× ワイルドで行こう【ファミリア;シリーズ】 ×

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 5.リトルバード・アクセス《1》 

 

 お前の母ちゃん、元ヤンだろ!
 
 気持ちより先に身体が動いてしまうことが多い。
 側にいた友達の『小鳥ちゃん、ダメ!』という声が聞こえたけれど、気がついたら目の前にいる男子の胸ぐらに掴みかかっていた。
 教室前の廊下、初夏の風が入り込んでくる窓辺で、茶髪男子に挑むロングポニーテールの女子。
「はなせや。クソ女!」
「花梨ちゃんに謝りなさいよ!」
 自分より背が高い男子も小鳥の襟元へと手を伸ばしてきたので、咄嗟の反射神経の防御、その腕を払いのけようと小鳥の手がシュッと鋭く空を切る。
 だけれどその男の腕を弾こうとしたのに、
「いってぇ!」
 爪先が彼の頬をかすった……。じゃない、強くひっかけてしまう。昨夜切り揃えたばかりの爪はまだ丸みがないから、たぶんひっかいたらギザギザしていて痛いはず。小鳥も『あ、ごめん』と思ったのに。
 気がつけば、彼の頬には真っ赤な筋が二本も。
「てめえっ、なにすんだよ!」
 相手も普段、それほど激高する男じゃない。なのに、その茶髪の男がもんのすごく頬を真っ赤にして小鳥に向けて、腕を大きく振りかぶってくる。しかも思いっきりぶったたく勢いの顔!
 ――ガッシャーン。
 男が振った手。それが小鳥の、彼をひっかいた腕を弾き飛ばしていた。
 しかもその手が、なんとすぐ横にあった窓ガラスをいとも簡単に割ってしまった!
「げ、マジ」
「え、ウソっ」
 全力投球、思い切り感情をぶつけあっていた小鳥と茶髪の彼は、その時ばかりは怒りを解除した顔を見合わせる。
『きゃー』
 校舎の下、外、そこでも『かしゃーん』と遠くガラスの割れる音。そして女の子達の悲鳴。
 彼と一緒に三階の窓に身を乗り出す。
「やべえ!」
 直ぐ真下に女の子が二人。彼女たちの足下に割れたガラス。そして手を押さえてうずくまっている子――。
「こ、小鳥ちゃん……」
 友達の花梨ちゃんは顔を真っ青にして立ちつくしている。
 彼女のために起きた喧嘩、怯えている友達、そして困惑している喧嘩相手の同級生。
 だけど、小鳥は迷わず駆けだしていた。
「おい、待てよ」
 彼が追いかけてくる。でもその時はもう、小鳥は階段を下りて途中から飛び降りていた。
 
 一階の外に出ると、既に人だかり。
『三年の廊下から落ちてきたって』
『え、喧嘩? やだ。この学校でそんな乱暴なこと』
 男子も女子もうずくまる女の子を遠巻きに眺めたり、小鳥が割った窓を見上げたりを繰り返している。
「ごめん、大丈夫!?」
 その中を小鳥は躊躇せずに割り込んで、一直線に女の子へと向かう。
 その時。誰もが小鳥を見て、息を止めた雰囲気、空気を感じ取る。だけれど小鳥はなんとも思わない。なんでって『いつものこと』だから。
 そしてそれは驚いた彼等彼女等も同様に――。
 ――また、滝田さんだ。
 そんな囁きを小耳に挟みつつも、小鳥はうずくまっている制服の女の子へと跪いた。
 その子の顔を覗き込む。
「ごめんね。大丈夫? けが……」
 怪我、していた。彼女の手の甲から血。
 流石の小鳥も血の気が引く。
「いこ。保健室、すぐ!」
 なに遠巻きに見てるだけなのよ! そう吠えたい気持ちを抑え込み、小鳥は自分より小柄なその子をざっと両手に抱き上げていた。
 皆の『えっ』と目を丸くしている顔という顔を傍目に、小鳥は女の子を抱いて走り出す。
「あなたもいっしょに来て」
 彼女と一緒にいた子にも声をかける。
「は、はい」
 その時になってやっと、喧嘩相手の茶髪男も小鳥に追いつく。
「俺も行く、俺がその子かかえるから」
「さわんな。女の子にたやすく――」
 小鳥が睨むと、茶髪の彼もそこはぐっと唇を噛んで退いてくれた。
 少し背丈がある黒髪ロングポニーテールの三年生。滝田小鳥。この学校では何故か有名人?
 そんな小鳥のことを、この学校の子達はこう呼ぶ。
『やっぱ男前』
『滝田先輩、素早い』
 そして時にはこう言われる。
『ヤンキーの子』
 もう慣れっこ。気にしたことなんてない。本当のこと。
 でもひとつだけ違うんだけど!
『お前の母ちゃん、元ヤンだろ』
 
 ママは元ヤンじゃない!

