27.笹葉エチュード

 

立ち上がって葉月は廊下に出て……和人を迎え入れようとしたのだが……。

ハッとして……目の前の日本庭園を見つめた。

 

『私……和人君まで頼っている』

 

和人だけ横浜に帰されては……葉月はあの横浜の家には帰りづらい気がしたのだ。

だから、鎌倉の家に帰ってきてしまったからには、和人がこっちに来ないと不安だった。

和人と一緒に飛び出したから、横浜の家には一緒に帰りたかった。

だけど──

和人の我が儘で、飛び出したとは言えやはり『共犯』でありながらも

葉月は和人よりは大人……。

大人なら、あそこで『差し止める』か……一緒に飛び出したなら

『飛び出した責任』は、葉月にあるはずなのだ。

 

なのに……『一緒に帰りたい』

そんな『和人を頼った責任逃れ』

 

自分のした事。

たとえ、一人で帰りづらくても……飛び出したのは『自分自身』

自分の不始末として、一人でも顔を上げて隼人の所に戻るべきなのに……。

 

「私……全然、だめ!」

廊下に座り込んでまたメソメソと泣き始めると瑠花が驚いたのか近づいてきた。

 

「葉月……いいのよ? ダメだって……。

あなたは、ここに帰ってきたときは、大佐じゃなくて……誰よりも甘えても良い末っ子なんだから」

瑠花に肩を抱かれると……また涙が溢れてきた。

「あなたは……子供感覚を『経験』しないと、大人になれないのよ。だから、いいのよ」

瑠花は知っているのだ。

『あの時』──無邪気な自分を捨ててしまった葉月の事を……。

『あの時』──無理に『悪事態』を受け止めようと大人になろうとしてしまった葉月の事を……。

ここはやっぱり……葉月の『実家』

帰ってくると弱くなるから……帰ってくると帰りたくなくなるから……。

余計に今は身体が動かない葉月。

 

『お帰りなさい。兄様ー』

『おう。親父達は起きなかったか?』

『ぜーんぜん、父様も母様もぐっすり、ついでに美音と徹もね♪』

『すみません。おじゃまします』

『いらっしゃい♪ 私は従姉の薫。待っていたわよ。あがって、あがって♪』

 

薫の積極的な出迎えも……葉月には遠い雑音に聞こえた。

 

 

「あーあ。またかよ?」

廊下に座り込んで泣いている葉月を見つけて、右京が栗毛をかき上げてため息をついている。

「あらら……葉月さんって結構、普通なんだ」

和人も徐々に……『葉月の性質』が解ってきたのか驚きもしないようで

右京と一緒にため息をついているだけ。

かえって、葉月より落ち着いていた。

 

笹の葉が五月の夜風にサラサラとなびいている。

 

サラサラ、サラサラ……。

外では子供になれない葉月の練習曲のよう……。

 

 

 

「腹減ったな。瑠花、ホットケーキ焼いてくれよ」

右京は車のキーを卓袱台に投げ出して、どっかりと上座に座り込んだ。

「ま。兄様ったら……ちょっとは格好良いもの注文してよ。うちの徹みたいに」

「うっせいな。お前のホットケーキが上等だから頼んでいるんじゃないか?」

「あら? そこまで誉められたら断る理由はないわね?

『和人君』だったかしら? あなたもいる?」

「あ……すみません。右京さんの太鼓判なら……是非♪」

和人はすっかり右京とうち解けあってしまったようなので……

そのやり取りに葉月は思わず、涙が止まって振り返ってしまった。

 

「兄様ー。夜中に食べると太るわよ? やめなさいよ」

薫がふんぞり返っている右京をしらけた目つきで見下ろした。

「ふん。俺の何処が太っているんだ?」

右京はセーターをめくって素肌を出して、お腹の肉を両手で寄せた。

「もー! レディの前でそういうおじさん臭いことやめてよね!」

薫が言い返せないほど……確かに従兄の腹部は無駄な贅肉がなかった。

和人が何故か? 右京の側に座ってケラケラ笑いだしたのだ。

「すごいっすねー。右京さん、背も高いし。僕もそんな大人になりたいな!」

「あら? 和人君だって背が高いしハンサムよ?

