× ワイルドで行こう【ワイルド*Berry】 ×

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 11.そこに、ワイルドベリー。

 

 武智が開けたドアに、琴子より小柄な女性が溌剌とした笑顔で入ってくる。応接ソファーにいる英児と目が合うなり、喜び一杯の顔。
「初めまして。琴子さんの後輩で、上甲紗英と申します」
 『上甲紗英(じょうこう・さえ)』。確かに。琴子が『さえちゃん』と呼んでいたバリキャリ女子の彼女だった。
 英児も席を立ち挨拶。
「初めまして。滝田英児です。彼女から、地方新聞社にお勤めで、とっても頼りがいある方だと聞いております」
 見るからに活発そうな雰囲気で溢れている。そんな紗英は英児を見てずっとにこにこ。
「やっとお目にかかれました。あの琴子さんが運転免許を取ったり、フェアレディZに乗って来ちゃったり。そこまでさせてくれた男性なんてすごいなって、もうもう早くお会いしたかったので、とっても感激です!」
 うわ、本当にぽんぽん喋る子だぞ、これは。
 普段は控えめな琴子を相手にしてるだけに、英児はたじろいでしまう。
「本日は当店へどのようなご用でしょうか。あちらのお車、なにかお困りですか」
 ひとまず『客』と見て用件を尋ねてみると――。英児ばかり見ていた彼女が、やっと雅彦がいることに気がついた。
「あ、本多さん」
 英児の目の前で、雅彦もあからさまに顔をゆがめている。もう言葉も交わしたくない様子だった。だからここは英児から。
「俺が、彼のデザインを気に入ったので、」
 そこまで言うと、
「龍星轟の女性用ステッカーのデザインを依頼した――ですよね?」
 彼女が英児の言葉の先を言ってしまう。
 なにもかも知っている様子で、英児は絶句――。
 すると紗英は小脇に抱えていたペーパーバッグからなにかを取り出し、英児に差し向けた。
 透明なセロハンに包まれリボンをかけられた鉢植え。
「ご結婚、ご入籍、おめでとうございます」
 どうやら、その鉢植えは『結婚祝い』ということらしい?
「とりあえずで申し訳ないのですが、どうしても今日、心ばかりのお祝いを届けたくて……」
「そうでしたか。わざわざ、有り難うございます」
 初対面の、嫁さんの友人からお祝いのお届け物。戸惑いながらも、英児はそれを快く彼女の手から受け取った。
「もうびっくりしましたよ。今日のお昼に琴子先輩から連絡があって『大晦日に入籍したから』なんて。あの琴子さんが、そんな『突発的なこと』を決行するだなんて本当に信じられない。でも『それが英児さんだから』とか惚気られちゃって」
「いや、その。はい、自分はそういう男なもんで」
 だが、紗英はまた元気いっぱいの輝く瞳と笑みで英児に向かってくる。
「いいえ! もう私、すっごい感動しているんですよ。ほんっとうに滝田さんて、琴子さんを連れ去るロケットみたいですね。あ、ロケットって……琴子さんがそう言っていたんです。彼といるとロケットに乗ってすっ飛んで行くみたいだって……」
 女の子同士、気兼ねない会話の中では、あの琴子も自分の気持ちをすらすらと伝えてしまっているよう。紗英の背後にいる武智が『ぷ』と笑ったのが見えた。
 眼鏡の後輩の目が『ほんと、ほんと。ロケットみたいに琴子さんを乗せて、大晦日に入籍しちゃったんだもんね』とからかっているのが、英児には分かってしまう。
「でも。入籍報告があったその日に。まさか。本多さんがここにいるなんて思わなかったな」
 今度は一変、冷めた眼差しが雅彦に向けられてしまい、英児はひやり。琴子を冷たく捨てた男が、捨てた女の新婚の夫となにをしているのかと、その達者そうな口で『はっきり』言いそうではらはらする。だから英児は――。
「この鉢植え、何の花なのでしょうね。俺、疎くて」
 その場をなんとか誤魔化そうと、頂いた鉢植えについて早速尋ねてみたりする英児。
 緑の葉ばかりで、何の花が咲くのか想像もつかない。
 紗英もそんな英児が作ろうとしている空気に気がついてくれたのか、英児をしばしじっと見つめると直ぐに元のにっこり笑顔に。
