-- A to Z;ero -- * 秋風プレリュード *

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3.恋はカシスのよう

 のれんをくぐり、店内に入ると着物姿のスタッフに『何名様』かと尋ねられる。
 テッドが上手に『青柳様と待ち合わせている』ときちんと日本語で答えて、背後に控えていた葉月は密かに『満足』。振り向いた彼にも『Good』の微笑みを向けた。

 多少の日本語なら、既に身につけているテッド。
 近頃は益々、達者になってきていた。ヒアリングもばっちり。
 歳は二つ下だが、葉月がツーステップしている為に四期後輩になってしまう。新入隊でいきなり小笠原に配属されたわけだが、その入隊した時から、テッドの『前だけを見据えた精進』は人一倍で、目についたものだ。
 日本に来たならば、日本語だと彼は最初から思っていたのだろう。ことあるごとに、葉月の冷たく平淡な硬い雰囲気にも構わずに、『少しでも良いから教えて下さい』と良く寄ってきたものだった。勿論、その時は、葉月も必要な事だけ面倒くさがらずに教えてきたつもりだ。
 そして彼は着実に覚えていった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 話は昨夜の事に戻るが、テッドと夕食に出かけた。

 この夜の『テッドのエスコート』にも、狙いがあった。
 従兄にはまるで『軽いデート気分』のように伝えたがそれはただの冗談。本当の目的は一種外国化している離島基地を出た『一般日本社会』の中でどれだけ対応出来るか……という見定めもあった。
 葉月も元々、そう考えていたが、通じたようにテッドからも『私にさせて欲しい。変な意味でなく、研修とまではいかないけど……ちょっと見定め程度にお願いしたいです』と申し出があったのだ。
 その時、彼は勿論──葉月の両腕である二人の中佐が揃っている時に、堂々とそう言ったのだ。
 そして当然? 隼人も達也も『いいじゃん、いいじゃん。楽しそう。いいな、いいな』なんて──。真剣なのか茶化しているのか分からないいつもの調子で『テッド頑張れ』と送り出してくれたのだ。

 だけど──昨夜のテッドの夕食エスコートは完璧だった。
 葉月が『もう日本に来て数年。慣れているし、大丈夫』というと安心した顔の彼。だけど『お店も申し分ない、雰囲気も良いし……。たまにはこんな若いエネルギッシュなお店もいいわね』と座った席で賑やかな店の雰囲気を葉月が見渡していると……。
 その時テッドがこう言い出した。

「大佐。『俺』の事──。『義兄さん』や『右京さん』や『中佐二名』と比べたら、そりゃ適わないガキにみえるでしょうが?」

 そう言った彼が葉月にニヤリと不敵に微笑む。『みくびらないで欲しいな』と──。
 なんだか葉月はドッキリさせられた。男性としてどうこうでなく、『同世代』として。
 元々『この子』には、ちょっと恐れを抱いていた部分がある。日本語を教えろ、教えろと何年も葉月の懐を捕まえるように追いかけてきていた時から、なんだか怖かったのだ。もう一度言うが、男としてではない。同世代の仕事をする人間としてだ。
 同世代──と、いうのがポイントかも知れない? と、近頃の葉月はそう思っている。
 同じ頃に生まれて、同じ時代を辿ってきた『人』が、こんな自分がなかなか向く事が出来ないまっとうな生き方を、次々と習得しているというのだろうか? そんな感覚で『怖い』。まるで自分がなにもしないで生きてきた『ろくでなし』のような劣等感を抱く瞬間がある。──彼はそうは思っていないだろうけど?
 葉月と違って、一という底辺から駆け上がってこようとするその真っ直ぐさと諦めないエネルギーが……。その『希望を持っている』などと言った匂いを振りまいたりしてはいないのに、ただ一生懸命な彼のその純粋さが、どこか世の中を捨て鉢にみていた葉月には怖かったのだ。
 それにただ純粋なだけでもない。彼はちゃんと見極めもしてきた。厳しい所はシビアに見極め、世の中の割り切れない部分に逃げずにしっかり向き合って自分の答を出す。それだけでなく、どこか息がふっと抜けるような『適度な緩み』はちゃんと残しておく。決してシビアさだけでキリキリと押しつぶされるだけでもないその要領の良さとバランスが──『羨ましい』と思った事は何度もある。

 葉月にないものだった。
 ひとつの事にまっすぐなら、葉月だってある意味では純粋? ──なんて、とんでもない。
 葉月は、本当に大切なものに背を向けて、ひたすら自分の全てを無惨なまでに削り続けてきたのだから。
 彼は『世の中』から逃げず、ちゃんと自分が適応するように、その為に生きている。だけど葉月は『世の中』から逃げて、『命の境界線での賭け』に没頭していたのだ。適応するはずがない。
 きっと隼人もそこの所を『一生懸命頑張ってみよう』と、痛い所に向かわせてくれたのだ──と、『今だから』分かる。

