31. 舞う羽

 

 

『たっだいま〜』

 

鎌倉御園家で、すっかり澤村兄弟はうち解けた茶会を済ませて……

和人を連れ、葉月を連れて……横浜の家に帰宅した。

途中で……葉月と和人と供に、白い百合の花束を抱えて

『母:沙也加』の墓参りにも行った。

 

『お母様……』

葉月は、厳かに……百合の花を墓前に手向けて……

そして、隼人の次ぎに手を合わせてくれたのだが……

 

『葉月さん……長いね』

和人がそう呟くぐらい……葉月はずっと手を合わせて

なにを母親に話しかけているのやら?

異様に『真剣そのもの』だったのだ。

最後に……あの輝く瞳が母の墓石の前で向けられた。

それを見た隼人──。

 

『何を今度は決心したのかな?』

 

そう感じたが……改めて聞くことは出来なかった。

聞くのが少し怖く感じるほど……葉月が真剣だったから……。

 

その帰り──

 

『兄ちゃん、ドラッグストアー連れていってよ』

和人が街中にやって来てそう言ったのだ。

 

『なに?』

運転席にいた隼人は訝しんで後部座席にいる弟に振り返り……

助手席にいた葉月も……振り返った。

『なんだっていいだろ? 今すぐ、どうしても欲しい物があるの!』

『あ、そう? 解った』

いつもの我が儘と思いつつも、隼人はそこはお兄ちゃん……。

言われるままドラッグストアーに寄ってみるのだが……

『ついてこないで、待っていてよ!』

和人は兄と葉月の同行は許してくれずに、サッと一人で店内に入って……

レジ袋を手にして戻ってきた。

『何、買ったの?』

尋ねて弟がサッと出したものに……

葉月と供に隼人は『驚愕!』

 

『……ど? どうしたんだよ??』

隼人は驚いたが……一緒に驚いた葉月は、すぐに落ち着いた顔に戻って何も言わなかった。

 

『昨夜さ……真一と話したことで、ふと、思うことあってね』

和人がそれだけ言って、黙ったので……

『……あ、そうなんだ……』

お兄ちゃんは、ただ、笑って流すだけ……。

というのも……葉月は葉月で何か解ったかの様に、そっと嬉しそうに微笑んでいたから……。

 

そのレジ袋を手にして和人が先ず玄関に入った。

葉月は、右京が着せてくれたワンピース姿でヴァイオリンケースを手に提げて。

 

「ただいま……」

隼人も声をかけると……。

 

「お帰りなさい」

「お帰り」

 

リビングから美沙と和之が、輝く笑顔で帰ってきた子供達を出迎えてくれたのだ。

 

そして──

 

「お父様、美沙さん……昨夜はお騒がせして申し訳ありませんでした」

 

早速、葉月が頭を下げて、詫びてくれたのだが……。

 

「何言っているの? 帰ってきてくれればそれで構わないのよ?

何かあったらと……心配したわよ?」

美沙は……隼人が言ったとおりに『何もなかった』様にして……

いつもの笑顔で葉月に微笑みかけてくれたのだ。

そして……和之も。

「お帰り、葉月君──。鎌倉は楽しかったかい?」

咎めることなく……葉月をいつもの寛大さで迎えたのだ。

 

それを見ても葉月は申し訳なさそうな顔をしていたのだが……

 

「おや!? 葉月君……それ、ヴァイオリンじゃないかい!?」

和之は『願っていた事』の一つを葉月が早速手にして帰ってきたので

急に瞳を輝かせて玄関に駆け寄ってきた!

 

「え? あ、はい……」

和之が『葉月はヴァイオリンを弾く』という事を知っているとは、葉月は知らないので……

なんだか、また、困ったように俯いたのだ。

「ま。昔、弾いていただけの事だから……これから弾こうかなって気になったみたいで

右京さんが彼女に、ヴァイオリンを譲ってくれたんだ」

隼人は葉月が『深い訳』を告げなくても良いようにそれとなく濁してみる。

「あ、そうだったのかい? いや〜……じゃぁ、勘が戻ってきたら聴かせてもらおうかな?」

ここではまだ、今すぐ『弾く気はない』と悟った和之は……

息子の遠回しの『伝達』はすぐに解ったようで……残念そうに微笑んだ。

でも──

「いつか……お父様も是非……」

葉月は自信なさそうに呟いた。

『何故? ヴァイオリンを昔は弾いていたのに、今はパイロット?』

そう和之に尋ねられるのが『まだ、怖い』のだろう?

