3.飢え犬?

 まだ春浅い、夜冷えの中……

湯気が立ちこめる小さな屋台にて、笑い声が響き渡る。

「知ってる? 何で、うちのキャプテンが『親日家』なのか……」

葉月が、出汁がよく染み込んだジャガイモを割り箸でほぐしながら囁いた。

「なんでだろうねぇ? 第一、陸専門だった先輩と知り合いだったのも不思議だ」

隼人も若きオヤジさんが、見繕ってくれた『おでん』を割り箸でつつく。

すると、葉月が可笑しそうに笑い出して……

オヤジさんもおでんの露を鍋の中かき回しながらクスクスと笑いだした。

「なに?」

「あの通り、『熱血』でしょ? 『神風』に憧れているのよ」

「ええ!? 『神風特攻隊』のこと?」

「そうそう──可笑しいでしょ? だって『トラ・トラ・トラ』で

パールハーバーの事があったのに……

第二次大戦でアメリカと戦争したのよ? なのに憧れているのよ」

「まぁ──そこがデイブの世代にはもう関係ないことなのかもなぁ

俺だって、わからねぇモン……『戦時中』の感覚とかさ」

オヤジさんも致し方なさそうに微笑んだ。

「だからだろうなぁ──俺達がさ……アメリカンにおでん食わすとか出来るのも」

「そうですよねぇ……それに、その方が良い。昔の事、なんのかんの言っていては

いつまで経っても世界は繋がらないと……」

隼人も頬杖を付ながら、竹輪をほおばると、オヤジさんもニッコリ微笑んでくれた。

「でね? なんと言っても『感動』は……

今から『死ぬ』と解っていてもお国のために青年達が飛び立つところだって。

見たことある? 飛び立つ前に、白い杯に御神酒を飲み干して、パリン──って

地面に叩き付けるところ……あれを何かで見たらしいのよね……

それで……『俺は神風みたいなチームを作る』って。

遠野大佐が、フロリダの特校に入校したとき、

『日本人が来た!』って、真っ先に声をかけに行ったみたいよ?

『お前! 神風知っている??』って! それがキッカケみたい」

「うわぁ──コリンズキャプテンらしい……感覚だ。しかも先輩に突進していったのか!」

隼人は、その光景が目に浮かんで苦笑い──。

でも……特攻隊の精神にはまってしまう、デイブの『使命感』、『責任感』の感覚は頷けた。

「しかし──困るよなぁ! 任務がある度に『命捨てて、恐れず飛び込め』なんて

キャプテンに命令されたらどうするよ? 嬢ちゃん」

「そうなのよね〜♪ ふふ♪ でも、それが私達チームの根底でもあるから!」

隼人とジャンケンで負けて、あれだけ拗ねていたクセに

葉月はオヤジさんに冷や酒をコップに注がれてもう『二杯目』

なんだか──妙にご機嫌になってきて、隼人もなんだかまた、苦笑い。

大丈夫か? コイツ……と、思ってしまった。

「それでねぇ──私達がここに来るようになった話がまた面白いのよ!」

葉月がそう言いだして、やっと隼人が知りたい核心に迫り、

『なに?』と、耳を傾けた。

「そうそう──あんときゃ、俺もたまげたぜ」

オヤジさんもクスクスと笑い出す。

「あれは何年前かしらね?」

「うーん。嬢ちゃんがまだ、下っ端でマイキーとかの後輩がいなかったときだなぁ」

「そうそう! まだ、夜間スクランブル当直に皆と出ていた時ね!」

二人が懐かしそうに話している間に隼人の皿が早速、カラになった。

「まだ、いけるか?」

常連さんとの話に夢中になっていてもオヤジさんはちゃんとそんなところは気配り。

隼人もニッコリ……でも……。

「……いえ。もう……」

一通りは食したのであとは噂の『美味しいラーメン』の為にお腹の隙間は空けておく。

「なんだ、なんだ! 空の男がこれっぽちでお仕舞いか?

そんなんじゃ『飢えた犬ども』に慣れないぞ?」

「──飢えた犬?──」

隼人が眉をひそめると、また、葉月がコップ酒を煽りながらクスクス笑いだした。

「ダメダメ! おじ様! 彼はまだ、内勤専門なんだから……

あんな壮絶な先輩達と一緒にしないでよ──!」

「なに!? 壮絶な先輩達って??」

隼人がまたおののくと、葉月とオヤジさんが揃って大笑い。

こんなに笑う葉月なんて見たことがない?

