-- メイビー、メイビー --

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3.つまり御曹司!?

 

 夏の遅い夕暮れ。紺の帳が降りてきたら『夜の蝶』が飛び立つ時間。

「いらっしゃいませ。お待ちいたしておりました」

 ここは男達の夜の社交場。銀座。
 または男の格調とステイタスを誇示し合うところ。
 今宵も『優美/ゆうび』で待ちかまえていた蝶達が、威風堂々と構えてやってくる男達を迎える。

 その日、華子は真っ赤なドレスを選んだ。
 スタイルも顔立ちもはっきりしているため、本当は派手な色を選ぶと着こなしに苦労する。ちょっと間違えると、品がなくなってしまう色だから。
 いつもは、白に黒、グレーにブラウンにベージュという、ニュートラルな色を選んでシックに抑えていたのだが。

「いらっしゃいませ、岩佐社長。ご予約のお部屋へどうぞ」

 煌びやかな和服姿の優美子ママと並び、赤いドレスの華子は楚々と頭を下げた。

「決めてくれたか」

 岩佐の満足そうな笑みに、華子は黙って頭を下げるだけ。
 あまり選ばない赤を着ることになったのは、この男性の強い要望からだった。

 ピンストライプ柄、ライトグレーのスーツを着こなしている噂の若手実業家がこの店にやってきた。華子も店のママと共に迎える。
 彼はこの店によく来る。しかし、今夜のように一人で来ることは珍しかった。いつもはあの篠原会長のお供で来ていて、華子はその席によく呼ばれていた。
 しかし今回はどうしたことか。岩佐から前もっての指名があり、尚かつ『大事なお客を連れて行くから、華やかにしておいてくれ。そうだな。赤が良い』という注文があったとかで、その通りにするようにママに言われた。
 そんなママも『今夜、岩佐さんのお連れ様は篠原会長とも縁がある方達なので、私も入ります』といういつにない気構え。華子もいつもよりずっと張りつめて準備をした。
 茶色に染めた髪は今風の巻き毛にして、でもお化粧はいつもより控えめに。ドレスもシンプルなものを。ただ大きくて困っているバストをカバーしてくれるちょっとしたデザインが胸元に施されているものを。
 ――『華に言っておいてくれ。赤を着こなせても、品がないと彼等は駄目だ』とか。

(なによ。気取ったお客がくるわけね)

 どんな客も慣れていたし、沢山の男達を見てきたと思う。そのうちにどんな男であっても『仕事上』では、快く迎えられるようになっていた。
 なのに。今夜は胸がざわついた。
 元々、華子は岩佐社長もそんなに好きではなかった。
 一時期IT企業の青年実業家としてメディアでも露出が激しかった岩佐社長。華子も当時、テレビや雑誌で彼の顔をよく見た。自信家で目立ちたがり屋というイメージ。無情そうで、ビジネスのためなら何でも切り捨てそうな。心ない男。そんな人。
 だが、そんな彼もやりすぎたのか。ある時期にくると会社を乗っ取られるという苦境に立たされ、数々のバッシングに話題に渦巻かれ、メディアからすっかり姿を消していた。
 その後、彼の話題を耳にすることはなくなった。そのまま失墜し、どうなったのか。誰も気にしなくなったと思う
 なのに。ある日のこと。このママと長年懇意にしているという『篠原会長』が来店し、そのお連れ様が岩佐社長だった。なんと、彼はその世界で復活を遂げていたのだ。ただ不特定多数の一般人の目に姿が見えなくなっただけだったようだ。その篠原会長が、岩佐の相手にと店の女の子から選んでくれたのが華子だった。
 それは光栄なことかも知れなかった。だけれど、あのマスコミに騒がれていた彼の相手はとても構えた。
 なのに……。ママと篠原会長の会話は軽快であったのに対し、若い二人として対面させられた華子と岩佐は、あまり会話が弾まなかった。
 つまり。マスコミで目にしていた彼の姿ではなかったのだ。無口でむっつりしていて、どんなに華子が話しかけても、無愛想な男特有の生返事だけ。いわゆる、やりづらい客だった。

