35.心のさざ波

 

「おば様のパイ、ソースもパイ生地も一からご自分で?」

「そうよ? たまにしか作らないけど……。マリアのママの方が上手だと思うわ?」

「いえ……母もたまにしか、作ってくれませんわ?

ですから──今夜は手作りのミートパイを頂くことが出来て良かったです」

 

麗しい栗毛の美女──マリアを迎え入れた御園家の晩餐は

それとなく和やかに進んでいた。

 

マリアと登貴子が女性らしい会話をしているだけで、葉月は相も変わらず

淡々と食事をしているだけだった。

そのうちに──

「ごちそうさま」

葉月は日本語でそう呟いて、サッと席を立った。

 

「おい……」

お客様がいるのにサッサと去ろうとする葉月の淡泊さに

隼人は眉間に皺を寄せながら呼び止めたのだが……。

葉月は、隼人の声すら反応せずに階段を上がろうとしていた。

その時の……マリアの顔。

食事の席はなんとか一緒に取ってくれたが……

『会話』はまったく取り合ってくれない……いや、参加してくれないのは

『わたしのせい』──とばかりにそんな残念そうな顔をしていた。

「放っておけばいい」

亮介も流石に呆れたのか、滅多に見せない強ばった顔で

ミートパイを頬張り、ビールを一口飲み込んだ。

 

「レイ? デザートはいらないのかい?」

キッチンから出てきたベッキーは、デザートを作っている最中だったのか

ボールと泡立て器を胸に抱えて、階段を上がり始めた葉月を呼び止める。

 

「出来てから頂くわ」

葉月はベッキーにも冷たい声を放って、ついに階段から姿を消した。

『バタン』

部屋のドアが閉まった音……。

その途端に登貴子が溜息をこぼす。

「ごめんなさいね? マリア……。あの通り、昔から変わらないでしょ?

基地では大佐とか言われて大人の顔をしているけど、うちではまだまだ子供なのよ?」

「いえ……わたしも自宅ではそうですし」

『彼女の方がよほど大人だ』……と、隼人も腕組み、呆れた溜息をこぼした。

亮介に至っては、既にご機嫌斜めのご様子で。

今度は、こちらが子供のようにふてくされて黙々と無口な食事になってしまった。

葉月の退出で急に空気が静かに止まってしまった。

 

(もう……アイツは!)

先程、滅多に口にしない『皐月』を変に話題にしたり、

こうして会話に参加せず、サッサと席を立つ葉月に隼人は腹を立て始めた。

こんな『子供っぽい』葉月も珍しい。

実家のせいだろうか?

小笠原での大人びた葉月からは考えられない行動ばかりで、隼人も……

ちょっと……マリアを連れてきたのは『強引だった、早すぎた』と反省したくなった。

 

『バタン』

また……二階からドアの音が響いた。

 

葉月が階段から姿を現す。

 

「え……!」

隼人は再び姿を現した葉月に釘付けになり──

「葉月……」

亮介が、パイをつついていたフォークを『カチャン』と、力無く皿に落とした。

「あら……あの、ハヅキが持っているのは……」

マリアも葉月が手にしている物を見て戸惑っているようだった。

 

葉月が階段を降りてきて、先程まで自分が座っていた席に

黒いケースを『ゴトン』と置いた。

 

「パパ……久し振りにピアノで伴奏してくれる?」

『カチャ』

葉月が黒いケースを開ける。

そう──葉月が今、ケースから取りだしたのは右京からもらったヴァイオリン。

 

「……」

突然の事で……そこにいた大人達、皆が固まっていた。

今夜の葉月は……おかしい。

隼人もそう感じて戸惑っていた。

ヴァイオリンをなんなく手にして出てきた葉月の顔を見ていると……

葉月は穏やかに微笑んで、ボウを手にし肩に輝くヴァイオリンを乗せている。

隼人や家族である両親だけにしか解けない姿を

マリアに見せるかのように……。

『子供っぽい』と先程は思ったが……そうではない?

