× ワイルドで行こう【ワイルド*Berry】 ×

TOP BACK NEXT

 3.出来ないね。 

 

 三好デザイン事務所を訪問した夕。龍星轟、閉店まであと三十分。これぐらいになると、店頭に銀色のフェアレディZが現れる。
「ただいまー」
 運転席のウィンドウが開くと、そこには店長の婚約者。店先で顧客の車を磨いていた矢野じいが途端に笑顔になる。
「おう、琴子。おかえり」
「お疲れ様。矢野さん」
 挨拶を交わす二人を英児は事務所の社長デスクから眺める。そんな彼女が運転席から龍星轟全体をきょろきょろ見渡している。最後、彼女が視線を留めたのは事務所、社長デスクにいる英児だった。
「ただいまー、店長」
 運転席から探してくれていたのは、夫になる男だったらしい。見つけて手を振ってくれ、英児も思わずにっこり振り返してしまう。
 すると。社長デスク前のいる経理担当の後輩がニンマリにやにやしている顔。
「本当に良かったね〜、タキさん〜。今度、昔の仲間で『結婚祝い』してやりますからね。シノと打ち合わせ中だから」
「うっさいな。んな大袈裟にしなくていいんだよ。いつもの飲み会でいいんだよ」
「もうね。俺とシノのところに、『タキ兄がついにタイプの女の子を捕まえたって聞いたけど本当か』という問い合わせがバンバン」
 眼鏡の後輩が携帯電話を片手に持って指さした。
「琴子さんを知っているのは、俺とシノだけだからね。俺達二人で『すっげえタキさんタイプ、ど真ん中』と触れ回っておいたから」
「余計なことすんなよっ」
 だが高校時代の後輩である武智がさらに意味深な笑みを浮かべた。
「香世ちゃんにも言っておこうか?」
「お、お前。そんなことしたら、ぶっとばす!」
 本当にやりそうな後輩に詰め寄ろうとしたら、そんな英児のわかりやすい行動など分かり切っている武智が急に事務所外を指さして叫んだ。
「あ、琴子さんが車庫入れするよ!」
 それを聞いて英児もハッとして事務所を飛び出した。
『そうそう、琴子ちゃん。あー、もうちょっと左だったかなー。あ、ストップ!』
『そのままじゃ、シルビアにぶつかっちまうよ。もう一度、前に出て修正した方がいいな』
 ガレージから整備士の兵藤兄貴と清家兄貴のひやひやする声が聞こえ、英児は急ぐ。
「わ、琴子。待て!」
「あ、店長来た来た」
「大丈夫、ちゃんとやってるよ」
 だがゼットのトランクが、隣に駐車しているシルビアと接触寸前だった。
 それを見て、英児はすぐさま彼女が運転しているフェアレディZの助手席へと乗り込む。
「もう一度、前に出て」
「はい」
 彼女が素直にギアをチェンジさせ前に出る。そして英児もハンドルに片手を添え、少しだけ手伝う。
「ここでちょっとだけ左に切って前に出すんだ。それでハンドル戻して……」
「はい」
 添えていた手を離すと、その通りにきちんと琴子一人でハンドルを切る姿。
 こうして毎日、彼女が苦手な車庫入れは英児が監督している。
 そう広くはないガレージに何台も詰め込んでいるので、初心者の琴子には難関の車庫入れ。毎日、英児が面倒を見ている内に、だいぶ上達してきた。
「よし、上出来」
「はあ、今日も無事に帰ってこられたー」
 エンジンを切った琴子が、ぐったりとハンドルに突っ伏した。
 英児は思わず笑ってしまう。
「なんだよ。好きで運転を始めたんだろ」
「だって。まだ緊張することばっかり。今日だって信号が青になったと安心しても、赤で停まるはずの右折車が交差点に突っ込んでくるし……」
「まあ、たちの悪い車も多いからな。用心深くしておけば大丈夫だって」
 運転そのものはまだ不器用だが、注意力に周囲への配慮、そして慎重さは抜群の琴子。なのでそこは英児も安心はしているのだが。
