××× ワイルドで行こう ×××

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 10.車しか、興味ねーから。 

 

 せっかく愛された身体だから、汗ばんだ素肌にそのままブラウスを着た。
 真夜中の帰り道も、月明かりで溢れていた。英児の銀色のフェアレディZが海辺の道を走る。
 運転席で煙草をくわえて、薄明るい国道を見据えている彼。
 黒くて太いステアリングを握っているその手を見つめては、琴子はその指でどれだけ愛されたかを思い返し、また胸を焦がしている。
 夜遅い田舎の国道は、それほど車も走っていなかった。時折対向車に出会う。信号も点滅で素通りですいすいと車が市街へ戻っていく。
「まだ暫く残業で遅くなるんだよな」
「うん」
「なるべく迎えに行く。仕事終わったら連絡して」
「嬉しい。でも、英児さんは忙しくないの?」
 くわえ煙草の彼がにこりと笑って、『忙しくないよ』と運転席から琴子の頭を撫でた。
 その手が最後に、名残惜しそうに琴子の手を握って暫く離さなかったり……。
 最後まで愛し合ったその熱い気持ちがいつまでも続いていて、彼はそうしていちいち琴子に触れてばかり……。運転で余所見が出来ない分、彼は琴子の手と手を置いている足を撫でて撫でて離さなかった。
 あの部屋からずっとこんな状態。
 愛し終えてぐったりした琴子の身体を、またひととおり愛撫してくれたり。一息ついている時も、琴子の髪をかき上げて顔を覗いてばかりいて。着替える時だって、いちいち抱きついてきて『そのブラウス、可愛いな』とか『このサンダル、女らしいな』とか。もう……。『嬉しいけど』。琴子もこんなに熱烈に愛されるのは初めてで戸惑ってばかり。
 モーテルを出る時も、背中から抱きしめられて、長くキスをされてなかなか外に出られなくて。そのうえ、また身体を撫で回されて、せっかく着たブラウスの胸元を再び乱されてしまったり。ちょっと抵抗しないと、また彼に裸にされそうになったぐらい。それを何とか宥めて、やっと車に乗って帰路につくところだった。
 でも――。琴子の身体も熱くて仕様がない。そのまま流されて良いなら、あの古い部屋でも、彼ととことん睦み合って眠ってしまいたかった。
 きっと、あの部屋で彼と迎える入り江の朝は素敵だっただろうな。そう惜しんでいるほど。
 それにしつこいほど熱烈に抱きしめられても。これほど幸せなことって、そうそうないだろうと思った。
 ――いままでの私、なんだったのかしら。
 確かに身体は大人の経験をしてきたはずなのに。この夜の行為は、とてつもなく『女』だったと思う。なにせ、琴子は男と寝て初めてイクという快楽を得てしまったのだ。だけれどこの彼なら――、あそこまでリードされてしまっても当然かと思っている。彼の、女の恥じらいを上手に快楽に導く自然さが。そして女を狂わす巧さを感じずにはいられなかった。女の性を引き出され、そして琴子もその姿に変貌することを厭わなかった。そこまで我を忘れて睦み合った自分を思い返すと……今は恥じらいが生じる。だけれど後悔はない。
 胸を張って言える。私は思いっきり女になって、彼を愛し尽くしたって。今度はベッドで彼に褒めてもらえる。『くたくたになって力尽きた女は、やっぱスゲーそそられる』と――。だからなのか。ぐったりしている琴子の肌を身体を、彼はもう一度隈無く愛撫してくれた。
 そんな女としての至福。もし、この一夜が一夜限りでも。これから先ずっと、一度きりでも『女』として燃え尽きた夜を糧に生きていける。そう思える一夜に出会えたことは、女として幸せなことだと噛みしめていた。
 
