-- A to Z;ero -- * きらめく晩夏 *

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12.噂の魔力

 食事は、若い隊員が良く集まる基地内にある『倉庫バー』だった。
 片隅のテーブルで、数名ずつ向き合って座り、リーダー格のテッドが軽食を何点かオーダーして落ち着いた所だった。

 テッドと柏木君。
 そして、テリーとクリストファー。
 空軍管理からもう一人、定岡君も海野中佐に選ばれた一人だった。
 後輩の中から木田君や、経理班からは河上大尉の長年の後輩にあたる笹川さんも『海野秘書チーム』に選ばれ、他にも陸部からも山中中佐の後輩が数名抜き出されていた。だが、『同期生』となるとこのメンバーになる。

「マーの提案で集まった訳だが、今夜は気楽に行こう」

 リーダー格になりつつあるテッドが最初にそう言うと、誰もが『そうだね』と頷いて、和やかな雰囲気で夕食を楽しんだ。
 急に海野中佐が始めた『秘書室並みのチームを……』と言う試みにメンバーとして選ばれた驚きや感想などを、皆がそれぞれ伝えあったり、会話もそれなりに弾んでいた。

 だけど、『本日の名目』は、もっと違っていたはず。
 このままの『同僚同士の食事会』で終わってしまうのか? 小夜がそう思った時だった。
 和やかな会話の空気を、テッドが急に変えた。

「なあ、クリス。甲板で指揮補佐をしていて、大佐の様子で変わった事とかないか?」
「え? ああ、まあ……。ないと言ったら嘘になるけどな?」
「なんだ? 俺達には言えない事なのか? これでも俺達、大佐達とはかなり密着していると思うけどな」
「……まだ業務としてどうしていくかというのは、職場で周知されていないからさ……。俺が一言、聞きかじっただけではね」

 テッドが溜め息をついた。
 だけど、気を取り直したようにもう一度、クリストファーに向かったのだ。

「……大佐が甲板指揮に携わるようになって、直に一年だ。だけど、あの人、『コックピットにいつ戻れるのだ』と、騒がないな? と、思ってさ」
「ああ、そういうことか。そうだな〜? それは俺にも分からないな」
「ん? そこは分からないけど。他に気になる事があるのか?」
「え? ああ……うーん」

 クリストファーは迷っているようで、そこを見抜いたテッドが席を立って、向かいに座っている彼に詰め寄った。

「言え。マーがこうして集めてくれたのも、『これからは上に指示されてから動くのではなく、察知して動けるように連絡を取り合う』だ。良い考えだと思って、こうして集まったんだからな」
「うーん……。そうだよなあ」

 そこでクリストファーは、迷いを捨てたのか、思わぬ事を言い出した。

「澤村中佐が、『メンテチームを引退したい』と、言い出しているみたいで──」
「それ、本当か!?」
『!?』

 テッドは勿論、他の皆も驚いた顔を。
 当然、小夜も……だ!
 あの隼人が、メンテ員をやめるだなんて──!

「聞きかじりだし、正式に報告されていないみたいだから、まだ分からないけど」

 クリストファーのそんな報告。
 それは誰よりも大佐嬢の側にいるテッドが一番、驚いていた。
 勿論──他の皆も言うまでもないが……。
 するとテッドが思い出したように、柏木君に振り返った。

「マー、今日、集まって正解だったな」
「ああ。なんとなく、様子が変わった気がしていたんだ」

 どうやら、大佐室を出入りしている二人は気が付いていたようだ。
 特に柏木君が。だから『皆で様子を把握して連絡を取り合おう』と思いつき、そこに気が付いていたテッドも『良い考えだ』と賛成し、今夜の集まりに至ったようだ。

「そうだな。俺も──こういう事を一人胸の内に収めているのが良いのか悪いのかとも思っていたし。こうして今後はどうしていくべきかを話し合える仲間がいるのは良いよな」

 クリストファーは、誰にも言わないようにしていた分、ホッとしたようだ。

「そういう事だ。上から『こうする事に決めた』と驚かされてからでは遅いと思わないか? だからこうしてちょっとの事でも報告し合おうじゃないか。特にあの『大佐嬢』──毎回、慌てさせる事ばかり言ってくれるからな。これからは少しは余裕が持てるように、俺達もこうして察していかないと……」