将来楽しみな可愛い顔! ジャニーズ系♪」

薫は和人を気に入ったのか? 和人の側に座り込んでからかい始めた。

「もう、薫。やめなさいよ?」

瑠花が台所から顔を出して、調子がいい妹にしかめ面を送ってきたのだが

薫はちょっと肩をすくめただけでなんのその。

右京も和人もなんだか可笑しそうに笑い合っていた。

「薫もいるでしょ? 葉月は?」

「も〜う、姉様の手料理には誘惑されっぱなし。いるいる♪」

「薫、お前こそ、太るぞ」

「なによ! 兄様のバカ! デリカシーってないの!?」

「お前に言われたかねーよ」

そんな長男と末っ子のやり取りはなんだか葉月と右京のやり取りにも似ていたが、

いつもの賑やかな鎌倉御園兄妹の姿だった。

 

「……お風呂、入ってくる……」

 

とりあえず、涙は止まった。気が済んだ気がした。

和人もなんとなく従兄が上手く面倒を見てくれそうだった。

葉月は座り込んだ廊下からそっと立ち上がって台所より奥にある風呂場に足を向けた。

 

「そっか」

「お湯、張り直しなさいよ?」

右京と瑠花が……そっと送り出してくれた。

葉月は涙をそっと拳で拭って……力無く歩き始める。

 

 

「おい、薫──。谷村の家に連絡して真一連れて来いよ」

「え!? こんな夜中に? 宏一おじ様寝ているわよ??」

「真一は夜更かしして起きているよ。葉月が帰ってきたって言えばすっ飛んで来るって」

右京の指図に、薫は困惑しているようだったが……

「解りました」

すんなり兄の指図に従った。

 

暫くして──

「こんばんはー」

『ガラガラ』と御園家の玄関の戸を開ける音。

右京はすぐに立ち上がって廊下に出てみると……。

この家にはなじみ深いせいか、真一は勝手に玄関を上がってもう、右京の目の前だった。

 

「葉月ちゃんが来たって? 驚いてお祖父ちゃんとお祖母ちゃんにも言わずに出て来ちゃったよ」

フィラの長袖ティシャツを着ているジーンズ姿の真一が

栗毛をもさもさとかきながら右京の前にやって来た。

「なにがあったの?」

訝しい真一の困惑顔も当然の所だが……

「まぁまぁ……葉月は今は風呂だよ」

「そうなんだ……」

真一は近頃、妙に落ち着いた顔つきになっていて、

右京から見ても徐々に『少年』から『青年』になりつつある過程を感じているほどだった。

おそらく──

『真実』と『実の父親』の存在を上手く受け入れている反面、

妙に悟りきっているような? あの素っ気ない父親の雰囲気に似てきたような?

そんな気がする。

だが──

「わ! いい匂い♪」

やっぱりまだ、子供の部分も沢山残っているようで、

真一は居間に近づくと途端に無邪気な顔をして飛び込んでいった。

「わぁ♪ 瑠花ちゃんが何か作っている! 俺も腹……へっ……た?」

いつもの如く、元気に居間に飛び込んだ物の……

そこに見慣れない茶髪の少年がいて、真一は後ろに置いてきた右京に振り返った。

 

「澤村の弟さん。『和人君』だ。挨拶は?」

右京の落ち着いた『親』のような差し向け。

いつも一緒にいるお兄さんの『弟』と聞いて真一は茶色い大きな目をまん丸と開け……

 

「こんばんは。澤村和人です。お邪魔しちゃってます」

和人はあぐらをかいたまま、ペコリと真一に頭を下げた。

「おや? やっぱり和人君の方が『お兄さん』だな。真一、遅れたぞ」

右京がまた『親』の如く、真一を諭すと、真一はちょっと驚いた顔をすぐに収める。

「初めまして……御園真一です……。

あの、お兄さんの澤村中佐には……『すっごく』お世話になっています!」

元気良くはつらつとした笑顔でお辞儀をしたので右京もそれとなく『満足』

ニコニコと甥っ子の礼儀正しさを見守っていたのだが……。

「何があったの?」

やっぱり真一は飲み込めないらしい。

葉月が突然、帰ってきても一緒にいるのが『隼人』の方なら

何があっても『しっくり』したのだろう?

