-- 蒼い月の秘密 --

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7.強敵クィーン

 

 その日、御園工学大佐の隼人は珍しく紅茶を味わっていた。
 いつもなら工学科科長室に戻ってきた『ただいま』の一杯は、カフェオレなのだが。補佐をしてくれている吉田大尉女史もいつも通りにカフェオレを入れてくれようとしていたのに『いや、今日は紅茶にしよう』と隼人は言っていたのだ。

 もちろん、小夜は『珍しいですね。どうかされたのですか』と怪訝そうだったが、いつも隼人の気分を明るくさせてくれる笑顔を見せてくれた。
 彼女が煎れてくれた紅茶は、妻が好んでいるものだった。隼人の傍に妻がいる時、その隣から良く漂ってくる香り。うーん、吉田の奴、こんな気配りまで――。そそっかしく騒々しかった可愛いOL子ちゃんだったのに、なんともまあ素晴らしい成長ぶり。もう隼人だって文句ない。何処に出しても恥ずかしくない。もとい、何処にもやるものかと思ってしまう。

「いやいや。文句を言いたいのはあっちとこっち」

 まったくあの空軍どっぷりの奴らには、どこまでも振り回されるなあと、工学大佐はため息。
 そんなふいに漏らした一言を、小夜に聞かれていたらしい。

「葉月さんと鈴木君、もしかするととっても気が合うのかもしれませんね。指揮官とパイロットとしてある程度の関係が掴めたら『最強』でしょう」

 と言われ。隼人は複雑な思いで、妻愛飲の紅茶を見つめる。
 冷静に思えば、それは既に感じていること。だから、隼人も骨折っている。だが、隼人の想定外の枠を飛び出す事実を突きつけられると、この歳になって腰を抜かすのではないかと思わされるほど、びっくりすることを見せつけられる。
 だがこれは妻も『仕事』であって『将来の雷神のため、空部隊のため』と骨折っていること、そして小さくとも一歩一歩を確実に、そして慎重に積み重ねていることを隼人も分かっているのだ。
 あれが大佐嬢の時の彼女だったら、派手に決断し、周りの目から見ても『あ!』と驚かせることを本当に一陣の風が吹くが如くさあっとやってしまっていたのだが、結婚し二児の母となったせいもあるのか、妻は人をあっという間に巻き込むような『暴走的なお手並み』は見せなくなった。
 しかしミセス准将の恐ろしさがそこに生まれた気がする夫。派手に行動しなくなった分、妻は将棋の駒を淡々と詰めていくように、静かに少しずつ目的に近づき、誰もが気がついた時にはあっという間にミセスに王手をかけられ、突き崩されているのである。それは夫の隼人でも『あ!』と思わされることも。その驚きが大佐嬢の時と違う。

 そして今まさに、ミセス准将の『鈴木教育』はそれのような気がする。
 しかもミセスのそのプロセスの中に、いまは御園工学大佐に完全に任せてくれている状態で、この旦那様であるはずの隼人に『この人がどのようにしてくれるのか』を息を潜めて眺めている。そんなどこか『小癪』な目線で試されているような気がするのだ。
 なかなか気が抜けない奥さんだ。昔以上だ。時々妻とチェス盤に向かって『私はこう動かす』、『俺はこう動かす』とやりあっているようだ。
 だからこそ気が抜けず、隼人はずっと鈴木青年につきっきりでどうすれば良いかばかり考えている。しかも、それすらも妻に操られているようだ。

「まったく。ここ数日、必要以上に怒った顔を見せるのも疲れた」

 ふいに教官としての真意を本音をこぼすと、また小夜がデスクから笑ってくれる。

「本当は成果を出してくれたことを感謝したいけれど、でも、あのアンコントロールを引き出し、命令を無視した行動は暗黙出来ない。最初が肝心ですものね。特に鈴木君のようにまだ活きが良いだけじゃなく、情緒が不安定な青年期の男の子には、そこをしっかり身体にも精神にも叩き込んでおかないと、彼自身の安全性に関わりますもの。大事なこと。大佐はやるべきことをやっているのだわ」

