53.白紙

 

 「俺が日本をでてきたのは──」

 隼人がそっと話し始めようとしていた。

 

 しかし──

「この前も言ったわ。そんなこと話してどうするの??

どうせ断るなら…『私とは仕事は出来ない』ってハッキリ言って」

葉月は仏頂面をワザとしてまた殻剥きに集中した。

「それは、『仕事』を一緒にしたくないって訳では…」

「だったら…『側近』になってくれるはずだもの。

『仕事』以外での『理由』は私には関係ないもの!」

「………」 

そんなに強く言いきられると…隼人も何も言えなくなった。

「解りました。この話は…なかったことにする!」

「え!?」

この所…『だったら。側近になってくれる?』とことあるごとに言ってきた葉月が

あっさり退いたので隼人はビックリした。

「『白紙』にするって事!とりあえず私は日本に帰る!」

隼人は『え??』とまた驚く。

「『白紙』ってなんだよ??」と…。

すると…勢いに任せていきり立った声を出していた葉月がそっと手元から殻を離した。

「だって。どう言っても…今すぐには日本に来てくれそうにないんですもの。

夕べ…一晩考えたの。こうしない?」

葉月がまた、『仕事並み』の瞳を輝かせて隼人を射抜くので

隼人はそっと背を反ってしまった。そんな『凄み』を感じたのだ。

「日本に帰って…私が新しい側近を見つけるのが先か…

隼人さんが心変わりをして『日本に来る決心』がつくのが先か…。

その代わり…帰国したら『断られた』を前提に先に進める。」

「…………」

隼人は…返す言葉がなかった。

「でも…」

「いいのよ…。その気がないなら…私の方で自然に側近が付くし…

隼人さんはそのままフランスにいればいいし。」

葉月が静かに微笑んで剥き終わった海老の身にドレッシングをかける。

「それが…お嬢さんが出した答え?」

「そうよ。もういいの。ここでやることはもう終わったわ。だから…」

(だから?) 隼人は静かに微笑む葉月をジッとかたずを飲んで見つめた。

「だから…今夜は楽しい気持ちのまま終わらせて…」

淡々と…食を進めていたが…心なしか葉月が涙をこらえているようにも見えて…

隼人は…『自分の心内』に気遣ってそんな答えを出した葉月に胸を突かれて…

いじらしく感じてしまった…。

「きっと…きっと…『島』に研修には行くよ。半年内には企画をあげるから…」

それしか今は約束が出来なかった。もう…いつもの天の邪鬼は出てこない。

「うん。待ってる…」

葉月はバカみたいに海老を頬張っているが…声が震えていた。

「俺も…先は解らない…。でも…ありがとう。その…『時間』をくれて」

葉月はもう…声を出すと泣き出してしまうのか『コクン』としか頷かなくなった。

「側近のことは、今すぐは……。でも、そういう事なら……」

「無理しないで。じゃじゃ馬の私といたら苦労するわよ?