 本当に一生懸命に生きていくって……。
 彼のようにシビアでも割り切れなくても、目を逸らさない逃げない事なのだなと。教えてもらった気がするのだ。
 今なら、そんなテッドの姿に怯えはしない。
 でもこれが一年前の自分なら、逃げていたと思う。
 彼のように怖れない姿が、葉月には見ていられなかったと思う。
 きっと──『テッドのように生きてみたい』──そう思っていたのだと思うから。

 そして、その昨夜。
 今までテッドは聞きもしなかった事を、離島を出た二人だけという環境の為か、やっとと言った感じで尋ねてきた。

「あの……。昨年、お別れしたとか言う義兄さんの事なんですけど……」
「……ええ、それが?」

 彼のお薦めのピザ屋に連れて行ってもらったのだが、そのピザが来るまで二人で揃って頼んだジントニックを呑みながら、テッドが尋ねてきた事は……。

「……好きだったんですよね」

 昨年の『逃避行』から帰ってきた葉月は、アリスと一緒に話している間に、テッドにも『お茶を入れて欲しい』と言いつけて、わざと話を聞こえるように入れた。
 アリスに向かって『殺されかけた』事も『義兄を愛しているが、別れたのだ』などという話を、平気でした……。
 自分の身に起きた事は、『これから誰よりも近しい補佐になるだろう彼』には知っていて欲しいと思ったのだ。改めて話そうという余裕があの時にはなかった。
 とにかく帰ったら、帰ったら──『自分から変わろう』。そう決めていたから。
 やり方が合っているとか合っていないとかそんな事を考える隙間なんてなかった。ただ……『そうなっていた』のだ。
 今はそれで良かったとも思うし、そうしかできなかったとも思う。
 だから、賢い彼なら『葉月がどうしてどうなったか』──トントンと予想を立てる事が出来ただろう。
 そして今夜──今まで黙って胸に収めてくれていた彼が、ついに聞いてきた。
 そしてそれは、葉月もある程度は予感できていた事だった。

 だから、葉月は答える。

「そうよ。きっと子供の時からずっとだったわね」

 迷わず間も置かず答えた葉月に、テッドは驚いた顔を。
 だけど、それなら──とばかりに、テッドも覚悟を決めたように向かって来た。

「そんなに昔から……。ならば、澤村中佐よりもですよね。ああなってしまったんだから」
「……そう、なるのかしらね」

 はっきりとしない葉月の曖昧な言い方に、納得出来ないような顔つきのテッド。

「同じくらい想っていたと言いたいのですか?」
「言わせてもらえるなら。そう言いたい……」
「でも、行ってしまったんだ。義兄さんの所に」
「うん」

 それにも迷わず答える葉月に、テッドは戸惑っている。
 分かっていたけど、こうして改めて葉月の気持ちを聞いて『ショック』だとでも言いたそうだ。
 どこかで葉月の事を『偶像化』しているかもしれない後輩だと知っていた。それでもこの数ヶ月、密着した仕事関係を続けているうちに、彼も『現実の葉月』をしっかりと捕らえてくれていた。それでも──なのだろう?
 悔しそうにグラスをグッと握りしめたテッドの顔。
 葉月は……いつか傷つけてしまった恋人の顔と重ねてしまった。

「だったら、帰ってこなければ良かったのに」
「……そうね」
「澤村中佐だって、その覚悟だったみたいだし。そのまま『ただの女』として幸せになっちまえば良かったんだ」
「あのまま幸せになれたかどうかは判らない。でも──私が『酷い女』だったのは間違いないわ。そこを見落として掴めたものの姿ってどう思う?」
「……そうでしょうね。俺だったら、許せない」

 テッドがやりきれないように微笑む。
 まるで隼人の代わりのように浮かべていた悔しそうな表情を改め、テッドが葉月を見つめる。

「あのままでは、『幸せになれない』と思って? こっちに戻ってきたのですか」
「──どっちも『愛していない』と思ったから、帰ってきたの」
「……!?」

 テッドのハッとした顔。
 葉月はゆるく微笑み、レモンスライスが揺れるグラスを傾ける。

「愛していないという表現はおかしいかしら? 『愛せていない』かしら? ……あれでも私にとっては『精いっぱい愛している』だったの。義兄の事も澤村の事も。でもね……」
「でも──?」
「あの人達の大きな愛の中では、私の愛は愛にならない……かな?」
「は?」
「愛されて愛せるのが、駄目だと思ったの。そんな力ない自分に我慢が出来なくなったの──」
「……」
「なにもない所から、ただ独り……。ただ独りから『愛せる』ようになろうと思った。そのただ独りが、ここだったの。ここしかなかった。……本当は酷いまま、何処かに消えようともおもっていたんだけど。帰る事を選んだわ」

 テッドは何も言わなくなった。

 不思議だった。恋人の隼人にだって言わない事を……。恋人の彼だって問いたださなかった事を……。こうして同世代の同僚と話して掘り下げている事が。
 だけど自然な気持ちだった。
 だから自然な気持ちのまま、新しい『友人』に言ってみる。