 流石、リーダー格のテッドがそこはまとめようとすると、皆も異議なしとばかりに頷いた。

「担当部署は違うが、せっかく一緒に選ばれた俺達だ。こうして力を合わせて、俺達も大佐室の三人のように頑張っていこう」

 テッドのまとめに、さらに皆は強く頷く。
 今度、皆で揃えていく姿勢を確認しあう事が出来て、集まったメンバー同士の中で一つの連帯感が生まれた気がした。

 今夜の『名目』がひとつ達成出来た為か、そこで今度はいつも快活なクリストファーが話を明るく変えていった。

「吉田もあっと言う間に『大佐室業務』になったよな。すごいよな〜」
「そ、そんな。やっぱり……その、御園大佐と澤村中佐のおかげで、私は全然……」

 いつも快活なクリストファーだからか、彼がそう言ってくれると嫌味には聞こえない。だから、小夜はかえって恐縮してしまっていた。
 クリストファーは知っているのだろうか? 小夜がどんな風にして、大佐室の仕事をさせてもらえるようになったのか……を。
 だけど、もし知っていてそう言ってくれたのだとしても、本当に嫌味には聞こえないサラッとしている爽やかさがあって素直に聞ける。
 そんな彼が話を始めると、あのテッドもテリーも、楽しそうに笑うのだ。
 そして小夜は、柏木君をチラッと確かめてみる。──『調子に乗るな』──と、夕方に言われたばかり。大佐室に出入りするようになった小夜の事を気に入っていないようだから、こうしてそれが他の人に認められている様子も彼は気に入らないかも知れない……と。
 でも、彼はそんな話題には触れないとも言えそうな素っ気ない様子で、ビールを呑んでいるだけだった。

「でも、テリーの復帰は『やっぱり』だったよな」

 そう言いだしたのは空軍管理官の定岡君。
 彼は御園大佐が空軍管理長をしていた頃から、彼女と並んで管理をしてきた一人だ。
 そんな定岡君から『本部復帰』の話題をふられたテリーは、ただ静かに微笑みを浮かべただけで返事はしなかった。
 だけど、そこで急に柏木君が割るように入ってきた。

「当たり前だろ。テリーは元々『大佐室』で、もっと前に活躍していたはずなんだ」

 大人しい彼が、強い意志を込めて言い放ったように聞こえた。
 その為か……皆が、急にシンと静まりかえる。

「マー。やめておけ」

 テッドがいつもの落ち着きで、そっと彼をなだめている。
 だけど柏木君は、そのテッドの落ち着き振りが余計に気に入らなかったのか? いつにない感情を露わにした激しい表情で席を立ち上がったのだ。

 そして──! その彼が憎しみを込めるように見下ろしたのが……。

(私──!?)

 彼のその眼差しの行く先を知ったテッドも慌てて立ち上がった。

「マー。今でなくてもいいだろう!」
「嫌だね。こいつが何も知らない顔で、『私、頑張っています』と、それだけで認められると平然と思っているのが……許せないんだ!!」
『!』

 テッドの制止を振り払って、彼が小夜に叫んだ。
 だけど──! 小夜も立ち上がって、彼に向かう。

「私、自分がやった事は反省しているわ! だから何を言われても仕方がないと思っているけど、そういうの頑張って挽回するって事は許されない事なの!?」

 ……限界だった。
 上司になった隼人にも『血の気が多い早とちり』と、良く言われる。それに自分がやった事に反省をしているからこそ、何を言われても『仕方がない』と、冷ややかな視線にも耐えてきたつもりだったのだが、もう、今日は駄目だった。
 だけど、向こうもいつもの『大人しい性格』を突き破って向かって来ているせいか、そうそうは収まらないようだ。

「挽回? もう『遅い』と言ってやりたいね!」
「遅い? いったい、何の事?」
「ほおら! なにも気が付いていないのが、また『おめでたい』ってもんだよ!!」
「!?」

 彼は小夜に対し、かなり嫌悪を抱いているのは明らかだ。
 だけど、小夜には本当に思い当たらない。
 彼と親しく話した事だってないし、彼に恨まれるような事を間接的にでもした覚えがない。

 そんなふうに困惑している小夜を傍目に、テッドは勿論、テリーまでが慌てて柏木君を止めようとしていた。

「やめなさいよ。マー! 小夜が悪いわけじゃないでしょう?」
「そうだ。マー! これ以上は『タブー』だろ!?」

 『タブーってなに?』と、小夜は眉をひそめた。
 テッドは妙に慌てているし、テリーさえも焦っているように見える。

 そのテリーが『マー!』と言いながら、小夜をかばった途端に、彼の目がさらに燃えるように小夜を突き刺してきた。
 そして……ついに彼は、今まで抑えていた怒りがあったのか、それを抑えていた留め金が外れたかのように小夜にぶつけてきた!

「適当に職務についている女隊員達の気ままな『噂話』の顛末を知っているか!?」
「……な、なに?」

 噂話なんて、OL生活ではなくならないもの。
 誰だってする事で、何故? 彼がそんなに怒っているのか分からない。

「マー! 駄目だ! それ以上は、上官の……」
「マー! やめてっ! あの話は……!」

 テッドとテリーは、もの凄い焦りようで柏木君の口を止めようとしていた。
 だけど、それを遮って、彼『マー』が叫んでしまった!

