけられた白い小箱と、カードが添えられていたのだ。

「ああ、あれが本当のプレゼント。私と登貴子で選んだんだ。

『リトル』じゃなくて……どこぞの青年に『レディ』にしてもらった娘へね?」

亮介が隼人にニヤリと微笑んで、ウィンクを飛ばしてきたのだ。

「え……僕がですか?」

隼人も突然からかわられてちょっと頬を染めた。

「えっと……早く基地に行かないと!」

詰め襟をただして、隼人は真顔で階段を降りる。

「てーれちゃって……可愛いなぁ? 隼人君〜♪」

亮介が無邪気に隼人の背を追いかけてきた。

(なんだか俺のオヤジとはやっぱり違うな〜)

こういう陽気で砕けたところが隼人もとても気に入っていた。

いつまでも真一のように無邪気な部分が活き活きとしている。

 

(そういえば……真一、どうしているかな〜)

 

真一は二回生になってから急に外泊訓練が増え、勉強にも無我夢中らしく

丘のマンションにも昨年ほど頻繁には来なくなっていた。

日曜の夕方にポッと現れたり、金曜や土曜の週末に食事だけして帰ったり。

それにすっかり葉月の背を越えて、めざましい成長期に入っていた。

なによりも……春から急に顔つきが男らしくなり。

言葉も荒っぽい部分がヒョイと出てきて隼人はビックリすることがある。

だが……若叔母の葉月は……

『驚かないわよ。父親にそっくりだわ』とシラっとしていた。

それで『真さんってそういう人だったのか?』と聞くと

ちょっと葉月がなにやら考え込んだ後……

『そうよ』と言って、真一の妙な大人びた雰囲気になんら違和感がないようだった。

 

(でもな……葉月もマンションにいなくて寂しがっているだろうな?)

 

そろそろ真一にも何かお土産を探そうと隼人は思いながら

亮介と一緒に笑いながら朝食の席に着いた。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 「ふぅんん……」

 まぶたにちくちくとする明かりがちらついて、葉月は唸りながら寝返りを打った。

『ガサ……』

「!?」

腕を投げ出した方向から、そんな耳障りな音がして、葉月は一気に目を開ける。

 

「えっ!?」

なにやら大きな黒い影!

葉月はびっくりしてバッと起きあがった。

そこには……クリーム色の大きなウサギのぬいぐるみが!

 

「……」

暫く、茫然としていた。

だが……すぐに解った。

 

「ふふ……あなたが新しいお友達?」

葉月は『ガサガサ』と包みを解いて、日差しの中、力一杯抱きしめた。

「よろしくね……」

それにしても──

(なんで? ウサギなのよー?)

隼人と父親が一緒に何かを企んだのだろうか???

葉月はそう思うと、いつのまにやら『ウサギ』が自分の代名詞にされているようで

ちょっとふてくされていた。

そして取りだしたぬいぐるみの包みの底に、白い箱が残っている。

 

『レディ・レイ』

カードを手にして父と母、揃ってのプレゼントだと解った。

早速開けてみる。

中からは……プラチナで小さなクロス、真ん中に小さな青い石があしらわれている

ネックレスが出てきた。

『パパとママから……レディ・レイへ』

「レディ……」

葉月はそっと微笑んだ。

少しは……自分も大人の女性らしくなれたのだろうか?と……。

 

明日は、いよいよ小笠原に帰る。

葉月はウサギを抱きしめて……この10日あまりのとても充実した休暇を思い返し

そっと……微笑んでいた。

 

でも──?

(マイク……どうしたかしら?)

イザベルと別れを告げた後、兄様はひとしきり泣いて落ちつくと

そのまま勝手口から帰ってしまったのだ。

 

「愛は……ひとつじゃない……」

葉月はイザベルが残した言葉を、呟いてみた。

「愛は……」

そして……フッと眼差しを伏せる。

 

愛の真の意味を、自分は良く知らないのに──。

でも、あの言葉は……何かとても忘れられそうになかった。

 

葉月は上着は脱いでいたのだが、正装服姿のまま寝かされたようだ。

シャワーを浴びて、今日も出かけることにした。

 

いつもの制服に着替えて、リビングに降りると──。

「お姉ちゃん!」

金髪の女の子が、ベッキーの後を付きながら掃除をしていたのだ。

「リリィ……!」

「おはよう……大佐嬢」

そして金髪のママ、マーガレットまで──。

「どうしたの?」

葉月が慌てて階段を降りると、ベッキーが笑った。

「今朝、トレーニングがお休みで、お姉ちゃんに会えなかったから来てしまったんだってさ」

「なぁに? 起こしてくれたら良かったのに?」

「部屋を覗いたら、バスルームに籠もっていたようだからね」

「あ、そうだったの……」

階段を降りると、マーガレットがニコリと微笑みかけてきた。

 

