5.散る想い出

 「あら? 隼人さん、もう終わったの?」

「え? ああ。まぁね?」

隼人がデスクを片づけていると、葉月が慌ただしく帰り支度をする側近を訝しそうに眺める。

「……? 結構、手元にあったじゃない? 早いわね?」

「……たまにはね。買い物で遠出したいところがあって」

隼人は勘が良さそうな恋人に苦笑いを浮かべつつ誤魔化してみる。

「なにを買うの? スーパーじゃ駄目なの?」

小笠原島内で唯一と言っても良いスーパーマーケットでも

19時までなら開いているのだから、こんなに早く帰ろうとする隼人を

葉月は本当に訝しそうにして追求するのだ。

隼人が言葉に詰まっていると……

葉月は只、にっこり……それ以上は何も追求しなくなった。

「……気を付けてね? じゃぁ、晩ご飯は隼人さん?」

「え? ああ、そうだな。任せて。作っておくよ」

「車で帰る? キー渡すわよ。その代わり、迎えに来て?」

葉月がこう隼人を頼るのは今となっては『日常』だから

その『来て?』という申し出は当たり前な申し出である。

だが……隼人は何時に帰れるか解らないし

葉月が『仕事終わったの!』と、携帯電話に連絡をくれても

その時、すぐに動けるかという保証がないから隼人は慌てた。

「……いや。自転車でたまには……海沿いを帰りたいなぁ〜って気分?」

と、隼人も先のことはどうなるか解らないが、とにかく出かけたいから

そう言ってすり抜けようとしたのだ。

「……そう? 買い物なら車でいったら早いかと思ったけど?」

「たまには自転車も持って帰らないとね」

「そう?? 解ったわ。じゃぁ、車で私は帰るわね? ごゆっくり」

葉月自体、隼人の行動など元々束縛はしない性分を備えているようだから……

葉月はここでも深い追求は避けてくれた。

こんな時、本当に助かる性格なのだ。

葉月が真顔で書類に向かったのを……少しばかり後ろめたい気持ちを抱いて

隼人は『お先に、お疲れ様』と本部を後にした。

 

 

 自転車にて、峠越えを試みる。

意地でも、『なぎ』に行ってやる! と、隼人は必死で夕暮れの峠道を自転車にて漕ぐ。

そうして……やっと漁港に到着!

まだ、空は明るかったが、昨夜と同じ場所で、もう湯気が上がっている『なぎ』を確認した。

 

 「お! 早速来たか! 隼人君」

オヤジさんは、隼人を見つけるなり『待ってました!』とばかりにカウンターに出てきたのだ。

「昨夜は、お世話様でした」

隼人は、自転車を倉庫の壁に立てかけて屋台に向かった。

「いやいや〜! 久々に嬢ちゃんに会えたし、良い男も一緒だったし、楽しかったよ!

嬢ちゃんは? 上手く誤魔化せたのか?」

「ええ……まぁ、なんとか」

隼人は、追求しない方が怪しいモンだと、

少しばかり葉月は感づいているのではないかと不安になった。

「まぁ、いいや。すわりな! ちょっとばかし腹ごしらえだ。おごりだぜ?」

「いえいえ。結構です。自宅に帰って彼女と食事をしないと怪しまれるし」

「んん!? 一緒に住んでいるのか!?」

「え?……えっと、そうです」

改めて突っ込まれると、隼人も気恥ずかしく黒髪をかきながら椅子に座った。

「へぇ……なるほどねぇ……」

オヤジさんは、何か神妙におでん鍋をかき混ぜながら呟いたのだ。

隼人の目の前に、軽く食べられる物が皿に盛られて差し出された。

「……祐介に初めてあったのは……デイブが連れてきたと言うのもあるけど」

隼人が昆布巻きを箸にとった途端に、オヤジさんがすぐ話を始めたので

一瞬だけ、箸が止まった。

「……その次ぐらいかな? 祐介が嬢ちゃんと一緒にここに来てなぁ」

「…………」

オヤジさんが隼人をここに来るよう、昨夜告げたのは何の意図があるのか?

