-- A to Z;ero -- * きらめく晩夏 *

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7.夢は甘美に

 夕暮れ間近の部屋に、柔らかな西日が入ってきていた。
 この時期の西日はとても暑いはずなのだが、不思議な事に、亡くなった母が療養していたこの部屋は、どんな時でも穏やかな雰囲気に包まれる。

 白木で出来ている大きなベッド。
 昔、母が横になっていた物だ。
 遠い記憶に、これによじ登りたがった自分の姿が……あるような、ないような? でもそんな疼きがある代物だ。
 そして、いつも一輪挿しに花が活けてある丸いテーブル。
 今、隼人は──その部屋にある丸いテーブルに座って、舞い込んできたデーターを眺めていた。
 そのテーブルの一輪挿しの姿は変わらないが、今、花を活けているのは継母。
 今日は、庭に咲き誇っていた真っ赤な百日草が活けてあった。

 その花に励まされるようにして、隼人は唸りつつ……開いたファイルを眺めていたのだが。

「思った通りだ……!」

 眺めて三分の一ぐらいで結論は出た気がしたが、確実な判断をしたい為にきっちり最後まで閲覧した。

 手元にある携帯電話をすぐさま取り、電話をかける。
 発信音の後、呼び出しベルの音……。

「はい」

 相手が出た。
 隼人はすぐさま、相手の名を口にする。
 それもかなり……怒りを抑えた口調で。

「青柳」
「さ、澤村君……!」
「見たぞ、今朝のやつ」
「課長に、報告するって……」

 隼人がほのめかした脅しのまま、常盤に報告された方が、彼女にとっては痛手になるはず。でも、彼女は隼人に見抜かれてしまった事を知っていたはずなのに、それでも常盤という上司に無許可なことをやった報告をされても良い覚悟で打って出た……それだけ、『何かの所見』を必要としている。
 そこまでの覚悟でやったのだから、隼人の所見を待っていたはずだ。しかし、隼人から『常盤からのお叱り』は避けられる連絡が来たと言うのに、異様に怯えた様子だった。
 それでも隼人は心を鬼にして言う。

「青柳、気持ちは分かるが、こんな事をしてもなんの『近道』にもならないぞ」
「分かってる、分かっているわ」
「しかも、俺に渡すだなんて……。青柳、言ったよな!? 常盤課長に先入観を持って欲しくないから、平等の上での選考をして欲しくて、俺と同窓生だという事は黙っていたと! だが、今回の事は、俺との関係を使ったという事にならないか?」
「……その通りよ」
「青柳……どうして」

 彼女のなにもかも分かった上でやった事と、今にも泣きそうな崩れた声。
 隼人もそこで、巻き込まれた責めをやめる。

「なんでもないわ。ただ、常盤に提案しても却下されるのは目に見えていたから……。でも、澤村君なら、もしかして……と、思って」
「もし、これに何か可能性を感じたとしても、それ以前の問題の『フライング』だ。時には勝つ為のフライングもあるだろうが、この場合は『最悪のフライング』だな」
「……本当に? 何にも、なかった? ダメだったの」
「ああ、悪いけど……」
「分かった。よく、分かったわ──。なんだか休暇の邪魔をしてごめんなさい」

 そこで彼女から、急に電話を切られてしまった。
 隼人は驚いて、耳から離した携帯電話を見つめてしまった……。

 やや『しまった』という後悔が……生じた。
 本当は『多少はあった』と言いたかったが、そう言えばきっと焦っているような彼女には『澤村君がそう言った』とか『そう思ったなら、協力して』等という望みが生まれそうな気がしたのだ。
 そんな期待を持たせてしまう責任を隼人は背負う事は出来ない。
 彼女は同窓生であっても、同じ仕事に携わる仲間だとしても……まだ、何も始まっていない時点であり、尚かつ『他社の人間』だ。

 隼人はがっくりと肩の力を落とし、脱力感いっぱいに、椅子に座った。

 様々な予感──が、隼人の頭の中を過ぎっていく。
 春頃に彼女と再会し、そこで営業からやっと念願のシステム課に配属になった事。
 そして、夏に再会した時も、彼女は自分の信念を貫きつつ、競争率が高かったという常盤のアシスタントを『コネ無し』で勝ち取っていた。
 その時の彼女はとても誇らしげで、堂々としていた。
 それだけの強い意志を見た気がしたのだ。

 さらに彗星システムズで会議を何度かしたが、その時の佳奈の様子を隼人は少し、気にしていた。
 常盤がアシスタントという形で使っているせいもあるだろうが、他の常盤をサポートしている男性社員達とは見えない壁を作っているように見えたのだ。
 それが、どこか……あの冷めた目が、どうしても気になっていたが。

(まさかなー?)