「ワイルドストロベリーです」
 ワイルドストロベリー? 英児と武智はそろって目をぱちくりさせる。雅彦は既に知っているような顔をしているが、バッグに原稿をしまいこみ今にも帰りそうな勢い。
「ヨーロッパでは幸せを運ぶ、アメリカでは奇跡を運ぶといわれている植物なんです。ほらここに、隠れているけど一つだけ赤く実っている苺があるんですよ」
 紗英が指さす葉の陰に、本当に小さな赤い実を英児も見つける。確かにイチゴだ。しかも『幸運を呼ぶ、奇跡を呼ぶ』植物だなんて。なるほど。それで結婚祝いにと選んでくれた気持ち、英児も思わぬ祝福に嬉しくなる。
「ありがとうございます。琴子が喜びそうですね。自宅に飾らせて頂きますね」
 英児の喜びの笑顔に、紗英も嬉しそうに頷いてくれる。
「では、滝田社長。私はここで失礼させて頂きます。後日、連絡致しますね」
 雅彦が帰ろうと席を立ち上がり、英児に一礼。紗英ももう触らずに知らぬ振り、でもやっぱり面白くなさそうな顔をしているが、穏便に流そうとしているのが英児の目にも見て取れたのだが。
 雅彦が事務所を出て行こうとするその時。紗英が急にワイルドストロベリーの鉢植えに向かって大きな声を張り上げた。
「ワイルドストロベリーって。蝦夷蛇苺(エゾヘビイチゴ)とも言われていて、本当はヘビイチゴ種ではないのに『ヘビがいそうな場所でも逞しく生える』というイメージで、そう呼ばれているんです。それだけ野趣的で丈夫なんだそうです。こんな小さな苺でも逞しく可愛く実るってこと。琴子さんみたいでしょ。幸せになって当然だと思うんですよ」
 それが……。琴子の後輩として、冷たく捨てた男への精一杯の抗議のようだった。
 だが、英児はそれを聞いて、なんだか感動!
「そんなイチゴなんですか。うん、そう言われたら、こんな小さくても可愛い赤い実を頑張って実らせるのは彼女ぽいかも。それに彼女、可愛いものが好きだから、きっとこれも喜んで世話するんじゃないかな」
 夫になった英児の言葉に、紗英がまたにっこり。
「でしょう! そうなんですよ。もう琴子さんって、女の子らしくて、いつまでも可愛らしくて。でも、小さくて目立たなくてもどんな所でもどんな事でも頑張っちゃう。けっこう芯が強くて、頼りなく倒れそうになるんだけど立ち上がっちゃう。この苺をいつかプレゼントしたいなーと思っていたんです」
「うわー、俺も嬉しい。こんな彼女にぴったりの……」
 そこで英児はハッとする。帰ろうとしている雅彦に言いたいことが出来た! だが、事務所のドアを開けて出て行こうとしていた雅彦も同じように目を見開いて英児を見ている。
 男二人、なにか同じ事を感じている! 英児にもいまビリってきた!
「それで。この小さな苺。けっこう香りが強くて、それがまた、女の子らしい琴子さんぽいかんじなんですー。琴子さんっていっつもいい匂い。がさつな私の憧れなんですよー」
 さらに付け加えてくれた紗英の言葉にも英児はビリリっと来て、雅彦と話し合っていたガラステーブルに鉢植えを置き、琴子が帰ってきていないのにリボンをといて包みを開けてしまう。
 開けてすぐ。紗英が教えてくれた既に実っているイチゴを探し、英児は指先に触れてみる。
 本当に小さい。でも真っ赤。小さくても存在感がある。そして香りは……? 鼻を近づけてみる。
「これ……!」
 もう一度、小さなイチゴの香りを吸い込む。今度はビリじゃなく、ざざっと鳥肌が立った。
「これ。琴子の匂いに似ている。なんだろ、作り物じゃない、自然の香りっていうか……。野性味? 彼女に、野性味……はおかしいけど、こんなかんじの匂い」
 『自然と放たれる甘い匂い』。それだった。そっくりというわけじゃないが、匂えば『これって女の子の甘酸っぱい匂いと似てる』と言いたくなる。この野生的なイチゴが『自然界の匂い』ならば、女の子のそのまんまの匂いも『自然界の匂い』というべきか。
「すみません。俺もいいですか」
 あんなに帰ろうとしていた雅彦が戻ってきてしまう。英児と肩を並べ、小さなイチゴに触れて匂いを確かめている。彼もびっくりした顔?
