-- A to Z;ero -- * 砂漠の朧月夜 *

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16.空を駆ける少女

 躊躇う純一の顔が、胸の中抱きしめている葉月をじいっと見下ろしている。

 そして、義兄はあからさまに顔を逸らしてしまう。
 だが、葉月はそのまま待った。

「……葉山の別荘。見つけた時には、胸にナイフが突き刺さり、皐月がその柄を手に持っていた」

 今度は、葉月の呼吸が止まる。
 身体が硬直し、本当に立っていられなくなるほどに、足から力が抜けていくのが分かる。
 だからとて、なんとか堪えて立つとか、何かを言葉にするとかまったく出来なかった。
 そんな義妹の身体から表れている『衝撃』は、今、腕に抱いてくれている純一には生々しく伝わっている事だろう。だから、彼がグッと抱き留めてくれた。

 葉月の衝撃は、まず、その現場を純一が『見た』、『発見した』と言う事。
 だが、純一の口からまだまだ葉月を打ちのめす『事実』が容赦なく繰り出される。

「五人の学生が死んだのも、実はこの時。虫の息だった皐月の周りで毒を飲んだ状態で死んでいた。俺ではない人間が、もし家族ではない人間が一目見ても、前後の経過を辿っても、おそらく警察も『皐月の命を懸けたリベンジ』だと『判断しやすい状況が出来上がっていた』。そして、リベンジをした皐月が、自分の身体を虐げた男に復讐し、自分も自殺。──そのように『持っていかれていた』。つまり、幽霊のシナリオが完成していたんだ」

 葉月は目を見開き、そして唇を振るわせる。
 あの忌まわしい五人の男が一番の悪魔で低俗イキモノと長年思いこんできた。そしてその彼等が『自殺』をしたと聞かされてきた葉月は『それは詫び自殺だった』と思っても、『彼奴らは絶対に詫びない』と、決して彼等の選択を許さなかった。だが、今、耳にした真実はもっと『ショック』だ。確かに彼等は、葉月にとっては『死罪』を当然のように与えられても等しい存在。なのに、その彼等が『実は毒殺だった』──つまり、彼等も『殺されたのだ』という事実は、彼等が自殺をすることで償いを逃げたことより、もっと受け入れがたく感じた!
 何から『どうして』とか『ひどい』とか、どんな言葉を言えばいいか分からない。それぞれの沢山の言葉は口の中でせめぎ合い、どの言葉も我先にと出ていこうとして混雑しているよう……。
 ついに身体がぶるぶると震える。純一の腕の力が徐々に強くこもり、葉月を抱きかかえてくれている。
 それでも、やっと話し始めた義兄は、まだまだ休むことなく続けた。

「それが何故、幽霊の仕業かと分かったのかと言えば、これは皐月がやっとの思いで俺に知らせてくれたからだ」

 その時、姉はこう言ったそうだ。

『私がやったんじゃない。五人だけじゃない、もう一人いる』

 その一言と、純一に『あとは頼んだわよ』と言い残し、息を引き取ったのだそうだ。
 だけれど、皐月が拒否した『事情聴取』。代わりに妹に尋ねた内容。その妹の葉月が言えたのは『学生五人』だけ。葉月の証言だけでは、『一人足りない』。葉月の心の奥底に強い力で沈められた幽霊の顔。
 ──そこから、御園の、そして純一の追う日々が始まったのだ。

 葉月は『記憶を押し込めた』自分をさらに呪いたくなった。
 姉が息も絶え絶えに、やっと言い残せたその一言がなかったら?
 一歩間違えれば、姉が人を殺したことになりかねない状況だったのだ。
 葉月には分かる。リベンジをしたい気持ちは姉にも充分にあったと思う。だけれど、姉なら『殺し』ではないもっと他の方法を考えていたはず。なのに、自分が一番選びたくない方向に持っていかれ、尚かつ、自分の命を絶たれそうになっているその中で、ぬれぎぬは着せられまいとなんとか消えそうな息を繋げ、純一が来るのを待っていたのだろうと……。

「ね、姉様……!」

 葉月は純一の白いシャツにしがみついて、声を上げて泣いた。
 姉様、皐月姉様、ごめんなさい。なにもしてあげられなくて、ごめんなさいと。
 そして純一も何も言葉にはなりそうにもないまま、ただ、葉月を抱きしめ栗毛を撫でてくれていた。

 それでも救いは一つだけあったと、葉月は思う。

 それは姉の元に一番に駆けつけたのは、愛する純一であったこと。
 そして、最後に彼の腕に抱かれて息を引き取ったこと。

 血塗れで逝った。と、最後に純一が呟く。

 彼女は不幸の中でも『赤い女』だったと……。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 ──憎しみ。

 その言葉以上の感情があるとしたら、なんと呼べばいいのだろうか?
 今の葉月は、まさにその心境だった。

 姉の死に際を聞く覚悟ができ、それを義兄から聞いた次の日。

 葉月は窓辺に立っていた。
 庭先の門にカルロが向かっていく。そして彼が門を開けると、白いジャケットの男性と、黒いワンピースを着込んだ女性が現れる。

 翼と美波だった。

 今、葉月の心の波は凪いでいる。
 昨夜もそれなりの波はあったが、姉が殺されたことはだいぶ前から隼人から聞かされていたから、覚悟は出来ていた分、衝撃は少しだけ減少されたのだと思う。
 勿論、初めて聞く事実に驚きは隠せないし、新たなる疑問が浮上したり。結局、一向に解決策など浮かばなかったのだから。

 ──解決策?