隼人はそう思いながら無言で昆布をほおばった。

「まだ、その時は『付き合っている』という雰囲気じゃなかったなぁ。

嬢ちゃんは、いつもデイブ達といるとある程度は元気に物言うんだが……

祐介といると、本当に『上官と部下』と言う感じで……

祐介があれやこれやと、嬢ちゃんに物を説教、教えているって言う感じだったね」

「……そうですか……」

オヤジさんはおでんのネタにつゆをかけながら、遠い目で夜空になろうとしている

オレンジ色の空を見上げていた。

「だからさ……祐介が一人で来たときだったかなぁ? アイツ、一人でため息ついていて

『どうしたのか?』と尋ねると……『好きな女がいるがなかなか振り向いてくれない』とか

珍しく自信なさそうに呟いたから、驚いた事があったなぁ……

『驚き』は、あの祐介が女で悩むって事だな。

デイブから聞いていたけど、何でも女から寄っていく男だから

振り向かない女で悩む事ないと……そう思っていたんだよ。

それと──もう一つ……驚いたわけ……

『結婚している男が、女に真剣に恋している』と言うことだったかな?」

「……先輩ですから、僕も遠野先輩の事はそれぐらいは良く知っていますけど?」

葉月と遠野がどんな付き合いをしていたかなんて……

もう、今の隼人にはどうでも良いこと。

解りきっていること。

聞いたところで、何も感じることはない。嫉妬すら湧かないように整理はついているのに……

そんな話のために、今日、わざわざ葉月に内緒で誘ってくれたのか?と隼人は気抜けした。

「それで、祐介と『喧嘩』してさ。『勘定はいらねぇ! 帰れ!』ってさ……」

「ええ!?」

いや……昨夜初めて会った男性だが、

『オヤジさんらしい気っぷのよさ……』と解りつつも隼人は驚いたのだ。

オヤジさんは、懐かしそうに、そして照れくさそうにタオルはちまきの側、黒髪をかいた。

「ははぁ〜……実は、俺、『バツイチ』」

「ええ!?」

まだ、会ったばかりだがこのオヤジさんにもそんな過去があって隼人は益々驚いた。

「ん〜……まぁ。俺の場合は『女が原因』じゃぁ無かったからな」

「はぁ。そうですか……」

今度はそこまで言っておいて、オヤジさん自身が言葉を止めてしまった。

暫く、彼はラーメンのスープ鍋の火加減を調節したり、

おでん鍋の中にお湯をつぎ足したり……そんな事をして言葉を躊躇っているようだった。

隼人も……せっかく出してくれたおでんを暫く箸でつついて、そっと待ってみる。

一通りの仕事が落ち着いたのかオヤジさんはため息をつきながら

また……隼人の前に向かった。

そして今度は調理場にある椅子に腰を落ち着けて煙草に火を点けたのだ。

「俺、ここが地元だからさ。就職は本島の東京だったんだ。サラリーマンな」

「そうだったんですか……」

「ああ。そこで結婚して子供もいるぜ?」

「え? ……じゃぁ、子供さんは奥さんが?」

「まぁ。当然の所だろうけどね? 別れた原因だけどさ」

「……あの? 僕が聞いて良いのですか?」

隼人が躊躇って言葉を挟んでも、オヤジさんは『ニッコリ』煙草をくゆらせて続ける。

「これ話さないと、祐介との喧嘩の理由も始まらないからな……」

「はぁ──」

「俺は『食い道楽』でね。家庭があった時も家の中で、

今みたいな事はままごと程度していたんだよ。

勿論……嫁さんも子供もその程度は『お父さんの趣味』で喜んでくれたさ」

「……もしかして? 脱サラとか?」

「おお!? 正解! なんせ、俺はこの海の島育ちだからさ……

就職は、ここの若者達が当たり前のようにして本島にするように……

俺もそれに乗っ取って、本島に行ったんだよ。

ここは同じ東京都だが、全然東京じゃないんだよなぁ……。

この海の島で暮らしていたら……都会なんて楽しいのは若い内だけさ。

いずれは……子供達の為にも、母島に帰ろうと思っていたんだ。

それだな……嫁さんとすれ違ったのは……」

「なるほど……」

もう、すべて聞かずとも……隼人もだいたい解った。

「では? 奥さんは本島出身の方?」

だいたい解ったところで尋ねてみた。

「ああ。群馬の出身でね。小笠原に来てしまうと実家も遠くなるわけだ」

隼人の質問で、オヤジさんは相手が上手く悟ったと解ったのかそれから暫く言葉が止まった。

隼人は、まだ湯気が立っている出汁が染み込んだ木綿豆腐をほおばる。

「もう、解ったと思うけどよ? 俺が会社辞めて、この職に本腰入れて……

それで、本気で『離島で屋台やる』なんて、やっぱ一家庭の大黒柱が言う事じゃないよな?

