× ワイルドで行こう【ファミリア;シリーズ】 ×

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 5.リトルバード・アクセス《5》 

 

 車が決まった――! そうなったら次に思いついたことを実行。
 即実行が、小鳥のセオリー。翔兄から車を引き継ぐことが決まった翌日の放課後、小鳥は真っ先にそこへ向かった。
 
「こんにちはー」
 放課後、学校を飛び出して家とは反対方向の郊外電車に乗ってそこを訪ねる。
 事務所のドアを開けると、社長席には茶髪で無精髭の『ジュニア社長』――じゃなくて、『ジュニア・ジュニア社長』。
「また来たな。ロケット小鳥」
「そのプロレスラーみたいな呼び方、やめてっていつも言っているのに。ジュニア・ジュニア社長」
「俺のことも、ジュニアジュニアっていうなっ」
「だって、ジュニア社長の息子だから、ジュニアジュニアって龍星轟でもみんながそう言っているよ」
「龍星轟だけだぞ、俺のことを変な呼び方するのは。まあ、それだけ長年のお付き合い、お得意様ってことなんだけどなあー」
 むくれていたお兄さんが、やっと笑顔で小鳥を迎え入れてくれる。
 こちらの青年社長は、翔兄よりもう少し年上で三十を超えているお兄さん。
 三好堂印刷の三好デザイン事務所。今は『ジュニア社長の長男』が数年前から引き継ぎ、『新ジュニア社長』としてデザイン事務所を担当。両親が言うところの『ジュニア社長』は本当の『三好堂印刷の社長』になっていて、全てを取り仕切っている。
「滝田マネージャーなら、いま、親父と打ち合わせにでかけているけどな」
 母はそんな元ジュニア社長のサポートをずっとしてきたことで、今も彼の秘書的補佐的存在で、この会社ではいわゆる社長室を束ねる『部長=マネージャー』という肩書きをもらっていた。
「本多のおじさんは?」
「ああ。今日も奥に籠もってでてこない。数日前からすごい鬼気迫っているから、会えないかもしれないぞ」
「そうなんだ……。うん、でも、せっかく来たから挨拶だけ……」
 小鳥が今日、いちばん会いたい人はその人だったから、直ぐに帰ることが出来なかった。
 新ジュニア社長の許可をもらって、三好デザイン事務所の中へ。事務員さんに挨拶をして、隣のデザイン室へ。パソコンに向かってデザイン済みの版下を作っているオペレーターさん達にも頭を下げて……。皆が顔見知り。滝田マネージャーの娘、そして滝田モータースの娘として良く出入りさせてもらっている。
 そして小鳥が特にここに来て会いたい人は、ここのデザイナー全員をとりまとめる『デザイン部のマネージャー』になった本多雅彦おじさん。今は個室を与えられて、そこで黙々とデザインを描き出している。
 おじさんの印象は『お洒落だけど無愛想な人』。目の前の紙と鉛筆しか見えていないのだろうか? というぐらい、デザインをすること以外には関心がないよう。子供の頃からそう思ってきたほど『取っつきにくい人』だった。
 そして数年前。小鳥はふとしたことから知ってしまった。『雅彦おじさんは、ママの元カレ』だということ。そして良い別れではなかったということも。
 それでも小鳥は、雅彦おじさんと琴子母が真剣な顔で向き合って仕事のことを話し合い、本気で言い合いをするところも目にしたことがあるので、母との過去を知っても『嫌な思い』は湧かなかった。むしろ『嫌なこともあっただろうけれど、仕事を通した関係は本物になったのだろう』と、そう感じている。
 それに雅彦おじさんのデザインに対する気迫をみてしまうと、仕事第一『女は重い』と感じる生き方をしてきたんだろうなと勝手に思ってしまうほど。実際におじさんは未だに独身で、もう結婚する気もないらしい。