「お前達がたてた噂のせいで、テリーは殺されかけたんだぞ!」
「え?……」

 小夜は目が点になった。
 もっと言えば、笑い出したくなったぐらい。
 そんな『噂』から、そんなことなんて『あるはずがない』じゃないかと──。
 だか、その気持ちになりきれなかったのは、柏木君は本当に怒っていると伝わってくるからだ。
 彼がさらに言い放つ。

「テリーが遠野大佐の『愛人』だという噂を聞いてしまった大佐の奥さんは、テリーを……刺そうとしたんだ!」
『!』
「そして、刺されたのは、テリーをかばった御園大佐だ! 大佐が怪我で入院している時でもアンタ達は『女中佐の気まぐれ、大佐のお気に入りで好きな時に休んでいる』と陰口をたたいていたよな!?」
「……あの時の!?」

 『思い出した』──!
 あの頃、経理班の女性は、皆……当時中佐だった御園大佐と、テリーを起用して大佐室の戦力にしようとしている遠野大佐の事を非難していた。
 その女性先輩達は、今はもう、小笠原にはいないけれど……。でも、確かに、小夜もあの頃はそんな先輩達と一緒に、頷いていたのは確かだ。

 だけど──。
 それが……!?
 小夜の頭に、ガンガンとした大きな音が叩きつけるように鳴り始める。

「もしかしたら……。取り返しがつかない事件になったかもしれない! もしかしたら……。テリーが刺されていたかも知れない。もしかしたら……。大佐が死んでいたかも知れない! そういう極限に人を追い込む事を平然とやっておいて? 今更、『大佐の為に頑張ります』だって!? 冗談じゃない! あの後、テリーが……」
「マー! やめて!!」
「テリー……。俺は、ずっと黙って頑張ってきたお前がいたたまれなくて……。なのにこの調子の良い女に『不当』に並ばれても黙って受け入れて。だから!」
「マー。貴方のその気持ちは嬉しいわ。だけどね……」

 周りが見えなくなったかのように、柏木君とテリーは二人きりの世界に包まれたような言い合いを始めると、それにもテッドが慌てて割って入ってくる。

「これ以上、その話をするんじゃない!」

 どうやら、この三人は『その出来事』でずっと繋がっていたようだ?
 だけど──小夜はそんな事はどうでも良い。
 頭がガンガンとしたまま、目の前の光景は真っ白も同然の状態だ……。

「あの時……私も、そう言った……。うん、言ったわ」

 茫然としている小夜の弱々しい呟きに、言い合っている三人がふと黙り込んだ。

「うん……そういった。私、帰る。ここにいちゃ駄目ね」
「小夜……? あのね、貴女は……」
「もう、いいのよ!! 私はやってはいけないことばかりやってきたバカだって、よく分かったわ……!」

『サヨ──!』
『ヨシダ──!』

 小夜はなりふり構わずに、そこから飛びだしていたようだ!

『奥さんがテリーを刺そうとした』
『テリーは殺されそうになった』
『そして、刺されたのは大佐だった……』

 外は満天の星。
 少しだけ涼しい風──の、はずだが、小夜にはまったくそんな事を感じる余裕はない。
 一点だけが見えていた。
 まっすぐに、まっすぐに、そこに走っている……!!
 だって、もう、そこにいかなくては、本当の事が分からない気がしたから……!

 向かっているのは……皆が『お嬢様マンション』と呼んでいる葉月の自宅。
 『丘のマンション』だ──!

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

──ピンポン──

 ちょうど、一人きりの食事を終えたばかりの葉月が、片づけをしようとキッチンへ向かった時だった。
 こうしてチャイムが鳴るということ自体が珍しい。
 鳴るというなら、葉月の部屋へ出入りすることが出来る家族か恋人が、カードキーを使った時に鳴る音の方が多い。
 もし……鳴るのなら。

(達也かしら……?)

 そんな可能性があるのを思い浮かべつつ、『今の彼なら、連絡無しに訪ねては来ない』と思う葉月は、ちょっと不審に思いながらインターホンの受話器を取った。
 インターホンはカメラ付きで、オートロック前にやってきた訪問者の映像が映る。
 だから受話器を『がちゃり』と手にし、映った人物を一目見て、葉月は自分の目を疑った。

(よ、吉田さん?)

 制服姿の黒髪の女性が一人。
 泣いているような顔でこちらを見ている。
 流石の葉月も『状況判断』が出来ずに、固まっていた。
 あまりにも訪問者が少ない自宅だけに、まったく可能性のない人物が……もっと言えば、プライベートには絶対に近づかせない『部下』が自宅に訪ねてきているのだ!?

 本当にこんな事は初めてだ。
 とにかく、何度、考えても……。
 流石の葉月も『思い当たることがない』だった。

 もしかして? 隼人が、ここにいると思ってきたのだろうか?
 『私に用』はまず、あり得ないはず?
 どちらを訪ねに来たとしても、それは『上司宅』への訪問だから、余程のことなのだろう?

