-- エースになりたい --

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18.本日限定

 

「まあ、大佐。どうかされたの?」
「いえ。どうしても准将とお話ししたいことが出来ましてね」

 ある程度のことなら『寝室』でまとまることが多い。
 そんな生活をしてきたのだ。だから基地で親しく話すということはかえってない。会議で討論をするぐらいだ。
 それなのに。家でもなく夫は准将室を訪ねてきた。

「あ、どうぞ。そうだ。久しぶりにお二人でここで食事でもされたらどうですか。私がなにか見繕ってきますね。大佐も奥様と同じサンドセットでもかまいませんか」

 テッドの気遣い。夫妻で、妻の部屋でランチをしようと。
 いつもの夫なら『いや、そんなことはしなくてよい』と断りそうなのだが。

「それもいいね。有り難う、テッド」

 すんなりと後輩の提案を受け入れてしまった。
 つまりここで食事を取りながらでも話し合っておきたいということらしい。
 葉月もその雰囲気を感じ取って、腹をくくった。

 テッドが出て行き、二人は准将室の大きなソファーに向かい合って座った。

「どうしたの、貴方」
「いやね。思っていた以上のこう〜なんか、すっきりしない方向に引っ張られて困っているんだ」

 ファイルバインダーを小脇に抱えていた夫がそれをテーブルに置いて、気の抜けた顔。疲れた顔とも言うべきか。

「――鈴木君、今日から『チェンジ』よね」
「ああ。もう鼻血を出したりして、大変だったよ」

 鼻血、と、葉月は吹き出しそうになった。

「やだあ。若いわねえー」
「そう。もう平井さんとウォーカーキャプテンのデーターを出してあげただけで、これと戦えるんですかと大興奮」

 ふむふむ、思った通りの闘争心だと、葉月も微笑んだ。

「若さと真っ直ぐさ。それは今、彼にとって一番良い武器だ。だけれどな、その真っ直ぐさがこれまたマイナスになることがあって。どうも手こずる予感」
「今日半日で何か?」

 すると急に夫が真顔になってしまった。
 それには葉月もドキリとさせられる。

「まただ。『准将のデーターを出して欲しい』と言い出した」

 葉月は『なんだ』と拍子抜けした。
 それはどの現役パイロットもあのチェンジで引退パイロットの飛行データーと飛べることを知ると、必ず言い出すことだったからだ。これが初めてではない。

「あの調子だと。あいつにとってはかなりの拘りだと見た」
「どうして? 今までだって初日でも研修中でも必ず言われてきたことじゃない」
「そうなんだけれどねー」

 夫はそう言って、ファイルバインダーを眺める。
 そしてそのまま黙ってしまった。

「貴方、話はそれだけ?」

 それなら帰ってよと葉月は言いたくなる。
 そりゃ、もちろん。旦那さんとここで人目を気にせずにランチをとれるなら嬉しいが、秘書室がある手前、ちょっと引き締めておきたいところ。
 でも夫は悠々と足を組み始め、ソファーにゆったりと腰を沈めてしまった。帰る気がないらしい。

「なあ、葉月」
「は、はい」

 あれ、ここは私の准将室なのに?
 旦那さんのちょっと重たい威厳のある『葉月』と呼ぶ声に、つい従ってしまっていた。

「お前、この前、缶コーヒーを奢ったと言っていただろ。珍しいな」

 ドキリとしたが、でも覚悟もしていた。
 夫に隠し事をしないなんていう殊勝な心がけを誓っているわけでもないし、夫妻の間でも誰が誰と付き合うことまではお互いに口を挟まない主義。だが夫には必ずいつかはそこを突っ込まれると思っていた。でも葉月の予想ではまた『夜の意地悪』のネタにされると思っていたのだが、まさかこのシビアな准将室でやりかえされるとは――。

「それが?」
「お前は部下にそんな親しげに物を奢るなんて主義じゃないだろ。どちらかというと、全てシャットアウトだ。甲板での総監とパイロット、それだけの関係。若干、仕事柄、ベテランとはプライベートの交流は有りだが、若い男は決して寄せ付けない。だろ? それがねー」

 そこまで言われる覚悟もしていた。
 そして葉月はこれが出た時に、夫に何を言うべきかもちゃんと覚悟して正直に話すと決めていた。

「貴方、私の新しいサボタージュの場所を知っている?」

 その場所を夫もテッドも探し当て、迎えに来たことはない。
 だが夫は言った。

「陸訓練棟の最上階、非常階段。ドアの前に自販機があってとっても便利」

 やはり知っていたかと、葉月はふと笑う。

「テッドがどうしても見つからないと俺に泣きついてきた時に、一緒に探してやっとみつけたのがそこ。そっとしておいてやれと言っておいたんだ。なくなるだろ。お前だけの場所」