 そういう問題ではないと、葉月は思う。
 彼にリベンジを? 彼を警察に突き出す? そして裁判にかけて、そして牢獄で償ってもらう? 彼が『悪かった』と一言、詫びる?
 『それだけ』? 
 それは当然という名の下に存在するあって当たり前のことであり、だが『私達』はそれだけのことでは『絶対に済ましたくない』のだ。
 そしてそれは『解決策』なんて言葉も存在しない。
 解決なんて、この事件の存在を知り得る者が一切一人残らずこの世から去った時、記憶する者がいなくなった時、初めて『解決』されるのだと葉月は思う。

 それにしても。姉が何故、再度、瀬川と会う気になったのか。生まれたばかりの真一を置いて、会いに行ったのか。純一が言うには『五人の学生が画像を残し、御園に脅しをかけてきてたり、お前を口封じにしようとした事が皐月にはとても辛かったようだ』と聞かされた。『強請り』と『口封じ』の話は葉月もそれとなく聞かされていた。だからこそ、姉はそれを苦に自殺し、もしかして……五人の学生が死んだのは自殺ではなく、姿を消した義兄が? と、思うことになったのだ。だが、その線は間違ってもいなかったようだ。義兄が? というところが『幽霊が』になっていたのだ。その上、姉も手にかけた男。

 ──憎しみ?

 それを通り越したものが、葉月の中に強く生まれ始めている。
 自分をあんなにも乱し、狂わせ、悩ませ、苦しめられた『憎しみ』という心の中の物体。
 それに、葉月は『新しい呼び名をつけたい』と思う心境を持ち始めている。

 だから、目の前に表れたワンピースを着た『幽霊の娘』が現れても、葉月はなんなく微笑むことが出来た。

「こんにちは、葉月さん」
「いらっしゃい、美波さん」

 翼に付き添われてやっと出てこられたと言った感じの美波は、あれだけボーイッシュな格好をしていたのに、今日はとても女っぽく美しいワンピース姿。
 彼女に合いそうなクールなデザインだったが、とても似合っている。
 その彼女が気恥ずかしそうに持っていた真っ白い花束を差し出してくれた。

「お加減如何ですか? これ、お見舞いです」

 彼女の先輩であるテルと同じように、美波もレースペーパーで包まれる小振りの花束を差し出してくれていた。

 葉月の右手には、ステンレスの松葉杖。それを腕にはめた格好で、一歩、二歩と美波に近寄った。
 葉月が歩く姿を見て、翼は勿論、美波はとても驚き、そして二人は顔を見合わせて微笑んでくれた。

「歩けるようになったの?」
「そうよ。頑張ったでしょう? 今度は貴女に背負ってもらわなくても、何処までも一緒に逃げられるわよ」
「やだな。あのこと……言わないでよ」

 美波が両手で顔を覆って恥ずかしがる。
 葉月と翼は、そこで揃って笑い声をたてていた。二人が笑うので、美波もほっとしたのだろう。両手を除けると、彼女もちょっと照れた顔で笑っていた。

 ……どうしたのだろう?
 少しの間、会わないうちに、美波の雰囲気がとても変わった気がした。
 あの時のような切羽詰まった顔ではなく。とても柔らかくなり、そして、女っぽくなって。微笑むと無邪気な可愛らしさが漂っている。

 葉月は以前の自分を思い返し、それと重ねると、ふいに翼の顔を見てしまう自分がいた。
 彼が──苦労してくれた夫と重なったのだ。

 もしかして? 葉月は『そうだったらいいのに』と、密かに微笑む。

「あの時は、本当にごめんなさい」

 急に美波が頭を下げ、謝ったので葉月はハッとした。

「でも、回復している姿を見て、私の心も救われました」

 さらに大人らしい顔と喋り口調になった美波は、ぐんと大人の女性へと変貌したかのよう。
 彼女も……。今の葉月同様に、荒波にもまれ、今やっと凪いだ心でいることが伝わってきた。

