-- メイビー、メイビー --

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4.お婿さんは次期当主

 

「このシステムのことは、やっぱり御園大佐にしかお願いできないんですよ」
「いや、俺は株取引とか、そういうビジネスとは無縁だし。むしろ、義兄さんの組織向きの話でしょう」
「いえいえ。大佐の人脈をお借りしたいんですよ。それだけなんです」
「人脈? どのような」

 岩佐の話が続く。

「システムですよ。その取引システムをもっと強化して欲しい。そういう会社をご存じでしょう。たとえば、ほら、宇佐美と共同で行ったあの白い戦闘機のシステムを構築した会社」

 また岩佐の『あの有名な証券会社のトップシステムの上を行くシステムを作りたい』とかいうチャレンジにも、華子は唖然とさせられた。そんなこと出来るの!? 

 隣の大佐さんも、眉唾な戸惑い顔をみせつつも、岩佐のチャレンジを否定することなく。

「彗星システムズのことかな?」

 思い当たった会社を口にした。

「そうそう、そこ! そこの、ほら、あの課長さん……」
「今は部長になっている。常盤さんのことだね」
「そうそう。常盤さん」

 いちいち手を打って、岩佐が『そうそう』などと、オーバーなリアクションをして大佐の受け答えを盛り立てたりするので、華子は白けてしまう。やっぱりこの男、場面で調子を使い分ける胡散臭い人なのだと。しかもビジネスの話などする気もない夜の女などには、そんな話題は持ち込まず、無愛想。客だと分かっちゃいるが、ちょっと内心むかついている瞬間だった。

「分かった。常盤さんに話だけ通しておく。それでいいかな」
「マジっすか! うわー、俺……。貴方には嫌われていると思っていたから、今日、すっごい緊張していたんですよー!」

 ほらまた。わざとらしい困っていたリアクション。なんとかならないのそれ。隣の大佐さんも流石に苦笑いしているじゃないの。華子まで、苦笑いが浮かびそうになったが、そんなことは御法度。隣でお話がまとまってよろしかったですわね。とばかりにニコニコ。
 だけれど御園大佐は『引き受けたからには』とばかりに、調子が良い岩佐にさらに付け加えた。

「もし常盤さんが気をよくして引き受けてくれたなら。そういうシステムに関しては常盤さんより、俺の同級生でもある青柳女史に頼んだ方がいいね。うちの実家と組んで開発した『チェンジ』の基礎システムのアイディアは彼女のものなんだ。あれからかなりのプログラマーに成長して、今では彗星システムズでは常盤さんと並んで二本柱の工学女性。常盤さんは重工向けなんだけれど、ビジネスシステムなら彼女に頼んだ方が良い」
「彗星に、大佐の同級生が! なんて偶然! しかもあのチェンジのアイディアマン、違ったレディ!」
「うん。彼女にも一報入れておくけど、彼女は常盤さんの部下だから、最後に決断するのはあくまで常盤部長。それでいいね」
「勿論! そこまで教えて下さって、感謝します」

 あの岩佐が本当に喜びいっぱいの顔で頬を紅潮させ、大佐にぺこぺこと頭を下げていた。
 御園大佐の懐の広さに、華子は驚くばかり……。こんな調子の良い男に、引き受けたからにはきちんとその役を果たそうとしているその姿勢に感嘆させられる。

「ふうむ。聞き捨てならないな。うちでも株取引はしている訳だから。そういうシステムの話をきくとねえ」

 ゆったりと長い足を組んで、シャンパングラス片手に煙草を吸っていた谷村社長。岩佐のチャレンジに食指が働いたらしく、さすが社長さん。ということは、やはり篠原会長が『いい話だから相手をして欲しい』と岩佐と渋い社長さんと大佐を引き合わせたのは間違いなかったという様子だった。

 そして岩佐も。自分がこれからチャレンジする秘密を、同じビジネス畑を持っている社長に手の内を見せたのにも訳があったらしい。

「では、谷村社長も共同でということで手を貸してくれませんか」
「ほう? 何でも独走好きな岩佐らしからぬ柔軟さじゃないか」

 谷村社長の皮肉ぽい受け答えに、華子はちょっぴりニンマリ。今度は岩佐が苦笑いをしていたが。

「同じ株システム、作り上げて使い合うのを条件に。今度は社長にお願いが」

 岩佐の太っ腹な条件。でも、社長はそれに見合う要望があるのかと、悠然としていた今までとは裏腹に、表情を強ばらせた。
 そして岩佐も。すぐに話がまとまった大佐と取引する以上に緊張した顔をしていた。やはりこちらはビジネスマン同士の一騎打ちと言ったところらしい。

「俺、今。ある資源の取引に目をつけているんですよ」
「ある資源?」
「そう。リチウム」

 その資源の名が出てきただけで、黒いスーツの社長が姿勢を正し、煙草を消した。

「ほう。そっちに目をつけていたか」
「やっぱり。谷村社長も?」
「いや。俺じゃない。俺の部下が、海外で」
「その取引のノウハウ。俺にも教えて欲しいんですよ。日本だと100パーセント輸入になるでしょうからね」