それって『酒のせい?』と隼人はまた眉をひそめる。

「隼人さん! コリンズチームの『大食漢』知らないものね〜♪」

「そうそう! こいつらが初めて来たのはその『夜間当直後』だったよな?

ある日突然やってきて『食べる物ありませんか?』って……

そうそう──平井だったな、アイツが一人で最初に尋ねてきて……

『あるぜ』って答えたら……平井の一声でアッという間に

金髪に茶髪に黒人達がわんさか暗闇から走ってきてさぁ……ぶったまげた!

あの頃はまだ、基地が出来て数年だったからなぁ……

俺も良くは思っていなかったワケよ。昔ながらの住民としてはよぉ」

隼人の様子を見てオヤジさんはもうラーメン作りに入り始めた。

隼人はそれを眺めながら『なるほど』と相づち。

次の展開を待つ。

「そうしたらよ? その中にちょっと可愛い女の子がいるじゃないか?

『パイロットかい?』って聞いたら、ちょっと遠慮がちにニッコリ微笑むモンだから

要は、デイブ達云々じゃなくて、がさつな男達の中の『華』に折れちまったってワケ!」

『な? 嬢ちゃん♪』

オヤジさんがニンマリ葉月に微笑むと、葉月がやっと彼女らしく

『ツン』とそっぽを向いたのだ。

隼人は『ヤレヤレ……』

ここにも葉月の笑顔一つで仲良くなっちゃった男がいたのかと……。

それにそうして可愛がってもらっているのにその反応。

『素直に喜べよ』とまた、ため息が出たが……。

オヤジさんはそんな葉月もなんのその。慣れているようで面白いのか大笑いをした。

「それでよ〜。。その時だって店じまい寸前の夜中だぜ?

次の日の仕込み分まで奴ら平らげていきやがって……

ここに置いてある一升瓶全部空にしていきやがって!」

それを聞いて隼人も流石に『ぶ……』って吹き出しそうになった。

すごく……目に浮かんだのだ。『コリンズチームの凄まじさ』が……。

見てなくてもあのメンバーならあり得ると……。

だけど──オヤジさんは懐かしそうに

湯気が立った麺鍋に菜箸を突っ込みながら遠い目を夜空に馳せた。

「だけどよぉ──汚い深緑色の飛行服着た汗くさいアメリカン達がさ

押し掛けてきて最初はおどおどしていたけどよ。

デイブは下のモンきちんとしつけているし、日本語は上手いし。

俺の作ったモン……金髪のあんちゃんが『ウマイ!』って日本語で喜んでくれたら

俺だって作っていた甲斐あったと嬉しかったぜ?

最後に皆を一列に並べて、敬礼して紺色のキャップ取って深々とお辞儀してくれてさ。

敬礼よりやっぱ日本ではお辞儀だろ?ってね……デイブが言った訳よ。

そん時にはもう、気分良かったぜ?

それからだなぁ? デイブに俺の連絡先教えてやって

『夜間に来るときは前もって連絡してくれ!』って頼んでさ。

沢山仕込んで待っているワケよ……『飢えた犬たち』が走ってくるのをさ」

「そうだったんですか……なんだか『日米友好』いい感じですね!」

隼人もそのエピソードを聞いて……胸がホッと暖まる感じだった。

なによりも──本当に『デイブ=コリンズ』という男は『良い男』だと改めて思った。

そんな先輩に出逢えた葉月は本当に『幸運』だ。

そして葉月と出会ってそんな男達にも出逢えた隼人も……

きっと……『幸運』に違いない。

「すごいのよ! もう。。。あの時、平井さんと一緒に恥ずかしい……って

端っこで縮こまっていたんだから……本当に『犬』って感じ!

もう『がっつく』って感じ! 民間のお店がどこもやっていなくて

本当……やっと見つけたお店で凄まじいのなんの!

私なんていっつも『くいっぱぐれ』なの!」

葉月がその時の事を思い出したのか隼人に解ってもらおうと

かなり激しく隼人に叫んだのだ。隼人もまた苦笑い。

でも──目に浮かぶ……。

大人しい平井と葉月が日本人の感覚でオロオロしているのも目に浮かんで

隼人は可笑しくなってクスクスと笑い声を立ててしまった。

「よくいうぜ? 嬢ちゃん……最後の鍋底の卵は死守していただろ?