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 職員室横にある小さな部屋『進路指導室』に、茶髪の同級生と一緒に閉じこめられた。
 目の前に原稿用紙。五枚。びっちり反省文を書け。それが先生からのお仕置きだった。
 
「くっそー、いつまでここに閉じこめられるんだよ」
 目の前の彼はもう書き上げていて、退屈そうだった。
 茶髪のチャラ男にみせかけて、ちゃんとやれるんだから、腹が立つ。
 向かいの席でまだ書いている小鳥の原稿用紙を覗かれたりする。
「やめてよね。見ないでよ」
 そうして小鳥が嫌がるから、彼がおもしろがって原稿用紙を奪おうとする。そこでまた小鳥がむっとして席を立ち上がったら、彼が『ふん』とその原稿用紙をあっさり返してくれる。
「お前の字、すげえ綺麗だな。きちんと整っているし」
「あんたこそ、書くの早いね」
 茶髪のチャラ男だけど。この『高橋 竜太』はそこそこ成績の良い男で、小鳥と一緒で『なんでもやることが早く』、要領もいい。身なりがチャラくてもそういうところ『デキる』から女の子もよく見てるようで、モテるというかなんというか。
「花梨ちゃんに謝ってよね」
 このチャラ男。小鳥の親友、花梨ちゃんのカレシ……だった。
 そのくせ、チャラチャラ、他の女の子に声をかけられて調子に乗ったり、花梨ちゃんに冷たくしたり。あげくに、花梨ちゃんが作ってきたお弁当を『ウザいんだよっ』と払いのけて床にたたき落とした。
 そこで頭に血が上った小鳥と、どうなったかは、ガラス窓が割れる経緯へと繋がっていく。つまりそういう喧嘩だった。
「ついカッとなるところが私の悪いところです、か」
 反省文の冒頭に書いたところ、ちゃっかり読んだ彼に呟かれ、小鳥はむくれた。
「人の読んだんだから、アンタのも読ませなよ!」
 しかし彼はこんな時は落ち着いた顔で、小鳥のように返せとムキにはならない。
 するっと取れてしまった原稿用紙を眺めてみる。
 豪快な男っぽい字。そして……小鳥は目を見開く。
「これ、竜太が書いたの? なにこれっ、新聞の記事みたいっ」
 書き出しからすごく大人っぽい文体、そして男性らしい理論を組み立て……。だが小鳥はハッとする。
「ちょっと、これどこにも反省が書かれていないじゃない」
「そっか? ここに『男は時には素直になれない生き物である』とあるだろ」
 バカ、先生が書いてほしい反省文はこういうのじゃないでしょうに――と言おうと思ったが。
「なーんだ。みんなの前でお弁当を渡されて、ちょっと恥ずかしかったんだー、竜太」
 素直じゃなかった彼の心情を見透かし、ニンマリと勝ち誇って笑ってみせる。だが、そこは彼がぷいっとそっぽを向いてしまった。
「そうだよね……。それじゃあ先生が読む原稿に『彼女に素直になれなかった』と書くことは出来ないから、『男は素直になれない生き物』か。上手いね!」
 なんて。敵を褒めてみたら、茶髪のふわふわパーマのチャラ男が、妙に恨めしそうに小鳥を睨んでいたのでドッキリとした。今度は……なにやら、本気の、眼?
「素直になれねえのはな、自分の女に、じゃなくてよ……」
 なに? 真顔で聞こうとしたが、竜太は黙り込んでしまう。
 もう喧嘩の話はよそう。このことに触れると空気がすごく息苦しく感じると思った小鳥は、読ませてもらっていた原稿に目を戻し話題を変える。
「竜太って、新聞記者になれるんじゃない。うち、新聞社にずっと勤めているおばちゃん知ってるから見せてみたいね。大学生になったらバイトさせてくれるかも」
「それマジかよ」
 今度はまっすぐに真剣に見つめられる。いつも喧嘩ばかりしている男だけれど、いつもと違う真剣な眼は男っぽくて、そして怖くて、さすがの小鳥もちょっとひやっとさせられる。
「う、うん。うちのお母さんの、大学の後輩で。よくうちに来るんだ。事務員おじさんの奥さんで……」
 だけどそこで竜太は我に返った顔を一瞬見せると、『ふん』といつものだらしのない格好で机に腰をかける。
「あほくさ。バイトなんてめんどくせー。それに俺、大学いかねえし」
 でも。小鳥はわかってしまった。こいつ文才あるかも、ほんとは書くことがやりたいのかも。でも……『母子家庭』だから、お母さんのことを思って? しっかり真面目に勉強した方がお母ちゃん喜ぶんじゃないの。そう言いたかったけれど、言えなかった。
