42.側近向き

 

 朝……。

 

どんなに先へ先へと自転車を漕いでも……。

隼人の目の前に、いつも通りいるはずの葉月に出逢うことがなかった。

(おかしいなぁ…ホテルの食堂にはもういなかったようだけど)

葉月が泊まっているホテルアパートの食堂を毎朝通りがかるが

カウンターでママンがコーヒーを入れている姿しか目に掠めなかった。

(昨夜…食事したときはコレと言って体調も悪そうじゃなかったし…)

元気にいつも通りバクバク平らげた葉月が体調が悪いとは思えなかった。

と…言うより。なにやら様子は変に思えたが…。

(中隊のこと結構悩んでいるのかな??)

と言って…ものすごく落ち込んでいる様子でもなかった。

隼人は、再び彼女が何を考えているのか解らなくなってきた。

だが…。先日聞かせてくれた『葉月の過去』に比べたら

彼女がいつも通り…出逢ったままの女の子でいてくれるなら

どうだって良いか…とも思えてきて、とにかく隼人は先へと自転車を進めた。

警備口で、おなじみの彼に出逢った。

「ボンジュール、隼人」

「ボンジュール」

「今日は彼女と一緒じゃないんだな」

彼が妙に勝ち誇ったように微笑んだ。隼人は内心ムッとしたが…

「別に。決めて一緒って訳じゃないからな。」と、冷静に受け流す。

「彼女。今朝結構早く来たぜ?」

彼は、隼人が差し出したIDカードをサラッとスラッシュさせて返してくる。

「ふぅん…」

隼人もサラッと受け取った。

「“サワムラは?”と尋ねたけど…“私は忙しいの”だってさ。」

警備員の彼は『お嬢さんは隼人の相手なんかしてないよ』とばかりに

今日はいやに嫌味っぽかった。

「そりゃね。俺と違って彼女は『中佐』色々あるさ」

隼人は彼が葉月にわずかながらの好意を持っていることを知っていた。

このところ彼は、朝方の当番が増えている。

そうして、隼人と共に出勤してくる葉月を待っているのだ。

彼女に話しかける言葉の数が増えてきているのも解っていた。

なのに隼人がいつも側にいて、離れないのが気に入らない節もあったのだろう。

「デートに誘ったぜ」

「は!?」

自転車を漕ぎ出そうとした隼人に彼がポツリと正面の道路を見据えて呟いた。

隼人は…。解っていた。葉月がきっぱり断ったと言う結果を…。

その通りに…。

「難攻不落…。断られたぜ…」と、警備員の彼はガッカリため息をついておどけた。

(やっぱり…)と隼人も思いつつ…。

(何で俺…ホッとしているんだろう???)と、自分自身腑に落ちない気持ちになる。

「冷たいよなぁ。警備員ごときの俺なんて相手じゃないって言うのかな?

何で忙しいのかって聞いたら…」

なんて言った? と隼人はガッカリしている彼に耳を傾けた。

「『ごめんなさい。日本の中隊のことでやらなきゃいけないことがたくさんたまっているの。

今から連絡を取るために、こうして早く出てきたのよ』だってさ。正に中佐だよな。」

(え?)

今まで、こんな風に残してきた中隊管理のために朝早く出てくることなど

一度もなかったから隼人は驚いた。

向こうとは、時差が約9時間ある。今、向こうは夕方の十六時ぐらいだ。

つまり、こちらの仕事時間とは入れ替わりになるので、彼女は滅多に連絡を取ることはなかった。

それが??こんなに朝早く出てきて何を始めたのだ???隼人はこっちの方が気になった。

「残念だったな!じゃな!!」

「おい!待てよ!!隼人!」

警備員の彼は、隼人にもっと話を聞いてもらいたいところを

サッと逃げられて叫んだが…。隼人は風の如く自転車で去ってしまった。

「チェッ。隼人も変わらず冷たいな…」

警備員の彼は、ふと、ため息を再びついて…。

妙に感じるにあの二人の『意志疎通』には敵いそうもないと、うなだれた。

 

 

 「ボンジュール!」

隼人が急いで本部に駆け込み、フジナミ中佐室に入ろうとすると──

「サワムラさん! 今はいるとミゾノ中佐に叱られますよ!」

と、例の金髪補佐の彼に止められた。

「そんなこといっても。もう始業時間だぜ!?」

金髪の彼のお止めに構わず隼人はドアノブに手をかけた。

「ダメですよ!! 誰も入れないように僕、言われたんですから!!」

後輩の彼に制服の上着を引っ張られた。

(くそ!! 相変わらず、上にはくそまじめな坊ちゃんだ!!)