 その岩佐が、篠原会長のお付きではなく。一人で接待?
 なにが目的で、どのような人を連れて来るというのか。

 華子の耳の奥で先日のママの言葉が聞こえてきた。
 ――『それでお連れ様なんだけれどね、華ちゃん』。ママがちょっと強ばった顔。――『お連れ様がまた篠原会長縁の方だから、当日は私も席に着かせてもらうからね』。あの篠原会長をお客に持つママらしくない緊張を見た気がした華子。――『どのような方なのですか』。華子の問いに、ママはため息をついた。――『私も初めてお会いする方達よ。でもご親戚の方には何度かお会いしているけれど。こちらのお店とは、いえ、銀座には縁がない方達で……』。知ってはいるが、銀座という夜の世界には来ない人達、と言うことらしい。――『では。篠原会長の縁のお客様なのに、岩佐社長がお相手をする。接待、ということですか』。――『どうも、そうみたいね。篠原会長のお気に入りの男性をもてなすお役目でも言いつけられたのかしらね』。
 それでも初めてのお客でも、顧客からの紹介とあれば、お迎えする。それが今夜――。

(あの無愛想男が、お世話になっている篠原会長に代わって、どんな接待をするのか、よね?)

 店ではしおらしく女らしくしている華子だが、心の底ではほくそ笑んでいた。
 あの心ない傲慢そうな男が、メディアでそうしていたようにお調子者のノリで明るくへりくだるのが見られるのかも知れない――と。

 

 夜の街が扉を開くようにして煌びやかにネオンが灯り始めた頃。その客達はやってきた。

「優美子ママ、こんばんは」
「お待ちしておりましたわ、岩佐社長」

 この日、やってきた無愛想男は、いつもと違って意気揚々とした笑顔と身のこなしでやってきたのだ。

 そして彼が連れてきた男性二人――。
 一人はとても長身で真っ黒いスーツに、華やかではないが、ネクタイも小物もとても品のある着こなしをしている黒い男性。とても重厚な雰囲気を放つ男性だった。
 『華子の予想』――落ち着いた大人の男性。どこに行っても動じない、場数を踏んできた人。こういう人は一匹狼、あるいはリーダー。ビジネスマンだけれど勝負師。よって『商売』をしている。いわゆる起業家、社長。
 もう一人の男性は……。
 華子は目を見張った。もう一人の男性は、華子が良く知っている服装をしていた。
 ライトグレーのテーラードジャケット、白シャツに黒ネクタイ。そして肩には黒い肩章に金の星。そう、軍人さんだ。
 一瞬、華子は『まさかね』と思った。
 『華子の予想』――岩佐と同世代ぐらいの、四十代の男性? 眼鏡をかけていて、とてもお堅いかんじの男性。はっきりいって洒落っ気なしっ……軍服のせい? 専門以外興味なし、高学歴のエリートサラリーマンを見てるよう。お連れの重厚な起業家的黒いおじ様に比べて、こちらはお商売は絶対に無縁とも思える、本当に学者とでもいいたくなる雰囲気の人。
 普通の髪型で、眼鏡をかけて。それと言って顔立ちに特徴もなく。
 でも。なんだろう? 華子はお堅いかんじの軍人さんの奥の奥に、妙な感触を持った。本当にほんのちょっとの違和感?
 その男性と目が合う。真っ赤なドレスを着ている華子に、あちらから会釈をしてくれたので、びっくり。華子は慌てて礼を返す。客を迎える者として不覚だった。
 しかもその男性。華子を見て、じんわりと微笑んでくれたのだ。その時の、彼の眼鏡の奥にある大きくて黒い目がきらりと光った気がし、華子は固まってしまった。
 岩佐社長や、お連れの雰囲気たっぷりのおじ様と比べて、まったくもって洒落っ気なしの人なのに。そこから急に漂ってきた男の匂いに、華子は呆然としてしまった。
 いや、素敵とかそんなんじゃなくて。出会ったことがない緊張? 奥になにか隠し持っていそうな……。不思議な男性。

「こちらへどうぞ」

 優美子ママ自らの案内に、華子もハッと我に返り案内に遅れてしまう。

(岩佐社長と、どんな関係? それに篠原会長とも……)

 いつも度胸たっぷりの華子ではあるが、今日の胸騒ぎが当たったのか。心臓がとても早く脈打っていることに気が付いた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 岩佐社長が予約していたのは、店の奥にあるVIPルーム。
 篠原会長もたまに使うが、会長は『店の賑わいが好き』と言って、なにか理由がない限りVIPを押さえることはないお客様。

 篠原会長が『今じゃ、こいつは私の息子みたいなもの。隠居する前にあれこれ仕込んでいる』とまで言っていたお供。
 そんなお気に入りの岩佐が、一人になった途端、会長の気持ちとは裏腹の、いきなりのVIP予約?
 やはり見栄っ張りなのか。それとも、それほどの客なのか。もっと重要な理由があるのか。