「楽しみにしているよ」

でも、和之は解っているから……その葉月の少しだけ『お許し』の返事が聞けて嬉しそうに微笑んだ。

 

 

そんな『帰宅』の大人達の挨拶の中……。

 

「さって、俺は今すぐしたいことがあるから」

和人は、何事もなかったように玄関を上がってシラっと階段へと向かおうとしていた。

「おい、和人……」

隼人は……心配させた親に一言もないのか? と、弟を諫めようとしたのだが……

葉月がそっと、隼人の制服の袖を引っ張って止めた。

 

『和人君としては……困らせたのは大人達と思っているのよ』

 

和人が買い物中に……そう葉月が言っていたことを思い出したのだ。

 

だけど──

 

「カズ……悪かったな」

「和人……いろいろとごめんね……」

 

和之が……弟を幼い頃の愛称で呼んで……

美沙も……柔らかい声で……

両親揃って、和人の背中に詫びたので……

葉月と隼人は驚いて顔を見合わせた。

 

「……べっつに。せっかく葉月さんが来たからさ──。

横浜市民として、夜のベイブリッジを自慢したかっただけ。それだけ……」

 

和人は振り向かずに、でも……語尾が少しだけ……泣きそうな声で……

そっと階段を淡々と上がって行くだけだった。

 

「カズ……今夜、母さんと食事に行くがお前も行かないか?」

「そうよ。貴方が大好きなもの食べに行きましょうよ」

 

「二人でいけば? 俺は忙しいの!」

 

和人はそう言うと階段をダダ!っと上がって姿を消してしまった。

少しばかりガッカリしたような和之と美沙だったが……。

 

「和人なりに気を遣っているんだよ。二人で仲良く行ってくれば?」

隼人がそう言っても……やっぱり親子三人で行きたかったのか

夫妻は少しばかり曇り顔。

すると葉月がニッコリ……。

 

「和人君が忙しい訳、知っていますわよ」

 

「え!?」

夫妻が揃って葉月に振り返った。

「そうそう。二人が出かけて、帰ってきた頃、驚くことがあるかもよ」

隼人も葉月が言いたいことが解って、ニヤリと夫妻を見下ろした。

「なんだね!? これ以上まだ、驚くことがあるのか!?」

和之がいつもの調子で、父親としてまた……心配しだしたのだが。

 

「いいわ……和人がそういうなら……。ね? お兄ちゃん」

「そ。たまには和人にも『背伸びの男らしさ』させてやれよ。

損はないって……今夜は二人で出かけても」

美沙がそっと……息子のすることから距離を置いたのを隼人は見た気がした。

「そうか……それもそうだな……」

和之も……そっと妻に同調するようにそれ以上は末息子に強要はやめたようだ。

 

「俺達……夕方の便で帰るよ」

隼人がそう言っても……和之と美沙は驚かなかった。

こちらの息子にも『無理強要』はやめたようだった。

 

「そうか……また、来るだろう?」

「勿論……葉月と一緒にね」

隼人はそっとヴァイオリンを抱えている葉月の肩を抱いた。

「美沙さん……今度は小笠原に来てくださいね」

「ええ、勿論……貴女の大佐姿、楽しみにしているわ」

女二人が、屈託なく微笑み合ったのを……

和之と隼人も……目を合わせて微笑んだ。

 

葉月と隼人は、すぐにゲストルームに向かって帰り支度を始める……。

 

 

「忘れ物するなよ」

「うん……」

白い正装から、いつものライトグレーの制服に着替える隼人。

葉月は、右京が着せてくれた愛らしいワンピース姿で

昨夜、脱走したときに着ていたハウスウェアワンピースをバッグに詰めていたのだが……。

 

隼人が、黒いカフスの金ボタンを閉めていると……

目の前で葉月がせっかく着ていた愛らしいワンピースを脱ぎ始めたのでびっくり!