きっとフランクの兄様が、すぐに次を決めると思うから」

やっぱり葉月が涙声で…隼人の方も感極まってしまった。自分でも目頭が熱くなってゆくのが解った。

「でも…じゃじゃ馬のお陰で…俺は…先日のデビューで『最高の気持ち』味わったんだよ?」

じゃじゃ馬を褒めてくれる隼人に葉月はぶるぶる首を振った。もう声を出したら泣き出しそうだったのだ。

「寂しいよ…。じゃじゃ馬がいなくなったら…」

「………」

葉月はとうとう涙をポツリ…と落としてしまった。

「楽しかったよ。本当だよ…。」

隼人をそっと見上げると…彼の方も黒い瞳が潤んでいるのにビックリして…

とうとう…ハンカチをバッグから出して瞳を覆ってしまった。

「私も…」

その後は声にならなかった…。言い尽くせないことがたくさんあった。

この二ヶ月間がサッと頭の中をよぎってゆく…。

遠野を引きずって…フランスに来た日。

隼人にすっぽかされた時。

裏庭の木陰で出逢ったとき。

二人でこのレストランに来た『サボタージュのランチ』

そして…隼人が貸してくれた異国の洗濯石鹸の香りがするハンカチ。

隼人が入れるカフェオレ。

二人で木陰でとったランチ。

星空の帰り路。一緒に食べたホットケーキ。

握らせてくれた『緑の葉っぱ』

夜勤明けのモーニング。雨の日の休日。

『トラウマ』を告白をした白いカフェ。

そして…『青空の下』一緒に喜んだ生徒達のデビュー。

もう…遠野の影はそっと薄れていき…めまぐるしかった海辺の街でのひとときがそっと葉月を包んでいた。

(これでいい…)

葉月はそっとハンカチの中で微笑んだ。

自分の恋心のために隼人を巻き込むくらいなら…。

いっそのこと、とりあえず離れた方がいい。

今は微熱が騰がっているだけ…。その内にいつもの『無感情』になれる。

隼人とはこのまま…『いい関係』でいることを葉月は選んだのだ。

そして…隼人も…。

お互いに惹かれあっていることは…もう判る大人だ。

ここで…中途半端な勢いで日本には行きたくなかったのだ。

葉月にその気を持たせて、期待にこたえられなかったら…。

『やっぱり…私は男を幸せに出来ない女』 またそう思うだろう。

隼人はそんな彼女を助けてあげたいが情けないことに男としても自信がなかった。

このまま…

『かわいい妹』でいてくれることを選んだのだ。

『縁』あれば、自然と『恋』が出来る日も来るかも知れない。

二人の『白紙』の決心は、そうしたものなのだ。

うつむきあって静かになっている二人に構わず…マスターがデザートを持ってきた。

「まるで…別れを惜しんでいる『恋人同士』だね?」

クスリと…優しく微笑んで去っていった。

二人は『本当ね』『ああ』と、やっと微笑み合う。

そして揃って、マスターが出してきた『レモンチーズタルト』を食べ始めた。

甘酸っぱいレモンの味は、今の自分には『ピッタリ』と二人は声にはせず……。お互いの頭中で掠めた。

でも…葉月の中ではキチンと新しい関係を約束された『記念の宵』には代わりはなかった。

やっと涙が止まって…レモンパイは『さわやか』な味に変わっていく。

いつの間にか二人は清々しい笑顔を交わしあってこの二ヶ月の想い出話に花が咲いた。

 

 

 この後。レストランを出て隼人が運転するまま、海辺のドライブに出掛けた。

だが、話し尽くしたせいか二人は言葉も少な目で『ここの灯台が綺麗だから』という

隼人の案内に『小笠原に似ている』と葉月も微笑むだけ。

その内に隼人が帰り路をたどり出す。ほんの数十分のドライブだった。

「明日。早速康夫に言ってもいいかしら?」

「俺は…構わないけど?」

二人の脳裏に『じれったい奴ら!!』と怒ってガッカリする康夫の怒り顔がよぎる。

「二人で…話し合った結果だって…一緒に言おう」

隼人は葉月に気まずいのか…まっすぐフロントガラスを眼鏡の奥から見つめてそう言った。

葉月も…それも,二人で決めたことだからと「そうね」と答えておいた。

ホテルアパートの前に葉月は降ろしてもらい、「ボン・ニュイ」と笑顔で別れようとした。

「えっと…」

隼人が運転席のウインドウを下げて身を乗り出してきたので葉月は振り返る。

「何?」

「記念になった?」

最後のドライブが『素っ気なく』終わったことを気にしているのだろうか?