なのに葉月が連れてきたのは『初対面の人』

 

「まぁ……深く追求するな。ゆっくり説明するさ」

右京は少しばかり『人見知り』をする真一を上手く、和人の向かいに座らせた。

和人も急に同じ年頃の男の子が来たので……先程の調子が出なくなったのか大人しくなった。

 

「もうすぐ焼けるわよ〜シンちゃんの分もあるわよ」

瑠花がエプロン姿で台所から顔を出す。

「いい匂い〜♪ 瑠花ちゃんのホットケーキは美味しいよ?」

まず……真一が……和人に話しかける。

「そうらしいね? それにホットケーキなんて何年ぶりかな?」

「お母さんいるんでしょ? 焼いてくれないの?」

「え? そんなのもうしてくれないし。元よりこっちからも格好悪くて頼めないよ」

「え? そうなの? 俺から見ると羨ましいけどなぁ? 俺なら頼むよ?」

「…………」

「…………」

お互いに『気まずい話題』になったと気が付いたらしい。

和人は真一の母親が『葉月の姉』で、目の前の同世代の子は母親がいないことに気が付き……

真一は、母親がいることが『羨ましい』がそれを『羨ましい』と言ったことを後悔した様子。

薫と右京は揃って苦笑い。

だが──

「ね、ね? 和人君ってどこの高校なの?」

薫が気まずい空気を良い方へ転換しようとありきたりな質問を提供する。

「え? 市内の○○高校です」

「わ! 凄いじゃん! 横浜でも凄い学校じゃない?」

真一も良く解っているのか素で驚いたようだ。

「さすが……隼人兄ちゃんの弟さんだね!」

真一が茶色の瞳をキラキラと輝かせて微笑みかけると

和人はその不思議な目の色に引き込まれたのか照れ始めたのだ。

「え? そうかな? たいしたことないと思うけど?

あ……そうそう。そっちだって……小笠原の医学訓練生だって……聞いたよ?

そっちの方が凄いよ。だってもう、専門的に進み始めているんだから」

「そうかな? まだ『かじり』だよ? え? 和人さんもやっぱり機械系志望?」

「うん。とりあえず親の意向で普通高校に入ったけど、大学は工学に進むつもり」

「専門とかは? 決めているの?」

「まだ、ハッキリは……とにかく、工学部に入りたいから受験までに検討中」

「うわー! やっぱり澤村の人だね!」

そこで二人の男の子があれやこれやと高校生らしい会話で言葉が滑り出し始めた。

それを見て、右京も薫もにっこり微笑み合う。

「工学って……やっぱり、澤村のお父さんみたいな勉強するの?

この前、お父さんが叔母の仕事場にパソコンを取り付けに来たけど……

LAN配線とかちゃちゃっとやっちゃって凄いね! 通信科の中佐さんも感心していたよ!」

「あー、そうなんだ。まぁ、うちの父親は朝飯前かもね?

俺はまだ、全然ダメ。小物みたいなのは時々作って遊ぶけど」

「え? え? どんな物作るの!? 作れるんだ! すごいな!!」

真一の妙に無邪気な『突っ込み』に、和人は落ち着いた顔をしている分

変に戸惑っている様子だが……、真一の質問に丁寧に応え始めていた。

その空気を壊さないように瑠花がそっと少年達の前に静かにホットケーキの皿を差し出す。

 

「よかったわね。兄様の作戦成功? 真一に同世代のお友達が外に出来たって訳ね?」

薫は、兄のする事を読み切ってご満悦?