隼人は彼が自分の立場をうらやましがっているのを知っていた。

フロリダ仕込みで若くて優秀な彼は、日本人でずっと教官である隼人に

第一補佐の座を奪われたことにかなりガッカリしていること…。

今回の葉月のお相手に隼人が選ばれたこと…。

葉月と隼人が『敵対』すれば、自分のところに葉月のエスコートが

廻ってくることを待っていたこととか…。

すべて肌で感じていただけに、葉月の言いつけに嫌に忠実なのが気に入らなかった。

「離せよ!!」

隼人は、若い彼を振りきって中佐室に入り込んだ。

「なぁに??騒々しい…」

康夫の中佐席に座っていた葉月が、二人の男がなだれ込んできたのを

呆れるように眺めている。

「お…お早う…」

つい…ムキになって入ってきたのを隼人も我に返って勢いをすぼめる。

「ジュ・スイ・デゾレ……。中佐」(仏=すみません)

金髪の大尉が隼人のあとで申し訳なさそうに頭を下げるので

葉月はため息をついた。

「別に良いわよ。もう、終わったから。」

「なに?中隊と連絡を取っていたの??」

隼人が日本語でいつも通り話しかけると、フロリダ出身の彼は

日本語が解らないのでムッとしていた。

「イエス。ミスターサワムラ。」

葉月が無表情に英語で返してきて、隼人もハッとした。

いくら…。二人の間では親しいとはいえ、職場では『上官』と『部下』である。

日本人同士だから『日本語』はあまりにも馴れ馴れしすぎたと反省した。

隼人はそういう時…。葉月がれっきとした『上官』なのだとひしひしと感じる。

「ア……ン。ジュ・スイ・デゾレ。中佐」

隼人もここでの標準語である『仏語』に戻した。

「中佐。小笠原の中隊と連絡ですか?」と、改めて聞き直した。

康夫の中佐席には、ファックスの束や書類が散らかっていた。

「もうすぐ帰るから。帰ってきてスグに再スタートが出来るように

現状把握しておきたいの」

今度はフランス語で帰ってきたので、隼人の後ろにいる金髪の彼も

満足をして「さすが、中佐」と頷いていたりするので、隼人はちょっとムッとした。

「帰るまで…まだ三週間はありますよ?」

隼人は、何をそんなに慌てているんだろう??と…昨夜だっていきなり今まで話もしなかった

中隊の現状など話題にだすし。オマケに『もう帰る』などという言葉が出てきて

なんだか、解っているが『納得』出来なかったり…。

妙な波風が心にまた沸き立つのが解った。

「まぁ…いろいろね。若い幹部ばっかりだから…」

葉月がやるせない笑顔で机の上を片づけ始めた。

「お腹空いちゃった…。カフェテリアもう開いてるかしら??」

急にいつもの『お嬢さん』に戻ったので隼人もホッとした。

「開いてますよ。フジナミ中佐に言っておくから…食べてきては?」

金髪の彼がいるばかりに、妙に敬語になる自分が自分じゃないようで

やりにくいなぁ…と隼人は苦笑いをしながら進言してみた。

「じゃ!自分が何か買ってきます!!」

金髪の彼が急にそんな気遣いを見せたので隼人はまたムッとした。

「いいわよ…。私が勝手に早く出てきたんだし…」

葉月も遠慮しようとしていたが…。

「知ってますよ! 中佐がいつも『クラブハウスサンド』を食べているの! 行って来ます!!」

「あ!」

葉月が止める間もなく、金髪の大尉はサッと出掛けてしまった。

「甘えておいたら? 奴はきみの役に立ちたいんだよ」

隼人は、二人きりになるとやっといつもの口調で日本語で話しかけてきた。

隼人は呆れながら、シラッと自分の席に着く。

「何もあんなに気を遣わなくたって…」

葉月は金髪の彼にたじろぎながら、席に座り直した。

「あの感じ、『側近向き』っていうのかな? 俺には出来ないね」

彼は嫌にムッとして呟いたが…葉月は隼人から『側近』の一言が出てドキッとした。

「ふふ、確かに! 大尉は『上には媚びない』主義ですものね!」

本当のことだが、なんだか自分のほんのちょっとの動揺を隠すために

変に葉月は笑い飛ばしていた。

「まぁな。俺って中佐のお嬢さんにもお構いなしだもんな。側近なら『失格』ってところだろ?」

『そんなところが、良いのだけれど』と、葉月は一応、にっこりとした笑顔を浮かべておいた。

葉月のような若い女幹部におべっかを使う補佐はいらない。

むしろ隼人のように叱ってくれたり、意見してくれたりする『サポート』の方が

『側近』にするならいるのだ。

(うーん。そういう言い草が良いのか悪いのか?)