 それでも琴子は今度はシートに背を預け、額を手の甲で拭っている。
「運転って確かに運動と一緒かも。いっつも汗かいちゃう」
 あの深紅のカットソーの上に、キャメル色の秋物ジャケット。それを琴子が運転席でさっと脱いだ。
 その途端。あの女の匂いが車内にいっぱいに広がった。夕になってこなれた愛用トワレのラストノート、そして英児が愛して止まない『彼女特有の身体の匂い』。一気に英児の性的な中枢にスイッチが入りそうになる。
 初めて出会った春の夜。英児が一発でノックアウトされた一目惚れの『女の匂い』、いや、牝の匂い? なにもつけていなくても、少し汗をかけば肌からたち上る甘酸っぱい匂い。その匂いがした時、女の身体と肌がしっとり柔らかくなる。それを彷彿とさせる女の匂いは、英児の男としての本能を猛烈に揺さぶってくる。
 もう安心した整備士の兄貴二人は英児にあとを任せたとばかりにガレージを出て行ってしまい、駐車したゼットの中で二人きりになる。だがジャケットを脱いだ琴子は早速、車を降りようとしていた。
「琴子」
 その腕を掴かみ、英児は彼女を車内へととどめる。琴子も不思議そうに振り返った。
「なに。英児さん」
 ドアを開けようとしたその手が離れたのを見た英児は、そのまま戻ってきた彼女の肩を運転席のシートに押さえつける。そんなことをする英児が目指すのは、彼女の小さくて可愛い唇……。
『え』
 彼女が驚いた時にはもう……。英児の両腕は助手席から運転席にいる彼女を囲い、彼女の鼻先がもう目の前。直ぐそこに黒髪の可愛い顔。それでも一瞬、我慢する。帰ってきた彼女の黒い瞳を見つめて……、彼女のために一呼吸置く。
「おかえり、琴子」
 そう囁く英児の唇は『おかえり』と動かすと、琴子の唇に触れてしまっていた。
「た、ただいま」
 戸惑った返答だったが、でも次には彼女もじっと英児を見つめ返してくれる。そしてその唇がそっと微笑んだので、ついに英児はそこに吸い寄せられるようにして塞いでしまう。
 ん……。彼女の柔らかな呻き。それだけで英児は男全開にエンジンがかかりそうになるが、必死に堪える。それでも彼女の唇をこじ開けて、無理矢理中に押し込んでいた。
 男の舌先が侵入し強引に彼女に絡まるのに。でも、彼女もそっと柔らかく素直に捕まってくれる。あの可愛らしい琴子の匂いと芳醇濃密な女体の匂いが混ざりに混ざり合い、取り巻かれる英児の理性がどんどん麻痺していく。英児の頭の中ではもう、琴子は素っ裸だ。最後にはいつもそうなのだが、彼女が着ている服をめくろうとしていた。
 これはいつもの流れであって二人には当たり前の睦み合い。しかしすぐそこに従業員がいる営業中のこんな場所。
「て、店長さん……まだ、営業中……」
 すぐに野生化してしまう英児を止めるのは真面目でしっかり者の彼女。いつものようにすぐさま彼女の服をめくろうとする手を、そっと掴んで止めてくれる。
 夢中になって熱愛を押しつける英児も、それでやっと我に返る。
「そうだった。すっかり……」
 お前の匂いに囚われて、なにもかもぶっとびそうになった――と言いたくなるほど。我を忘れている自分に英児自身がびっくりしてしまう。
「えっと……。先に二階にあがって、お夕食の準備しているから」
「お、おう。ご、ごめん」
 いつも襲うようにお前に飛びついて。そして、そんな俺を上手に止めてくれて。そんな意味の『ごめん』。
「ううん。英児さんのキス、大好き」
 でも琴子はにっこり笑って、しとやかに運転席を降りていく。
 後部座席にある買い物袋とバッグを取り出して、先にガレージを出て行ってしまった。
 英児を置いていったのも『そこで店長の顔に戻ってね』と冷静になる時間をくれたのだろう……? そう感じた。それを言わずに、彼女はいつだってにっこり笑ってさり気なくそう仕向けてくれることが多い。
