【お題 SIDE】 *** 氷の心臓 ***

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【お題 SIDE】震える心と10の言葉たち
 
氷の心臓

 ふと目が覚めると、淡い青色に包まれていた。
 見えた青色は、薄い青色のカーテン。上質の、薄くて、向こうが透けて見えるかのような……。
 その青いカーテンから、それほど強くない光がやんわりと葉月を包み込んでいる。

 辺りを見渡すと、そのカーテンの色でぼんやりと青色に染まっている部屋は、見知らぬ部屋。
 寝転がっている場所を確かめると、生成のファブリックで整えられている大きなベッド。
 そこに制服姿で、葉月は眠っていたようだ。

 起きあがって、一呼吸すると、ちょっぴり薬品の匂いが鼻の奥に残っているような気がした。
 ──まただわ。葉月はそう思いながら、ちょっとふてくされ、長い栗毛をかき上げた。

 昨夜、仕事が終わり、基地から丘のマンションに帰る途中、真っ赤な車の目の前に、黒い車が乱暴に停まった。
 降りてきた男に驚いているうちに、強引に眠る薬を吸わされて、連れ去られてきたようだ。
 でも、驚かない。これが初めてじゃない。こんなの『あの人』の常套手段。いつもの手だから。

 改めて部屋を見渡すと、とても広い部屋で、『今回のインテリア』は、白を基調にされている。
 まるで葉月の丘のマンション自室のような色合いの部屋。だから、落ち着いた感じはする。
 そして起きあがった自分の足下には、一枚のワイシャツがあった。
 黒いピンストライプのシャツ。
 葉月はそれをそっと手にとって、口元に寄せる。
 知っている匂いがする。煙草と、そしてマリンノートのトワレ。

「お兄ちゃま……」

 葉月はそのシャツを、そっと頬に寄せて抱きしめた。
 そのシャツの主がここにいない。
 でも目が覚めた葉月には、何処にいるか直ぐに判った。
 シャワーの音がする。この大きな部屋、続き部屋があるから『スイート』なのだろう。そしてこの部屋が寝室。そして直ぐそこにある扉がきっとシャワー室。そして……きっと、きっとそこに。

 葉月はそのままベッドを降りて、水の音がするその扉を開けた。
 広いパウダールームの向こうに、磨りガラスの扉。そこに裸の男性の影が見えた。
 そのまま、葉月は黙って向かい、ついにその扉を開ける。

 やはり、そこには黒髪の義兄が、悠々と入浴を堪能しているところだった。
 細長いけれど、とても鍛え抜かれた身体。腕と胸、そして腹部も適度に筋肉がついていてとても引き締まっている。その身体を白い泡で包み込んでいるところだった。

「起きたか」
「相変わらずね。いきなり来て、私には何も聞かず何も言わさずに、『こういう強引な方法』で連れて来ちゃうの」
「嫌なら、直ぐに小笠原に帰してもいいぞ」

 葉月はムッとした。
 いつもどれだけ、この人と会える日を待ちこがれてるか──。
 絶対に、言ってあげない。と、心に固く誓いたくなるほどに。
 それに、義兄だってそれを知っていてくれるから、会いに来てくれたのではないのか?
 いつだってそう。この義兄が急にさらうように会いに来てくれることに嬉しさを感じながら、でも葉月は『普通に会ってくれない』ことを、とても不満に思っている。
 まるで義兄が作った隔離した世界に放り込まれるかのような……。
 でも、結局のところ、葉月も……。そんな『日常』とはかけ離れた世界に強引に連れてきてくれた義兄と一緒に浸って、安らいでしまうのだ。
 だからこそ、心待ちにしていた『瞬間』がここにある。

 そんなことを考えていると、目の前で身体の泡を落としている裸の義兄が笑っている。
 なにも言わないがその余裕げな黒い目が『観念したか』と、勝ち誇っているようで、葉月は悔しくて、そっぽを向いた。
 そのままそこに立っていると、やがて義兄が裸のまま、葉月に向かってくる。
 どこも恥じないその堂々としている姿、その全裸の義兄が、制服姿の葉月の目の前に。
 葉月の方がやや恥じて、赤裸々な男性の部分から目を逸らしたのだが、その瞬間──。身体を拭きもしないびしょ濡れの義兄に抱きしめられていた。

 葉月の身体がびくっと固まる。
 男性に抱きしめられると言うことに、まだ慣れていない。けど、この人の腕の感触なら、葉月は良く知っている。だから、そのうちに葉月の身体の力は抜けて、そっと……そのシャワーで火照っている義兄の濡れた胸に頬を寄せていた。

「どうしてくれるの? 大事な制服、濡れちゃったじゃない」
「このホテルのクリーニングに出してやる。直ぐにやってくれる」

 まるで、それを口実のようにして、義兄の手が制服の金ボタンに触れた。
 詰め襟下の、第一ボタンをぴんと弾くように器用に外し、第二ボタン、第三ボタン……。下までゆっくりと指先だけで弾いていくのを、葉月はただじっと見ていた。やがてその上着の前が開くと、義兄は葉月の首筋にすうっと両手を滑らせて、長い栗毛を背中へとゆっくり優しく払いのける。そして肩に手を滑らせて、静かに制服の上着を葉月の肩から下へと滑らせてしまう。
 葉月も素直に、両手から床へと上着を脱ぎ落とした。