「近年、幸せを呼ぶワイルドベリーとか持て囃されていたので『またそんな……』と聞き流していたのだけれど。こんな鮮烈だなんて」
 それだけ言うと、雅彦はその場で急にスケッチブックを取り出し、スケッチを始めてしまったので英児もびっくり。
 だが、やっぱり。同じ電撃と感動を共感したのだと英児は確信した。
「本多君。これ、使えないかな」
「使えますよ。さっき上甲さんが『ヘビイチゴ』と言いましたよね。それなら『ドラゴンベリー』にしてみてもいいかも」
 うわ、それすげえいい!
 男二人顔をつきあわせて、思わず頷き合ってしまう。
「俺、帰ってさっそくデザインしてみます」
 ささっとスケッチを終えると、雅彦は今度こそ事務所を飛び出していった。
 静かになった事務室。店先から消えていくミニクーパーを、紗英が黙って見送っている。
「デザインという仕事のためなら、クライアントが元カノの旦那さんでも平気なんですね。琴子さんがおつきあいしていた頃から、本質は仕事が優先の冷たい男性だとは思っていたんです。琴子さんだから……」
 英児も分かる。優しい琴子だから、好きになった男をよく見て、気遣っていたのだろう。その良さを大事にしてくれなかった。そう言いたそうな怖い顔をしていた。
 だが、英児はそんな小柄だけれど気が強そうな琴子の後輩を見て、そっと微笑む。琴子にこんな心強い女友達がいてホッとした。そんな気持ち。
「これ。直せるかな。琴子にはリボンをつけたまま渡したかったな」
 テーブルに散らかしてしまったラッピングを、元に戻そうとしてみるのだが。そこで紗英がほどいてしまったリボンだけを手に取り、緑の葉に結んでくれる。
「琴子さんは体裁なんか気にしませんよ。気持ちを大事にしてくれる女性ですから」
 うん。その通りだ――と、英児も頷ける。これは本当に良い友人だと。
「出来たら、紗英さんの手から琴子に渡した方が良かったのでは。あ、お車のこと……ご用件は」
 改めて訪問してくれた訳を聞いてみると、紗英がそっと首を振る。
「いえ。わざと、琴子さんが不在の時間を狙って、滝田さんを訪ねてきたんです」
 それ、どういうことか。と、首をかしげる英児なのだが。
 また小さな彼女が目をきらっと輝かせ、満面の笑みで英児に言った。
「実は、琴子さんが考えている『内輪だけの親族披露宴』とは別に、『友人主催の披露宴』をしようかと思っているんです」
「え、友人主催?」
「琴子さんから、内輪だけの結婚式をするとお聞きしています。あまり大きな披露宴にはしたくなかったのだと。そのことは、私も他の先輩も事情を聞いているので、招待がなくとも琴子さんが選んだ式をしたらいいよ――と理解しています。だけれど私達女性側の友人は、とくに琴子さんと同級生の先輩達は『琴子には祝ってもらったのに、私達が祝えないのは寂しいね』と言いだして。それに『走り屋の旦那さん』をじっくり拝みたいんですよねー」
 友人達の気持ち。そして女性達の好奇心から出てきた企画――ということらしい。
 走り屋の旦那を拝みたいは、ちょっと引っかかる英児だが、『琴子にお返しがしたい』という友人達の気持ちは無にしたくなかった。
「ありがとうございます。自分も、野郎共には琴子を紹介する機会がなかなかなくて。飲み会で集まっては『式に招待しないなら連れてこい』と言われます。ですけど、俺の場合……その、けっこう大所帯で」
 元ヤン同級生に、走り屋時代の知り合い。現在の店を通しての走り屋知人もいて、とにかく英児が一声かけると、あちこちから集まってきてしまう。どこまで招待をしてどこまでを我慢してもらうか。その境目も分からない。琴子が持つ『家族親族、同僚友人』とはバランスが取れず、それもあって『内輪で』に決めたのだから。
 ところが、またまた紗英の眼差しがきらきら輝きだす。
「そっちも楽しみ! それって元ヤンさんに、走り屋さんが集まるってことでしょう!」