葉月なりに『伝えたいこと』を、マリアに見せようとしているような気がしてきた。

『ウサギさんは言葉に乏しい』

だから──?

ヴァイオリンを持ってきたのだろうか?

さりげなく皐月のことを口に出したのだろうか?

隼人にはまだ、解らない。

だけど──葉月が父親に可愛らしい笑顔で微笑みかけている。

しかも──ヴァイオリンを手にして!!

 

「まぁ……ハヅキはヴァイオリンが出来るの?」

マリアが優雅に微笑んで、葉月に声をかけた。

「少しだけね……。食後の腹ごなし程度」

葉月の謙虚な受け答え。

でもマリアは知らないだろう……。

でも……今から否が応でも、葉月の『演奏』を耳にして驚くに違いない。

隼人の胸は……いつもそう……。

葉月がヴァイオリンを手にすると胸が熱くなる。

そして──ワクワクする。

その上──亮介がピアノを弾くという。

 

「お父さんのピアノ、僕も聴いてみたいですね」

「え? いやいや……趣味程度だよ。昔、母親に無理矢理習わされたんだ」

「おじ様のピアノは聴いたことあるわ? 久し振り♪」

マリアの愛らしい笑顔に亮介が照れて栗毛をかいていた。

登貴子はと言うと……。

娘が肩に楽器を構えた姿を、ひたすら見つめていた。

眼鏡の奥の黒い瞳が、潤んでいるようにも見えた。

 

「パパが弾けないなら、私一人で……」

葉月はヴァイオリンを構えて、ソファーやテレビがあるリビングスペースに向かっていった。

「いやいや……暫く、弾いていないから、『レイちゃん』のお相手に適うかどうか?」

亮介がまだ怖じ気づいたように、リビングへ向かう娘を遠慮がちに見ている。

「そんなの私も一緒よ? 仕事の合間に、ごくたまに触っているだけなんだから。

パパの伴奏がなくちゃ……今から弾きたい曲も引き立たないわ」

「葉月──」

父親を何とか相手させようと話している娘。

隼人はウンウンと頷いた。

隼人が待っていた瞬間。

娘の『音楽家』としての姿を少しでも取り戻したいと願っていた父親。

亮介の目の前に、今……戻ろうとしているのだから。

 

「もしかすると……君はすごい事をしたかもね?」

マリアに隼人はそっと微笑みかけた。

「え? どういう事ですの?」

当然──マリアは何のことか解らないだろう。

マリアがいるからヴァイオリンを手にした。

隼人はそうしか思えなかった。

そうでなければ、なにもマリアがお客に来ている時にわざわざ……

今までそれほど手にしなかったヴァイオリンを葉月は手にしないはずだから──。

「すごい瞬間に立ち会っているんだよ。俺と君は……」

「さっきから……なんですの? まったく……」

ひとつも説明をしてくれない隼人にマリアは不服そうだったが……。

彼女もそして隼人も……

今はそれどころではない。

ついに亮介が席を立って、リビングの隅、壁際にあるスタンディングピアノへと向かったのだ。

葉月もそれに伴うようにピアノに向かう。

 

「……なにを弾くんだい?」

「簡単よ? 昔、パパも良く弾いていたわ」

ピアノの側にある本棚から、葉月が楽譜を探して……手に取り

それを父親に渡した。

「おお。なるほどね? それはいいね?」

「でしょ?」

亮介がピアノの蓋を開け、鍵盤にかけてあるボルドー色のフェルト生地を取り払う。

椅子の高さを調整して、鍵盤の上に指をしなやかに置いた。

 

「今夜のお客様に──」

葉月がマリアに向かってお辞儀を……。

そしてそっとヴァイオリンにボウを乗せた。

「マリアに──」

亮介もそっとマリアに微笑みかけて、すぐに葉月と目線を会わせた。

「わたしに──!?」

マリアが驚いた顔をしたが……自分の為に演奏をしてくれるだなんて思っていなかったのだろう?