「ハヅキ、明日帰るんですってね?」

「ええ、数日でしたけど……。色々と有り難うございました」

「いえ……こちらこそ。本当に楽しかったわ。昨日のパーティは特に……」

マーガレットが可笑しそうにクスクスと笑いだした。

ドレスをしとやかに着たのに、最後は結局いつもの『じゃじゃ馬』だったので

葉月も急に恥ずかしくなって頬を染める。

すると……リリィが葉月の足に抱きついてきた。

「昨日のお姉ちゃん、綺麗だったり格好良かったり面白かった!」

「ええ……? そう?」

そうしてリリィは葉月を抱きしめたまま、離れようとしないのだ。

「昨夜は主人まで家に帰っても興奮していたわ?」

「え……」

マーガレットがさらにフフと微笑む。

「本当に……何が起こるか解らないお嬢さんで、ドレスも素敵だったけど

やっぱり彼女は軍服がしっくりくるって……ずぅっと興奮していたわ」

「いいえ……本当にもう、何をやったかと考えると……もぅ……」

随分と男勝りな事をしたと自覚しているので、やっぱり葉月は後になって恥ずかしく思う。

次からは慎もうと思いつつ、いつも最後には何故か? なりゆきでああなってしまうのだ。

「わたしもね? 大佐嬢……。あなたがとても大好きになったわ。

主人がいつも話してくれるあなたの事。私も良く解ったわ──」

マーガレットがとても暖かい眼差しで葉月を見つめるので、そっと俯いた。

 

「達也の転属が決まりそうなんですってね?」

「はい……お陰様で」

すると葉月の足に抱きついているリリィの腕に力がこもった。

「有り難う、大佐嬢……。主人をフロリダに残してくれて。

あの人、ここでまだ頑張りたかったみたいだったから……」

「勿論──。隊長ほどの方が、小娘部隊で内勤に入ってしまうなんて……。

フロリダ部隊に取っては大きな損失ですもの。

こちらの連隊長が何を思ったか解りませんが、先日、達也ならばとお許しが頂けたので。

その代わり……私と澤村の手で引き抜き、彼を説得するのは

私達が密かに行った『賭け』でしたけど」

「でも、こうしてあなたとお付き合いさせて頂いて……。

小笠原に行っても良かったかもしれないね? なんて、主人と言っていたの。

きっとあなたとの毎日はとても楽しかっただろうと──。

後になってからのこちらの勝手な思いでしたけど……」

「そうですね。そうなっても楽しかったかもしれませんわ?

ただし、隊長はきっと私達のバタバタした生活に疲れていたかもしれませんわ。

あ、でも……そうなったら、リリィも日本に来て、時々会えたかもね?」

するとマーガレットがちょっと哀しそうな顔をしたのだ。

そして……

「お姉ちゃん、明日、帰っちゃうんでしょう? タツヤもいなくなっちゃうんでしょう?」

リリィが葉月の足に力一杯抱きついて、泣きそうな声。

「リリィ……」

なんだか彼女から大好きなお兄さんを奪ったような気になってきた。

「お気になさらないで? リリィ……お姉ちゃんにお礼を言いなさい」

「やだ。お姉ちゃんはフロリダでお仕事すればいいんだもん。

そうすれば、タツヤもハヤトもみんなずっとここにいるもん」

リリィはグッと涙を堪えながら、さらに葉月の足に強く抱きついてくる。

なんだか昨夜、イザベルを我が儘に引き止めた自分と重なった。

「リリィ……」

マーガレットが静かに諫める。

葉月はリリィの腕を解いて、そっと同じ目線にしゃがみこんだ。

「リリィ。私、リリィにとっても感謝しているのよ。

だから……リリィの事、絶対に忘れない」

リリィの小さな頬に葉月はそっと手をそえた。

「いつかまた絶対に会えるから、ね? それに……私が帰ってしまっても

隼人お兄さんが帰ってしまっても、達也がいなくなっても……

リリィにはサムとかマリアお姉さんとか……たくさんお友達がいるでしょう?」

「お姉ちゃんがいなくちゃ、面白くない」

リリィがプイッとそっぽを向く。

「私のパパとママもいるわ。ほら、リリィのパパがここに時々お稽古にくるでしょう?