「やばい、だめだ。俺……」
 ゼットの助手席で暫く、野獣から理性ある滝田店長に戻るには少し時間がかかった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 二階自宅での夕食が終わり、英児はリビングのソファーで新聞を読んでいる。
 キッチンには夕食後の片づけをしているエプロン姿の琴子。残業期間が終わったところで、今日は久しぶりに彼女の手料理が食べられた日だったのだが。
 新聞のスポーツ欄を眺めながら、英児はさりげなく呟く。
「琴子、無理しなくていいんだからな」
「え、なにを?」
 さらに英児は新聞をみつめたまま。
「お前だって朝から働いているんだからさ。残業が続いてやっと解放されたところなんだから、疲れていたら無理して家事を頑張らなくてもいいからな。夕飯だって、外で食べたっていいんだから。それに俺も一人暮らしが長かったからある程度は自分で出来るだろ。そこのところ、ちょっと頼ってくれても全然平気だから」
 なんでも頑張ってしまう性分の琴子。それは出会って恋人として付き合うようになってから、いろいろと目の当たりにさせられたものだった。しかも同居を始めたばかり。彼女のこと、英児に気遣って頑張ってくれているところもあるに違いない。だからこちらから気にしておかねば――と、思っているところ。
 彼女が気にしないよう、新聞を読んでいるついでに言ってみた――。だがキッチンにいる彼女からなんの反応もない。暫く二人の間に静けさ……。だからつい、英児は紙面から顔を上げてしまった。
「琴子?」
 だがキッチンには、にっこり笑顔の彼女がちゃんとこちらを見てくれている。
「うん、ありがとう」
「お、おう……。お前のメシ食えて嬉しかったけど」
「でも。私も疲れていたから簡単なご飯にしたつもりだから」
「いや、すげえ美味かったよ。お前の牛丼と浅漬け、それにアサリの味噌汁。相変わらず、なんでも美味い。大内のお母さんがしっかり仕込んだもんだと、いつも思っているよ」
「それなら、良かった」
 ふきん片手に彼女がリビングのテーブルにやってくる。インテリア感覚で置いていたローテーブルをとりあえずの食卓にしている。床に跪いて、低いテーブルを楚々と拭いている彼女の姿。
「こんな小さなテーブルじゃなくて、ダイニングテーブルでも揃えるか」
 ふと思ったことを言ってみると、そこで彼女が嬉しそうな顔をした。
「ほんとに。私もそうしたい」
「このソファーセットを、前のベッドがあったあそこに移動させて、ダイニングはキッチン前のここに置こうぜ。よっし、明日は俺が事務所まで送り迎えしてやるから、帰りは家具屋へ直行だ」
 そこまで言い切ると、エプロン姿の彼女が笑い出す。
「もう。英児さんって本当に思い立ったら直ぐよね。今のベッドもあっという間に買ったから、びっくりしたこと思い出しちゃった」
「なんだよ。出来ることなら直ぐやった方が良いだろ」
「そうだけど……。迷いがないって、前から羨ましいと思っていたの」
「俺って、変か?」
 それが当たり前と思っていたのが、確かに堅実で慎重な彼女から見ると無鉄砲に見えるのかもしれないとも英児も急にそう思った。
「変じゃないわよ。そんな英児さんが私は好き。ずっとそんなところ素敵で格好いいと思っていたわよ。出会った時から、あ、違った……」
 そこで彼女がハッとなにかを思い出したように口元を塞ぎ、英児から目線を反らしてしまった。でも英児には判っている。
「初めて出会った時は、嫌な顔をされて逃げられたんだけどな」
「もう、それ言わないでよ」
 容易く元ヤンキーと敬遠したことが今でも申し訳ないようで、琴子はさらっと流してキッチンへ戻っていく。