それに嫁さんは実は『看護婦』でさ……辞めたくなかったわけよ。

俺も……辞めさせたくなかったし……。

それで……嫁さんは子供にはやっぱ人が多い所で逞しく育って欲しいってね。

それには……一理あって……

俺が故郷の『離島』に子供を連れて帰りたいなんて『親父のエゴ』だったってことさ」

(でも……離婚までしなくても……)

隼人はそう思ったけど、そこはよそ様の『家庭事情』……。

だた、相づちを打つことしかできなかった。

オヤジさんなりに……『自分のために、どうしてもやりたかった』と言うのがあったのだろう。

そこは……なんとなく『男』として共感してしまうのでなんとも言えない。

「まぁ……いろいろあって、別れたわけだけど。

最後には嫁さんもこっちに来る予定なんだ」

「あ……そういう事ですかぁ……」

隼人が解りきった顔をすると、オヤジさんが少し驚いた表情を一瞬止めた。

「察しいいな。流石、嬢ちゃんが気に入るわけだ」

オヤジさんは、ニコリと微笑んで、また言葉を止めてしまった。

「それなら……先輩の事。怒りたくなって当たり前ですね?」

「おお? そこも流石! 祐介の後輩だけあるな!」

「だって……そうでしょう?

あの先輩は……奥さんとどれだけぶつかり合ったというのか?って事でしょう?

オヤジさんは……奥さんとぶつかって出した答えが『離婚』だったのですよね?

それで……最後にまた暮らせるなら暮らそうって事でしょう?

離れている間は、何があるか解らないから、お互い束縛しないって事なのでしょう?」

「ああ……まぁねぇ。そんな所かな?」

オヤジさんは隼人がサラッと言い当てるので、妙に恥ずかしそうに照れたのだ。

「葉月も言っていました。何度か奥さんの所に返したかったと……。

ぶつかってもいないのに、自分さえいなければ……

もっと向き合っていたかも知れないからと……フランスに来たときそう自分を責めていました」

「だろ!? 祐介はな……逃げていたんだよ。結局……

死んだ奴のこと……悪くは言いたくないけどな

だから──俺は怒ったワケよ!

しかも……あの嬢ちゃんを巻き添えにしようとしていたわけだから、

余計に頭に血が上ってな!」

「解ります。解ります! 僕も側にいたら、先輩を止めていましたね。

只の……遊び女なら勝手にやってくれとなるところですが……」

「嬢ちゃんは……遊びじゃなかったという事か?」

「……だったら、あんな顔で先輩の影をフランスまで追いかけに来ないでしょうし。

アイツは……泣かなかっただろうし……。

後輩である僕から先輩の影を映したくて、会いに来たという感じでしたね……」

「そっか……やっぱり、かなりショックだったのだろうな?

暫く、この屋台に来なくなったのも、俺がいけないんだろうな」

「え?」

隼人が箸を止めると、オヤジさんはなんだか申し訳なさそうに俯いたのだ。

「祐介から聞いたんだろう? 『なぎ』のオヤジは筋を通す男だからと……

それで、祐介が『会いに行くな』とは言わなかった事は祐介から聞いているから良いけど。

だぶん……嬢ちゃん自身がそう気が引けたんだろうな……。

祐介一人ではここに良く来ていたし、嬢ちゃんと二人で来たのはほんの2回ばっかし。

上官と側近の仕事の話し合いだけだったな……。

ところが、祐介が亡くなってからも嬢ちゃんはこないし……

デイブに『いい加減気にしないで来るように言ってくれ』と伝言したんだけど

『報告は受けていないが、恋人は出来たみたいだ。それもひた隠しに付き合っている』とね」

(ああ。ロベルトのことかな?)

「それなら、それで……その彼と一緒に来てくれればいいものを……

『何を気にしているんだ?』と俺も流石に嫌われたのかと思っていたけどな……。

デイブが、またこう言ってね?『まだ、祐介のことを忘れていないんだよ。

その今の恋人にも後ろめたい気持ちで付き合っているのだろうさ』……とね?

