41.駆け引き

 

 空が夕暮れに染まって葉月は一人、外に出る。

康夫はまだ、中佐業務が残っているので先に帰っていいと見送ってくれたのだ。

隼人が貸してくれた赤い自転車が止めてある駐輪場までゆっくりと歩く。

空を見上げると、相も変わらず轟音を轟かせて飛行部隊が水平線の彼方、

オレンジ色に染まりながら長い飛行煙をひいて消えてゆく。

海の側にある滑走路。深い紺色の地中海の海。

(小笠原と一緒ね…)

日本を出てきて1ヶ月半。そろそろ、住まいが恋しくなってくるような景色だった。

葉月の住まいは、祖父が建ててくれた丘の上に建つ小さな三階建てのマンション。

広く海が見渡せる最上階に住んでいて葉月はそこのオーナーにしてもらっている。

住んでいる人たちは、高齢者が多いが皆気さくで、優しい人たち。

『素敵なフランスでの空気を吸って元気を取り戻しておいで?』

そう言って送り出してくれた笑顔を思い出した。

遠野が亡くなって、人知れず車を飛ばした夜遊び。お酒。煙草。

時には絡まれて喧嘩を売った事も…。

そんな若い葉月の生活を本当は見て見ぬ振りをしてきてくれた

住民のおじさん・おばさん。奥さんやご主人…。

(みんな…どうしているかしら?ロビーでひなたぼっこしているのかな?)

ちょっとだけ。ホームシックになった。

『おかえり!!葉月ちゃん!!』

可愛い甥っ子の声も響いてくる。

『見て!!俺。英会話で今日これだけ覚えた!!テスト代わりに英語で相手して!!』

葉月が帰ってくるとそう言ってまとわりついてくる男の子。

姉が残した、たった一人の甥っ子…。その子に今度逢うときは…。

『澤村です。宜しくな。真一君…』

そうなっていなくてはいけない…。無いかも知れないがそうならなくてはいけない場面を

葉月は想像して、一人、隼人の声に赤面し、ため息をついた。

(そんな風になれるのかしら?)

康夫に中佐らしく格好付けたものの、やはり何処かしら不安だった。

それに真一が、今度なるかもしれない葉月のパートナーを、快く受け入れてくれるかも

実のところ心配だったりする。

今朝。義理兄の、金髪の部下が届けてくれたプレゼントの箱を抱えて

うつむきながら考え込む。そうしていくウチに駐輪所までいつの間にか辿り着いていた。

ふと気づくと人影が──。

「結構早かったね」

見上げると隼人が立っていてビックリした。

葉月が貸してもらっている真っ赤な自転車に隼人が腰をかけた。

そうされては帰れないではないか…。

「どうしたの??」

「別に。」

隼人の返事はいつものあまのじゃくのように素っ気なかったが

何かを訴えるような、射抜かれるような冷たい視線に葉月は息を飲んだ。

暫くどうしていいのか戸惑いながら、隼人と見つめ合っていると

彼の方からプイッと視線をそらした。 そして沈黙が流れる…。

葉月が思いあぐねて、ジッとしていると…。

「晩飯…。食いに行かないか?初めて一緒に行ったレストランに」

隼人は腕を組んで…ハンドルに乗せて。葉月と目を合わさずに呟いた。

「いいけど…。それで?待っていてくれたの?」

「行くのか?行かないのか??」

即、隼人に詰め寄られ、葉月はグッと引き下がった。

何か見抜かれたくない心があるのだろう…。そんなとき彼は照れ隠しに

急にこうして冷たくなる。あまのじゃくなのだ。それはこの1ヶ月でだいぶ心得てきた葉月である。

「解った。行くわ。丁度良いわね。話したいことがあって……」

「そう? そりゃいいね。俺の方もある」

今から心して隼人に探りを入れるのに、丁度良いと思ったのに、逆にドキリとした。

無表情に平坦に言われて…。葉月の方がなにやら意気込んでいる隼人に蹴落とされそうになりそうだった。

葉月は、自転車から退いた隼人の背中を見つめて…。

そっと一息、ため息をつく。

(何? 何を怒っているの?)