「今度の土日の休み、うちの店に来てくれよ」
 琴子の手を離して、海沿いのカーブに沿ってハンドルを回す英児が急にそう言い出した。
「いいの? 社長さんになにも言われないの?」
「あははは!」
 彼が笑った。
「言わねーよ。その代わりさ。俺の上司だからさ。『私、滝田の女です』て、可愛く挨拶してくれる?」
 妙に含んだような言い方に意味深な笑みを向けられる。なんだか試されている気がした。きちんとした彼女としてどのような挨拶をするのか……という探りなのだろうか? 恋人になりたてで浮かれた女の行き過ぎた挨拶なんてしたくない。絶対に。だから琴子は少しばかり冷めた目を彼に見せる。
「普通に挨拶します。それに……英児さんの整備している仕事場みてみたいし」
「一介の整備士ってだけだよ、俺なんか。ほんとに琴子は俺みたいな男でいいわけ?」
「なんで今になってそんなこと言うの。私、言ったわよね。どんな貴方でも好きって」
 彼がふっと笑って、今度は黙ってしまった。
「ほんっと。俺、社長さんにも『琴子さんにべた惚れです宣言』しておくわ」
「え、なにそれ。社長さんにそんなこと言うの?」
 恥ずかしいからやめて――と言ったら、また彼が笑い出してしまった。
 そしてそれほど車が走っていない海岸沿いの道、その路肩に銀色の車が急に一時駐車する。
 どうしたのかと運転席の彼を見ると、もうそこに身を乗り出した彼の顔があった。大きな手がまた強引に琴子の頭をぐっと引き寄せる。
「琴子は可愛いな。しっかり者のくせに……」
 くせに……。なに? 問い返す唇を塞がれる。
 もう、いいわよ。今夜はもう。
 いつまでも終わらない口づけに、ついに琴子は首を振って抵抗してしまう。勿論、許されるはずもなく……。
「俺もやっと前に進める。琴子のおかげな」
 ようやっと口元を解放されて、彼に抱きしめられたけれど。
 その、とても感慨深げに琴子を抱いた彼の声が、すこし哀しく響いたのは気のせいだったのだろうか。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 ほとんど朝帰りといって良かった。真夜中に帰ったというのに、やっとシャワーを浴びた後も興奮醒めやらぬのか、目が冴えてしまい眠れなかった。朝方になって少しだけ眠った。
 朝、母に『久しぶりに遅かったね』と聞かれたが、『そうなのよ。いつものこと』と素知らぬ顔でやり過ごし、母だけにぎこちない仕草で見抜かれないよう、さっと出勤。
 その時になって、急に眠気が襲ってきたが。なんとか堪える。これも、最高の愛夜を得た為だからと。
 そして琴子、気にしていた『その時』を迎え一人構えていた。
「琴子、ちょっといいか」
 デザイナーとのミーティングを終え、朝の業務が落ち着いた頃。社長デスクに座ったジュニア社長に手招きをされた。
 ついに報告せねばならぬ時が来てしまう。昨夜、ちゃんと事情を説明もせず、彼のお迎えに飛びつくようにして社長と別れたこと。
 でも。今なら説明できる。ちゃんと『お付き合いしています』と報告しても良いだろうと覚悟を決めて。
 いつも、琴子を取り巻く不遇な状況を案じてくれたお兄さんのような社長。デスクに座って、あれこれ色校正の用紙を探っているジュニア社長の目の前へと来た琴子は、そんな報告をする気恥ずかしいむず痒さをなんとか抑えていた。
 『いつから彼と?』――そう聞かれたら、まず……母のことから説明したらよいだろうか? そんなことを頭の中で整理していたのだが。
「なんだって。滝田社長にお母さんを助けてもらったのが縁だって?」