「こう言うと『まだか』と、呆れられると思うけど。独りになって、思った。それでも、義兄の事を愛している気持ちはそのままだった」

 曖昧に答えていた葉月の言葉が、徐々にはっきりと迷いがなくなってきた上で、『まだ愛していられるのだ』と言い切ったのには、テッドは再び驚き顔。
 だけど、葉月は迷わずに続ける。

「でも、焦がれていた愛しているとは、もう違うの。好きなのは変わらないと言う感覚の愛しているよ。ただ、もう……一緒に傍で生きていけないだけ」
「中佐の事は?」
「今度は私から愛したいと思ったわ。だから、私から愛する事を許して欲しかった──澤村に。彼等から離れても、そう思える自分がいた。間違いない、やっぱり今までの自分の気持ち、嘘じゃなかったと思えた……」
「そうですか。では……離れる前よりも、より一層、手放す事など出来ない深い想いだったと気がつけたのですね」
「うん……」

 話がふっと完結したように、二人の間の言葉は途切れ……静かになった。
 するとテッドが、ふうっと息を軽くついて、目の前で微笑んでいた。

「ああ、でも意外だな」
「え?」
「貴女って結構、情熱的だったんだ」
「……そう?」
「うん。見直したな。冷たい顔の向こうにそんな気持ちを秘めているんだ。そりゃ、覗いてしまった男達はたまらないだろうな? 俺だって、今、ちょっと覗いてみたくなりましたもん」
「やだ。からかわないでよ」
「からかいじゃないよ」
「!」

 こんな話をしたせいか、テッドの雰囲気が本当に『部下』ではなくなってきて、口調も仕草も砕けてきていた。
 だけど、ふっと見せた目の輝きが、葉月には『男性』になった気がして、一瞬ドキリとしてしまったのだが。

「でも、俺は……貴女はご免だな」
「それがいいわ」
「だって……。怖いな。貴女に夢中になったら、なんだか焼き殺されそうな気がして」
「焼き殺すだなんて、大袈裟じゃない? それに失礼ね」
「澤村中佐や海野中佐、その義兄さんみたいに、俺はあそこまで貴女に対しては、強くないから。貴女に負けない程に自分の全てをかけて『燃え尽きる』だなんて……出来ない」

 その時の彼の顔は、とても切なそうな、そして泣きそうな顔だった。
 葉月は『テッド──』と、小さく彼の名を呟き、そしてふと俯いた。

 ……知っていた。予感していた。
 去年、達也が忠告してくれたように『好かれている』と言う事を、肌で感じていた。
 だから余計に平淡で色味のない心持ちで彼に接していたと思う。だけど少しだけ、彼とは人としての距離をふと縮めてみたくて普通に会話を交わしたつもりだったのに、達也には『ああいう接し方がいけない。注意しろ』と釘をさされた。
 その『要領』とやらが、あの時の葉月には分からなくて……それでまた彼には素っ気ない返答しか出来なかった時期もあった。

 それでもテッドは、葉月の懐に入ってこようとした。
 今度は違った。
 今度は『大佐嬢の懐』をめがけてきていた。
 その率直さに戸惑いながらも、葉月も決心した。

 彼のように真っ直ぐに、素直に飛び込んでみよう。

 そして彼を側に置く決意をした。
 したからには真っ直ぐに向き合いたい……。

 そして、ついに今夜。
 お互いに感じながらも、置き去りにしてきた何かを精算するかのように……話している。

 テッドのその気持ちには応えられないし、そして、彼も……そこはもう心の中では大方整理をつけてくれていると分かっていたけれど。
 でも、やっぱり未だに彼はそんな風にして、葉月を一心に見つめて向かって来た日々を焼き付けたままなのだろう。

 そうして彼の事を思いやると、葉月の心は彼と同じような切ない気持ちになる。
 『私』には分かる。
 いつかどうにかこの気持ちが昇華する日を、ただひたすらに信じて、その思いひとつで生きていた日々の事を。
 想っていれば『いつかきっと……』、叶うと信じてやまなかった切ない日々を──。
 そのひたむきな想いを傾けていた日々は、忘れられるものではない。
 後になって『あれも、今となっては良い思い出』なんていう日が来ても、そのひたむきに全てを傾けていた日々は──。
 どうしても届かない適わない恋が……人にはひとつはあるものなのだろうか、と。

「ただ、好きになっただけなのにね」
「大佐?」
「理由なんてなかった。ただ……好きだったし、好きでいたかっただけ。だけど、そうはいられなくなったりするのよね」
「……貴女も、そうだったんだ」
「もう、終わったけど」
「そう、俺も終わったけど」

 二人で一緒に呟いた『終わった』。

 葉月にとって訳なんてなかった。
 ただ二人とも『理由』もなく、『好き』だっただけ……。
 でもそれは葉月独りの勝手に過ぎなかったり、相手の気持ちなど考えない上での独りよがり。
 そして、少なくとも葉月は『形』をつける選択をした。『独り』という形に──。