そんな隼人は見たことがなかったが…。

「勿論♪」と葉月は微笑みかける。

「こんな風に、答えが出せた方が…気が楽になったの。

だって…。これからも、隼人さんには会えそうだから…。

悔いが残るような別れ方でなくて良かった…。」

葉月がそう言うと隼人もニッコリ…『俺もね♪』と微笑んでくれる。

隼人がそっと手を振って石畳みの夜街を走り去っていった。

(悔いが残らないか…)

葉月は夜風の中、赤いアウディが見えなくなるまで見送った。

悔いが残らないなんて『嘘』だと思った。

葉月は隼人と同じ答えを選んだ。それは…『勇気のない選択』だったのだ。

傷つかない状況に甘んじただけ。今のままの『良い関係』にとどめたに過ぎない。

葉月はそっとうつむいてため息をついた。

道路を渡ろうと玄関の方に歩き始めたときだった。

スッと建物の影からスーツを着込んだ男が現れたので葉月はドキッと立ち止まる。

「こんばんは」

そう、日本語で声をかけてきたのは栗毛の男だった…。

葉月はまた息が止まるほど驚いて周りを見渡してしまった。

その男も見覚えがある…『黒猫の兄』の部下の一人だった。

「側に…いるの??義兄様は…」

側にいるなら…逢いたい!と葉月は思った。しかし…『栗毛のエド』は首をそっと振った。

「ボスの言いつけで…私だけ。」

葉月はなかなか姿を現さない義兄にガッカリしてしまう…。

この男も金髪のジュール共々、あまり語りかけてこない男だった。

ちょっと…彼の顔色が冴えない気がしたので葉月は首をかしげる。

「今夜は…なんのお遣い?」

すると、彼がそっとジャケットの内ポケットから白い封書を葉月に差し出した。

「見届けるよう言いつけられてます。すぐにお読み下さいますか?」

何処の国の出身かは知らないが栗毛のエドの日本語はとても超越されている。

葉月は勿論…義兄からの伝言はすぐに目を通したくてエドの目の前ですぐ封を切った。

「……!あなた。日本に行って来たの???」

内容を読んで葉月はひどくショックを受けた。エドもコクンと頷いてうつむいた。

『葉月。お前が自分のことにかまけているうちに、ボウズが何をしているか知っているか?

そろそろ覚悟をしておくんだな。『養母』と言う肩書きがある以上避けられないことだ。

それが嫌なら自宅にある見られたくないものは子供の手が届かないところに始末することだ』

義兄の伝言を読んで葉月は頭が真っ白になりかけた。

兄の言うとおり…葉月はこの二ヶ月自分のことばかりだった。

『真一』を一人おいて…その間に彼が葉月のマンションを探り回している…。

甥っ子の真一には自宅のキーを渡しているから彼は何時だって自由に出入りしている。

つまり、葉月が『甥っ子はまだ子供』と安心していたが

彼は自分の出生に疑問を持ち始め…

そして葉月が隠し持っている姉の遺品を捜しているのかも知れない。

もし…亡くなった姉が書き残した『日記の切れ端』とか

真一を男手一つで五歳まで育てた義理兄の『真』が死の際に葉月に託したモノを見つけていたら…。

葉月はサッと血が頭から落ちていくように青ざめた。

甥っ子には姉が何故、死を選んだかまだ知られたくない。

「まだ。大丈夫だと思いますが」

エドがそっと葉月をなだめるように呟いた。が…

「わかったわ。兄様には…すぐに日本に帰ると伝えて」

「かしこまりました」

エドはそれだけ聞くと安心したかのように、あまり見せない微笑みを浮かべてサッと

身を翻して闇の中去っていった…。

(しまった。ほっときすぎたわ!!)

葉月は黒猫の兄からもらった封書を握りしめて慌てて道路を渡る。

ホテルに帰ってすぐに『国際電話』をかけることにした。

 

 

 『ブッブー』 インターホンが鳴る。

 

