× ワイルドで行こう【ファミリア;シリーズ】 ×

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 2.秘めごとバースデー 

 

「ただいま」
 本日も無事に閉店。店終いをして二階自宅に戻ると、これまた今夜もいい匂い。
 毎日ほっとして安心する瞬間。だが英児はそこで今日だけは顔をしかめる。
 すぐに玄関をあがりリビングへ向かう。
「パパ、おかえりー」
 リビングで遊んでいた子供ふたりの笑顔の出迎えにも英児は目尻を下げてしまう。
「お帰りなさい、パパ。お疲れ様」
 そしてキッチンにはエプロン姿の琴子。
 まったくもって。夢見ていた家庭がいまここにある。そう思うだけで、いつもこの時は笑顔になってしまう英児なのだが。
 本日もテーブルにはいっぱいの手料理。しかも本日はかなりのご馳走!
「琴子、お前。これまたこんなに」
「今日はね。ビーフシチューにしてみたの。パパ、食べたいって言っていたでしょ」
「言ったけどよ」
 それは今日じゃなくてな? だが忙しく支度している奥さんに、言いたいことを遮られてしまう。
「はい、小鳥ちゃん、聖児くん。パパが帰ってきたからごはんにしましょう。パパと一緒におててを洗ってきて」
 『はーい』。お姉ちゃんの小鳥が元気よく返事をして手を挙げると、弟の聖児が真似をして手だけ挙げて『あいあい』拙い口でなにかを喋るのも毎日のこと。
「よし、いくぞ」
 そしてパパも。毎日、子供と一緒に手を洗う。これはパパ担当。
「パパ、また、まっくろ」
 だいぶしっかりしてきた娘が、近頃、仕事から帰ってきたパパの手を気にするようになった。
「車のお仕事すると黒くなるんだよ」
「あかいくるまはあかくなるの?」
「赤い車は赤くなる?」
「だってパパのすかいらいん、くろだもん。やのじいちゃんのくるまだと、しろくなっちゃうの? ママのぜっとだとねずみいろになっちゃうの?」
 面白い発想だなあと、そんな子供の感覚に触れても笑顔になってしまう。
「ほら、セイも洗うぞ」
 お姉ちゃんはしっかりさんだが、まだ小さな息子はパパが抱いて、一緒に手洗い。
 食卓に着くと、娘が『わーい、おいしそー』と大喜び。
 だが英児はなんと言ってよいのか。
「小鳥ちゃんの好きなハンバーグね、それから、パパはビーフシチュー。セイちゃんは……」
 夫に子供が好きなものばかり作っている豪勢な食卓――。こんなに頑張ってくれて、賑やかにしてくれて。
「いただきまーす」
 早速、娘がフォーク片手に食べようとしているのだが。
「まて。小鳥」
 パパはその手を止めた。『どうして』という顔の娘。そんな彼女に英児は向かう。
「今日はママの誕生日だ。ハッピーバースデーだよ」
「え、そうなのっ」
 そんな物事は判り始めてきた娘が驚いてママを見た。だけれどママはにっこり。
「ケーキも買ってきたからね。ちゃんと全部食べた人からケーキね」
「やったー! ろうそく、ふうってするの、ことりもてつだう」
「うん。ママと一緒にしようね」
 それを聞いた娘がこの上なく満面の笑み。しかも慌てるようにハンバーグを食べ始める。
「おまえ、ケーキは逃げねえよ」
 可笑しくて、英児もつい笑ってしまうのだが。
 ママ、お誕生日おめでとう――なんて。家族全員でやってあげたいが。融通の利かないちびっ子ふたりいると、そんなタイミングなんてもう。
 結局、言いそびれてしまい、琴子も小さな息子に食べさせるのに夢中になっている。
「ママの誕生日なのになあ。こんな俺達が好きなもんばっかり作って大変だろ。外に食べに行ってもいいと言ったのに」
 だけれど妻は、それを提案した時と同様の返答をする。
「外の方が落ち着かないわよ。この子達が大人しく食べるか気にして、ちゃんと食べるか気にして、おでかけの準備もセイのおむつとかミルクのお湯とかいろいろ気になるし。食べた気もしないのよね。おうちでゆっくりで充分です」
 だからって。こんなはりきってママが作らなくても……。自分の誕生日だろ。楽しろよー。と思ってしまう。
「パパ、シチューどう?」
 なのに妻が一番気にしているのはそれで。
 しかも、この手作りが美味すぎるから困る。
「おいしいです。うん、ママのメシが一番です」
 それだけで琴子はさらににっこり。嬉しそう。
 だけれど英児もため息をつきつつも、『こうなると思った』と予測済み。そして、ちゃんと準備済み。
 