 だから、今日はこうして二人でいる。
 だから……葉月は、聞きたいけれど聞けなかった姉の死に際を義兄に聞くことが出来た。

「今日は、葉月さんとありのままに話したいと思って来ました」
「有難う。私もよ」

 開け放している窓から、ひときわ強い春の風が吹き込んできて、二人のスカートの裾を掠めていった。
 葉月と美波の目が、同じ色に染まる。
 言わずとも、葉月は美波を、そして美波は葉月を。お互いに何を感じているのかを分かり切っているように。
 そこには『恐怖』もあり『哀しみ』もあり『逃れられない宿命』や『小さな心で決めた覚悟』が、二人一致するように揃えられているのが分かるのだ。

 そんな美波の覚悟を知ったから、葉月も『姉の死に際』を知る決意をした。
 そして美波は、『父親の正体』を知る決意を……。

「覚悟は出来ているよ、葉月さん。隠すことだけはやめて。私も今までのことは全部、話す」
「分かったわ。それは私もよ。──たとえ、貴女がとても哀しみ、心を痛めるだろう事も!」

 『絶対に貴女は哀しむ』と言う決定的内容があることを、葉月は語尾を強めることで示唆した。
 美波は一瞬、心の揺れを見せるように表情を歪めたが、すぐに元の凛とした眼差しに戻った。

「私、逃げたくない!」

 その美波の目は、『闘う眼』だった。
 彼女は今から『真実』と『自分』とを闘わせるのだ。そして己とも闘うのだ。

 葉月は、美波を羨ましく思った……。
 『闘う』──。私も彼女のようにもっと早く『自分と闘うべきだった』と。
 どこまでも、自分が闘っていたのは自分の心の部分だけを空洞にした戦いばかりだったから……。
 空に向かったり、時には自ら闇に落ち──。

 こうあるべきだったのだと、彼女を見て思う。

 そんな彼女に応えるためにも、そして自分も彼女に遅れを取らないためにも。
 葉月も『自分と闘う』のだ。

 少し遅くなったが、まだ間に合う。いや、間に合ったのだと思っている。

 翼を見届け人の様にして、二人は寝室の小さなテーブルに向き合った。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「私は、アル……父の事は、何かから逃げていると思っていた。だって、彼は偽名を使うし、私のことを娘とは言わず言わせず、『妻』と言えと──」

 美波から話し出す。
 生まれた時から室蘭にいて、母方の祖父母が存命の時は母も明るかったと。母子家庭でも美波はなんとも思わず、ただ物心ついた時から『父親は死んだのだ』と思っていたのだとか。だが、祖父母が他界し母一人で美波を育てる日々は、それほど裕福でもなくかといって金銭的に困るような生活でもなかったという。

「それでも母は働き通しで、私を大事にしてくれていることは分かっていたけれど、構ってくれる時間は少なかったし。私はまだあの時は高校生だったから、もっと贅沢をしたいと思っていた。早く自分で働きたいとも思っていたの。それに母は徐々にやせ細ってきて……。そんなときだった。アルがひょっこりと母を訪ねてきて、母がとても泣いたのを覚えている」

 母から、父親と別れたとか死んだとか、そんな事は聞かされたことはなくとも、美波には死んだものだと思っていたのだそうだ。祖父母に聞いても『もういないんだよ』としか答が返ってこなかったから、そう思ったというのだ。
 だが、室蘭の母子の元に、ある日突然、アルドが訪ねてきたという。美波の母親はすぐに彼を受け入れたそうだ。その時初めて『美波の父親』と明かされ、美波はとても驚いたと同時に、とても嬉しかった言う。

「だって、眼の色が私と同じだったんだもの。学校で『外人』、『外人』とちょっとしたからかいを受けたことはあっても、それでひどく傷ついた事なんてなかった。だけれど、ずっと思っていた。母が黒い瞳だから、きっと父親がこんな緑っぽい眼だったんだって。その同じ眼をした男の人が目の前にいたんだもの……直ぐに信じられた」

 すると美波が『でも』と俯く……。葉月も同じように『でも?』と問い返す。

「アルが現れたのは、母がもう手遅れの病気になっていたから。乳癌だって──」
「お母様は、それで亡くなられたの?」
「うん。アルが看病をして、アルが全部面倒を見てくれた。母は幸せそうだったよ。幸せそうに逝った。私達、アルが現れてから楽しい日々を送ったよ」

 あの表情がないと思っていた美波が、頬を染めてふんわりと微笑む。
 彼女にとって、それが生まれてきて初めての『幸せ』と言わんばかりに──。

 だけれど、葉月には胸の傷を再び開かれる思い。
 あの憎き宿敵が、『家族の時間』を堪能していただなんて──!
 だけれど、目の前の女の子の満足している顔は、葉月には否定できなかった。彼女には当然の権利だ。彼女にだって、その時間はあって当たり前なのだ。宿敵の幽霊を責めることは出来ても、だからとて『貴女の父親がそんなことを味わうだなんて許されないのだから!!』とは絶対に言えなかった。言いそうになり、でも言えない……。その苦しさは、とてつもないことだった。