 トーンを落としている照明の部屋は、ゆったりとしたソファーとテーブルと、アンティークな調度品。そして大きな花瓶に豪華に活けている花とか……。
 そんなムードも厭わない無口な男三人が、ソファーに座った。岩佐社長を下座に、対面してお連れの二人が並んだ。
 華子とママも、それぞれの間に静かに腰をかけたが、奇妙な空気――。
 銀座の夜を楽しみに来たという雰囲気ではなかった。そのせいか、慣れているはずの優美子ママもまだ空気が読めないのか硬い面持ち。

「私の要望で、今夜はこちらに来てくださって有り難うございました」

 やっと話を始めた岩佐社長だが、彼の挨拶に対して、向かいの二人も岩佐に負けない無愛想さ。
 銀座の夜を楽しみに、岩佐が誘ったとか誘われてきたという雰囲気ではない。岩佐の挨拶にも笑みを見せないお連れ様の様子に、華子は『仲悪そう』なんて感じてしまい、『だから私達が間に入って雰囲気を和らげて欲しくて、ここを』と勘繰る。実際にママはどう思っているのだろうかと、華子はチラリと見てみたが、ママもまだ様子見のようで注文のワインを黒服に用意させたり間には入ろうとしない。
 そんな中、ママと華子は黒服と一緒に邪魔にならないよう、テーブルの上におもてなしの準備をする。岩佐に頼まれていたシャンパンを開け、フルーツやチーズ、ちょっとしたおつまみを。黒服が準備したグラスを手に、華子は軍人さんの隣りに腰をかける。

「こちらは、谷村社長。イタリアに資本を置いて海外で事業を展開しておりましたが、今は下の者に任せ、ご自分は単独でビジネスをしています」

 テーブルが整うまで間が持たなかったのか、静かなムードの中、岩佐からの紹介が始まった。

「優美子です。本日はご来店、有り難うございます。篠原会長とは長年、懇意にさせて頂きまして、ご一族のお話は良く聞かせて頂いておりました」
「谷村純一です。会長には、自分が駆け出しの頃から鍛えて頂きまして、今日になってようやっと日本に落ち着いて細々と単独経営をしております」

 ママとの会話が始まったので、華子がテーブルを整える。隣にいる軍人さんに、出来上がったシャンパンのグラスを『こちらを、どうぞ』と手渡そうとしたのだが……。

「そして、そちらの軍人さんが、この谷村社長の義理の弟さん。小笠原総合基地、工学科で科長を務めている御園大佐です」

 ――御園大佐!?

 一瞬で、頭が真っ白になった華子。
 隣にいる眼鏡の男性の顔を、つい真っ直ぐに見た。

 この人が、御園大佐!? あの、小笠原基地工学科科長で大佐……!
 確かに、肩章は大佐だった。しかし大佐だって沢山いる。『まさか』と思っていたが、こんな偶然って!

「御園隼人です。妻が御園の娘で、私は養子になります。妻の祖母が篠原会長と親しくしていたご縁で、今でも良くして頂いております。特に妻が『篠原のおじ様』と慕っておりまして、華夜の会にも時折、顔を出しております」

 グラスを手渡す腕がぷるぷると震えていた。
 一度も会ったことがないけれど、あの英太を今の生活に落ち着けてくれた人、さらには英太が航行任務に出るたびに、闘病中の春美を思って『なにかあればこちらに連絡を』と気遣ってくれるあの……。

「ちょっと、華ちゃん!」

 ママの声に、華子が我に返ると、震えていた手からグラスが倒れていた。金色のシャンパンが床へとこぼれ、隣にいた大佐の足下を濡らしてしまっていた。

「も、申し訳ありません!」

 華子らしからぬ失態だった。それでも華子は慌てながらも、すぐにおしぼりを手にして大佐のスラックスの裾へと跪いたのだが。

「待って待って。そんなことしなくて良いから」

 眼鏡の彼が、すぐさま華子の手を取って止めた。

「隣のおじさんや、お洒落な岩佐君みたいな上等なスーツで来たわけでもないし。こちらは普段から着古している制服。構わないよ」
「そんな。どのお召し物も同じです」

 どのお客様も同じ。それもあるが、この人があの『御園大佐』と分かったからにはこのようなこと……。
 しかし大佐は困った顔で笑うだけ。

「ちょっと、岩佐君。ここって、こういうことが当たり前な店? 困るよ、本当に。だから嫌だったんだよ、ここに来るのが。女性が変に気遣ってくれて居心地悪い」

 誰が止めれば、華子が一番楽になるか。大佐はそれを、今夜の会合の主である岩佐に求めたようだった。

「華、大佐がそう言っているから、もういい」
「は、はい」

 言われたとおりに、華子は大佐の隣りに座り直した。
 それにしても。大佐さん、女性に気遣われるのが居心地悪いって……。華子も銀座の女を長くしているから当たり前のことなのに。そう否定されると、なんだか奇妙な気分にさせられた。