 仕事では既にこの子が、内助の功か――。と錯覚するほどになった。
 隼人が敢えて、自分の思うところとは違う態度を教え子に見せているのはどのような真意であるか分かってくれている。

「それにあの奥さんも、本当に小癪と言うか」
「奥様といつまでも緊張感があるのは良いことだと思いますよ」
「ということは? 俺たち夫妻の補佐を、夫妻でしてくれているラングラー吉田夫妻も、巻き込んでいるってことかな」

 『まあ、そうなんですけれど』――と、そこは小夜が苦笑いをこぼした。

「苦労かけるなあ」
「とんでもない。喧嘩は良くしますが、それでも私達二人が決めて付き合ってきたことですし、その上、結婚もしたのですから覚悟は出来ています」
「感謝するよ」

 隼人の一言に、また小夜が微笑んでくれる。

 そう言えば、俺たち夫妻は喧嘩という喧嘩はあまりしないなあと思った時だった。日常の些細な言い合いはあっても、すぐに丸く収まってしまう。きっと小夜やテッドのように思いっきり言い合うということは、あんまりしない。もっといえば、結婚して十年。益々しないといったところか?

「御園ご夫妻は、あまり派手な喧嘩はしないようですが、それでも、感じるのですよねー」
「ん? 何を感じる?」

 小夜がくすくすと笑う。
 夫妻二人には見えない本来の姿を、妹分は分かっているような顔。

「いつだってお仕事で真剣勝負しているみたいですよ。隼人さんたら『じゃじゃ馬の女房に負けてたまるか』と、葉月さんがすることには過敏で真っ向勝負なんですもの」

 何故か。隼人は年甲斐もなく頬が熱くなるのを感じ、誤魔化すかのように紅茶をあせあせと飲みまくっていた。だが、そこで長年の後輩には誤魔化せないかと降参する。カップを置いて項垂れた。

「そうなんだよなー。唯一、空部隊で俺の目の前うろうろしている奴というか」
「まあ。単に気になって仕様がない、同じクラスの女の子ってだけかもしれませんわね」

 それにもはたとさせられ、隼人はまた熱くなるのを感じ――。

「あーー、もうやめやめ! どうせ明日からまた甲板だ。鈴木にわざと怒りまくった顔をしなくても良くなったしな」
「そうだったのですか。良かったですね。骨折りの怒り顔から解放ですね」

 あっちもこっちも敵わなくなってきたなあと、隼人は無造作に置かれいるだけの部下からの書類を掻き集めた。
 仕事、仕事。それで妻の小癪なやり口を忘れようと思った。
 まあ、不機嫌な顔に疲れているところを助けてくれたとも言えなくもない? 隼人は怒り顔で疲れた頬をさすった。

「本当にもう。自由にやらせてやりたいが、管理はきついな」

 自分達が若い時に自由にやらせてもらっていたから、部下にものびのびやって欲しい。
 だが管理職になって痛感する。自分達が四中隊時代にのびのびとやらせてもらったのは、ロイの多大なるバックアップと細川の厳しい管理があったからだと。彼等に守られてこそ、自分達の数々の冒険もあったのだ。

 鈴木には、まだまだ引き出せる潜在能力がある。
 しかしその使い方を間違ってはいけない。いまはまだ、彼は駄目にもなるし良くもなる未知数のパイロット。
 だからこそ、いまはまだ、甘く緩めては駄目な時なのだ。

 妻が好きな香り。手強いミセス准将になってくれたが、それでも俺がいま欲するお前はそこにいてくれているのかと、隼人は紅茶を飲み干す。
 家に帰れさえすれば、和める妻がいる。ああ、早く帰りたいなとふと思ってしまった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「こんにちは」