 これもいつもそう。
 葉月はここでとても緊張しながらも、どこか強引でリードが強い義兄のするままにされてしまう。
 身体が固まっても、その手が指先が触れるたびに、だんだんと柔らかくなって……。何も見えなくなってしまう。

 その後は、まるで通じたようにお互いの役割が解っている手つきで、衣服を取り払う。葉月は白いシャツのボタンを、義兄はスカートのホックを外し、葉月がシャツを肩から脱ぎ去ると、義兄はスリップドレスの肩ひもを滑らし、ブラジャーのホックを外した。最後のショーツは葉月から、義兄の目の前で取り去る。

「お兄ちゃま……!」

 一糸まとわぬ姿になって、心も裸になったように葉月は純一に抱きついた。
 そのまままた奥のシャワーへと連れて行かれる。
 流れるシャワーの湯の中で、そこで初めて義兄は葉月を固く抱きしめる中、首筋に強い口づけをくれる。
 ──いつも、唇にはしてくれない。
 ここでも葉月はもどかしく思いながら、それでも待っていた人に抱きしめられるこの瞬間には何にも言えなくなる。
 何をされたって、今はもう、待っていたこの人の匂いと暖かさに包まれて、何もかもを忘れて、ただそれだけに。
 首筋を愛してくれたら、これも『いつもの挨拶』。義兄は葉月の左肩の傷に唇を這わせ、ところどころを吸って、時には猫のように舌先で舐める。
 その傷を、一番に癒してくれるように。もう、痛くもないその場所を、いまでも生傷があるかのように慰めてくれるのだ。

『会いたかった……』

 その一言が声にならないまま、葉月はただ義兄の慰めに身も心も委ねる。
 やがてその優しい唇が、葉月の乳房を愛する時──。今度は葉月も義兄にぴったりと抱きついて、彼の額に口づけた。
 この十二歳も歳が離れているまだまだ幼い心のままの義妹に、義兄が跪いて肌を愛撫する。
 その甘く疼く感触に、葉月は顎を宙に突き上げて、僅かに濡れた声をこぼす……。
 でも……この時、葉月の身体は羽が生えたように軽くなる。そのまま天に羽ばたきたくなるぐらいに、身体が何かから開放されたように思える。

 それだけじゃない……。
 心も、冷たくなっている心も、ここでぎゅうっと熱くなる。
 そして血が激しく流れだしたように、心臓がドクドクと激しく脈打つ……そんな瞬間。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・・

 

 本当に強引で──。
 シャワールームから濡れた身体のまま抱きかかえられて、ベッドに放り投げられた。
 沢山の波が襲ってくるように、次々とあちこちを愛してくれる義兄に抵抗できないまま、義兄が全部唇で、身体中の水滴を吸い取ってしまった。
 そんな、愛され方を午前中ずっと……。

 それはまるで嵐のよう。
 葉月の身体の中を、熱く駆け抜けていく。

 ひとしきり愛された後、葉月は今度は一人でシャワーを浴びた。
 このシャワー室の磨りガラスの窓からは、もう、燦々とした日光がふわりと明るく白い床を照らしていた。
 ところどころ、ちくっとした痛みがあったり、まだ痺れるような疼きが残っていたり。でも、それもとても甘い感触で、その軌跡を指でなぞったり追ったりしている葉月の胸を切なく締め付けた。
 こういう心の起伏は、ここだけだった。
 でも……どこか切なくて悲しくて泣きたくなる自分がいる。

 シャワーを浴びてパウダールームに出ると、大きなドレッサーの横に木製のハンガーにかけてあるワンピースが目に付いた。
 葉月は身体を拭いて、その白いワンピースに歩み寄る。
 白地に、紺色で描かれるアールヌーボー調の花模様紺。浴衣で見られる絵柄ほど和風ではない、ジャポニスムを思わせる柄だった。
 丁度、こんな初夏を思わせる色合いのワンピースの裾をつまんで、葉月は思わず嬉しくなって微笑んでいた。
 ドレッサーの上にはそのワンピースとお揃いにしたとも思える、白いレエスに紺色のリボンが縁取っているちょっと可愛らしい清楚なランジェリーが置いてある。そしてお揃いの白いスリップドレスも。こちらも紺色のリボンが胸元にワンポイント。ちょっと可愛らしすぎるけれど、葉月はそれを喜んで身につけた。

