-- エースになりたい --

TOP | BACK | NEXT

 
 
23.明日の向こう

 

 久しぶりに帰るとテーブルの上にはご馳走がいっぱい。

 叔母春美の顔色は良く、とても機嫌が良かった。
 そして彼女の側にひっついて家事をしている華子も笑顔。

「いい、英太。今度はちゃんとその上司の言うことを聞くのよ」
「なんだよ、春美は。今までの俺が悪いみたいに――」

 せっかくの美味しい家庭の味を堪能しているのに、やっぱり母親代わりだった叔母はそうして口うるさい。
 だけれど、叔母はそこでじっと英太を見ている。そしてその眼差しが英太は苦手だった。

「よく考えてみなさい。軍隊という職場は組織が第一で、それは民間の会社よりも厳格なのよ。その中で多少の不満があっても、きちんと折り合いをつけられる能力を……」

 ――云々。いつものお説教が始まったと、英太はため息だけ漏らし、『うん、わかっている』と生返事。箸だけ動かしてひたすらご馳走を口に運んだ。
 だが最後に若叔母の春美が晴れ晴れとした笑顔になる。

「それにしても、その『大佐』さんは大胆な男性なのね。英太にそんなことをさせてくれるだなんて――」

 叔母に安心してもらうために、御園大佐との出会いと、彼が今現在、英太の面倒を見てくれていることを報告しておく。
 いかに横須賀とは違うか、英太の奥底を揺さぶって感動させて、そしてその気にさせてくれたか。それを報告すれば、離島へと転属させた甥の日々を思いやる叔母の心配も減少するだろうと思ってのことだった。
 あり得ない滑走路飛行の作戦を話すと、叔母はとても感激した様子だった。そんな思い切りのよい男性が今の社会にいるのかと驚いて、でも笑っていた。
 そのような男性上官の直属にいるなら、横須賀で悶々としていた日々を過ごしていた甥も、なんとかやっていけるだろうと安心してくれた笑顔だと、英太もほっとする。

 だが英太はまだ、告げていないことがある。
 なんだか言いにくいのだ。いや、それは自分が意識しているからだろうか……。
 そんな躊躇いを持ったままにしているせいか、やはり敵わぬ叔母もそこを気にしていたのだろう。早速そこに探りが入る。

「ところで。小笠原で出会ったその大佐さんは良いとして、本来、貴方に目をつけてくれた『准将さん』はどのような男性なの?」

 英太は押し黙る。
 そして隣に座っている華子も、ご馳走を頬張りながら『ちらり』と英太を見た。
 華子も大佐の話はもう分かった。でも私もその准将が気になる――と、言ったところらしい。

「別に。お偉いさんだから、それっきり……だな」

 なんて。どうにか流そうとしている自分が何故そうするのか、英太自身も困惑する。

「それっきりって……。貴方を選んでくれた准将さんでしょう。貴方、挨拶とかしなかったの」
「――いらないと言われたんだ。部下の少佐に。つまり下っ端の俺がそうそう会うことも出来ない遠い人なんだよ」

 叔母は『そう』と、ちょっと腑に落ちない顔。

「でも、その大佐さんの上司なのでしょう。それならば、安心よね?」

 叔母は甥の性質を判った上でスカウトしてくれた『彼』に尊敬はしていても、部下の大佐ほどのフォローをしてくれていないと知って、少し不安に思ったようだ。
 もちろん、それは英太の報告不足なのだが。

「あの人は、凄い人なんだ。凄いパイロットだったらしいんだ……。横須賀の俺の上司だった人たちが、みんな、そう言っている程の……」
「そう。元々、空を飛んでいた方なのね」
「研修が終わって、甲板の訓練になったら、嫌でも毎日、顔を合わせるんだよ」
「そうなの。では、それまではその大佐さんに准将さんもお任せしている段階なのね」

 まあ、そこのところ『奥さんが夫に任せている段階』と英太は言いたくなるところだが、そこは『そうだよ』と言い切り、叔母を安心させようとしていた。
 そして叔母もにっこり。どうも叔母の本心は『甥を見いだしてくれた本人』にきちんと面倒を見て欲しいとでも言わんばかりの顔、そして『彼』と甲板でいずれは共にすると耳にして、やっと安堵したようだった。

 それにしても、その『准将さん』が実は女性で、その大胆な大佐さんの『奥さん』で、さらにはその大佐さんの上を行く人なのだと知ったら、叔母に華子はどう思うだろうか。

 

