× ワイルドで行こう【ファミリア;シリーズ】 ×

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 5.リトルバード・アクセス《10》 

 

 少し季節が早いけれど、今日はお気に入りのあの服を手に取った。
  
 黒いシャツワンピース。
 
 それを着込み、その上にウールのカーディガンを羽織る。今日はこれでOK。
 このシャツワンピースは本当に着やすく、小鳥もとても気に入っている。着ていて『自分らしい』と思える、違和感のない一着。
 好きな人からプレゼントされたから、それもあるかもしれない。でも、それ以上に、本当に小鳥の気持ちにもフィットしている。それに誰もが『それとっても似合う。小鳥ちゃん、お洒落』と言ってくれる。あの雅彦おじさんでさえ『それどうした。すごいお前らしいじゃないか、似合ってる』と絶賛してくれた。
 ……つまり。それだけ。大好きな人が、小鳥をよく見て、よく知って、選んでくれたということ。こんなに嬉しいことがあるだろうか。
 だから。小鳥は高校卒業後、それまで興味もなかったお洒落をきちんと考えてするようになった。
 腰まで長く伸ばしていた長い髪も、今はもう胸元まで。毛先が軽くなっても、今まで通り丁寧に手入れをして、きちんと櫛で綺麗にとく。
 眉毛を目印にまっすぐに切りそろえていた前髪も、いまは伸ばして横分けに。
 美人と言われている親友やママから教わったお化粧もほんの少し。ちゃんとビューラーでまつげも、ナチュラルにお洒落をして……。
 
「行ってきます」
 白いハンドバッグを肩にかけ、小鳥はリビングで紅茶を飲んでいる母に声をかける。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
 いつも優しい微笑みを返してくれる母に、小鳥も笑顔を返す。
 