 隼人は今回の事で、去年の夏の事を鮮烈に思い出していた。

 同じような『女性の大胆な突進』なら、フロリダで体験済みだ。
 葉月もその内の一人なのだが、隼人にとってインパクトが強かったのは……そう、あのマリア嬢。
 彼女も同じ工学肌の女性であって、それに後先考えずに、自分が前に行く為の思い切ったエネルギーには隼人も振り回されたものだ。
 皆が『なにを見当違いな事を言い出す』と、どこかで思っていたのに、最後にはどうしてか彼女が見いだした方向性に新しい物が待っていたりした。
 今回のプロジェクトだって、元を辿れば、マリア嬢が夢物語の様に計画した事が、軍隊工学博士達を動かしてしまったのだから。
 だから、佳奈の場合も『何を見当違いを……』とは、一概に言い切れないかもしれないし、実は、何かがあると思ってもいいかもしれない?

 あの男性社員達とは折り合いが合う合わない……という次元の話ではない気がしてきた。
 彼女が焦っている事……。
 佳奈もそうなのだろうか?
 あの時のマリアのように……もしかして──? と。

 だけど、何処かがマリアとは違う気がするのだ。
 マリアの表裏がすぐに読みとれてしまうような猪突猛進的な突っ込みとは違う気がする。
 なんだろう? なんだか彼女の中で渦巻くなにかを感じる。
 マリアの時とは違う何かを感じるのだが、それが今の隼人には判らなかった。

 それ以上に、あの世界──『職場』では理解してもらえない自分を、隼人という社外の人間にぶつけてきた気がした。
 そこで『イエス』を言ってもらえたのなら、突破口が開けたのに──というような思い詰めた感触がうかがえた気もする。

 それでもだ。
 隼人の判断は、そこにつけこまれてはいけないのだ。
 これは仕事だ。

 想像力はあると思う。
 ゲームのソフトを作るような仕事ではない。
 しかしその『遊び』がなくては、概念から解放はされない。
 でも、彼女が作った物は、常盤が言う所の『お遊び』の範囲そのものだ。
 問題は、彼女がその『お遊び』の範囲で作った『作品』を『本物』という真剣さで作り上げた事だ。
 意気込みは良しとしよう……。だが、これから『本物の訓練』に『戦闘機』に『パイロット』に『指揮官』を見た日には……。
 なにもかもがすっ飛んでいくことだろうから。

 隼人はどこか後味の悪さを感じながら、そのディスクケースをそっとテーブルの隅に除けた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 そして、やはり『報告』すべきか隼人は迷った。

 後味の悪さの原因は、『俺は彼女の仕業と予測出来ていたのに、手を着けてしまった』と言う事に、一晩中考えて辿り着いたのだ。
 この事態を避ける為には、やはり『常盤本人に確認を取る』べきだったのだ。
 それなのに判っていながら『彼女の頼みに乗ったのも同然』の事を、隼人はしたことになる。

 だから……それはあちらの会社の問題として、今なら、常盤に『何があったか』を報告すれば、早めの対処も可能である気がする。
 そこを社外の人間である隼人が、個人としてか? 同窓生としてか? ともかく手を貸してしまった程の事が、常盤の知らぬ所で起きているのを放置しているのは良くない気がしたのだ。

「どうしたの? 澤村君」
「!」

 振り向けば、そこにはスーツで決めている眼鏡の男性──常盤課長がいた。
 隼人の耳には、飛行機が飛ぶ音。
 そして待合室で便を待つ人々のざわめき。

 そう、ここは──横須賀基地の定期便待合室だ。
 出張の為に行き来していた軍人もいれば、この首都圏基地の横須賀から、地方軍隊基地に営業にいくビジネスマンが数十人ほど、行き交っている。
 そんな中、『民間企業人団体』を軍服姿の隼人が誘導している姿も、良く見る光景ではある。
 彗星システムズの常盤とその仕事に携わる為に選び抜かれたシステムエンジニアの男性社員数名、そして、いつものように冷めた顔つきで落ち着いているパンツスーツ姿の佳奈がいた。

「いえ……こんなふうに、職場にお客様をお連れするのは、初めてなので……ちょっと」

 色々と気が張って──と、付け加えると、常盤がいつものように明るく笑い飛ばした。

「やだな。俺達、そんなかしこまる仲でもないでしょ。な? お前達も」
「そうっすよ。澤村中佐! ここ何回かですっかり打ち解けられたと思っていたのに」
「そうですよー。俺達、そんなに立ち居振る舞いにこだわるビジネスマンじゃない工学オタク会社員っすよ?」

 そうして仲間意識を高めてきた常盤と彼の部下である男性社員達の心外そうな顔。
 隼人はただ、苦笑い。
 本当は『気が張る』だなんてことはなく、彼等が言う通りに、心も打ち解けあっているつもりだ。
 それに、彼等を小笠原に招待する日を、隼人も楽しみにしていたのだから。
 彼等がやってきて、初めて軍隊とのパイプを強化する……つまり、仕事が始められる第一歩。
 そこを、今の隼人がどれだけ心待ちにしていた事か……。

