【隼人ダイアリー】 *** 月にウサギ ***

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月にウサギ 5月

 

5月1日
――何ヶ月さぼってしまったかなあ。
久しぶりの日記画面を開けてみた。正月以降、一月からずっと書いていなかったんだな、俺。
ご無沙汰すぎて、もう俺も日記なんてつけなくていいかなと思ってしまったんだけれど。なーんか無性に書きたくなってここを思い出した。
 
 
さて。数ヶ月も放ってしまった言い訳みたいになってしまうんだけれど……。
実は最近まで結構、大変だった。
……
俺が『大変』と言ったら、やっぱり『義兄さん』なんだよなあ。
ここ数ヶ月を思い返すと、だんだんと腹が立ってきた(怒)
ということで、今夜はこれまで。
丁度、ゴールデンウィークに差し掛かって、仕事場も連休にて休暇に入っている隊員が多く閑散としている為、ちょっと手が空いたところ。
ここ数ヶ月を整理してみようと思う。
 
ようやっとプライベートも仕事の目処もついて、今夜は賑やかに『新ファミリー』(我が家&海野家の輪に、単に純義兄さんが加わっただけ)で食事をした後。
妻の葉月が『連休に入ったら。私とゆっくりとした夜を過ごしましょうね』と数日前から誘ってくれていたから、そろそろワイン片手に俺のところに来そうな気配。
なので今夜は、これでおしまい!
――あ、丁度、来た。
 

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・・

 

5月2日
昨夜の続き――。
ここ数ヶ月、義兄さんのせいで大変だった……と言って『なにが大変だったか』というと、やっぱり『義兄さん、小笠原移転』しかない。
 
クリスマスに義妹の葉月に『これから(=俺の残りの人生)は、この島で(=お前の傍で)暮らそうと思う』という報告をした後、葉月が密かに喜んでいたのを俺も分かっていたんだけれど、葉月が喜んでいたのは実は束の間。
まあ、その後の移転についての、あれこれの取り決めなど、あの義兄さんだから一向に上手く進まず。小笠原で出迎えの心積もりを整えていた俺達がどれだけヤキモキしたことか。特に葉月。義兄さんが来る為に心落ち着かない(女心)どころではない状態だった。
それもこれも、毎度の純義兄さんペースで事を運ぼうとするから、まずは息子の真一と対立。
息子が家を出るまでのスケジュールの決定から、都内の住む場所、マンション選びから常々父子で対立。挙げ句に真一が横須賀のマンションを飛び出して、鎌倉の谷村家に帰っちゃったりして……。それを知った葉月が、これまた真一と純義兄さんとの間を取り持って仲直りさせるのに骨を折って大変だった(勿論、俺もちょこっとだけ葉月に協力して間を取り持った)
さらに義兄さんがこちらの小笠原で住む場所を『丘のマンションをリフォームして、住む』と言いだしたので、その改装でもあれこれあったり。
とにかく義兄さんも忙しいくせに、短期間で一気にやろうとするので、見ているこっちもハラハラする。
不在の時に、こっちの義妹と義弟の俺達の家に業者から『どうしましょう』という連絡が来るので困る。特に義兄さんが海外に数日出張なんかされているとどうしようもない。
これも葉月が中継ぎをしてしまうので、彼女にかなりの負担がかかった様子。葉月だって大佐嬢として忙しい身であって、手が回る時と回らない時がある。それも見ていてハラハラ。
――で、毎度の如く。最後のしわ寄せが義弟で夫である俺のところに回ってくる。いや、訂正。『つい俺が最後に手を貸してしまう、やってしまう。見ていられなくなって』なのである。
それでもって義兄さんがケロッとした顔で帰国して小笠原にやってきて『お、思った通りに進んでいるな。よしよし』なんて満足そうなので腹が立つ→の、エンドレスループ。これじゃあ、真一も家出するわ……と、甥っ子の味方になってしまう。
 