「なんだか。すっきりしたな、俺」
「わたしも──」

 テッドは心の中に残していた思いの残骸を、全て掃き終えたのだろう。
 そして葉月も、いつか彼に話す時がくると構えていたもの……ううん? 違う。『彼と話してみたい』と思っていた事をちゃんと話す事が出来たのだから。

 二人で乾杯をする。

「終わったのだから、そこからどうするかね。だから私達、今からだわ。そうでしょう? テッド」
「そうだね。大佐嬢」

 話しているうちに、ジントニックが空になっていた。
 それに気が付いたテッドがちゃんと補佐官の気配りらしく『おかわり、なににしますか』と聞いてくれる。

「キール・ロワイヤルにしようかしら」
「そんなカクテル、あったかな?」

 テッドがカクテルメニューを食い入るように眺めている。
 あったようだ。

「シャンパンとカシスですか」
「うん。ミラー中佐が私にいつもご馳走してくれるの。すっかりお気に入り……」
「いつの間に仲良くなったのですか? あんなに犬猿だったし、大佐も苦手そうにして、腰が引けていたじゃないですか?」
「誰が? 腰が引けていたですって?」
「だから。貴女が」

 きっぱりと言ってくれる所も、最近では心地よい。
 彼のはっきりとしている物言いにも、葉月が笑うと、テッドも同じように笑い出す。
 心が軽やかだった。

「俺も呑んでみようかな〜」
「……背伸びの味よ。私にとってはね」
「背伸びねえ」
「君、背伸びしているよって、ミラー中佐に言われたの」
「ふうん?」
「君には恋も、恋のもの思いも、なにもかも、背伸びだって……」

 店のざわめきの中、ふと眼差しを伏せて葉月は静かに呟く。
 テッドは黙って聞いて、ただ静かに見てくれているだけだった。

 やがて手元にやって来た深紅のカクテル。
 気心が知れてきた『同僚』と、二度目の乾杯。
 テッドが言った。『失恋カクテル』だって……。

 そうかも。
 初恋のような甘酸っぱさでもない、大人びた赤色に容赦ない酸味が大人の甘露にも思えるテイスト。成人してからも上手くはなれない恋愛のように──。
 甘酸っぱいだけでなく、ほろ苦いシャンパンのアルコールの香り……。大人の味もするなんてね。

 これからする私達のそれぞれの恋も、きっと……?

 

 

「青柳様ですね。もういらしておりますよ。こちらへどうぞ」

 世界は翌日の昼間に戻る。
 テッドがスーツの襟をぱしっと正す。

「さてと。無駄骨か大佐が言う所の『もしかしたら何か』か、楽しみですね」

 気合い充分の、若い相棒に葉月も頷く。

「私が良いと言うまで、口は挟まないで。なるべく『女性同士』という雰囲気は壊さないでね」
「分かっています。男は隅っこでちいちゃくなっています」

 指でちっちゃくを表現したテッドの真面目顔が可笑しくて、葉月は笑い出しそうになったが……堪えた。

 二人はスッと背筋を伸ばして、スタッフの案内についていく。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 案内されたのは、ふすまで仕切られている個室だった。
 靴を脱いであがる畳の部屋。

 そこには既に、黒いパンツスーツ姿で正座をして待っている『青柳佳奈』の姿があった。

「本日はわざわざ、こちらの為に出てきて下さいまして、有り難うございます」

 彼女が正座のまま、丁寧にお辞儀をしてくれた。

「いいえ。逆にそちらに来てもらう方が大変な事でしょう。私達、こちらに出てくるのはよい気分転換ですので、そんな軽い心積もりで出向いてきました」

 彼女のその土下座にもみえなくもない丁寧さに、葉月の方がヒヤリとしてしまった。
 ただそんな彼女を見て、葉月は思う。
 彼女としても『望みはしたが、本当に出てきてくれるなんて』という驚きと、現実になって『さてどうするか』という緊迫感を持ってしまったのだと。
 隼人から聞かされたが、隼人と一緒に都会で一夜を過ごした次の日に二人の甘い時間を邪魔されたかのように常盤に呼ばれたというのは『みせかけ』で、同窓生の彼女にひっかけられた──という経緯からも『何かを思い詰めている』と言う雰囲気は、これで納得できた気がした……。

 そしてそんな隼人が言うには『彼女はすぐに実績をあげたいと焦っているだけだ』と。
 男社会で、女が前進する難しさに切羽詰まっているのではないかという事だったが?

(先入観ね)

 葉月はそう判断したかった。
 確かに、彼等男性達はそう見ているのかも知れない。
 だけど同じ女性の葉月には『一概にもそうとは言い切れない』なにかを感じさせた。……もしかすると、男性陣が感じているそのままかもしれないが?