 季節はお椿さんが過ぎた頃。先日、両親が『挙式記念日』と言って、初めて子供達だけを留守番させる一泊旅行にでかけた。
 相変わらずの仲の良さで、旅行から帰ってくると、なんだかいつも以上にくっついているようで、まったく子供の目から見ても呆れかえること多々。特に、英児父が。
 行ってきますと玄関を出て、一階事務所裏通路へと階段を下りる。
 今日は土曜日。朝から龍星轟は休日で集まる顧客を迎え入れる準備で忙しそう。あまり邪魔をしないように……と思い描きながら、暗い通路から裏口を出ようとしたら。
「おう、琴子。今日はどこか行くのか。仕事か」
 そう呼ばれ、小鳥はびっくりして振り返る。
 龍星轟ジャケット姿の矢野じいがそこにいた。
「お、お、お前。小鳥かっ」
 矢野じいも小鳥の顔を見てびっくりしている。
「そ、そうだよ。私だよ、小鳥だよっ」
 でも、どうして間違えられたのか。驚き顔を見合わせている小鳥も矢野じいもわかっている。
「おめえ。後ろ姿が琴子とそっくりになってきたな」
「そっかな。お母さんに似てきたなら嬉しいな」
 近頃、昔ながらの顧客のおじさんや、整備の兵藤おじさん、清家おじさんにもたまに言われる。『若い頃の琴子ちゃんに雰囲気がそっくりになってきた』と。後ろ姿なんてドキッとすると言われると、小鳥も嬉しくなってしまう。
 今日はついに、矢野じいまで……。
 それでも絶対に間違えない人が二人いるんだよね。と、小鳥は男二人を思い浮かべる。きっとその二人は、もし小鳥と琴子母がほんとの双子姉妹として生まれても、見分けてしまうんだろうなと思うほど。
 矢野じいにも今日は隣県の『高松と坂出の瀬戸大橋まで行くんだ』と伝えると、『気をつけて行ってこいよ』と見送られる。
 事務所の前を通って、ガレージまで。隣のピットは父を始めとする整備士が全員作業をしていて、整備フル回転と忙しそう。それを横目に、小鳥はガレージに向かい……愛車……。
「な、ない!」
 父と母、そして娘の愛車が並べてあるガレージ、そこを見て小鳥は驚愕する。
 ない! 私の愛車がない!!!
 その次に直ぐに浮かんだのは『またか』だった。頭に血が上り、小鳥は隣のピットへ駆け込んだ。
 何台も並べられ整備されている車の中に、青い愛車があった。しかも触っているのは、英児父!
「父ちゃん! また勝手に触ってる!! 私、今からそれに乗って出かけなくちゃいけないのに。なんで勝手にいじってるのよっ」
 だけれど、英児父は『こんなこと当たり前』と言わんばかりの険しい顔でこちらを見たので、愛車の主である小鳥の方がビクッと固まった。
「うっせい。おめえ、よくこんな状態の『エンゼル』で走り回っていたもんだな」
 ――『エンゼル』。父はあの青いMR2をいつの間にか、そう呼ぶようになっていた。雅彦おじさんが、小鳥だけのステッカーに『エンゼル』を描いたことが由来している。
 そんな小鳥の愛車、青いMR2はエンジンルームをガパッと開けられ、ノートパソコンで繋がれ、チューンナップの真っ最中。とてもじゃないが、今すぐやめてくれと言えない状態にされている。
「今日じゃなくてもいいじゃないっ。昨日、言ったよね。私、今日、その車で友達と出かけるんだって」
 するとそこでは、英児父が少し申し訳なさそうに表情を緩めたが、直ぐに思い直したようにして元の鋭い眼光をこちらに放ってくる。
「この車を運転したけどよ。エンジン、ぜんぜんダメだわ。おめえ、こんな状態で今日は高速を走るのかと思ったら、やっぱ我慢できねえっ」
 この車を運転した??
「またいつの間に、私の『エンゼル』に勝手に乗ったのよっ」
「まだ俺名義の車だ。俺のもんだ」
 うっわー。それを言うっ。
 まだハタチになっていない小鳥がそれを言われたら、ぐうの音も出ない。
 でも、小鳥はここでぐっと我慢。だって、だって。『ハタチまであと少し』だから。
 拳を握って弱い立場であることをぐっと堪えていると、英児父が整備手袋を外しながらやってきた。
「悪かったよ。でもよ、ちょっと前から気にしていたんだよ。なのにお前、いつもどこかへこれに乗って出かけちまって。全然、整備する暇がなかったからよ」
 確かに、小鳥は大学生になってからとても忙しく過ごしている。家にいることがほとんどないかもしれない。
「バイトも忙しいんだろ。お前、整備士を目指している訳じゃないんだからよ。本格的なところはプロの父ちゃんにやらせてくれねえか。龍星轟のステッカーを貼っている以上、ましてや、たった一枚しかないお前だけのエンゼルステッカーを掲げて走っているんだからよ。俺の娘がこんな車で走っているだなんて我慢できねえんだよ」
 エンゼルは龍星轟の娘の車。走り屋の男達から見れば、娘の車は、龍星轟社長の車であることは同然と見られる。それは小鳥も夜の道を走っているとよく感じる。だから。
「うん、わかった。……その、ほんとは、有り難う……」
 車は好き。タイヤ交換とかオイル交換やエンジンルームの管理とか、ある程度は自分で出来る。だけれど、小鳥の夢は『車屋』ではなかった。いまは『小鳥が選んだ夢』に向かって出来る限りの準備を始めているところ。
 小鳥の今の『アルバイト』は、それに通ずる職種だった。父と母もそれを受け入れて、応援してくれている。整備士を目指して頑張っているのはむしろ弟の『聖児』。
 だから車の手入れは自分で出来ても、エンジンや足回りの完璧な調整は、やはり父任せになっていた。それは感謝している。父が触ると、断然、走りやすくなるは確か。
「出かけるなら、どれでも好きな車に乗っていけ」
 それを聞いて、小鳥はびっくり目を見開いて父を見上げた。
「ど、どれでもって」
「事務所から好きなキーを持っていけ。そのかわり、事故ったり、ぶつけたりしたら、免停同様、暫く車に乗せねえからな」
 それってつまり、つまり!? 小鳥はさらに念を押すように聞いた。
「ハ、ハチロクでも?」
 大学生になってやっと車の免許を取れた後、何度か父の隙を狙ったことがあるが、どれもこれも阻止され絶対に叶わなかったハチロク乗車。まさか、それも?
「ああ、いいぞ。俺のスカイラインでも、琴子のフェアレディZでも、ハチロクでも、シルビアでも、GTRでもなんでも乗ってけ」
「ほ、ほんとに、ほんとに!?」
 と言いながら、小鳥はもう事務所の社長デスク背後にあるキーラックへと走り出していた。
 事務所に駆け込んで英児父のキーラックへ、一目散。当然! 憧れのハチロクのキーを……!
 だけど、そこで小鳥は手を止めた。
 二年早く生まれただけで、俺より先に乗れるのは不公平だ。
 そんな弟、聖児の声が聞こえてしまった……。
 グッと堪え、キーを取ろうとした手を引っ込める。いや、こんな機会滅多にないよ、これからも父ちゃんは乗っていいとは滅多に言ってくれないかも。そんな小鳥の葛藤。
 でも。小鳥は、ずっと憧れてきたからこそ、弟の気持ちもよくわかってしまう。二人一緒に憧れてきた親世代往年の人気車。
 ――聖児が免許を取ってからだって乗れるかもしれない。
 それからでも、いいのではないか。ついにそのキーを取ることが出来なかった……
 