嬢ちゃんの中で、俺に会うと祐介が浮上して思い出したり、叱られたり……

真っ直ぐに顔を上げられるまでは『逢えない』と思っているのじゃないかと……」

「そうでしたか……」

「隼人君よぅ。祐介のことだけどさ……

後輩の隼人君なら解ってフランスを出てきたとは思うけど。

それなりに気にはなっただろう? だから、今日ここに誘ったんだけど。

どうやら……もう、割り切っているみたいだな?」

オヤジさんは『いらぬ心配した』とおどけて笑ったのだ。

いや……全然気にならなかったら隼人もここまでは来なかったと思うが。

やはり、すべてを知らないわけでもないから知りたくて。僅かなことでも葉月を知りたくて……

だから、自転車で峠を越えてまで来てしまったのだ。

でも……隼人もいらぬ心配だったらしい……。

それどころか。『思ってもいない二人』を知ってしまったような気がした。

オヤジさんの話からすると……『上官と部下』が二人の間で強かったようだし……。

葉月に至っては、『私、全然素直じゃなく心も開いていなく、全開で愛せなかった』と

フランスで悔いていた状況は言葉通りだったようだ。

葉月にとって忘れ得ないのは……

『私を育ててくれて導いてくれた……先輩、上司……男性』

葉月を側近として今の中隊長に導いたのは紛れもなく……『遠野祐介』に違いない。

同期生とか言う『海野中佐』からは得られない『職務指導』は

上官だった祐介から得た物に違いない。

その『感覚』は、後輩である隼人ともフランスで『ピタ!』とあったのも……

そう……隼人と葉月は揃って……『遠野祐介の後輩』だからなのだろう……。

そんな事、改めて気が付いた。

隼人と葉月は……あの男の『後輩』

葉月にとって……遠野が『最高の上司』であって……ただそれだけで。

だから……無感情嬢様は『女』になれなかったのだ……と。

実は『最高の恋人』でなく『最高の上官』だったのだと気が付いた!

「それから……もう一つ。祐介がここに良く来ていたもう一つの『ワケ』だけどさ……」

「もう一つのワケ?」

「そう。俺がさ……客だと下手に出ずに真っ向から叱った事かな?

『兄貴』とか言ってやってくるようになって『どうして葉月を好きになったか』を

一所懸命話して理解してもらいたいとか……後は『離婚決意』までの相談だな。

俺は断ったね。離婚の片棒は担がないぞ……と」

(うわ……ホント、筋通っている)

隼人はここまでハッキリしているとかえって気持ちが良いと思って微笑んでしまった。

「でもまぁ……話聞いていると、どうも気持ちが元に戻らないようだったな……

それから……嬢ちゃんのマンションには良く上がり込んでいたみたいだが……」

(やっぱりね……)

隼人は追求したくても、葉月の過去と追求できなかったことをハッキリ聞いて

少々『憮然』として、おでんを再びつついた。

だけど……そこでオヤジさんがクスクスと笑いだしたので、隼人は首を傾げた。

「隼人君の『勝ち』だな」

「え? 僕が勝ちって何がですか??」

「祐介は、嬢ちゃんに閉め出されてよくここに来ていたって事。

『葉月のヤツに、カード-キーが使えないようロックされた。

最新のマンションは困る。鍵が一番だ』って!」

「閉め出された!?」

隼人は一瞬……『ゾ!』としたぐらいだ。

あのカードーキーがそんな事もできるとは思っていなかった。

明日は我が身かも知れないと……。

そうなれば、そうなったで帰る官舎はあるのだが……。

オヤジさんはまだクスクス笑っていた。

「その嬢ちゃんに閉め出されたことは無いようだな? 隼人君は……

つまり、嬢ちゃんはいつだって喧嘩したって隼人君を奥まで迎え入れているってことだから……

閉め出された祐介に勝っているってことさ!

なによりも……昨日の嬢ちゃんは……昔通りの無邪気な嬢ちゃんで……

俺も見た事ない女らしさで……真っ直ぐ顔を上げて『私の彼』と紹介してくれた。

それが嬉しかったし……それだけ、隼人君は嬢ちゃんに『自信』を与えているって事。

今日……何よりも祐介のことよりも……

『隼人君も自信を持って一緒に前向けよ』って言いたかった訳」

「……オヤジさん……」

いつも、いつも……葉月と向き合うこと『独り』

時には『どうして俺がここまでやらなくてはいけないのか』とか

『どうして葉月は俺に心を開いてくれない』とか……

『俺は……その程度の男なのか……』など……色々迷ってきた。

人には解らない葉月の奥まった心の沢山のひだ……。

誰も知らないし、知られたくないから、隼人は山中にだってジョイにだって……

余程でないと相談は出来なかったり……。

でも──このオヤジさんの話で隼人はどれだけ『自信』が持てたことだろうか??