右京にそっと耳打ちをしてきた。

「歳を聞いたら、一つしか違わないし……いずれ対面するだろうと思ってね。

和人君からもいろいろ家庭内のこと聞いたけど

真一にも和人君にも良い刺激になると思ってね」

右京と薫は兄妹同士……少年達の位置からそっと離れて瑠花のホットケーキをつつきながら……

徐々に盛り上がり始めた少年達の会話を見守り続けた。

 

 

「ね、ね! 奥の本棚に、フロリダのお祖母ちゃんが置いている面白い本があるんだ」

「いいね! 科学者だって聞いているぜ? お祖母さんって!」

少年二人は妙に話がまとまって、急にお互いが黙り込んで

競争するようにホットケーキをガツガツと食べ始めた。

「瑠花ちゃん、ご馳走様♪ 和人兄ちゃんと、書斎に行って来る!」

「瑠花さん、ご馳走様! すっげーうまかったです!」

二人の少年が一緒に立ち上がった。

立ち上がったかと思うと、二人揃って廊下に元気良くバタバタと出てしまったのだ。

『こっち、こっち 和人兄ちゃん』

『兄ちゃんってやめてくんない? 言われたことないんだよなぁ……』

『だって、俺よりいっこ上じゃない?』

『え? そうだけどさ……』

そんな会話が廊下から徐々に遠ざかってゆき……

御園兄妹三人は思わず、クスリとこぼしあってしまった。

 

右京はこれで……和人の口から真一に『事情』が伝わると思った。

同世代同志で、色々と意見交換するだろうと──。

 

 

「あら? 葉月……遅くない?」

皆のお世話が終わって瑠花がふっと呟いた。

「そうね? もう出てきても良い頃よね?」

薫も柱の古時計をそっと見上げる。

「そうだな……」

右京はホットケーキをフォークでちぎりながら腕時計を見る。

「様子見てくるわ?」

瑠花が風呂場に向かおうとしたのだが……

「いや……俺が行く」

「そう?」

 

右京は妹が作った極上のホットケーキを大口で頬張って平らげる。

 

「もうテキトーに寝て良いぞ。お前達も」

 

『うん……』

 

右京は妹たちを居間に残して廊下に出る……。

 

だが──向かったのは風呂場でなく……

二階の自分の部屋だった……。

 

なんとなく……そんな気がしたのだ。

そこで可愛い従妹が待っている気がしたのだ……。

 

 

「やっぱり……そこにいたか」

 

鎌倉の家は外見は日本家屋なのだが……

二階は洋室造りになっていて右京の部屋はその一つ。

右京の部屋は15畳程あり、ここの長男として悠々と暮らしている。

部屋には『ピアノ』がある。

グランドピアノではないが、祖母がずっと昔に右京に贈ってくれたものだった。

 

部屋を入ったすぐそこの窓際にベッドがあるのだが……

開け放していた窓の揺れるカーテンの側……。

バスタオルで頭をすっぽり覆った栗毛の従妹が

右京のベッドの上で膝を抱えて夜空を見上げていた。

 

従妹は小さな頃から、いつの間にか、そこにいる事が多かった。

右京の部屋の窓辺が気に入っている様子だった。

 

「シンちゃんの声がしたわね」

 

葉月が窓辺を見つめたまま、ポツリと呟く。

 

「ああ。和人君と年頃も一緒だから……呼んでみた。

思った通り、意気投合して登貴子伯母さんの本棚に行っているよ」

 

右京は無断で部屋に入った事はいつも咎めない。

咎める理由も自分の中で見つからないから──。

 

「…………」

 

そこで黙り込んでしまった葉月を右京はそのままにして

部屋の奥にあるピアノに向かった。

ピアノの蓋を開けて……けん盤の上にある布を取る。

 