 ともかく、テッドと一緒に畳の部屋に上がって、彼女の向かいに並んで座った。

「……あの、こちらもご一緒で? 確か、ラングラー少佐でしたね」

 佳奈がふとスーツ姿で黙って控えている栗毛の青年に目を馳せた。
 『女同士で一対一』を彼女は望んでいたのは知っている。
 もし、同性としての囲いに徹するなら、ここではテリーを連れてきても良かったのだ。だけど、そこの『女性心理』を葉月は理解しつつも、敢えて男性になるテッドを連れてきた。

「はい。今、私の側で一番にサポートしてくれている補佐ですから。修行中の身ですが、宜しくお願い致します。彼はただの付き添いです。お気になさらないで下さい」

 ──なんて、建て前みたいな事を言って、とりあえず彼女を安心させようとしたのだが。
 だけど、佳奈は少し気に入らないようだった。
 そんな微かな表情を葉月は嗅ぎ取ってしまった。

「……お気に召さないのなら、席を外させますが」
「いいえ。構いません」

 佳奈のどこか冷たい声。
 だったら? 女二人だったらどういう話なのか……と、葉月も心が固くなってくる。
 だから、言ってみた。

「お仕事のお話だと思ってやって来ましたが、わたくしの補佐付きがお気に召さないようなお話とは、どのようなことですの」
「──!」
「ただ、貴女の仕事を見てくれとか。ただ、貴女の仕事を大佐として何処かに推してくれとか。そういう『ひとこと』で済む事を、自分はこれこれこう思っている事を理解して欲しく長く話せる場を持った。などというまどろっこしいことであるなら、ズバリと言って下さいな。『仕事を見て欲しい』と」

 彼女の顔が強ばる。
 葉月の『生意気』な物言いに、驚いたと言った方が良いかも知れない。
 だけど、彼女はすぐにふっと表情を崩した。

「──失礼しました。どうも、勿体ぶっているとこじれそうですね」
「はい」 

 そこもきっぱり返事をした葉月に、彼女はさらに笑い出した。

「やっと分かったわ。あの澤村君が、やられているわけね」
「彼、何か言っていましたか? 私の事」
「俺よりできる彼女だよって」
「え」

 そこで、葉月は思わず固まって頬が染まったような感覚に陥ってしまった。
 隼人が──他人様にそんな事を、はばかりもせずに言っていたなんて! と。
 だいたい、そんな事他人様の前で言う人じゃないのに? 意外だったし……以上に、思わず嬉しかった……し。照れてしまったのだ。

「ふふ。ここは私の勝ちね」
「……」

 今度は彼女が余裕だった。

「せっかくだから、食事を楽しみませんか? 話はおいおいに……。ね、『葉月さん』」
「──そうですね。素敵なお店だと思ったのでせっかくですから、雰囲気もじっくり味わいたい所ですね」
「そうね。そうして下さると招待した私も嬉しいわ」

 急に彼女が穏和な年上の女性に見えてきた葉月。
 ふと、いつもの『姉様には弱い妹気質』になってしまったのか、すんなりと従ってしまっていた。

「少佐は大丈夫ですか? お箸」
「はい。多少は……。あ、でもやはりフォークでもあると助かります」
「持ってきてもらいますね」

 佳奈のお姉さん笑顔と気配りの良さで、急に場が和んだ気がする。

(やっぱり大人だなあ)

 葉月はそう感じた。

 

 しっとりとした小さな中庭が見える部屋で、それとなく和やかな食事が進んでいた。
 どれもあっさりとした和のフルコースで、葉月よりもテッドが楽しんでいるようだった。
 あれだけ『ちっちゃくなっています』と言っていたのに、佳奈の気さくで柔らかな会話に、テッドもすっかり気を許していた。
 そして葉月もそれを咎めずに、三人で完全に和やかな食事会になっていた。

「軍服でいらっしゃると思っていたわ。だからね、あまり目立たない個室がある和食屋を選んでみたのだけれど」
「そうでしたか。お気遣いありがとうございます。確かに目立ちますので、今日は個人的な面会と思って、非公式という気持ちで『私服』で参りました」
「……こちらも、訳の分からない事を申し出まして、そこまでのお気遣いもしてくださって」

『申し訳ありませんでした』

 また、佳奈が……。三つ指をついて頭を下げたので、葉月はテッドを顔を見合わせた。
 佳奈は顔をあげると、それまでのやんわりとした上品なお姉さんの雰囲気から一変──急に疲れ切った顔になったのだ。

「……あの、澤村から聞いた所では、なんでも『どうしても仕事で勝ちたい女がいる』と、青柳さんが言っていたと」
「え、ええ。そうなんです」

 やっと話の本題に入る。
 佳奈は手元にあった花柄のハンカチをぎゅっと握りしめていた。

「大佐」
「はい」

 急に仕事的な雰囲気になって、葉月の方が崩しかけていた姿勢からしゃんとなってしまった。

「──私達『彗星』以外にも、参加する企業がございましょう」
「……澤村に任せている分野なので、良くは存じませんが」
「宇佐美重工と言えば、ご存じかと」
「ええ。それなら──国内トップで、軍にも航空機の製造で携わっている会社ですもの」
「今度、そこの企業も参加を希望している事をはご存じですよね」
「はい、それが?」