葉月は、隼人の『きっぱり冷淡』なところは時々「グサリ」とは来るが

いつも正当論なので、それはそれで兄様の意見としていつも参考にしている。

だからこそ。側にいて仕事してみたいと思い始めたのだ。

葉月を持ち上げてくれる大切にしてくれる隊員など、捜せばいくらだっている…。

そう…兄様分の『ロイ=フランク中将』がそう言ったのだ…そして…。

今先程。電話で話していた補佐のジョイ=フランク少佐も…。

『お嬢!?久しぶりだね!!こっちはてんてこ舞いながらも何とかやっているよ!

でもねぇ。やっぱり空軍がなかなかまとまらないね。うちの四中隊はさ。

空部班は、いつもお嬢がまとめていたじゃん?

今はチーム中隊のコリンズ中佐がまとめてくれているけど…

『嬢はまだ帰ってこないのか?』って、うるさいの何の!

とにかく、その側近候補の兄さんって人何とかならないの?

早く切り上げられるなら早く帰ってきてよ!!もしくは早く説得しなよ!!

その人、空軍なんだろ? こっちでお嬢のサポートしてくれるなら言うこと無いじゃん!!』

ジョイは葉月の弟分で准将の息子なのだが、お坊ちゃんの割には頭が切れて

口がハッキリしているのだ。だがいつも『無邪気』の一言でみんなに許される得なところがある。

そのジョイがハッキリ言うのだ。

『お嬢の手に掛かって落ちない男なら、そりゃあ、なかなか筋が通った人だと思うよ?

だけどさぁ…お嬢が頭下げても来ない人なんてやめろよ! あとの折り合い付けるの大変じゃないか』

葉月はそこで…「まだ頭は下げていない」と伝える。すると……

『なにやってんだよ!! もう1ヶ月はたっているぜ?』と、突っかかられた。

「お互いの人柄を理解するのに時間がかかった」と今度は答えると…

『……。お嬢が『理解しあいたい程の人』ね…』と意味深な声がしらけて帰ってくる。

『もしかして…惚れたとか言わないよね??』と今度は弟分の心配げな声。

葉月は、自分の過去をずっと眺めてきた弟分の察しの良さにグッと声が詰まる…。

『どっちでもいいけど…。とにかく無駄な時間過ごすなら早く帰ってきてくれる??

うちの空部は今は小規模だけど、お嬢が仕切ってなんぼのものなんだから!

頑固な男なら早く見切り付けろよ。補佐連中はもう限界に来ているんだから!!

お嬢が遊びに無駄な研修に行っているという声もなきにしもあらずだよ!!』

「解ってる」と、いつもハッキリボンボンの弟分の説教にため息をついていたところだった。

補佐のジョイに頼んで送ってもらった『中隊管理日誌』などをファックスで送ってもらおうとしたところ…。

『パソコンで送った方が早い』とにべもなく言い返された。

『康夫の許可が出ないとパソコンはいじれない』と返事をして…。

朝の作業は終わったのである。しかし幾つか送ってくれたファックスは…。

おいてきた中隊管理に関するものではなかった…。

『ジョイ?新しい側近が入ったときの経営計画を立てて…』

昨夜、彼の自宅に国際電話をかけてまで頼んだのだ。

朝の眠いときに叩き起こされてジョイは不機嫌だったがお勤めと言いつけはキチンと守ってくれる

頼りがいのある弟分だ。彼は日中の勤務中にざっと計画を立ててくれて…、その上…。

葉月が出勤してくる朝方にこのフジナミ中佐室宛にファックスを送ってきてくれたのだ。

それを目の前にいる隼人に見られまいと、警戒して葉月はサッと片づけた。

「なんだか…向こうは深刻なの?」

隼人が葉月の手元をいぶかしそうに眺めてくる。

「ん? まぁね…。1ヶ月も留守にしているから…。」

「で? 大丈夫そう??」

「ええ」

部外者にはそれしか言えない…。

「ならいいのだけど…」

「昨夜はごめんなさいね。変な話をして…」

「べつに? お嬢さんだってそりゃ大変だろ? 若いのに女手でよくやるよ。

良い上司を見つけてくれるといいね」

隼人の心からのニッコリに葉月は、胸がズキリと傷んだ。

本当にハナから『側近がいればいいね』とは思ってなさそうだと…。

「そうだ。サンドが来るなら、俺、カフェオレ入れてあげるよ」

「え?? いいわよ。大尉まで」

「いいだろ??いつもお嬢さんには『礼儀ナシ』の俺だからさ。

たまには、研修中の部下らしくさせてもらえる??」

隼人が照れくさそうに頭をかいてキッチンへ入っていた。

(そういう普通の気遣いしてくれる人の方が有り難いなぁ)