 その個室に来て、小鳥はドアをノックしようと拳を握る。
 ――『数日前から鬼気迫っているぞ』。
 ジュニア社長兄さんの言葉を思い出し、小鳥はここまで来て急に緊張する。本当に機嫌が悪いと、子供の小鳥にさえ『来るな!』と本気で怒鳴り追い出されることがあるから。
 誰もが知っているそういう扱いにくい気性の持ち主。でも、ほんとは……。小鳥はもう一度拳を握り直し、深呼吸、ようやっとそのドアをノックする。
『はい、どうぞ』
 思ったより、ゆったりとした声が返ってきたので、ほっとしてドアを開けてみる。
「こんにちは。雅彦おじさん」
 ドアから顔だけ覗かせると、デスクのスケッチブックに向き合っていたおじさんが振り返る。スレンダーなピンクのストライプシャツと真っ白なデニムパンツ姿。年齢の割にはおじさんはとてもお洒落。白髪混じりになった髪は少し長めに伸ばしていて、今日のおじさんは後ろでひとつにヘアゴムで束ねていた。
「なんだ、小鳥か」
「お久しぶりです。お邪魔しても、いいですか」
 少し考え込むようにして顎をさすり首を傾けていたおじさんが、ため息をつきながら鉛筆を置いて『いいよ』と言ってくれた。どこか疲れた顔――。だから小鳥もはしゃがないで静かに入った。
 薄暗い部屋。いつもそう。だけど小鳥は知っている。集中する時のおじさんの部屋はこんな感じになる。燦々とした光が特に鬱陶しくなるんだとか。光を抑えたところで瞑想するような雰囲気が大事なのだろうかと、小鳥は思っている。
「もうこんな時間なのか!」
 椅子から立ち上がり、掛け時計を見たおじさんが、まるで現世に帰ってきたかのような驚き顔で言った。
「じゃあ。学校が終わってきたってことか……」
「うん。学校が終わったから、来たんだけど」
 じゃないと来られないのに。それに一目見たら制服姿、学校帰りだとわかるだろうに。非常に当たり前なことが、時におじさんにとっては非常に無意味であるように返されることがある。
 高校生の小鳥が学校が終わったから訪ねてきた、だからもう夕方近い時間帯。そうじゃない。おじさんにとっては小鳥が何時に訪ねてこようが、何を着て訪ねてきたかなどは関係なく、つまり『見えていないに等しく』、それは時計を見てやっと意味となって理解するという。
 こういうところ『変わっているなあ』と子供の時から感じていた。これじゃあお母さんも恋人だった時は苦労しただろうなとか、ちょっと同情する。
「朝から飲まず食わずだったみたいだ」
 はあっと大きな溜め息を落とし、脱力するように椅子に座り直し項垂れたおじさんをみて、小鳥も一緒に驚く。
「おじさん、いま気がついたの?」
 彼がこっくり頷いたのでますます小鳥は驚く。
「喉がカラカラだ。悪い、小鳥。そこの自販機でスポーツ飲料を買ってきてくれないか。小鳥も飲みたいものを買ってきな」
 机の上にある財布から、幾らかの小銭を取り出し、小鳥に握らせる。
 現世に帰ってきた途端、しぼんだような目元と覇気のない背中になってしまう雅彦おじさんを見た小鳥は――。
「おじさん。私、そこのコンビニでなにか買ってきてあげるから。ちゃんと食べて!」
 もらった小銭を握ったまま、小鳥は個室から飛び出す。
 『わ、待て。小鳥。それなら……金、もっと……』
 そんな力無い呼びかけも構わずに、小鳥は事務所から外に一直線。必死に呼び止める声なのにか細い、あれ、ほんっとに根を詰めていたんだと痛切に知る。だから小鳥は即飛び出していた。現世に帰ってきた今のうちに、なにか食べさせなくちゃ――。そんな思いひとつで。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