 書類整理をしていると、工学科科長室に女性の訪問者。
 出迎えてくれた小夜も、『いらっしゃい』と親しみある笑みを浮かべ、『彼女』を出迎えた。

「お邪魔しますね。御園科長」

 黒髪の、小柄な女性。それでもパンツスーツ姿できりっとした佇まいはとても威厳がある。
 妻から彼女が来ることを知らされていた隼人は『来たな〜』と、ぎゅっと身構えた。だがそこは科長も笑顔、笑顔。

「いらっしゃい。佐々木女史。妻から聞いてお待ちしておりましたよ」

 だが、彼女はにやっと口角をあげると、隼人に挑むような目を向けてきた。

「うそ。こいつ来やがったなと思っているでしょう」

 ギクリとしたいところだが、この『やり手女史』とのこんな駆け引きは毎度のこと。隼人は笑顔を崩さず『まさか』と笑い飛ばした。

「鈴木のことかな」

 彼女に遠回しなやり口は必要ない。用件からばっさりと切り込んでみた。
 そして奈々美も『あら、よく解ってくださること』とばかりに満足そうな笑み。彼女ほど無駄なプロセスを嫌う仕事人はいない。

「そうよ。葉月さんから少しは聞いているでしょう。会わせてくださいな」
「駄目といっても、貴女は粘るだろうな」
「ええ。隼人さんが留守の間に、その科長席に座り込んで絶対に動かないわ」
「君なら本当にやりそうだ」

 隼人は抵抗しても無駄だなとばかりに、早々に降参した。

「いいですよ。ただし、俺も一緒に立ち会いの元でね」
「あら……」

 途端に不満そうな奈々美。
 隼人は予想していた通りだと思った。
 なにせ彼女は『民間人』、なによりも利益を生まねばならない『民間企業の人間』だ。彼女ほどのやり手になると、その為ならなんでもすることを隼人は知り尽くしていた。きっとあのアンコントロールのデーターを引き出してくれた鈴木青年のことをとても気に入ったはずだ。彼女にしてみれば、のろのろと慎重にテストをしている軍上層部の予想をことごとく裏切って結果を出してくれるパワーあるパイロットは待ちに待っていた『駒』なのだ。
 その期待の駒に会いに来た。これが今回の訪島一番の目的だろう。だとしたら、二人きりにしたら、まだ精神コントロールもままならい若者に何を吹き込むことやら――。
 隼人には見えている。彼女が望むことと、鈴木青年がやりたがっていることはまさに利害一致。彼女はそこを狙い、まだ隼人や葉月にも馴染まない青年をほだしにきたのだと。
 だから絶対に管理官で直属の上司の立場にある隼人立ち会いのもと。絶対条件だった。

「それが駄目ならお帰り下さい。奈々美さん」

 そこは隼人も笑みを見せない。
 なにがあっても大佐としてもここは絶対に譲れない心構えであることを奈々美に突きつけた。
 そこも奈々美は分かってくれたのか、致し方ない諦め顔になる。

「ええ、それでよろしいわ。とにかく会わせてちょうだい」
「よろしいでしょう。いま、講義室でレポートを書かせていますから」
「まあ、甲板にいるべきのパイロットが、レポート? 可哀想に」

 なんだ、俺が間違ったことをやらせているとでも!?
 隼人は奈々美が苦手だった。妻のように彼女も淡々と詰めてくる女。その上、可愛げがない。いやいや、可愛げがあるならば、それこそ隼人の潜在意識を揺さぶる『お好みの大和撫子』なのだ。妻よりずっと小柄で、黒髪もいつも綺麗に伸ばしているし、顔つきだって愛らしい。なのにこの、やり手で敵わなくて、年下のくせに生意気で。変な喩えだが、あのミツコが上手く成長したのが奈々美なのではないかと思った程だ。ミツコは駄目な方に転がっていってしまった悪い例というべきか?