朝。『告白』を聞いたのにサラッとしていた隼人でなくなっていて

葉月は戸惑うばかり…。しかも、誘っておいてさっさと自転車に乗って

先に警備口に向かう隼人に呆れたぐらいだった。

 

 

 海の水辺線がうっすら紫色に染まり、日が沈んだ頃……。

 

 隼人の後を付いて葉月は、『サボタージュのランチ』に、隼人が連れていってくれた

海辺の小さなレストランにたどり着く。

二人で自転車を店先に止めて、軍服にままお店に入った。

『ラ・シャンタル』の陽気なマスターと違ってここのマスターは

初めて来た日と変わらず、物静かにそっと微笑んで隼人に手を振るだけだった。

それでも、あの日。葉月を見て驚いた様子だったマスターは

今度は葉月にはニッコリ微笑むだけの挨拶をしてくれたので

葉月も控えめに微笑んで会釈をしておいた。

やっぱり隼人は、初対面の日にエスコートしてくれた窓際の席に腰を落ち着けた。

葉月もそれに従う。

店の中はあまりお客が入っていなかったが、漁帰りらしき男達が

カウンターでつまみをつつきながら酒盛りをしていた。

「さて、何にしようか?」

隼人が先にマスターがいるカウンターの向こうにメガネを掛けて目を細めた。

カウンターの中に黒板がかかっていて今日のオススメメニューが記してあるようだ。

「今夜もお任せ。この前も美味しかったから」

「そう?じゃぁ…」

葉月が隼人に合わせようとすると彼もニッコリやっと微笑んでくれてホッとした。

隼人は早速、マスターに合図を送って呼びつけた。

「ボンソワール・マドモアゼル」

初めてマスターの渋い声を聞いて葉月も『ボンソワール・ムッシュ』と

戸惑いながら微笑む。

小柄で白髪の60代ぐらいのマスターは隼人の注文に静かにウンウン頷いて…

「隼人。恋人が出来たのかい?ここのところずっと一人で来ていたからね」

などと…穏やかにニッコリ微笑んで隼人の肩を優しくさすった。

「ち…ちがうよ!」

「いいんだよ。恋人でなくても♪」

マスターはパパのように微笑むと葉月にもグッドサインをだして去っていった。

隼人が女性を連れてくると言うことは、最近では珍しいと言うこと…なんだ。と、葉月は思った。

だから、初めてここに来た日。マスターは隼人が女性連れだったので

葉月を見て驚いたのだとやっと解った。

「もう…」

隼人は何処に行っても『恋人が出来たのかい?』と言われることに

疲れたため息をこぼしていた。

「大丈夫よ。わたし。その内いなくなるんだから」

葉月がそう言うと、隼人の表情が固まった。

「別に俺。そんな意味で…」

「本当の事じゃない。わたしは仕事できているんだし」

「そうだけど…」

「煙草…吸ってイイ??」

葉月はテーブルの隅にある灰皿を指さして、隼人にニコリとお伺いを立てる。

勿論、隼人も『どうぞ』と咎めはしない。

葉月が祐介の形見のジッポーで火を点けるところを隼人がジッと見つめていた。

「それ…先輩の?」

「あ…ええ…。」

葉月は初めて隼人にライターのことに触れられてカチリと蓋を閉めるなり

制服の胸ポケットにしまい込んだ。

「小笠原に帰ったらもうしまうわ」

「どうして??」

「この前言ったでしょ?もう…ケリを付けたいって」

葉月はそっと微笑んで代わりに祐介が死んだとき握りしめていたという

