-- エースになりたい --

TOP | BACK | NEXT

 
 
13.上司と部下、でも夫妻

 

 初めての珊瑚礁の海。でも、あまり印象的ではなかったかもしれない。

 息切れる胸を激しく上下に動かしながら、英太は掠れる声で着艦要請に入った。

 ……やりすぎた。

 英太は少しばかり『張り切ってしまった』ことを後悔していた。
 横須賀でもそれなりの無茶を反抗的に何度か行ってきたが、今日のこれは『限界に挑んだ』に近い。

(何故だ。俺……)

 身体の限界まで、そして今まで訓練では決して許されることのなかった『俺はこう飛んでみたい』という頭の中で描いてきたイメージトレーニングそのままに、すべてをぶつけて飛んでいた。
 自由に飛べる。それは最高の気分だった。己の限界にチャレンジできること。それを擁護してくれる『上官』がいてくれたこと。そしてそれを『伝えたい人間』がいたこと。
 そこで英太は初めて己の『存在意義』を感じた気がした。

 こんなはずではなかった。
 まさか小笠原に来て第一日目で、こんな気持ちにさせらるだなんて――。
 全部、あの『おじさん大佐』のせいだ! 英太はそう思い、彼が現れたことになにか強いものを感じてしまっていた。
 それだけじゃない。英太にここまでの飛行をさせた、そして『見せたい』と思った彼女がいたことも……それを初めて自分の中で強く感じたのだ。

『ビーストーム12……アプローチOK……ビーストーム12……』

 空母管制から、着艦のアプローチに入っても良いという通信。
 アプローチに入るための応答をしなくてはいけないが……やはり朦朧としていた。

『鈴木、大丈夫か。鈴木!』

 御園大佐の声が聞こえてきて、英太ははっと意識を取り戻す。
 酸欠により意識が朦朧としている部分もあったかもしれないが、正直なところは『真っ白に燃え尽きた』と言ったところか。

「……やりすぎました。大佐」

 やっと答えると、向こうからちょっと呆れたようなため息が聞こえてきたような気がした。

『滑走路の管制から聞いた。とんでもないショーを見ているようだったとね。そうだ、やりすぎだ』

 少しばかり咎めるような声。『あんたがやれっと言ったんだ』――。声にならない英太はそう心の中で言い返していた。でも。

『良くやった。俺もこの目で見てみたかった。甲板からは滑走路は見えない、残念だ』

 その返答に、英太は力無くとも微笑んでいた。

「俺たち、勝ったんでしょうかね?」
『さあ。でも滑走路の管制に、准将室から問い合わせの連絡があったそうだ。管制には俺の指示だと正直に伝えても良いと言っておいたから、俺の仕業と知った奥さんは、おそらくものすごく怒っていると思うね』
「そうっすか……。じゃあ、早く俺も降りないと」
『大丈夫か……。早く帰ってこい。着艦できないほど、今、動けないのか?』

 息切れる声に、流石の大佐も不安になったようだ。
 その心配そうな声。どうしてか英太はとても柔らかく包まれたような気になってしまっていた。
 不思議な声だった。上官だろうに、大佐だろうに。あれだけの男達を、こんな『悪戯』に巻き込むほどのパワーを持っている男なのに。なのに、なんでこの人は柔らかいのかなと。
 もっと威張って。部下を口だけで動かして、自分は動かない。もっと自分の立場だけに必死になったり。もっと保身と理想の間で葛藤したり。……ないんだな、この人。――英太はそう感じた。
 もっとびくびく生きているなら、こんな大胆なこと絶対に出来ない。この人は精神がとっても自由で。そしてきっと、それで周りにいる誰をも安心させる力を持っている人なんだと。
 そう、きっと誰もが――。だから英太も今、例外なく彼が放つ人としての安心感のようなものに、包まれてしまったのだと。
 だから英太は、そんな彼にきちんと返す、応える。