 本当の理由は……と、隼人は密かにうなだれる。
 そんな時、常盤がいつもの崩れないにこやかな眼鏡顔で、時計を見つめた。

「まだ、小笠原便のチェックインまで時間があるね」
「……ですね。岩国基地便と普天間便の後ですから」
「青柳!」
「?」

 時間があると確認した常盤の顔が急に厳しくなった気がした。
 そんな常盤が呼び寄せた佳奈が、『はい』とやって来る。
 そして、常盤はスーツの内ポケットから千円札を二枚──彼女に渡した。

「待合室を出た所に、自販機があっただろう?」
「はい」
「飲み物──澤村中佐にと思ってね。ついでだから、俺等の分と、それと君も一息ついて座っていなさい」
「……有り難うございます」

 上司のお遣いも……ある意味アシスタントとしては当たり前の事だし、常盤が彼女にも『立っていないで休んでいなさい』と気遣っていたのでそうは見えないはずなのに。
 なのに……今日の隼人にはどうしてか? 彼女が遣い走りをさせられているように見えてしまうのだ。
 正直──そんな自分にびっくりだ。
 それに案の定、佳奈はちょっと意にそぐわない顔で、出て行った物だから。

 すると、隼人の横で常盤が溜め息をついた。

「……澤村君。ちょっと、そっちで休もうか」
「はい?」

 喫煙をする部下達がいる為、分煙室の側でうろついていたのだが、常盤はそこで部下達が歓談しているのを傍目に、そっと隼人を離れた長椅子まで連れていこうとしていた。
 その時の常盤の顔は、とても緊張感を醸し出した物……それは彼と真剣に会議で意見を取り交わしている時に見せてくれている職務人である時の本物の顔だった。

 彼に連れられたまま、隼人は座りこんだ常盤の隣に腰を下ろした。
 だが、その職務人の顔をやや残しつつ、常盤がいつものようににこやかに微笑んだ。

「困ったでしょう」
「はい?」
「昨日、君が休暇なのに、僕はメールを送ったり呼びつけたりなんかしなかったよ」
「!」
「申し訳ありません。うちの青柳がご迷惑をおかけしました」
「い、いえ……その、ご存じで?」

 常盤が、いつものにっこり顔をみせる。
 けど、その眼はどこか怒っているように笑っていない気がした。

「僕の所ね。やっぱりどの子も『僕の兵隊』なんだよね。君の所も、そうでしょ。君が何かをしても、結局最後には大佐嬢が隊長でしょ」
「え、ええ。そうですけど……」
「昨日、オフィスにいた男の子が、日曜なのに軍服を着込んだ君が、僕がいないオフィスにわざわざやって来た事を不審に思ったみたいでね。僕に報告してくれたわけ」
「……! ああ、なるほど?」
「だけど、彼女は『アシスタントの権限』を最高に最適に駆使出来たと思っているだろうけれどね?」
「……」

 なにもかも知っている常盤に、隼人はどこかホッとしつつ。でも、どこか空恐ろしくなったり、いや、やっぱり『それこそ一部署の長』と言うべきか……。
 反応をしづらくなったのは確かだ。
 だけど、常盤はそんな隼人の事もなにもかも分かった様子で、手を差し出してくる。
 何かを『ちょうだい』といいたげな、手だ。

「彼女のディスク、くれるかな? 君が持っているのは具合が悪いでしょ。彼女に返したとしても、君は既に知ってはいるのだから」
「……そこまでご存じで」
「だって。あの子は、今、そこを急いでいるからね」
「それも……」

 『知っているんだ!』と、隼人は驚愕。
 だが──ここで、今度こそ、安心する事が出来た。
 彼女の上司がここまで分かっているなら、もう、隼人があれこれ考える次元ではないから……。彼に任せるべき事なのだから。

 そこで隼人は、鞄からそっと取りだしたディスクケースを、常盤に手渡した。

「僕が目を通さない、受け取らない、見てくれない。だから、君の所に行ってしまったのだろう。申し訳ない──。でも、割と良かったでしょ。必死なだけあると思うよ。彼女」
「……ですね。だけれど……やり方がやり方だったので、きっつい事を彼女に言ってしまいました」
「当然でしょ。こんなやり方が通用するはずはない。むしろ、ここで澤村君が同窓生としての甘さを見せたなら、僕は失望したね」
「……あはは」

 後味は悪かったが、彼女にきっぱり言ったのは、それで良かったのだとホッとする事は出来た。のだが、隼人はドッキリ……。心の何処かで『同窓生だから、ある程度は見逃した』のは否めない。
 でも、ディスクを渡して、何か肩の荷が降りた気がした……。

「君はもう、何も考える事はない。僕も彼女の事は『大事に育てたい』と思っているから安心してくれ。そうでなければ、彼女を僕のアシスタントに選びはしなかったよ」
「はい、分かりました」