でも真一も最後に言う。
 
『なんだか親父は不確かな事には絶対に“大丈夫、俺に任せておけ”とか曖昧な嘘をつくぐらいなら、無言でやりすごそうとする人。だけど最後には、ちゃんと上手くまとめてくれる人。過程の段階で親父ほんとうにそれで大丈夫なの?とハラハラしてしまうのだけれど、最後は必ず言ったとおりにしてくれる。だからハラハラしても最後まで信じて待っていれば大丈夫な人――なのに、やっぱりハラハラして、待っているこっちが爆発しちゃう!』
 
……だって。
――なんかそれ、俺もすっげー分かるよと、真一と頷きあってしまった。
そして俺と真一はその話をした時にも、同じ事を思い感じ取り、共に呟いた。
『葉月(葉月ちゃん)は、こうやってずうっと心を掻き乱されながら、義兄さん(親父)の帰国を待っていたんだな』と。
 
今回、じっと耐えて対処していた葉月を俺も見ていた。彼女もイライラしていたようだけれど、黙って対処していた。そして俺にもあまり愚痴をこぼさなかった。
ああやって、十代の頃から『義兄様はあんな人』と理解して待っていたのかなと思うと……夫ではあるがちょっと切なく感じてしまった。
――そして、やっぱり葉月をああやって待たせていたのかと思うと腹立たしくなるのだ!
まあ今回もそれで、最後はうまーくまとめて短期間で移転の全てを整えた義兄さんは流石だと思うけどね。
真一も納得の都内移転をし、三月から自活生活を滞りなくスタート。
義兄さんも桜が咲く頃に、小笠原の丘のマンションに移転。横須賀のマンションはそのままで、父子が共に帰る場所として取っておくとのこと。
そして、葉月の元に、ついにその人はやってきたんだ。
だけれど、葉月はおもったよりも冷静だった。はしゃぎもしないし、夫の俺だからこそ垣間見れるはずの『そこはかとない喜びの様子』を見せることがなかった。
そんなところ、未だに『わけわからない奥さん』なんだよなー。
俺に悟られたくなくて、無理して、たいしたことないわ……なんて顔を保っているのだろうか? そんな我慢した姿をしなくても、義兄さんに対する愛情を知っている夫としては、今更ねえ。
義兄さんに誘われて、嬉しそうな時は俺にだって嬉しそうな顔をみせてくれていたのに。
今回は何故なんだ? ――というヤキモキも暫くは、あったりしたな。
 
あ、昨夜は仲良く過ごした。葉月が持ってきた赤ワインで乾杯して。
ワイン以外にも、ご馳走様。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

5月3日
連休がスタートして本日は休みなんだけれど、俺と葉月は毎度、数時間でも基地に顔を出す。
午前中で仕事を終えて新築の家に帰ると、近頃、少し島暮らしになれてきた義兄さんが遊びに来ていた。俺が日記で数ヶ月分の鬱憤を晴らしている気配を感じ取ったのだろうか? 
海人と杏奈と楽しそうにしていて、まあ、なんだか嬉しそうに『伯父様』をやっていた。
そんな義兄さんが唐突に言いだしたのが――『お前と海野の庭には、男の子が二人もいるのに鯉のぼりがないんだな』だった。
『ああ、なんとなく。俺達、子供時代に馴染みがないんで、やらなくちゃとかいう意識がなかった』とそれとなく俺が答えると。
『俺が手配したから、明日、庭に鯉のぼりを建てられるよう業者が来るからよろしく』だった……
俺はこれまた仰天、暫く言葉を失う。
それもこれも、つい最近の純兄さんペース全開だった『俺達がついていけなかった移転劇』の後遺症がのこっている時期。もしや? これから義兄弟としてこの島で共に暮らしていく中でも、こんな繰り返し??? なんて、ちょっと懸念……。
『えっと、嬉しいよ。うん、有り難う義兄さん』と俺――でも『そういうことは俺と達也に先ず相談してくれたら助かるなあ』とさりげなく。
子供達の為に何かをしてくれるのは構わないのだけれど、流石にそこは……。
だけど目の前で義兄さんも悟ってくれたらしく『悪かった。そうだな。お前の家、だったな』と、すんげー落ち込んだ顔。なんか俺としても、そこは絶対に見たくない義兄さんなんだよなー。
だから『驚いただけ。有り難う。達也も喜ぶと思う。後で言っておく』と言うことになった。
あれ、今日は他に何かを書くつもりだったのに。
また義兄さん旋風で忘れてしまった。
暫く、義兄さんが俺達、義妹義弟ファミリーに馴染むのには時間がかかりそうだなー(はあ)