「でも。お前のかあちゃん、大学いってんの」
「うん。郊外にある女子大だけど」
「え。あそこってお嬢様学校だろ」
「は? それってどういう意味」
 小鳥が眉間にしわを寄せて睨むと、また竜太が『あんだよ、その目』となにやら構える。
「言っておくけどね! うちの母親のあの噂、ちが、」
 違うからね! と、また喧嘩腰になろうとした時だった。
 進路指導室の開け放たれている窓から『ドルンドルン、ドルルン!』という爆音。
 その『聞き慣れたよく知っているマフラー音』に、小鳥はギョッとして窓辺に駆け寄った。
「すっげー音、なんだよ。あの車」
 校舎の真下に、見慣れた車が! 
「うっそー、もうやだっ。先生、本気で怒ってる!」
 思わぬ展開に、小鳥は顔を覆って落ち着きなく指導室を右往左往。
 その車を見ている竜太もやっと気がつく。
「もしかして。あのすんげえ車。滝田の親父の車? おまえんち、あの龍のステッカーの車屋だもんな」
「違うっ。アレは親父じゃない」
 え、と。竜太が窓からその車を再び見下ろす。
 エアロパーツでクールに、でも厳つく決めている『銀色の日産車』。バタリと運転席のドアを閉め、そこにすっくと立つ品の良い女性が一人。
「あれ。すげえ綺麗な人が出てきた」
「……だから。うちのお母さんだって」
 『え』と、また竜太が目を丸くして、小鳥を見て、そしてまたフェアレディZから出てきた黒いスーツ姿の女性を見下ろしている。
「はあ? だってすげえエレガントな、ワーキングママって感じじゃん。お前んとこの母親って、茶髪でバリバリのヤン車を乗り回している元ヤンだって……」
「だ、か、ら! それってただの噂だから!! 元ヤンは親父の方、オヤジは完全に元ヤンだから言われてもいいけど。ママは違うから!……あ、でも。ヤン車じゃないけど、あんな車はバリバリ乗っているんだよね」
 がっつり『走り屋仕様』に固められた、日産のフェアレディZ。どうみても男がオヤジが乗っていそうな車なのに、そこからタイトスカートの黒いスーツをすらりと着こなしたエレガントな女性。
「やっぱ。お前の母ちゃん、すげえや」
 そこでやっと竜太が言ってくれる。
「あのなりで、親父さんが手入れした車を乗り回しているって。マジ、車屋のオカミさんってかんじじゃん」
 でしょ、でしょ! やっと小鳥も満足、得意げになって胸を張る。
 だけど……今はそうじゃなくて……。ついにママが学校に呼ばれちゃった、てこと。小鳥はすぐにがっくり項垂れる。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 暫くして。やっとこの部屋から二人揃って出してもらう。
 その時、職員室には二人の母親が。竜太も自分の母親と目が合うと、申し訳なさそうに視線を背けているのを、小鳥は見てしまう。
 教頭先生に連れられて、職員室の片隅。応接テーブルとソファーがあるところに、小鳥と琴子母、そして竜太と竜太母が並べられ、『ちょっと今回は……』と教頭先生から注意をされる。
 だけど。なんていうか。
「本当に申し訳ありませんでした。お怪我をさせてしまったお嬢様のご家庭には、こちらからもお詫びに伺います」
「本当に申し訳ありませんでした。私どもも、滝田さんと共にお詫びに行きたいと思っております」
 こういう『問題児の母』というか。琴子母は、いつもきちんとした格好を崩さず、楚々として、動じず。きちっと頭を下げてくれる。
 ――悪いことなんてしていない。
 小鳥はそう思う。けれど、怪我をさせてしまったのは、どうにも言い訳が出来ない事実。
 たいした怪我ではなかったけれど、落ちてきたガラスが偶然手の甲にかすってしまい出血した。縫うほどでもなかったが、その子は包帯を巻かれた。
 しかも『ピアノ』を習っているという。大事な手。
 彼女は大事をとって早退したらしく、学校側から母親にも連絡をしたとのこと。そのお母さんがちょっと激怒したらしく……。
 それで加害者側の小鳥と竜太の親が呼ばれる経緯に至ったらしい。母親が呼ばれるほど、あちらのお母さんが怒りがおさまらないのか……。そんな不安が渦巻いた。
  