 ふと気が付くと、翼が少し困惑している顔を葉月に向けていた。
 美波がそれを話すことを、やめさせたいような口元を見せては、その唇を閉じ、そしてもどかしそうに顔を伏せてしまう。
 まるで葉月が何故、悔しがっているかを美波に教えたそうだが、でも、それも葉月の本意ではないと理解してくれやめたようだ。
 その彼がいるだけで、葉月はふと元に戻れる。
 ──彼のように、しっかりしなくては。
 美波だって今日は辛い日になることを分かって来てくれたのだ。葉月もここは正面から『瀬川の姿』を知っていきたい……。

「母は若い時に、アルとどう付き合っていたのかはちっとも教えてくれなかった。でも『理解してあげて欲しい』と私に言った。なんでも母はお腹に私がいることをアルには言わないで、室蘭に帰ったんだって。元は横須賀で働いていたらしいのだけれど……。それにアルの仕事については『なにも聞いちゃいけない』とも釘をさされた。なんでも素性を隠さなくてはやっていけない仕事なんだって。だから、そう思っていたのだけれど。やっぱり普通じゃないなと私は感じて、ちょっと付いていけない部分がいっぱいあった。もしかして、アルは何かから逃げていて、それで母がかばったのかなって……」
「では、美波さんはお父様のお仕事がなんなのか、今までも今もまったく知らないって事なのね?」

 美波がこっくりと頷いた。
 そこで、葉月はテーブルの上に準備して置いた一つの資料を手にした。
 これは父がフロリダのマイクに調べさせた時の報告書と資料だった。
 葉月はそれを開き、美波の前に静かに差し出した。

「貴女のお父様、瀬川アルドは昔、横須賀の軍人だったのよ」
「軍人──? 葉月さんと同じ……?」
「そう。私は空部隊のパイロットなのだけれど、貴女のお父様は陸部隊の優秀な本部員だったの。すごく将来を期待されていたエリートよ」
「葉月さん……パイロットだったの?」
「ええ、そうよ」

 美波は葉月が軍人であるのは知っていたようだが、どのような仕事に携わっているかは、翼からも聞いていなかったようだ。
 彼女の驚きは、葉月も軍人、そして父親も軍人だったこともあるようで、その資料をついに手にとってまじまじと眺め始めた。

「何年に何をしたって書いてあるみたいだけれど……」
「ここ五年の、お父様のお仕事の履歴よ。お父様は若い内に軍隊を退官し、その後は自分の実力のみでフリーで仕事を取って世界を転々としていたみたいね。だけれど五年ぐらい前から、軍隊と契約し、大きな任務を助け、とても素晴らしい経歴を残しているわ」
「アルが、軍の役に立っているってこと?」
「そう……。軍では瀬川アルドは必ず成果をあげてくれるフリーの傭兵、『正義の男』と呼ばれているの」

 葉月がそれを言いきると、美波ではなく翼がとても驚いた顔をした。
 きっと彼も『悪い男』と思っていたに違いない。それが、敵方であろう葉月が『正義』と口にし、それが確かな調べもついている揺るがない事実であることも、大きく予想を外しているのだから……。

 それなら、御園が間違っているのではないか?
 彼の口が目が、そう言いたそうで、でもまだ半信半疑で、何を信じればよいのか混乱しているのが葉月にも伝わってくる。

 そして美波の目は、輝いていた。

「アルって、凄い人だったんだ……」

 その、思わぬ宝物をみつけた子供の喜ぶ声にも思える美波の明るく染まっていく表情。
 葉月は、思わず、目を逸らしてしまう。

 ……言いたくない。自分の口からあの男の事を『正義』とか『素晴らしい』とか!
 だが、それはたとえ表面上であっても、打ち消すことが出来ない『存在する事実』であるのだし、娘の美波には隠すこと曲げることは、今回の彼女と向き合う目的には反する行為となる。
 だから……葉月は、唇を噛みしめても、胸が荒んでも、テーブルの下で拳を握って伝えねばならないのだ。

「そう。だからきっと、亡くなったお母様が言うところの『仕事の事は聞かないで欲しい』と言っていたのは、そういう素性を隠さねばとても危険な仕事に携わっていたからよ。もしかすると、貴女に『妻』と言わせていたのも、いつでも縁が切れる『他人』だと言う彼の防御だったのかもしれないわね」
「そういえば。『娘』と知られると厄介ごとが増えるなんて、言っていた──」
「きっと、徹底していたのね。そしてそうすることで貴女を、守っていたのかも知れないわ。シークレットで動く者は軍隊にもいるけれど、決して何の仕事をしているとか明かさない、素性を隠すものなの。秘密の命令を受ける隊員の中には、架空の部署に所属して周りの同僚にも本来の業務を隠すぐらい。とても機密性の高い仕事なのよ。つまり貴女のお父様もそう。瀬川アルドという名はあってないような生活を長い間その身に染みこませてきたはずよ。お母様はそれをよく理解していたのだと思うわ。もしかすると、そんなお母様だから、若き頃、将来あるお父様から身を引いたのかも知れないわね──」

 そう、きっと瀬川はその女性に尽くされていたのだ。
 それにどう気がついて、室蘭に再び現れたのかは分からないが……。
 それとも彼も、密かに思っていたのだろうか?