 彼女には、こうした立派な上司が付いているのだ。
 彼女が今、何かに彷徨っていても、それは隼人が付き合う事ではないのだ。
 ふと『俺の悪い癖』みたいな物を、自分で噛みしめてしまった気がした。

 そうだ──もう、気にしなくて良いのだ!
 やっと心が軽くなり、常盤と笑顔を見せ合った。
 そこで彼女が帰ってきたので、二人の会話が瞬時に止まってしまった。

「どうぞ、澤村中佐……。課長も、どうぞ」

 そこはかとない笑顔を浮かべてくれている青柳の手から、缶コーヒーを受け取り、二人揃って『有り難う』と礼を述べる。
 彼女は、男性達とは離れた長椅子に座って、一人で缶コーヒーを飲んでいた。

「才能と運ってあるよね。努力すれば、きっと……と、僕だって信じているけれど。でも時々、それらは残酷な事を平気でするよね」
「……はぁ」

 常盤が遠い目で、青柳佳奈の背を慈しむように眺め……そして何処か致しかたなさそうに溜め息をこぼしていた。
 その常盤の言葉は、一般的には『そうですね』と応えられる話であると隼人も思ったのだが……『そんな事があったのかな?』と、頭に過ぎり、この時はそのままにして置いた。

 小笠原便のチェックインは、もうじきだ。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 忙しい日の一日は、あっと言う間に終わる。
 夜になり、無事に彗星システムズの案内を終えた隼人は、約束通り丘のマンションへと向かう。

 彗星システムズの一行は、工学科のマクティアン大佐などとの対面を無事に済ませる事ができ、宿泊先に落ち着いた。
 達也が柏木と共に行き届いた接客をしてくれたので、何事もスムーズに進めてくれて、今のところ問題なしだ。
 勿論──彼等は大佐室にもやってきて、常盤念願の『大佐嬢との対面』も無事に済んだ。
 葉月のいつもの落ち着いた接し方は、やはり常盤とも対等になり堂々としていた。
 ……というよりかは、既に常盤の方が『大佐嬢』と言うイメージに、会う前からある程度は構えていたと、言った方がいいかもしれない?
 だが、そこは会ってしまえば、やっぱり『女性だね』と言う感想も出てくる。
 日頃は『じゃじゃ馬嬢様』呼ばわりである葉月だが、いざとなるとやはり優雅な雰囲気を醸し出すのは流石だ。特に初対面の人間には『不思議な雰囲気』に見えてしまうようで、二十代女性だと言えば『年齢より、落ち着いているね』となるし、若き女性指揮官だと言えば『割と普通の女性の顔だよね』ともなる──隼人などは、すっかりそれが当たり前なのだが。
 常盤は、そこはマクティアン大佐と対面するよりかは、歳もキャリアもある男性として余裕は出していたが、隼人と同世代になる常盤の男性部下達は、そんな葉月の顔と様子を眺めているだけで、まだ……構えたままのようだった。
 隼人の同窓生の佳奈は──まぁ、なんというか相変わらずだ。葉月に対してどうこうと言うよりかは、会社にいる彼女そのもので変化がないという所だ。

 だが、葉月が途中から気が付いた。

『あの……失礼ですが、春に一度、お会いしましたよね?』

 隼人は、葉月の記憶の良さにドッキリだった。
 別に隠していたわけではないが、あの時があの時だったので、なるべく葉月が気が付かないなら避けるか、その時が来たら言うか……ぐらいに流していたものだから。
 すると──佳奈も声をかけられて驚いたのか、素直に『はい』と応えてしまっていた。
 葉月に『自然と言わされた』と言ったような予想外の顔をしていた。

『……確か、澤村が同窓会があったとか言う休暇の時に……。中学時代の同級生の方だと聞かされていたのですが』
『その通りです、大佐。ですが、澤村中佐とは今回は仕事でのお付き合いですから、そこはあって無い物と二人でいつも言っておりますから』
『そうでしたか』

 葉月が、なにか悟ったかのように隼人をチラリと見たが、それだけだった。
 葉月は佳奈に『それでも、同窓生なら、澤村をよろしく』だなんて結んだ後はそれきりで、佳奈も女性らしい柔らかい笑顔を葉月に見せただけだ。

 不思議だった……。
 佳奈は葉月のような女性を毛嫌いするかと思ったのだが……? そうして、葉月に声をかけられた途端に、肩の力が抜けたようにして常盤と葉月の会話を、笑顔で見つめていたのだから。

 とりあえず──葉月との対面も無事に終わった。
 大佐室を出た後の常盤は何故か大興奮で、『いやー、良かった。大佐嬢』と妙に満足そうだった。

 明日は、朝からあるビーストームの訓練見学だ。

 

 そんな一日を思い返しているうちに、丘のマンションに辿り着く──。

「ただいま」

 そんな声を出すと、それに合わせたように廊下の角からジーンズ姿の葉月が現れた。
 やっぱり週末のアレは、隼人にとっても夢だったか──と、思うぐらいにいつもの格好の彼女だった。

