-- エースになりたい --

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12.目が眩むほどの

 

 この部屋は広すぎる。
 葉月はいつもそう思う。

 今の自分の席は、前の大佐席よりかなり大きい。
 大きなディスプレイのパソコンも設置してもらっているし、前のように書類にバインダーだって山積みにしている。
 それでもちゃんとスペースが残っている。それはそれでゆったりとしていて嬉しくもあったが、一人で座っているとなんだか家族がいない食卓のテーブルに一人で座っているような寒々しさを感じてしまう事もある。

 おまけに。准将という人間一人の為に、この広い部屋。
 連隊長室ほどではないが、前の大佐室より広いのは確かだ。
 応接ソファーもあって、こんな広い准将席もあって。それでも尚、悠々としている部屋。
 大佐室では、部下達の気配がいつだってそこにあった。
 口うるさい海野が左に、黙々と仕事をこなしている澤村が右に。閉ざされた隊長室でもあったがそうでもなく、入り口の自動ドアはいつも開いたり閉まったりして、後輩達が出入りをしていた。給湯室のキッチンではいつも小夜が笑っていて……。テリーが書類を持ってきて……。テッドが、柏木が……。

 でも、今、葉月はこの広い部屋に一人きりだった。
 やる事も、あるのはあるのだが。気のせいかな。自分の手となり足となる『秘書室』があるせいか、葉月はここで彼等から届けられた書類を眺めて『良いか悪いか』を判断するだけになってきた気がする。ともなると、こうして一人で席にいると『考え事』ばかりする。
 主席側近に置いているラングラー中佐であるテッドは『考えていただくことが、貴女の大事な仕事ですよ』なんて言ってくれるが、これじゃあ、退屈すぎる。
 だから葉月は『空部隊システム管理室』へと足繁く通って、空を飛ぶ男達の為に何をすれば良いのかと考えに行く。それが、一番落ち着くのだ。
 それでも、あの事務室はミラー大佐のものだ。葉月が入り浸っていると、彼が少しばかり仕事がやりにくそうな顔をすることがある。だからそんな時は、葉月も渋々ながら、退屈な准将室へ戻るのだ。

 一人の仕事部屋なんて寂しい……。
 そんなことを、つい、ぽろりとこの准将室で漏らしてしまった事がある。
 すると、側近のテッドが『あまり例はありませんが』と言いながら、葉月の准将席の側にデスクをひとつ設置した。
 なんのつもりかと思ったら、『私のセカンドデスクということで如何でしょうか』とテッドが言った。つまり、彼は秘書室を束ねる位置にあるので、隣接している秘書室の席を空ける事は出来ないが、隣で准将と仕事をする席があっても良いのではないかという提案だった。
 彼はそれから、かつての大佐室のように、葉月の右隣で一日に何度か座って事務作業をしてくれるようになったのだ。
 たったそれだけでも、葉月の心は和らいだ。右腕に選んだテッドと会話を交わしながら、あれこれと今後も模索したり、身近で相談できるようなスタイルになっただけでも、一人きりで仕事をしているかのような疎外感はなくなったのだ。

 やはり部下とコミュニケーションを図っていける仕事をしたい。
 准将などと言う地位をもらう事が出来たが、この地位はいつも最後に使う切り札であればいいだけで、葉月としては今まで通り大佐室で後輩達と日々を駆けてきたあの感覚のままでいたいのだ。楽したい為に、この空部隊トップの地位が欲しかった訳ではない。大空野郎を見守る為の最大の力を確保しておきたかっただけ。それを分かってくれていた男達が、頑張ってくれたから、葉月は今、この部屋にいる。
 でも……。一人きり、高い位置に据え置かれている女ボスではいたくなかった。俺達がやるから安心してくれ、君は動かなくても良い。だなんて存在にはなりたくなかった。
 だけれど、この通り。テッドを始めとして、大空野郎共は葉月を今まで通りに泳がせてくれていた。