すぐに嬉しそうな優美な微笑みを浮かべて、静かに聞き入る態勢になる。

そして──隼人も。

父娘が頷き合い、亮介が鍵盤に置いた指を柔らかに舞わせ始めた。

流れるような優雅で明るい長調。

 

葉月が、鎌倉にてピアノで弾いていた『曲』

グノーのアヴェマリア──。

 

「なるほど……『アヴェマリア』か。マリア嬢にはピッタリだな」

隼人がそう話しかけても、マリアは戸惑いながらもジッと父娘へと視線が集中していた。

葉月がそっと弦の上でボウを滑らせ始める。

 

開け放した窓から、さざ波が聞こえるフロリダの夜。

そこに軽やかなピアノの伴奏と、そして優雅でゆったりと流れるヴァイオリンの音色。

 

(お父さん──上手いじゃないか!?)

『趣味程度』などと言っていたが……隼人は絶句した。

母親であったレイチェルの『英才教育』を思わせる腕前だ。

『俺も……いつか……』

葉月の横で、アヴェマリアの伴奏をしてみたい。

最近、それを夢見て触ったこともないピアノに向くようになった隼人。

隼人から見ると亮介はまさに隼人が夢見る姿だった。

 

「……a──ve……Maria〜」

キッチンからベッキーの良く通った声が聞こえてきた。

さすがあの体系だけあって、ベッキーの声はオペラ歌手のようにドッシリ響いてきた。

 

「信じられない……。あれだけ弾けたら……音楽学校にいけるわ?」

マリアは感動しつつも、やっぱり葉月の腕前に驚きが隠せない様子。

「昔……狙っていたみたいだけどね」

ここで『ヒント』を与えて良いかどうかは隼人には上手く判断は出来なかったが……

『それもキッカケ』かと思って、それとなく平淡に呟いた。

「え……知らなかったわ……」

「それは……彼女自身に聞いてみないとね」

「……」

隼人の神妙な顔つきに、マリアは少し訝しそうにしつつも……

その後は黙って……優雅に息があった演奏をする父娘から

何かを見つけようと……ジッと目を逸らさなかった。

『自分で見つける』

マリアのその意志に偽りはない……。

今度こそ、葉月から見つける──。

隼人はマリアの今回の決心の固さを改めて認めた。

 

「あら……やだわ」

隼人とマリアの目の前で、沈黙していた登貴子が急に席を立った。

金鎖のグラスコードをつけた眼鏡をそっと外して、それを胸に揺らしながら

途切れ途切れに口ずさんでいるベッキーがいるキッチンへと行ってしまった。

どれだけの……長い時間、あの父子が演奏をしていなかったか隼人は知らない。

だけど──やっぱり、随分と時が経っていたのだろう。

登貴子が感極まって、涙を堪えられなくなった事が隼人にはすぐに解った。

 

「おば様……いかがされたのかしら?」

マリアは心配して立ち上がろうとしたのだが……

「そっとしておきな……」

隼人はマリアの制服の袖を引いて、座らせる。

何もかも……この中佐が解ってこの光景を『見守っている』

マリアは急に隼人の落ち着きから、そう感じることが出来た。

 

(なに? 変だわ?)

マリアは……先程から今までにない違和感を感じていた。

『ハヅキがお姉様の事を口にした途端に……おじ様もおば様も固くなったり』

『ハヅキがヴァイオリンを弾き始めたら、おば様は泣いたり……おじ様は感激したようだったし』

マリアはそっと口元に親指を運んで、爪を噛む。

何かやっぱり『皐月』の事になると、皆が変だ──!