「おかえりなさい。今日は一日、忙しかったでしょう?」
「ああ。でも、やっと小笠原に帰ってきたから、今夜はゆっくり出来そうだな」
「ご飯、出来ているわよ? 先に食べる?」
「……」

 週末の女性は夢だったかも知れない。
 隼人はそんな風に、いつものキャミソールの上に薄手のカーディガンを羽織っているジーンズ姿に戻った葉月を見下ろしたのだが。

「なに……?」

 隼人の妙な視線に気が付いたのか?
 葉月が ふと、眼差しを伏せ──そっとカーディガンの合わせを胸元に引き寄せた。
 鎖骨が露わになっているあたりの肌が、妙に目に付いたのだ。
 隼人がそれをみつめているのに葉月も気が付いて、ふいに恥じらったようだ。

 いつもの格好なのに変だな──と、隼人の方が思ったが、そのまま見下ろしていた。
 姿は同じだが、雰囲気が変わっている気がした。
 それだけじゃなく、嗅ぎ覚えのあるようなほのかな香も感じる。
 それがその肌から漂ってきているようで……? それとも、さらりと彼女の肩の下で揺れた栗色の毛先からだろうか?

「ご飯にしましょう」

 サッと、彼女が身を翻すように行ってしまった。
 まるで逃げるようだったので、そこで隼人もハッと我に返る。

「やばいな、俺」

 やはりまだ、夢から覚めていないか──と、隼人は頬をさすった。

 

 彼女と一緒に夕食を終える。
 隼人は林側の部屋に入り、旅行鞄に詰めていた私服の一部をこの部屋のクローゼットに置いていく事にする。

「お茶にする?」
「ああ、うん……そうだな」

 部屋の入り口から、そんな彼女の声。
 隼人は背を向けたまま答え、そのままクローゼットに向かっていたのだが、彼女の気配がそこから去っていかない気がしたので振り向いた。
 やはり葉月はそこにいて、隼人をジッとみつめているのだ。

「どうした?」
「ううん……」

 でも、そこにいる。
 暫く、そうして二人で向き合っている内に、やっと葉月から口を開いた。

「帰るでしょ?」
「あ、ああ。また明日からお客さんと仕事だから。それから──今週はもう来られないと思う」
「分かっているわよ」

 『来られない』──そう言うと、葉月は隼人の官舎にも顔を見せなくなる。
 隼人が口に出して『今週はダメ』と言えば、それは逆に官舎にいても『忙しい』事を意味しているのを分かってくれているのだ。
 それでも彼女が来たなら迎え入れるつもりはある。

「でも、来ても良いぞ」

 前なら『忙しいから……』という一言それだけで、彼女を信じて流していただろうが──でも今度はそんな彼女に、そこは一言、言っておく。

「お前は静かだから、側にいても大丈夫だ」
「うん」

 安心したように葉月が微笑む。
 それでも今週はもう官舎にも来ないだろうな──と、隼人は思った。
 彗星システムズの事で頭が一杯になる事ぐらい、葉月も分かるのだろう。
 逆に、葉月が空母艦の事で頭が一杯の時は、隼人が静かにしているのだが。

 本当に来ても、まったく構わない。
 葉月は、とても静かだ……。
 仕事ではあれほどに周りを振り回したり、騒々しくも皆を巻き込んで前に行ってしまう素晴らしいエネルギーを持っているのに……。彼女は一人になったり、隼人と二人でいると、本当に急に静止したように静かなのだ。

 隼人の部屋に来ても、葉月は音楽を聴いてぼんやりしている事が多い。
 隼人の物がこの林の部屋にまた増え始めてきたように、隼人の部屋にも葉月の音楽CDなどの置き私物が増えてきていた。
 ああ、そうだ。近頃は、小説を根気よく読んでいる姿もたまに見るようになっただろうか? と、隼人は少しだけ可笑しくなって笑いをこぼした。
 葉月はそれを長い時間は読む事が出来ないのに、それでもなんとか読もうとしているその姿が可笑しいのだ。
 そして『解らない、解らない』と唸っているかと思えば、『怖い、怖い』と泣きそうな顔でページをめくっている時もある。
 この前、一冊読み終わった時の感想は──『もう、いい』だった。
 右京の趣味はどうも刺激が強かったようで、げんなりしたようだった──。しかし、隼人でも気になる一言があった。──『私も、怖い人間の一人ね。沢山の考えを持っている人がいても、いつのまにか自分が知らない内に、どれかの怖い残酷な人になったりするんだわ』──窓辺で遠い目を馳せつつも、そこには輝きを失わないしっかりとしている葉月がいた。どんな自分でももう負けない、受け入れていく事を決めた彼女の強さを見た気がした。
 一時して、隼人の部屋から、そんな小説達は姿を消していった……。

 さらに葉月は相変わらずに、隼人がふと気が付くと寝入っている事がある。
 そしてやはり隼人と違って平日は泊まっては行かない。
 そこは他の隊員達の目がある官舎である。人目に付かないうちに大佐嬢として去っていくのだ。