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

5月10日
ああ、また少し日が空いた。
連休が始まると結局、子供達と一緒に楽しむことに優先してしまい、結構、近場にファミリーで出かけたりして忙しかった。
その後は連休明けの仕事が溜まっていてこれまた忙しく。
でも、家族で出かけた浜辺のバーベキュー、アウトドアパーティーや、子供達との潮干狩りは楽しかった。
勿論、新入りの義兄さんも一緒だったわけだが――。
振り返ると、ここのところ義兄さんに腹が立てば立つほど、結局、義兄さんに振り回され、俺の日記まで義兄さんが繁殖していることに気が付いたので、そろそろやめる!
もう、気にしない!(腹が立つことばかりだから、また直ぐに何かを書いてしまいそうだけれど)
 
大型連休も明けて、この時期はもう小笠原は夏本番と言っても良い。
雨が多い諸島気候ではあるが、それでも気温は真夏並みを記録することも多くなる時期。夏となれば晴れていても曇っていても、甲板に出ればすっかり日に焼けてしまう。
現役の甲板要員という現役職を退いてしまった俺。でも、まだまだ空部隊のあらゆる機体を見守る工学科の管理職となっても甲板に出ることが多いので、当然、日焼けする。今年も早々に、半袖の跡がくっきりと腕に残る日焼けをしてしまった。
さっきかな。制服から部屋着に着替えた俺を見た葉月が言った。
『貴方のその腕の日焼けを見ると、あー、夏が来たのねーと、いつも思うのよ』――とのこと。
そうなんだ……。
奥さんになっても、『おまえって、未だに何処を見ているんだよ』と思うことがあるけれど。そっか。俺の日常的なそんな姿を見て、季節の移り変わりを感じてくれているんだと。なんだか嬉しくなっている俺がいた。
冷たい生き方をしていた独身時代を思い返すと、今の妻は血が通っている日々を俺の傍で過ごしてくれているようで、本当に嬉しく思う。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

5月16日
今日、久しぶりに、葉月と達也がお馴染みの騒々しさでけたたましい口喧嘩をしているところに遭遇した。
大佐室という職場ではなく、この我が家で。キッチンで。
我が家のキッチンで妻と隣家の主人(達也)が言い合いだなんて、ある意味奇妙ではあるのだが、俺達は互いの子供達の面倒も子育ても共同でしているので、達也が上がり込んでいてもそこは違和感はない――でも、言い合いがいつもと違っていたようだ。
玄関に帰ってきた俺の耳に飛び込んできたのは
『あの時、俺がお前を探して港で見つけたから、お前が無事だったんじゃないか!』
――という、達也の怒声だった。
それに対し、いつもは人との言い合いも淡々と受け流している葉月も、
『達也が勝手に来ただけで、私は訓練生の時から、取っ組み合いの喧嘩をしても負けたことはなかったもの。そんなの知っていたくせに!』と? そこは幼馴染み的同期生の達也とあってか割とこちらも声を荒立てていたのだが、いったい、なんの喧嘩か分からなかった。
その後も俺がキッチンに現れるまで、二人は『お前は人の気持ちをちっとも分かっていない』だの『男の余計なお世話。私は私でやってきたんだもの』とかいう……なんか収まりそうもない様子。
迷った末に『ただいま。なにを言い合っているんだ』と、さりげなく顔を見せると、達也も葉月も、ものすごく驚いた顔。
『お、おかえり。兄さん』と達也は落ち着きがなくなり、葉月に至っては俺を見た途端に顔を真っ赤にしてキッチンを飛び出してしまった。
『どうしたんだ』と達也に尋ねても、『いつもの喧嘩』と彼は呟いて、こちらもそそくさとキッチンの勝手口から庭へ出て行ってしまった。
 