「まあ、御園大佐。お気遣い有り難うございます」

 華子の粗相を、ママがとりあえず詫びてくれたが、それにも御園大佐は渋い顔になる。

「ですから、ママもやめてください。このままで結構ですから」

 頑とした強い物言いだった。強い意志がその男性の黒い目から見て取れた。だから流石のママもそれ以上多くは言葉をかけまいと、また岩佐の傍に控えてしまう。

「あの。こちらをどうぞ」

 入れ直したグラスを華子は改めて、差し出した。
 眼鏡をかけた無表情な大佐の顔がこちらへ向いた。
 よく見ると、凛々しい眉に、大きな瞳。鼻筋もスッと通っていて。そんな大佐が華子を見て、やっとにこりと微笑んでくれた。

「有り難う。気にしないように。毎日、埃っぽい事務室で書類や資料に埋もれている男所帯にいるので汚れても気にしません」
「ですけれど」
「それ以上、言うと。もう口きかないよ」

 そこだけ、御園大佐が意地悪そうにニンマリとした笑みを見せたので華子はギョッとし、彼の意のまま黙ってしまった。

 だが、鼓動の高鳴りは止まなかった。
 あの、工学科の大佐さんが隣にいる!
 華子の気持ちは、お客をもてなすホステスという使命を忘れそうになり、今すぐにでも『いつも有り難うございます』と叫びたい気持ちでいっぱいに。

「こちらのお二人は、御園のお婿さんと呼ばれていて、谷村社長はお兄さん。御園大佐は弟さん。谷村社長は亡くなられた御園家ご長女と婚約されていた関係で、お姉様との間に忘れ形見の息子さんがいます。御園大佐は次女になる妹さんとご結婚し、婿養子に。その奥様も今は小笠原基地の空部隊で大隊長をされる、准将。お二人で空軍を支えています」

 岩佐のさらなる紹介に、華子はくらくらしそうになった。
 英太からそれなりに聞かされてきたが。まさか会いたかった大佐さんが、そんな……『婿養子で御曹司』だったなんて。
 しかも奥様が、あの英太をべた惚れさせた女性で、隣の眼鏡の不思議な男性の匂いを放っている人が旦那さんで。つまり? 英太のライバル? え、違う。え、ちょっと英太、こんなおじ様と張り合ってんの……? でも英太、あの英太、すごく変わったのって、このおじ様のおかげだと思っていたし、英太は毎日楽しそうになったし……。華子の中で様々なものが駆けていく。そう思うと、隣のお堅そうで地味そうだった工学おじ様から、すごい男っぽい匂いが漂ってきたような気はするのは、華子の勘違い? 
 いや、華子は思った。幼馴染みが虜になって離島に居ついてしまった何か。それをなんとなく感じ取れた気がする――と。

「会長からもお噂はかねがね。ですけれど、御園家の婿様兄弟は、あまり表にお顔を出すこともないと聞いておりましたので、今夜はこちらでお会い出来て嬉しいですわ」

 ママの笑顔に、向かいに並んで座っている雰囲気の違う社長お兄さんと大佐も、やっと微笑みを浮かべ『こちらこそ、よろしくお願いします』とママに礼をしてくれた。息の合ったお辞儀を見ると、そこは本当に兄弟のように見えるから不思議だった。

 岩佐の作戦が成功したのか。ママが篠原会長を良く知っていることで、御園ご兄弟はやっと心が和んだようだった。

 しかし、華子には驚愕の嵐――。
 あの工学科の大佐さん。英太の恩師で『大佐はすっげー男』とか、いつも興奮して教えてくれているだけに、華子も『やり手の大佐』と想像を膨らませていた。
 その大佐が、あの篠原会長と懇意にしている一族の『お婿さん』! そして……英太が恋い焦がれているおば様の旦那様!
 そんなにじろじろ見ちゃいけないと思っているのに、華子はシャンパンを飲む御園大佐を横目でついつい見てしまう。

