39.ためらい

 

 連休中にあった出来事が嘘のように──

隼人の目の前ではいつも通り、『じゃじゃ馬嬢』の葉月が、元気良く働き始めていた。

隼人はそれでホッとはする。

自分の勝手で引き出してしまった葉月の過去。

それを口にさせて事にかなり反省はしていた。

これで、仕事に差し支えがでてしまっては、隼人もやりにくいところだった。

(彼女。さすがだな。)

やはり、葉月は『中佐』だと思った。

仕事中にそんな片鱗は絶対に見せない。

以前付き合っていた、大和撫子の彼女はそういう時は必ず仕事に持ち込んで

周りの後輩部下に当たり散らしているところだった。

そして…。

そんな落ち着いた葉月を見て、隼人はふと思い出した。

『仕事のことで相談が…』

バスの中で葉月がそう言いだしたことを安心すると急に思い出した。

しかし彼女は、午前の講義に一緒に行くときも、

今こうして中佐室にいても(今は康夫がいるが)

その“相談したい”という様子はまだ見せてくれなかった。

(なんだったんだろう?)

隼人は気になったが、本人が言い出さないならもう相談に乗らなくて良いのかな?と

そのままほっておくことに決めた。

それに、今の仕事ぶりを見ていたら隼人が手なんか貸さなくても充分と言うほど

良くやっている方だった。

康夫のチームは急激にアクロバット飛行に磨きがかかり

周りのパイロットチームが驚いて、脅威を感じているらしい。

日本人がキャプテンのチーム。

その康夫のチームが今年の式典で『航空ショー』の切符を手にしたら

それは康夫にとっても名誉。指導した葉月にとっても成果が出たことになる。

後は、隼人の研修生達が無事に滑走路デビューをするだけだ。

日取りも決まって、康夫のチームの訓練で『本番』を迎えることになっていた。

それが終わると葉月はいよいよ日本に帰国するのだ。

なんだか、既にフランスの隊員の如く溶け込んでしまった葉月が

居なくなるなんて考えられなかった。

このままずっと居るような感覚が隼人にはあった。

だからといって、葉月が帰ることは止められないし、

少々寂しくは感じるがそれは最初のウチだけで

またいつもの静かな日常が戻ってくるだろう…。隼人はそう思った。

今度は隼人が日本に研修に行ってもいいぐらいには考えていた。

そこで、葉月がどんな中佐振りか見ることもできるし、

隼人も、今後の生徒育成のためにたまには外の基地に

学習に行くことも大切だと思い始めていた。

これはきっと。葉月の働きぶりを見てしまった影響なのは

隼人自身素直に認めていた。

葉月が帰るまでにこの気持ちとか、今後のお互いの働きについて

一度ゆっくり話したいとさえ思っている。

しかし…

「葉月。連隊長から内線だ」

中佐席で雑務をしていた康夫が『フランス航空連隊長』からの内線電話を

応接テーブルでレポートをまとめていた葉月に向けた。

「あ。はい」

彼女も立ち上がって、『連隊長直々』の内線に首をかしげながら康夫の席に向かってくる。

葉月がフランス語で連隊長の話に相づちを打ち始める。

康夫も連隊長直々の内線に心穏やかじゃない様子で眺めている。

「はい。承知いたしました。今すぐお伺いいたします…。」

葉月が固い面持ちでそっと内線を切った。

「どうしたんだよ?」

康夫が席を立って葉月に心配げに尋ねた。

「いいえ。大したことじゃないみたい。取り敢えず来て欲しいって言うから…。

行って来るわ。フジナミには仕事中に悪かったって言っていたわよ。」

葉月がいそいそとテーブルを片づけてキチンと上着を羽織って

肩章が曲がっていないかチェックして…。

「じゃあ。行って来ます」と、早々に出ていってしまった。

康夫がなんだか心配そうに中佐席から立ったまま見送ったが…

「ちょっと。行って来る」

康夫も椅子にかけていた上着を手にとってサッと中佐室を飛び出してしまった。

隼人は一人ポツンと取り残されて…

(なんだか。忙しそうだな。)と、ため息をつく。

こうして、葉月とは以前のようにゆっくり一緒にいることが無くなってしまった。

もう、研修として葉月が居るべき期間は半分は切っていた。

中佐二人のことと思って、隼人はいつも通りこの頃一人でするようになった

『一人の雑務』に専念することにした。

 

 

「おい! 葉月。待てよ!!」

康夫が先をゆく葉月を呼び止めた。

「なに? ついてきたりして…」

葉月が立ち止まって振り向く。

「だってよぉ。連隊長直々だぜ???」

「そんなに、心配する事じゃないと思うわよ」

連隊長に呼ばれたというのに、ケロッとしているところがやはり、

お偉い方の父親を持つ『お嬢さんらしい』と康夫は呆れて立ち止まった。

「たぶん。側近のことだと思うわ」

「え!? 隼人兄のことか???」

康夫は、ちっとも前に進もうとしない葉月の口から

『側近抜き』の話が出てビックリ葉月を指さした。

「実はね。康夫。連休の間に“ダンヒル校長”の所に隼人さんとお邪魔しに行ったの」

康夫はそれを聞いて益々ビックリ背筋が伸びてしまった

二人がいつの間にかそんな同行をしてたからだ。

「知っているでしょ? おじ様と亡くなったお祖父様が仲良かったの

康夫もなんで言ってくれなかったの? 大尉がそこでホームステイしていたって」

「いや、言われてみれば……。そんな繋がりがあるのだと、今、気が付いた。

だってさ。もう校長は退官している爺さんだぜ??