なんの喧嘩だったんだろう?
騒々しい言い合いなら、日常茶飯事の二人だけれど。なんだか言い合っている雰囲気がいつもと違っていた気がするし。
俺が現れた途端に、裏表がない素直な達也があからさまに慌てるなのはともかく、無表情でなんでもない顔で何事も受け流そうとする葉月が、あんな顔で逃げて行くだなんて……。
 
でも、いまのところ。二人の間で『始まったばかりの喧嘩』のようなので、俺の出番があるのかないのかは分からないが、今はそっとしておくしかないか。
 
夜、寝室で寄り添って眠る時。葉月は俺に背を向けて横になった。
やはり、いまはまだ、『どういうことか』とは聞かれたくないようだな……。
潮騒の音。夜空に包まれた海。葉月はそれをじっと見つめて、暫くは眠れないようだった。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

5月17日
今日は休日。毎週恒例、ファミリーでを食卓を囲む日。
お隣の海野一家と純義兄さんが夕方、我が家に集まって夕食をする。
良い季候なので、庭で賑やかにすることが多い。
 
皆が楽しそうなのはいつも通り。葉月と達也も笑っていたが。
やっぱり、二人の間にはちょっとした溝が出来ているようで、ぎこちなかった。
どうやら、いつもの喧嘩ではない――と、確定?

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

5月20日
あれから、同期生の二人に変化なし。日常を取り返したかのようにも見える。
俺は工学科、二人は四中隊の大佐室なので、職場でどのように折り合いを付けているかは見ることは出来ない。そして、気になってわざわざ見に行くことも出来ない。
週末の食事会が来ない限り、隣同士と言ってもそんなに接点はない。故にこんな平日の夜は互いの家にいるので、二人が顔を突き合わせているのを見ることもない。
いつもの喧嘩なら、ケロッと仲直りしているころだ。
ちょっといつもと違うような喧嘩だったかもしれないが、あれ以来静かになったようだから、仲直りはいつも通りだったんだ。きっと。と思いたい。
そうだよな。いつまでも同期生同士の気持ちでいても、実際には子持ちの三十代、大人になったんだから折り合いだって上手くつけれるよな?
……でも、なんだろう。
やっぱり葉月が元気がないような気がして。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

5月22日
今日は基地に義兄さんが来ていた。
横須賀に住んでいた時から小笠原訪問はしていたが、こうして島民となると、訪れるのも頻繁になった。
既に顔を知られている『有名人』。隊員達から『谷村社長』と呼ばれて慕われている。
そんな義兄さんは、馴染みである『ロイ兄さん』のところを訪れるのも頻繁に。その度にこちらも『馴染みの喧嘩』をしているようだ。こちらも歳は違えど(ロイ兄さんが2スキップ飛び級している)『同期生』だったな……。
――同期生か。
俺の場合、マルセイユ時代の『ジャン』がそれの関係になるわけだ。
だからわからないわけでもないんだよなー? 本気の喧嘩をしても、あんまり溜めないうちに腹を割って元通りになることも。義兄さんやロイ兄さんのような『仲悪い』ような口悪を叩いても、心底では通じ合っている『悪友』的な感覚でやりあえるのは、長年向き合ってきた当人同士だからこそであるって。
だから、葉月も今は元気がなくても、あと数日のことだと思うんだよな。
――と、なんとか安心しようとしていたら。カフェで鉢合わせた義兄さんが『気のせいか。葉月が元気ないように思えてな。お前、何か知っているか?』と俺に尋ねる。流石、義妹のちょっとした変化を義兄らしく察知していた。
『達也と喧嘩したみたいだな。いつものことで、直ぐに収まるはずなのに今回はなんだか長いなー』と義兄さんにいつもの二人の様子を教えてみた。だから心配に及ばないと言いたかったのだが、義兄さんは納得できない顔をした。
すると義兄さんが『なるほど。海野との喧嘩が上手く終われないから、大佐室が険悪な空気だったのか』と。俺が見に行きたくて行くことが出来ない『大佐室』の様子を教えてくれて、驚いた。
――うーん? 職場でも周りを気にせず(もっというと夫の俺の目も気にせず)にやりあっても、直ぐに終わるはずの二人の間を荒らした『港に助けに行った話』ってなんだ??
思いつくのは、二人の恋人時代の。……葉月が走り屋とタメ張って、愛車を乗り回していた時期の話だろうか。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