その時に、一緒に来てね。私のパパとママは毎日二人きりだから……。

とっても寂しいの。リリィにお願いしていい? 私のパパとママの所に遊びに来てくれる?」

するとリリィが驚いた顔をして葉月を見上げた。

「来てもいいの? パパ将軍とママドクターの所に」

「勿論よ。パパとママにもそう言っておくね?」

「また、お姉ちゃん帰ってくる?」

「勿論、ここが……私のパパとママがいるところだもの」

「ハヤトも?」

「うん」

葉月がニコリと微笑むと……リリィはそれでも寂しそうだったがやっと笑顔をこぼしてくれた。

葉月はリリィを抱きしめた。

「リリィ、たくさん有り難う。リリィに会えて、私……たくさん昔を取り戻したの」

フォスターが来て、あのウサギの人形を渡されたときから……

葉月の中にあった『小さなレイ』がちょこちょこと顔を出すようになった。

押し込めた昔の自分が外に出たがっていた。

こんな風に小さくて、こんな風にちょっと我が儘で、そして……無邪気で。

もしかするとこの子は『リトル・レイ』の遅れたお友達だったのじゃないかと……。

「リリィ……いつかパパとママと日本にも来てね」

「うん! 漢字、勉強しておく!」

「フフ……そんなに知っているわけでもないのに。この子ったら」

マーガレットが可笑しそうに笑いだした。

「マーガレットも、有り難う」

「いいえ……これからも主人共々……お友達でいてくれたら嬉しいわ」

彼女から『お友達』と言われて、葉月は笑顔をこぼした。

大佐嬢なんて……もう、関係なくなったのだと。

「勿論──達也もいますし、澤村も。これから離れていても楽しい一時を供にしたんですもの」

「主人には最高の戦友のようですわ」

葉月とマーガレットはそっと握手を交わした。

 

その後──ベッキーと一緒に後片づけを手伝って、葉月は基地へと向かった。

 

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 「はぁあ」

 マリアはぼんやりと、隼人の出勤を待っている。

「おはよう! マリア嬢♪ 昨夜は、すごく楽しかったよー」

マリアの鬱そうとした溜息を跳ね飛ばすかのように、とっても元気な声が聞こえた。

「あ、ドニー。おはよう……」

「あれれ? 主催で飛び回ってお疲れのようだね?

まぁ……昨夜はすごかったよね? なんたって、大佐嬢が弾けた後からが……」

ドナルドは、そうはいいつつも朝が来ても興奮冷めやらぬ……といったようだ。

『彼女のヴァイオリン……素敵だったよなー』

『あんなに上手いのにもったいないよな』

ドナルドと、隣席のアンソニーが合流して昨夜のパーティの事を

まだまだ終わっていないかのように興奮気味に話していた。

マリアには上の空。

遠い声に聞こえていた。

 

「おはよう。昨夜はお疲れ様ー」

そこへ隼人が颯爽と出勤。

昨夜の疲れを微塵も見せない、爽やかな笑顔で。

 

「あ、中佐。おはようございます」

「あれ? ちょっとお疲れ気味かな? ちゃんと寝られた?」

いつもの穏やかな笑顔。

「え、ええ……」

だが……実はあまり寝ていなかった。

寝付けなかったのだ。

あまりにも色々……ありすぎて。

(ジャッジ中佐……来ているかしら?)

あの中佐の事だから、何があっても時間が経てばポーカーフェイスで出てくるだろう。

だが……あんな人前でも顔が作れないほど打ちひしがれていたのが気になる。

(あの中佐が欠勤とかいったら……)

それこそ『大事件ね』とマリアは思ったので、そういう事はないだろう……と思いたい。

 

ところが

 

隼人と最後の打診に出かけて、ランチ前。

本部に戻ると、葉月がまた……隼人の席に座り込んでノートパソコンを触っていた。

 