「つくづく思う。お前って本当に親父さんに似たんだな」
 コンビニでサンドウィッチやおにぎりにサラダなどを買い込んで戻ってきた小鳥に、雅彦おじさんはまずそう言った。
 それでも小鳥に『サンキュ』と御礼の合掌をしてから、雅彦おじさんは食べ始めてくれる。
「即決の男、滝田社長にそっくりだ。思い立ったら飛び出している、決めている、そして迷いはなし。ただし、周りがちょっと見えていない時がある」
「それ、もう聞き飽きた」
 本多のおじさんは、子供だからとか気遣わずにはっきりいう大人。その分、子供には良くも悪くもストレートに伝わる。
 たらこのおにぎりをぱくぱく頬張るおじさん。一度、口にしたら止まらないようで、小鳥が買いそろえてきたものを全部食べてしまった。
 気持ちと身体が分離しているように小鳥には見える。身体は水分も欲しているし、空腹なのに。気持ちが勝ってしまい、飲まず食わずで時間も忘れて……。本当に紙と鉛筆だけで生きていきたい人なんだ思う。
 お腹がいっぱいになって落ち着いたのかやっとおじさんが笑顔になる。
「でも、ありがとうな」
 小鳥もほっとして『うん』と微笑み返した。
「ちょっと周りが見えていなくても、そのロケットパワーで周りを引っ張って、最後はみんなの為になっている。それが滝田族ってところだな」
 おじさんは、父のことも良く口にする。『お前の親父さんは、男の中の男だよ。あの人を嫌いになりたい人なんていないんじゃないか』と、別れた元恋人の母よりもずっとずっと長く親しく付き合ってきた朋友のように、『もう少ししたら車を見てもらいに龍星轟に行くと、親父さんに伝えておいてくれ。会えるのを楽しみにしているとね』とか言って嬉しそうな顔になる。なんでもずっと前、小鳥が生まれる前に、親父さんが雅彦おじさんのデザインを気に入ってくれて仕事を依頼してから、おじさんの人生は大きく変わったのだとか。
「でも。気が利くところは、琴子に似たんだな。俺が好きなサンドに握り飯ばかりだった」
 はあ、腹一杯になった――とお腹をさすり満足そうなおじさん。なのに、また紙に向かって鉛筆を手にしてしまう。せっかくデスクから離れたのだから、一息ついたらいいのに。と、小鳥は密かに呆れる。
 だけれど、もう横顔が穏やかだった。
「ひさしぶりだな。今日はどうした」
 再び鉛筆を動かし始めても、おじさんから聞いてくれたので小鳥もやっと肩の力を抜く。
「あのね、おじさん。実は……」
 と、やっと昨日の喜びを笑顔一杯に大好きなおじさんに伝えようしたのに、穏やかになったおじさんが再び『あ!』と、しかめ面でグイッと振り向いたのでビクッと固まる。
「お前! この前また琴子を学校に行かせるようなことしていたな! 俺、あの時、琴子から『絶対にこの時間に仕上げて。じゃないと、他のデザインを持っていく! これ以上は譲れない!』と散々脅されて、すごい追いつめられて仕上げたら、その時間に琴子がいなくてすごい頭にきたんだ!」
 相手が子供だろうがなんだろうが『デザインの仕事で支障がでたこと』はお構いなしに腹を立てる。そういうところ、おじさんも大人げないよと小鳥も言い返したくなったが――。
「あー、ごめんなさい。そうなんです。高校三年間、今度こそお母さんが学校に来ないようにと気をつけていたのに……」
 だけど、そこで雅彦おじさんは小鳥と真っ正面に向き合い、ちょっと哀しそうな目でみてくれている。
「その……免許取得延期の話も聞いた。やっぱり滝田社長は厳しいけれど、そんなところきちんとしていて『しっかりした父親』だな。でも、小鳥は残念だったな……。お前、大丈夫か」
 ほら。おじさんは本当は優しいんだよ。周りが見えるタイミングがちょっとずれているけれど、でも遅れてもちゃんと見てくれている。だから、小鳥は雅彦おじさんを嫌いになれない。
 ただ。ママと恋人として上手くいかなかったことは、これじゃあ仕方がないなと痛感するけれど。
 小鳥の気持ちに気がついてくれただけで充分。小鳥は雅彦おじさんに笑顔を見せる。
「うん。哀しかったけど、大丈夫。父が言ったことも私、すごく良くわかったからそうしなくちゃ気が済まなくなったの」
 そこで雅彦おじさんが、感心するような溜め息をはあっとついた。
「お前、偉いな」
 そして小鳥も照れる前にその続きを報告する。
「でもね! 昨日、翔兄ちゃんがMR2から新しい車に乗り換えることになって。そのMR2を親父さんが引き取って、もうすぐ私の車になるの!」
 やっと喜び一杯に伝えると、今度は雅彦おじさんの顔もみるみる間に満面の笑みになる。
「それほんとうか!」
 おじさんから先にガッツポーズをしてくれたので、小鳥も『ほんとうだよ!』と一緒に飛び跳ねた。
 だから好きなんだって。おじさんは、無関心ではあるけど、決して繋がりを断ち切っている訳ではない。ちゃんとしたところ持っている。
「きたか、ついにこの日が」
 そういうとおじさんは、デスクの傍らにあるノートパソコンを手元に引き寄せ、マウス片手にモニターのアイコンをカチカチとクリック。
 とあるフォルダをクリックしたところで、パッと画像が表示された。
 龍とワイルドベリーが描かれている。形状から見ても、小鳥も直ぐに判った。