「戻れます。戻ってあの人の怒った顔をみないと……。俺がここまでした意味ないっすから」
『そうだな。待っている。さあ……』

 英太が気をしっかりと取り戻して、甲板の滑走路を見据えたときだった。

『さあ、帰ってこい。ここだ』

 送り出してくれた人が、また誘導灯のスティックライトを振って出迎えてくれていた。

 

 さあ、帰ろう。
 俺の港、俺の艦へ。

 いつだって。空で粉々になっても良いと思っていたのに。
 あの日、両親を失った日のように。俺もあの時、死ねば良かったのにと何度思ったことか。
 でも、空から帰ってこいと言ってくれた人がいた。

 

 そんな気持ちも初めてだった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 ワイヤーに着艦フックがひっかかり、帰還した感触。
 乗っていた機体に、またメンテナンサーが駆け寄ってくる。

 英太は力無くキャノピーを開けた。
 すぐさま梯子がかけられたが、英太はそのままシートにぐったりとしていた。

 機体の下が騒々しい。そんな中、彼の声が聞こえてきた。

「鈴木! 大丈夫か」

 英太はその声で、背筋を伸ばす。あまり無様な姿は見せたくなかったから。
 身体を固定しているベルトをシートから外していると、大佐が梯子を登り切ってきた。

「大丈夫か」
「ええ。これしき……」

 でも、思った以上に御園大佐の顔が青ざめていた。
 それだけ、英太が弱って見えたのだろう。
 だが、そんな英太にかまわずに、軽いげんこつが飛んできた。

「見ていた者達はかなりの驚嘆だったようだが、張り切りすぎだ!」

 軽いげんこつなので痛くはないのだが、英太は『いて』と口をすぼめた。

「でも……。気持ち良かったっす」

 思いっきり飛べたこと。
 あれぐらいのことを試してみたかったこと。
 そしてそれを『見せつけたい相手』に見せられたこと――。
 その英太の中でくずぶっていたすべてを、この大佐がバックアップしてくれたのだ。
 なににも捕らわれないで自由に飛べたあの瞬間。短時間でも、英太は本当に生き生きとすることが出来ていたと実感。その感触がまだ残っている。それはかなりの爽快感。

 でも思った。

(何故、俺は……。あの人にこんなにも『見せつけたかった』のか?)

 彼女のことが徐々に英太から離れていかない。
 冷めた顔。でも光る瞳。そして冷たい声なのに、どこか柔らかくて――。
 そして、横須賀の元パイロット達が口をつぐむほどの『二度と一緒に飛びたくない彼女の飛行』。それはいったい?
 英太の中で徐々に大きくなっていく、『あの女性(ひと)』。
 それどころか、そんな『あの女性(ひと)』の旦那までもが、強烈なインパクトを英太に与える。

 御園夫妻。
 仕事でもプライベートでも共にしているこの男性と女性は、いったいこの小笠原ではどのような……。そう思ったときだった。

 

「なにをしているの!」

 

 そんな女性の甲高い声が響いた。
 甲板にいる誰もがはっと振り返る。

 艦内から甲板に出るドアに、『あの女性(ひと)』が潮風の中、かなりの不機嫌な顔で現れた。

(マジで来た!)

 それだけのことをやったと分かっている英太でも、本当に彼女がやってきたことに驚いてしまった!
 というのも。彼女が本当に来たというよりかは、今、側にいるこの食えないおじさんが企んだままに、あのミセス准将が本当に真っ直ぐに甲板に来てしまったからだ。本当にこのおじさんの勝ち! 彼の思惑通りになったという驚きが勝っていた。

「いったいどういうことなの! 輸送機旅客機用の滑走路をあんなショーまがいの遊びで使うだなんて!!」

 彼女の顔。あの初対面の日以来。やっと見られた。
 英太はそう思ったのだが、ちょっとばかり目を見張った。
 ほんと、旦那の大佐が言うとおりに、あの冷たい顔はどこへやら? 彼女は頬を真っ赤にしてあんな大声を張り上げている。初対面の、あの『風薫る』中で楚々とした彼女と同じとは思えなかった。