親しいなら、葉月の親父さんの方だったら俺も気が付いたかと」

「よね? 私だって久しぶりにお会いしたんだもの。でもね……。

おじ様は、流石、校長をしていただけあるわよね。“見抜かれていたわよ”」

「“見抜かれていた”?」

「そうよ。私がただの研修で二ヶ月も中隊を空けるのはおかしいって。

何しにフランスに来たかって…。あげくの果てに私の中隊の“現状”を知って

今の御園中佐に必要なのは側近。“隼人の引き抜き”かって聞かれたわよ。

もちろん。隼人さんが側にいたからはぐらかしたわ。

でも、きっとおじ様は“期待”しているのよ。澤村大尉が『島』で活躍することを。

おじ様はもしかしたら、

裏からなにか手を打って来るんじゃないかって思っていたけどやっぱり来たわね」

葉月が“敵わないわね”とため息をついた。

つまり連隊長からのお呼びは、『側近抜き』について念を押されるために呼ばれ、

そうするように仕向けたのは連隊長の先輩株である“元校長”だと葉月が言っているのだ。

康夫は益々ビックリした。そこに康夫がいつも追いかけている

妙にひらめきが鋭い『ライバル』がいるからだ。しかし…。

「って、ことはなんだ!強い味方が出来たじゃないか!?」

葉月もためらっている、隼人は頑なに心を開かない。

二人を良く知る顧問相談役のお偉い元校長が二人を取り持ってくれたらこんなに安心なことはない。

なんで、いままで気づかなかったんだ!!とさえ思ったくらいだ。

しかし、葉月がため息をついた。

「こんなやり方じゃ。隼人さんはよけいに心を固くするわ

私。隼人さんが寝坊している間におじ様が教えてくれたのきいたの。

なんでも…。隼人さんの今のお母様って“継母”らしいじゃないの?

13歳も歳が離れた弟さんは“異母兄弟”だって。

取り立てて不仲って訳でもないのに彼は15歳で家を出てきた。

きっと何か居られない訳があったんだっておじ様が言っていたわ。

おば様も…。最初は無口で扱いにくくってちっともなついてくれなくて困ったって言っていたわ

母親の愛情を知らないばかりに“甘え方”を知らない男の子だったって…。

つまり。隼人さんにとってダンヒル一家は“家族”。

おば様を本当の母親と思っているから、日本に帰りたくない。

日本に帰っても帰る場所がない。そんな事なんじゃないかと、おじ様が言っていたわ。

でも、おじ様もおば様のせっかく軍人になったんだから

隼人さんには実力が発揮できるところで活き活きと頑張って欲しいから

いつかチャンスがあればって…康夫と同じ事言っていたわ。」

「そうだろうな。俺もダンヒル元校長にはいつも“隼人にチャンスがあったら”って

会う度に言われるもんな。そうか、隼人兄の家族のことを聞いたのか」

「康夫が遠野大佐と大方の予想を付けていたってこのこと?」

「ああ。そうだよ。“澤村精機”って知っているか?」

葉月はそれを聞いてハッとしたようにビックリした。

「それって!日本基地がOA機器とかを委託している所じゃない!

私の大佐室のパソコンは“澤村精機”のものよ!!まさか!?」

「そう。黙っていたけど、そこの御曹司」

『うそ〜!!!』と、葉月は絶句し、固まった。

道理で、むさい男の軍人ばかりの中では、ソフトで紳士に見えたはずだと。

オボッチャマじゃないかと思った!

「そこも引っ掛かって居るんだろうな。おそらく、今の母親の本当の子供。

異母兄弟の弟に跡取りを譲るつもりなんだよ。だけれども優しい姉のような継母が

隼人兄に気を遣う。それが耐えられなかったんだろうな。

“長男”って言う囲いから出たかったんだと思うぜ?

日本に帰ったら帰ったで“跡取り問題”なんかでややこしくなると思っているんだよ。

隼人兄はあんまり日本の家族のことは話さないし、里帰りの帰国もしない。

だから、日本に帰りたくないんだよ。だけれども、隼人兄は

本当のフランス人じゃない。故郷がしっかり根っこにあって“永住”するなら

それもいいだろうさ?でも、隼人兄は“逃げたまんま”。

そんなのあの兄さんには似合わない。何処かでキッカケがないとな。」

「それが私って言うの?」

「そうだよ! だから言ってるだろ!! 何度言わせるんだよ!