 そう思って葉月は、深呼吸の末にやっと一声。

「吉田さん?」

 何故か……その次の言葉が出てこない。  だが! 小夜の方が待ちきれなかったかのように叫んできた。

『大佐! お願いです! 聞きたいことがあるんです! 私の話を聞いて頂けませんか!?』
「! 私……!?」
『お願いです! どうしても聞きたいことがあるんです』
「……な、なに?」

 上司の隼人ではなく──『私』に用事があると分かり驚く葉月。
 それでもやっぱり『思い当たることは……』。いいや、可能性が二つ浮上した。

 ひとつは、考えたくはないが『上司である隼人と何かがあった』。
 もうひとつは、テリーの過去が蒸し返される何かが起こったのか。
 しかし隼人にしてもテリーにしても、冷静に対処する質だ。小夜をここまで追いつめる事まではしないと思え、どちらの場合もこんな事が起こりにくいと葉月は思う。
 だけど、今の葉月に思い浮かんだ『動機』は、それしかない。

 それに『部下としては訪ねにくい上司の自宅』に、あんなに思い詰めた顔で彼女は来ている──。

「そこにいくわ。待っていてね」
『はい』

 返事は、固い意志を感じさせるはっきりとしたものだった。
 彼女も葉月と面と向かうまでは『帰らない』と言った覚悟が、葉月にも伝わってきた。

 自宅で一人きりだった為に、葉月はキャミソール一枚で歩き回っていたのだが、その上に薄手の黒いカーディガンを羽織って、ボタンを胸元まできっちりと閉める。
 その姿で玄関を出て、エントランスまで向かう。
 初めての訪問者を部屋に迎え入れるとしたら、出迎えに行かないと、一人では三階にまでもあがれない。
 そんなシステムを家族が作ってしまい、そして管理人夫妻が、がっちりと守ってくれているから……。

 エントランスに出ると、オートロックがある自動扉の向こう側に、小夜がたたずんでいる。
 内側にいる葉月がドア前に立てば、自然と自動ドアが開く。

 その途端だった──!

「大佐! 本当なのですか!?」
「え?」

 彼女が葉月の胸に飛び込んできたのだ!
 小柄な小夜が葉月に飛びつくと、小さな女の子みたいだった。
 まるで何かの助けを求められるように飛び込まれた葉月は戸惑い、でも……そんな女の子をしっかりと受け止めてしまっていた。

「大佐、私……私が……」
「──?」

 小夜は明らかに興奮状態で、周りの何もかもが見えなくなっているように葉月には思えた。

「ど、どうしたの?」
「……!」

 葉月は驚きつつも、何事かと彼女の顔を覗き込んだ。だが目が合った瞬間と言っても良いのだろうか? 彼女が急に目が覚めたように、ふっと顔を逸らしてしまったのだ。

「あ、あの……」
「うん、なに?」

 葉月が動揺しても仕方がない。
 ここは状況が判らない分だけ、まだ落ち着いていられる。
 だから、静かに──いつもの大佐室にいる自分と同様の口調で、応答はしてみるのだが。

「あの……」

 葉月と接触したからか、彼女の熱が急速に冷めていくように見えた。
 『私』に触れて気持ちが落ち着いてくる程のことが、『どの可能性の件』かは判断つきかねたし、他の可能性であるならなおさら見当がつかない。

 だけれど……小夜は、とても辛そうな顔で俯いたまま。
 そのまま泣き出してしまったので、葉月はなおさら困惑した。

「まあ、どうしてしまったの?」
「す、すみません。でも……どうしても大佐に会いたくて……。でも……」

 彼女も自分がどうなっているのか、よく分からないのだろう。
 葉月はそう思った。

 そうして、葉月が戸惑いながら『どうしたものか』と迷っていると──。

「大佐、本当に、ごめんなさい!!」
「!!」

 エントランスに響き渡る大声……いや、泣き声で小夜がついにわんわんと泣きだしてしまったのだ。
 これには葉月も、流石に狼狽えた。
 この状態で、『だったら車で近場のカフェでお話をしましょう』も『明日聞くから、今夜は帰りなさい』なんて、とってもじゃないが言えない。

「わ、分かったわ。いらっしゃい」
「う……うう。す、すみません……」

 小夜の肩を優しく撫でて、葉月はそっとエレベーターに連れていった。

 エレベーターに乗っても、小夜は俯いたまま、めそめそとすすり泣いてばかり。
 家族が作ってしまった『離島に不似合いなセキュリティ』の様子にも気にならないぐらいに、まだ一つのことに囚われっぱなしの様子。
 こんな客も初めてだ。

 そして内部の玄関で『どうぞ』と迎え入れたのだが、小夜は『お邪魔します』と小さく応えただけで、靴を脱いでもまだ俯いている。

「お茶を入れるから、そこに座っていて。一息ついてみましょう。丁度、私も夕食後でお茶をしようかと。だから、散らかったままで、ごめんなさいね」
「……!」

 やっぱり──。リビングに連れてくると嫌でも大窓の景色が目に入ってしまう。
 小夜はそこに釘付けで、ドアの前で硬直していた。
 だが、それがかえって効果的だったと言って良いか解らないが、あんなに泣いていた涙は止まったようだった。

「し、失礼致します」

 急に、いつもの職場での彼女に戻った気がした。
 大佐室で緊張感を失わないよう律している彼女と同じ姿だった。

「いいのよ。ここは大佐室ではないのだから、もっと気楽にしてね」

 そんなに緊張されると、こっちも初めて部下を迎え入れているのだから、緊張してしまうではないか?
 でも、小夜は静かに、夜景が見える場所に座ってくれた。
 葉月がキッチンでお茶を入れいてる間、やっと落ち着いた様子の彼女がリビングで呟いた。