 しかし。今日の朝は、早速、一人きりだった。
 月曜の朝故か、テッドが毎朝執り行っている秘書室ミーティングが殊の外長いよう。
 朝、この時間ぐらいから葉月が退屈をしはじめるので、必ず、テッドが声をかけに准将室に顔を出してくれるのだが。

「仕方ないわね」

 今日の雷神の訓練は、午後からだ。
 訓練データーを眺めに行きたいが、こちらもミラーが週初めの仕事で立て込んでいるだろうと邪魔になるのが目に見えたので、うずうずするが葉月は堪えて椅子に座っている。

 そんな時、積み上げている書類の中から、ふと思い立ってひとつの束を手にしていた。
 『鈴木英太』の調査書だった。

 そう言えば、今日、転属してくるのだったわね──。葉月はそう思って、もう一度、彼の経歴を眺めた。
 細かい調査では、まあ、あの暴れ馬並みの飛行をする青年だけあって、『やんちゃな経歴』も見られたが、それ以外は至って普通の進学に入隊をしてきた青年だった。
 ただ平凡ではない。十代の時に両親と死別している。両親との死別は『事故で』。それしか記されていない。ここ、葉月は少し気にしていた。
 『事故』とはなんだろう? こんな『事故』という二文字だけで片付けられているのが、あのテッドの調査としてはらしくない気がしたのだ。
 交通事故? それとも他の事故? 事故にもいろいろあるだろう? しかもここで両親共に亡くなっているのだから。
 その後、叔母が引き取ってくれたのは、まあ、良くある流れとも思える。要は叔母と暮らしている事が非凡なのではなく、叔母と暮らす事になった原因こそが彼の人生において非凡なのだと──。葉月にはそう感じているのだ。なのに、その原因が『事故』という二文字の報告だけで済まされている。

「テッドにしては、浅いわね」

 どうもこの前からここが引っかかっている。
 もしかすると隼人はなにか知っているのかと思えたが、あの夫はたとえ妻でもなにもかもを喋る男ではないのを葉月は良く知っている。隼人が喋ってくれるというのは、『知らせる必要性があるから喋る』のであって、必要がないと思ったら、たとえ妻であっても喋らない。そういう判断をする。
 だから、隼人が知っていても話題にすらしてくれないのは『葉月に教える必要がない』からであって、逆に『本当に何も知らない』のかもしれないし、鈴木青年の身の上には『本当になにもなかった』のかもしれない。

 でも葉月は調査書を眺めるたびに思う。

「……なにか、感じるのよね。この子に」

 テッドからこの調査書を見せてもらった時、とても違和感を持った。
 彼の報告の第一声は『特に問題はありませんでした』だった。つまり『鈴木英太大尉には何もなかった、起きてなかった』ということだった。
 葉月はこの時点で、首を傾げた程。テッドに向かって『どこまで調べたのだ』と聞き返すと『全てです』と返ってきたのだが?

 それ以来、何度か彼の経歴書をこうして眺めているのだが、結果が変わる訳でもなく──。
 『やんちゃな素行』以外は、至って普通の青年。両親がいなくとも、叔母に愛情深く接してもらってきた事が彼と面談しただけで伝わってきた。

「それほど歳が離れていない叔母と甥っ子が、若い頃から同居生活──」

 これは葉月と鈴木英太の、共通点かと思わされた。
 自分も二十歳そこそこで真一と共にこの離島で暮らしてきた。真一は全寮制だったから毎日が一緒にいられるという訳ではないが、それでも一緒に過ごせるチャンスを二人で作って、なるべく一緒にいられるように過ごしてきた。
 あの頃は、まだまだ子供である真一を寂しがらせないようにと必死だったのは自分だと思っていた。でもそうじゃなかったと、甥っ子が立派な青年として巣立って行き葉月もこの年齢になってふと思う。そうじゃない。葉月も寂しかったのだ。子供心に真一もそれは良く見抜いていたのだと思う。彼も葉月と一緒にいたい会いたいと切望してくれていたのだろうが、またその一方で『俺が葉月ちゃんの傍にいなくちゃ』と必死になってくれていたのかもしれないと……。