そっと白いけん盤の上に、指を置く。

 

『チャラン……』

 

そっと右京の長い指がけん盤の上で舞い始める。

灯りも点いていない五月の夜の部屋……。

右京が弾き始めた曲は

ドビュッシーの『月の光』

 

延々と蒼い夜灯りの中──

その曲を弾き続けてみても……従妹はただジッと……

膝を抱えて窓辺を眺めているだけのようだった。

 

最後の和音を柔らかく指で弾き終える。

 

右京の部屋にまた……静寂が戻ってきた。

 

ピアノ椅子から立ち上がって……右京がベッドに振り返ると

葉月は窓辺側に身体を向けて横になっていた。

 

「葉月?」

ベッドに向かって従妹の顔を覗き込むと──

葉月は……もう、眠っていた。

 

「……なんだ、コイツは?」

散々周りを振り回して……ちゃっかり眠ってしまった小さな妹に右京はため息。

 

『あのね? 彼が女の人と抱き合っていたの!』

そう言ってメソメソし出すかと思えば……

 

でも、右京はベッドの腰をかけ……そっと笑っていた。

 

「お疲れ……葉月。よく小笠原を出て……人の家に泊まろうって決心したな」

家族と、その家族付き合いがある人間以外とは、あまり関わりを持とうとしない従妹が

結果はどうであれ、そうして『行動を起こした事』を右京は

変化をしようと試みた小さいまま大きくなった従妹を誉めてあげたいと思った。

ピアノのけん盤を弾いていた長い指で、そっと従妹の栗毛に触れてみる。

昔と変わらない手触り。

「それほどの、男なんだろう? だったら、許してあげな。信じてあげろよ」

従妹の栗毛は柔らかい。

風呂上がりで湿っていたが、夜風で徐々に艶やかに乾き始めていた。

 

自分が弾いた『月の光』一つで眠りに付いた従妹を……右京は暫く見守っていた。

 

のだが……。

 

「……どうしてカノン、弾いてくれないの?」

背を向けたまま、従妹がそう呟いたので、右京は驚いて

もう一度、葉月の顔を覗き込んでみた。

「起きていたのか!?」

葉月はそっと瞳を開いて……やっぱり夜空を見つめていた。

先程のように、もう泣いたりせず……。

気が済んだのだろうか?

いつもの平淡な表情でただ……外を見つめているだけ。

「カノン……聴きたかったのに……。『おいかけっこ』の曲だって……真兄様が言っていた」

「あ、そうだったな? 真もカノンが好きだったよな」

右京はまた、身体をベッドの縁に戻して膝の上で手を組んだ。

「カノン……純兄様と皐月姉様と真兄様のおいかけっこと重ねていたのもね? 兄様」

「……ん、まぁ。そういう事も言っていたかな?」

右京にとって葉月はいつまで経っても後からついてくる『子供』

自分と同級生、同世代だった谷村兄弟と皐月従妹のおいかけっこ恋愛について

いろいろと知っていても、あからさまに語るのは、12歳年下の従妹の前ではいつだって躊躇う。

だから……言葉をいつも濁す。

 

だけど──

『右京と葉月、瑠花と薫がカノンを弾いているといつもおもう……。

兄貴が先に出て……皐月が追いかけて……俺が一番最後に動き出すって感じ』

 

確かにそう言っていた。

 

「ねぇ? お兄ちゃま……どうしてお兄ちゃまはあの時純兄様に任せたの?」

 

右京は『ドッキリ』した。

葉月が言っている『あの時』が……

『性初体験』の時のことを言っていると解ったからだ。

 

葉月が言いたいのはこうだろう?

『純兄様があの時私を抱いたから……こんなに苦しんでいる』

そう言いたいのだろうか??

今まで従妹にこんな『異性的質問』をされたことはあまりない。

じゃぁ?

『右京兄様がその役をしてくれたのなら……』

そうとも言いたいのだろうか?