良くできた男達だぜ? 最後の卵は絶対に嬢ちゃんに残して皿にもっていってやるんだから

嬢ちゃんは、なんの・かんの、どつかれても可愛がられてんだよ!」

『いいじゃない。そんな事』

葉月がまた素直になれないのかコップ酒を煽りながら『ツン』としたのだ。

隼人とオヤジさんは顔を見合わせてお互いにそっと『クスリ』とこぼしたのだ。

「それでね? 私達……今のお勤めは、訓練以外にバラバラな状態なんだけど……」

『バラバラ』というのは……

葉月とデイブが『本部員』であるが為に、

訓練以外の……そう『当直勤め』などを今は退いている事だと隼人はすぐに理解した。

葉月とデイブが『中佐』とかいう重責を負うまでは、

皆、それぞれ『班室員』としていつもチーム一緒だったらしいのだ。

今はコリンズチームの指導は自分達の訓練も兼ねてデイブと葉月が取り仕切っているが

現役の班室パイロット達は未だに、各中隊の応援隊として

夜間スクランブル当直には出ているらしいのだ。

そう思うと……バラバラに当直に配置されているコリンズチーム。

チームが一丸となって空を飛んでいるのは今は訓練だけ。

(メンテチームがあれば……そんな扱われ方されないのに……)

隼人はフッとため息をついてコップの水をすすった。

早く──その為にも早く……『メンテチーム』は結束したい。

隼人はいつもコリンズチームがばらけている話を聞くとその度に思うのだ。

そんな隼人の物思いの側で葉月が続きを話し始める。

「バラバラなんだけど、今だって皆、ここに来るのよね!」

「そうそう、他の中隊のパイロット連れてきてくれてなぁ〜♪

今じゃ基地の隊員さんは皆、ちょこちょこ来てくれるようになって上得意様だ!

源中佐にブロイ中佐もいつも一緒に来るぜ?

変わり所と言ったら──そうだな! ウィリアムさんも何度か来たかな??」

「ええ!? ウィリアム大佐まで??」

隼人はビックリ! 葉月嬢が『屋台』も驚きだったが……

あの優雅な『おじ様大佐』が……

キャンプのアメリカ住宅でワイングラスを煽っていそうなあのおじ様が……

『屋台』に来たというのだから???

「ああ。穏和な良いおっさんだぜ? 奥さんと来た」

「嘘!?」

葉月も知らないらしくてかなり驚いた顔をしたのだ。

「まぁ──なんだ、嬢ちゃんが来ないうちにだいぶ……広めてくれたなデイブ達がね?

今じゃ……アメリカンの客は珍しくないし。ここらの漁師とも仲良く飲んだりしてなぁ」

オヤジさんはそこは寂しそうに微笑んで、麺が泳ぐ鍋にジッと視線を落とした。

「私──」

葉月も急にしんみりと……いつもの大人びた顔に戻ったのだ。

その顔こそ……隼人が良く基地で見る顔、見慣れている顔。

でも──少し寂しくなった……酒のせいでも良い……

さっきみたいに無邪気に明るくケラケラ真一のように

はしゃぐ彼女も可愛らしかったのに──と。

するとオヤジさんがまた大笑い!

「いいってことよ! なんだ? 嬢ちゃんの事はデイブからも良く聞いていたしさ!

それに、お前の性格だからな……なんとなく解るよ」

「そう?」

葉月がいつもの無表情でポツリと呟いた。

オヤジさんも……そこはニッコリ──それ以上は言わなかった。

(え? どう言う事?)

二人だけで短い言葉で『意志疎通』してしまったみたいで

隼人は妙に……心が『ヒヤリ』と急に寒くなった。

(俺ってやっぱり──まだまだ『新参者』ってことなんだな)

そう思った……『昔の葉月』の事……本当はまだそんなに知らない。

そりゃ……隼人だって葉月には『過去』はそう多くは語っていないから

『おあいこ』なのだが……

「さぁ♪ 仕上げだ! たんと食え!」

オヤジさんが豪快な仕草でラーメンどんぶりを二つ!