「あら? お帰りなさい」

「ああ、行ってきたよ。ファーマー自身に打診」

葉月と隼人の顔は、もう……いつもの上官と側近に戻っていた。

「どうだった?」

「うん、とても驚いていたけど。向こうから小笠原の事で、たくさん質問してきた」

隼人から笑顔がこぼれた。

「ふぅん? 感触良かったってわけね?」

「うーん、でも……二〜三日考えさせてくれって言われた。

俺が帰国する寸前ギリギリだな……」

隼人は複雑そうな表情を刻んで、詰め襟ホックを外しながら溜息一つ……。

「彼、俺より一つ年下だけど、とても落ちついていてしっかりしていた」

隼人もとても気に入っているようだった。

「同じ年頃だから、一緒に頑張ろうって言ったら……ちょっと緊張も解けたみたいで

俺も……色々話せたかな?」

「ふーん……じゃぁ、ロニーみたいな素敵なパートナーになれるかもね!」

「ああ、俺もそんな感触を得られたよ。絶対、来て欲しくなった!」

葉月と隼人が盛り上がっている中──。

マリアはそんな二人の会話を聞きながら、また朝方のけだるさのまま

一人で席に着いた。

そこで葉月がハッとしたように隼人の席を立った。

 

「おはよう、マリアさん。昨夜はお疲れ様。

私、先に寝てしまっていたみたいでお礼もままならなくて……」

「え? ううん! そんなの構わないのよ。葉月も色々と疲れたでしょう?」

「まぁ……ああいうお騒ぎはパイロット兄様達に揉まれて慣れているけど。

ちょっと私、弾け過ぎちゃったかな〜なんて……反省していたんだけど」

葉月が『アハハ』とおどけると、席に座った隼人がクスクスと笑いだしていた。

「……葉月が楽しめたら、それで良かったのよ」

マリアがそっと微笑むと、葉月も安心したように微笑んでくれた。

「……ねぇ?」

マリアはちょっとドキドキしたが思い切って聞くことにする。

「なにかしら?」

「今日は秘書室に行ったの?」

マリアが葉月の目も見ずにそういうと、葉月が目の端でちょっと動きを止めたのが解った。

 

そして葉月の溜息……。

 

「マイク──欠勤だって。来ていなかったわ」

「──!」

マリアは身体が固まって……

「それ、本当かよ? 余程だな? 他の秘書官達も動揺しているんじゃないかな?」

隼人まで、驚いてパソコンキーボードで動かしていた指を止めてしまっていた。

「うん……ロビンに追求されたわよ。パパは二日酔いで誤魔化していたみたいだから。

私に聞くしかなかったみたいで……ロビン、とても心配していたわ」

葉月は隼人のデスクにもたれて溜息をついていた。

「それで、お前──。どう説明したんだよ」

「今はなんとも言えないから……と。

それで、今から私が様子を見に行くことにしたの。

パパにもそうして欲しいって言われたから……。

その前に隼人さんのメンテの方が気になったから様子を見てからと思って……」

「ああ……そうなんだ。じゃぁ、午後はお出かけか」

「うん……悪いけど、メンテの最終打診、頑張ってね」

「ああ……後一人、声をかけようかと思っているんだ」

「へぇ? ここへ来て意欲的ね! どの人? 教えて!」

葉月はそれから隼人と、候補員ファイルを眺めはじめる。

 

マリアはそれだけ聞いて……またショックを受けた。

あの仕事は完璧な彼が……そこまでになってしまうほど……。

(先生を愛していたのね……)

欠勤に対して驚きはあるが、そう思うと無理もないと思った。

 

なんだろう?

昨夜からずっと……彼の苦しそうな顔ばかりマリアの頭にこびりついている。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

『ピンポンー』

御園家からそうは離れていないマンション。

海辺は目の前ではないが、兄様の部屋からは海が見える事を葉月は知っている。

マンションの駐車場にもお決まりのフェニックス。

兄様ご自慢の黒いスポーツカーを確認できたので、葉月はホッとして

マイクの部屋へと階段を上がってきたところだった。

 

チャイム一回、反応なし。

 

『ピンポ ピンポ ピンポ ピポピポン!!』

乱暴に押してやった。

意地でも出てきてもらうのだ。

そっとしておけという人もいるだろうが、妹分の葉月はお構いなし。

すると……鉄ドアの向こうから『ゴト』と物音がしたのを確認。

ドアのスコープに葉月は茶色の瞳を押しつけてみた。

『ワッ』

そんな声がドア越しに聞こえてきて、葉月はニンマリと微笑む。

ドアがガチャリと音を立てて、開いた。

 

「やっぱり、レイか……放っておいたら何するか解らないからな〜」

致し方なく出てきたといった風だったが。

「……」

「どうした? ま、追い返しても帰りそうにないね。おいで……」

ハーフパンツだけ穿いた上半身裸のマイクが『もっさり』と出てきたのだ。

別にマイクのそんな姿は見慣れているのだが。

あのいつもはクールに涼やかに身なりを整えている兄様が

髪の毛ももさもさで、顎は黒い無精ヒゲだらけ。

よく言えばワイルドに見えるが、いつもの彼からすると『なんてむさい格好なの!?』と驚いたのだ。

マイクが入れてくれたから、葉月も遠慮なくあがる。

 