子供の考えていることは時には大人にだって解らないことが多い。

今、右京はそこに直面して言葉に詰まらせていたのだが……

 

「兄貴みたいな俺に抱かれてお前は気が済んだのか?」

「わからない……」

「……俺だって考えた。でもな……お前はやっぱり……

俺の中ではいつまで経っても『小さい女の子』なだけなんだ。

大人の女の身体として見るお前なんて、考えたくないし、触りたくもない。

そんな事、直面したら……俺は……一番大切にしている『想い出の時間』を壊すような気がした」

右京がつむる眼の奥で……

ヴァイオリンを手にしていつだって右京の後を引っ付いていた、小さな栗毛の『リトルレイ』

それが右京にとって『大切な時間』だったのだ、いまだってそうだ。

右京の『音楽』に『リトルレイ』は欠かせない。

「……そうよね。私も……だから、これで良かったんだよね?」

だから『純一』があの時は『適任』だったのだと葉月は納得しようとしている。

「……今度は私達がおいかけっこだね?」

純一が先に出て、葉月が追いかけて……隼人が追ってくる。

そう従妹は感じているのだろうか?

「澤村を追いかけてみたらどうなんだ? 

向こうが追いかけてくれなくなったらどうするんだ? お前は……。

とりあえず……明日、迎えに来るように言ってあるから……」

「…………」

葉月が黙り込んだ。

純一をまだ……捨てきれないのだろう……。

右京はそう思った。

「好きなんだろう? 彼の事」

そう問いかけると、横になっている従妹が背を向けたまま小さく頷いた。

「……純一は……ダメなんだよ」

「……闇の男だから?」

「……そうだな。俺もできれば……お前の花嫁姿みたいしな……。

純一にはそれは出来ないから……」

「花嫁姿ってなんの意味があるの? ドレスを着るか着ないか……それだけじゃない?」

「……その後も……お前は『光』の中で笑うべきだ。そんな意味も含まれていると

『ロイ』は言いたかったんだと思うぞ?」

「……隼人さんには、それが出来るって言うの?

私……そんな『結婚』の為だけに彼を好きになったんじゃない」

「本当の意味で好きなら……追いかけてくるなら、追いつかせてあげたらどうなんだ?

俺は『カノン』はただのおいかけっこだとは思っていない。

お前や妹たちと共演するときだって……いつも言っているだろう?

俺の後についてくる『旋律』も時には際だたせる。

俺は『カノン』は『共旋律』だと思っているからな」

「…………」

また葉月が黙り込んだ。

「明日、彼に謝る。……逃げてごめんなさいって……」

子供のような口調で葉月がそう言った。

逃げたら逃げっぱなしばかりだった従妹が……捕まってみると言っているのだ。

右京は……そんな変化を見せた従妹に少しばかり驚いて……

そして……やっぱり彼女の栗毛を撫でながら微笑んでいた。

 

「ここで眠って良いから、もう……やすみな」

グレーのジャージワンピースだけで窓辺に横になっている従妹。

また肩が冷えきっていた。

従妹は素直に、遠慮することなく右京のベッドの毛布にくるまり始める。

 

「お兄ちゃまの匂いがする……なんだかホッとする」

葉月はその時は昔のように無邪気に一瞬微笑んで……

そして瞳を閉じてしまった。

 

葉月が寝息を立てるまで右京はベッドの縁に腰をかけて見守った。

栗毛を撫でてやれば、いつも従妹はスッと眠りに付く。

それも昔と変わらない。

 

その後……右京はもう一つの窓辺にあるソファーで……

しばらくブランデーを飲んでから……そこで眠った。

 

『お兄ちゃま……明日、ヴァイオリン貸してね? 一緒にカノン弾こうね』

 

寝付く前の葉月がそう言った。

朝方寝付いた右京の夢の中……

小さなリトルレイが右京を追いかけるように旋律を追う『カノン』を弾いていた……。

右京にとって一番楽しみにしている大切にしている瞬間。