妙な確信を始めていた。

 

「パパ?」

曲の終盤になって、ピアノの伴奏が急に静かに止まったのだ。

「いや──なんでもない」

亮介まで……顔はダイニングテーブルには向けなかったが

目元を拭っているように隼人にもマリアにも見えた。

マリアは益々……怪訝そうな顔で父娘を見ていた。

 

「失礼よ? パパ。お客様に捧げる曲を最後まで弾けないなんて」

葉月はいたっていつも通りだった。

「厳しいな。お前は──音楽に関しては……」

亮介がまた俯いて拳で目元を何度かこすっていた。

 

隼人は見守ることしかできない。

そして──マリアも戸惑いつつも……隼人に従って見守るだけだった。

でも──

 

『パチパチ』

隼人が笑顔で拍手をした。

マリアもハッとして拍手をした。

「おじ様、素敵でしたわ。ハヅキも……有り難う。こんな素敵なお食事会、久し振りだわ。

中将と大佐のアンサンブルを聴かせていただいたなんて、基地中で私達だけね?

ね? 中佐?」

「あ……ああ、きっとそうだな!」

マリアが輝く笑顔をお礼とばかりに葉月にこぼした。

「サンクス……マリア嬢」

葉月もそれに応えるかのように、笑顔を見せたので……

隼人はビックリしてマリアを見下ろした。

マリアも正直、葉月の笑顔に驚いたようだった。

 

「参ったな……。もうちょっとポップな曲にしないか? 葉月」

やっと落ち着いた亮介がピアノから立って楽譜棚に向き合う。

「ポップね? パパが知っているポップは古いわ」

「言ったな。小娘」

父に頭をこづかれて、それでも葉月が可愛らしく笑っている。

 

「本当……あんな彼女、見た事ないわ」

マリアはやっぱり驚きの連続のようだ。

「俺も──ここ最近でね」

またもや淡泊に答える中佐の落ち着き振りにすら、マリアは驚いているばかり。

 

「おお、これがいい」

亮介が楽譜を見つけて、葉月に見せる。

「ああ、うん。右京兄様が時々弾いていて、教えてもらったわ」

父娘は、簡単に打ち合わせをして、また元の位置に戻った。

 

「次は……フランス帰りの隼人君へ」

亮介がニッコリ微笑む。

「え!? 僕ですか?」

「ほら──レイ。気持ちを込めて弾くんだぞ?」

「別に、関係ないわよ」

葉月がツンとしてヴァイオリンを構える。

「そういうタイトルの曲なんだ」

亮介が意味ありげに隼人に笑いかけてきた。

「え?」

隼人とマリアは何か解らなくて一緒に顔を見合わせた。

 

亮介がまたピアノに向かって前奏を弾き始めた。

今度は、ちょっとだけテンポが早く、弾けるような和音。

 

「あ──『IRRESISTIBLEMENT』!」

隼人が急にフランス語を呟く──。

「私も……聴いたことあるわ? 良く耳にする曲……」

すると隼人が照れたように黒髪をかいて俯いてしまったので

マリアは首を傾げた。

 

葉月がそんな隼人を可笑しそうに見つめつつも……

そっとボウを弦に乗せて軽快にメロディーを奏で始める。

 

「あら! まぁ……懐かしいわね。シルヴィー=バルタンね!」

登貴子も落ち着いたのか、軽快な曲につられるように笑顔で戻ってきた。

「おば様? シルヴィーって?」

「あら……やっぱりお若い方はあまり知らないのね?

私達が若い頃のフランスの歌手よ? 女優でもあったわね。

『アイドルを探せ』という映画でね? とても愛らしい人だったのよ。

そのアイドルを探せという曲も日本でもヒットしたわ? きっとマリアも何処かで聞き覚えあるはずよ?」

『隼人君は知っているわよね?』と登貴子が言っても、隼人はまだ照れていた。

「???」

マリアが首を傾げていると、登貴子がクスクスと笑い始めた。

「──『IRRESISTIBLEMENT』──。たしか、日本では『あなたのとりこ』というタイトルだったわ」

『まいったな……お父さんったら……』

マリアは『へぇ』と小さく漏らして、隼人を見つめた。

「ふぅん──『あなたのとりこ』ね……?」

マリアは、父親の伴奏で軽快なポップスまで上手く弾きこなす葉月の

演奏を優しい眼差しで……頬杖をついてうっとり眺めた。

 

「こうよ?