 すると、佳奈の表情がいきなりグッと鬼のような形相に変わった気がして、葉月でもゾッとした。
 それは気のせいではなかったようで、隣にいるテッドも、素知らぬ振りで進めていた箸を止めたぐらいに……。
 そして『青柳佳奈』が意を決したようにひとこと。

「そこに、私達『彗星社員』の結集でもあった『プログラム』ごと手にして、ヘッドハンティングで出て行った女がいるんです」
「!?」
「──裏切られた女がいるんです」
「……」
「その女が、そう遠くはない日程で会議で顔を合わせる──。間違いなく、姿を現すでしょう。その女に負けたくない。私、勝負をしたいのです」

 『ああ、終わったな』と葉月は目をつむってしまった。
 隣の若き相棒からも、密かなる溜め息が……。

「勝負ですか? それは結構だと思いますが、それと私『一介の軍隊将校』とは全く関係ないと思うのですが」

 彼女の口惜しさは分かる。
 きっと皆で作り上げ来た物を、その女性が一人の手柄のようにして持っていき、小さなオフィスから大企業の大部署に行ってしまったという事だろう。
 つまりは『踏み台』にされたわけだ。
 それが良い悪いとかでなく、そんなことは『良くある話』に過ぎない。

 その仇討ちのチャンスが『小笠原基地』という舞台でやってくる。
 そこにいる『地位ある女性』でもある葉月に『こういう悪を成敗する為に、大佐嬢にも正義のお手伝いをして欲しい』と言う所なのだろうか?
 気持ちは解らないでもないが、正直『お断り』である。

 急に強固的な姿勢になった葉月の態度に気が付いたのか、佳奈がふと慌てたように姿勢を正した。

「彼女……私の大学の後輩なんです」
「はあ」
「常盤が友人と独立するという事で、一緒に彗星に来たんです。人手不足で私は営業に、不本意でしたが、いつかはと思ってやってきました。彼女は元々学生時代から一目置かれていたので直ぐに常盤のアシスタントになって現場で活躍していました。それを彼女は、もう出来上がる一歩手前だった未発表のプログラムを手にして行ってしまったんです。その時の皆の落胆と言ったら……!」
「……」

 ああ、これも良くある話じゃないか? と、葉月は思ってしまった。
 これまたテッドなど、シラッとして食事を平然と続けていた。
 今、彼が喋れるなら『無駄骨だったね、大佐』と言いそうだ。

 だが、佳奈は憎々しそうに続ける。

「それに──『あの女』。手段を選ばない事で有名で。女の武器を使う事だって厭わないと」
「それは確かなお話なのですか?」
「いいえ、噂ですが」
「それではお話になりません」
「!」

 佳奈の顔が、今にも泣きそうに崩れた。

「そ、そうだけれど……。でも! こっちが真っ当に真剣に取り組んでいるのに、そんな手でなにもかも奪われていくなんて、もう! 耐えられない!」
「……確かに」

 冷たく切り捨てた葉月だが、佳奈のその口惜しさは分かる。
 時に世の中では、真っ当に取り組んでいる者の方が損を見る事がある。むしろ、その方が多いと言っても良いぐらいに残酷なものなのだ。

「それで、今回……大佐の私に何を? まさか『宇佐美重工』は除けて欲しいとか」
「そうです。でも……分かっていたのです。そんな事、言っても……貴女ひとりでできる事ではないと」
「その通りですね。私は、そんな事ができる立場にありません。最終的に出来上がったものに携わるのは私達パイロットでも、どこの企業がどうするというのは、もっと上の話になるかと思いますし」
「でも──! 言わずにいれなかったのです! あの女、また我が物顔で私達の前に平然と現れて、それで周りにいる男達を自分の手元に上手く引き寄せて、思うように周りを動かしていくんだわ! 彗星にいる時だって……常盤の事を、そうして!」

 常盤の名が出てきて、葉月とテッドは顔を見合わせる。
 二人一緒に同じ事を思い浮かべただろう?
 その宇佐美に行ってしまった後輩の彼女は『常盤の愛弟子で恋人だった』? そして……佳奈は『常盤を』?
 そんな事が思いついてしまったが『確か』ではない。

 でも、そこで佳奈がハンカチを握りしめて、ついに泣き崩れてしまった。
 どうも見ている限り、今日、葉月に本心をぶつけるまで、かなり心の内に溜めていたという感じだった。

 駄目と判っている。
 葉月に『話にならない』と切り捨てられるのも、ちゃんと判っていた。
 だけれど、言わずにはいられなかった。

 『宇佐美』という権威ある大企業を除外するなんて大それた事は、そうはできないなら……。せめて、個人との『真っ向勝負』をする場が欲しかった。
 それぐらいなら、大佐嬢にもなんとかしてもらえるのではないか? そんな所なのだろうか?