 ガレージから小鳥はその車を運転して出し、ピットから出てきた英児父に何を選んだか見せる。
「小鳥。お前、ほんとにそれでいいのか」
 小鳥は『銀色の車』から降りて、英児父の前で呟く。
「うん。お母さんのゼット、今日は借りていく」
 唖然としている父の顔。たぶん『どれでも』と言いながらも、『ハチロクに乗っていけ』という無言の許可だったのだろう。そういうチャンスを与えてくれていたのに。
「ハチロクは、聖児が免許を取ってから二人揃って乗せてもらう」
 そして父も、娘が姉として考えたことを理解してくれたのか何も言い返してこなくなる。ただ、呆れた顔もしている。
「でもよ。なんでゼットなんだよ」
 これまた不満そう。ハチロクでなければ、どうしてスカイラインじゃない。親父の車じゃない。母親の車なんだと言いたそうな顔だなあと小鳥は察した。
「だって。スカイライン、なにもかも重いんだもん」
 免許を取って直ぐ。峠の走り方を教えてくれたのは、やはり父だった。娘が翔から譲り受けた青いMR2の助手席に乗り込み、夜の峠道をどう走るか。小鳥の『走り屋師匠』だった。
 『他の車もどんなものか知っておけ』。そう言ってくれ、英児父は時には小鳥にスカイラインやフェアレディZ、GTRと運転させてくれた。
 だから小鳥はその感触の違いをもうよく知っていた。
「運転させてもらったら、よくわかった。あのスカイラインは、父ちゃんのおっきな身体と手に馴染んじゃってる。重くなりがちなハンドルも上手く調整しているけど、女の私には重く感じる時もあるよ。そういう硬派な仕上げをしているんだもん。それに『龍星轟スカイライン』なんかで高速を使って他県なんか向かったら、途中で絶対に喧嘩を売られるもん」
 『喧嘩』という言葉を使ったが、いわゆる『煽られる』ということを小鳥は案じている。
 龍星轟のスカイラインと言えば、滝田モータース社長だと知れ渡っているはず。なのに運転席に小娘がいると知ったならば、どんな『からかい』をされるか判らない。気のよい仲間ばかりじゃないのも現実。
「シルビアは、父ちゃんでさえ、お母さんだって滅多に選ばないから、私も今は遠慮しておく」
 やっと父が腕を組んで納得の頷き顔を見せてくれた。
「母ちゃんのゼットなら、運転しやすいと思ったのか」
「だって。父ちゃん、お母さんが運転しやすいようにしてあげているんでしょ」
「ったりめえだろ。元は俺が乗っていた車だったけどよ。アイツが免許を取ってまで乗りたかったって言ったんだから。アイツのための車にしてきた」
「だったら、私にも運転しやすいよね。今日はそれで行く。ツーシートしかないMR2は二人しか乗れないけど、ゼットなら後部座席にも友達を乗せられるしね」
 そこで父が『他の友達?』と眉をひそめた。
「おい。小鳥。花梨ちゃんと二人で出かけるんだよな?」
「そうだよ。助手席に乗せて。他の車数台とね。ゼットならスミレちゃんも乗せられる」
「スミレちゃんもだと? あの車のサークルで行くのかっ」
「うん。国大のサークルと、瀬戸大橋まで合同ドライブ」
 小鳥が通う大学は、琴子母も通った女子大。そこで小鳥は今度は人が集まりやすいようにと『ドライブサークル』というものを作った。女子大なので『共学他校と交流あります』と宣伝すると、割と人が集まった。他の大学に通う同窓生を通じて、車好きの人を紹介してもらったり、ドライブイベントを企画してくれるサークルと提携したり。今日は、翔が卒業した国立大生と共同の『ドライブイベント』。
 いちいちそこまで細かい予定はもう親には告げない。だけど、『男も一緒のおでかけ』と気がついた英児父の顔色が変わる。
「そいつら、大丈夫なんだろうな」
「大丈夫だよ。何度も一緒に遠出しているし」
 『何度もだとぉー』。また英児父が顔をしかめる。ああ、面倒くさいなあ……と小鳥はゲンナリ。もう子供じゃないよと言いたいが、ハタチになるまではどうもその文句は言っても皆無のようだから黙って我慢している。