フランク中将が“上を目指さない隊員”と解っていて

お前の側近候補にしたのは、そういう事なんだよ!」

「なに!? それ!! 『お嬢さん』と『お坊ちゃん』だから丁度良いって事!?」

葉月は初めて隼人の素性を知った動揺が隠せずに

思わずムキになって康夫に突っかかってしまった。

「このバカ野郎!!」

康夫の一吠えに葉月はビックリしてのけぞってしまった。

「だから、お前は嬢ちゃんなんだよ!

自分の胸に聞いて見ろ! お前がこの前、日本で俺に相談したこと覚えているか?

『出世の近道に使われるのなら嫌だ。ウチの財産目当てで近づく男は嫌だ』

そう言ったよな!! よく考えて見ろよ!

お前はそんな飾りでよってくる男を特に嫌っている。

隼人兄はどうなんだよ! 『坊ちゃん』ていう肩書きを嫌って家を飛び出して。

この先安泰の“跡取り”を捨てた男だぞ! そんな男がお前の財産なんか狙うかって言うんだ!

オマケに出世意欲は全くない。それは、フランスにとどまる為に“転勤”を避けているだけ。

お前の側に来て出世したいなんてこれっぽっちも思っちゃいねえよ!

フランク中将が隼人兄に目を付けたのはそこなんだよ。

葉月の側に置くには丁度良い“価値観”だってな!

こんな事、最初から言ったってお前も頑なな女だからな。

聞きゃしなかっただろ??」

康夫の力説がごもっとも過ぎて葉月は黙らざるを得なくてうつむいた。

「葉月。お前だって判っているんだろう?

隼人兄は飾りで人を見る男じゃないって。

お前にはピッタリじゃないか。隼人兄にとっても。

きっと気が合うって思っているんだ。」

葉月は額を押さえてうなだれた。

こんな風に隼人のことを知るとは思っても見なかったからだ。

「ごめんなさい。色々…私心配かけて

本当に私のこと考えてくれていたのね…。

でも。今の話聞いて自信なくしたわ。

それは大尉の中ではうんと根が深い事じゃない?」

「解っているよ。誰も今まで隼人兄を動かさなかった。

でもな。俺はお前ならやると思ってな。だからフランク中将を説得した。

鎌倉の叔父さんに聞いて見ろ。

神奈川訓練校にも隼人兄の親父さんは出入りしているはずだ。

つまり。お前と隼人兄は近からず遠からずの“縁”があったてことだよ。」

「それ。本当!?」

「隼人兄からはなんにも打ち明けてくれないが。

“父親が軍に出入りしていて、ダンヒル校長を紹介してもらった”って言っていたぜ?

きっと、お前の叔父さんが親父さんつまりお前の祖父さんの友達である

ダンヒル校長を紹介したって事じゃないか??」

確かな話ではなさそうだが、そう言われるとそうとしか考えられなくなってきて

葉月は、初めて巡り巡る『縁』と言うものを感じ始めていた。

遠野と出会ったから『隼人』の名を知った。

康夫が友人だから『隼人』に逢うことになった。

隼人の父と、葉月の叔父が通じているから『隼人』がフランスにいる。

しかも。祖父の友人に預けられて…。

そこで、呆然としていると…。

『易々、気を許すな』

義理兄の声がまたこだました。

葉月は、頭を振って額を押さえる。通路の壁にうつむいていると康夫が一つため息をついた。

「ま。ビックリさせるつもりはなかったんだけどさ。

そういうことだ。お前もやっと隼人兄を“認めた”みたいだから

早いウチに話そうと思っていたんだ。今までは“聞く耳持たず”って感じだったからな。

連隊長に逢う前に、そこん所心得ておいてくれ。

サワムラはテコでも動かない隊員。そこは連隊長も良く知っている。

元校長の懐にいる“坊ちゃん”。一応大切にはされているし。

連隊長としては“手放したくない”って言う素振りも見せるかも知れないからな。

ダンヒル元校長にせかされて仕方なく、お前にハッパ掛けるかも知れないが

お前が、あやふやな態度取ったら“サワムラは渡さない”って言い出しかねないぞ」

康夫は、それが特に言いたくて追いかけてきたという感じだった。

葉月は、それを聞いて、急に連隊長に会うのがおっくうになってくる。

その上、また。

『仕事の関係にとどめておくんだな』

義理兄の声がして混乱してきた。

どうすれば、自分にとっても、隼人にとっても良いのか?

『仕事』なら、連れて帰りたい。

『プライベート』なら、『友人』として別れるべきなのか…。

それとも、せっかくだからもう少し深く付き合ってみればいいのか?

そうしているウチに『早く行けよ』と、康夫が、肩を叩いて帰ってしまった。

葉月は、一人物思いにふけりながら『連隊長室』にトボトボと向かう…。

急に、『ためらい』が生じた。

せっかく、『彼ならいい』と心が弾んでいたのに……。