「……!」

部屋に入るとまたビックリした。

床にはウィスキーの瓶が数本、転がっていて……一本は割れていた。

ガラスの破片が散らばっている。

ダイニングテーブルには、酒がこぼれた跡に……

灰皿、そこには煙草の吸い殻が山盛りになっていた。

マイクは日頃煙草は吸わない。

なのに──。

部屋中、酒と煙と汗の匂いが充満していて、時々葉月がお邪魔していたマイクの部屋ではなかった。

 

「ふぁぁ……今ので目がやっと覚めた」

マイクは髪をかきながら、ベット側の窓をガラッと開けた。

海辺から吹き込んでくる風がザッとカーテンを揺らして入り込んできて

ふわっとマイクらしくないたくさんの匂いを飛ばしていくよう。

潮の匂いが葉月の鼻まで届いてきて、やっとホッとした。

 

「随分……荒れたのね」

葉月は座れそうもないダイニングテーブルを見てため息をついた。

「そりゃね──。じゃぁ? どこで発散しろと?」

昨夜の打ちひしがれた様子は影を潜めて、いつもの兄様の口調だったが

どこかまだ……刺々しいような?

「寝ていたの?」

「あー。何本空けても、全然酔えなくて。寝不足だったはずなのにな?

でも……横になったのは、朝方だったかな〜部屋が薄明るかった気がする」

どうやら我も忘れて一人で荒れていたようだ。

「でも哀しい性でね。いつもの時間に一度目が覚めて……。

寝不足が二晩続いたし、この酒臭さも、姿も皆が動揺すると思って

思い切ってパパに欠勤願いの連絡したんだ」

マイクは昼間の日差しが降り注ぐベッドに座り、

またガシガシと黒髪をかいて大あくび──。

昨夜、ブランデーグラスを握りしめてドッと落ち込んでいた兄様の姿も

もう……うかがえなかった。

葉月はホッとして……マイクのベッドに一緒に座った。

「ちょっと安心した。追い返されるんじゃないかと覚悟してきたけど

いつものマイクっぽいし」

「アハハー。レイを追い返す? そこのベランダの格子を伝って登ってくるかも知れないし?

そんな事になったら、明日のローカル紙にフロリダにも『スパイダーマン現る』なんて

見出しが絶対に出るね。基地の秘書官襲われるってね?」

「そんな事しないわよー!」

葉月がむくれると、マイクがいつものように『アハハ!』と陽気に笑い出した。

(大丈夫ね──)

葉月はそう思った。

 

「レイ……有り難う、来てくれて。パパに頼まれて?」

「え? 別に頼まれなくても押し掛けるつもりだったけど?」

するとマイクがまた笑った。

「レイらしいね。俺の妹ちゃんは本当に台風で、落ち込んでいる暇も与えてくれないんだ」

「……」

それでもマイクは、フッと眼差しを陰らせた。

「そのー。余計なお世話かもしれないけどー」

葉月はこれは言っておこうと思って、勇気を出して言おうとしたのだが──

「……まだ、基地にいるから引き止めに行けとか言う話なら聞かないよ」

マイクに言いたいことも当てられ、スッパリと切り捨てられて葉月は黙り込む。

「……見えなかった事が見えただけさ」

「見えなかった事?」

「ああ……俺は安心しきっていたし、臆病だったし……なによりも決めつけていた。

彼女の事をね? それで何年も彼女を苦しめていたんだ」

「でも……そんな」

「もちろん、彼女がいうように愛もあったし、幸せもあったさ」

なんでイザベルもマイクもこんなにすぐに物わかりが良くできるのだろう?

葉月はこの人達は『大人だから?』と首を傾げた。

「昨夜、バカみたいに飲んで暴れて……目が覚めたら意外とすっきりしていたのが不思議だな。

たぶん……それなりに『答え』が解ったからかな?

心の整理は時間が経たないと……ついていかない部分もあるけど。

それは……今まで俺が独りよがりに彼女を苦しめていた事を思えば

仕方がないよな……」

「マイクばかりが悪いと思わないし……」

葉月はイザベルも責めたくないが、そんなマイクにも自分を責めて欲しくなかった。

でも……そこまで割り切ろうとしている兄様に葉月如きは上手い言葉が浮かばない。

「彼女が言っていた。俺と愛し合っている時は『夢の私』

仕事では俺は『不必要』だったと……」

「愛し合っている時は『夢』?」

「そう……向き合ったときしか愛し合うことが出来ないと彼女は気が付いたんだろう?