「な。俺たちの勝ち」

 なのに旦那と来たら、『やったな』とばかりの勝利の拳を英太の胸にぶつけて、にんまり満足顔。
 それにも英太は言葉を失うばかりだった。
 それどころか、御園大佐は余裕の笑顔で、自己申告。

「准将、私ならこちらですよ」

 堂々としている御園大佐は、『ここにいます』と手まで挙げて彼女にいる場所を示したりして。
 するとミセス准将が、これまたちょっと驚いた顔。しかも旦那さんときたら『なにその急なしらじらしい敬語』と、英太は御園大佐を見ても驚くばかり。

「鈴木の滑走路での腕前、見て頂けたようですね!」

 まだまだにこやかな御園大佐……もとい、『旦那様』をみつけたミセス准将は、たちまち頬をふくらませ怒り顔。彼女はその顔で旦那の余裕顔を見て、ますます不機嫌な顔になった。しかもその顔のまま、ただこちらを睨むだけになってしまい、吠えなくなった。そして、こちらに突進することも出来ないかのように、そこで躊躇している。つまり、旦那の『一癖』を警戒しているようだった。
 本来なら。トップの大隊長がここで雷を落とし、誰もが震え上がるところ。将軍の怒りも恐れずに、禁に触れた部下がどれだけ罰せられるのかと誰もがハラハラしているところ。実際に一部の甲板要員はそんな顔で固唾を呑んでいる。
 だけれど……。英太はついに頬をゆるめてしまっていた。だって、あの女性(ひと)が、あんな顔に――!

「うっ、大佐。俺、ダメっす。笑っちゃう……」
「笑ってやれ、笑ってやれ」

 畏れ多くも、小笠原空部隊トップの大隊長。その彼女の怒った顔が実は『可愛かった』だなんて思って笑ったら、やっぱりまた怒られる? でもあの顔で? 英太はまだ降りぬコックピットで顔を伏せなんとか堪える。
 あれが、あの時とても冷たい顔でどの感情をも英太に感じ取らせなかったミセス准将? 誰もが畏れるはずの彼女の怒っている顔が、『あれ』?

 でも……英太はそこでちゃんと分かっていた。
 『ああ、そうか。彼女は御園大佐に対して怒っているのではなくて、旦那に対して怒っているのだ』と――つまり、彼女そのものの顔と言うことだ。
 そう思ったら、あの冷たくて遠いと思った人に、とてつもない親近感が湧いてしまった。

 するとミセス准将は側近のラングラー中佐を従え、そのふくれっ面のままこちらに自らやってくる。
 上官の彼女がこちらにやってくる為、英太も立場を弁えようとコックピットから甲板へと降りた。そして御園大佐の後ろに控え、固唾を呑む。
 英太にとっては、初めて目にする夫妻が向かい合うところ。

 ついに二人がホーネットの下で向かい合い、その視線を交えた。

 禁に触れた大佐と、空部隊トップのミセス准将。二人はしばし見つめ合って、その距離を縮めない。
 英太は思った。夫妻の顔をのぞかせた二人が、一瞬にして『准将と大佐の顔』になって、それこそ互いに威嚇しているようだと。二人の顔は真剣で、それでいてどちらも引かないといったふうだ。己の信念は互いに曲げないとでもいいたそうな、そんな意志の強さ。それを互いに投げつけて静かな喧嘩をしているようだった。それは決して、夫婦喧嘩とは言えないもの。夫妻のはずなのに、その威嚇は互いの職務人としての何かを主張し合っているようだった。
 だから、英太はいつの間にか、笑いたい気持ちがすっと消えてしまい、そこらにいる甲板要員と共に固唾を呑んでしまった。
 やがて旦那の御園大佐からも笑みが消える。そしてミセス准将の眼も、英太が初めて会った面談の時のような真っ直ぐで静かな眼差しでこちらを強く見据えている。