 葉月は鈴木青年に出会って、ふとそんな昔の日々を思い起こしていた。
 彼も、彼の若叔母も。そうして寄り添って生きてきたのだろう。しかも鈴木青年の若叔母は立派だと思う。葉月はそれでも一族の庇護があった。養子だとか養母だとか、一族としての形を成す為に紙の上での事実を固めたまでだが、それでも誰の力も借りずに、成人してそこそこで十代の甥っ子を預かり、立派に高校まで卒業させた鈴木叔母から見れば、葉月がそれなりに一生懸命だったことも『親子ごっこ』にしか見えないかもしれない。
 なんの庇護もなく、甥っ子一人を育て上げた若叔母。結婚もせずに、病気になった叔母の為に、軍隊を辞める決意をしていた鈴木青年。

 その叔母が『小笠原に行きなさい』と言ってくれたらしい。
 横須賀の長沼からそんな報告。
 その報告を聞いただけで、鈴木の叔母はやはり自分の身体の事より、甥っ子の将来を思って送り出してくれたのだと。彼女のその気持ちは母親そのものだと葉月は思う。彼女のその気持ちが、どれだけ大きいものであるか伝わってくるのだ。そして……感銘させられる。

 そんな叔母から、大事な甥っ子を預かる気持ちにさせられていた。

 だからこそ。この『違和感』を晴らしておきたいのだが。
 今はどうも、それには至らないようだ。

「失礼致します。遅くなりまして──」

 ようやくミーティングを終えたのか、テッドが秘書室から准将室へとやってきた。
 小脇に数冊の書類と数枚のディスクを抱えてきたので、暫くは葉月の傍で仕事をする心積もりなのだろう。
 その通りに、テッドは『セカンドデスク』に持ってきたものを置くと、静かに席に座った。

 彼がマウスを持ってファイルを開いている作業をしている中、葉月はその書面を広げたまま、今日こそ『疑問』について問うか問わぬか迷っていた。
 やがて、そんなテッドと目が合ってしまう。彼も葉月の手元を見た。……そこには例の調査書。
 それでもテッドはなに食わぬ顔で黙っている。俺から言うことはなにもないとばかりに。だから、葉月はさっとそれを閉じ、自分もなにも思っていない顔をする。そしてなにげない話題を振ってみた。

「小夜さん、どう? 工学科の科長室も近頃はハードだからほどほどにさせておかないと。隼人さんが言うことを聞かないって嘆いていたわよ」
「そうなんですよね。でも……彼女は家でじっとしている方が精神的に良くなさそうですよ。きっと彼女にはこの基地の空気が馴染んでいるんでしょうね。メイキャップをしてきちんと身なりを整えて背筋を伸ばして、テンションある空気の中で凛としていることが生き甲斐なんですよ。だから彼女が午前中で帰ってきた時なんか、気分がおかしくなるのでしょう。俺が夜帰ってきた途端に噛みつかれたりして」

 葉月は『まあ』と、ちょっと笑ってしまった。

「秘書室では貴方の指示に、びくびくしている青年達ばかりなのに。そんな吉田女史に噛みつかれているだなんて聞いたら、あの子達喜びそう」
「やめてくださいよ。そのうちに、本当に吉田大尉のところに泣きつかれそうだ」
「ふふ。ラングラー家は小夜さんの天下になりそうね」

 そう笑うと、テッドがむくれてしまった。

「航行に出かける前に、倉敷で結婚式。忙しいわね。週末はまたあちらに行くのでしょう。小夜さんは大丈夫なの?」
「もう慣れましたよ。瀬戸内海を目の前に式を挙げるのが、あいつの長年の夢だったから叶えてあげたいでしょう。でも俺も小夜もお腹の子供が心配なので、なるべく電話やネット、メールでやりとりする方針なんです」
「それが良いわ。油断しちゃ駄目よ……」