 そして葉月は感じた。
 ただ、同じ女性の葉月に聞いて欲しかっただけなのではないだろうか? と。
 それも出来れば『仕事をしている女性』に聞いてもらい、共感して欲しかったのだと。
 男性達の中では、どんなに『リベンジの炎』を燃やした所で、先程の葉月のように『お話にならない』で蹴ってしまうだろう。酷ければ『女特有のくだらない感情』とかで片づけられる。

 彼女の……葉月を頼ってくれた気持ちは嬉しい。
 もし、葉月が逆の立場だったら、間違いなく、佳奈同様に『リベンジの炎』を燃やして、どうしてやろうか? なんて考え始めただろう。
 しかし、それでも葉月は心を鬼にして言った。

「青柳さん。真っ向勝負をしたいと言う時点で『負けています』……」
「!」
「今、彼女に直ぐに『勝つかも知れない』勝負方法はありますよ」
「それは……どのような?」
「彼女と同じ事をすればいいのでは? 女の武器を使ったり、人を踏み台にしたり。直ぐに結果は出ると思いますが」

 勿論、そんなやり方に嫌悪を抱いている彼女の表情が強ばった。

「その覚悟ありますか? きっとその女性もそれなりに捨て身で行っていると思いますが」

 佳奈は降参したように、力なく首を振ってうなだれてしまった。

「それに彼女一人がそういうやり方をしているわけでもないでしょう。その彼女のような『やり方をする女性』はいなくならないし、常に存在するのだと認めてしまった方が早いかと。それがあると知っている上で、『撲滅』のようなことに執着せずに『その土俵より、自分の土俵のレベルを上げる』ようにしては如何かと」

 葉月の話に益々、打ちひしがれいく女性の姿に、何故か葉月の心は痛んだ。が、大佐嬢として思う所は真っ直ぐに進める。

「きっとあちら様は、貴女と勝負して勝ったとも思っていませんでしょうし、勝負をしたいとも思っていないはず。彼女は手段はどうであれ『自分自身』の信ずるままに賭けてきたはずです。それが己の為だけのプラスであっても、『勝負』というならば、彼女は自分に勝ち続けているのでしょう。きっと覚悟もあるはず」

 そういうと、佳奈の顔が固まった。

「私が──『パイロットである大佐』の私が言える事はひとつです。新システムが出来上がった経過は知らない『飛びやすい良いものが出来れば、それでいい』のみです。結局、世間の評価は最終的に『商品』を使用する者が利益を得るかどうか。その女性を貴女の土俵にひっぱりだして『勝った、負けた』など、私達には意味がありません。それよりも、そんな『世間』という土俵で、貴女自身が貴女に勝った時に、いつのまにかその女性にも勝っている……そういうものであってほしいと私は思います」
「……彼女でなく、私自身に」
「佳奈さんは真っ当な土俵で、勝ち上がった。その時、貴女は自分の納得できるやり方で得たものに誇りを持つ事もできますでしょうし、彼女にも勝つ事になると思います。なにも彼女をとっつかまえて無理矢理に勝負しなくても……」

 そんな事を言った葉月の顔を、佳奈がまじまじとみつめてきた。
 葉月もハッと我に返る。

「葉月さん。貴女って……」
「す、すみません。随分と偉そうな事を……。実際は若輩者であるはずなのに、失礼いたしました」

 だけど、その次に佳奈が見せた笑顔は輝いていた。

「いいえ。有り難う、大佐嬢」

 なにか憑き物が取れたように……。
 とてもすっきりとしていたのだ。
 彼女の手から、くしゃくしゃになったハンカチが離れていった。

「男性達は解ってくれないし、自分一人では空回りばかりで。それでつい澤村君に頼ってしまって。ついには貴女までひっぱりだしてしまったわ。迷惑な女ね」
「いいえ……。私はこういう立場でなければ、佳奈さんのその口惜しさ、解りますよ」

 するとまた、佳奈が明るい笑顔を見せてくれた。

「お仕事をしている貴女の横顔がとても素敵だったので、同じ女性で男性に囲まれていて、それでいて仕事をしている貴女なら、どう言ってくれるかを楽しみにしつつも……。どこか『きっと真っ当な私の言い分を擁護してくれる』だなんて、甘えも持っていたわ」

 ふと彼女が眼差しを伏せる。
 でも先程までのような燃え上がるような緊迫したようすは、もう何処にもなく、葉月もテッドも和ませてもらった彼女特有の柔和さしか漂っていなかった。

「だけど、それでも貴女にもきっぱり言われたわね。そして……『女』でありながらも、そこに負けたり甘えたりしないと言う事も」

 そして彼女は最後に大きな溜め息をほうと吐いて

「参ったわ。これだけ言われてしまえば、すっきり。私も腹が決まったわ!」

 と、葉月にさばさばとした笑顔を向けてきた。

「限られた場と人ではなく、私が『世界』に勝負殴り込みってわけね!」

 彼女の瞳が輝いた……。

 それを見た葉月。急になにかにかき立てられるように、バッグから手帳を出して、メモを手早く記す。
 記したページを破って、佳奈に差し出した。

「……大佐としてはなにも出来そうにありません。ですが、何かあればいつでも」
「──これは」
「私の連絡先です」
「え?」
「個人としてです。いけませんか?」

 佳奈もおろか、隣のテッドも驚いて固まっているではないか?
 それに葉月も『なにやっているの私?』と、自分の行動ではないように思えて次には恥ずかしくなってどこかに逃げたくなった。