葉月と隼人の前に差し出した。

「うわ! うまそ♪ 俺、醤油派!」

「だろ? ラーメンは行き着くところ『醤油』だ!」

「あ! 隼人さんにはチャーシューがいっぱい入っている!!」

葉月がまた元の元気な女の子に戻った物の……

(なんと食い意地のはった……お前もやっぱコリンズメンバーだよ)

と、隼人はおののきまたまた……苦笑い……。

「我慢しろ! 嬢ちゃん──男は女を守らなくてはならない!

お前だって守って欲しいだろ? だから男には沢山食べさせるのが俺の主義だ!」

「もう──」

葉月がそう致し方なさそうにふてくされたのだが……

「あれ? 葉月。お前のは卵がいっぱい入っているジャン?」

隼人は……それがオヤジさん流のオマケなのだろうと気が付いて

箸でその綺麗に並べられた白身が茶色くなっているゆで卵をさした。

すると──

「……有り難う。おじ様……残して置いてくれたの? 頂きます」

この上ない笑顔をこぼした物だから……隼人だって『ドキリ』としたぐらいだ。

当然──活きの良いオヤジさんも、そこばかりは照れた……。

「その嬢ちゃんの『おじ様』っつーのに弱いんだな……俺」

──と……。

隼人が一瞬しらけた視線を向けてしまったのは言うまでもない。

だが──誰も気が付かないうちに……ラーメンに箸を向けた。

本当に……久振りの味……。

色々感じはしたが……やっぱり隼人の心は『ほかほか』だった。

「ああ! ご馳走様! もう、食えない!」

隼人が最後の一滴までスープを飲み干してどんぶりを置いたので

それをみて、若きオヤジさんも満足そう。

「私も──お腹いっぱい♪」

葉月も白い頬を染めてすっかり暖まった様子だ。

「いやいや。また来いよ。今度は『飢えた犬』と一緒に来いよ」

オヤジさんのニッコリ……に、葉月と隼人の顔を見合わせて微笑み頷いた。

「隼人さんも胃を鍛えておいた方が良いわよ?」

「そうだなぁ──」

二人一緒に最後の『冷たい水』を一杯。

「なんたって。牛丼屋でのうちのチーム平均は『大盛り3杯』だからね!」

『大盛り3杯』に隼人はもう少しで、飲み込もうとした水を吹き出しそうになった。

「3杯!? 平均が??」

「そうよ──私なんか全然ついていけないわよ? 大盛り1杯がやっとだって……」

「まて。お前……『大盛り』なの?」

「まぁね……」

葉月がシラっと夜空にそっぽ向けて水を何食わぬ顔で飲み干した。

「それぐらい食べなくちゃ、女だって空飛べないよな!」

「そうそう♪ 私、つゆだく、生卵で牛丼、大好き♪」

(生卵に『つゆだく』??)

隼人はまた眉をひそめてしまった。

もう──どっからこの優雅な生活をしている栗毛のクウォーター嬢から

そんなイメージが湧くのだろうか???

驚きばかりである。

隼人は二度目の『ヤレヤレ』のため息をついた。

だけれども……

そんな気取った令嬢ばかりでないところが葉月の面白くて親しみやすい所。

フランスで出逢ったときだって、隼人が連れていく先々で

葉月は『美味しい♪ 美味しい♪』と何でも笑顔で平らげてくれたのだ。

隼人の手料理だって……。

(ショットバーでマルセイユ風は、またいつだって行けるさ)

そんな葉月があの大きなパイロット兄様達にもみくちゃにされながら

自分もなんとかお腹一杯食べようと必死にもがいている『下っ端嬢様』も

思い浮かべれば……

この無感情令嬢にも『愛嬌』があっていいじゃないかと隼人は笑っていた。

(なるほど──確かに『レディの格落とし』だったかもなぁ)

しかし──それは新鮮で許せる格落としだったので隼人も安心した。

「お勘定!」

隼人がそう思い更けているうちに、葉月の先制攻撃。

彼女がサッと5千円札をオヤジさんに出してしまったので隼人はビックリ!