 食事が終わると春美は、片づけもせずに『お先に』と自室へと入ってしまった。
 キッチンで山積みになっている食器を、華子が一人で片づけ始める。華子に任せきりにすることなど、春美が在宅の時には決してなかった。

「俺も手伝う」
「あら、珍しい」

 エプロンをしている華子の隣に、英太はシャツの袖をまくって並んだ。

「大佐が家事をする人なんだ。家に帰るならちゃんと手伝え、いつまでも甘えているなとうるさく言われた」

 帰省届けをした時に、隼人が叔母の体調を気遣ってそう釘を刺したのだ。ただ隼人は、もう一人同居人がいることは知らない。
 でも英太は一人で片づける華子を見て、ふとそんな上司の言葉を思い出したのだ。

 泡のついたスポンジで手早く皿を洗い上げる華子が『ふうん』と、どこかしらけた眼差し。

「あの反抗的な英太がねえ? そんな骨抜きになってしまう大佐だったわけ」
「骨抜き? んなわけないだろう。ただ、横須賀のマニュアル通りの型にはまることがスタンスの男達とは違う人だってことだよ。そこが面白いんだよ」
「で。准将って男の人は本当はどんな人なの?」

 またそこ来たかと、英太は逃げ出したくなった。
 どうやら華子には嘘がつけないらしい。

「春ちゃんも、なんとか納得したけれど、でも英太がなにか誤魔化していることはうすうす判っているわよ。あんまり春ちゃんを心配させないでよ。最近、疲れやすくて休むのも早いし、仕事もあまり上手くいかないみたいで迷惑が掛かる前にやめるとか、そういう病気になったことで起こってしまう変化に疲れているところなんだから。言えないことが英太にはあるだなんて心配をさせないでよ!」

 春美が一番の華子らしい怒りだなと、英太はため息をこぼす。

「別に。心配させるような状況ではないからな。それだけは保証する」
「だったら、言いなさいよ。春ちゃんに言えなくても、私には言いなさいよ。それがもし春ちゃんのストレスになることなら、私が上手くフォローするから」

 そこまで隠すことでもなかったはずなのに、英太が黙っているだけのことが見えると、こうして女二人はものすごい心配性になる。それと共に華子の場合は、春美の負担になることを一番心配しているのだが。
 黙っていて余計な騒ぎになっても困るなーと、英太もついに口を開く。

「准将は男じゃなくて、女だよ」
「ええっ? だ、だって……さっき、パイロットだったって……」
「だから、それも本当のこと。女性パイロットだったんだ。それも横須賀の中佐達が若い時の彼女は凄かったと口を揃える程の――」

 華子が呆気にとられた顔になる。
 だがやがて、彼女はちょっと可笑しそうに笑い出した。

「ま、まさか……! その女、パイロットだったってことはすんごい男っぽい女ってこと? 色気もないがっちりした女で未だに独身! それでもしかして、もしかして、地位を利用して若いパイロットをたらしこんでいて、今度は英太が狙われているの!」

 いつもの彼女らしい口の悪さだと判っているが、英太は少しばかり怒鳴りたくなった。でもぐっと堪え……。

「ちゃんと結婚している。子供も二人いる。男達にはミセス准将と呼ばれている。それに……女らしい人だよ」
「えー。そんな人、いるの?」

 華子もちょっと想像がつかない様子だった。
 目をくるくると回して懸命に想像しているようだが、なかなか彼女の中にある『様々な女性像』のどれにも合致しなかったようだ。
 そして英太はさらなることを告げる。

「それに。今、俺の研修をしてくれている『御園大佐』の奥さんだから」

 それにも華子が目を丸くした。

「え。旦那さん、部下なの? え、年下?」
「部下だけれど、歳は上みたいだ。十年前はミセスの側近を中隊でしていた縁で結婚したみたいだな。今は、それぞれの部署を持つ責任者。でも、いつも二人で喧嘩しながらでも小笠原の空部隊を支えているみたいだ」

 華子が黙ってしまった。
 止まっていた皿を洗う彼女の手が動き始める。

「へえ。海の向こうの、半アメリカ社会の基地にはそんな女性がいるんだ」
「軍人一家の末娘で、鎌倉の資産家の娘で、お嬢様だって――。基地では有名で、俺もあの人に目をつけてもらう前から知っている程、有名な女性なんだよ」
「それ、なんで教えてくれなかったの。この前、小笠原に行ってしまうまで――」

 英太は口ごもったのだが……。

「女の上司に引き抜かれただなんて、不安に思うだろ」
「そうだけれど――」
「いるんだ。そんな女性が。俺も知っていたけれど半信半疑だった。でも小笠原に行って実感したし確信した――」