「また木曜日は出かけるつもりだから。良かったら息抜きに来てみたら?」
「そうだな」

 部屋でゆっくりと会う事が出来ない時は、そうして外で会話だけ楽しむのも新しく出来た習慣。
 二人だけでなく、そこにはミラーという先輩もやってくるから、プライベートという時間の全てが『恋人のみ、一色』になることもなく、ちょっとした上手い変化が生まれたりするのだ。

 小笠原でのそうした数々のスイッチ。
 それを上手く使い分けて、恋人と付き合っていく日々が帰ってきたのだ。

 そう思うと、本当に……週末のあの時間は『夢だったなー』と。この隼人ですら思ってしまう。
 なんの邪魔もなく、隼人自身もそれだけになりきれたというか集中することが出来たというか。

「カフェオレで良いわね」
「ああ」

 葉月が柔らかい微笑みを浮かべ、長くなった栗毛の毛先を流して消えようとしていた。
 週末の夢──。
 新しい甘い匂い。
 熱い肌──。
 それらが全て、鮮烈に蘇る……彼女の姿。

「!」
「……葉月」

 まただ。また……いつのまにか、彼女の背に抱きついていた。
 この前からそうだ。隼人は時々自分の意識がないままに彼女を抱きしめてしまっている時がある。
 そうして葉月を抱きしめたまま、入り口から部屋の中へと力強く引き込んでしまっている!

 そうだ。玄関で彼女を見た時から、既に『我慢』をしていたのだ。
 知らぬ内に彼女を欲し、今にも手にかけたいのに、グッと堪えた記憶がおぼろげに残っている。
 身体の奥で疼いた男の本能を、そこで必死に抑えた『理性という本能』が、そこでは勝利を収めたのだが──。だが今ここで、隼人が知らぬ内に男の性が逆転勝利を収めてしまったようだ!

「は、隼人さん──!? ちょっ・・・」

 驚きの反動だと思うが、葉月が隼人の腕の中でもがいた。
 でも──それは意外にも、ほんの一時、僅かだ。

「もう少しだけ、お前が欲しい──。これで今回は締めくくりだ」
「あ……っ」

 かすかに彼女が呻く。
 その時はもう、窓辺のベッドに彼女を寝かせ……いや、放り投げたと言った方が良いかもしれない。
 それぐらいに強引でも、葉月は隼人の力が働く方向に、かなり従順だ。
 彼女に噛み付くように襲ったというのに、葉月は大人しく隼人の背に抱きついてきた。
 そして──その腕を強く絡めて離さなくなり、彼女の唇も熱帯びて情熱的になってくる。

 ベッドに瞬く間に散らばった衣服。
 波打つ白いシーツの上で戯れ、重なり合う身体。

 窓辺に見える雑木林の葉が、夏の夜風にさざめいている……。

 

 そして隼人を狂おしくさせる熱風が、身体の芯から頂点へと駆け抜けていく。  彼女の湿っている柔らかな肌からも、その熱気が湧き上がり、隼人がさらうように連れていった先で、ふっと鎮まった。

 

「この前から、この匂いが消えないな……」
「……そう?」

 枕を背に腰をかけている隼人の上に、彼女が座っていた。
 目の前にふっくらとした柔らかみを見せる白い乳房──。
 その先端には紅桜のような胸先が、つんと隼人に向いていて、まるで誘っているようだ。
 その誘い通りに、隼人は彼女の小尻を愛でていた手を、くびれた腰の線をなぞりながら、誘われるまま向かわせる。そしてその誘われた二つの丸みに辿り着き、そっと形を崩さないような柔らかさで静かに包み込みながら押し上げる。そして仕上げに、紅桜には静かに口づけ、それぞれに甘噛みを施した。

 彼のそんな仕草を、彼女は慈しむような微笑みで見守っているだけ。
 そして、彼の手が落ち着いた所で、ふっと満足の笑みをこぼし、隼人の両手首を握りしめてきた。
 彼女の乳房を柔らかく包み込む男の手と、その男の手を慈しむように手放さない女の手。
 俯いた長い栗毛の影に隠れそうな中で見える、とても透き通った笑顔が、その交わる手と腕の光景を幸せそうに見下ろしている。