 小鳥は徐々に心が痛くなって、脱力する。なんでこんなことになっちゃうんだろう。いつも。
 落ち着きなくて、後先考えないで。周りの状況を判断しないで。感情のままに、突っ走ってしまう。
 その性格で、同級生の男の子とやり合って起きたことに『私は悪くはない』など、小鳥は言いたくない。
 それに。幼い頃から、どうも、こういうことを招きやすい性質のようで。その度に、楚々とした奥様であるはずの琴子母が、毎度毎度黙って頭を下げて、方々に謝罪にいってくれていた。小鳥も成長するにつれ、『申し訳ない』と感じるようになった。
 だから高校に入学してから、すぐに怒っても立ち止まるように心がけた。今度は失敗しないよう良く状況判断をして――。
 そのおかげか。多少騒がしいことになっても、自分たちで対処できるようになる年頃ということもあって、子供同士で決着をつけられるようになる。だから、母親がこうして呼ばれることはなかった。
 今年一年、何事もなければ。三年間無事に、ママに迷惑かけずにやり過ごせそうだったのに。悔しい。小鳥は先生の親への話を聞き流しながら、ぐっと唇を噛んでいた。
 私だってお騒がせの小鳥ちゃんではなくて、大人になったね――て言ってもらえそうだったのに。こんなの、幼い時から変わっていないことになってしまう。
 ママから『思慮深い女の子になってね』と、いつも言われてきたのに。小鳥もその通りになりたいと思っているのに……。
 こんな小鳥のことを大人達は『元ヤンの英児に似た』という。自分でも思う。ほんっとあの元ヤン親父とそっくりだなあ……と。でも小鳥は『きちんとしている可愛いママに似たね』と言われたい。
 あんな適当で車バカの元ヤン親父より、きちんと真面目に堅実に生きているママに褒めてもらえる方がずっと嬉しい。
 琴子母は、小鳥の目標でもあるのに……。こんな迷惑、来年は大学生になるというのに、また……かけちゃった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