 その隼人らしい気遣いにも、葉月は思わず涙が滲みそうになった。

「そこをね。あの子に譲ってあげたの」

 そういうと隼人がとても驚いた顔をした。

「譲ってあげた?」
「わかるの。あの子の今の孤独がね。だからあげたのあの場所。これから何かあった時、この小笠原ではあそこに逃げてくればいいわ。そういう場所がひとつあるだけで違うの。ただ、それをしてあげたかっただけ。もう私はあの場所にはいけなくなったけれどね」

 夫の呆れたため息。

「もったいないことをしたな。良い場所みつけやがったなーと感心していたのに」

 葉月は『そうね』と笑うだけ。

「……あのさ、そこまでする意味はなんなんだ」
「あの子が空を飛ぶ姿は、息が詰まるわ。あの子もなにも顧みていない。この前の滑走路の飛行で益々確信したわ」
「――俺もだ。管制に撮影させてミラー大佐のシステム室で映像を確認したけれど、あれはすごい。お前が……燃えてしまったのが頷けた」

 夫妻は見つめ合う。それを挟んで熱く抱き合った夜があったことを。
 それだけあの青年は人を熱くさせてしまう、『一直線な強い思い』を持っているのだ。それを彼は今、コックピットに全てを置いて……。

「お前、あの青年に本当は何を感じている?」
「貴方こそ、何か知っているの?」

 すると夫が少し躊躇したように妻には見えたのだが。

「しらないな」
「そう、私もしらない。でもあると思っているの」
「だから。逃げ場所を教えてあげたのか」
「そうよ。准将ではないわ、『葉月』として」

 そこまで言うと、隼人の表情が固まった。
 そして彼は暫く眼差しを伏せて、黙って何かを考えている。

「そうか。お前がそうだと知って、俺も迷いが吹っ切れた」
「迷い?」
「ああ。俺も腹は決まった。『葉月』と一緒にまたやってみるか」

 それは葉月が感じている気持ちを、きちんと理解してくれたという意味。
 だが、葉月としてはまた何を一緒に頑張ってくれるのかがよく分からない。

「准将、お願いがあります」

 途端に大佐になって頭をさげる夫に、葉月は戸惑うばかりだった。
 いったいこの大佐は何を考え、葉月を連れ込もうとしているのか? 

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 『チェンジ』の実習が始まってから三日が経った。
 その間、英太はなんとか大佐の指示に従って『ホワイト』のシステムに馴染もうと取り組んでいたが、どうしても頭の隅っこに諦められない小さく鋭い一欠片が突き刺さったまま。それが疼いて、集中が出来ないでいた。

『どうした、鈴木――。このシステムに慣れておかないと、ホワイトには乗れないぞ。お前だけ航行に行かず留守番。俺とずっと研修でもして待っているか?』

 英太のこの無様な有様。御園大佐の声も、厳しくなってきている。
 普段はおおらかな顔を見せているが、彼がシビアになると容赦ない。でもきっとこれがこの大佐の本当の姿。そして彼が怒っているのは、英太がずっと集中できずにいるからだ。
 そして英太は合間を見ては何度も御園大佐に訴えた。

「お願いです。准将のデーターを見せてください」
『何度言ったら分かる。准将のデーターはバンクされていない』
「空部隊のトップを張っている元パイロットですよ! 言ってみれば、お手本といえるじゃないですか!」
『勘違いするな。パイロットの実力と彼女の組織統率力は別物だ。お手本になるパイロットなら、お前を基準にしたら星の数ほどいるぞ』

 またきつい物言いで、突き返してくる大佐。
 その度に、英太は苛々させられた。そうしてなんとか納得しようとして操縦桿を握りしめ、なんだかよく分からない画面がまとわりついてくるうざったいシステムと向き合っていた。それもまた苛々させられた。