 会ってみたいーー、話してみたいーーと、なんだかそれが目的のような紗英に、英児は目を見張ってしまう。それでも紗英はどんどん話を進める。
「琴子さんの友人代表幹事は私がすることになっています。それで、滝田社長側の友人代表幹事を選出して頂きたいんです」
 すっっげー、話が早っ。これって俺以上に弾丸なんじゃね? 英児はおののいた。
 しかしそんな英児の戸惑いなどそっちのけで、側で控えていた武智が急に手を挙げ割って入ってきた。
「それ面白そう。俺、タキさん側の幹事に立候補」
「ほんとうですかー。あ、もしかして。滝田さんの後輩の武智さん? 琴子さんから聞いています、社長さんの高校時代の後輩だって」
「そうです。俺も後輩だから、後輩同士でどうかな」
 そう言って、武智はもう携帯電話を手にしている。それに合わせるように紗英までも、携帯電話を手にしている。
「琴子さんの親族披露宴は、ざっくばらんな家族会食を考えているようなので、友人側は洒落ていても砕けている立食パーティーとかどうです?」
「いいね。会費をちょっと積んでもらって。こっちの野郎共は大食らいだし人数いるから、それがいいかな」
 なんて話しながら、赤外線でもう番号を交換。なんという手早い後輩達?
「そんな感じでもいいよね。タキさん」
 武智の眼鏡のにっこりに、英児はつい『うん。任せる』と頷いてしまっていた。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 二階自宅の窓辺に、新しい仲間。『ワイルドストロベリー』。
 彼女の指先が愛おしそうに緑の葉を撫でながら、霧吹きで水を与えている後ろ姿。
 就寝前で白い冬用のガウンを羽織っている彼女の側に、英児も寄ってみる。
「気に入ったみたいだな」
 入籍して数日、すぐに届いた後輩からのお祝いに、琴子も嬉しそうだった。
「紗英ちゃんは、いつも気が利くの。幸運の苺なんて素敵。早く、もっといっぱい実がなって欲しい」
 遠く小舟の漁り火が揺れる夜の内海が見える窓辺。そこで妻になった彼女が鉢植えを世話する姿を、英児はじっと見つめる。
「ほんとう、可愛い実ね」
 ひとつだけ実っているイチゴを、琴子も可愛くて仕方がない様子で手放さない。琴子がそのイチゴに触れるたびに、あの匂いが英児の鼻先に届く。
「琴子……」
 まだ湿った黒髪、風呂上がりで火照っている肌。しっとり熱ぽい彼女の身体を、英児は後ろから抱きしめてしまう。
「そのイチゴ、いい匂いだな」
 そう言いながら、英児は抱きしめる琴子が羽織っているガウンの腰ひもをといてしまう。
「英児さん、」
 手早い英児にはいつも敵わない琴子。彼女が戸惑うその時にはもう、英児は彼女の肩からガウンを滑り落とし、胸元をはだけさせてしまう。
 そして琴子も。いつもと違う。ガウンの下は、今までのようなきちんとしたパジャマでもハウスウェアでもない。白いキャミソールに、ショーツだけ。そんな薄着で寝る準備をしているのは――『新婚』だからだった。
「俺、そのイチゴの匂いをかいでから、ずっと興奮している」
 薄いキャミソールをさっそく、なめらかな腰と肌に手を滑らせ英児は上へとめくってしまう。
 ふんわりとぬくもりに溢れている乳房へとすぐに辿り着く。海が見える窓辺なのに、英児はお構いなしに琴子の乳房を丸出しにしてしまう。
「……だめ。そんな、毎晩、興奮しているくせに。今夜だけ?」
 毎晩。その通りだった。入籍した晩から、琴子の実家だろうが、この龍星轟に帰ってこようが、夜という夜は琴子と毎晩抱き合ってしまう。
 だから、琴子も『薄着』で準備を済ませている。すぐに旦那が脱がせられるように。直ぐに素肌を重ねられるように。彼女もその気で夜を迎えてくれている。
 でも。今夜も女房を欲するが、それでも今夜は違う。