 鏡で長い髪を綺麗にブローして、おしろいを軽く叩いた顔には、口紅だけをつけた。

「あの……。有難う、兄様」

 その姿で、外で待っている純一の下へ戻ると、彼もいつものシャツとスラックス姿でいて、優しく微笑んでくれた。

「夏らしいな。似合っている」
「うん……」
「着て帰ったらいい」

 『いや、帰らない』──。葉月は無言で心の奥で呟いた。
 ちょっと拗ねた顔をした義妹を見て、純一は訝しそうだったが、すぐにそんな葉月の前にやってきて静かに抱きしめてくれる。

「兄様──」

 ただ、ただ。それだけで、葉月はどうしようもなくなる。
 ずるい人。本当にずるい人。
 ただ、指先が触れただけで。ただ、匂いがしただけで。ただ、笑ってくれただけで。ただ……抱きしめてくれただけで。
 いつもいつも葉月が心に溜め込んでいる叶わぬ願いは消えてしまう。
 本当にただ、これだけが欲しいのに。
 どうして遠くに行ってしまうのだろう?

 ちょっとだけ葉月は涙を浮かべた。
 でも、絶対に、この兄様には見せない。
 だってどっちにしたってこの人は行ってしまうんだもの。
 泣いても泣かなくても、同じだもの。
 だから悔しいから、見せてあげない。
 涙を、熱い涙を、お前も流せるんだなんて……教えてあげない。

「ブランチ、隣の部屋にとってある。一緒に食おう」

「うん」

 葉月は、僅かな笑顔を義兄に見せる。
 でも、義兄もたったそれだけで、嬉しそうに笑ってくれるから……。
 また、泣きたくなる。

 

 ブランチを終えた後、このホテルの目の前にある白い砂浜を一緒に歩いた。
 腕を組んでも邪険にせずに寄り添ってくれる義兄。
 時にはお互いに遠い目で水平線を見つめたり、ただ黙って波を見ていたり。でも、笑い合いながら波打ち際を歩いたり。
 どこまでも、どこまでも……この幸せな時間をゆったりと過ごしていた。

 砂浜の向こう、ホテルのテラスには金髪の義兄の部下がこちらを見守っている。
 彼は今回も、葉月の目の前に何度も現れたけれど、言葉は交わさなかった。

 その夜も、長いこと義兄と素肌のまま愛し合った。
 なのに……。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

 目が覚めると、そこは良く知っている青い海の風景が広がっていた。
 そして葉月はあのワンピースを着せられた格好で、いつもの赤い車の運転席に座っている……。

 朝の、風が激しく吹きすさぶなんにもない駐車場。
 小笠原の灯台がある岬の、展望駐車場。

「うそ……」

 まるで甘い夢を散々見せてくれた異世界から、元の世界に引き戻されたかのよう……。
 もしくは、甘い夢を見て、まどろんでいただけかと思いたくなるような。

 でも、葉月の胸先には、あんなに激しく愛してくれた純一の口づけの痛みが、疼きが甘く残っているし……。
 葉月の肌のあちこちに、まだお兄ちゃまの肌の暖かみが残っている。
 それに嬉しかったこのワンピースも──。

「うっ……うう……」

 駐車場にはなにもない。
 誰もいない。
 風の音だけ。
 置いて行かれた葉月だけがここにいる。

 純一の肌のぬくもりが逃げないように、葉月は自分自身を抱きしめて暫く泣いた。
 風の音が、泣くはずもない無感情令嬢の嗚咽をかき消してくれる。
 笑えるのも、泣いてしまうのも、全部、お兄ちゃまの前だけ。
 泣くだけ、泣いて、葉月は諦めたようにして、既に差し込んである車のキーに手を伸ばした。
 エンジンをかけ、フロントミラーを見た時だった。

 そこに黒い車が停まっていて、後部座席の開いている窓からサングラスをかけている男性の顔。
 葉月が『純兄様──』と叫んで、外へと飛び出そうと思ったその瞬間。それを悟られたようにして、黒い車の窓は閉まり、発進してしまった。

 さらに愕然とした葉月は、そのまま車のシートに力を抜いて茫然としてしまった。

 どれぐらいだろう?
 『置き去り岬』から見える青い海と空を見つめて……。
 どうしてこうなのか。考えたくなかった。忘れたくなった。
 きっとその先の答には、葉月だけじゃない義兄も家族も苦しんでいるものが邪魔しているからだ。

 葉月の心が抜け殻になった時、やっとその手が自然とハンドルを握っていた。
 ロボットのようにサイドブレーキを外して、ギアを握る手。クラッチを踏む足……。回すハンドル。

 そう。元々の世界に戻ってきただけ。
 また今日から、いつもどおりの生活をすればいい。
 こうした心の訓練は、もう、お手の物。十歳のあの日から、お手の物。

 この瞬間、葉月のあの心臓は冷え切っていく。
 脈拍も、メトロノームのような規則正しく打つ音に変わっていく。

 ──氷の心臓。

 この胸がまた熱く脈打つ日は来るのか。
 それも望まない方が良い。
 私達はそういう運命を背負ってしまったのだから。

 葉月、二十歳。
 マルセイユで、心を溶かすあの人に出会うにはまだ遠く幼い時のこと。

 

 

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