 

「こら! せっかく、可愛らしく着ているのを……まさか、制服で帰る気か??」

 

軍内便で帰るからと言って『制服絶対』の規則はない。

皆、本島に行く際には『私服』で出かける者も多い。

ただ、葉月が『大佐』として人より意識して率先して制服を着ることは良い心がけだと思うが、

『今日は特別!』

せっかく可愛らしい『葉月お嬢様』であるのに……!

隼人はそう思って差し止めようとしたのだが!

 

「うるさいわね……着替えるんだから、あっち向いていて!」

「──!! なんだよ? お前の着替えなんて、見慣れっこだぜ!?」

所が……葉月がバッグから手にしている物が……

『ちら……っ』と見え、それが『黒い服』

 

(あれ??)

 

隼人は……葉月が何かをしようとしていると思って……

「わ、解ったよ……」

そっと、詰め襟のホックを締めながら葉月に背を向けた。

 

「……終わったか?」

「うん、いいわよ」

振り返ると……葉月はバッグの側に座り込んで……

隼人の視線を避けるように背を向けていた。

 

「それ──!」

 

「なに? 去年、右京兄様がくれた物の一つだけど?

基地に行くのに……やっぱり、『花柄』はマズイでしょ?」

 

葉月が着ている『黒いワンピース』

(俺が……クローゼットの中で気に入っていたヤツ!!)

着物のように前で合わせになっていて、腰でリボン結びをするようになっているワンピース。

少しばかり胸元が開いているのだが、

黒いフリルがシックに合わせ襟に沿って縫いつけてあるのでそんなに気にならない……。

 

葉月の短い栗毛が良く映える……黒い生地。

白い肌を際だたせる……黒い生地。

丈も膝丈で、そんなに短くないが葉月の引き締まった腰を結んだリボンがほっそりと見せている。

 

先程とは打って変わって、大人びた『御園令嬢』に葉月が変身した。

そういう服装をする葉月は、何処から見ても『洗練された26歳の女性』

基地で隼人に探りを入れるお洒落上手、化粧上手のOL隊員も

あの『水沢夫人』ですら……霞んでしまうほどの『優雅さ』だった。

さすが……あの『貴公子』の様な従兄と似ているだけある。

『いや〜……俺って本当、得かも』

思わず男として、顔がほころんでしまいそうだったが……そこは意地でも堪えた。

 

「俺って、右京さんと趣味、合うのかな?」

ロマンティックな花柄も。

メロウが波打つペイズリー柄のモノクロワンピースも。

そして……密かに気に入っていた大人っぽいワンピースも。

右京が『見立てた服』を着た葉月を隼人はどれも気に入ってしまわずにはいられなかった。

「……いいね。……でも、ちょっと残念……。

花柄も可愛かったのになぁ??

ま。基地に戻る私服としては……『御園大佐嬢』に戻るにふさわしい感じだね」

「でしょ?」

葉月が笑ったのだが……。

そこにはもう……『リトルレイ』はいなくなっていた。

「……マンションでお休みの日には着るから……」

葉月は脱いだスミレ柄のワンピースも……

右京が初日に持たせてくれた服も……丁寧にバッグにしまい込む。

 

でも──

『紅い服』だけが……まだバッグの外に出ていた。

 

「これ……美沙さん、着てくださるかしら?」

葉月が、そっとその服を撫でたのだ。

「美沙さんに? ……着るかな? こんな派手な色?」

隼人は、『元秘書』の継母は『トラディッショナル』で、

夫に似て『英国風』のかっちりした服装を好むのを知っていたのだが……

 

「……姉様にそっくり……って、訳じゃないけど……。

華やかなお顔付きだし、背丈も私と似ているし……体系も。

オチビの私より、『大人の女性』として着こなしてくれそうだから……」

 

「それ──。『姉様』として渡したいって事?」

隼人はそっと尋ねてみた。

葉月は……すこし迷ったように微笑んで黙るだけ。

(いいわよね? 皐月姉様……。それにロイ兄様を確かめるために着る事なんて……)

『解りきった事、必要ない』

葉月は思うことが出来た。

 

『なんだ!? 葉月! 誰がそんな洋服をお前に着せたんだ!?』

葉月の脳裏に、そんなロイの声が聞こえてきた。

真っ赤なワンピースを着た葉月を見て……

『皐月に似ている』とは思っても……

 

『なに!? 右京が選んでくれただと!? なんのつもりだ!