 英児の止まらない手を、手首を琴子が戒めるようにぎゅっと掴んで止める。その肘が、もらったワイルドストロベリーの緑葉にあたり、またふわっと英児の鼻に鮮烈な野生の香りが届く。
「琴子、ことこ」
 か弱い彼女が止める力なんて、龍の男には意味がない。そのまま窓辺でふたつの柔らかな乳房を両手でゆっくり掴んだ。
「やだ、ここ……窓、みえちゃう」
 琴子の手が窓辺に伸びる。英児に乳房をゆっくりゆっくり揉まれている琴子の手が震えている。その手でやっとカーテンを掴んで閉めてしまう。
 遠く煌めいて見えた夜の海が視界から消えたのと同時に、英児は琴子をぐっと正面に向かせ胸の中にぎゅっと抱きしめる。
 そして胸元に収まる彼女の顔を見下ろし、唇を探す。顎の下からじっと潤んだ眼差しで見つめてくれる彼女をみつけ、そこにある小さな唇へ。
「う、ん……エイジ・・」
 小さなうめき。彼女の黒髪をかき上げると、あの匂いがする。英児がみつけた夜のあの匂い。
 似てる。やっぱり似ている。ワイルドベリーと似ている。だから、昼間、初めて知ったイチゴの匂いなのに、よく知っている匂いで、好きな匂いだから興奮した。
 そっか。俺が好きな女の子の匂いって。これだったのか。俺が愛している琴子の匂いはこれだったのか。
 まるで覚醒させられるようだった。『お前はこの匂いを嗅ぐと、男の本能が騒いでたまらなくなる。淫らになるんだよ』。イチゴを食べに来たヘビに囁かれているようだった。
 このイチゴ、食っちまいな。一口で食うなよ。もったいないから、じっくりゆっくり味わってから。おもいっきり……
 ヘビの悪魔的な囁きに、英児は従ってしまう。
 彼女のイチゴは、上から『よっつ』。ひとつ目は、いま堪能中の小さな唇。奥の奥まで味わって、存分に吸う。
 ふたつ目とみっつ目は、もう既に英児の手の中。ふんわり丸くて柔らかい頂に赤く実っている。それを指先でつまむと彼女が『あん』と声を震わせる。
 英児の唇は、琴子の白い首筋をゆっくり伝って、手の中にある、ふたつのイチゴを狙いに行く。
 こちらはひとつ目と違って、ちょっぴり硬くて噛み応えがある。でも意地悪なヘビがそこは噛むより舐めた方が甘いんだと言っている。英児の舌先はそこを優しく舐める。『そんな生易しいことすんな』。ヘビはそう言う。じゃあ……と、興奮を抑えていた熱い舌先にしっかり絡めて、深く長くしつこく、唇の奥へと吸い上げてしまう。『もう片方も、わすれるなよ』。そうだった――と、英児はもう片方の、硬く実っている赤い実を指先でつまんで、同じように頬張って濡らしてしまう。
 そして最後に、甘噛み……。
 『ああん』、彼女の濡れた吐息ととろける甘い声。
 彼女の肌がじんわりと熱くなって、少しばかり汗ばんできた気がする。赤い実の横に優しいキスを押すと、意地悪ばかりしたというのに、そのキス一つで許してくれたのか、英児の黒髪をぎゅっと握りしめ優しい胸元へと抱き寄せてくれる。だから、英児はもう一度同じ事をして彼女を試す。もう一度、意地悪をしてもお前はそうして俺を抱きしめてくれるのかと……。でも同じ、それどころか、強く愛撫すればするほど彼女の頬も赤くなって、さらに強く強く英児を抱きしめてくれる。
 最後、よっつ目のイチゴは、いちばん下。彼女のベビーピンクのショーツに隠されている。だから窓辺に立たせている琴子をそのままに、自分は白い皮膚を愛でながらおりていき、英児は床にひざまずく。
 見上げるそこに、隠されている最後のイチゴ。それを探すヘビが、彼女のピンクのショーツを引き下ろしてしまう。
 鉢植えなら緑の葉なのだろうが。彼女のイチゴは黒い茂みの中。そこがもう既に朝露のように小さな雫をまとっていた。その茂みをかき分け、英児はイチゴよりも先に、とろけて溢れているそこを指先で侵していく。
「あっ」
 小さく震える琴子。英児の指先が締め付けられるほど、感じてくれたようだ。