「あの……中佐は、ここには」
「いえ。今は私一人よ」
「そうですか……」

 やはり隼人を捜しに来たのかと、葉月は考え直す。
 でも『大佐にお話』と言っていた? と、思いだした葉月は、やっぱり首を傾げた。

 香りの良い花びらがブレンドされている紅茶を小夜に差し出した。

「どうぞ」
「い、頂きます」

 素直にカップに手をつけた小夜は……。

「良い香り……」
「でしょう。私の今の『とっておき』よ」
「とっておき?」
「そう。特別な気分になりたい時、贅沢な気分になりたい時、元気になりたい時、落ち込んだ時。気分を少しでも良くしてくれるアイテムの事よ」
「あ、そういうの。分かります! 週末のお風呂上がりは、冷蔵庫で冷やした化粧水でパックするとか!」
「そうそう。つまり今は、これがそのアイテムなの」
「大佐もそう言うのがあるって……意外です」
「あら、やっぱり? 仕事ばかりに向き合っていて、女らしさを追求する気持ちも疎ければ、女心のカケラもないものね」
「い、いえ……! そう言う意味では……!」

 慌てた彼女を見下ろして、葉月は『いつもの彼女に落ち着きつつある』と安堵し始める。
 その雰囲気を壊さないように、そっと向かいの椅子に腰をかけた。

「本当の事よ。こういう事に『目覚めた』のは、最近なの」
「──目覚めた?」

 小夜が訝しそうに首を傾げた。でも葉月はそこは微笑みだけを見せる。

「やっとね。こんなふうにやってみたいと言う気持ちになれたの」
「……そうですか」

 小夜は分からないようだったが、それも葉月は当然と思い、彼女に微笑みかけるだけ。
 その花の香りで、涙を忘れただろう彼女に……葉月は切り出してみる。

「私に聞いて欲しい話って何?」
「!」

 あれほど思い詰めて来たのだから、打ち明ける気持ちはあるだろうと葉月は思っていた。
 けれど、そうして切り出した途端に、小夜はカップをソーサーに戻し、また……俯いて黙り込んでしまった。

 いったい……何事なのだろう? と、葉月も途方に暮れる。
 興奮が収まり、涙も収まった様子。
 だけれど気持ちが落ち着いたからこそ『やっぱり言えなくなった』ようだ。  それなら、ここで帰るかも知れないとも思えるのに。だが、小夜は帰る気もないようで、そこで俯いたまま動こうとはしない。『知りたいことが知れるまでは帰れない』という様子もうかがえた。

 そこで葉月は、あまり選びたくない選択肢を迫られたように、ついにそれを口にしていた。

「分かったわ。では……『澤村』になら、それを相談することは出来る?」
「え……」

 小夜が驚いた顔を葉月に見せていた。
 だけど彼女は直ぐに、救われたような顔になったのだ。

「……そうですね。まず中佐に相談してみます」
「分かったわ」

 葉月に言えなくて、隼人に聞いてみる。
 本人には聞けないけれど、その本人をよく知る人間──それが恋人としてなのか、側近という部下だからなのかは分からないが、とにかく『私に』近しい人物にいったん話してみては……という提案をしてしまった。本当は押しかけられて、『何事か』を追求できるはずなのに、葉月は隼人に委ねてみる選択をした。

(なんだか腑に落ちないけれどね)

 葉月は携帯電話を手にして、自分の八畳部屋にこもった。
 そこで隼人に連絡をすると、彼は『今、急いでいる』と余裕がない反応が返ってきた。
 葉月もそれで直感した。
 『そっちでもこれの関係で騒いでいるのか?』と……。
 それを問いただしたい所だが、今にも電話を切ろうとしている彼に慌てながら叫んだ。

『まって! 来ているの、彼女が』 

 すると──彼の無言の驚きが伝わってきた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 連絡があった葉月と『今から……』を話した後、隼人は基地の警備口でテッドと落ち合うことになっていたので、急いで向かった。
 警備口が見えると、そこには落ち着きがなさそうにしてる栗毛の後輩が既に待っていた。

「テッド──」
「中佐……。申し訳ありません!」

 テッドが隼人に向かうなり、直ぐに謝ってきた。

「なんだって? 『大佐嬢に申し訳ない事になった』と言っていたけど、どういう事なんだ?」

 大佐室で、この後輩からの連絡を受けた隼人に彼が説明した第一声が『大佐に申し訳ない事に……』だったのだ。
 それで隼人が『どういうことなのだ』と問い返した所、『おそらく極秘に処理されているだろう一件のことで、もめてしまった』と言う事だった。
 『極秘に処理されていて』、『大佐に申し訳ない事』、さらにその葉月が関わっているだろう事で、後輩達がもめて? テリーは狼狽えていて、小夜は姿を消し、そして冷静なテッドが『大佐に申し訳ない事』になっている上で、側近の隼人に連絡をしてきた事。
 それだけで『これは説明を聞いている暇はなさそうだ』と思い、隼人はそこに向かうことにしたのだが……。