そう、ロベルトとさえ葉月は前を向くことが出来なかった。

ロベルトは言っていた。

『彼女が遠野大佐を忘れていない事を承知で付き合った。

彼女の思うままにさせていた……』……と。

お互いが解りきったなんとなく始まった付き合い。

葉月は恋人に後ろめたさを引きずっていたから誰にも『恋人』と紹介できなかった。

だから……ロベルトは諦めたし。

葉月も……彼が離れていった事は『仕方がない事』と言っていた。

隼人と出会わなければ……

あの二人はもう少し時を過ごしていたら上手く行っていたところだろうが。

ロベルトは限界を感じていて、葉月も解っていたから……。

そして──『隼人』

(俺ってラッキーなのかな??)

いろいろ迷うことが出来るのは、

それこそ『葉月と付き合っている実感』とも言えるのじゃないか?

オヤジさんの一言で隼人は、そう思うことが出来たのだ。

「良かった! 今日、必死に峠を越えて……オヤジさんに会いに来て良かった!」

隼人が満面の微笑みを浮かべると、オヤジさんもホッとしたように微笑んでくれた。

「男同士の内緒だな」

「勿論ですよ♪」

空が少しばかり暗くなり……隼人は峠が暗くならない内においとまをしようと決めた時。

オヤジさんのポケットに入っているらしい携帯電話が『ピロピロ』と鳴ったのだ。

「おお! デイブか♪ ん? え? えええ!?」

その驚きようと、かけてきた相手を知って隼人はハッとした。

それと同時にオヤジさんが携帯電話を耳から離して隼人に突っ込んできたのだ!

「なんだ! 側近なら最初に言ってくれよ!!」

「あ? もしかして……『牽引』の事でしょうか?」

隼人は忘れていた……と、誤魔化して笑う。

オヤジさんはそれだけ隼人に言うと、また携帯電話を耳に当ててデイブと話し始めた。

「おい! 牽引車は有り難いけどよ!! 俺が請け負ったのは『コリンズチーム』だけだぜ!

それがなんで!! 本部二中隊分人が集まるんだよ!!」

(あ──。そう言うことか……確かに)

隼人はそれがまた……葉月の『台風』になっていることに気が付いて苦笑い。

だけれど……オヤジさんは驚きはしたようだがすぐに……笑顔が穏やかになったのだ。

「まぁ……仕方ないな。嬢ちゃんの台風に一つ吹かれてみるか。あははは!!」

そこで、オヤジさんは『嬢ちゃんは元に戻ったのじゃなくて、変わったんだな』と

嬉そうにデイブとの会話を終えて携帯をポケットにしまったのだ。

すると、今度は隼人の制服胸ポケットにしまっている携帯が鳴った。

滅多に鳴らないのに……。

着信を確認すると……

(え!? 葉月??)

『車で迎えに来て』ぐらいしか電話をしてこない彼女が、電話をしてきたのだ。

隼人は慌てて着信ボタンを押した。

「な、なに??」

『…………』

「葉月だろ??」

オヤジさんが、なにやら意味深に……厨房カウンターで頬杖、ニタニタと眺めているのだ。

『何処にいるの? 帰ってきたけどいないのだもの? 私、勝手に夕飯作るわよ?』

最初に、黙ってすぐに話しかけてこないところが葉月らしいと隼人も微笑んでしまった。

こんな風に……心配して不安そうに電話をしてきてくれるなんて……初めてだった。

「そう? 俺も今から帰るよ。ごめんな……遅くなって」

『別にいいのよ。だけど……何処に行くかハッキリしてくれなかったから……』

そう、大抵は……隼人はハッキリした行き先を伝えて出かけていたから……。

葉月は快く送りだしてくれた物の……やはり、気にはなったらしい。

(良い傾向なのかな?)

束縛しない葉月も好きだが……こうして気にかけてもらえないと、そこも寂しい。

「早く帰ってやれよ……」

「はい……」

オヤジさんのにこっり笑顔に促されて、隼人は席を立った。

『嬢ちゃんに礼を言って欲しいけど……それだとここに来たことばれてしまうな』

と、笑うオヤジさんに見送られて隼人は自転車にまたがって手を振った。

 

 その帰りの峠越え……。

道脇、雑木林にある野生の桜がちらほらと散り始めていた。

隼人はその一カ所で、休憩も含め自転車を停めて、そっと見上げた。

 

『先輩……桜が咲く頃、逝ってしまうなんて……』

季節の訪れを告げる花は……葉月には想い出を呼び戻す花になってるのだろうか?