 英児の指が急激に燃えるようだった。それだけ、彼女の中で溢れている甘露が熱い。
「……なんか、琴子。感じやすくなっているな」
 恥じらったのか、琴子は見上げる英児の眼差しから、ふいっと顔を背けてしまった。
 でも、本当に英児はそう思っている。
 初めて抱いた夏、入り江の月夜。彼女は感じてくれたけれど、これほどではなかった。最後にはたくさん濡れてくれたけど、こんなに溢れてはいなかった。
 同居して二ヶ月あまり。英児はいつだって琴子の身体を肌を体温を追いかけていた。風呂上がりの彼女、寝起きの彼女、出勤前の綺麗に整った彼女、帰ってきたばかりの彼女、そしてキッチンで料理をする彼女。側にいるだけで、どうしようもなく抱きしめて、肌を撫でたくなる。吸いたくなる、キスをしたくなる。それどころか、彼女の身体を撫で回して、口先指先で愛撫して、理性を保とうと懸命な彼女を英児の欲求の渦に引き込んで、最後は彼女と自分の身体を繋げてしまう。そういう行為の繰り返しに、彼女が『もうだめ。ちゃんと寝る時間まで待ってよ』と何度も何度も抗議した。なのにやめないから最後は彼女も『もう、悪ガキ』と言いながらも英児を愛してくれていた。
 そのうちに、琴子が非常に感じやすくなっていることに英児は気がつく。少し前、キッチンで夕飯を作っている彼女に抱きついていたずらをして困らせ、またついついエスカレートしてしまい、彼女の可愛いお尻を触りながら奥に手を突っ込んでしまった時――。ほんのちょっと彼女を撫で回して、少し長いキスをしただけだったのに、もう下着までべったり濡らしていたことがある。
 たった、それだけで? なんだか、ちょっと前より感じやすくなってねえ? 密かに恥じている彼女の横顔がまた見物で、その時はそっと知らぬ振りをして抱きしめてあげた。
 それがもうずっと……。琴子は英児の誘いにすんなり騙されるかのようにして、すっかり女の性を開ききってくれている。
 今夜も……。夫になったから、余計に英児は遠慮なく指先で甘露を外にかきだす。茂みをじっとりと湿らしていく琴子を、英児はじっくり眺める。『う、う』と唇を噛みしめている女房が旦那の思うままに乱れていくのをずっと。
 最後のイチゴは、この甘露がないと美味しくない。だから英児はこれでもかというぐらいに、最後の可愛いイチゴに塗りたくる。
 最後のイチゴはそのままでも美味しいが、甘露を塗って頬張ると極上。丁寧に味わってやると、イチゴからさらに甘くなってくれる。ヘビの本能がそれを実行する。
 蜜で艶めく最後のイチゴを、もったいぶるように舌先で味見をするだけで、琴子がもう泣いているような声を漏らす。最後、薄皮を剥いて吸ってあげると、途端に彼女の身体が降参したように『あ……』と柔らかく崩れていくのを感じた。
「いや、エイジ……いや……」
 なにが嫌なのか。虐められるのが? 愛されるのが? それとも待たせているのが? どっちにしろ意地悪な龍は、ヘビに教えてもらったとおりにじっくり長く味わうと決めている。
「今日……は、イジワル、」
 小さく息を弾ませている琴子が、意地悪な舌先に震えてゆるく首を振っている。まだ湿っている黒髪がくしゃくしゃと彼女の頬をくすぐっている。乱れたその毛先が彼女の小さな唇に触れ、偶然噛みしめてしまったその顔がまた淫らな女にしていく。
「もう、ここじゃイヤ」
「わかった」
 ひとまずお預け。最後のイチゴが真っ赤に熟すまでには、まだまだ。英児はもう脱力している彼女を乱れた姿のまま抱き上げ、寝室に連れて行く。
 ――新婚、五夜。
 今夜も、龍の男は自分の巣穴に、イチゴを持ち帰る。寝床にボンとイチゴを放ると、もう味見という味見をされつくした彼女が力無く横たわるだけ。
 龍の唾液に濡れたまま、もう食べられるだけしかないイチゴは静かなまま。そこに全裸になった英児は上から琴子に覆い被さる。胸元で息を弾ませている彼女の黒髪をかき上げ、顔を覗いた。額も汗ばんで、頬は赤くて、伏せているまつげが小さな涙に濡れている。