 その静かだけれど、『強いなにか』。
 それで甲板は支配されてしまい、潮風の音だけなのにとても緊迫していた。

「澤村、貴方の仕業なの」
「はい。間違いございません」

 どうしてか、ミセスは夫を『澤村』と呼んだ。
 英太はものすごい違和感を持ったのだが、周りの誰もがその名をよく知っている顔をしている。やがて英太も気が付いた。それが婿養子だと有名な御園大佐の『旧姓』なのだと判った。
 どうやら妻で上官である『御園准将』は、同姓の混乱を避けるために、夫の旧姓を『通称名』として妻自ら使っているようだった。
 英太としては、それはちょっと嫌な感触だった。夫を従えて婿養子にもらったはずの夫を、そんな冷たい声で『旧姓』で呼び捨てているだなんて――。でも、周りの者は違和感がない様子。なによりも、英太の目の前にいる『御園大佐』、いや『サワムラさん』は嫌悪の様子をいっさい見せない。初めて夫妻を目にした者としては、しっくりしない場面だった。

「どういうことなの。澤村」
「すべて私の指示です。ここにいる鈴木大尉も、彼の転属の受け入れ役を仰せつかっているダグラス少佐も、さらに甲板要員も、管制員も。そしてコリンズ大佐も。すべて私の指示、または無理に協力してもらっただけです」
「そう。では、すべてが貴方澤村の一存というわけなのね!」

 御園大佐の丁寧な言葉遣いにも、英太は違和感を持った。
 そして彼は、妻であり上官でもある……おそらく自分よりかは若い女性に静かに答えた。今度はふざけていない、真顔で。

「そうです。すべてが、私の一存です。ですので、処分と責任はすべて私一人。そうお願いいたします」
「最初からその覚悟だったの!」

 淡々としているのは部下で夫の方。だが、妻の方は、夫が仕掛けた悪戯通りに今にも飛びかかりそうな程、彼に吠えていた。
 この人、これだけ感情的になれるんだと、『どれだけ危険なことをしてくれたか』と夫にぎゃんぎゃんと吠えている冷たいはずの人を目にして、英太は益々呆気にとられてしまう。
 だが、最後。やはり目の前の『おじさん大佐』がふと口元をゆるめ、奥さんの吠え姿を笑う顔。

「なに。お前がそんなに怒るほど、鈴木はすごかったのか」

 背後にいる英太をちらっと肩越しに振り返る御園大佐の顔が、なにかとても勝ち誇った笑み。
 どうやらなにもかもが彼の思い通り、彼女が吠えているその姿さえ、仕掛けたままに奥さんが罠にかかっているとでもいいたそうな笑み。
 だが、英太は一緒に笑えなかった。ただ単に悪戯をしたわけではないことを悟った。彼の底知れぬ『目的』があるのだと。そう思うと、目の前の男性がちょっと怖く思えてきた。

 それにミセス准将は、夫のその一言に妙に過敏に反応? なにかに驚いたように黙り込んでしまった。しかし彼女もそこでやめない。手をゆるめずに追求する。

「彼は雷神に転属してきたパイロットよ! それを……転属してきたばかりの彼を勝手に使うとはどういうことなの!」

 すると、どうしたことかミセス准将を、優位にかわしつづけてきた大佐が急に黙り込んでしまった。
 だがミセスの問い、それは英太も同じように疑問に思う。

(本当の目的は、なんだったんだ)

 悪戯――。冷たい楚々としている奥さんを怒らせて楽しみたい。そんな悪戯。
 だが、大佐たる、そして准将の夫たる男の企みは『それだけではないはず』だったのだ。
 やはりそれなりの目的があるようだ。英太はそこまで読みとってみたが、だが、それでも『目的がなにか』はさっぱり分からなかった。
 この英太の『無茶な限界飛行』をダシにして、この大佐は准将からなにを得ようとしているのか……。

 また夫妻が向かい合ったまま、静かになってしまう。
 それでも強く絡み合う視線が、それだけで二人が会話をしているように英太には見えた。
 だが、御園大佐はそれを一向に口にしない。