 騒がしい子供達を入浴させ、やっと寝かしつけ終了。家の中が静かになる。
 風呂もパパの担当で、ふたりを一気に入れてママが着替えさせ、ママが寝かしつけ。そのあとやっと琴子がゆっくり入浴する。
 それをいま、英児は『準備をして』リビングで待っている。
 そろそろだろうか。テーブルの上にはグラスがふたつ。そして煙草をくわえている英児の手にはシャンパンボトル。この日のために、外回りの時にこっそり探して買っておいたものだった。
「やっと一息ね」
 琴子が風呂から出てくる。ハウスウェアのワンピース姿。風呂上がりなので、肩も丸出しにして濡れ髪でキッチンにやってくる。
 その時、初めて。彼女は夫の英児がキッチンでシャンパンボトル片手に待っていることに気がついてくれる。
「お疲れ」
 口の端に煙草をくわえたまま、英児は用意していたグラスにボトルを傾ける。しゅわしゅわとグラスに注がれる淡いベールのようなシャンパン。
 口元の煙草を指に挟み、英児は煙を吐くと、グラスを彼女に差し向けた。
「まったくよう。お前ってほんと頑張りすぎなんだよ。あんなに俺達のためみたいなご馳走を作りやがって」
 普段はないものがそこに用意されていることを知った琴子が、嬉しそうに目を輝かせ傍にやってくる。
「どうしたのこれ」
 英児が向けているグラスを彼女が手に取ってくれる。
 シャンパンの泡のベールの向こうに、変わらぬ彼女の愛らしい目。
「いろいろ調べて探したんだよ。街中。俺だってこれぐらい出来るぞ」
 ネットでどの銘柄を買うか。ネットで買うか、いや、荷物が届いたら彼女にばれてしまうから、この街で買えるものを。どこで買う? 道具も揃えておくか。と、外回りの時に少しずつ買い集めておいたもの。
「えー、まさか今日、シャンパンが飲めるなんて……」
 また煙草をくわえながら、英児はもうひとつのグラスにもシャンパンを注ぐ。そして今度、それは英児が手にもつ。
「……それだけ?」
「ああ、俺はこれでいいんだ」
 琴子がちょっぴり申し訳ない顔。というのも、英児が持つグラスには、ほんの少しテイストするぐらいしか注がなかったから。
「パパの頭の中は『いつだって車で飛び出せる』なのね」
「俺だって飲む時は飲むけどな。まだチビが夜泣きするだろ。これはお前へのプレゼントだから遠慮するなよ。されたら用意した俺が泣く」
 そういうと、やっと琴子もホッとした顔になってくれる。
「いまから大人だけの時間だ」
 ――琴子、誕生日おめでとう。
 英児の言葉に、琴子の笑みがぱっと咲く。
「ありがとう、英児さん。嬉しい」
 グラスを静かにカチリと合わせる。パパ、ママではないふたりだけの時間。その時彼女は『英児さん』と呼んでくれる。
 だけれど英児は『エイジ』と呼んでくれる時間の方が……。
 