──どうしようもなく、あなたに引かれてしまうの 1秒ごとに

   どうしようもなく、あなたに縛り付けられるの わかるでしょう?

  波が岩をうち砕くように とめどもなく、でも決して和らぐことなく

  人はしょっちゅう不幸に打ちのめされる

  でも、私の愛だけが私達を救える……。

  涙の後には喜びが戻るように 冬の後には花一杯の春が来る

  すべてを失ったと信じた瞬間 愛が勝ち誇って戻ってくる──

だったわよね? 隼人君──」

「そうですね。たしかそれは2巡目の歌詞ですね?」

「……なんだか、そこだけ急に思い出したの」

登貴子が、明るいフレンチポップスを選んで演奏を楽しんでいる父子を

見守るように柔らかい眼差しをそっと向けていた。

 

──涙の後には喜びが戻るように 冬の後には花一杯の春が来る

  すべてを失ったと信じた瞬間 愛が勝ち誇って戻ってくる──

 

登貴子が今、その歌詞をしみじみと味わっているように隼人には思えた。

 

「なんだかフランス語って聞きあたりが柔らかいと思いません?

この曲を耳にしたら、私は『ひまわり畑』を想像していてけど……

そんな『一直線』な歌詞だなんて思わなかったわ……」

マリアはその歌詞に興味をもった様だった。

「ひまわり畑か……『フランス』とかヨーロッパのイメージなのかな? それ?」

「かも? しれませんわ? そういえば──」

「俺も子供世代になると思うけど、シルヴィーは有名なアイドルだったらしいよ」

「そうそう! とっても可愛らしかったのよ。60年代のおしゃまな女の子って感じで……」

「そうなのですか──今度、CD探してみようかしら?」

「それこそ、『アイドルを探せ』ね? マリア」

「あ、お母さん! うまい!!」

父娘の演奏を聴きながら、そんな会話で登貴子もすっかり明るくなって

マリアと3人、隼人は一緒に笑った。

そこで、亮介と葉月の『IRRESISTIBLEMENT』の演奏が終了した。

ダイニングテーブルの3人は一斉に拍手をした。

アップテンポな演奏だったせいか、葉月はボウを握ったまま額を拭っていた。

汗がすこし出たらしい。

『最高だったよ、レイ』

『パパもね──』

アメリカらしくパパが娘の頬にキスをして、葉月もお返しのキスをしていた。

(ああ……栗毛の父娘ってかんじ……)

隼人は思わず頬が緩んでしまって……そして、ちょっとそんな父娘が羨ましくなった。

 

「どうだい? 『IRRESISTIBLEMENT』」

亮介はすっかり興奮しているのか、ご機嫌なのか両手を広げて

おもいっきりフランス人気取りの発音で叫んでテーブルに戻って来る。

「おじ様、素敵だったわ。それにこの曲について初めて色々知りましたわ」

マリアもよほど興味を引かれたのか、高揚気味だった。

 

葉月は──というと、ヴァイオリンを手にしたまま庭に出てしまった。

 

「ハァイ──。きりが良いところでメレンゲスフレの登場だよ」

ベッキーがメレンゲをふんわりのせたクレープを運んできた。

「わぁ……美味しそう♪」

マリアもすっかりこの家の晩餐になじんだようだ。

「わ、ピンク色のグレープフルーツだ。フロリダだなぁ〜」

クレープの周りに散らされた柑橘フルーツにちょこんとミントの葉。

それにアイスティーをベッキーが皆の前に並べた。

「ベッキーも一緒に食べましょうよ」

「有り難うございます、奥様。では……レイに持っていたら、お言葉に甘えて……」

ベッキーは、一人、庭テラスの白いテーブルに腰をかけて涼んでいる葉月の元へ

デザートを持っていった。

 

「あの子は、あそこが好きだな」

亮介は、さっそくアイスティーに口を付け……

今度はひとり離れて過ごす娘を寛大な眼差しで見つめていた。

庭の白いテーブルで……リビングには背を向けて座っている栗毛の女の子。

ちょっと少女らしさを醸し出す右京が選んだ小花柄のワンピースが

変におかっぱ頭の葉月を幼くみせていた。

 

そこに──『16歳』の女の子が、昔通りに

でも? 大人達の前で、ちょっと心を開いてしまって……

一人戸惑って照れているように……隼人にはそう見えた。

 

(ちょっとだけ──糸が解けたのかな?)