 葉月のその時の笑顔は、とても綺麗なものだから──隼人はただ見入っているだけだ。
 そんな隼人の心情を知ってか知らぬか判らないが、葉月が柔らかに囁いた。

「今日は久し振りにカボティーヌ」
「うん、気が付いていた」
「それとも……その匂いって、この前、言っていた匂い?」
「ああ。そうだ──女の甘い匂いだ」

 隼人は恥じらうことなく、意のままうっとりと、葉月の胸の谷間と乳房の合間に頬をすり寄せた。
 そこから、本当に甘い匂いがする。
 ひどければ『むう』とする鼻につく匂いにもなるし、少なければ簡単にトワレに消されてしまう微妙な物もあるし、肌を露わにしてくれてもまったく匂わないというのもある……そういう独特なものだ。
 今までの葉月がどうだったかというと、全くない訳でもなかったが、隼人がそれに参るほど鮮烈になる事もまったくなかった──そんな気にならなかった程度だ。
 それがこんなに絶妙な匂いで、強く立ち込めるだなんて──よっぽどだ。と、隼人は思っている。
 それは葉月が存分に発揮出来るようになったのか。それとも、隼人が敏感に嗅ぎ分けられるようになったのかは判らない。
 すると、『それがどういう物であるか』──隼人だけが分かっていて、彼女には分からないだろうと思っていたのだが、ふと気が付いたかのように葉月が呟いた。

「私の、気に入ってくれたの?」
「え?」
「ちゃんと『女』になっている?」
「……あ、ああ」

 葉月の瞳が、どうしたことかとても緊張したように、でも切なそうに熱っぽく揺らめいた。

「隼人さんが今まで愛してきた女性と同じように……ちゃんと『女』になっている?」
「……葉月」
「私も、同じ匂い? それとも、それぞれ違うの?」

 彼女の口から……初めて『過去』を探られた気がした。
 だから一瞬、流石の隼人もドッキリとしたのだが、でも、次には笑っていた。

「そうだな。『本気』も『いい加減』も──どの時期の時でも、微妙だったり、きつすぎたり、色々だったさ」
「やっぱり。遊んでたのね。だから『匂いがする』なんて、妙なことを感じ取れるのよ! 私、隼人さんが『慣れすぎている』って、分かっていたんだから」
「……みたいですね? そんな事に勘づいたということは、お前があのお兄ちゃま軍団を見てきた、おませなオチビさんだったからだろうな?」
「違うわよっ。隼人さんの手が、この手が教えてくれたんじゃないの? これが一番の証拠だわ」

 彼女の乳房の感触を楽しんでいた手を、まるで逮捕されるように彼女に持ち上げられた。
 それを隼人は何食わぬ顔で、お嬢さんの得意げな顔を見上げ……。そして、隙をつくように強引に、彼女を後ろに押し倒し組み伏した。

「……きゃっ」
「どの手だって? どうして俺のこの手が『証拠』なんだ?」
「や、やめっ・・て」
「証拠の訳を聞かせてもらおうか?」
「・・・そ、それはっ」

 彼女を苛めるように、あちこちに吸い付いた。
 ところどころ、きつく吸ったので赤い跡が浮かび上がる。
 最初こそは、直ぐに許してもらえるような顔をしていた葉月だが、意外としつこい隼人の攻めに、次第にどうしようもない色めく顔に変わっていった。
 そこで隼人も、やっと手を緩める。
 シーツの上で、息を切らしている彼女に──今度は許しを乞うような柔らかい口づけをする。

「お前が、今までの中で一番……甘くて強い」
「……本当に?」
「一番、鮮烈に薫るから……。今夜だって、俺を……こんなにしただろ」
「……私だって。どれだけ困っていたと思っているの?」

 葉月が小さく呟いた。──『ある時から、あまりにも気持ちよすぎたんだから』──と。
 そしてそれに素直に落ちていきたいのに、落ちていくのが怖かったのだと。
 隼人の脳裏に、頑なに反応を拒み、恥じらうような様子を見せつつも、実際はもの凄く敏感に感じ取っていた戸惑いの狭間に揺れていた葉月の、硬く冷たい身体が思い起こされていた。
 でも──今はこんなに柔らかで、それでいて熱く、そして匂い高い。
 そんな彼女の身体を、隼人は再び、両手で優しく撫でる。

 でも、こんなに彼女の肌が甘く熱く感じられるのは、葉月の体質ではないと隼人は思っている。
 これはきっと、隼人が強く求め、そして求めた彼女から強く愛された時に感じる事が出来る『特別なもの』なのだと──。

 俺は愛されている──。
 そして彼女は俺を愛している──。
 だから感じられる物──。

「でも、これで夢は終わりだ」
「そうね……素敵だった」

 鼻先と鼻先をそっと合わせ、二人で微笑み合う。
 熱い週末を過ごし、そして今夜、夢の締めくくりに愛し合った。
 そして、また──明日から、二人で風の中に向かうのだ。

 そんな事をお互いに確認し合うように、見つめ合っていた。
 もう甘い眼差しではない。
 二人で励まし合うような、強い輝きの眼差しを絡め合い、そっと元気づけるように唇を重ねた。

 彼女が望んでいるだろうと、隼人は、彼女の栗毛を頭の先から頬まで撫でる。
 そして、彼女も隼人が望んでいる通りに──優しく背中を撫でながら、最後にはきつく両腕をめいっぱい使って抱きしめてくる。
 その時に伝わってくる葉月の身体の柔らかさに、そして……熱い肌。潤む透き通るガラス玉の瞳でまっすぐに見つめられ、そして……愛らしく崩れる微笑み。
 この感触が、隼人の心を満たしていく。