 別に狙っていたわけではないが、琴子はそういう体質だった。
「もう、やだ。パパ……わかっていてお酒のませたの……」
 子供達が静かに寝ている場所を避け、ふたりはベッドの端に身を寄せ密かに触れあう。
 触れあうならまだ優しいか。容赦ない男は既に、奥さんの着ているものを当たり前のように手早く脱がしにかかっていた。
 彼女の熱くて柔らかい肌の上を滑っていく英児の手。なめらかな皮膚を辿れば辿るほど、彼女の匂いが濃くなっていく。
 琴子はもう頬を真っ赤にしてぐったりしていた。先ほどのシャンパンを二杯。実は琴子、酒に弱い。よほど嬉しかったのか、いつもは一杯でとどめているところ『美味しいからもう一杯』と飲んだのだ。
 それを俺のせいにしている時点で……。
「お前、酔ってるな。弱いのに二杯飲むから」
「うーん、ずるい。酔わせて脱がして遊んでやるって思ったんでしょ」
 そんなこと言うなんて。やっぱお前酔ってるよ。
「パパって、いつもそうだもの」
「パパって言うな」
 頭の上まで、着ていた夜のワンピースを脱がした。されるがまま、そのまま衣服を巻き付けられたまま両手をあげさせられている状態の琴子。まるで捕らえられ虐げられているような姿。それでも琴子は自らの力は少しもはいらないようで、そのまま。
 そんな奥さんの首元に英児は唇を滑らせ、耳元にいつもの印のキスをする。黒髪の香り、彼女の耳裏の身体の匂いが混ざり、ますます英児の中の野生を揺さぶり興奮させる。
 既にはあはあと息が上がっている妻にもう一度言う。
「パパじゃないだろ」
 やっと琴子が呟く。
「え、えいじ……」
 聞き届け、満足した英児はその微かに震えている唇をすぐさま塞いで、強く吸った。彼女の『ん……』と降参したようなうめき。
「どうしてほしい? お前の好きにするよ、俺」
 彼女の乳房にもキスをして、英児は今宵は大人しく彼女本意にしてやろうとその答を待つ。
「手、離さないで。ずっと繋いでいて」
 彼女らしい要望だなあと、つい微笑んでしまう。
「わかった」
 胸の下の彼女の黒髪を撫で、始まりのキスをして。そうして英児は覆い被さりながら、琴子の両手を握りしめる。
 彼女の細くて華奢な指と、英児の長い男の指が一本一本きつく握り合う。英児の肌に琴子の白くてとろけるような乳房がつぶれるようにひっつくと、熱くて灼けそうな思いに駆られる。その熱情に流され、英児は琴子の皮膚を隈無く愛し、やがてふたり揃って弾けそうになるまで膨れあがった欲情をぶつけあうように繋がろうと、熱がこもる足と足の間に思いが集中する。
 今宵も密やかにひとつに繋がろうとする時、英児は少しだけ琴子から手を離し、いつもどおり――自分の枕の下に手を伸ばしたのだが。
「……離さないで」
 その手を琴子に止められ、元通りに硬く握りしめられる。
「でもよ、琴子……」
 離さないで。と言われたから、絶対に離さなかったわけでもない。体位を変える時は少しだけ離して直ぐに硬く握り返す。そうしていたから『この行為』も離して良しと思っていたのに。
「だめ、離さないで」
 枕の下にあるのは、ふたりの間にほんの少しの隔たりを生む薄いもの。その隠し場所。小鳥が生まれてから、聖児が生まれてから、それは計画という名のもとに夫妻の間できちんと必要として使ってきたものなのに……。
 だが英児もそれで、琴子の気持ちを知ってしまう。あからさまに言わないところが、妻らしい。
「わかった」
 それは、英児も同じ気持ち……。妻がそれでいいなら、英児だって同じだった。
 彼女の手を握り直し、キスをして、そして英児もそのまま彼女の中にそっと入り込んだ。
「あ、っん」
 いつもと違う顔をした琴子に、英児の胸が灼けそうになる。
 子供達が起きないよう、ここ数年の彼女は、声を必死に堪えるようになってしまった。なのに、つい漏れた声。すぐに自分で唇を引き結んで『んん』と堪えている彼女を見下ろすのも、英児の男を加速させる。
「ひ、久しぶりだな……こういうの……」
 なにもつけないで愛しあう。それは恋人の時に新婚の時に無条件に与えられていた甘美。いまはそういうわけにもいかなくなり、でも……今夜は。
「ん、ん」
 心なしか、彼女もいつもより頬が赤くて乱れているような気がした。酒のせい? 久しぶりの快楽のせい? 英児もとろけそうになってよく分からなくなってくる。
 琴子の漏れる声がいつもより響くせいか。夢中になって愛している英児の目の端で、娘の小鳥がふっと寝返ったのが見えてしまう。
 だけれど英児もやめたくない。そんな妻の口元を塞いで、喘ぎ声と吐息を密かに分け合った。
 このベッドで自由奔放に彼女と愛しあうような環境ではなくなったけれど。でも、子供達に気遣ってベッドの端で密かに静かにそっと睦み合う術を彼女と作り上げていく――。そんな実感もある。
「なんだよ。俺の方がダメになりそうだ」
 今夜はお前をとろとろにしてやろうと思ったのに、俺が溶けちまったよ。
 ほてる身体を抱きあって、静かに熱い吐息を混ぜあい共に果てる真夜中――。彼女はひとつ歳を取ったかもしれないけど、いつのまにか可愛い女からいい女になっている、と、夫は思う。
 