祖父が作ってくれたサファイアが埋め込まれた葉月の愛用ライターをテーブルの上に置いた。

「そのあと…俺になんて言ったか覚えている?」

そう…葉月は『ケリを付けたい』とバスの中で言ったあと

隼人に『相談がある』と言ったのだ。

勿論葉月も覚えている。ただ、『ためらい』があったので躊躇していただけ…。

「覚えているわ。『相談がある』と言ったわ。今日はその話…」

葉月は、ためらいながら言葉を口にしつつ、それを誤魔化すかのように

灰皿に煙草の灰をはたいてまた口にくわえる。

すると、隼人がなんだかホッとしたように急に穏やかな表情になったように感じた。

葉月は、なんだろうと、首をひねった。

「それで、何の相談?」

先程までいやに無表情だった隼人がいつもの余裕気な兄様になった。

 葉月は隼人の反応が理解できなかったが

今はそこを深く考える余裕はなかった。

とにかく…さて?どう『側近抜き』を切り出そうかと思いあぐねていた。

「わたしがいる小笠原の中隊のことなんだけど…」

まずそこから理解してもらおうと思った。

「小笠原の?お嬢さんの中隊かい?」

「そう。遠野大佐が置いていった中隊よ。今どういった状況か分かる?」

「さぁ?」

隼人は中隊管理に行き詰まった若女隊長の『愚痴』だろうか?と戸惑った。

「この一年。ポジション的に一番の肩書きがある私が隊長代理をしてきただけ…。

大佐が亡くなってからここまで何とかやって来れたのは、

補佐一同が協力してくれたから他ならないわ。」

隼人は、謙虚な女隊長の言葉に『そうだね』とも言えず…。

ましてや、知らない中隊のことには口が挟めなくてただ『そぉ…』

と、相づちを打っておいた。

「隼人さんが知らない中隊のことと解って話しているの。例えばよ?」

「例えば?」

隼人はそのまま返してみる。

すると、葉月が嫌に真剣に詰め寄ってきた。テーブルの肩肘をにじり寄せて…。

隼人もそんな彼女の『相談事』だからと、思わず顔を近づけて耳を傾けた。

「あなたが『連隊長』だったらどうする?このまま小娘に隊長をさせる?」

お互いの顔が至近距離に近づいて、お互いが神妙に小声で話し込む。

葉月のそんな真剣さに、隼人は一瞬躊躇する。

「さて。そんな偉そうな立場じゃないし…」

「偉くなったつもりで言って!隼人さんだって小娘なんかに任せられないでしょう?」

葉月が、すねたように言葉を突きつけてくる。

「でも…努力すればお嬢さんだってきっと…。」

「ほら!私はそんなありきたりな事言う人だなんて思っていないわ!

だから、相談に乗ってって言ったのに!」

葉月がプイッとすねて、煙草をくわえて離れていった。

隼人も、(そんなこと言われても…)と、戸惑いのため息をこぼす。

「隼人さんは、ハッキリ言ってくれると思って…こうして聞いているのに…。」

葉月がなんだかガッカリして唇をとがらせた。

「任せない。」

ハッキリした隼人の声が返ってきた。

葉月はいきなり求めていた声が返ってきてビックリしたが…。

煙草の煙を吐きながら、フッと微笑んでしまった。

「でしょ?私もそう思っている。誰だってそう思っているわ。」

「だったら、誰がこの後。先輩が残した中隊を引っ張っていくかってなるだろう?