 そう御園夫妻こそが、俺のこれからの道しるべなのだと。

 華子にきちんとそれを告げると、やっと彼女も晴れやかな笑顔になる。

「へえ、英太がそう言ってしまうほどのその夫妻。見てみたいな。今度、小笠原に遊びに行ってみようかな」
「会えるかどうかは判らないけれど。一度、来いよ。海なんか半端じゃなく綺麗だぜ」

 え、行っても良いの? と、華子は英太からの誘いが嬉しかったようだ。
 そんな英太にいつものように華子が抱きついてくる。そして英太も抱き返し……。いつもの気兼ねないキスをしたいが、まだ叔母の気配があるのでそこは堪えた。
 いつもは女達に任せっきりの英太が、並んで家事を手伝ってくれることにも、華子はとても嬉しかったようだ。

「いいわね。こうして一緒に家事をするの」

 やはり春美の体調は日に日に悪くなっていくらしい。
 ある程度の手術、そして放射線治療などが始まる。華子一人で家事をしていると、時々、心細くなるのだと言う。

「ごめんな。横須賀だったらいつでも飛んで帰ってこられたのにな」
「ううん。いいの……」

 そしていつも生意気な華子が、懐かしい少女のような笑顔で言ってくれた。

「いいの。英太がそんな嬉しそうに帰ってきたのが、私も嬉しかった。本当に良かったね。そのミセス将軍に出会えて――」

 御園夫妻の話で、華子の中で、ミセスという女性はただの上司に過ぎないと判ってもらえたようだ。
 そして英太の姿を喜んでくれる幼馴染み。やはり愛らしくて英太は華子を抱きしめる。

 いつもの甘い花の香りが鼻先をかすめる。
 ほっとする匂い。英太がこの家に帰ってきた時に癒される匂いごと、彼女をぎゅっと抱きしめた。

 だがいつもの『エッチ』は今夜はお預け。叔母がいる夜に二人で抱き合うことはなるべく避けるようにしている。
 明日、共に外に出て二人はそこで、肌に触れ合う。

 愛している? いや、そんな言葉、絶対に二人には合わない。
 でも二人は互いの肌に触れ合うことを続けている。
 それで互いに安心するのだ。
 あまりにも近すぎて、愛という男女の通り道を見失って、でも二人は見失ったまま抱き合って寄り添って、互いを愛おしく思っている。

 英太は華子以外の女性を、恋人として持ったことがない。
 ただ他の女を抱いたことはある。でもやっぱり華子に戻ってきてしまう。
 華子はその性格故に、そうと決めた時は愛やときめきがなくても身体を受け渡してしまうことがある。ただその男達に心を開いたことは一度もないらしい。だいたいにして華子が英太以外の男に抱かれる時は『戦い』みたいなもの、なにかの戦略みたいなもので本気ではない。
 そして華子も英太の胸の中で安らいでいる。
 だけれど、どちらも『恋人』の存在が今まで一度もなかった。
 恋人もいない、恋をしたこともない、愛なんてどこにあるか判らなくて、それでいて、いつまでも幼馴染みで共に暮らしてきた家族みたいな互いと一緒にいる。

 幼馴染みで一番信頼できる友人――。セックス付き。それを世間では『セフレ』と呼ぶのだろうか?
 だが英太はそう思ってはいない。ずうっと共に歩んできた『家族』だ。セックスも存在する……。そう結婚した男女『夫妻』には当たり前のように存在している『肌の営み』、だが今度自分達のそこには『結婚』というものがない。
 ――そんな何かが欠けているが、存続し続けている大事な関係だった。

 青春の喜びなど。本当は知らない二人。
 ただ、『家族』だけが欲しくて、ただそこに必死になってきただけの――。

 そんな彼女をひとしきり抱きしめて、英太は週末の夜を迎えていた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 彼女がどんなパイロットだったのか。
 近頃英太はひどく思い悩む。

 すっとした目鼻立ちの、クールな横顔。
 日本人離れした顔つき。茶色い瞳に、栗色の髪。
 冷たい顔なのに、時折、ふと緩まるだけの僅かな微笑みが印象的で。
 優雅なたたずまいで、でも、姉貴面になると憎めないところがあって、でも准将となると徹底している冷たい人。
 子供が二人いる四十歳を目の前にしている女性。あんな悠然と構えている飄々とした旦那と一緒に、彼女は今は空の下。

 ふわりと涼やかな香りがする大人の女性。

 