 テッドと落ち合う場所は警備口と打ち合わせてから、電話を切った。
 そう決めて動き出した途端に、今度は『申し訳ない人物』になっている『大佐嬢』から連絡があった。
 後輩達がもめて『吉田がいなくなってしまった』と動揺している所に、『私の自宅にいる』と大佐嬢からの連絡。

 隼人もなにがなんだか判らないが、とにかく『大佐嬢と後輩達』が一つの事で一緒に困る事が起きたのだ思った。
 とにかく──いなくなったという小夜が、恋人の側にいると分かったなら、小夜を探し回らなくても良くなり心配事はひとつ解決だ。
 後は『もめた経緯』と『申し訳ない事になった事情』を把握せねばならない。
 それでひとまず、テッドの元に行くことにし、こうして落ち合った所だ。

「吉田は、大佐嬢の自宅にいるそうだ」
「! まさか……とは思っていたのですが。そこまで!」

 同期生の行方を案ずる後輩に、ひとまず小夜の所在を報告しておく。
 テッドは驚きはしたが、直ぐにホッと安堵した顔に落ち着いた。
 でも今度は、頬を引きつらせ苦々しくテッドが呟く。

「……ったく。彼女はやることが『向こう見ず』すぎるっ」
「なにがあったか知らないが? 瞬間沸騰で熱血的になってしまう彼女の血の気の多さは、俺が保証する」

 隼人がシラッと付け加えると、テッドが途端に小さく吹き出した。

「その通り……ですね」

 テッドはやっと肩の力が抜けたようだ。
 でもそうして暫くは笑うことが出来たテッドだが、すぐに神妙な顔になったのだ。

「あの……『もめた』経緯なんですが」
「うん。彼女に申し訳ないとは……?」
「あの……中佐はご存じかどうか」
「……」

 テッドが知っていて、隼人が知らないとなると、やはり『隼人がいない時の大佐嬢の過去』の事に触れようとしているのだと思えた。
 そこで『もめた』と言う話と、そこにテリーと小夜がいたという状況から、あることを直感することが出来た。

「大佐嬢がテリーをかばって負傷した件のことか?」
「!」

 ズバリと言い当てたのだろうか?
 隼人がそう言った途端に、テッドがとても驚いた顔。

「……ご存じでしたか」
「テリーが、吉田を責めたのか」
「違います。マイヤーはあの件については『二度と触れたくない』気持ちの方が勝っていて、忘れたいとずっと思ってきたのですから……」
「そうだよな……?」

 葉月から『刺された』と言う話を聞いて以降。
 隼人は小夜とテリーの接触と、彼女達が大佐室で一緒に仕事をする距離感に注意を払って見守ってきたつもりだ。
 小夜はそんなことは知らないから、持ち前の明るさと前向きさで、はつらつと仕事をしていた。
 そんな中で隼人はテリーからも目を離さなかったつもりだ。
 どちらかというと以前の傷を元にテリーの方が何か気持ちを乱すのではないか? と心配していたのだが……。
 葉月が心配するような事も様子も、テリーからはひとつもうかがえなかった。
 むしろテリーの方も、小夜の存在など気にしない程に職務に熱心にのめり込んでいる気がした。
 彼女は隼人のアシスタントとして働いていた時より、葉月の側で手伝っている今の方が、意気込み具合がまったく違うように思えた。
 そうして葉月の補佐に熱中している今のテリーには『昔のこと』なんて、もうどうでもよいという位置づけにされているように隼人には思えて、この頃は『もう、何も起きない』と安堵しきっていたぐらいだ……。

 なのに──『何かが起きてしまった』ようなのだ!?
 テリーが起こしたのではないのなら? 誰が? 吉田を標的にして責めたのだ?
 そこは隼人も皆目見当がつかないというものだ。

 そしてやっとテッドが教えてくれた。

「……実は、その事件があった頃。マイヤーと柏木は、その……恋仲というか、ステディ一歩手前だったというか」
「!? 柏木とテリーが!?」

 それは隼人も驚きだった。
 二人は今も大佐室で何度も言葉を交わしている姿を、隼人は幾度となく目にしてきたが、『そんな匂い』は一度だって感じなかった。
 どちらかというと『職務に打ち込む同僚』として信頼しあっているという姿にしか見えなかったから……。
 そんな隼人の驚き顔を見て、テッドがさらに詳しく話してくれる。