「お母さん、ごめんなさい」
 職員室での話が終わり、わざわざ来てくれた母に小鳥は頭を下げて謝る。
 呆れた目つきで小鳥を見る母。目線がもう小鳥より下、背丈は中学生の時に超してしまった。でも、ママが怒っている時の目は今でもやっぱり怖い。
 だけど、本当に恐ろしいのは実はママじゃなくて――。
「でも。すぐに女の子を保健室に連れて行って、謝ったのね」
 呆れた溜め息をこぼしながらも、母の声は少し柔らかかった。でも目は怒っている。合わせられない。
「彼女が登校してきたら、もう一度、お詫びをしておきなさい」
「はい」
 そして少し離れた廊下の片隅でも。小鳥と同じように顔をしかめている母親に、なにやらくどくど説教をされている竜太の背中がある。彼も項垂れて、言い返さず。そして『ごめん、母ちゃん』の小さな声が聞こえてきた。
 ――『仕事中、ごめんな』。
 女手ひとつで育ててくれている母親。竜太は弱いようだった。
「滝田さん、ごめんなさい。すぐに戻らなくちゃいけなくて。夕方、仕事が終わったら、連絡しますね」
「わかりました。私も時間を合わせておきます」
 竜太の母は、琴子母ににっこり手を振るとすぐさま階段を駆け下りていってしまった。
 そして小鳥もハッとする。
「わ、お母さんも仕事中だったんだよね」
「そうよ〜。三好社長が『またか』と笑って送り出してくれたけどね」
 やーんっ。三好のおじちゃんにもまた『英児君の娘だなあ』と笑われるー。小鳥はまたがっくり肩を落とす。
「お母さんもいかなくちゃ。本多君がギリギリまで原稿を粘っていて、出来たら直ぐにクライアントさんに見せなくちゃいけなくて」
 うーん、本多のおじちゃんにも『おまえ、またかよ。なんで母ちゃんに似なかった』とか、ぐさっとくること平気で言われそう……と小鳥はさらなるため息をつく。
 『小鳥が免許を取ったら、最初の車に貼る、小鳥だけの龍星轟ステッカーをデザインしてやるからな』
 ずっと龍星轟のステッカーを専属でデザインしてくれる三好デザイン事務所のデザイナーのおじさん。ママの同僚。あのデザイン事務所で、おじさんのデザインを眺めているのが好き。よく遊びに行く。
 あー、暫く、行かない方がいいかもー。おじさんに『可愛いステッカーがいい』とこっそり言おうと思っていたのに。
 誰も女らしい――なんて思っていないだろうけれど、本当はママが持っているような女の子らしい小物とか大好き。今は二世帯住宅になって同居をしているお祖母ちゃんと手芸をするのが大好き。
 でも誰も。小鳥がママのような女らしい、女性らしい、可愛い人。だなんて思ってはいない。そして小鳥も、こんな性分だから、それを見られて『男っぽいくせに、似合わないセンス』と言われるのがイヤでおおっぴらにしていない。
「ごめんなさいね、高橋君。ほっぺたの、ここ。もしかして小鳥がひっかいたの」
 考え事をしていたら、琴子母が背が高い茶髪の男の子の顔を覗き込んでいた。
「い、いえ……。当たっただけです」
 真っ黒のフェミニンスーツに、白いブラウス。三好堂印刷を完全に引き継いだ二代目社長の補佐をしているママは、印刷会社と事務所を切り盛りする社長と共に毎日忙しくしている。そういう『きちんとしているオフィスママ』に見つめられて、あの竜太が緊張しているのがわかる。
「ほんと、うちの子、悪気はないはずなんだけど……」
 そんな琴子母の目を見た竜太が、急に小鳥をキッと鋭い目で見た。
 え、なに。やっぱなんか腹に据えかねるものがあって、ママに言おうとしている?
 竜太が小鳥の目の前までさっとやってきたかと思うと、腕をひっつかまれ、琴子母のところまで引っ張っていく。
 そして彼は琴子母の目の前で、小鳥の制服のブラウスの袖口をめくった。そこにはガーゼを貼り付けた手当が。
「俺のなんか、ほんのかすり傷。こいつもガラスでここ切ったんですよ。そのガラスが割れるようにしちゃったのは自分だし、彼女の腕を弾き飛ばしたのも俺なんです」
 母が小鳥を見る。『なぜ、それを言ってくれなかったの』と言いたそうな目。
「血は滲んだだけ。だって。悪いのは私も同じだもん。怪我が軽い竜太だけが責められそうでイヤだったんだもん。竜太のお母さんも気にしただろうし」
「……こいつが。進路指導室で反省文を書いている間に、絶対に俺だけが悪くなるから言うな……と言ってくれたんです」
 琴子母がちょっと驚いた顔を見せ、でも落ち着いたまま黙って、小鳥と竜太を交互に見た。
「そう、だったの……。そう……、うん、わかった。じゃあ、このことはお母さんが、私が聞いておくね。二人で決めたことなら、そうしなさい」
 だから小鳥の怪我のことを話し合いには出さない。喧嘩は両成敗――ということにしてくれた。
 