(どちらにせよ、好みの女でも――彼女は御免だ)

 妻とは仲が良いらしいが、隼人はいつも気構える。
 そうだなあ。彼女こそ、天敵かもしれないなあと思うこともある。
 だが、隼人は彼女のことは凄腕の工学者と認めているのだ。工学の話だけは異様に盛り上がる。彼女、酒も強いし、酒の席で盛り上がると、どこかものすごく話し合える男戦友を得た気持ちになってしまうこともある。で、余計なお世話だが。これじゃあ、結婚はしないわなー。もうちょっと可愛げがあれば、男がすごく可愛がってくれるタイプだと思うなあと、心配してしまうこともあるのである。なのにすぐにやり返されるので、同情の余地もなくなる。
 時々、あんまりにも腹立たしいので情けないが妻の葉月につい奈々美の愚痴をこぼしていることがある。すると葉月は『あれは奈々美さんもわざとなのよ。同情されるのが嫌だし、甘えることに慣れていないのよ。隼人さんは私の旦那様だもの。上手く甘えさせてくれる男性にはなれないってことでしょ』――と教えてもらい、あーなるほど。とは理解したのだが、それでも意地の張り方がほんとうに可愛くない! そしてまた妻は言うのだ。『私だって、隼人さんじゃなければどう甘えて良いか分からなかったわよ。そのうちに奈々美さん自身が彼女だけが甘えられる男性を見極めるわよ』――なんて。じゃあ、お前は俺だから甘えてくれたんだな――と、ちょっと隼人も浮かれてみたり。そして奈々美の心境を昔の妻と照らし合わせて納得してみたり。ともかく、隼人にとってはどうあっても可愛くはなってくれないということらしい。まあ、妻の葉月も、もしかするとだいたいの男にはそう見られていたかもしれないなと思ったりもしたのだ。

 そんな手強い奈々美をつれて、上階にある講義室へと隼人は共に向かった。

 今日も鈴木にはある事件の記事についてレポートを書かせていた。
 どうしたことか。いつもは面倒くさがっていたのに、ミラーの指導を受けてから、今日は真面目にその事件に対するいくつかの新聞を読みふけっている。各国の切り抜きを隼人が用意したので、各国の反応をどう見るかというレポートをまとめさせていた。
 妻は『見れば分かる』と、鈴木が反省していることを認め、甲板復帰を早期に許してくれた。それもあったのか、ミラーの指導が功を奏しているのか、取り組む姿勢が変わっていた。それは隼人がここ数日、反省をさせる以上に彼に身につけて欲しいと意図していた講義の真意を分かってくれたかのように――。

「鈴木、お客様だ」

 一人きりの講義室。チェンジに乗った為に飛行服姿のままである彼がはっとしたように顔を上げた。
 隼人の後ろにいる女性を見て、鈴木は礼儀正しく立ち上がり、『いらっしゃいませ』と頭を下げてくれた。

「宇佐美重工の、佐々木奈々美さんだ。ホワイトの機体開発担当者で責任者だ」

 そう紹介すると彼はとても驚いた顔で彼女を見た。
 講義の中で『知っておいて欲しい開発担当者』の中で、奈々美が宇佐美の担当者であることは紹介済み。だが彼としては、その奈々美が思わぬ女性で驚いているのだろう。
 例えば? うわ、小柄な小さな女性がホワイトを! とか、大人しそうな可愛らしい、しっとりした女性なのだ。とか――。隼人にしてみれば『鈴木、この女に騙されるなーー!』と叫んであげたい。だが若い彼はころっと騙されるだろうなとも思うのだ。なによりも、彼女がにっこりと微笑んで男を油断させてもさせなくても。まず、どの男も彼女の刃には敵うまいとも思うし、若僧の鈴木など瞬殺だろうと逆に気の毒になってしまう。