 今度、英児の誕生日には――
 
 奥さんが仕返し満々の締めくくりをしてくれたのだが。
 
「英児さん、ちょっと……いい?」
 ママの誕生日が過ぎて、次はパパの誕生日がもうすぐという頃。
 子供と帰ってきた琴子が、社長デスクに座って事務仕事をしている夫を裏通路から呼んだ。
「なんだよ」
 構わないから、こっちに来いよ――と、業務中の事務所に遠慮している妻を手招きした。
 デスクで顧客データーを整理していた英児は、その続きを眺めながら、そばに来た妻に問う。
「どうした。なにかあったのか。小鳥と聖児の保育園のことか」
 共働きなので、日中は小さなふたりは預けている。そこでなにかあったのか。とくに『小鳥』。こいつが気が強くて、たまに男の子と盛大なことをするらしく――。
 だがそこで立ちつくしている妻が、ふっと俯いたまま。どこか気恥ずかしそうに黙っている。
 ふと気がつけば。同じく事務仕事をしていた武智と、事務仕事などやりもしないで暇そうにしている矢野じいが聞き耳を立てているのに気がついた。
「……わかった。そっちで聞く」
 手を離したくなかったデスクから立ち上がり、琴子の肩を抱いて、事務所から自宅へ向かう裏通路へ移った。
「どうした。小鳥がまたやんちゃしたのか」
 ううん、と、琴子が首を振る。
「……えっと、十二週過ぎていて、びっくりしちゃって」
 十ニ週……?
「小鳥ちゃんとかセイちゃんの時みたいなつわりを、あんまり感じなくて。でも生理がなくって、もしかしてと思って今日、産婦人科に行ってきたら」
「え!」
 やっと判って、英児はびっくり飛びのいた。
「って、それってよお。まさか『ロケットの乗員、もうひとり増えます』ってやつか」
 小鳥の時も聖児の時も、琴子はそう言って報せてくれた。
「はい。お父さん、ロケットにもうひとり増えますので、よろしくお願いします」
 相変わらずの丁寧なお辞儀。もう間違いないようで、英児はしばし呆然。
 さ、三人目が出来た……!
 琴子もちょっとびっくりしたようで、恥ずかしそうに俯いている。
「もしかして。私の誕生日の……」
 覚えがある夜が幾夜かあるが。英児もこの時期から逆算して思い至ったのが『ママの誕生日』。
「ある意味、ママと一緒に誕生ってことか?」
「……かも」
「それ、良いと思う。うん、お前に似てくれ」
 琴子が何故という顔をする。だが英児の心の中、やんちゃな娘が忙しく走り回っている。あいつ絶対に俺に似た。顔つきも俺にそっくりだし……。
「おーい、英児」
 事務所へ入るドアがそっと開いた。そこには矢野じいの目がちらっと見える。なにか心配そうな顔。
「小鳥がなにかやったのかあ?」
 小鳥の『お転婆をとおりこした、やんちゃ』は、矢野じいもよく知ってくれている。琴子が心配そうに帰ってくると、たいていは『小鳥ちゃんが保育園で――』だった。
「いや、その。違った」
「ならいいんだけどよお」
 矢野じいも、小鳥の活発さは目に焼き付けているのでそれはそれは心配のよう。
「琴子、大丈夫か。なんかあったら、俺にも言ってくれよな」
 そんな矢野じいに、琴子も申し訳なくなったのか。
「ご心配おかけてすみません。あの、そうじゃなくて……実は、できちゃって」
 と告白。
「は、できちゃって? って、できちゃったのか」
 もう矢野じいもびっくりの顔。
「え、それ。本当!?」
 矢野じいのそばに隠れていたのか、武智まで顔を出してきた。
 琴子がこっくり頷くと、もう矢野じいと武智がまたわあっと大騒ぎ。
「なんだよ、なんだよ! 結婚して暫くは出来ねえ出来ねえって言っていたくせに」
「ほんと、ほんと。あっという間に三人目じゃん!」
 こんな時、琴子は祝ってもらえるが、英児には。
「英児に似ないことを祈る」
 きっぱり矢野じいが言い切る。
「だね。男の子でも琴子さんに似て欲しいな。はらはらするもんな」
 はっきりは言わないが、遠回しに『小鳥』のことを言っているのがわかる。以上に、それが『英児、タキ兄に似たせいだ』という暗黙の――。
「うっせいな。琴子が育てるから大丈夫なんだよっ。小鳥だってちゃんと可愛い人形で遊んだりしているからな」
「車も好きだよな。あれ、年頃になったらかっ飛ばすぞ。お前みたいに」
「俺もそう思う」
「なるもんか。ちゃんとそのころには琴子みたいになっているんだ!」
 ムキになる夫、そして夫をからかう龍星轟の男達を見て琴子が笑っているのもいつものこと。
 だが小鳥は本当にそうなのだ。人形で遊ぶし、車も好きで。矢野じいも『あれ、お前に似たぞ。気をつけておけよ』と、ため息をつくことがある。
 聖児はどうだろうか。まだ小さくて分からないが、お姉ちゃんの真似っこザルみたいで、まさかまさかと思うことも。
 上手く二歳置きに出来たようだが、三人目は果たして――?
 ロケット乗員、五人で出発です。

 

 

 

 

Berry's Cafe先行掲載/2012.1.12
Site・Update/2012.2.17
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