 琴子は耳を疑った――。報告しようとしたことをそのまま、まだ何も教えていない社長から言い出したから。いや、そうじゃなくて。もっと驚いているのは。
「滝田、社長……ですか?」
 もうすぐ発刊される地元の中古車雑誌の色校正。それを社長が何枚か引き出して眺めながら琴子に言った。
「うん、そう。滝田モータース、『龍星轟/リュウセイゴウ』という店の経営者だろ」
 え! 琴子は目を見開いて言葉を失った。
「あの……。三好社長も、お父様の社長も、奥様の車も、見たことあると……彼が」
「あるよ。滝田モータースは確かな店だから一括整備してもらおうと、親父にも了解もらって俺が持ち込んだんだから」
 ちょっと待って。状況が見えない。琴子は眠気も手伝って頭をぼうっとさせる靄が思考を鈍らせようとしているのをなんとか振り払おうと、首を振った。
 だけれど。そんな琴子の動揺を、ジュニア社長には見抜かれてしまう。
「ふうん。滝田の社長、琴子には素性を説明していなかった訳か」
「あの、整備士だということだけ聞いているんですけど」
 呆れたため息をこぼしたジュニア社長が煙草をくわえた。
「彼らしいな。生粋の車好きだからな。社長とかいう肩書きはオマケだと思っているんだろう。それに琴子みたいな『女の子』じゃあ、滝田モータースの知名度なんてあっても興味なし無関係だろうしな」
 知名度? なんか急にすごい話になっているようで、琴子の胸がドキドキ緊張してきた。
「そんなにすごいお店なんですか」
 社長が誇らしげにニヤリと琴子を見た。
「女がブランドのバッグを崇拝するようにな、男にもあるんだよ、男のブランドってヤツが。車を格好良くしたいなら『タキタに持っていけ』が車好きな男達の合い言葉っていえば、無関心な女の子にも分かり易いかねえ」
 そこで、ジュニア社長が先ほどから探っていた色校正の試し刷りの用紙を琴子へと差し出した。
 そこには見覚えある赤と黒を基調にしたロゴマーク。
「琴子も何度か目にしたことあるはずだ。俺の車のトランクに貼っているだろ。滝田君の昨夜のゼットにも貼ってあるはずだし。それに、毎月うちで受注回してもらっている中古車雑誌にもこのトレードマークひとつの広告を毎月だしているだろ。校正チェックの時、琴子も何度か目にしているはずだ」
 そんな、何百ページもチェックするのに、いちいち広告なんて記憶していない。でも、琴子はそのロゴマークを見てやっと思い出していた。
「これ。あの人がいつも着ている作業着のジャケットの袖に縫いつけてあったワッペンの……」
 雄々しい龍に星、レーサースーツなどに貼り付けてあるようなと思ったあのワッペンのロゴだった。
「このステッカーを貼って走るのが、このあたりの車好きのステイタスなんだよ。タキタでドレスアップした、タキタでチューニングしてもらった、タキタで整備してもらっている。ヤンキーからは絶大な支持を得ている元走り屋で、車好きからは信頼されているカリスマ店長と言えば良いかね。かくいう俺も、それを聞いてタキタのステッカーを貼りたくて、いや……やっぱりあの男は本当に車好きだし、車を乗る男の気持ちを良く理解してくれるんだよ。依頼者の気持ちを汲んだ車に仕上げてくれる。俺もそれで家にある独身時代のセリカT200を俺好みにコーディネートしてもらって、定期整備してもらっている。その縁で我が家の車は全部タキタ任せなんだよ」
 頭真っ白……。暫く、琴子の全ての動きが停止した。
 そしてやっと我に返った時浮かんだのは。『嘘つき!』だった。とっても悔しかった。目の前、見えた彼の顔は昨夜ニヤリと笑って『俺の上司だから、可愛く挨拶して』というあの顔。
 いやーん、騙された。試された、弄ばれた! 