 考えたくないことばかりが、頭の中を縦横無尽に駆けめぐり始める。

「そうだったんだ。アル、ちゃんとまともな仕事をしていたんだね。今も?」

 徐々に、葉月は答えられなくなってくる。
 まともな仕事? 勿論、正義の仕事だろう。だが、本当の彼はもっと卑劣なのだ。きっとその冷酷な卑劣さが、任務で役に立つことは多々あったに違いない。
 正義って、何が正義なのだろう? 自分も軍隊という組織に属し、スクランブルがあれば領空向こうの戦闘機は『敵』だ。そうして彼等も同じ人間なのに、国境空域を犯せば、彼等は『悪者』──容赦なくコックピットの中から『正義感いっぱい』に、操縦桿を握りしめ、撃墜するのが『当たり前』。その時『向こうも同じ人間』なんて迷いはあってはいけないのだ。そこは冷徹に処理をする。それが『軍人』。瀬川の成果はきっとそこにあるのだろう。誰も持つことが出来ない冷酷な割り切り、そして軍隊という『正義』を背負って、そうして正義の名の下、冷酷に人を殺すのだ。

「・・・まともなんかじゃない」

 ついに葉月はそう呟いていた。

「まともなんかじゃない。軍隊は、人を殺すのよ!」
「葉月さん……?」
「ええ! この私だって、任務の時に次々と平気で人を殺す男を、危険な男を銃殺したことがあるわ!」

 美波と翼が、ビクッと一緒に固まる。
 目の前に、本当に人を殺したことがある人間がそこにいる『実感』が湧いたのだろう。
 そう──葉月が軍人である以上、それはあっておかしくない話なのだから。

「銃、だけじゃない。時にはコックピットから、そうせざる得ない状況の時は何度も『覚悟』した時があった」

 葉月は拳を握って、二人に叫んだ。

「そんなまともじゃない仕事なのよ!」

 葉月が言いたいのは……だから、『瀬川だって人を幾らでも平気で殺してきたんだ』と。
 だが、そこまで言って、葉月は『それとこれとは違うのに』と、うなだれてしまった。
 驚いている美波の隣にいる翼が、やっと一言挟んできた。

「葉月さん。俺はそれとこれとは違うと思いますよ。しっかりしてください」

 まるで代弁をしてくれるように静かに言ってくれた彼の言葉に驚き、葉月は顔を上げた。
 翼には葉月がそこで自分の誇りある仕事を卑下してしまった理由も見透かされているようだった。
 そう──。私達は時にはそうせねばならない事もあるが、それもやはり認めたくはないが瀬川と同じように『正義』と思っているから、信じているから。あってはいけないことを防ぐために、自分たちの情熱を傾け、仲間と団結しているのではないか。
 『それ』と『これ』は確かに違う。ただ、美波には……そうではない人なのだと言いたくて、なのに言えなくて。

 言葉が止まってしまった葉月。
 心の中で渦巻く憎悪が増長し始めている。あんなに凪いでいた心が、またどんよりとし始め、ずんずんと黒い水溜まりが深く大きくなり、もうすぐ決壊しそうだ。
 その時、きっと葉月は目の前の、美波を傷つけてしまうだろう。
 これ以上、何も言えない。言いたくなくなってくる。以前の自分のように、そこから逃げ、殻に籠もりたいほどの嫌な気持ちの中に置かれていた。

 するとそれを察したのか、翼が美波に話しかける。

「確かに『公的組織』に準じれば、『正義』とは言えそうだけれど。軍隊は国の元にあるし。どの国が正しいと言う話になると、途方もない問題。つまりそういうことでしょう」

 翼はそう言うと、美波からその資料をさっと奪った。

「確かに。正義のお仕事、その下での成果。だけれど、美波──今日、葉月さんと美波の間では『ただ一つの事実』ぐらいの価値しかない『履歴』だと思うな」

 翼のその言葉に、美波の表情ががっかりするかと思えば、途端に笑顔を消し、今日ここに来た覚悟を思い出したように引き締まった。彼女は翼の目をじいっと見つめ、ゆっくりと頷く。そして再度、葉月に向き合ってくる。

 翼と彼女──。女性を真っ直ぐに想う男性って、皆、こんなかんじなのだろうか?
 見ていると、なんだか懐かしい気持ちにさせられた。自分も誰も信じられない時、真実から逃げていた時、そしてどうして良いか彷徨っていた時、きっと隼人がそうして隣にいて、道しるべを幾つも見せてくれていた。今、目の前にいる若い二人は、まさにその姿を思わせる。
 そして結婚したというのに、今、隣に頼りがいある男性がいる彼女を羨ましく思い、葉月は隣に心より信頼している夫がいないことを寂しく思った。
 だが、と葉月は首を振る。そうして道しるべを見定めて、自分で一歩前に進もうと心を強くしている女の子が自分にしっかりと向いている。