俺をからかっているのか? バカか、アイツは!』

 

『葉月を一番良く見立てる男』が

従妹に『……らしくない服』を着させて……

『どうだ? オチビに紅い服を着せたが皐月の事、思い出したか?』

なんて……事を突きつけられたと思って怒り出すか……

 

『そんなモン、二度と着るな! 俺と美穂がもっと似合う服を捜すから!』

ロイが……葉月として見てくれる事……。

絶対にそう言う彼がいる事が今なら『確信』出来る。

本当は葉月だって解っている。

 

(私──。ちょっと神経質になっていたみたい)

 

『私がこんなになったのは、お兄ちゃま達のせいよ!』

大佐になって……彼等が敷こうとするレールに恐れをなした。

彼等の『思いを実行する』力強さが怖くなった。

利用されているとも思った。

でも……『違う』

 

『私も……兄様達と一緒に行くんだから!』

 

皐月姉のためでも……償うためでもない。

 

葉月が、軍という制服を着ようと決めた瞬間から……。

 

『自分で進むって決めたんだから──』

そして……葉月の隣には今……黒髪の頼もしい相棒がいる。

自分だけのために……側にいてくれる最高の相棒がいる。

葉月自身が進むために……選んだ相手だ。

兄達は兄達の力で、前へ行く。

葉月はオチビなりに……自分が決めた相手と前に行く……。

 

だから──

紅い服は……着るべきではない。

紅い服は……葉月の服ではない。

 

「……皐月姉様はもう、着られないから……。

私も……姉様色をもらおうだなんて思っていないから……。

それに……美沙さんのような綺麗な女性に着てもらいたいから……」

「……そう……だね? 美沙さんに聞いてみるよ……」

隼人は少し……戸惑いつつも笑顔でその服を葉月から受け取った。

 

葉月は、隼人が帰り際……その服をどうやって美沙に手渡したかは知らない──。

 

その後すぐに……和之と美沙に見送られて

隼人と葉月は揃って、横浜の家を出て……自分達の足で横須賀基地へ向かうことにしたのだ。

 

「葉月さーん♪ 俺、遊びに行くからねーーー!!」

 

二階の窓から、和人が慌てて姿を出して手を振っていた。

 

「待っているからね!」

 

「和人──! 『黒くなったら』、デジカメで取ってメールくれよ!」

 

隼人も弟に叫んだ。

 

「その気になったらな! 兄ちゃん! 葉月さんを、もう逃がすなよ〜!

俺、泣いてる姉さんの面倒見はもう、こりごりだからね〜!」

 

相変わらずの『生意気』に隼人も葉月も、思わずおののいて……

そして笑い出してしまったのだ。

 

そう──

和人がドラッグストアーで購入したのは『黒髪への色戻し』

 

手を振る弟に見送られて……二人は肩を並べて……横浜を後にしたのだ……。

 

ヴァイオリンとプラダのバッグを手にした、シックな黒服の栗毛お嬢様。

その後を……隼人は葉月の旅行鞄を肩に提げて制服姿で歩く。

葉月の背中を守るように──。

 

「なんだかさ──。鎌倉お嬢様の『お付きお供』って感じ」

隼人が、笑うと……葉月は不服そうに振り返った。

「なによ? お供とか言っておきながら、本当は側近の方が

私達の場合、すっごく『偉そう』なんだから!」

いつもの『生意気』も復活で、隼人はまた笑い出す。

なんでも笑って流してしまう『兄様』に葉月は不可解そうに眉をひそめるだけ。

「あったりまえだろうー♪ ウサギにやられるつもりは全然、ないからな」

「あっそ」

適わないと見たのか? 葉月はまた、いつもの平淡な顔でシラっとして前を歩き出す。

もう愛らしいリトルレイはいない……。

いないけど……『彼女の中で生きている』事……隼人はもう知っているから……。

そっと笑いをこぼしながら、お嬢様の後をついてゆく。

 

横浜の街が見下ろせる坂の住宅地。

そこを近辺鉄道駅まで、二人は歩く。

 