 講義でも散々聴かされていたが、『ホワイト』というシステムは、パイロットの為にあるものでも、戦闘機の操縦性や攻撃性を高めるものでもないということ。
 こうしてパイロットがどのように何処をどうやって動いているか。それを『管理側』に把握させる為のシステムだ。酷く言えば『監視』ということになる。だが、御園大佐が言った『空に出したらパイロット任せ。何が起きても指揮官はただ待っているだけの時間を強いられる。後に残ったのは責任をとることだけだ。そうじゃない。空を飛べなくなった指揮官も、目でお前達と飛ぶ。そして的確な判断を下す。それがパイロットを救う場合もあるだろう』。そして大佐は最後に言った。『それには“監視”と言わせない為の、陸と空との信頼関係が必要だ』。その言葉に英太は激しく胸を打たれる。これが横須賀では自分が適わなかったことではないかと。それを今度は小笠原で、この新しいシステムで、そしてあのミセス准将と――。
 そう思って『チェンジ』で新システムの操作に慣れようとしているのに、どうしても集中できない。さらにはこの従来にはない、操作性やテクニックにはなんの関係もない新感覚のシステムに馴染めずにいた。どうしても、しっくりこないのだ。

 その間に、またレベルを上げられたデーター機に撃墜される。
 今日は酷い。朝からずっとこの調子だ。

(俺、ホワイトに乗れるのか?)

 シミュレーション訓練機でこの戸惑い。本機のコックピットに乗り込んで空など飛ぼうものなら、今まで通りの力も半減するのではないかと英太は恐れを抱き始めた。
 だが昨日も、御園大佐は容赦なく訓練を続けた。英太がどのような失敗をしても『次、もう一度』と何度も繰り返させる。今日もそれでとことん英太の集中力が戻るまで、この手に身体に視覚にホワイトのシステムが馴染むまで取り組むつもりだろう。

 ところが、この撃墜を最後に、コックピットが真っ暗になった。
 そしてドアが開いた。そこには御園大佐がいた。

「鈴木。シートから降りて、こっちに来るんだ」

 本日の実習開始一時間。そこで御園大佐から最終通告のように英太の実習が中断される。
 英太も分かっている。ささいなことで我を張っていることも。上層部の方針にたてついていることも。
 なかなか上達しない己の情けなさも手伝い、英太は大人しくシートベルトを解いてシミュレーション機から外へ出た。
 明るい外に出た英太。手厳しいお説教をされるのかと御園大佐の姿を確かめた時、そこにある光景に息が止まりそうになった。

「相当やられているみたいね」

 そこに、御園大佐の隣に、『ミセス准将』が立っていた。
 彼女はいつもの冷ややかな眼差しで、英太を呆れたように見てる。
 そして彼女だけじゃない。彼女の隣にはあのコリンズ大佐が、そして初めて見る銀髪の男性も。

「コリンズ大佐は甲板で会ったことがあるな。こちら噂のミラー大佐だ」

 御園大佐の紹介にも驚き、英太は思わず背筋を伸ばして敬礼をした。

 英太の目の前に、十年前、小笠原で暴れん坊と言われていた『ビーストーム』の主要メンバーがそこにいた。

「貴方、時間がないから。急ぎましょう」
「そうだな。では、ミラー大佐は三号機へ、コリンズ大佐は今鈴木が乗っていた一号機へ」

 挨拶もそこそこ。葉月の一声で、男達もテキパキと動き始めた。
 英太がなにごとかときょろきょろしていると、御園大佐がいつもの落ち着いた口ぶりで言い放った。

「二号機には、准将。そして鈴木、お前もだ」

 ミセスと一緒に?
 思いもよらない指示が出て、英太は確かめるように彼女を見た。だが彼女も真顔で英太に言った。

「私と一緒に飛ぶのよ」

 一緒に飛ぶ?
 それにも英太は戸惑うばかり。でも驚くばかりの英太を置いて、ミセスは二号機へと向かっていく。

 二号機に着くと、どうしたことか、澤村精機のスタッフが群がっていた。もちろん、また副社長も。
 スタッフは皆、なにかの配線をしたり、さらにはドライバーを持っていたりして、室内の何かを調整しているようだった。

「和人君、出来たかしら」

 葉月が声をかけると、あの若い副社長がにっこり笑顔で答える。

「ばっちりだよ。義姉さん。いやー、こんなことになって楽しみ、楽しみ。小笠原に残っていて正解だったよ」
「ふふ。そのようね。では、中に入らせてもらうわよ」
「まずシートに座ってみて。位置を調整するから」

 ドライバー片手の副社長に言われ、葉月が先に室内に入った。
 何故、彼女と一緒なのか英太はまだ困惑していた。するとそんな英太を見て、澤村副社長が渋い顔。

「ほら、大尉も早く乗る。言い出しっぺだろ」

 言い出しっぺ? 確かに『データーを出せ!』と駄々をこねたが、『本人を呼べ』だなんて言っていない。だが英太はそう考えて、やっと理解した。

(本当に、データーとして残していなかったんだ!)