「澤村大佐。訳もなく、ただ『面白いからやってみた』というのなら、どうなるか分かっているわね」
「はい」

 英太はじれったく思った。
 本当にそれだけだったのか? おじさん……! 絶対に『悪戯以上の目的』があったはず。それをここで今言うべきじゃないのかと――!
 だが彼はまだ黙っている。妻を見て、ただひたすら『理由』は言わない。

「そう。言えないのなら、分かっているわね。いくら貴方でも『禁止』に触れたこと、見逃せないわよ」

 訳を言わぬ大佐を暫く待っているような彼女の間。しかしミセスもしびれを切らしたのか、ついに口にした。

「――五日間の謹慎、一ヶ月分の減給よ。無論、謹慎中は基地への出勤も禁止、甲板の出入りも禁止。部下への連絡も禁止。いっさい、業務に関わらない。いいわね」

 ミセス准将からの言い渡しに、やっと周りの隊員達もざわめいた。
 それだけじゃない。彼女の側にいるラングラー中佐も。

「待ってください、准将! 澤村大佐のことですから、絶対に何か訳があって」
「こちらにそれを告げない以上、訳など有ったとしても、無いに等しいわ」

 その声が、英太がよく知っている声に戻っていく。さらに徐々に怒りの熱をさましたのか『冷たい女性』の横顔に戻っていく。
 大佐たる男が五日の謹慎。軽いかどうかは判らないが、それでも大佐たる男に『処分』が言い渡されたのだ。しかも妻である彼女に。女性の上官に。
 コリンズ大佐は遠巻きにこちらを眺めているだけで、ちっとも関与してこないが、他の甲板要員達は騒然としてしまっていた。
 だが、御園大佐は毅然としていた。

「テッド、いいんだ。それだけのことをしたと自覚している。例外などあってはいけない。謹慎ぐらいで納めてくれて、逆に手加減してもらったと思っている」

 訳を言うつもりも、逃れるための悪あがきも彼はしない覚悟だったらしい。
 元々、その処罰を覚悟。だが、目的は達成したような満足そうな顔。それがどうしても英太には腑に落ちない。

「だったら、さっさとこの甲板から降りてちょうだい」
「承知いたしました。准将」

 御園大佐はそういうと、神妙な様子でミセス准将に敬礼、一礼をして甲板に背を向けた。
 英太は絶句する。何故、ラングラー中佐が言うとおり『絶対になにか訳があって、この無茶は大佐の作戦の一つだったはず』なのだと。だが、大佐は処分に甘んじ、准将にアクションを起こした訳を言わない。言えば、准将に理解してもらえ、処分だって無罪放免のはず――!

 だが、御園大佐はそのまま去っていく――。
 それは潔いのかもしれないが、英太には潔くは見えなかった。
 そして――。そんな去っていく夫の背を見つめながらも、最後まで追求する手を緩めてしまったミセス准将の姿にも英太はわけもなく苛ついた。
 そうだ。もっと徹底的に追求するべきだ。大佐には大佐なりの訳があったはずと。それを言わせるのが、彼女の役目で仕事で責任ではないのか!

「待ってください、准将!」

 去っていく御園大佐の背を見て、英太はついにそんな声を張り上げていた。
 周りの驚く視線が、英太に集まってきた。だが、ミセス准将は、既にあの冷めた顔で英太を確かめただけ。

「どうかしたの。鈴木大尉」

 あの日以来、やっと……。彼女に声をかけてもらえ、英太は急に緊張したのだが……。

「大佐にはなにか訳があったはずです」
「だからなに。それを言う気はないのよ、あの大佐は」
「ですが……!」

 淡々としてる彼女の反応に、くじけそうになったが英太は気強く続けたのだが……。

「貴方も、一歩間違えれば『共犯』よ。判っているのでしょうね」

 そこはとても迫力のある光る目を英太に突き刺してくるミセス准将。
 流石の英太も、どうしてかその目には固まってしまった。

 緊張している男がやっと上官の中の上官に向かっている中、何事もひんやりとしている彼女が余裕の間合いで、さっくりと英太の勢いを削いでしまう。
 だから英太もそれ以上のことが、言えなくなってしまう。それにどのように御園大佐を庇えばよいか、新参者でまだ初対面の自分には分からなかった。