 そんなに派手じゃないけど。確かに、なにか秘めている男性だって、華子にも分かった。
 意志が強そうなあの顔。『気にしないで結構』ときっぱりと言い放った時、あの優美子ママがちょっと畏れるようにして引き下がったのも、ママも同じようなものを感じたとしか思えなかった。
 それとも。その『御園家の人』、しかも御当主一家の婿養子? それならば、いつかはこの大佐が御当主になるってこと? それでママが気遣っているのかとも思えた。しかもあの篠原会長と縁があるという一族の。

 しかし挨拶もそこそこ。無駄な話題はもういらないとばかりに男達の本題がすぐに始まった。

「すみませんでしたね。俺の勝手で、呼び出してしまって」
「いや、構わない。銀座は久しぶりだ。『右京』も『ロイ』も離れていったので、一人で馬鹿遊びをする気になれず暫く来ていない。なので、つい出てきてしまった」

 渋い大人の黒おじ様の谷村社長。強面のままなのに、岩佐の誘いは快く受けて出向いてきた様子だった。

「で、なんだ。篠原のおじさんの話では、岩佐社長たっての、俺達への頼みがあるとかで。おじさんからの希望であるなら、それは『代わりに良く聞いてやってくれ』という程のことなのだろう。あるいは、篠原会長も『その気』のビジネスとかね。無視は出来まい」
「流石。お兄さん、社長さん!」

 やはり――。いつかメディアで良く目にしていた、調子の良い口が軽い男と化した岩佐。
 そこで谷村社長が胸ポケットから煙草を取り出した。日本ではあまり見ない外国の銘柄だった。紙包みになっているパッケージから、谷村社長が煙草を口に銜えた途端、華子やママがそうする前に、岩佐が素早くライターを差し出しておじ様の煙草に火をつけた。
 あまりの気遣いに驚き、華子は密かにママと顔を見合わせた。

「なんだ。話を聞こうじゃないか」
「実は――」

 谷村社長の言うとおり。どうやら岩佐がこちらのお連れ様の力を必要としている為、篠原会長がパイプ役となって、今夜の運びとなっているようだった。

「昨年、あの大手証券会社が経営破綻したのをご存じでしょう」
「ああ。あれな」
「あそこから放り出されて行く先もなくした社員が、最高レベルの株取引システムを持っているんですよ」
「知っている。あそこだからこそ構築されたとも言える、数秒間で何百という取引を一気に出来るシステムだと聞いたことがある。だがそれは買収した会社の特権になっているはずだ。どうやって手に入れるつもりだ?」
「まあ、そこはそこ。丸ままのシステムを手に入れられなくても、だいたいのものは既に流出していましてね。そんなもんでしょう。破綻した会社から放り出された社員全てが、前の会社の機密を隠し通すと思います?」
「その尻尾を掴んでいるってわけだな」
「まあ、そんなところで」

 岩佐の挑戦を聞いて、華子の身体が堅くなる。
 やっぱりこの男、生粋のチャレンジャーなんだと思わされた。メディアに露出していたのも一時的なもの、沢山ある手段の中の一つに過ぎなかったのだと。それが失敗しただけのことで、失敗したならそこにこだわらない。人々の目から存在が薄れても、こうして飽くなき挑戦を続けていたんだと。
 そんな男が『あの大手証券会社』からこぼれ落ちたものを見逃さず、尚かつ食らいつこうとしていることに驚かされた。

「そんな完全ではないシステムなど、信用出来るのか?」
「そこなんですよ。そのシステムを手に入れた。たとえ、完全版でもですよ? ですけど他の証券会社がそうしているように、その株取引システムを手に入れても、取引という戦場ではトントンってことになるでしょ」
「まあ、そういうことになるなあ」

 途端に始まったビジネス話。すっかり話が進む中、やっぱり御園大佐は畑違いなのか、義理お兄さんの谷村社長の隣で静かに黙っていて、ぽつんと取り残され話に入れないまま。やっぱり『ビジネス畑の人ではない』のだなと、華子は確信したのだが。

「そこでお願いなんですよ」

 いよいよ、岩佐の本題か。こちらお連れ様をお呼びした本当の訳、彼等への『お願い』が明かされる。
 しかし、岩佐がいつにない笑みで視線を馳せたのは、話が合っていたビジネスマン同士の匂いを放っていた谷村社長ではなく、御園大佐の方。
 そして目が合った御園大佐も、『お願いがある』とばかりの岩佐の目線と合って、きょとんとしていた。

「御園大佐にお願いがあるんですよ」
「え、俺? どうして」

 華子もつい。御園大佐の隣で岩佐達のビジネス話の展開に息を呑む。
 あのいけ好かない岩佐がここまでして、彼等にお願いすることって……。

 

 

 

 

Update/2010.1.28
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