 葉月は自分が亡くした三人のベビーを思って、声をすぼめた。

「大丈夫ですよ。小夜は貴女の無茶ぶりをよく知っていますから、反面教師」
「なんですって?」

 そんな冗談で、沈みかけた葉月をあげてくれているのが伝わってきたので最後は二人で笑っていた。

「あー、でもいいわねえ。瀬戸内海の青い海の教会で結婚式。吾郎君の故郷に一度、家族で旅行に行ったけれど、とっても良いところだったもの」
「俺も下見で行ったときに、感動しましたよ。俺もすっかり日本の景色がなじんでしまって……」

 来年はパパになるテッドも、幸せそうな顔をここでは見せてくれる。
 秘書室では見せないようにしているだろうに。と、葉月はそっと笑ってしまった。

 二人の和やかな会話で一段落、テッドはデスクに広げた書類などを眺め集中する。
 葉月も閉じた調査書を、まだどこか今問うか問わぬかと迷う手つきで脇へと戻そうとしたのだが……。
 そんな迷いの間に揺れていた時だった。

 何かが急に自分の中に入ってきて、葉月はふと窓を見た。
 何かいつもと違う耳障り、そんな空気を感じたのだ。

 なにか。どこかで聞いたような高音が、葉月の耳に……。
 それが何か気がついた葉月は席を立って、窓辺へ向いた。
 何故? この音、この高音は……。この音がだんだんとこちらに近づいてくる!? 准将室の目の前は滑走路。でもそこは……!

「どうしてここに!?」

 そんなことはあり得ないと、葉月が驚愕した瞬間だった。

 准将室の広い窓に、灰色の固まりがぎゅんっといきなり横切っていったのだ。
 それと同時に、准将室の窓ガラスが『ドン!』となにかに叩き付けられた激しい振動!!

 窓辺にその固まりが通り過ぎていくと、窓ガラスが余波でガタガタと音を立てる。

「な、なんですか、今のは! ホーネット??」

 テッドも驚いて席を立ち、彼はすぐさま窓辺へと駆けていく。

「そんなはずは……。だって、戦闘機は滑走路上を低空で通過することは……」

 でももし、先ほど見たのが本当に『ホーネット』だったなら……。
 葉月はハッとさせられた。そして同じように自分も窓辺に駆けて空を見上げた、またその途端だった。

 再度『ドオン!!』と爆音を轟かせやってきた灰色の機体が!
 大きな波動を葉月が居る准将室まで打ち付けて、滑走路の真上では翼を下に向けるとザアッと通り過ぎていった。
 あっという間の通過に、葉月とテッドはそろって空へと視線を持って行かれる。
 だが今度は確認した。本当にホーネットだ!

「また来るわ――!」

 元パイロットには分かる、見えてくる、次なる軌道。
 空に高く上っていった謎のホーネットが、そのまま去っていった方向から旋回、またこちら准将室目の前の三番滑走路をめがけて急降下してくるのが見えた。
 聞き慣れていたキーンという高音が、葉月の耳に入り込みそれが徐々に大きな音になって近づいてくる。懐かしくそして血が騒ぐこの音が、徐々に空からこちら准将室へと矢が飛んでくるような爆音を従えて落ちてくる!

「あ、あぶない!」

 そんなのは目の錯覚と分かっていても、テッドに肩を抱かれ、葉月は窓辺から引き離されてしまう。
 それほどに、あの戦闘機がマッハで向かってくる鋭い飛行は、人の目には驚異に見えるのだ。

 同時に、また窓が『ドン!』と大砲に打たれたように揺れ、葉月とテッドもその振動を肌に感じた!
 爆音が通り過ぎていくと、二人はまた空へと視線を連れて行かれるが、そのときはもう上空へ逃げたホーネットは小さな鳥のようにしか見えない。
 一度ならず、二度三度。滑走路すれすれに横っ飛びで翼をかすめて行くような驚異的なアクロバットを繰り広げたホーネットは上昇するとまた急降下、右へ左へとまるで振り子のような飛行を繰り返している。
 こんな訓練をしているはずは……ない。式典の航空ショーでもないかぎり、今、この時期にたった一機にこんな遊びをさせるだなんてことは……!