「彼女が通信科に異動して、それっきり消滅したと言っても良いのですが、私が見てきた限り、柏木がテリーの気持ちが落ち着くまで、何年も待っていたと言いたい所です。だからこそ──です。彼はテリーの復帰をとても喜んでいました。テリーを呼び戻すという約束を守ってくれた大佐嬢の事も『信じてきて良かった』と言っていました。ですが、ここ数ヶ月、吉田が急に貴方達の側で働き始めてから──。柏木は、テリーを追いつめた女性特有の陰険なイジメと、『女性隊員特有の噂話』でとんでないことが引き起こされ、罪のない想い人が精神的に追いつめられて側を離れていった口惜しさを思い出さずにはいられなかったのだと思います。『全て浅はかな女性のせい』……その輪の中にいただけの吉田を良く思えないのも無理がないことです。それでも、柏木も『吉田一人のせいじゃない』という気持ちと『やっぱり見ていて納得出来ない』という葛藤の狭間で闘っていたと思いますが……」
「……そうか。『そっち』に来てしまったのか」

 隼人は『やられた』と、額を叩いて夜空を仰いだ。
 テリー自身が『恨む』という弱い自分にならないよう闘って、心を強くして平静を保っているだけに……。彼女を想う柏木はそんな彼女を見守りつつも、彼女がいつか噛みしめただろう口惜しさを、我が事のように彼女の代わりに、噛みしめられずにはいられなかったのかもしれない。
 後輩達の事は良く見守っているつもりでも、全てを把握することが出来るだなんて……。そんなこと出来るはずがないのだと、隼人は思い知らされた気がした。

 それでそんな口惜しさを溜め込んだ柏木が、噂の一員であり急に大佐室に従順になった女性同僚を認められない気持ちが爆発したのだと……。
 やっと経緯を飲み込めた。

 隼人は溜め息を吐きながら、テッドに告げる。

「……吉田は思いあまって『一件』の当事者である大佐嬢の自宅に行ってしまった訳だが、大佐嬢にも訳を話さない状態らしいんだ」
「え? では──御園大佐は『何が起きたのか、まだ知らない』という事ですか?」

 隼人はこっくりとテッドに頷く。
 するとテッドは益々、呆れた顔になった。

「それで? 物言わぬ部下とただ向き合っているのですか? あの人は?」
「だから。俺が呼ばれたんだよ。なんでも大佐嬢の前まで来て話せなくなって、『澤村に相談してみる』と言うことに二人で話がまとまったらしくて?」
「はあ、そうですか……。もう手間がかかるな。俺達にどうしろと???」

 あまりにもまどろっこしい状態になっていることに、テッドは上官がする事とはいえ、かなり苛ついたようだった。

「行きましょう。中佐!」
「あ、ああ」

 なんだか隼人より、テッドの方が猛然と腹を立てているようだった。
 それが、女性同僚の不始末なのせいなのか、女上官のまどろっこしいやり方のせいなのかは、隼人には判らない。
 だけれど、警備口に回ってきたタクシーを手際よく捕まえた後輩の後を、隼人も続いた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 葉月には『今からタクシーでそっちに向かうから、下で待っていてくれ』と言ってある。
 出入りは自由にしている恋人の自宅だが、だからといって部下がいる手前、そういう姿を堂々と見せても良いのかどうかと頭にかすめたので、そんな流れになった。

 事の起こりを知った時には慌てていた為、テッドを連れていくことも、葉月には知らせることが出来なかった。
 それもあったが、隼人の脳裏にふと過ぎったものがあった。
 この二年、あのウサギさんととことん付き合っているうちに『ついてしまった癖』みたいな直感だ。
 それは──女性の部下が押しかけてきただけでも驚いただろうに、これでまた男性部下がやってくると知って、『囲いの中で生きることに慣れて過ぎている恋人』がどんなに動揺する事かと隼人は思ったのだ。
 だからつい。彼女と他の人間の間に立つと、こんな手順を踏んでしまう……。
 本当はもう、そんな事は必要ないと思いながらも、今回は妙に様々な事に隼人は警戒してしまったのだ。それも明確な説明はたてられないが、こうした方が『無難』という選択だと思う。
 久しぶりに『彼女』と『それに関わった人々』の間というか『架け橋』になっている気分だった。
 前は、こういう事をする自分のことを『これが俺の役目』とすら思っていた。
 だから、こうして後輩達と大佐嬢の間に挟まれて、もうやめたはずのこんな仲介みたいな事をしている自分が……釈然とすることができない。

 そんな戸惑いの中──丘のマンションに辿り着いた。
 丘の坂の下で、タクシーを降りた。
 テッドにはそのまま、タクシーを待たせているように言いつけ、隼人だけがマンションの坂を上り、マンション玄関まで向かった。

 思った通りだった。
 いつもの自宅での薄着姿でいる恋人が、制服姿の部下と一緒にそこにいた。
 テッドを置いてきて正解だったかと、隼人は思ってしまったのだ。

「お疲れ様。わざわざごめんなさいね」
「お疲れ。何があったか俺も解らないけど、いったん、こっちで預かるよ」

 テッドがいることも、後輩達がもめたことも葉月は知らない。
 だけど──何かを予感している顔であるのは、隼人には一目で解った。
 だから後でじっくりと報告しようと隼人は決めていた。
 彼女は『極秘にしていたことを後輩達が知っていて、彼等がそれを守り、数年間知らぬふりをしてきた』と言うことを、どう思うだろうか?
 きっと、小夜も思いあまって来たのだろうが、それでも──『刺されたのですか?』とは、流石に聞けなくなったのだと隼人は思ったのだ。