 ――『社長? 生粋の走り屋。俺と同じ独身、もう夜ブンブンいわして峠道を走るのが大好き』。
 あれって自分のことだったんじゃないのー。なんで教えてくれなかったのー!? でも、琴子も思う。ジュニア社長と同じ。『彼らしい』。いちいち自分から『店を持っている経営者』だなんて言わないところが。
 ――『俺、一介の整備士だよ』。
 きっとあの言葉も嘘ではない。彼はつねにその心積もりで、ただ沢山の車を愛しているうちに『店を持つようになり』、それが広がって『会社』になっていたのだろう。
 ――『いやー。やっぱ、琴子さんは可愛い女の子さんなんだな』。
 あの意味がやっとわかった。ジュニア社長が言ったとおり『車に興味がない可愛くすることが一番の女の子さんにはわからない』という意味だったのだと。
 だが、目の前のジュニア社長がどこかホッとした嬉しそうな笑みを見せていた。
「安心した。あの男なら琴子とつき合っていると言っても任せられる」
 お兄さん的存在だったジュニア社長にそこまで言わせる男だということ。それでも琴子はまだ困惑している。
 そして社長が急におかしそうにクスクスと笑い出した。
「どうかしましたか?」
 煙草を吸って、ひたすら肩を揺らして笑っている。
「いや、昨夜さ。滝田君が俺にさ……。『彼女に惚れているんです。大事にしますから、任せてくれませんか』なーんて、俺に言うの。俺、琴子の家族じゃないし。まあ、兄貴みたいな上司だけどさ」
「そ、そんなこと、彼が言ったんですか!?」
 かあっと身体も頬も一気に熱くなる琴子。上司にそこまで言い切るだなんて!? そんな男……。でも、彼はそういうきっぱりけじめをつける男でもあると琴子は急に納得してしまう。
 昨夜のあの時点では、まだお互いの気持なんてきちんと確かめ合っていなかったのに。あの時、既に彼は琴子のことを『惚れている』と堂々と言ってくれたなんて。しかも上司に。嬉しいけど、やっぱり彼にはびっくりさせられてしまう。
 ジュニア社長も、やっと落ち着いた笑みで煙草を灰皿に消した。
「ここらで評判の経営者だよ。一匹狼的な生き方をしているかと思えば、中小企業ばかりの地方の特性もきちんと踏まえて人付き合いもできて、なにより困った人間を放っておけない。ヤンキー共が『兄貴、兄貴』と慕って集まるのも、彼の責任感を信じて車を任せたい男達も、彼のそんな人柄に惚れてしまうんだよな。俺もそうだもん。愛車預けて良かったから、家族の車も全部任せることにしたんだから」
 あの男、いい男。ジュニア社長がそうまとめる。
「確かに、母もそう言っていました。責任感ある働き者。それに転んだ母をすぐに助けてくれて」
「だろ。お母さんのお墨付きまであるなら問題ないな。しっかり捕まえておけよ」
 だけど。そこで社長が、龍星轟のロゴマークを見つめながらふと呟いた。
「でもな。これほどの男が独身のまま。ちょっとそこは気になるな。忘れられない女がいたのか、女より車なのか。『結婚』に踏み切れないなにかがありそうだな」
 ドキリとさせられた。そして、社長もつい言ってしまったといわんばかりに慌てて琴子を見た。
「いやいや。でも、あの男がはっきりとお前に惚れていると言い切ったんだから。あ、だから琴子も安心していないでちゃんと女として頑張れよってこと」
「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですからっ」
 もう、異性関係丸見えにされちゃって恥ずかしいから琴子もムキになって照れを隠した。
 でも。琴子も社長同様、昨夜から少し気にしていた。特に『誰かを一生懸命愛していたのだろう』と感じてしまった女の勘というのだろうか。
 忘れられない女性がいるのか。でも、あんなにきっちりしている彼がそんな後ろめたい愛し方するとは思えない。車好きが高じて結婚できないの方がしっくりする?