「貴方はまったく関係ないのよ。言われて飛んだだけ。それ以外は考えなくていいの。一日も早くホワイトに乗れることだけ考えて、早く雷神に来なさい」

 彼女はそれだけ言うと、英太のことなど、ついこの間『ちょっと拾ってみただけ』とでも言いたそうな淡泊な反応で背を向けてしまった。
 しかも『まったく関係ない』と。英太があれだけの飛行を、彼女に見せつけるために限界に挑んだというのに。あの飛行を見て腰が動いたはずなのに、なのにそんなもの『たいしたことなかった』とでも言いたそうに。ただそこらにいるパイロットと変わらないと言わんばかりに。

 それ以上はなにも言わずに、彼女はラングラー中佐と一緒にコリンズ大佐の元へと行ってしまった。
 そこで金髪の大佐がちょっと可笑しそうな笑い声を立てたが、やがて二人がひそひそと妙に真剣な顔つきで話し込む姿が暫くあった。

「鈴木、行こうか」

 ダグラス少佐がちょっと疲れた顔で、英太の肩を叩く。
 英太も力無くうなずき、少佐の後に続いた。

「鈴木、気にしているのか? あのなあ、ご夫妻のああいうの、しょっちゅうなんだぞ」

 連絡船乗り場へ向かう艦内を歩いていると、どこか納得できない顔で歩いている英太を見ながら笑っていた。

「しょっちゅうとは、どういうことですか?」
「んー。なんと言えばいいかなあ。あっちが大佐で、こっちが准将だって考えない方がいいよ」

 益々判らなくなって、英太は首をかしげた。

「つまり。あのご夫妻の喧嘩のような騒ぎは日常茶飯事。小笠原では当たり前。いちいち驚かない方がいいし、首をつっこまないことをお勧めする」

 あれが日常茶飯事? と、英太は目を丸くした。
 つまりそれが『大佐と准将』という地位があってないようなもので、さらには『夫と妻』というものも無いのかもしれないと英太は急に納得できた気分にさせられた。そうまとめられたのなら、英太が感じた御園夫妻の違和感はすべて、しっくりしたものに変わるような気がしたのだ。

「確かに考えがあってこんなことをしたと思うよ。でも、きっと……サワムラ大佐は処分を食らうことも、計算のうちだったと思うから、気に病まない方が良い。気に病んでみな。後できっと『あれ、そんなこと気にしていたのか』と、ケロッとあの人は笑って……それで『心配して損した!』と思う羽目になっているよ」
「あの、まだ言っている意味が分かりませんけれど」
「あー、俺も。どう説明して良いか分からないなあ。なにせ今回の御園大佐の魂胆がまだ分からないから。でも、きっとそんなもんだよ」

 そしてダグラス少佐は言った。『俺も大佐が直属の上司の時、そんなことしょっちゅうだった』と。
 どうも中隊時代、空軍管理官として勤めていたダグラス少佐の当時の直属の上司が、御園大佐だったとのことらしい。だから彼にしてみても『魂胆がある』と処分はくらってもたぶん平気と思っているようだった。
 それでも。英太は『そうなのでしょうかー』と、まだ判明しない『御園大佐の魂胆』にはすっきりしない気分のままだった。

 空母から連絡船に乗船し、陸へと戻る。
 だがその連絡船に乗り込んで、英太はハッとさせられた。

「よう。鈴木も甲板から追い出されたか」

 これから陸へ向かう連絡船に、一足先に甲板を出て行った御園大佐が笑顔でそこにいた。
 まったく。五日間の謹慎と減給をくらってまだその余裕の笑顔。英太は唖然とした。

「まったく。大佐ったら大丈夫なんですか?」
「五日間、俺がいないぐらいで崩れるような部下は持っていないしな。なんとかなるだろう。ただ、やつらに負担がかかることをしたことは、反省しなくてはいけないが」