「社長。エンジンの組み込み終わったので、チェックしてくれますか」
 助け船が来た! 小鳥は目を輝かせる。
 整備手袋を外しながら、颯爽とピットから出てきた翔がこちらにやってくる。
 そして、翔も父娘の不穏な空気に気がついたよう。だがそんな敏感な翔を見つけて、小鳥より父親が彼を手元に引き寄せた。
「翔! 小鳥のヤツ、またお前の大学の男と出かけるっていうんだよ」
 だけどそれを耳にして、翔兄は『やれやれ』と言わんばかりの小さな溜め息をついたのがわかった。
「社長。小鳥も大学二回生なんですから、そんな心配しなくても」
「だってよお、『車で走る』が目的じゃなくて、『異性と和気藹々する』のが第一目的なサークルの奴らだぞ」
「学生のうちに、幅広い交流を築くのは大事なことですよ。俺だって、未だに学生時代の友人に助けられるし……。社長だってそうじゃないですか。学生時代に後輩だった武智専務とはビジネスのパートナーだし、他にも知人で溢れているじゃないですか」
 『小鳥にあるべき、今』をいちばん理解してくれるお兄さん。顔色も変えず、淡々と説く部下に、流石の英児父も押し黙った。
 うわ、お兄ちゃん。いつもいつも有り難う。小鳥は心でひっそり感謝の呟き、そして彼に御礼の眼差しを向けると、やっと翔がにこっと微笑み返してくれる。
 あー、もうそれだけで。幸せ……。
 彼も三十を目の前にして、ますます落ち着いた大人のイイオトコになってきて。小鳥は毎日、未だにお兄ちゃんの笑顔や仕事中のクールな眼差しにドッキドキ。
 恋人と破局してから二年。あれから翔兄はどっしり腰を据え、この仕事に迷いなく、それまで以上に取り組んでいた。特に取れる資格を片っ端から受けて、スキルアップを目指している。車や整備だけではなく、経営に必要な資格まで。武ちゃんと相談して『今後の龍星轟のために』と邁進中。どれも一発合格なので、やはり国大卒の男はすごいと皆を驚かせている。こちらは武ちゃんが教育しているので、育て親専務としてもとても鼻が高いようだった。
 そんな彼だから、英児父からの信頼も厚い。なので英児父がとんでもないことを彼に言い放った。
「翔。お前、今日はもう仕事はいいから、小鳥と一緒に高松まで行ってこい」
 小鳥は彼と一緒に『はあ?』と目を点にした。直ぐに翔が苦笑いを浮かべる。
「社長、それはいくらなんでも。だから小鳥はもう……」
「大人じゃないっ。まだ子供っ。それに花梨ちゃんにスミレちゃんにも変な男が近寄るのは許せんっ」
 ますます二人揃って呆気にとられる。
「彼女等も、俺にとっては娘みたいなもんなんだよ」
 とくにスミレちゃん。彼女のような大人しい子が、そんなナンパなサークルに集まる調子がいいばかりの男に騙されないか押し切られないか心配で、常連客になってくれた野田パパにも顔向けが出来ないと騒ぎ出した。
 だから、信頼できる男である翔に『おまえ、付き添え』と言っている。もう小鳥は呆れて呆れて我慢限界、ついに言い返す。
「父ちゃん。翔兄は私のお兄ちゃんでもなんでもないんだから。大事な従業員で、今日だって仕事があるんでしょ。社長命令で娘の為に使うだなんて職権乱用だよ」
 部下で言いにくいだろうから、そこは小鳥が助け船を出す。
 そして翔兄も毅然と英児父に言い放つ。
「社長。スミレちゃんはともかく、小鳥と花梨ちゃんが一緒なら、大抵の男はぶちのめされるから大丈夫ですよ」
 結構はっきりと言ってくれるなと思ったけれど『事実』だった。
 男勝りの小鳥と気が強い美人の花梨ちゃんがタッグを組むと、余程の男じゃないと言いくるめられてしまうのが現状。そんな二人がサークル部長と副部長をしているので、信頼をしてくれる女の子達が集まってくれる。
「だけどよ。男だぞ、男。いざとなったら力があるんだぞ」
「というか。それ以前にお嬢さんは彼等が探している『女性像』ではないようなので、小鳥と花梨ちゃんは『信頼できる友人』という位置づけみたいですよ」