 また今夜も月明かり。更けていく夜。英太は既に実家の自室で深い眠りについていたのだが……。

 長い栗毛の、若い女性が英太に向かって不敵に微笑む夢を見ていた。
 そう、丁度、華子ぐらいの年齢か。二十代の若々しい瑞々しさを湛えたその顔、何処かで見たかのような顔。そして目つき、その冷めた目つきが。

 そして彼女がどこか英太を上から見下ろすようにして、ちょっとしゃくに障る眼差しで言った。

『子供がいるから、もう、乗らないの』

 英太の中でぐわっとした感情がこみ上げてきて、その若い女性の首根っこをひっつかみそうになったところで目が覚めた。
 それが夢と分かり、相手の女性があのミセスだと判って、英太の目がぱっちりと開いた。汗をぐっしょりとかいていた。丁度、梅雨時。寝苦しい夜になる季節柄。それでも英太は自分がとても力んでいたのではないかと思ったほどの汗だった。

 忘れようと思っていたのに、また心の中が荒れていた。
 夢に出てきた若い女性は、英太が会うことが出来なかった『会ってみたいパイロットの幻影』だと思った。

「なんでだ。なんで、あんたは俺につきまとうんだよ」

 大佐達が英太に言ったことはどれもごもっともだと自分だって判っている。
 でもそれを通り越して、あの人と空を飛びたくなったのだ。
 あんな疑似体験では物足りない。英太のようにそこの核心に突っ込むような飛び方をしてきた男には、やはり『本番の本舞台』で実感したかったのだ。 
 きっとそれはシミュレーションなんかでは体験できない、とてつもない瞬間を得られるような直感を感じたのだ。

 もし、その瞬間を手に入れられたら。
 なにかなにか。いつも自分の中でもやもやしていた何かが晴れるのではないかという、漠然とした衝動だった。
 今の自分が変わるとか、良くなるかも知れないだなんて足掻きは一度もしたこともないし欲したこともない。
 それでも英太はここにきて急に、そんな気持ちにさせられていた。

「全部……ミセスと大佐のせいだ」

 あの夫妻だ。小笠原に転属してから英太を次々と新たなるシーンへと、英太ではなく彼女と彼がごろごろと瞬く間に転がして連れ去っていったのだ。

 英太の中で、初めて見た『葉月さん』が蘇る。
 甲板の上に毅然と立ち、通り過ぎる英太のいるコックピットを見据えていたように見えたあの姿。
 目が合ったと思うほどの驚きがあった出会い。

 近頃の英太は、そんな空の中にいる制服姿の女性がちらついて離れない。

 ……分かっていたが、英太はベッドを抜け出して部屋を出た。
 真夜中でリビングは真っ暗で、家の中は静まりかえっていた。
 その中、英太は迷うことなく『華子』の部屋へと足を向けた。

 静かにドアを開けると、彼女もベッドですやすやと眠っていた。
 それにも構わずに、英太は彼女が横たわる隣へと潜り込む。

 そして、彼女が眠っているにもかかわらず、英太は華子が着ているキャミソールをまくり上げ、薄闇の中、つんと顔を見せた乳房へと貪りついた。

「……んっ……?」

 おかしな感触に気がついたのか、華子が目をこすってうなり声。
 英太の口元は、彼女の大きな乳房から離れない。手は華子が穿いているシュートパンツを引き下ろし、容赦なくピンク色のショーツの中に手をねじ込ませた。
 体格の良い英太の胸の下にいる華子が『ふうん……』とよがり、そして狂おしそうに眉間にしわを寄せた顔。何が起きているのか分からないままの浅い眠り、ただ身体をよじらせて彼女はそれが去るのを待っているようだが、当然、それは去るどころかどんどんと強まるばかり。

「はっ……? え、英太……」

 やっと。自分の眠りの邪魔をしているのは何か、気がついた華子の顔。

「ば、ばか……。は、春ちゃんが……」
「我慢できなかった」

 英太がはっきりというと、華子が唖然とした顔。
 それに英太はもう、華子のショーツを引き下ろし、彼女のすぐそこに迫ろうとしていた。

「やん……。ちゃんと、しっかり可愛がってよ」
「しただろ」
「覚えてないわよっ」

 それでも有無も言わせずに、華子の中を英太は貫いてしまう。
 彼女の降参した艶めかしい顔に声、そして色っぽく反った身体――。英太の身体に一気に火がつく。
 そして華子もぎゅっと英太の首にしがみついてきた。