 だが。琴子自身もひとつ、はっきり言えることを胸に秘めている。
 もう結婚するとかしないとか。今はそんなことどうでもいい。今はとにかく、彼とどこまでも一緒にいて深く愛し合いたい。それだけでいい。
 だって。もう彼をとっても『愛しているんだもの』。きっと結婚しなくても愛していける。そんな気がするほど。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 でも、やっぱり許せない。今まで言い出せるチャンスはいっぱいあったと思う。
 可愛い女の子さんですって? そりゃ、私も広告とかワッペンとか車のステッカーとか、気付くチャンスはいっぱいあったはずなんだけれど。
 一日中、琴子はこれまでの英児の言動を思い出しては腹を立てていた。
 それに昨夜も。『琴子は可愛いな。しっかり者のくせに……』。あれもきっと『しっかり者のくせに、時々抜けている。可愛いね』とからかっていたんだと。……でも。その時の、わざわざ車を路肩に止めてまでしてくれたあの熱いキスを思い出してしまう。彼のどこか嬉しそうで安心したような優しい眼差しとか、その時の慈しんでくれる唇とか。
 あーんダメダメ。もう許しちゃっている。
 身体も頬も熱くなる一方。朝はあんなに眠かったのに。彼の正体を聞いてから、また興奮して目が冴えて、脳がハイになっているのが自分でもわかっていた。
 
 その状態で今宵も残業を終え、琴子は会社を出る。
 ジュニア社長がこれまた帰りにニンマリ『滝田君が待っているんだろ。俺も送りオオカミ卒業かー』なんて冗談を言い放って帰っていった。
 その通りであって。琴子の携帯電話には夜の八時頃には既に【九時頃、会社前の道で待っている】というメールが入っていた。
 事務所と印刷会社横の暗い道を歩いていると、まだ稼働している印刷所の灯りを避けた曲がり角、外灯の下に黒いスカイラインが停まっている。そこへと向かう。
 その黒い車のトランクを見て、琴子は改めてため息をつく。本当だ。あのロゴマークのシールが丸形、デザイン違い長方形型の二種類、貼ってある。派手好きな元ヤンの趣味かと思っていたのに。彼にとってはトレードマークだったなんて。
 運転席を覗くと、くわえ煙草の彼が外灯の光を頼りに何かの帳面を眺めていた。琴子のノックに気がつき、慌ててそれを閉じた。ああ、お店の帳簿なのかしらと思ったり。運転席のウィンドウが開く。
「お帰り。乗って」
 促され、琴子も助手席に向かう。
 シートベルトをして落ち着くと、彼がじっと琴子を見つめていた。ハンドルを落ちつきなくさすって何か言いにくそうな顔をしている。
「あー、えっと。あのさ。三好ジュニアさん、昨夜のこと、なんか言っていた?」
 ジュニア社長から自分の素性を知らされたかもしれないと覚悟してきたのだろうか。いつもの琴子なら素直に『聞いたわよ』と返したいところだが。
「なんにも。プライベートのことは薄々わかっても聞いてこないし、触れないわよ。職場だもの」
 平然と返してみる。すると彼が何故かホッとした顔になる。琴子は眉をひそめた。何故、自分が社長だってばれなければ安心するような顔をするのだろうかと。今だって本当は言い出せるチャンスだったのに。何故そこまで隠すのだろうかと。
「そっかー。あっはは」
 あっけらかんと笑い飛ばしたりして『いつまで隠すつもりなのか』と、ますます腹が立ってきた琴子。
 車が走り出し、暫くしてから今度は琴子からカマかけてみる。
「英児さんのお勤め先に行く時、どんな服を着ていこうかな。英児さんのところの社長さん、本当に怒らないの」
「大丈夫だって」
 でしょうねえと琴子は上機嫌で運転している彼をしらけた横目で見た。
「社長さんも英児さんぐらいのお兄さんなのよね。英児さんのような人なのかしら」
「かもなー」
「社長さんは、どんな匂いがする男性なのかしら。やっぱり英児さんに似た匂いなのかしら」
「はあ。琴子は俺の匂いだけ嗅いでいれば良いんだよ」
「だって。きっと英児さんと同じ匂いがすると思うの。社長という男の人の匂いも気になる。なんか急に男の人の匂いが気になっちゃって」
 むっとした顔で、黙り込んだ英児。けっこう分かり易いんだなあと、琴子は笑いたいけど素知らぬ顔。
「女の子って、社長が良いんだな」
「そうねー。経済力あって、責任感もあって、魅力的だけど」