 やっと大佐が申し訳なさそうな顔で、ため息を。
 英太は呆れて、御園大佐の目の前に腰をかけた。
 やがて、連絡船が三人の男を乗せて動き出す。

「大佐。教えてください。本当はなにが目的で俺を――」

 直球で聞いてみたのだが、御園大佐はふと笑っただけで、外の波を見てるだけだった。

「ああ、そうだ。鈴木に約束したご褒美」
「褒美なんていりませんから、謹慎が解けるように、ちゃんと准将にその訳を申告してくださいよ。俺、すっごく後味悪いんですがー」
「やだね。やったことはやったこと。処分を食らうのもちゃんと分かっていてやった。それだけの隊員を動かしたんだ。鈴木だけじゃない。コリンズ大佐も空母の乗員もそしてお前の隣にいるダグラス少佐も。皆を俺の一存で動かしたんだ。それを許してくれだなんて思っていない。お前の後味の悪さ。それを申し訳なく思うのは俺の方だ」

 そして御園大佐が英太の目を見て言った。

「来るなり巻き込んですまなかったな」

 英太は驚いた。
 あれだけの隊員を動かせた男が、大佐が、あっさりと詫びてくれたからだ。

「えっと、俺はただ……」
「それでさ。褒美は謹慎が解けるまで、待ってくれないか」

 いらないと言っているのに。
 でも、英太は素直にこっくりと頷いていた。

「はあ。今から家に帰れば昼前か」

 御園大佐は腕時計を眺めて、暢気な顔。
 それを見ているダグラス少佐が、急に笑い出した。

「隼人さん、本当は家に帰れるようになって好都合とか思っていないでしょうね」
「あはは。ばれたか。洗濯物が溜まっているんだ。そうだ。今日はボウズ達のおやつ、なにか作ってやるかな」
「いいっすね〜。隼人さんの手料理、美味いですもんね。海人と晃が羨ましい」

 そんな会話に、英太はまたぎょっとしていた。

「ええっと? 大佐って……。家事をするんですか」

 するとものすごい真顔で彼が答えた。

「当たり前じゃないか。お前、家事しないのか!」

 逆に怒られたようで、英太はおののいてしまう。

「家事が出来ないとダメだぞ。叔母さんがいるんだろう。ちゃんと助けていないのか?」

 いえ。叔母と、あと同居人の女性に頼りっぱなしです――と言いそうになって、でも英太は言えなかった。
 それだけ御園大佐が真剣な顔なのだ。彼は本気で思っている。『男も家事!』だと――。言えるわけがない。
 だが御園大佐には、英太の反応で、女性任せにしていることがばれてしまったよう。彼は『まったく』と英太に目くじらを立てる始末。

「まあ、でも。俺も手が空いている時だけだよ。全部やっているわけじゃなくて、家族で振り分けてやっているだけさ」
「そうですか。でも息子さん達に、おやつですか……」
「ホットケーキとか……。簡単なものしか作れないけどな」

 でも英太はちょっとばかり、大佐の子供を羨ましく感じてしまった。
 それに、御園大佐の顔が……。甲板では見なかった優しい穏やかな父親の顔になっていた。

 英太はふと思い返した。
 死んだ父親のことを――。

 だがそこで英太は、父親の顔をしている御園大佐からそっと目を逸らす。
 直視など出来ない。光る波間を見つめ、盛り上がりそうになってきたある感情を沈めようとした。

 それを御園大佐が密かに眺めていたことに、英太は気が付かなかった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 一週間が経った。