言われた時はショックだったけど……。

よく考えれば……俺もそうだったんだ。仕事に関してはお互いに詮索しなかった。

俺も……彼女と向き合っている時だけ『夢』。そして仕事の時は『不必要』──」

「……」

確かに仕事でプライベートを匂わせないマイクからすると……『女は不要』にも見えた。

「つまり……そういう熱愛だけ。彼女が穏やかな愛を知ってしまってはね。

それが俺じゃなくて他の男なら……俺が追いかけてどうする?

彼女に与えられない物、望んでいる物……俺は奪おうとする事になる」

「……だったら、マイクが変わればいいじゃない?」

「……それが、今すぐは出来そうにない。それにイザベルを付き合わすのは酷だし。

既に……俺以上の力を持った男が彼女の心を解いて、彼女は彼を認めたんだ」

「……」

なんだか葉月は徐々に頭が沸騰しそうになった。

なんだか……自分に置き換えると、見たくない物が見えそうな気がして。

ふつふつと……頭を抱えて振った。

 

「レイ?」

「え? ああ、うん……。マイクがそれでいいならいいけど」

もうそれしか言えない。

葉月にはなんにも解らなかったから──。

「一人で鬱々していたけど、いつものやんちゃなレイを見たら……どうでも良くなって来た。

それに……これが俺の日常だって……ちょっと笑えたりして」

「お役に立てたなら嬉しいけど──」

「やっぱり俺には、御園の皆が必要みたいだ」

「……うん、マイクは家族の一人だと私は思っているわよ」

「……そっか。俺もそう思ってもらえるようになったか。無駄じゃなかったかな」

もしかして……マイクが人一倍がむしゃらだったのは?

葉月はふと思った。

純一やロイにリッキーは……昔から御園家と縁が深くて本当に家族みたいだった。

父が田舎の農村から見つけてきた青年だとは聞いていたけど──。

姉を囲んでそういう親族がらみの兄達に混ざって、マイクは一人浮いていたのかもしれないと──。

「あのね? マイク──。うちの事より……マイクの事を大切にしてね?

私もマイクに心配させないようにちょっとずつかもしれないけど、頑張るから」

葉月がそういうとマイクが驚いたように青い瞳を見開いて見下ろしてきた。

「へぇ……レイのそういう前向きの言葉。初めて聞いた気がする」

「うん……そういう気持ちがちょっとずつね……」

「ああ、いいんじゃないの? でも、俺はレイの迷惑は大歓迎。それも……忘れるなよ。

俺も……これからはちょっと肩の力を抜いてみようかな? と思った。

どこかで自分らしくない、自分を作っていたかもしれないとね?」

彼の大きな手が葉月の頭をクルクルと撫でた。

彼がいつもの穏やかな微笑みを見せてくれたので、葉月もニッコリ微笑み返す。

すると……マイクの青い瞳がとても輝いたように見えた。

 

「よっし。鬱陶しいから、出かけよう!」

マイクは顎の無精ヒゲをなでながらザッと立ち上がった。

「え? え?? 仕事に行くの!?」

「ああ……。レイが明日帰ってしまうのに時間が勿体ないし。

俺が引きこもっていると……昨日、良かれと思って彼女を連れてきたママが気に病むしね」

確かに……母は朝から顔色悪く、口数少なく……ひっそりとしていたと

ベッキーから聞かされた事を葉月は思い出す。

マイクはそうと決めたら素早く支度をはじめた。

「レイ? ランチは?」

「え? まだ! 朝寝坊してモーニングが遅かったから」

「丁度いい。どうせ欠勤扱いだ。のんびりドライブと食事をしてから秘書室に行くか。

つきあってくれたらなんでもおごってやる」

「本当ー!? 行く行く♪」

「だったら、濃いコーヒーを一杯作ってくれるかな? お嬢さん?」

「任せて! マイクはブラックよね!」

はしゃいだ葉月を見て、マイクはニコリと微笑んでバスルームへと消えていった。

葉月は鼻歌まじりでキッチンへと向き合う。

 

でも……コーヒーを入れながら、葉月はやっぱり溜息。

 

『夢の時間?』

今度はその言葉が妙に引っかかっていたのだ。

 

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