 そんな驚き顔の鈴木青年の前に、奈々美を促した。

「先日のアンコントロールの飛行の話を詳しく聞きたいそうだ」
「初めまして、鈴木大尉。宇佐美の佐々木奈々美です。こちらの大佐と、奥様のミセス准将とは長年のおつきあい、良くしてもらっています」

 そこは女の武器か、彼女の魅力とも言うべきか、極上の笑顔で握手を求める奈々美。
 男はまずはそこで騙される。奈々美に上手くほぐされて、あとでずどんと百発百中のミサイルを撃ち込まれて撃沈するのだ。隼人だって――なんど撃沈したことか。

「初めまして。鈴木英太です。横須賀から転属してきたばかりで、ホワイトはその日が初乗りでした」

 だから、自分でもなにがなんだか分からなかったのだと言いたそうに、鈴木青年は恥ずかしそうに奈々美の手を握り返した。
 そういう女性に慣れていない、まだ堂々と出来ないところが、この青年のまだまだ良いところで初々しいと言うべきか。ここで女も上手く転がせる処世術を身につけている男だったなら、隼人も引き抜かなかったかと思う。そういう妙な慣れを持っている男は逆に、クールに空を飛び、組織の中を上手く渡るためにこの彼のような馬鹿な真似はしないし、たとえ命令しても保身のためにある程度上官を裏切る真似もする。いや、鈴木も充分に安全面で上官の指示を裏切っているわけわけだが。

「大変でしたね。まだまだ安全面を保証できないテスト中の機体に乗ってくださって感謝しております」

 おー、女史。そこは殊勝な様子を見せるんだなーと、隼人は奈々美の背に控え、やや白けた目線で見守っている。

「ミセスともいつも話しているのですが、まずはパイロットの安全性が第一です。危険を冒してまでのデーターはいりません」

 嘘だ。本心は、『事故を起こされては困るが、ギリギリのところに挑んで、データーを打ち出してちょうだい』と思っているだろうと、隼人は奈々美の背を睨んでしまう。
 だが。そこは隼人も強くは言えないのだ。この前の甲板で『あの青年はやってくれるかもしれない』と工学者として期待してしまったのだ。妻もそこを同調してくれ、鈴木を泳がせてくれた。最後にはパイロットとして危機を脱出する手助けもしてくれた。
 期待とやってはいけない範囲の狭間で毎日揺れている隼人を、彼は打破してくれたのは確かだった。
 それでも絶対に上官はそれを煽ってはいけない。だから隼人は数日かなり怒っている態度を鈴木に見せつけた。彼を追い込むほどに怒っている姿を焼き付けておかないと、彼はどんどん暴走する暴れ馬になる恐れがあったからだ。そこは奈々美も踏まえているのか。

「少し、お話しさせてくださいね」

 奈々美が鈴木青年がレポートを書いていたデスクの向かいに腰をかけた。

「あのアンコントロール、どうしてそうなったか覚えています?」
「ああ、そうですね。ちょっと……その、影響された先輩パイロットがやっていた技をやってみたいと思って……」

 青年がちらりと隼人を窺う。そこにはこの教官の指示を無視した瞬間でもあったから、語るには口がはばかるのだろう。だが隼人は目線で『いいから、話してやれ』と指示をした。
 鈴木青年はそれが上手く通じ、こっくりと頷く。こういうやり取りが出来るようになったのは、マンツーマンでやり合ってきた成果かと近頃思う。

「その先輩パイロットの技とはどのようなものだったの?」
「あまり操縦桿を動かさず、そのまま降下するんです。『彼女』はそれだけで降下する点、つまり落下点を既に定めていました。俺、いえ、自分は空母艦を落下点と定めてチャレンジしてみました」
「彼女? まさか、葉月さんのこと?」
「は、はい。一度だけ、チェンジで二人乗りをしてくださって。そこで初めてミセスが現役にどのような飛行をしたかも、横須賀の上司数名が彼女を一パイロットとして認めていたかも納得したし、すごく感銘を受けました」