「声、聞こえないように、あんまり激しくしないで」
「わ、分かっている」

 でも、無理だった。
 力が、彼女の中へ中へと強く突き進んでしまう。
 そんな力で愛し抜かれてしまい、華子もぐっと堪えているのに時折声が漏れてしまうようだった。

「な、なに……。やっぱり離島じゃ、あっちの方、満足させられないの」

 まあ、それもそうだが。
 男の捌け口になるような娯楽施設などひとつもない。

「最近は、お前だけだよ。もう他の女じゃ……」

 と言った時、どうしてか英太の頭の中に、空のあの人が浮かんだ。

「……いいのよ。他の女と寝ても。それでも私は英太とこうしてあげるよ」
「だから。他の女よりお前がずうっと良いんだと言っているだろ」
「でも。私……これ以上は英太になんにもしてあげられないから」

 結婚はしないと言い切っている華子。
 どこかで幸せを夢見ながらも、彼女は夢など見ていない。
 現実と夢の違いを彼女は知っている。
 ぬくぬくと暖かい家庭に身をゆだねられないような生き方しか出来なくなった華子。だから英太とは結婚が出来ないと言う。
 もし英太と結婚したら、きっと幸せにしてくれると思うと彼女は言ってくれる。
 でも英太にもそんな幼馴染みだから分かってしまうのだ。彼女はそんな生易しいぬるま湯の中にいることが出来たとしても、また外に出て行って自分自身と戦うような空気がある場所に行ってしまうのだ。
 それを彼女はこういう。『私の戦いが終わらなくちゃ、結婚は出来ない』。間違ってしても、きっとその男性を困らせて、すぐに離婚をするだろうと。
 それが英太にも見えてしまうのだ。
 今でも時折、彼女と結婚しても良いと思うことがあるのだが……。

 狂ったように華子を突き上げる英太に、彼女が言う。

「英太も……私と一緒なんだから……」

 そうなのだ。英太も華子と一緒だ。
 結婚して華子がいる家があればと思う一方、そのコックピットでまだギリギリの限界に身を置く危険な空気の中に全てをゆだねておきたいのだ。

 二人の気持ちはあまりにも似すぎていて。
 こんなに長く互いを信じて労って寄り添って、こんなにも激しく肉体を奪い合って与え合って貪っても、決して『愛』などではないのだと。

 これは愛じゃない。 
 でも英太はこれ以上の『愛しさ』を知らない。

 なのにそんな時、何故。あの女性の顔が浮かぶのだろう。同時に何故、あの大佐の顔が彼女の隣に浮かぶのだろう。
 二人はどうして結婚したのだろう。あの人達、どうやって愛し合うことになったのだろう?
 あんなふうに空を飛んでいた人を、あの大佐はどうやって愛してきたのだろう。
 ふとすれば、いついなくなっても可笑しくないような。そんな命知らずの彼女と夫妻になった大佐は、そして愛された准将は、英太と華子がなかなか見ることが出来ない愛を、きっと知っているのだと……。

 そう思うと、英太の心が苦しくなる。
 あの人達は辿り着いたのに、俺は何処へ行ってしまうのだろう。
 そして何処へ行けばよいのか英太には分からなかった――。

 一通り終えると、ぐったりと横たわっている英太の胸の上に、ふわりと華子が抱きついてくる。

「どうしたの。すごい激しかったけれど――」

 英太の黒髪を優しく撫でる華子の手に、いつも母性を感じている英太。
 この瞬間が好きで、そして安らぐ。
 そんな柔らかな表情を見せつつ、華子がふと呟いた。

「やっぱり、気になる女性がいるの?」

 なかなか鋭い幼馴染み。
 だけれどそれは恋でもなんでもない。
 ただ。今までに見たことがないあの人達が気になっているだけの……。

「華、俺たち……これからもずっとこうなんだよな」
「え? うん……私はそれでも全然OKだよ」

 英太とこうして生きていくよ。

 でも結婚はしない。
 このまま二人で、互いにきりきりしていないと気が済まない戦場に出かけて、そして帰ってくる。

 そんな日々の向こうが、英太には真っ黒に見えてしまうのだ。
 そんな時が一番怖い。
 そうなると、英太は基地に帰りたくなる。
 すぐにコックピットに乗り込んで、カタパルトからこのもやもやする心を飛ばして欲しいのだ。

 未来という言葉が、一番、嫌いだ。
 よく謳われるこの言葉をただただ疑いもなく信じていたあの頃は、父親によって断ち切られた。

 それからずうっと明日の向こうが、英太には真っ黒に見えるのだ。

 

 

 

Update/2008.8.26
TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2008 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.