5月24日
一週間はあっという間。また週末。今夜も御園家&海野家+谷村の義兄さんで恒例の食事会。
その食事会で、達也と葉月の様子を一週間ぶりに目にすることができた俺。しかしねえ……。いつものことなんだけれど、俺の心配をよそに、達也と葉月は自然に話せるようになっていた。
まだほんのちょっとぎこちないけれど? とりあえず一安心か。
いつも通りの『無駄吠え犬』とか『クレイジーポニー』とか『他愛もない言い合い』(子供の前ではやめて欲しい発言)が聞こえるようになったから、こうなれば『いつもの二人』。義兄さんも『元通りになったようだな』と俺にそっと耳打ちをしてきて、安心したよう。義妹が元気になる。義兄さんも葉月ばっかり見てんのな?
一件落着かと、思ったけれど。今夜の達也は酒を呑むピッチが早かった。
しかも一人で海が見える庭に出て、リビングにいつまで経っても戻ってこない。そして葉月はそんな達也の背を見て、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。
あれ。もしかして。今回の喧嘩は葉月が悪いのか?
 
葉月が泉美さんと八重子お母さんと女同士で盛り上がっている隙を見て、さりげなく達也の側に行って冷えた缶ビールを差し入れてみる。
『仲直りしたのかよ』と率直に聞いてみると『まあね』と達也。
――『最初はちょっとした仕事での意見のすれ違いだったのにさ。売り言葉に買い言葉、互いに引っ込みがつかなくなった勢いでさ。昔を引き合いに出して互いの古傷をえぐってしまう状態に陥ってしまっただけ。そういうことも希にあるだろ?』と達也。
ああ、なるほど。そういう展開だったかと俺も納得したし、『あるな。そういうの』と俺もそこは同意してみたのだが。
その達也が暫く海を見て、俺に唐突に言った。
『なんかさ。本当のことだろうけど、葉月が勢いに任せて“当時の私のセックス感は、男女の会話程度にしか過ぎなかった”なんて言い切りやがッたからさ!』
え!?? 葉月がそう言ったのか? と、俺も聞き直してしまった!
『言ったよ。そりゃなあ、あの頃の葉月は何を考えているかわからなくて、その上気持ちをはっきりと言葉に出来ない奴だったから、あの頃は言えなくても今は言えるようになったというのもあったんだろうけどさ。「達也が傍にいなかった時の感覚だ」と言っているんだけれどさ。あいつ、いつも男に囲まれていたじゃんか。どんだけその程度を繰り返していたんだよと、新たなる過去の発覚って言うの?』――と、達也はまだショックを受けているような顔。
いや。それは俺もショックを受けるわ。達也に同感だ。
つまり、葉月にとって達也はある意味で『初めての恋人』でもある。なのに義兄さんと離れていて達也とつきあい始めるまでの『俺達が知らない葉月が独り身だった時期』に、『男女が会話する程度で、セックスではなかった』なんて感覚で男に囲まれていたということ。その発言の向こうに透けて見えるのは……もしかして? 
そりゃショックだ。例え勢いで、つい口をついて出た言葉でも。
さらに達也が追加の一言を(ここ重要)。
『あの当時、離れている時期もあったけれど、一番身近な男だったはずの俺以外の男とは会話程度の感覚で許せただなんて。あのくそ野郎』
!!!! まて? それって当時、葉月が誰かと『会話程度の戯れ』をしていたと?? しかも最後に言い捨てたのは葉月に対してではなくて『くそ野郎』って、『どこかの男』に対して言っているのか? 達也は正体を、少なくとも一人は知っている??
 