 琴子母も『お仕事に戻るわね』と、校舎の階段を下りて去っていく。
 その時、竜太がぼうっと琴子母を目で追い言った。
「お前の母ちゃん、すっげえーいい匂い。本物の大人の女ーってかんじ」
 それを聞いて、小鳥はびっくりする。
「と、父ちゃんと同じこといわないでよっ」
「は。なんだよ、それ」
 ドキドキした。男が女の匂いを知って『いい匂い』というの……。もうこいつも備えているのかと。
 小鳥にとって『女の匂い』というのは、けっこうセクシャルな感覚になる。
 それもあの親父のせいに違いない!
 ――琴子、お前ってほんといい匂いだなあ。
 あの元ヤン親父が、お洒落をしたママを見ては毎朝デレデレして背中を追いかけ回している姿を思い出してしまう。
 弟たちと一緒に『あれ、自覚していないよね』とか『もう諦めた』とか『ガキの時から見慣れた』と言い合って呆れているほど。
 ――パパ、子供達が見ているからやめて。
 ママがちょっと怒ると、またそれが『可愛い』とか言って……。
  
 そんな親父を思い浮かべると、なんだかちょっと腹立たしくなったり。走り屋達の憧れである『龍星轟の社長たるもの』もっとシャンとせんかいっと言いたい。
 けど、今日の小鳥はホッと胸をなで下ろしている。
 あー、良かった。あのヤンパパ。今日は年に数回の東京出張中なんだよねー。
 ママがどう報告するかわからないけれど。ひとまず、今日はもうこれで平穏なまま終われそうだと――。
 その出張に、今は滝田社長の補佐と言っても良いほどになった『翔』も一緒についていった。
 ――小鳥に土産を買ってくるからな。待ってろよ。
 子供の時から従業員として側にいる大人のお兄さん。小鳥の憧れ。
 そのお兄さんが、小鳥にお土産を。なんだろう、なにを選んでくれるんだろう。
 ドキドキしながら待っている。
 まあ、それなら。ヤン親父のくどい説教も我慢して聞けばいいかななんて思っていた。
 
 
 ――と、思いたかった。
 
 
 ガラス割り騒動から数日。午前の静かな教室では、日本史の授業中。
 小鳥のひとつ向こうの窓際列にいる竜太も、あくびをしているが、真面目にノートをとっている。
 あいつめ。ああやってふぬけた状態であの成績はどういうことなんだ。いつも思う。
 あの後、花梨ちゃんとも仲直り。二人が一緒に下校する姿も元通り。怪我をした女の子も『滝田さん、すごかった』と笑って許してくれて、彼女のお母さんも『気をつけてね』と収めてくれ、全ては丸く……。
 ドウン、ドウン、ドド、ドウドウン。
 静かな教室に重いエンジン音――。
 うわーー! それを聞いただけで、小鳥は席を立ち上がってしまった。
「た、滝田、ど、どうした」
「あの、その。えっと、」
 この『くせのあるアクセルの踏み方』。このエンジン音。車は、日産の――。
 日本史の先生と目があったけれど。先生も……小鳥をじっと見て何か判っている顔!
「うお、すげえ。真っ白ピカピカのGTRだ」
 窓辺の男子達が下を見て騒ぎ出す。
「先生、窓の下を見てもいいですか!」
 立ち上がっているけれど、小鳥はさらに手を伸ばして、先生に問う。
 だけど先生は既に、窓辺を見下ろしその車を確認。
「日産の、GT−R。すごい新車だな。しかもあのスタイル……」
 『かっこいいな』とうっとりしている先生の隣から、小鳥も見下ろした。
 駐車場に、ピカピカ真っ白の日産GT−R。龍星轟に新たに仲間になったマシン。
 その白い車の運転席から、グレーのスーツ姿の、しかもサングラスをかけたくわえ煙草の男が出てきた。
「うわ。なんだ、あのおっさん」
「どっかのおっかねえとこの、やばいおっさん?」
 男子も女子も窓辺を覗いてざわめく中、先生が小鳥を見る。
「えー、残念でした。車に龍星轟のステッカー。親父さんみたいだな」
「えーなんでなんで!? 先生、あのことはもう終わった話、に、なっていますよね?」
「……だと聞いているけど」
 普段は作業着ジャケット姿で、スーツなんて滅多に着ない親父さん。
 それがスーツ姿ってことは、出張から帰ってきてここに速攻向かってきたってこと?
 つまりそれだけ親父さんも『カッとなってここに来た』ってこと。
 やばい。まだ窓割りの件は終わってない模様!

 

 

 

 

Update/2012.4.22
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