「お……俺も」

と、スラックスのポケットの財布を出そうとしたときには……

「気持ちいいから……車のルーフ外してくる!」

葉月はそれをはね除けるようにサッと赤い車に走っていってしまったのだ。

「いいんじゃないの? 次からは甘えてくれるさ

今日は自分のために隼人君を連れてきてしまったと解っているんだよ」

オヤジさんが5千円札を握りしめて隼人にそう言ったのだ……。

「……」

「……本当はもっと気になる事あるんだろ?」

そのオヤジさんの一言に……隼人はドッキリ!

確かに──オヤジさんと葉月の会話からは……

『遠野大佐』の事が最初だけで全く出てこなかったから……。

「明日か明後日……花見の前に嬢ちゃんに内緒で一人で来いよ」

「……」

そのオヤジさんの『誘い』に隼人は驚きと共に……躊躇った。

「来る来ないは……おまえさん次第だけどな。

はい、今日は『歓迎代引き』、釣り銭嬢ちゃんに渡しておきな」

それで……オヤジさんが差し出した釣り銭にも驚いた!

葉月が5千円出したのに……帰ってきたのは3500円……。

おでんとラーメンと葉月が飲んだコップ酒いれたってそんな値段にはならないはずだ。

「そんな! お釣りもらい過ぎですよ!」

「いいんだよ──また、来てくれれば……」

そういってオヤジさんは隼人に釣り銭を握らせたのだ。

「それに──『祐介』と二人きりできた嬢ちゃんでも……

今日みたいには明るくはなかったな……隼人君はそれだけ……

嬢ちゃんを『救った』って事なのかもな? それが嬉しかったからよ……

デイブもここ最近、明るくなってなぁ……

祐介が殉職した頃は一人でここに来て『泣き酒』していたし

嬢ちゃんの事もだいぶ心配していたからさ……

『側近』がついたとは聞いていたけど……『恋人』とまでは教えてくれなかった……

デイブのことだ……嬢ちゃん自身から紹介するまではと思ったんだろな?」

「…………」

なんだか──そんな男達の気遣いが身に染みて……

隼人はそっと素直にその多すぎる釣り銭を握った……。

そして──

『絶対! 葉月を花見に出席させる!!』

そうさらに……『決心』した。

これは──祐介という男が残していった『哀しみ』は

なにも葉月だけじゃない……知っている誰もが持ち続けているのだ。

そして誰よりも遠野の側にいた『葉月』が元に戻って乗り越えて……

初めて皆が『乗り越えた事』になるのじゃないか? そう隼人は思ったのだ。

それで……『元の春』が来るのじゃないか? そう思えたから……。

「嬢ちゃん! また、『彼』と来いよ!」

オヤジさんは『花見に来い』とは一言も言わなかった。

隼人はこの人も葉月の性格は重々心得ている人なのだと悟った。

そんなオヤジさんの気遣いが葉月にはすんなり伝わるのだろう……。

だから──無邪気に笑えるのかも知れない。

葉月も解っているのだ。そんなオヤジさんの男らしい何気ない気遣いは。

隼人はルーフが外れた真っ赤な車の運転席に乗り込んで

葉月と一緒に屋台に手を振り、クラクションを鳴らす。

オヤジさんもいつまでも笑顔で……手を振ってくれたのだ。

「日本人版……コリンズ中佐って感じだね? 気が合うはずだキャプテンと」

「うん──」

葉月は、もう落ち着いた顔に戻って……

いや? 酔いが回ったのだろうか?

染めた頬をルーフが外れてオープンになった車にモロに吹き込んでくる夜風に……

長い栗毛をなびかせて頬杖をついてそっと微笑むだけ……。

また──何かを思い返しているのだろうか??

満天の星空を見つめて黙り込むだけだった。

隼人もそんな葉月をみて……少しばかり切なくなる。

彼女は今夜……そう微笑みながら……何を思い返すのだろう??

心地よい夜風の中……

隼人はステアリングを握りしめて真っ直ぐに前を見つめるだけ……。

アクセルを踏んで峠を越える……。

 

──『それに──『祐介』と二人きりできた嬢ちゃんでも……

今日みたいには明るくはなかったな……隼人君はそれだけ……

嬢ちゃんを『救った』って事なのかもな?』──

 

これだけが……少し隼人の心を救った……。

『さて……どうやって葉月の目を盗んでオヤジさんの所に行くかだな??』

隼人の心は決まっていた……。

明日か明後日、花見までには……オヤジさんに会いに行こうと……。