 葉月も、しっかりせねば。

「……そう、正義の男で間違いないのよ。『一つの事実』としてならね」

 やっと心を平静にして口にすることが出来た時、ついに美波から向かってきた。

「じゃあ、葉月さんが知っている『事実』を見せて──」

 ついに来た──。
 美波が葉月を見据えるその眼は、心が凪いでいる葉月と同じなのか、とても静かに見えた。
 彼女もあらゆる迷いの荒波と戦ってきたという眼……。

「わかったわ」

 葉月はそういうと、ブラウスのボタンに手をかける。
 『テル』がお詫びにとくれた白いブラウスを着ている今日。
 春のそよ風が舞い込んでくる寝室の片隅で、葉月の指も迷うことなく、ブラウスのボタンを外していった。

「あの、葉月さん?」

 何故、そうなるのかと言う美波の不思議そうな顔。
 翼は黙って見ている。目の前で知り合ったばかりの女性が構うことなく肌を晒そうとしているのに、動揺している様子はひとつもない。まるで何か知っているか分かっているかのような顔。テルから聞いたのだろうか? この傷だらけの身体のことを──。
 やがて葉月が着ているブラウスの身頃が、そのそよ風にひらりとそよぎ、肌を露わにした。
 きっと色香など何処からも漂わない光景のはずだ。今はコットンの締め付けないブラジャーをしているが、女性特有の乳房の丸みから生まれる柔らかい谷間には、脱脂綿が埋め込まれ、白いテープで固定されている。それどころか、肩からも稲妻のような古傷。その古傷の怒りが収まってきた頃に再び刻印された胸の傷。

 美波が小さな悲鳴のようなものを、その小さな口からこぼした。
 だが、彼女はそれを葉月には聞かせてはいけないと悟ったのか、すぐさま口の中にその悲鳴を押し込んだようにも聞こえた。
 分かっているかのような翼も、落ち着いてはいるけれど、哀しい眼を伏せている。

 だけれど、今度は葉月が堂々と美波に向かう。

「同じ男に傷つけられたものなの。肩の傷は十八年前。私は十歳で……。姉と一緒に別荘で過ごそうとしていた夜に、数人の男が押し入ってきて二人揃って襲われたの。姉は女性的な虐待を受け乱暴をされ、私は姉の言うことを聞かせるための道具にされたわ。最後、たぶん私は子供だったから、口封じするのは殺すしかなかったのでしょう? その時、『ヴァイオリン』を弾くことを知った犯人が、私の肩を引き裂いたの。そう、死ぬところだったわ」
「お姉さん……? お姉さんもいたの?」
「実の姉よ。この前のね、庭にいた『兄』は姉の恋人だった人なの。結婚する予定だったの。だから、姉が亡くなっても私達は『義理のお兄さん』として家族として過ごしてきたのよ」
「お姉さんは亡くなったの?」
「ええ。その事件を苦にして『自殺した』と。子供の頃からずっと大人達からそう聞かされてきたわ。だけれど──違った」

 気がつくと、美波は顔面蒼白となり、震えていた。
 葉月ははっとして話すのをやめる。
 彼女はもう、察したのだ。
 それは『父親がやったことなのか』と──。

 葉月は話し方を変えることにする。

「私ね──。その『男』と、とっても深い縁があると思うの」
「そ、それ……が……。『父』だと言うの?」

 葉月は頷かなかった。

「その男に、もう一度会わなくちゃならない。会いたいわ」

 その一言には、翼も驚愕し、美波はもう途方に暮れていた。

「確かに、憎んできた。その事件だけでなく、世の中のなにもかもが受け入れられなくなった。だから私はヴァイオリンを捨て、パイロットになったの。何度も、何度も、死に近い状況を招き、自ら引き寄せてきた日々だった。でも、死ねなかった」

 そして葉月も顔をあげ、美波に言う。

「コックピットの中で気がついたわ。──『死ねないのは、生きたいから』だって。だから、私も、逃げない。今の貴女のようにね」

 白いブラウス、可憐な花柄のスカート。そして弱々しく衰弱した身体を車椅子に預けている栗毛の女性。
 今はそんな『か弱い女性』に見える病人の葉月からは、余程にかけ離れた『姿』に聞こえることだろう。
 葉月のそれまでの『彷徨い』を知った美波の顔は、もう蒼くはないけれど、驚きと哀しみを交えた表情を見せてくれていた。

 ヴァイオリンを弾いていたただ何も知らない無邪気だった十歳の少女は、過酷な空に魅入られ死の淵を覗く日々に身を投じた。
 そこまで追いつめられた少女時代。
 目の前の二人はやっと『葉月』という人間のことを知ってくれた事だろう……。