 だが、片づけが終わったのか。琴子はその後すぐに、ソファーで新聞を読み続けている英児の隣へと座った。
「でもね……」
 肩がすぐに触れあうほど傍に来たエプロン姿の彼女。ちょっと照れくさそうにして、何か考えあぐねている様子。
「なんだよ」
 読んでいた新聞を手放し、英児は傍に来た彼女の肩をすぐさま抱き寄せた。男の腕にぐいっと抱き寄せられる彼女も、そのままくったりすべてを預けてくれるから、英児はさらに彼女を胸元まで抱き寄せてしまう。
 英児の腕の中、胸元でやっと琴子が柔らかに微笑んでいる。
「でもね……。あの時はすごい車に乗って夜中に走りに行くような男の人は怖いと思って逃げちゃったんだけど。次の日にコートを届けてくれた英児さんのこと、私、忘れられなかったんだから」
 え、そうだったのかよ。と、初めて聞く彼女の言葉に英児は驚いた。
「……あの時、言ってくれたでしょ。『力尽きるまで頑張った女の匂いは色っぽいんだ。その匂いがしたんだ』って。そう言ってくれたことがずっとずっと私の耳に残っていたの。エロティックな例えだったけど……一生懸命男と愛し合った女と、くたくたになるまで働いた女の『一生懸命』は一緒。だから、色っぽい匂いが身体からするよ、て……。英児さん、そう言ってくれた。あの時すごく嬉しかった。もう一度会いたいと思っていたけど、やっぱり二度と煙草屋では出会わなくて……」
「そ、そんなふうに俺のこと……?」
 俺だってもう一度会いたかったよ。でも……諦めて、なんとか割り切って忘れようとしたんだ。そう彼女に言いたいが、驚きで声にならなかった。まさかあの後、嫌われているだろうと思っていた琴子も、英児の姿を探してくれていただなんて。
「ねえ、そこに行ってもいい?」
 もうこんなに傍にいるのに、俺の腕の中にがっちり抱いているのに。なのに琴子が英児の胸元を指さして『ここに行きたい』と言う。勿論答えは『いいぞ』。なのだが、琴子が『行きたい』のは英児の胸元ではなく、英児の膝の上。ソファーに座っている男の両足の上に、彼女からずっしり乗っかってきた。
「琴子……」
 しかも彼女から、甘えるようにふわっと英児の首に両腕で抱きついてくる。
 またあの甘酸っぱい匂い。そしてわずかなトワレの残り香。夕飯後の家事で動いた後だからなのか、琴子の首筋もうっすらと汗ばんでいる。とんでもなくあの匂いが英児の鼻先で広がっていく。ガレージで制したはずの、男の欲望がまた盛り上がってくる。だが、まだ我慢、我慢……。少しは堪えることもしないと、と英児は言い聞かせる。
「昨夜は、寝ちゃってごめんね」
 昨夜の彼女は残業明けだったので、流石に相手にしてくれなかった。堪え性がない英児が彼女の肌を求めたのに、そんな謝られるとこちらが困ってしまう。
「いや。あれは俺が悪かった。残業明けだったのに……」
 首元にぴったり抱きついている琴子が、ふっと英児の顔をのぞき込む。
「私だって我慢したのよ。すっごくすごく。だって英児さんの匂いをかぐと、私、ムラってするんだから」
 平然とあられもないことを呟いた彼女の目を見つめ返す。大人しくて可愛らしい彼女だけれど、たまに妙に艶っぽい大人の女の顔になる。そんな時、彼女の黒目はしっとり濡れているし、頬はほのかに色づく。
「あの桜の夜は離れちゃったけど。その後、私を見つけてくれてありがとう。英児さん」
 静かに重ねられた唇。彼女がそのままゆっくりと英児の唇を吸った。
「好きよ、愛してる」
 あくまで彼女はゆったり静かに愛してくれる。英児なら、いつも素早く強引に彼女を奪うのに……。彼女は彼女らしく、ゆっくり穏やかに。でも英児の中に入ってくる甘い舌先は、とても熱く優しい――。