 

隼人も頬杖をして、そっと夜風に揺れる葉月の栗毛を眺めた。

 

『マリア、レコードなら私は持っているぞ?』

『ええ? レコードは……どうせならCDで欲しいですわ?』

『むむ……私も探そうかな? 懐かしくなった』

『誰が早く見つけるか、競争ね?』

『あら? おば様も参加されますの? 面白そうですわね』

 

すっかりうち解けたマリアは、御園夫妻と楽しそうに会話をしていた。

でも──マリアはそれでも一人で子供のようにテラステーブルで

デザートを楽しんでいる葉月をちらりと見て気にしていた。

 

「失礼──」

マリアが一人でいる葉月を気にしていると、隣に座っていた『中佐』が

皿に乗っていたミントの葉を手にして立ち上がった。

マリアが目で追うと……

隼人はやっぱり一人でいる葉月の元へ向かって、テラスのテーブルに座った。

 

『これ、お前みたい』

隼人は指でつまんで持っていったミントの葉を、葉月の目の前でクルクル回して

ちょこん……と、葉月が食べているメレンゲの上に乗せていた。

『どうして?』

『緑の葉っぱだから──食べられなかった』

マリアには日本語で喋っている彼等の会話の意味は解らない──。

でも──その彼の眼差しは……初めて見た物で、基地での『中佐』の目ではなかった。

優しい眼差しで、一人でポッツリとデザートを食している彼女に

一生懸命話しかけていた。

まるで……お兄さんのように……。

 

「なんだかな……恋人と言うより兄妹にみえるな。

葉月ももうちょっとマリアみたいに色気があるといいんだがな」

「本当ね」

御園夫妻も、娘とそのお相手が一緒にいるところを暖かい眼差しで見つめていた。

『確かに──』

マリアもそう思った。

制服を着ている『彼女』は、とても立派に見えるのに……

今、『お兄さん』に話しかけられている可愛らしいワンピースを着ている彼女は

変に『少女』に見えて戸惑った。

昔と変わらない……『レイ』

もうちょっと色気がある女性になっているかと思っていた。

いや──それを垣間見ることもあるのだけど

今のマリアには昔と変わらない『変に異性に興味がない、女性になりきれない』

そんな葉月にしか見えなかった。

 

『それが……本当の姿なの?』

 

マリアはテラスで背を向けている栗毛の『レイ』に心で問いかけた。

 

 

「すっかりお邪魔いたしまして、ご馳走様でした」

 

夜の22時が回って、マリアが御園家を出ていこうとしていた。

庭先に停めてある赤い車に向かう所を、玄関先で御園夫妻と隼人が見送る。

葉月は──

テラスでそっとマリアが車に向かうのを見つめていた。

だが──葉月も流石に知らぬ振りは失礼かと思ったのか

芝庭を横切って車が停まっている門まで出てきた。

 

「マリアさん……気を付けて」

緑の植え込みを挟んで、葉月が彼女を見送る。

「ハヅキ──素敵だったわ。ヴァイオリン……また、良かったら聞かせてね?」

マリアの気の良い言葉に、葉月はまた恥ずかしそうに俯いて『サンクス』と呟く。

「じゃぁ……グッナイ……」

「グッナイ……マリア」

葉月がそういうと、マリアはちょっと帰りにくそうに葉月を見下ろしていた。

「……私は……レイと言ったらいけないのかしら?」

「そんな事は……」

「誰も教えてくれないのよ? あなたのこと……何故? レイと呼ぶのか」

葉月も……その訳を聞かれて『逃げて拒んだ』記憶があるので

ちょっと申し訳なさそうにさらに俯く。

そんな言いにくそうな葉月を見下ろして、マリアがまた微笑む。

「……いいのよ? その内……教えてね?」

『グッナイ……ハヅキ』

マリアはキッパリと諦めて、車に向かってしまった。

『あ……』

やっぱり言えなかった自分を葉月は自分自身で口惜しく思った。

 