 『うちの娘は国大の男が探している女性像じゃない?』と、英児父の頬が引きつった。だけれど、そこも翔兄は慌てず静かな口調で続ける。
「あちらのサークル部長が、最初は小鳥にちょっかいを出そうとしていたようですけど」
「うちの娘を狙っていただとおっ」
 男から対象外でも対象でも、とにかくいきりたちそうな英児父だが、そんな父を制するように翔兄は落ち着いて突き進む。
「小鳥は『私は助手席なんか絶対乗らない』と言い張っているようなんですよ」
「……ほう? なるほど?」
 車屋の娘は男に運転してもらう車になど乗りたがらない。それを知って、やっと英児父の勢いが緩んだ。
「だから小鳥といたい彼が『じゃあ、助手席で』と、MR2に乗せてもらったものの、峠での小鳥の豪快な運転に目を回してへばったらしくて――」
「ほうほう」
 徐々に車屋親父の頬が緩んできたのを小鳥も見る。
「以後、彼も他の男性部員も『小鳥と付き合うには、余程の覚悟が必要』と胸に刻んだらしいですね」
 親にはいちいち話さないことだけれど、翔兄にはそんな話をよく聞いてもらっている。今度は翔兄がそれを『今話すべき』とばかりに、英児父に伝えてくれている。
 いまの話は本当の話。小鳥のことを気にして声をかけてくれる男子大学生は数人いたけれど、根っから『走り屋親分の娘』と小鳥の運転で『体感』すると、綺麗で可愛くて付き合いやすい女の子を欲している彼等には『ただの女友達』へとあっという間に降格してくれる。
 だけど、小鳥もそれは自ら狙ってのこと。
 だって。必要ない。好きな人はずっと前から一人だから。
 そして父も、『娘は走りで近づく男を蹴落としている』と聞いて、やっと満足そうに安堵したようだ。
「なんだ。そんなヤワ男とのドライブならいいわ。だけれど、まだまだ若いんだからよ。調子ぶっこいて飛ばすなよ。事故るなよ」
「わかっているよ」
「スミレちゃんはお前が守れ」
「そのつもりだよ。妹みたいなもんだもん」
 あれから、スミレとはずっと親しくしてきた。彼女も今年、小鳥と同じ大学に入学。サークルも直ぐに入ってくれた。
 そして花梨ちゃんとは、あの後直ぐに仲直り。一ヶ月ももたなかった。夏休みになる前に、花梨ちゃんから『小鳥ちゃん、同じ大学を希望しているから、塾の夏期講習を一緒に申し込んで一緒に頑張ろう』と声をかけてくれた。元に戻ると以前以上に信頼関係も強くなった。花梨ちゃんも女性として強くなってしまい。
 そんな親友の花梨ちゃんとスミレは、いつも一緒。大人しいスミレにとって『小鳥がしっかり者兄貴で花梨が怖い姉貴』と、男子達は笑い話にしているくらい。
 それ以外にもスミレを守る使命感が。スミレを気にしている弟の聖児が、余計な心配をしないためでもあった……。
 年下の聖児は、まだ高校生。手が届かないところにいるスミレ先輩を『姉ちゃんが守れ』と、父親とそっくり同じ事を出かけるたびに小鳥に言ってくる。今朝も、姉の顔を見るやいなや開口一番『スミレから離れるなよ』だった……。
 そんな弟とスミレは、一線を越えたのか越えていないのかは定かではないが『いちばん傍にいる異性』という間柄が続いているようだった。いつの間にそうなったのかは、わからない。
 やっと英児父が納得して娘から離れていったので、小鳥もほっと一息。
「翔兄、ありがと〜。助かったー」
 傍にいる彼が、いつもの八重歯の笑みを見せてくれる。
「親父さんらしいけどな。娘だから余計に心配だろうし、小鳥が大人になってしまうのが寂しいのかもな」
「そうなのかなあ」
「ああ、でもよかった。高松までついて行けと言いだした社長のあの目ったら、もう。本気だったもんな。ちょっと焦った」
「えー、ぜんぜん落ち着いていたじゃん」
 どこが焦っていたのかと小鳥は思ったのだが。でも、それが翔兄というものだった。彼のあの冷静さは皆が知るところ。淡々とあのロケット親父の感情を上手く宥めてくれるようにもなってきて、武ちゃんの次に英児を扱える男と矢野じいがたまに言うように――。