 これが彼女らしい。いつもそう思う。柔らかに琴子に愛されるひととき。男の膝の上に自分から座りたいとせがんでも、男からの愛をせがまない。そこから彼女は目の前の男を自ら愛してくれる。両手いっぱいに英児に抱きついて、柔らかいその女らしい肉体で英児を熱く包み込んでくれる。
 そんな彼女の頬を英児からも包み込み、体温と汗でしんなりと湿った琴子の黒髪をかき上げ、自分からも彼女の唇を静かに吸う。
 自分らしく『ぶっとばして愛したい』が、せっかく彼女が優しく愛撫してくれるから、英児も同じようにゆっくり静かに愛した。せっかちな男にはもどかしい、でも、だから余計に焦らされ胸焦がれる。それでも徐々に激しく交わる唇と唇の狭間からは濡れる音。そして、懸命にキスを繰り返してくれる彼女からも『はあ、はあ』と熱い息が幾度も零れていく。
「俺も……お前のキス、好きだよ。すごく……好きだ」
 英児さんのキス、好き――。そう言ってくれた彼女と同じ。英児もこんなにも自分とは違う彼女に恋してる。
 だったら。今度は『俺らしく』お返しをしてあげようと思った英児は、膝の上に乗る彼女の太股を掴んで、スカートへと手を忍ばせる。そのまま迷いなど知らない英児の手は、彼女の小さなショーツへと強引に突っ込む。
「や……」
 なにをされるか琴子が気がついた時には、柔らかい尻の丸みに沿ってするんとショーツを滑らせ丸出しにしてしまう。さらに。強引で素早い男はこれだけでは止まらない。白くて小さい尻の割れ目から指を滑らせ、柔らかい黒毛の奥に潜む窪みを探す。熱くて小さな窪みを見つけた英児は、これまた躊躇なく真上へグッと指先で彼女を貫いてしまう。

「っん、あ、」
 キスに夢中だった彼女がびくっと背を反らす。なのに。この時の彼女はもう熱くこぼしていて、容赦なく貫く英児の指をねっとりと濡らしてくれていた。
 既に英児を感じてくれて熱い蜜を湛えていたそこを、何度も何度も意地悪にこすりあげる。そうすると指先だけなのに、彼女が泣きそうな声でよがる。
 下は男に丸出しにされて侵されても、英児の目に見える琴子はまだきちんとしたエプロン姿。楚々としたいつもの彼女の姿と顔と眼差しなのに、妖艶な匂いを激しく放つ。
 しつこく指先で虐められて『あんあん』と可愛く泣いている顔を満足げに眺めていると、そんな男の顔に気がついた琴子が叱るように英児の唇を噛んでくる。
「もう……」
 そうして顔をしかめても、彼女は英児を愛してくれる。そして英児ももう彼女の濡れる尻の下で、男の情熱を堅く膨らませていた。
「ここじゃ嫌……。今夜は私もあなたとじっくり愛しあいたい」
「わかった」
 熱く湿るばかりの彼女の身体を抱き上げ、二人でつくったベッドルームへと向かった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 彼女はいつもそう。普段は清楚な顔で『英児さん』と呼んでくれるのに、女の顔になると――。
「あん、ああん。エイジ、エイジ……」
 男と愛しあう女になると、そう呼ぶ。
 既に彼女は猫のような格好を英児に望まれ、背を反って男がほしがるものを無条件に差し出してくれている。そこで遠慮する野獣英児ではないから、迷うことなく牡の塊を押し込んで黒髪の猫を戴いてしまう。
 しかも素で彼女の中に入り込んでいた。もうここのところ、ずっとそうしている。結婚しようと約束してからずっと……。
 二人で望んでいることだから、英児も全力で彼女の身体の中に入り込む。『ううん、あうん、ああん。エイジ、エイジ』。琴子はひたすら喘ぐ。シーツに頬を埋め両手いっぱいに握りしめ男の責めを受け入れて堪えている従順な姿を、英児はずっと上から見下ろしていた。
 時々、彼女が言う。『私、英児さんに抱いてもらって、やっと大人の女の身体になれたと思っているの』と――。そう言われると、英児も同じように思うことがある。