 ますます不機嫌な顔で無言になっていく英児の横顔。怒ると怖いことは知っているから、琴子もどこかでやめなくちゃと思うけれど、彼もなかなか強情で『どうしてそこまで黙るのか』を知るまでは引くもんかと意地になる。
 英児から口を開いた。
「経営ってさ、融資してもらって、金回してなんぼなんだよ。借金ない会社なんてないんだからな。それが経営ってもんで……」
「大変ね。英児さんのお店の社長さん。私、別に社長さんの経済力なんて興味ないけど」
 彼がはっと我に返った顔。自分のことをいつの間にか語っていたと気がついたのだろう。琴子はひっそりニンマリ。
 郊外にある家に向かうのだが、英児が遠回りをして走っている。その家に向かう途中の河原沿いの暗い道を走り始めたところで、また彼が路肩に車を止めてしまった。
 そして思い詰めた顔で暫く黙っている。『言おうか、言うまいか』思いあぐねているのか、また落ち着きなくハンドルを撫でている。
「私、やっぱり。社長さんに『可愛くご挨拶』しようと思っているの」
「あれ、冗談だから」
 この前は琴子が知らないのを良いことに、それを楽しんでふざけていたのに。今度は真顔で拒否したりして――。
「だから。社長に可愛い挨拶なんていらねーから」
 もう。自分で仕掛けておいて、琴子が願ったとおりに可愛くするといったらそんな追いつめられた顔して。
 でも。憎めない人ね。と琴子は微笑んでしまう。じゃあ、これで最後の仕返し意地悪。
「私、可愛く言うからね。『私、英児さんに惚れているんです。大事にしますから、任せて頂けませんか』て――」
 唖然とした英児の顔。そしてばつが悪そうに黒髪をかいて、琴子から目を逸らしてしまった。
「やっぱ、三好さんから聞いているじゃねーかよ」
「どうして黙っていたの」
「俺、車しか興味ねーから」
「社長という肩書きで、私が見る目を変えると思ったの?」
「社長、社長って。金を持っていると見られたり、借金があるって見られたり。俺は琴子には車好きの俺を見てもらいたかったんだ。俺、本当に整備士のつもりで店やっているから。店を一生懸命やっていたらいつの間にかそうなっていたんだよ」
「うん。貴方なら、きっとそうだろうと。うちの社長から貴方のことを聞いて、私もすぐにそう思ったわよ。車が好きでいつのまにか社長になっていたのねて」
 『本当かよ』と、彼がやっと琴子の目を見た。
「本当よ。『社長さん』、もう一度、ご挨拶するわね。『私、英児さんに惚れているんです。大事にしますから、まかせ、』……」
「琴子」
 最後まで言わないうちに、運転席から彼がやってきた。またすぐにキスをされるのかと思ったのに。
『きゃっ』。琴子の身体はがくんとシートを倒されひっくり返っていた。その上にまた容赦なく英児が覆い被さっている。
「やっぱお前、思った通りの女だった」
「ちょ、ちょ、ちょっとやめてっ」
 すっごく手早いってことのこと? 狭い助手席で倒され覆い被され、抵抗できないのをいいことに、英児の手があっという間に琴子が着ているカットソーをめくり上げていた。しかももう彼の手は琴子のランジェリーの下に滑り込んで、きゅっと片胸の感触を楽しんでいる。
「だめ……ここじゃ」
 静かで暗い河原道。どんなに交通量が少なくても、時々通る車に変な風に思われるのは……。違う。彼に触れられたら、自分でも堪えきれなくなってしまうからが正しいと琴子は思い改める。
「昨夜、眠れていないだろ」
 優しくゆっくり乳房を愛撫されながら、琴子はこっくりと頷いた。
「俺も。日中もハイだった」
「私も」
 被さる彼が、あの目尻のしわを優しく滲ませる笑みを見せてくれる。
「今夜もそうしたいけど。琴子の目、すごく疲れているな。今夜はぐっすり眠ろう」
「うん……、そうする」
 今度は琴子から彼の黒髪を撫でた。それだけで、彼がとても狂おしい顔とするから、琴子も切なくなってしまう。
 今宵も互いに寄せた唇が深く交わった。
 琴子の唇を吸いながら、英児が囁く。
「俺の店、俺の自宅でもあるんだ。だから、今度、俺の部屋で……じっくりゆっくり……」
 そうだったんだと『店に来い』と誘ってくれた訳をやっと知る。
 それでも英児の手が、どこまでも琴子の肌を惜しそうにして離してくれず。
 琴子もそのまま流されてしまいそうなほど彼の背中にしがみついてしまい、素直に帰るには少し時間がかかってしまった。

 

 

 

 

Update/2011.5.22
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