ちょっと待て。だんだんと混乱してきた。
『港の走り屋』と何かあったと言うことか?? 初耳なんだけれどな?? しかも達也は知っているとは?
『あ、しまった。今俺が言ったこと、たとえばの話な』と、はっと我に返ったような達也が、また慌てて俺から離れていってしまった。
そこまで喋っておいて、今更誤魔化しても、遅い! 
 
でも。また夜、葉月の傍に寄り添っていると『そんな終わった若い頃の話』と、無理に探らない方が互いの為のように思えてきた俺。
 
達也と葉月も、無理に過去を掘り起こしたからこうなったわけだし。俺は当時を知らない後から来た男だしなあ――。
 
なんとなく。二人がなかなか元通りになれなかったのは何故か分かってきた。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

5月29日
男と女の酷い有様を目の当たりにして、男女の性について傷ついたまま大人になってしまった彼女が、年頃の女になった時『セックスなんて会話程度』と思っていただなんて。
あまり自分のことを言葉にして伝えてくれなかった葉月が、心の中ではそう思っていたことを今になって知った『俺達』。
達也は特にショックだったようだが、もう彼は立ち直ったようだ。
葉月とまたいつも通りの賑やかしい日常を取り戻したようだった。
でも、俺にはその言葉がこびりついていた。
妻の若い頃の感覚を否定したいのではなく――。今頃になって、彼女が当時秘めていた本心を知って、だ。
俺は思う。『その程度』と言い聞かせたり思い込まなければ、非道な男達に女として惨たらしく踏みにじられた皐月姉さんが穢されていくのを目に焼き付けた少女としては、『好きになった男性』とセックスも出来なかったのではないかと。
実際に『男を拒否』していたんだ。だからこそ『いざ』という時になって『私だって(義兄さん以外の男性と)セックスがちゃんと出来る』と自棄になって身を任せた『好きになりそうだった男性』もいたのかもしれないなと、思えてきた。
 
そいつ。まだこの島にいるのかな。
まあ、気にしても仕方がないけどな。それに俺、夫だから。過去のことなど今更気にしてどうする。
きっと達也もそう思って、なんとか流したに違いない。
そして葉月も。当時は無感覚にやってしまったことでも、感覚を取り戻した今となっては当時の己を責めているに違いない。
それに葉月をそんなふうに追い込んだのは、あの時の悲惨な経験が原因だしな……。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

5月31日
葉月もやっと元気な笑顔を見せてくれるようになった。
真っ赤な愛車で毎朝、出勤している。
最近、あの赤い車が俺に何かを少しでも教えてくれるような気がして。
『たまには俺にも乗せてくれ』と葉月に頼んでみた。
彼女は気の良い笑顔で『いいわよ』と、赤い車のキーを俺に貸してくれた。
 
夜になって、その赤い車に乗って一人でドライブをしてみた。
もちろん港に行ってみた。
今も昔も変わらないのか、若い青年達が車で集まっている。
でも今は車の雰囲気も違うみたいだな。そして彼等もただたむろっているだけのようだ。
 
昔。ここで妻と島の青年達が海辺に向かってギリギリの走行に身を費やしていたのか。
 
赤い車に乗っても、港に来ても――。当時の妻の姿を捕まえることは出来なかった。
はあ。今月は義兄さんといい、達也といい……妻の昔の男に振り回された気がする。
 
なのに。俺は義兄さんが一人暮らしを始めた懐かしい丘のマンションへと向かってしまっていた。
『なにがあったんだ』と言いながらも迎えてくれた義兄さん。黙ってワインをご馳走してくれた。
酒を呑んでしまったので、そのままマンションに泊めてもらった。
改装されてしまい、葉月と同棲していた時の面影はなくなってしまった部屋。
それでも潮騒に漁り火に、そよ風に雑木林から聞こえる木々がそよぐ音は変わらない。
懐かしい夜の音に包まれて、懐かしい日々を思い返していた。ちょっとずつ変わっていった葉月をなぞって。
冷たい顔が今の笑顔になるまでの日々を。

 

 

 

Update/2009.6.2
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