車のドアが閉まって、彼女が運転席の窓を開ける。

 

「中佐! 明日、お迎えにあがりますからね!」

「ああ……サンキュー。悪いね」

自転車を置いてきた為、二人の間でそういう段取りになっていた事を

葉月は今、知った──。

マリアが車のエンジンをかける。

 

「待って!」

葉月は植え込みを回って、門に飛び出した。

 

隼人も両親も驚いたのか……隼人はすぐに駆け寄ってきてくれた。

でも、葉月はマリアが顔を覗かせているウィンドウに身を乗り出す!

 

「……あの、……中佐はね? フレンチトーストを作るのがすごく上手なの。

良かったら……良かったら……また明日、早めに来てモーニングを……」

自分で何を言っているのか葉月は解らなくなって……

戸惑って驚いているマリアの顔を見て、急に頬が赤くなったように自分で感じた。

「その──!」

その時──葉月の後ろ……両肩に隼人の手がそっと乗ったのが伝わった。

「そうだね。良かったら俺の腕前も試しにどう? 明日は今まで作った事ないトースト作るよ?」

「まぁ──中佐ったら……そんな事も出来るのですか?」

「自慢じゃないけど、独り身が長かったんでね」

マリアがまた可笑しそうに笑いだした。

「葉月──明日の朝でいいんだな?」

隼人が、怖いような眼差しで葉月の背中を押すように叩いた。

「……」

そこに、本当に伝えたいことを先程言えなかったから……

彼女をまた自宅に呼ぼうとしている葉月自身も自分で解らない行動をした意味を

隼人は既に見抜いている。

「あの……姉がつけてくれたの」

「え──?」

「祖母がレイチェルっていうネームでしょ?

お祖母様みたいに素敵なレディになるように……『リトル・レイ』……と」

「そうだったの!? 皐月姉様はそう考えていたの?」

「……姉の事は……思い出すのが辛くて……」

葉月が苦しそうに俯くと、隼人がかばうように葉月を胸に引き寄せた。

「…………」

薄々……『何かが変』と思い始めていたマリア。

そんな葉月の顔を見つめたまま、マリアも辛そうな顔をしていた。

「そう──。じゃぁ……その通りにならなくちゃね……」

マリアは……それこそお姉さんそのもののように微笑んでくれた。

 

「マリアさん──おやすみ」

隼人がそこで挨拶をすると……

『今日はこれで勘弁して欲しい』とマリアにも通じたようで

マリアも笑顔で『グッナイ』と挨拶をして窓をあげた。

 

赤い車がライトをつけて、フェニックス通りを走り去っていった。

 

「葉月──彼女、名前の如く……マリアって感じだな? 大人だ」

「……昔からよ」

「──え?」

「昔から……周りより大人びていて、周りの人にも頼られている姉御肌って感じで……」

葉月はマリアの車が角を曲がって消えるまで、ジッと道路の先を見つめていた。

「そうだったんだ。ま……そうだな? 姉御肌って感じだよな?」

「似ているの……」

「は? 誰に──?」

「姉様に──。だから、『怖かった』」

「──!!」

 

暗闇の向こうの波打ち際は今はもう見えない。

でも──さざ波の音だけが聞こえてくる。

 

そんな『彼女達』の心のさざ波が……

そっと聞こえてきたかのように隼人には、そう思えた。

 

参照:『IRRESISTIBLEMENT』 唄・SYLVIE VARTAN

『ベスト・オブ・シルヴィ・バルタン』より
今回本文中の歌詞訳はこのアルバムより(対訳:荒井 裕子さん)