 その間、英太は工学科で研修を始めていた。
 教官は、教育隊の若い教官で――。それがとても妙だった。

 ホワイトの大まかな概要を説明する時間がほんのわずかあっただけで、後は今までの基礎知識を再確認するかのような講義。それだけじゃない、いきなり高校の学力テストなんかもやらされたりして、とてもじゃないが『本当に雷神に引き抜かれたのだろうか』と疑問に思ったほどだ。
 だが、ダグラス少佐が『間違いのない講義だから、気にしないように』と、あの笑顔でなんとか英太を安心させてくれていた。だから黙って受けているが、そろそろホワイトについていろいろ知りたいところ。
 だいたいにして英太より少しばかりキャリアがある三十代の若い教官を当てられているところが気になる。
 確か、ホワイトは工学科で担当しているはず。なのに研修の教官が、教育隊の若い教官とはいったい?

 それにあれから御園大佐はどうしたのだろう?
 五日間の謹慎とは、言ってみれば、週末の休みもさしかかるため一週間基地には出てこないと言うことだ。

(無事に謹慎が解けたなら、今日あたり出てくるんだよな)

 彼にまた会えるだろうか。奥さんのミセス准将は、あれからまったく姿すら見ていないが。
 御園大佐は気さくな人だった。奥さんの准将とはまったく異なるあのフランクさ。英太の中ではかなり印象強く残っていた。
 彼なら工学科の科長室を訪ねれば、笑顔で迎えてくれるような気さえ……。するだけで、やはり訪ねるとなれば英太だって意気込んで行かねばならなくなるのだが。

 今日も工学科の講義室で一人、若い教官を待っている。

 雷神のパイロットは、英太で七人目だとか。
 つい先日、フロリダからスカウトしてきた六人目のパイロットが既にホワイトに乗って訓練とテスト飛行で空を飛べるようになったと聞かされた。
 そうしてスカウトされたパイロットは皆、最初は工学科で預かり、機密の機体について頭と身体にたたき込む『極秘訓練』がなされる。

 なのに。それにしては『ホワイト』にこれから触れようと言う実感が湧かない……。

 この前は、日本史や古文のテストまでやらされて、苦手な英太は若い教官を目の前にうんうん唸っていたほどだ。
 しかし第一週目の研修を振り返るに、向こうが意図しているらしき教科はすべてやり終えたはずと英太はにらんでいる。

(まさか。今日から機体の基礎知識テストとか言うなよ)

 なんだか嫌な予感。本当にそれが手元にやってきそうな気がしてならない。

 そう思いめぐらせていると、やっと教官がドアを開けて入ってきた。

「おはよう、鈴木」

 いつもの教官じゃない……。でも、聞き覚えのある声。英太は入ってきた教官を見て、驚き固まった!

 彼は小脇にテキストにバインダーを抱え、それを教壇に上るとそこに置いた。
 そして正面の席に座っている英太ににっこりを微笑む。

「今日からは俺が担当するのでよろしく。自己紹介はいらないな」

 ――み、御園大佐!?

 英太は声にならず、ただただ驚いて彼を見るばかり。

「ど、どうしてですか?」

 やっと尋ねると、これまたあの日甲板で出会ったときのように、彼がにんまりと笑う。
 そしてテキストを片手に取ると、それをおもむろに開いて、大佐が言った。

「覚悟しておけ。俺が直々にホワイトの乗り方を教えるんだ」

 英太はさらに、『え』と、目を点にする。
 そして大佐はそんな絶句している英太にこう言った。

「これがご褒美だ。工学科科長の俺、直々の研修な」

 英太は言葉を失った。
 科長直々の研修? それってなにをさせられるのか?
 まさか。第一日目のような、あんな、あんな、あんな……ことばっかり起きないよな!? おじさん!

 そんな英太の無言の訴え。それを分かっているかのように、さらに不敵な笑みを見せる大佐。

 英太は心で叫んだ。

 

 そんな褒美だったなんて。いらねー!!

 

 いったい、なにを仕込まれるのだろう?
 流石の暴れん坊も、大佐の目の前では戦々恐々!?

 

 

 

Update/2008.7.06
TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2008 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.