五月の風──。

黒い服を着た短い栗毛の洗練されたお嬢様。

高台に吹く風が、彼女の栗毛を揺らして、白いうなじをそっと……

後ろを歩く隼人に見せてくれる。

 

そんな頼りなげな細い首を、隼人は眺めながら……ずっと……。

前を歩く彼女の小さな背中を愛おしく感じるだけだった……。

これからも──

隼人は彼女の背中を見つめて……歩こうと……。

 

 

 

「おはようございます」

「イエッサー!」

 

連休が開けた……。

 

また、葉月はかっちりとした軍服に身を包み……

冷たい横顔……ドッシリとした威厳で朝礼の小さな木箱に立っていた。

そこに幾人もの青年達を従えて……

いつもの如く……横で控えている隼人が渡すバインダーを受け取って

『本日の指令』を言い渡す。

 

「……ですので……今回からは……」

葉月の凛々しい眼差しが青年達に注がれるその隙に……。

隼人はそっと青年達が集まっている『後列』に移動を企む。

 

『ちょっと……隼人兄! 何処に行くの!?』

 

前列で『補佐』が並んでいる所から抜け出そうとしている隼人を見て

ジョイが止めた声がしたのだが……。

 

隼人は何喰わぬ顔で、青年達の後列へと足を向ける。

 

『中佐の見回り』

 

大佐の『朝礼中』に無駄口を叩いているものがいないかの『見回り』だと

青年達は思ったらしく……隼人が側を通ると妙に皆、引き締まった顔に……。

 

葉月の淡々とした威厳ある『朝礼』が続く……。

彼女も隼人の取る行動には、口出しはせずに一指導者としての役目を任せてくれている。

 

の……だが──。

 

『では……本日はこれにて……』

葉月の『指令伝達』が終わった。

『敬礼!!』

山中の号令で、皆が一斉に葉月に向かって『敬礼』をする。

勿論、葉月も、木箱の上で部下に向けて凛々しく『敬礼』をした……。

 

その瞬間!

 

『パシャ!!』

 

本部内……列の後部から、一瞬何かが光った!

 

「?」

「??」

青年達は、訝しそうに後ろに振り返ったが、そこには何喰わぬ顔で……

ただ、『澤村中佐』が立っているだけ……。

 

なのに……前列にいる補佐中佐……

ジョイと山中は面食らった顔。

そして……

 

「ちょっと! 中佐! 今、ポケットに隠したもの、出しなさいよ!」

 

葉月が『女の子らしい声』で、叫んだ。

木箱の上、急に叫んだので、青年達が驚いてまた前に視線を戻す。

 

「なんの事でしょうか? 大佐??」

 

「なんの事ですって?? 今! 私を撮ったでしょ!!」

「撮っていませんよ??」

日頃、冷たい顔ばかりの『冷たい大佐嬢』が、熱くムキになったのに対し……

側近の中佐は余裕しゃくしゃく、なんのその──。

大佐のお怒り声にも『しらっ』としているので

本部員全員が、その光景に目を見開いて、驚いているだけ──。

 

「えーと! 解散、解散!!」

 

ジョイが慌てて、本部員に号令をかける。

弟分の声にやっと我に返ったのか葉月も、いつもの顔に慌てて戻して木箱を降りた。

 

そして──まだ、後ろにいる隼人に一睨みして

『ツン』とした横顔で大佐室に戻っていった。

山中も、隼人のらしからぬ行動に呆れたため息をついて、そっと席に戻って行くだけ。

 

「なにしているの? 隼人兄!」

ジョイが訝しい表情で、隼人の元にやってきた。

「ま。実家のリクエスト──」

隼人は胸からデジカメを出して、ニヤリと微笑んだ。

「リクエスト?」

「うちの姉貴と弟がね。大佐の格好良いところを見たい、見たいってうるさくてさ」

「ああ〜、そういう事。って『姉貴』ってなに!?」

「え? 俺の『継母』の事だけど?」

隼人がこれまたシラっと呟くとジョイはすこし驚いて表情を固めた。

だが──すぐに嬉しそうに微笑んでくれた。

「すっごい美人だって……お嬢が嬉しそうだったよ? 俺も紹介して欲しいな〜♪」

「その内に、こっちが嫌だって言っても押し掛けて来るって」

「わ、なに? 相変わらず冷たい言い方……隼人兄って」

『天の邪鬼だな〜』とジョイが呆れてふてくされる。

だけど──

『天の邪鬼』は復活でも、隼人は……

家族が揃って小笠原に来てくれる日を……

『葉月』と心待ちにしている……。

 

 

『隼人お兄ちゃんへ

お仕事、頑張っていますか? 葉月さんの肩の怪我は良くなりましたでしょうか?