「有り難う。そうさせていただくわ」

 だけど、佳奈はずっと大人の顔でそれを大切に手帳に挟んでくれたのだ。

「そうだわ。デザートにしましょう。ここの抹茶くずきりのあんみつ。美味しいのよ」
「美味しそう!」
「本当、大佐ったら甘いものには目がないんだから。僕も頂きますけどね」

 そこでやっとテッドが会話に入ってきた。
 女性同士の何かがまとまった事を、彼も嗅ぎ取ったのだろう。
 だけどそのテッドのひとことで、また笑いが戻ってきたのだ。

 その後は、ただの世間話に花が咲いた。
 彼女とは、店先で別れる。
 次に会える日を楽しみにしていると、笑顔で去っていった。

「良い人ですね」
「そうね」
「──なにか考えちゃっているでしょう?」

 凛と歩き去っていく佳奈の背を見送っている二人。
 その葉月の眼差しに、テッドはそう感じたようだ。
 だけど葉月はニヤリと微笑んで、お決まりのひとことを言ってみる。

「さあね」
「うわ〜。貴女の『なんとなく』とか『さあね』が出たら気をつけろって、澤村中佐が言っていましたよ!」
「なんとなくね」
「いいですよ。もう、どうしたいか解りましたから」

 葉月はふと佳奈が消えた小道を振り返った。
 予感がした。
 彼女はきっと勝ち上がって、いつか葉月と甲板に立っている気がすると……。

 二人は小笠原への帰路につく。

 

 その後、『どうしたいか解りました』と言ったテッドが、その宇佐美の女を調べ上げて葉月の手元に情報を持ってきてくれたのは、数週間後の事になる。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 夕方、小笠原の自宅に葉月は戻った。

「おかえり」
「え」

 リビングに入るなり、そんな男性の声。
 キッチンからエプロンをしている隼人が顔を出した。

「……また、来ていたの?」
「おい、こら。なんだその鬱陶しそうな言い方」
「そういうわけじゃないけど? だって、近頃、頻繁じゃない?」

 男女の営み、夜の生活は、行き過ぎないよう節度を守って、きちんと落ち着いているのだが?
 どうも、最近、彼が訪ねてきている間隔が狭まってきているように感じていた。

「なんだよ。嬉しくないのかよ? せっかくご馳走を時間をかけて作ったのに」
「うん、美味しそう」
「もっと大袈裟に喜べ」
「やだ、そんなのっ」

 葉月は鼻にしわを寄せてふてくされる。
 隼人が溜め息をこぼした。

「お前が俺の所にこないからだろう? 相変わらず、お前って淡泊だよなあ」
「これが葉月の普通だって、貴方なら言ってよ」
「まあな? わかっているよ、そりゃ……」

 隼人がぶつくさ言いながら、テーブルにサラダボールを置いた。

 でも、葉月には分かっていた。
 天の邪鬼……。本当はなんだかんだ言って、テッドとの事気にしているんだって。
 なにもなかったと信じているけれど、それでも心配で、すぐに顔を見たかったんだって。

「本当、美味しそうね……」
「だろう」

 彼が置いたニソワーズサラダからトマトのかけらをひとつ頬張る。
 葉月のすぐ後ろに隼人がやってきて、そんな葉月の顔を見下ろしていた。

「ねえ、隼人さん」
「なんだよ?」
「私の態度、物足りない?」
「は? 物足りないって……」

 葉月はそのまま隼人の首に両腕をずっしりと巻き付ける。
 そして、そのまま一直線に、彼の唇を塞いだ。
 彼が『う』と、急な口づけに驚き、息を止めたのが分かった。
 でも……やめない。
 その息までも、全部、私のもの。

「ま、まった、まった……!」
「いや、分かってくれるまで、やめない」
「う・・」

 再び、彼の唇を塞いで、思うままに愛した。
 焼き殺すだって……。うん、焼き殺してやりたいぐらいに、胸が焦がれている自分がいる。
 愛しているって、どうやったら解ってくれるの?

「ああ……まだまだ物足りないな。こんなに愛されちゃ、もっと、どこまでも欲しくなるだろ」
「愛しているって分かってくれた?」
「うん、分かった」

 彼の腕が柔らかくなり、葉月の背をしっかりと抱きしめてくれる。
 降参したように、今度は彼から激しく口づけてくれる。

「おかえり」
「ただいま……貴方」

 

 恋はカシスのように。
 でも今度はキール・ロワイヤルの味がする。
 飲みほすと、胸が焼き焦がれるほど熱くしてくれる大人のアルコールの味も、ちゃんとした。

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