 なにかの意向があってトップ二人のデーターは極秘の極秘。それどころか本当にデーターとしては残していなかったのだと。じゃあと英太は振り返る。

 もしかして俺。このトップ三人のパイロットを呼んじゃった??

 言い出しておきながら、でも、こんな事態が起きたことに英太は青ざめた。
 しかし隼人の顔を見て、英太はまた思い直す。
 やるんだ。この人達、本当にこういう『あり得ない』ことをマジでやっちまう『クレイジー』なんだ!

「なにしているの。大尉、早く乗りなさい」

 暗い室内からそんな彼女の声。英太は覚悟を決めて、自分も二号機の室内に入る。
 そしてそこに入っても驚愕した。なんとコックピットが二つある。――『二人乗り』だ。どうも二号機は『教官と訓練生』が共にシミュレートが出来るヴァージョンだったらしい。

「下が貴方のシートよ」

 一号機で今まで英太が座っていたシートの縦後方一段上に、もう一つ同じコックピットを模したシート。そこにミセス准将がタイトスカートの制服姿のまま、既にベルトをつけてシートに座り操縦桿を握っている。澤村副社長がドライバーを持って、彼女のシートを微調整している姿。

「葉月義姉さん、これでどう」
「まだほんの少し低く感じるわ」
「わかった。少しあげるよ」

 シートの後ろに回って澤村副社長の調整は続く。

 そんな中、まだゴーグルをかぶっていない彼女がふと英太に微笑んだ。あの日の、初めて会った面談の時のように不敵な笑みを携えて。

「今からの飛行が私のデーターよ。本日限定。よく覚えておきなさい」

 彼女の笑顔が輝く。そして瞳も。
 いつもは冷たい顔をしているのに、非常階段では穏やかな顔も見せてくれたのに。でも今目の前ある彼女の顔は、とても燃えていた。
 つまり、彼女も根っからの『大空野郎』と言う訳か――!
 だが英太はそれを知って満面の笑顔を浮かべ、ミセスに頭を下げる。

「あ、有り難うございます!」

 礼を述べると気のせいか、そんな英太を見てミセスもふと非常階段で見せてくれた姉貴面の微笑みを見せてくれたような気もした。

 こんな、こんなことが……あっていいのだろうか?
 夢でも見てるようだった。そんな夢見心地で英太はシートに座った。

 搭乗の二人が操縦準備を整えたことを確認した澤村副社長が、『グッドラック』という笑顔を残して出て行く。
 ドアが閉まると、室内はいつものように青空の映像で明るくなる。
 青空に二人……。コックピットで操縦桿を目の前にして浮いている。
 英太の胸の高鳴り――。あまりにもドクドクと大きく早く打っていて、後ろにいる彼女に聞こえていやしないかと振り返ってしまった。

 だけれど、彼女はもう、ゴーグルを装着し操縦桿を握り発進体勢、そして眼差しはずっと上の空の映像を真っ直ぐに見ている。
 それはあの日、非常階段で一直線に遠くの空を見ていた彼女の目と一緒だった。

「始めるわよ。操縦桿を握りなさい」

 ゴーグルを装着した彼女のずっしりとした指揮をする声に、英太も我に返って操縦桿を握った。

「今日は私の操縦桿に主導権があるようにセットしてもらったわ。貴方の操作は無効、ただ握ることしか出来ないようになっている。でも私が操縦したままにそちらの操縦スティックも連動して動くようになっていますからね」

 上段のコックピットで彼女がかちかちと操縦スティックを動かすと、英太が握っている操縦桿も英太の意志とは別にかちかちと勝手に動いた。
 つまり彼女の操縦を体感するままに、英太は一段下にある副席でただ黙って動かずに座っていろ、ということらしい。

(チェンジは、こんなことも出来るのか)

 目の前にはカタパルトが映り始める。赤い発進ランプが既に点滅を始めていた。
 驚きばかりの英太だが、上段にいるミセスが既に空を見定めているのを見て、自分も操縦桿をしっかりと握った。

「さあ、行くわよ」
「イエス、マム!」

 青ランプが点灯し、ガタンとコックピット動き始める。
 スピードに乗って、空と海の青いラインがコックピットに描かれる。
 彼女の操縦で英太の心も、カタパルトを疾走する!

 

 

 

Update/2008.8.6
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