 だが葉月にはこの驚異的な飛行に、覚えがある。
 こんな飛行が出来るパイロットは一人しか思い浮かばない。でも――!

「今、空にいるのはビーストームのはずだわ。コリンズ大佐が? 何故? それにあの機体は誰の! それにこの時間なら、横須賀からの便がくるはず……。何故、こんなスケジュールが狭まっている時間帯に……!」
「何かあったのでしょうか。……今すぐ、調べます」

 そういうとテッド素早くデスクに戻って、内線を手にした。

「こちら御園准将室だが……」

 何が起きているかテッドが原因追求をしている間も、まだその異常事態が葉月の目の前で繰り広げられる。
 右へ左へと振り子のような飛行を滑走路へ向かって繰り返している。しかもまるで……この准将室を目の前にしてわざとみせつけるかのように。

(また、来たわ)

 上昇したホーネットがまたこちらに向かって急降下してくる。だが、葉月はさらに驚愕させられる。
 今度の急降下は『きりもみ飛行』で、ぐるぐると機体をスピンさせながら落ちてきたのだ。

(な、なんて度胸と……)

 タフな体力と技術!?
 偶然なのか、いつもそれをやっていたのかと葉月は驚かされた。
 もう確信した。今、葉月が思える中で、こんな例外な異常事態を巻き起こしながら、なおかつこれだけの『大馬鹿』が出来るパイロットは一人しかいない!

 きりもみスピンで急降下してきた機体は、滑走路上で地上と水平になってもなお、くるりと回転し、さらには翼を地面にかすめそうな錯覚を起こすような低空飛行でまた上空へと切っていく。

 それはいつしかの『コリンズ大佐』を彷彿とさせるかのような、雄々しい飛行。
 言い換えれば、そんなコリンズ大佐のパートナーとしてアクロバティックなショーで存分にギリギリの飛行にチャレンジした『自分』をも彷彿とさせる!
 あの、コックピットにいた感覚が! ここまで打ち放たれる波動と爆音、そして目がくらむような、胸がつぶされるような、息が出来ないような、あの極限状態に自分を追い込むことでバランスを保っていたあの、『自分』が蘇る!?
 流石の葉月も、感嘆のため息。そして身体中の血ががあっと逆流したかのように、火照ってしまっていた。

 ついに、葉月は『ふらり』とよろめき、窓枠に手をついて身をかがめてしまう。
 それに気がついたテッドが慌てて駆け寄ってくる。

「じゅ、准将! 大丈夫ですか」
「だ、大丈夫。ちょっと……驚かされた、ショック?」
「ショック……? 貴女が?」

 背をさすってくれたテッドが、どうしたことか、葉月の顔を覗き込むと少し驚いた顔。
 葉月自身も分かっていた。それだけ、恍惚とさせられてしまい、そんな顔をしているのだと。
 コックピットにいた者にしか分からない感覚がある。葉月は女だから、ちょっと違う反応をするかもしれない。でも、同じ訓練をしてきた男達はあからさまに言っていた。『今すぐ女を抱きたい』、『今、すぐ出したい』と。葉月を意識してセクシャルな反応を楽しもうとワザと口にしている意地悪い男もいたし、実際に影でひっそりと男性的な処理をしているのを眼にしてしまったこともある。航行とはそういう男達が閉じこめられる場所。だが葉月は言葉を投げられたり目にしてしまうことぐらいなら平気だった。それよりもっと酷い仕打ちを姉と体験していたのでへっちゃらだった。葉月を狙っての行為だった場合は、デイブや大人のフランシスが蹴散らしてくれたこともある。
 だが、葉月もそれに似た感覚を得ることがなかったとは言い切れない。そんなときはきっと……。
 葉月は今、下腹の、身につけているショーツと肌が触れているそこを妙に意識する。そこが湿って熱いだなんて……。それほどの『エキサイト』がコックピットに乗っている時と等しい感覚で葉月の身体に起きていた。
 現役だったときでも、そんな夜は隼人が気がついているのかいないのか、上手く消化してくれた……。それほどのことを、今、ここで。