「な、俺。興奮していただろ」
「うん……。どうしたの」
「だから。あのイチゴのせいだって」
「よく、わからない……」
 説明は面倒くさい。英児はそのまま琴子の唇を塞いで、今夜も彼女の足を遠慮なく大きく開く。
「やっぱり、琴子はすげえ、いい匂いだよ」
 これがずっとずっと、自分の傍にある。その約束をしたばかり。
 龍の巣穴に持ち帰られたイチゴが、また濡れていく。龍の唾液に身体中とろとろに溶かされて、真っ赤に熟して、いつまでも味見をされて、なかなかひと思いにしてくれないと泣いている。
 最後に、龍ががぶりと彼女にかじりついて、奥の奥まで貫いて侵す時。彼女から甘い汁がぽたぽたとこぼれていく。そして、この男にしかわからないこの女の匂いが充満する。
「ほんと、お前は甘い。俺の中でいちばん甘いんだよ」
 ちょっと虐めすぎたのか。彼女が掠れた声で『やりすぎ』と儚い抗議をしてきたが、そっと胸元に抱きしめて黒髪を撫でると彼女からも抱きついてくる。それで許してくれるイチゴは、優しいと思う。
 こんな時の彼女はやはり野趣あふれる香りを放つ、ワイルドベリーなのかもしれない。
 これがずっと英児の腕の中。何度も、巣穴に持って帰って食べ尽くしても、また彼女は香りで誘って『食べに来て』と笑ってくれるのだろう。
 そうだよ。意地悪なヘビを誘っているのは、甘い匂いで誘うイチゴのほうだろ。女だってデビルじゃねえかよ。英児はふとそう思ってしまった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 それから暫くした月半ば。雅彦がついに『ドラゴンとワイルドベリー』をモチーフにしたデザインサンプルを持ってきた。
「いかがですか。数パターン、揃えてみたんですけど」
 また事務所応接テーブルに広げられた原稿を見て、英児は絶句し、そのうちのひとつを迷わず手にしていた。
「あ、そういうの。好きそうですよね。なんかそんなイメージありそうだなあって」
 雅彦も自分で納得のデザインなのか、英児が一発で手にしたので嬉しそうだった。
 だが英児はまたビリビリッと震えていた。
 そのステッカー。ドラゴンがワイルドベリーをかじっているイラストだったのだ。コケティッシュでコミカル、色遣いも女性が好みそうなパープルピンクがベース。龍は真っ黒、苺は真っ赤。緑の葉がアクセント。そしてかじられてしまった苺を離さない龍の尾の先が、苺の尖りにちょろっと巻き付いていたりして。
 これって。この前の俺じゃん、食べられていた琴子じゃん。そう思った。
 英児は思わず、雅彦を睨んでしまう。元カレのくせに、前カノが新しい男に食べられて侵されて束縛されているイメージを平気で描けたのか――と。
「あ、の……。もしかして、それ。嫌でしたか」
 この男。もう琴子のことをなんとも思っていないんだ。だから、こんなに突き抜けた。
 そして英児のことも、男としてよく見ている。そう思った。だから。
「参りました」
 何故かガラステーブルに手をついて、雅彦に頭を下げていた。
「え、あの」
「これドンピシャです」
 この男はデキるデザイナー。それ以外はもう、なにもない。きっちり英児の要望に応えてくれた。
 可愛い私を食べてね。男も可愛い子は食べちゃうぞ。
 車屋に来る可愛い女の子、車屋に集まるカッコイイ野郎共。ここはそんな店。それが雅彦のイメージ。
「有り難う、本多君」
「いえ。気に入って頂けて嬉しいです」
 男同士、手を握り合った。
 龍星轟の奥さんのシンボルは、ワイルドベリー。それが街中に飛び出していくのも、もうすぐ。

 

 

 

 

Update/2011.12.15
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