「……今、結婚して、幸せ?」

 美波の突然の問いに、葉月はふと戸惑った。
 だが、何故、それを聞かれたのか……。きっとその『空に向かった少女』が行き着いた場所を知りたいのだろう。
 葉月はにっこりと微笑む。

「ええ、幸せよ」
「そう。良かった……」

 彼女はそう静かに呟くと、その白っぽい緑の瞳から一筋の涙を流してくれた。

 ……どうしてだろう?
 葉月の目からも涙がこぼれてきた。
 そのそっくりな眼。その眼に虐げられてきたのに、その目を引き継いだ女の子からは慈悲深い涙を見せられている。
 まるで別の人間であれど、その『眼の者』が詫びてくれた気にさえなってくる。
 だがそうじゃない。それは美波というとても優しい女の子だからなのだ。本当に見失ってはいけないのは、そんな優しい娘にこうして償わせている『父親』の卑劣な心。

 葉月はブラウスのボタンを再び閉じ、車椅子を動かす。
 ベッドへと向かい、その上に置いている銀のケースを開ける。そこから艶やかに煌めくヴァイオリンを取り出した。
 窓辺へと向かい、葉月は壁に手をついて立ち上がる。そしてその窓際に背を預け、ヴァイオリンを美波に見せた。

「見て。取り戻したのよ。この子に八つ当たりして壊したこともあったけれど……。やっぱり愛していたから……」

 窓辺から降り注ぐ日射しの中、葉月は誇らしげにヴァイオリンを突き出して美波に見せる。
 するとやっぱり、彼女はとても嬉しそうな顔を見せてくれ、席を立って窓辺に駆け寄ってきた。

「綺麗。ヴァイオリンを目の前で見るのは初めて。ねえ、弾けるの?」
「今は胸に響くから、あまり……。でも音だけなら出せるわよ」

 美波が『聞かせて』と言わんばかりの瞳をしている。
 その目はとても透き通っていて無邪気だった。
 ……なんて綺麗な目なんだろう。そして、何故、こんなにもあの男に似てしまっているのだろう。
 とても複雑だったが、葉月はこの時ふと思った。

 あの男の目は、濁ってはいなかった。
 そう、とても冷たかったが、この娘と同じように透き通っていた。
 生きている目、なにかの為に生きている目。死んではいなかった。

 何故──、あの男はそうして生きているのだろう?

 顎に乗せ、弦にボウを乗せる。
 心は湖。ボウは柔らかな毛並みの小動物を優しく撫でるかのように柔らかく……弦を撫でる。
 二音、三音……そして一小節奏でたその音は、葉月にしては珍しく『短調』で、切なく哀しい音になっていた。

「綺麗。また、弾くの?」
「ええ。趣味としてね──」
「それで、いいの?」

 美波がヴァイオリンを、葉月がそうしているように……動物に触れるみたいにそっと撫でてくれた。
 その『それでいいの?』と言う美波の真意の中には『壊されたことを完全なる形で取り戻したくはないのか』という問いであることが分かる。そして、彼女も──何かを失い、その心の空洞を埋めたくて仕様がないところにいるのだと、葉月は悟った。

「いいのよ。私、もう、パイロットとして生きていくことに決めているの。ううん、空軍で生きていくの」
「何故? また、『危ない淵』を覗きたいの?」

 葉月は首を振る。
 そして、胸を張る思いで美波に微笑み向かった。

「いいえ。そこに愛する人達が沢山いるからよ」

 美波のハッとした顔。
 彼女は茫然とした顔を葉月に見せていた。

「沢山の仲間がいたの。気がつかない内にね……。もう少しで彼等の愛を踏みにじってしまうところだったわ。気がつけて良かったと思う。気がつくことが彼等へのお返しよ。それすらも私は出来なくなるところだった。そして今度は私が愛するの」
「沢山の愛?」
「そう、それは自分で見つけなくちゃいけないのよ。愛はあるんだけれど、見えないと意味がないから……」
「あるけど、見えない……」

 すると美波がふうっと吹き込んできた風に乗るように振り返り、二人の女性が向き合っているのを静かに眺めている翼に振り返った。

「貴女にも見えたなら、大切に」
「うん……」

 初めて会った時、この美波という女の子は、とても飢えた顔をしていたと葉月は思い返す。
 それは葉月にとっても、覚えのある顔。丁度、この彼女と同じぐらいの年頃の時、そんな顔をして飢えて飢えて、そして空へと向かっていった日々。
 だけれど、今日の美波は満ち足りた顔をしている。

「葉月さん、有難う」
「え?」
「だから、私ね。私……」

 美波が急に泣き始める。
 今度は葉月が途方に暮れた。

「私が償うから、償うから……。父にも償わせるから、だから、許して」

 葉月にすがってくる美波──!
 葉月は壁に後ずさる!

「や、やめて……」
「ごめんなさい。ごめんなさい」

 まだ、彼女の父親がやったのだと、一度だって言っていない。
 そして彼女は娘として父親は正義の男で、やってはいないと言い張ってもいいのだ。葉月だってその覚悟だった、なのに──!