聞いて下さい。

私、和之さんの会社で『英会話レッスン』のちょっとした研修講師を頼まれました。

小笠原や横須賀へ行く営業さん達にちょっとした英語会話を教えてくれと……頼まれました。

勿論──引き受けるつもりです。和人も応援してくれました。

それでね? 和之さんがね? 私にパソコンをくれました。

和人の進学が落ち着いたら……『秘書になってくれないか』と言ってくれたのです……』

 

そんなメールが隼人のノートパソコンに送られていたのだ。

 

『その手始めに、パソコンに慣れようとメール送ってみました。

和人に教わって、添付ファイルもつけました。先日──皆で食事に行った時……

昭雄さんが撮影した物です』

 

そのメールに付いていた添付ファイルには……

 

葉月が美沙に着て欲しい……と隼人に預けてくれたあの『紅い服』を美沙が着ていたのだ。

どこかの中華料理店らしく、丸い回転テーブルを囲んで

黒髪になった和人が真ん中で、両親に挟まれて子供のようにはしゃいでいる笑顔。

 

『隼人お兄ちゃんも、小笠原での葉月さんとの生活、良かったら教えてね?

できたら……本当に大佐らしい葉月さんのお仕事姿を見てみたいわ。

和人もしょっちゅう……葉月さんのことを話に出します。

私と和人にとっては、彼女は……大佐じゃなくて『可愛らしいお嬢様』だから……

まだ……大佐という事がピンとこないねって、二人で話しています』

 

そんなメールが来たので、ちょっとした隙を狙って撮影したのが

先程の『朝礼』

 

当然──葉月には内緒で……。

一日のうちで、なんといっても『あの瞬間』が、葉月が凛々しく見えると隼人はいつも思うから──。

 

大佐室に戻ると……

訓練に出られない葉月が、憮然と書類に向かっていた。

 

隼人も何食わぬ顔で……席に着く。

 

ノートパソコンを開いて、葉月の目の前で堂々とデジカメを繋げてみたりする。

 

「……構わないけどね。時と場合ってあると思うのよね」

葉月が唇を尖らせて、隼人の作業を横目で流していた。

『横浜宛』という事を、既に見抜いているようだった。

 

「……美沙さんと和人の強い要望だからね。

親父なんて『そんな葉月君は小笠原では当たり前。私は良く知っている』って……

二人の前で自慢する度に、悔しいらしくてさ」

 

「──そんなに見たいほどの事かしら? 私の敬礼姿なんて」

葉月はペンを持ったまま頬杖、ため息をこぼした。

 

「美沙さんが……お前にもらった洋服、気に入って着てくれているんだから

少しは、向こうの要望も聞いてやれよ?」

「別に拒否はしていないわよ!? 隼人さんが変な瞬間を狙うからいけないんじゃないの!」

「あーはいはい」

またいつもの『即言い返し』が返ってくるようになって……隼人も渋い顔。

 

「でも、隼人さんが実家の為にそんな事するなんてね」

葉月が『にやり』と、頬杖したまま微笑んだのだ。

「べっつに。うるさいから送るだけだよ。送らないと催促のメールが何度も来るから」

無表情な『天の邪鬼』をみてからの方が……

葉月は柔らかく微笑んでくれたのだ。

 

『隼人さんらしいわね──』

彼女の笑顔がそう言っているよう……。

 

『俺もね……お前じゃないとダメかも』

天の邪鬼を上手に流すのは葉月もだいぶお手の物……。

 

ヒラヒラ……ヒラヒラ……。

隼人の心に舞っていた、翼から離れた小さな彷徨い羽が……

頬杖で微笑む彼女の栗毛頭にふんわり……

舞い降りたのを、見た気がしたのだった──。

 

=ハヤブサ紀行 完 =