「でもな。俺も、ちょっと社長に同情するな」
 龍星轟ジャケット姿の翔兄がすぐ目の前で小鳥を見下ろしている。その意味深な眼差し、そして、何か含んだような意地悪い微笑みに小鳥も気がつく。
「どうして? 私、普通に大学生をしているだけだし。親に迷惑をかけるようなお騒がせにまでにならないよう気をつけてもいるし、男子との付き合い方や距離の置き方にも気をつけているよ。翔兄だってそれ知ってるでしょ」
「小鳥の堅実な大学生活は、親父さんだってちゃんと認めているだろう。でもな、男の目は小鳥の意志とは反して、小鳥は女だというところに向いてしまうんだよ」
「だから。それも気をつけているじゃんっ」
 今度は、翔が英児父のような『注意しろ』という小言を言い出したので、小鳥は顔をしかめた。
 こんな時、お兄ちゃんはちょっと先を生きてきた経験者として、小鳥を上から見ることがある。お前、まだ何もわかっていないなという眼差し。
 そうして、密かにむくれていると、彼の溜め息が上から落ちてきて、小鳥はますます苛ついた。
「ここ。気がついてないんだな」
 不機嫌な小鳥を見下ろして、彼が笑いながら小鳥の首元を指さした。
 何が? と、小鳥はその長い指先を見下ろす。
「あのな。俺もちょっと目の毒」
 見下ろした彼の指の先は、首元ではなく、ボタンを外して開いている襟と襟の間。そこから見える素肌だということに小鳥も気がついた。
 小鳥の目線からでも、白い乳房の谷間がほんのり見える。ということは? もっと背丈がある翔兄にも、父親からも、見えていた?
 やっと小鳥もハッとした。
「だ、だって。雅彦おじさんが。シャツを着ればお前は、いつも首元までぴっちりボタンをとめやがって……、ボタンをはずして程よく着崩せって教えてくれたからっ」
 第二ボタンまで開けていた。鏡で正面から見た時はそんなに開いていないと思ったのに。上から見ると、男性の目線からだとそう見えるということに初めて気がつかされる。
「それは本多マネージャーの前だけにしておけ。……まるいのふたつ、けっこうあるんだから。自覚しろよ」
 そういって。小鳥の胸元に翔の指先が触れる。ボタンをひとつ、ふたつ。優しく静かに首元までボタンをとめてくれた。
「どっちかというと。俺的には、こういうキッチリしちゃう小鳥の方が、……らしいんだけどな」
「お兄ちゃん……」
 お洒落に着こなさなくても、それが小鳥。そう言ってくれる男の人。そして肌を守るように、ボタンをとめてくれた指先。
 こんな、この人が好き。今も好き、ずっと好き、もう大好き。どうしたらいいの? 抱きつきたい。
 ずっとこんな衝動と小鳥は闘っている。なのに翔兄は……。
「今日、高松に行くなら帰りは夕方以降だな。そうなると、小鳥も疲れているだろうから今夜は無理か」
「うん。明日はバイトだから。今夜はでかけない」
「じゃあ。俺の休日前夜。仕事が終わった頃、ダム湖で」
 なにげなくさらっと伝えると、翔兄はすぐさま小鳥から離れピットへと戻ってしまった。
 夜、落ち合う約束。だからって、男と女として約束しているわけじゃない。
 ただ一緒に走っているだけ――。
 MR2とスープラを並べてどこまでも走る。
 そんな、ありきたりな『走り屋仲間』。
 時には互いの車に乗って一緒に。時には翔兄が英児父のように運転を見てくれたり。もし、小鳥が助手席に乗ってでかけるというならこの時、この人の運転の時。そしてあとは父が運転する時だけ。
 大学生になってからずっと。翔兄が夜を一緒にと誘ってくれるようになった。夜は彼と一緒にいることがほとんど。
 それは嬉しく。そして、楽しくて。愛しい人との二人だけの時間。でも、もどかしい日々。

 

 

 

 

Update/2012.8.27
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