その辺はお嬢さんだって、そろそろ本腰で考えなくては…。まずいんじゃないの??」

葉月の喜んだような微笑みが腑に落ちない。

彼女は『軍人』としては『生真面目』な方だ。

それが、『中隊の行く末』に行き詰まっているというのに…。

一番トップにいる彼女が『私じゃダメなのよ』と誇らしげに胸を張っているようで、

そんな彼女は『…らしくない』と感じたのだ。

「じゃぁ…。私がもし隊長になったとして…何が欠けていると思う?」

今度は『就任』を仮定に尋ねられて隼人も再び戸惑ったが

まじめに考えた…。

「年齢と…経験かな?あと…女性としてどうしても男性になれない体力的なこと…。」

若くして女性で『中佐』の彼女にはキツイ事実かな?と、

隼人はそっと伺うように葉月を見下ろした。

だが、彼女は傷つく風でもなく、やっぱり“ニヤリ”と余裕気に微笑んでいる。

「だから将軍達は、私などには『隊長』は任せられないって事よ。

では、その女性に本気で『隊長』をやらせるとしたら、隼人さんならどう采配を振る?」

『采配』などと、『頭脳的』な答えを求めるところ…。

隼人にはくすぐられる言葉だった。

(なんだ?上手いこと言わせようとするな…)と、

やはり若いとはいえ一隊長代理である

彼女の『力量』の一部を垣間見て、また、おののいてしまった。

葉月は葉月で…。

(さぁ…あなたはロイ兄様のような考えを出せる??)

と、隼人の『先見力』を確かめようとしているのだ。

「俺だったら…」

「俺だったら???」

葉月は隼人の先の答えに息を飲んだ…。

隼人が兄様分のロイのように…

『葉月が隊長になるなら、サポートする側近がいる』といえば、何とか本題に切り込みやすい。

『葉月が隊長にならなくとも上司がまた来ればいい』といえば…。

「また、遠野大佐のようなしっかりした上司を捜す。フランク中将もそのつもりだと思う」

その答えを聞いて葉月ががっくり肩を落とした…。

つまり。やっぱり『26歳の女中隊長』なんてあり得ない…。と言われたと一緒なのだ。

葉月はため息をついて、灰皿にそっと煙草をもみ消した。

葉月が中隊長になれっこない…と見られているからには

『側近』として引き抜いても着いてきてはくれない…ということになるのだ…。

葉月の脱力した様子に気が付いて隼人が…

「きっと見つかるよ。フロリダに居る親父さんだってきっと今頃捜してくれているさ。

えっと…。それは『七光り』とかじゃなくて…キチンと『職務』として…

お嬢さんの中隊って若手のエリート揃いだって康夫が言っていたし…

上官連中だってほっとくわけにはいかないって真剣に考えているよ!」

と、取り繕うように励ましてくれたが…

葉月は…『そぅ。メルシー』と作り笑いで返すことしかできなかった。

それはそうなのだが…。

ロイはそんなこと考えていない。葉月を隊長にしようと本気なのだ。

そうしているうちに料理が運ばれてきた。

「そういった事で悩んでいたわけ?」

日本語で話していたのでマスターはただニッコリ料理を並べて置いていくだけだった。

「うん、そうなの。帰ったら大変かなって」

『そうだね』と言う、隼人の淡白な返事がまたガックリしてしまう。

でも…

(今日はこのぐらいにしておこう。まだ、あきらめないわよ)

葉月は急にやる気が湧いてきた。

 

 

(何か、らしくないな? 相談ってこれだけ?)

隼人は、ジッと構えていた自分が馬鹿らしくなったりしていた。

もっと重要で胸にズッシリと来る何かが待っているような予感がしていたから…。

「わぁ。また、美味しそう!」

葉月の笑顔にマスターが嬉しそうに去ってゆく。

『俺達が今日、捕った奴だゼ! マドモアゼル!!』

威勢のいいひげ面の漁師達がジョッキ片手に葉月に叫んできた。

『おじ様方。いただきます!』

葉月の優雅な微笑みに漁師達がもっと嬉しそうに笑い声を豪快にたてる。

(そういうところが、憎めないって言うのかなぁ)

隼人はクスリと笑って、『出逢ったままの女の子』が目の前にいることで

もう、胸の中のわだかまりも何処かへ飛んでいってしまった。

海辺のレストラン。石垣添いの席。

窓辺にいつもの食事をする二人が映っていた。