妙に『中佐だから…』と気遣われるよりずっと良いのだ。

勿論。金髪の彼の軍人としての気遣いも嬉しいのだが…。

葉月は若くして中佐になった女。ちょっと訳が違うし、彼女も警戒心が強いだけに…。

「ゆうべのごちそうさま…。あのレストランは良い想い出になるわ…」

葉月はそっと、隼人に今のウチに心からのお礼を述べておく。

側近話を持ち出したら、初対面の日のようにそっぽを向かれるか…。

『研修は嘘だったのか』と見限られる可能性が高かった。

それが怖くて言い出せないところもある…。

しかし…葉月のお礼の言葉に隼人がニッコリ微笑み返してくれる。

「みんなに恨まれそうだな。警備口の奴。振ったんだって??」

「うん。言ったでしょ。そんなお付き合いはしないんだって…

みんな本当の私を知らないのよ」

コンロでお湯を沸かしている隼人が、今度は何か言いたそうな顔を葉月に向けてきた。

「何?」

「俺とはどうして?」

葉月はドキリとした。

『お前のためらいは恋か?』康夫の声がする…。

『惚れたとか言わないよね?』ジョイの声も…。

『お前から過去を話した男はコレで二人目だ』急に義理兄の声も…。

葉月が答えに戸惑っていると…。

「アハハ…。変な質問だったかな? 一緒に仕事してるんだし…。

お嬢さんのいろんな話を聞いておいていて、そりゃもう……俺なんか一緒にいたって、当たり前か」

隼人が取り繕うように、自分が投げかけた質問を取り消そうとしていた。

「康夫と遠野先輩がいなけりゃ…お嬢さんは俺になんか会いに来ないよな」

隼人は何かを誤魔化すような笑いをこぼしながら、コーヒーフィルターをあたふた準備しているのだ。

「康夫は…私の大事な友人。遠野大佐は私の偉大な上司。

この二人が…あなたのことを話したから…来てみたの。この意味解る?」

隼人の背中に…なんだか真剣で切なそうな声色が投げかけられた。

そっと肩越しに振り向くと…彼女の瞳がキラリと光ったように感じて隼人は固まった。

「きっと…この二人の男が心に残している人なら…いい人だろうと…」

「俺が!? いい人? 笑わすなよ!!」

隼人は、葉月の息詰まるような眼差しから逃れるべく大笑いをした。

「私は…『事件』の事は自分からは、話したことがないわ。

康夫にも…遠野大佐にだって他の人から間接的に聞いてもらうようにしたの。

一人例外。それは…『海野達也』よ」

その海野達也は葉月の元恋人だ。その彼と同等の扱いで彼女が告白した…と…隼人にはそう聞こえた。

「でも…それは、俺が無理矢理…お嬢さんから聞いたようなものだ」

「言ったでしょ。信頼したから話したって。それだけじゃダメなの?

一緒に食事に行く訳は…」

葉月から今度はなんだか潤んだような眼差しが向けられた

隼人は…男としてドキリ…と胸が高鳴った。

「う…ん。そうだね。それで充分だよな…。」

心の何処かで…彼女が認めてきた男達の『仲間』に入っていることに隼人は喜びを感じていた。

警備員の彼も…金髪の後輩も…その中には入らない。

でも…隼人は入った。康夫と同じように…。それを何処かで願っていた。

「なぁ。お嬢さん。帰っても…また…逢えるよね」

そう…昨夜、こう言いたかったのだ。もっと言うなら…。『今度島に研修に行くよ』とか…。

すると…葉月が喜んでくれると思ったのに…。

妙に複雑そうな表情を一瞬刻んだように見えて隼人はドキリとしたのだが……。

「うん! そうね。大尉はお兄様みたいですものね!」

彼女から輝く笑顔が返ってきて、ホッとしたが…何か心に引っ掛かった。

葉月としては…「二度と会いたくない訳ではないが、別れるつもりでいる」という事に

嬉しいような…寂しいような…そんな気にさせられたのだ…。

(本当に日本に来てって言ったら来てくれるのかしら??)

再び…気が重くなった。

「うっす!! おはようさん♪」

重役出勤のように康夫がギリギリに中佐室に入ってきた。

二人きりで…交わしていた神妙な空気が

元気な隊長の登場ですっかりいつもの活発な朝に戻っていた。