 初めて抱いた入り江のモーテルでの夜。英児との始まりのキス、初めて触れる相手の肌を知るための探り合い。それだけで彼女は熱く濡れてくれたが、英児は不安だった。彼女自身も口では言わなかったが、それまでの数年で襲った不遇に疲れ切って、しかもどうしようもないことで男に捨てられてしまって。今は女として直ぐには熱くなれないのではないか。まだ出会ったばかりなのに、勢いだけでここに連れてきてしまった。このまま英児が思うままに彼女の身体を愛し抜いても、彼女も熱くなってくれるのだろうか? でも『英児を愛したい』という彼女の唇はとても大胆で情熱的で、黒目も綺麗でじっと離さず英児を見つめてくれていた……。
 それでも急激にならないようにと、灯台の光が通る部屋で時間をかけてじっくり彼女の柔肌を愛してあげた。その時、英児は大人しそうな彼女に呪文を唱えるように囁いた。『男と愛しあう時。女も貪欲に望むことは恥ずかしいことじゃない』。静かな彼女のことだから、今までも男の顔色を窺って女の性を押し殺してきたのではないか? そう思ったから英児から強引にリードした。『ほんとうの女を剥き出しにして、俺と愛しあってくれよ』と。そうして存分に愛しあっている最中、彼女の目が潤んだ瞬間を英児は忘れない。それが嬉しくて目を濡らしたのか、今までの辛かった日々を思い返しての涙なのか、または燃え始めた女の歓喜の涙だったのか、今でもわからない。でも英児はいつも彼女を抱く時は、あの可愛い涙を思い出してしまう。
 初めての一夜を過ぎると、彼女とのセックスは男と女を存分に絡め合う情熱的なものになり、英児を狂わせた。それに。彼女は愛せば愛すほど大胆になり艶やかさを増していく……。それも秘め事の時は特に。
 ほら、今夜も――。英児に後ろから貫かれあられもない猫になって喘いでいても、顔を埋めているシーツから時折こちらを見つめてくる黒目は、あの夜のように煌めいている。それを見ただけでもう……。彼女の舌先でじっくり愛撫されるより、英児の心臓をぎゅっと鷲づかみにされる。
「琴子……琴子」
「あっん」
 英児も彼女を懸命に呼んでしまう。英児の塊に身体を繋がれ、猫の格好で従っている琴子も激しく漏れてしまう喘ぎ声を必死に押し殺している。
「はあ、琴子。もう、俺も……」
 すべすべしている彼女の尻に爪を立てるほど握りしめ、そして英児は力強く彼女の中へ押し込む。
「このまま、いいよな。いいな、琴子」
 このまま。なにも付けずに。お前の中で果ててもいいか。
 聞かずとも、結婚を決めたその日から彼女とはずっとこうして愛しあっている。それでも英児は彼女にいつも尋ねる。そして彼女の返答も決まっている。
「うん、いい。そのままして」
 シーツに顔を埋めていた彼女の黒い目だけが、ちらりと見える。その目が、黒く濡れ揺らめいている。いつも英児が待っている彼女の可愛い涙。英児の男が燃え上がる。
 既になににも囚われない『ぶっとばす男』に野生化した英児は、結婚を約束した女を思うままに愛している。
「いくぞ、琴子」
 シーツを握りしめている彼女が、無言でこくんと頷いた。
 彼女の中にただそのまま、英児は熱愛を注ぎ込む。彼女のあの匂いが芳醇に広がっている中、英児がたった今彼女に中に残したつんとした男の匂いも微かにに混じった。
 それに彼女も気がついたのか。
「いつも、そう。とても原始的……よね」
 意味わかんねーよ。と言いたくなりそうな呟きなのだが。でも今なら、なんとなく解る気がした。
 いつも男と女、いや牡と牝として愛しあう。それは動物的で、原始的。でもここにいる二人は自然に従うように原始的に睦み合う。彼女の身体から広がる女の匂いも、生殖行為で放たれた男の匂いがベッドの上で混じり合うのも。それは原始的な現象なのだと。