「次まで──また」
「また……ね。貴方」

 最後にもう一度繰り返す、甘すぎるキス。
 それが、今回の夢の締めくくりだった。

 こうした熱愛を心と身体に刻印し、また──風の中に立とう。
 これから、立つ場所がお互いに違っても、違う方向からの風を受けても……。
 それでも、もう、この熱い思いを胸にエネルギーに、二人一緒に生きていけるはずだから。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 気のせいか、甲板で吹いている潮風がひりひりする気がして、葉月は首元をさすった。

 今日も、灼熱の太陽。
 甲板には揺らめく蜃気楼。
 それだけでも熱そうに見えるのに、戦闘機が大きなエンジン音を唸らせながら噴射口から炎を揺らめかせている。
 その熱気、全てが葉月が立っている位置にまで吹き込んでくるのだ。

 紺色のキャップのひさしを、きゅっとサングラスをしている目元まで引き寄せる。
 キャップの頭回りを調節するベルトを留めると出来る穴に、一本に束ねた栗毛を通しているのだが、それも湿った熱気を吸っているように、重くはためいていた。
 そうしてただでさえ、汗が滲むのに──今日は、訓練着の首元が開けられない訳がある。

(はぁ……。やってくれたわよねぇ……)

 そのひりひりする感触がある首筋を撫でる。
 それほどにひどくないかと思ったが、やはり首元を開けると、その『あざ』は結構目立つ物だった。
 隼人が付けた昨夜の印……。口づけの跡。
 朝も制服に着替える時に『これは』と、鏡に映る自分に目を見張ったが──。
 それでも重厚な襟をもつ飛行服に着替えれば、見えないだろうと思ったが大間違いだった。
 今日はあきらめる。ぴっちりと首元まで襟を閉めて暑さに耐える事にしよう……。

「嬢」
「は、はい。中将」

 細川の重厚な声に呼ばれ、葉月は我に返り、背筋を伸ばした。

「どうだろう。今日からミラーと組んでみてはどうだ?」
「え……?」
「劉達にはコリンズについてもらう」
「!」

 細川のその提案に、葉月は言葉を失った。
 勿論、ミラーと組むという、光栄な事に……!
 しかし、以上に! そこは『細川と交代する』と言うようにも聞こえてしまったのだ。

「ミラーは二つ返事でOKだった。是非、お前とやりたいとね」
「中佐が……」
「コリンズはコリンズで、お前と対戦式で、お前から独立した指揮をしてみたいとかなり意気込んでいるが? お前はどうかね?」
「どうって……」

 どうやら周りは固まっているようで、細川は葉月に最後の意思確認をしているようだ。
 葉月は輝く笑顔を彼に見せる。

「……是非! お願い致します」
「そうか。よし、分かった!」

 何故か、珍しく……細川が満足そうな笑顔を見せたので、葉月の方が驚いた。
 また『おじ様』が遠く見える気がして、葉月は隣にいる細川をそっと見上げた。
 彼は青い空を見上げ、そこに微笑みかけているように見えた。
 そんなおじ様が、空を仰いだまま、ふと話し始める。

「嬢──」
「はい」
「トーマス大佐とは、少しは話したのか?」
「……いえ。まだでございます。今は補佐達に連絡は任せておりまして」
「そろそろ連絡をいれなさい」
「は、はい……」
「辛い事を思い出すのだろうが、それでも『その時』にお世話になった恩師だろう?」
「はい……」
「彼は教え子のお前の行く末を……ずっと案じていたそうだ。『あの子はいつか死ぬでのはないか』と、教え子の中にそんなパイロットを送り出したのではないかと、ずっと……気にかけていたそうだ」
「!」
「できれば、教え子として連絡をしてあげなさい」
「は、はい……分かりました」
「連絡をしたなら……。その後は、私の所にも来なさい。話がある」

 細川は、いつにない柔らかな口調でそれだけいうと、佐藤大佐と梶川が控えている後方に去っていってしまった。
 彼の背を見つめる事しかできない葉月は、細川の『話がある』に、暑さを忘れさせられるぐらいに『ひやり』とした。

 後継うんぬんの話ではないだろう。
 そんな話が『もし』あるとしたら、まだ出だしに違いない。
 もっと他の話だ。
 実際、葉月としては『もの凄いタイミングだ』とすら思った。
 細川には『読まれている?』と思った冷や汗が滲んでいた。

 まだ……隼人にすら、匂わせていない事がある。
 でも──そろそろ、何処かで引っかけられて『言ってしまうだろう』という予感が自分自身であった。

「お連れしました。宜しくお願いします」

 赤いメンテ服を着ている隼人が、艦内から彗星システムズの一行を連れ添って現れた。
 葉月は、まばゆい彼を遠く見つめる──。

 葉月の中に、誰にも言っていない『決意』がある。

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