 余程、奥さんの影響を受けたなと隼人は確信した。
 だから、ホワイトに乗るなりあんな飛行を――と。

「その葉月さんがやったのが、操縦桿をあまり動かさないで降下する飛行だったのね。そのままを、ホワイトで?」

 奈々美もかなり興味を持ったのか、持っていたシステム手帳を手早く広げ、メモを取り始めた。

「はい。その通りに出来たかはわかりません。なにせチェンジとホワイトの操縦桿の感触がまったく違うので。それでも准将の操作は重さ軽さ関係なかったと思います。軌道修正の微調整のみ、あとは落下のスピードをスロットルで調整する……それをやったら……」
「ホワイトでは、アンコントロールの飛行に陥ったのね」
「はい」
「ホーネットでなら、葉月さんのように出来たはずと自信があった?」
「あります。チェンジではホーネットの設定で准将は乗っていました。ホワイトの操縦性の軽さもなにかあるのかもしれませんが、気がついたら上手く操作できなくなっていました。ただ、確かに。准将のアドバイス通りに、繊細な操作を心がけるとコントロールが戻ったので」

 そこで奈々美はパタリと手帳を閉じてしまう。
 何かを悟った顔をしていた。

「分かったわ。有り難う」

 それだけいうと、奈々美は席を立ってしまう。
 おや? それだけでいいのかい? うちの鈴木をぼだして取り込んで思い通りに動かそうとやってきたのではないのかと――。隼人は拍子抜けした。

「大佐、もう結構です。早速ですけれど、この大尉が教えてくださった『ミセスの急降下』、チェンジに残っているわよね」
「ええ、もちろん」
「それをすぐ見たいわ。データーを見せて」
「ああ、ええ……よろしいですよ」

 おや、あっさりだなあと隼人は益々腑に落ちなかったが、奈々美は鈴木青年に礼を述べると、そのまま隼人の元へ戻ってきた。

「もう、いいのかな」
「よろしいわよ。アクシデント当日の状況を聞きたかっただけだから」

 あれ、俺の見当違いだったかと隼人は意外な思い。

「それでは鈴木大尉。また何かあったら教えてください」

 奈々美は気の良い笑顔を見せ、鈴木青年に頭を下げてくれた。
 鈴木もそのまま一礼を返し、ちょっと不思議そうな顔を隼人に見せ、でもそのままレポート作成に戻ってしまった。

「ふうん――、話せて良かったわ」

 奈々美は上機嫌だった。

「本当に、あの日の操縦状況を聞きたかっただけなのかい?」

 そう尋ねても、奈々美は『そうよ』と微笑み返すだけ。
 その、妙に生き生きとしている愛らしい微笑みこそが不気味なんだけれど――と、隼人は眉をひそめた。

 だが隼人の勘は後に当たる。
 やはり隼人が立ち会っている目の前でなど、彼女は手の内を見せるわけがなかったのだ。

 この時奈々美が『あれだけのチャレンジ精神があるパイロット。しかもサワムラ大佐の指示を無視して。彼ならやってくれる』とひっそりとほくそ笑んでいたことには、隼人も気がつかなかったのだ。

 後で奈々美が空母艦の航行に志願したと聞いて、隼人は『やられた!』と仰天させられたのだ。どうりで調査聴取だけであっさりと帰ったわけだと!
 頼みの綱は奥さんだ――。奈々美を乗船させないで欲しい。いや、違う。乗船しようがしまいが、鈴木をしっかり管理してくれと願うばかり。
 妻にしても天敵の女史にしても、クィーン共は、隼人の前をうろうろして邪魔ばかりする。

 だが鈴木青年はもうすぐ隼人の手から卒業する。
 その前に隼人の手を離れても、しっかりとこの研修で受けた刺激は後に活かして欲しいと御園教官は願っている。

 

 

 

Update/2008.10.26
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