隼人の手のひらに、ハート型、ピンク色の花びらがそっと落ちてきた。

 

 

 隼人が丘のマンションに辿り着いたときは、もう空は満天の星をちりばめていた。

峠越えでかなりの体力を消耗してしまい……

その上、丘のマンションにあがる為のこのキツイ坂……。

『これ以上は、勘弁してくれ』と、隼人は自転車を降りて徒歩で坂をあがると……。

マンション前の住民が車を置いている駐車場。

金網フェンスの所に葉月が独り立っていたので驚いた。

金網フェンスは……小高い丘にあるマンション駐車場の下が

ちょっとした傾斜崖になっているので落下を防ぐために設置されているのだが。

そこに、雑木林だった頃の名残なのか、桜の木が数本あるのだ。

その桜の木の下で葉月がそっとその枝先を独りで見上げていたのだ。

 

 「葉月……遅くなって。ただいま」

隼人が声をかけると……葉月が自然に『にっこり』振り返ったので躊躇した。

隼人は自転車を引きながら、そんな穏やかそうな葉月の横に並んだ。

「どうしたの? 独りで……こんな暗い外で」

「うん。うちの庭? にも、桜があったんだわ〜って……」

「それだけのために、外に出てきたのか?」

すると、葉月がなんだか哀しそうな笑顔を浮かべてそっと首を振った。

「隼人さんが帰ってこないから」

「あれ? いつも俺が出かけても全然平気な『中佐嬢』が珍しいこと」

そうして健気に待っていてくれた恋人に……また、天の邪鬼、そんな事を吐いていた。

「桜は嫌い。散るから……散って何か持って行っちゃうから……

新しい始まりかも知れないけど。学校のクラスが変わったり……お別れでもあるのよ」

「へぇ。帰国子女らしからぬ感覚だね?」

「……だから、アメリカではそうは感じなかったのに……

日本に戻ってきたら……やっぱり桜が咲く頃……哀しいことがあるんだもの

おじいちゃまが殉職した時も……お葬式は『桜』が咲いていたし……」

──『大佐が亡くなったときも』──

葉月は、そこは隼人に気遣ったのか言葉にはしなかったが……隼人にはそう聞こえた。

そこで、隼人はそっと自転車のスタンドを立て、手から離した。

黒いロングのニットワンピースを着ている葉月の肩をそっと抱いたのだ。

そして……葉月が見上げている桜を一緒に見上げた。

「俺……帰ってきたよ」

「うん! ご飯、すぐ出来るわよ!」

彼女がやっといつもの元気な笑顔を浮かべてくれた。

でも……葉月も隼人がしていたように、

手のひらに一枚だけ花びらが降りてくるのを待っていた。

「桜ってなんで花びら、ハート型なの?」

「さぁね? お前さ。いつから外に出ていたの?? 肩が冷えている!」

「うん……」

葉月がその花びらをつまんで……そっと地面に落としたのだ。

彼女は自分のサンダルの足元にその花びらが落ちても暫くは眺めていた。

『なんで、ハート型なの?』

そのハートがいっぱい、散っている。

葉月はそこにその花びらに何を映しているのだろう?

桜の花びらに……毎年、隼人に出逢うまで何を映していたのだろう?

散っていく愛情だと例えているのだろうか?

そんな彼女の心境は、隼人は深く追求しない。

今は──

「葉月──花見、楽しみだね〜。お前、今日やったこと、俺いいことだと思うよ」

「あら? 珍しい……少佐兄様が誉めて下さるなんて!」

一発、お返しがとんできても、隼人もただおかしくて笑うだけ。

彼女が待っていてくれた事、これだけ笑ってくれたら隼人もそれでいいのだ。

今日の所は、それでだいぶ満足していた。

『今年から……桜咲く頃は良い季節になるよ』

隼人は葉月には今は言えずに、そう心で念じてみた。

それが通じたかどうかは解らないが、隼人に肩を抱かれて葉月はにっこり……。

マンションの自動扉を一緒に入った。

 

 週末は……いよいよお花見……。