「吉田、行こう」
「……はい」
「では、お願いね……」

 自動ドアの境目で、葉月が弱々しくなっている小夜を、隼人に引き渡してくれた。
 隼人は小夜を連れて、外に出ようとした時だった。

「……あの、隼人さん?」

 葉月が『澤村中佐』でなくて、恋人の時に呼ぶような声で『隼人さん』と呼んだ……。
 だから隼人も、つい振り向いてしまった。

「……教えてくれないの」
「俺もまだ分からない。今から、聞く」
「……」

 葉月の眼差しが、そこで熱っぽく潤んで隼人を見つめ続けているので、ドキッとした。
 その顔は完全に『俺が愛している女』の顔だった。
 まるで、今すぐにでも甘えたいのを我慢している子供にすら見えてしまった程だった。
 だけどそれは、隼人だから垣間見た『一瞬の顔』だ。
 次にはもう、ウサギは大佐嬢になっていた。

「解ったわ。では、この一件は『澤村中佐』に任せても良いってことね」
「はい、お任せ下さい」
「そう」

 自宅でのラフな格好をしている恋人の目つきに顔つきが、部隊にいる時と同様の『氷の大佐嬢』になっていた。
 その『割り切り方』が、時々、隼人にもついていけないと思う時がある。
 こんな時、そんな彼女の『甘えたさ』を切り捨ててまで、女性の部下の事で去っていく──。彼女も女性なら、少しは妬く気持ちは湧かないのだろうかとか。でも、ずっと彼女を見てきた隼人は思い直す。彼女がもし、妬いていたとしても、そこはたった今『氷の顔』で覆い隠してしまったのだろうと……もし、の話になるが。
 だから彼女が妬いたかどうかは解らないが、『澤村中佐に任せる』と決めた途端に、スッとそのまま自動ドアの向こうに去っていってしまった。

「あの──大佐、怒ったのでしょうか?」
「怒っていないよ。あれが彼女なんだよ」
「そんな……。なんだか寂しそうな顔をしたと思ったのに」
「!」

 同じ女だから分かるのだろうか? そんな小夜の細かさに驚いてしまった。
 そして──急に、気になった。恋人のことが、恋人として……。
 こんな気持ちも、初めてのような気がした。
 今までならお互いに『大丈夫』と安心していた事が、不安に感じたりして……。

 でも、隼人が振り返っても……。
 もう、栗毛の女性はいなくなっていた。

 こんな光景を、隼人はいつかも見た気がして、ゾッとした。
 二人の子供を失った日。そしてシャボン玉と一緒に、彼女すらも、もういなくて──。なにもかもが隼人を置いて、よそへ行ってしまったあの日のように。

 そんな気持ちではあったが、隼人は小夜をつれて坂を下りた。
 そこには、タクシーを待たせているテッドの姿が……。それを知って、小夜が驚いてた。

「テッド……。どうして?」
「中佐に報告したんだ。俺と大佐の連絡が同時だったみたいだな」
「え。そうだったの……」

 何故か小夜がシュンとうなだれてしまっていた。
 それを見たテッドが、急にムッとした顔に……?

「……ったく。何をやっているんだ! 大佐も中佐も甘えられる『お姉さんとお兄さん』じゃないんだぞ」
「ご! ごめんなさい……」

 隼人の目の前で、テッドが『少佐』の風格ばっちりに、小夜を叱りとばす。
 今のテッドのお叱り。隼人は何処かドキッとさせられた気が?
 だが、彼はすぐに同い年の男の子の顔を見せながら、小夜に囁いた。

「皆、帰らずに待っているから。戻ろう。大丈夫だ」

 小夜が静かにこっくりと頷いていた。
 とりあえずタクシーに乗り合い、再び基地に戻ることに。
 『仲間内のことは自分達で』と決めた後輩達とは警備口で別れ、隼人は大佐室に戻ってきていた。
 デスクの上は、先程、仕事を放ったままになっている。

「はぁ。解っているつもりで解っていないことばかりだったな……」

 後輩を見守って把握しているつもりだったことも。
 恋人のことを信じて、割り切ることも。

 そこで隼人は携帯電話を手にして、椅子に座った。

『はい。隼人さん?』
「ああ、俺だ。後輩達のもめ事だったんだ。それで今、後輩達で話し合っている。俺は報告待ち……。いちいち先輩が首を突っ込むよりかは良いかと思って、テッドに任せてみたんだ。彼等なら大丈夫だよ」
『そう』
「今週はいけそうもないと言ったけど、今夜はそっちに行く」
『え? 報告なら明日、部隊で聞くわよ?』
「行く。起きて待っていてくれ」
『……え』
「じゃあな」

 彼女の反応も構わずに、一方的な意志を告げて電話を切った。

 大佐室の窓に広がる夜空に、隼人は微笑む。
 そこには……大佐嬢ではない瞳で隼人をみつめてくれる彼女がいた。

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