「やめて! 私が償って欲しいのは、貴女でもなく貴女の父親でもなく、ただ『あの男』なのよ!」

 葉月は美波を突き飛ばした。
 彼女が力無くよろめき、窓辺に手をついて泣きながらうなだれる。

「いい? 貴女はね、娘として父親を見定めることだけを考えればいいの。貴女は償いとは一切、関係ないのだから、やめてちょうだい!」

 でも、正直──葉月は心の何処かで、『それを待っていた』とさえ思っていた。
 そんな娘に『償う』と言われても、心の隙間は埋まりっこないと思っていた。
 だけれど、何故? 彼女が娘だから? 確かにその『償う』という言葉は、葉月の胸に染みいってきてしまった。そして、その言葉が染みながら、まだ拒絶しようとする憎しみも確かにある。
 だから今はまだ、その美波の綺麗な気持ちを葉月は受け入れられないのだ。そしてそんな彼女の綺麗な気持ちを受け入れられない自分がとっても恨めしい!

 だが、気がつけばその間に翼が立っていた。

「美波。まだお前と葉月さんは交わるところに来ていない。まだ顔は見えても、まったく違う線の上にいるんだ」
「つ、翼さん……」
「翼──」
「二人が、それぞれの心で、望むものを見届けられることを祈る」

 そして葉月の目の前にいた美波は、そよ風に乗るように……心のまま彼の胸の中に飛び込んでいた。
 彼女の救いが、そして居場所がそこにあった。
 葉月はそれをみて、涙を流す。まるで客観的に『私と隼人』を見ている気分にさせられた。
 ああ、こうして私と夫も結ばれてきたのだと──。自分のことも、そしてそんな愛が他にも咲いていることをこの目で見ることが出来た喜びが……。

 葉月はいつの間にかヴァイオリンを構えていた。
 いつもそうして弾いていたように──。
 胸の痛みなど厭わず。ただ、今、心から溢れてくるものを弾きたかったから。
 整った音など、関係ない。
 ただ心で感じたことを、音に乗せ……

 胸の筋肉開閉が言うことを聞かないので、音は掠れ、途切れ、音程はあまり良くない。
 それでも葉月は……。いつか答が見えないと弾くことを途中でやめた曲を弾き始めていた。
 エルガーの『愛の挨拶』──。あの箱根の雨の夜に、ふと開けてきた視界。あの時、葉月はその曲を隼人に聞かせたいと思っていた。
 それを今──。

 ああ、私もその胸に飛び込んで、彼女のように溢れる気持ちをそのまま貴方にぶつけたい。

 とても聞ける音ではないのに、葉月の側で、美波と翼は寄り添って聞き入ってくれていた。

「いつか聞かせて」
「……ええ、いつか」

 美波のその希望に、葉月はまだ心より受け入れることは出来ていなかった。
 でも、自分のその音に魅入ってくれたような暖かい眼差しに、葉月は微笑むことが出来た。

 そんな時──。この窓辺で微笑み合う美波と葉月の目元が急に眩しくなる。
 なにかがちかちかと二人の目元を襲っているのだ。
 翼がその異変に気がつき、美波をサッと自分の手元に寄せた。

「鏡──?」

 鏡が太陽に反射して発した光線のようなものが、葉月の胸元に止まった。
 そこは、刺された場所──。

 葉月はハッとして窓辺から、庭へと視線を馳せる。
 庭の緑の垣根。そこに……! 一人の男が微笑みを携えた顔で立っている。
 葉月がその男が誰か認識した時、美波が叫んだ。

「アル! アルだ!」

 驚いた翼も窓辺に身を乗り出した。
 呆然としている葉月の階下、その庭で、当然、不審者を認識したカルロが『男』へと歩み寄っていく。

 それを目にして、葉月は開いている窓に半身乗り出す!
 『カルロ、近づいちゃ駄目!』──顔をちっとも知らぬ彼等にとっては、ただの不審者が第一判断。目の前にいる男が幽霊だとは認識できない!
 しかしそれ以上の状況が葉月の目に飛び込んできた。

『どちら様……』

 カルロの直ぐ後ろにいるのは──『純一』。
 知り合いだった純一にだって一目では判らないはず。だって、彼は顔を変えているのだから!

「純、に・・い……」

 葉月がそう叫ぶと同時に、鏡を持って葉月を狙うように反射をさせていた『幽霊』が、純一に向かって何かを呟いている口元。
 義兄の顔は見えない。カルロと並んでいるその背だけしか……。

 幽霊は、今日はとても紳士に見えるスッとしたスーツ姿だった。
 彼がそのジャケットの胸元から何かを取り出した。

「純兄様、危ない!」
「ア、アル……! やめろ!!」

 葉月と美波は一緒に叫んだ。

 何故なら、現れた『アルド』が拳銃を構え、純一に一直線にその銃口を向けていたからだ!

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