 そして、今日。小鳥がなにを雅彦おじさんに伝えに来たか、もう言わなくても既に通じていることにも小鳥は喜びを隠せない。
「もしかして。これ……私のステッカー?」
「そうだ。まだ原案だけどな」
 おじさんも得意げに笑って小鳥を見た。
「おじさん、覚えていてくれたんだね。私もね、今日はおじさんにステッカーを頼もうと思って来たの」
 ――『小鳥が免許を取ったら、最初の車に貼る、小鳥だけの龍星轟ステッカーをデザインしてやるからな』。
 雅彦おじさんのことだから、何気なく言ってくれただけかもしれない。そう思ったから、小鳥からきちんと申し込もうと思っていた。
 でも。おじさんは忘れていなかった。そして待っていてくれた。
「ありがとう。おじさん」
 いつも以上に心を込めて礼をいうと、そこでやっと普段は見せない優しい笑みをおじさんが見せてくれる。
 そして小鳥はそのステッカーの原案をまじまじと眺める。
 龍星轟ステッカーの最低条件は『龍』と『星』。これは親父さんがあの店を始める時に決めたトレードマーク。レディスステッカーには、ワイルドベリー。これは琴子母を象徴しているらしい。
 そしてその龍とワイルドベリーが描かれている横に、やっぱり『小鳥』が描かれていて、小鳥はため息をついた。
「私をイメージするって、やっぱり小鳥になっちゃうんだね」
 マウスを握ったまま、小鳥の反応をうかがっていた雅彦おじさんが、そこで妙に不敵な微笑みをみせた。
「そうか。これは気に入らないか。じゃあ、これはどうだ」
 マウスがカチッと音をたてて次に出てきた画像に、小鳥は目を見張った。
 そこには、自分がお願いしようとしたイメージ通りのものが出来上がっていた!
「か、かわいい! これ……天使?」
 雅彦おじさんが『そうだ』と頷く。
「小鳥なんてありきたりだ。でも、もしかすると……『やっぱり私は小鳥だから』といいだすかもしれないと思って、候補にはしておいた」
「もう一つの候補は、なんで天使にしたの?」
 おじさんは少し躊躇していたが。
「背中に羽根があって小鳥みたいだろ。それに……。お前は滝田夫妻のところに初めて飛んできた天使、そういうイメージ」
「私が、天使……? ちょっと恥ずかしいな」
「龍星轟の娘として走るのだから、わかりやすくインパクトが強くないとダメだ。しかも男ばかりの世界に足を突っ込もうとしているんだから、これぐらいの『護身』があってもいいだろう」
 『護身』? 天使が守護神ってこと? あまりにも壮大になってきたので、今度は戸惑いが生じる。
「天使に手を出すと、龍が飛びかかってくる。そういうイメージ。どんなに大人になっても、お前の頭の上には一生、龍がいるんだ」
 滝田社長の娘として走ることも、どんなに手を離れてどこまで走れるようになっても、小鳥も龍からは逃れられない。車が関わる人生に、龍は付き物。そんな生まれなんだと雅彦おじさんが続け、小鳥もようやっと頷く。
「すごい意味が込められているけど。でも、かわいい」
 おもわず、頬が緩んでしまう。髪は長くてもボーイッシュな外見と性格から、もっとクールなものを描かれるかと思っていたが、まるで小鳥の本心を悟ってくれていたかのように願ったとおりのキュートなイメージ。
 もう言葉もでないほど、満足いっぱいにじいっとエンジェルステッカーを眺めていると、雅彦おじさんが足下に置いていた小鳥の通学鞄を手に取った。
 そしておじさんは、手提げにぶらさげているマスコットを指さす。
「これ、実は小鳥の本当の趣味だろ」
 七色の糸で編んだクマの編みぐるみ。鈴子お祖母ちゃんと一緒に作ったもので、小鳥のいちばんのお気に入り。
「他にも。お前が使っているシャープペンシル。ポーチ、ハンカチ、タオル。そして便箋やメモ帳。琴子にそっくりだ。しかも小学生の時からそれは見られた。琴子が好きそうな柄や絵柄、そっくり引き継いでいる」
 小鳥はびっくりして固まった。おじさんったら。そういうところはすっごい目が利く。
「外見はやんちゃなお嬢だけど、本当はすごいガーリーな夢を隠し持っている、だろ。だから可愛く作っておくからな。でも小鳥らしいクールさも押さえておく」
 頼まなくても、おじさんはもう小鳥というクライアントの気持ちをがっちり掴みきっていた。
「他に、クライアントさんのご希望は?」
 おじさんの笑みは自信に満ちていた。三好デザイン事務所がある時からさらに飛躍したのは、この雅彦おじさんのデザインが加わったからだと両親が話していることがある。地方では敬遠されがちな斬新なデザインを思い切りするかと思えば、オーソドックスなものも王道を外さず個性的に仕上げる。いまはこの事務所のデザイン部長。
「やっぱりおじさん、すごい。私が頼みたいと思っていた通り。うん、出来上がるの楽しみに待ってる」
「車に貼って走るその日まで、何度か出来具合を確認に来いよ」
 また楽しみが増えた。免許取得延期でも、その日は着実に小鳥に向かってすぐそこまで来ていると感じられた。

 

 

 

 

Update/2012.7.5
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