 ここにただ立っているだけなのに、あのホーネットは、あのコックピットにいる男は、やはり葉月にコックピットにいる感覚を巻き起こしてくれている。

(間違いないわ。絶対にあの子だわ……!)

 横須賀で感じた『空のシンクロ』。己の勘に間違いはないと葉月は強く確信した。

 それにしても、もしあれが『彼』であるなら。
 いったい誰が指示をしているのか。
 どんなに『タフな大馬鹿野郎』でも、独断で滑走路につっこむことがどれだけの『違反』か分かっているはず。それこそパイロットの資格を剥奪処分になりかねない。それぐらい『彼』も分かっているはずだ。
 もし、これが……小笠原へ来た為の『ド派手なご挨拶』と悪のりをしているのなら、葉月の思い違い。こんなパイロット! 今日でクビだ! 横須賀に強制返却してやる!! と、頭に血が上ってきた。
 だがそうでないなら――。そこも思いついた葉月は、ますます拳を握った。

(隼人さんだわ!)

 コリンズ大佐、もとい、デイブもイタズラ大好きだが、ここまでのことはしない。
 でも、夫の隼人は違う。彼はこのじゃじゃ馬の夫。じゃじゃ馬ならしはお手の物の夫なら、なにかを企てたなら、それを平気に挑む。
 そんな時は、葉月以上に常識を覆すチャレンジをする――。
 そして何故か周りの者が、彼に協力をしているのだ。彼はそんな男!

 夫がそこまでしているとして、妻になにを訴えているのか!?

 葉月は拳を握った!

「テッド、行くわよ!」

 葉月は椅子の背に掛けていた上着を手にすると、そのまま真っ直ぐに准将室を出ようとドアへ向かう。

「待ってください。准将――」

 テッドも慌てて後をついてきた。

 足早に廊下を歩く葉月の後から、テッドが言った。

「管制塔に問い合わせましたら、やはり……御園大佐の指示だとか……」

 テッドの報告をしづらいと言いたそうな声。

「そう。そんなことだと思ったわ」
「隼人さんは、何故、こんなことを……。工学科科長室の小夜にも聞いてみたのですが、やはりこんな時はあちら側の人間で口が堅くて」

 テッドが方々に手早く原因を追求したようだが、分かったのは隼人の指示を得たという管制員の声だけらしい。
 でも葉月は微笑んだ。

「小夜さん、立派よ。ここでは直属の上官が一番だもの。貴方の奥様になる女性は素晴らしいと誇りに思って」
「は、いえ……はい。有り難うございます」

 そこは夫になる男性として、やはり誇らしそうな笑みを見せるテッドに、葉月もつかの間の笑顔を浮かべられた。

 だが。こちらの『旦那』はなんたることか!

「余程の理由でなければ、たとえ、澤村でも『処分』よ!」

 息巻いて連絡船が停泊する桟橋を目指す葉月の背で、テッドが『ちょっとそこまではいくらなんでも!』と不安そうについてくるばかり。

 

 桟橋についた葉月は、停泊していた連絡船に乗り込む。

「早く出してちょうだい」

 ピリピリしているミセス准将に、若い船員は緊張した顔で船を海原へと出してくれる。

 波に揺れる連絡船。
 その頭上を、あのホーネットが通り過ぎ、空母艦へ向けて着艦体制の降下をしているところ。
 それを見上げる葉月の眼は、『彼』を強く見据えていた。

 

 

 

Update/2008.6.28
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