「ハァイ」

『メルシー。ジャン。今帰ってきた』

「なんだよ。まだ九時だぜ?デートにしては早いな」

『デートじゃないって!!早く開けろよ!アウディ持って帰るぞ!!』

いつも通り…からかいにもムキになる隼人に呆れてジャンは玄関にゆく。

「俺はデートをするヤツに貸したつもりだったけどな」

玄関を開けると隼人がやっぱりムッスリとした反応を返してたたずんでいた。

「『独身貴族』さん。ありがとさん。さすが独身の少佐は違うよな!」

隼人はジャンの手にアウディのキーをシャランと落として…帰ろうとした。

「あがっていけよ」

「そっか?」

ジャンの誘いに隼人はすんなりお邪魔することにする。

彼の部屋に入って見慣れたソファーに腰をかける。

今から自転車で帰るとあってジャンは缶ビールを手に隼人の隣に座った。

「ほらよ。振ってきたのかよ」

「振ってない!!もとよりそんなんじゃないって!」

ジャンがいい加減に投げてくるビール缶を隼人は受け取って栓を切った。

「お嬢さん。お洒落してきたか?」

ジャンはニヤリと興味津々だった。『まぁね』と隼人も答えてビール缶を傾ける。

「どんな話が付いたのかな??」

ジャンはますますニヤリとしてビール缶を開けた。

そして…隼人は口元を拭って…テーブルに缶をおいて…

膝の上で手をもみ合わせた。

「断った。…というより、一応…保留。でも。彼女は先に前に行くって…」

うつむいて隼人が発した小声にジャンはキョトンとしてビールを飲む手を止めてしまった。

「……!!やっぱり!!『引き抜き』だったのかよ!!」

隼人がそっとコクンと頷く。それを見てジャンはますますビックリ…暫く動きを止めた。

そして…

「バカ野郎!!今ならまだ間に合うぞ!?今すぐ取り消してこい!!

お前…自分にも嘘付くんじゃねぇよ!!」

ジャンは隼人の襟元に食いついた。それを隼人が手荒く除ける。

「終わったんだ。彼女も納得した。これで…いいって。」

ジャンはますます呆れて『おいおい…』と額を覆った。

「お前…最っ高にずれた男だな!!そんなのあの嬢ちゃんがお前に合わせただけだ!」

同期生に言われて隼人はまた…『そうかも知れない』と不安になった。

葉月なら平気な顔して微笑んで…心の中では『本当はこんなはずの夜では…』と思っているかもと。

『記念になった?』 『勿論♪』

隼人を安心させるために笑ってくれたのだろうか?

葉月も…隼人と同じように傷つくのが嫌で…『このままの関係』の甘んじたのか?

『今夜はこのまま楽しく終わらせて…』

その為に…あんな答えを出したのだろうか??と…。

「研修生のためにあんなに一生懸命だった彼女がこんなに気があっている隼人を

諦めるなんて…それはよっぽどお前が『好き』になって傷つけたくないとか…

お前のために退いたとしか思えないけどな。お前そこの所…『男』としてどうなんだよ!?」

ジャンの問い詰めに隼人は唇をかみしめた…そしていつもの天の邪鬼。

「それだけ。俺はこういう男だって『失望』させておかないとな。本当のことだからな」

「ふぅ…う」

ジャンはあきれてもうため息しか出てこなかった。

「俺だったら…今夜一夜きりでも…押し倒しているぜ?これから…別れるならなおさらな」

(彼女にそれは出来ない)

隼人はそう心で反論したが…葉月のトラウマは、たとえジャンでも言えなかった。

車で二人きり…、葉月が緊張しているのが解っただけに

たとえその気になったとしてもおそらく手は出せなかったと隼人は思う。

「プレイボーイのフランス人とは違うからな!」

「ちぇ!日本人は回りくどいって本当だな!」

二人は『フン!!』と言いあって…お互いにビール缶を手に再び煽った。

「もったいない事をしたな。まあ、隼人がいなくなったら寂しいから……」

ジャンのその言葉に何処か救われた。少なくとも…必要としてくれるヤツがここにいると。

「いい。彼女とは半年内にまた一緒に仕事をする約束をしたし。

その時…お互いに必要だって思えたら一緒にやろうって…それが『答え』

きちんと二人で出した答えだって…俺は信じている」

『あっそ』とジャンは葉月の気持ちを無視しているとまだ思っているしいが…

「ま。首はつっこめない立場だからな。それより…」

『島に行くなら俺も連れて行け!』とジャンは言い出した。

『勿論』

隼人が微笑むとジャンはもう何も言わずに一緒に酒を傾けてくれた。