 結局、私も原始的と彼女が呟いて、シーツの上に崩れ落ちた。横たわった彼女もまた獣的に艶っぽく乱れ果てている。
 汗ばむ背を向け、息を切らしている彼女の傍に英児も横たわる。後ろから彼女の身体を抱きしめ、濡れる黒髪を撫でて耳元に『お疲れさん』のキスをした。背を向けていた彼女も振り返り、今度は英児の胸元に抱きついてきた。
 湿った肌をくっつけあい、英児も琴子をぎゅっと腕の中に抱きしめる。
「こんなに愛しあっているのに、出来ないね」
 近頃、彼女が気にしていることだった。
「そんな。こうするようになってまだ日が浅いだろ」
 彼女と結婚を決めた時から見据えてること。それを彼女は気にしている。
「私……。こんなに愛しあっているんだから、貴方との赤ちゃんすぐに出来るんだって思っていた」
 結婚を決めた時から、彼女とのセックスは最後までなにもつけないで愛しあうようになった。だがその後も何度も同じように愛しあってきたのに、彼女の『月のモノ』は規則正しくやってくる。
 その度に、彼女が言うようになった。『こんなに愛しあっているのに、出来ないね』と。今夜もまったく同じ事を言いだした。
 そんな彼女を今度は柔らかく抱きしめ、英児は黒髪を幾度も撫でてやる。
「あのさ。まだこうして琴子を独占していたいのも、俺の本音な」
「うん……。わかってる」
 力無く呟く琴子。何故、そんな落ち込むのだろうか。まだ俺達の結婚生活は始まってもいないし、まだ夫妻として生きていくのもこれからだというのに。
「まずはお前が傍にいれば、今はそれだけで俺は幸せだよ」
 でも英児の胸元にいる彼女が納得できない怖い顔になってしまう。どうして。どうして、そんなに焦っているんだよ。問いただしたくなったのだが。
「私、英児さんには賑やかな家族をつくってあげたい。二度と『ひとりぼっちなんだ』なんて言わせたくない。『もうお前ら、うるさい』て怒るぐらいの家にしたいの」
 怒ったような真顔の琴子。『それがすぐに叶いそうにないから、もどかしくて怒っている』と言いたそうに。そんな彼女の本気を目の当たりにした気になる。
 『貴方の家族を作りたい』。そう願ってくれた彼女の気持ちに、英児は泣きたいほど感激してしまっていた。
 一緒に寝そべっている彼女をさらに抱きしめる。そしてそっと口づける。
「ありがとうな、琴子。でも、今はお前だけで充分だ。ゆっくり行こう」
 やっと琴子も笑顔になってくれたのだが。
「四十歳までに、五人産めるかしら」
 途端に英児は『ぶっ』と吹き出した。
「すげえ無茶なこと言うな、びっくりするだろ。俺に四十半ばまで、子作りに励めと?」
 大人しい顔して、この子は時々大胆なこと言うし、やったりするし。もう英児は絶句。だが琴子はくすくすと、もう楽しそうだった。
 
 だが英児は後で気がついた。琴子のあの焦りがなんなのか。
 ああ、そっか。四十歳までに五人産みたいから、早く妊娠したかったのか……と。それはそれでまた感激したのだが。
 
 『待て。あれだけマジでせっぱ詰まるように焦っていたのは。冗談じゃなく本気ってことかよ』――と、気がついて再び絶句していた。
 五人の母ちゃんになるつもりなのか? あの可愛らしい楚々とした彼女が? 俺は五人の子供の父ちゃんに? 想像できねえ! せめて、二、三人かと……英児の想像範囲をかーるく上回っていてもうびっくり。
 『もう本当に琴子さんには敵わない』。英児はこの頃、よくそう思うようになった。

 

 

 

Update/2011.10.21
TOP BACK NEXT
Copyright (c) 2011 marie morii All rights reserved.