 株取引システムと交換……ということらしい。

 この部屋が急にシンとした。黙って聞いているママも、緊張しているようだった。
 谷村社長は返答に考えあぐね、そして全て出し切った岩佐もそれ以上言うことはなくなったとばかりに、ひたすら相手の出方を待つ真剣な面持ちのまま。

「確かに。リチウムはこれから必要な資源となるだろうね」

 割って入ってきたのは御園大佐だった。

「特に自動車。石油というエネルギーから、エコロジーをめざし『電気』というエネルギーに代わろうとしている。その上ハイブリットからオール電気へ。その原動力となる電気、つまり電気自動車を動かすバッテリーとなる電池、いわゆる『リチウムイオン電池』と言われる『充電池』。これに使われるのがリチウム――」

 大佐の説明に、華子は流石、工学大佐と思ってしまった。

「だけれど、リチウムはノートパソコンで14グラム、携帯電話で5グラムに対し、電気自動車では14キログラムが必要と言われている。かなりの量だ。しかもこちらも結局は地球から得る資源。普及される程に石油と同じ道を辿る、やがて代替えを産む動きが出る」
「つまり隼人が言いたいのは、そう長く続く商売でもないと?」
「そこまではいわないけれど。今の動きに、ふとそう思った俺がいるだけ。一時的には爆発的に必要となる時代が来るかもしれないし、繰り返し使えるバッテリーとして石油のように湯水のようになくなっていくわけでもないから、ある程度で売れ行きも緩やかな動きで落ち着いてしまうかもしれない。そして自動車以外の電化製品にもどのように使われていくか分からない。普及は間違いないけど、その普及率はまだ未知数だからね」

 大佐と谷村社長の話に、あの岩佐が殊の外真剣に頷いていたのも珍しかった。

「でも、海外では既に価格戦争が始まっているんですよ。先のことは分からない。でも必要とされている。それなら、その波に俺は乗りたいんですよ。もし、谷村社長が日本を土俵にしてやるっていうなら最大のライバル。この話はくれてやらないというなら、俺は諦めて、独自の株システム構築に専念するだけです」

 今度は谷村社長に挑む岩佐の顔は、戦う男の顔だった。
 しかし谷村社長もそこはライバルと意識したか。御園大佐のような即答ではなかった。

「うむ、しかしだなあ……。いや、篠原のおじさんが岩佐に協力して欲しいという気持ちも、よく分かった。だが、こっちもこっちでねえ」

 そして岩佐は、引き下がらなかった。

「正直言って、俺などまったく横繋がりがないわけですよ。ここに来て、今まで一人でやってきたことも、『共存』という道を取らないとやっていけないことに気が付いたわけですよ。だけれど一度、大きな失敗をしているレッテルと悪名が祟っていましてね。ああ、勿論、自業自得だと思っていますよ。貴方達に対しては特に――」

 『一度、大きな失敗。悪名』と、この男の口から殊勝な顔で出てきたので、華子は驚いていた。
 ほんの少し。嫌な男と思っていた彼に詫びたい気持ちになる。彼は彼なりに苦しんで過去を振り返ってやってきた人だったのにと……。
 そんな岩佐が、今までに見たこともない真剣な眼差しを、真っ直ぐに。谷村社長と御園大佐に向けていた。

「そろそろ、俺を許してくれませんか。篠原・東條・御園ファミリーの一員として認めて欲しいんですよ。今が駄目なら、今夜のこのビジネスでの貢献で認めてもらえませんか?」

 独走男の許し乞い。ひらすら黙って付き合っていた華子とママも流石に今度は、はっきりと顔を見合わせてしまう。
 どうやら谷村社長や御園大佐に迷惑をかけていたことがあったようだ。それで、この三人が店に来た時の仲が悪そうな重い雰囲気だったのだと華子は悟れた。
 それにしても。岩佐社長一世一代の詫び? そんな場面に付き添わされたホステスは何をすればいいのだろうか?

「お願いします。御園に損になるようなことは絶対にいたしません。御園ファミリーへのお詫びのためにも」

 さらに岩佐が深々と頭を下げた。
 まさか、彼のこんな姿を見ることになるなんて。
 戸惑っている谷村社長と御園大佐も顔を見合わせる。

「そうだな。ここは当主筋にある隼人が決めてはどうだろうか」
「いや、俺は……」
「お前が決めた方が良い」

 お兄さんである谷村社長が、弟の大佐を後押しする。
 兄ではあるが御園と名乗っていない以上、そこは本筋の婿養子である弟にきっちり譲っているのだと華子にも分かった。

 躊躇っている様子の御園大佐。暫くしてやっと、呆れたようにして溜め息一つ、岩佐に声をかけた。

「――『あれ』から、何年経ったのかな」
「六、七年でしょうか」
「そんなに経ったんだ」

 あれ、てなんだろうと華子は思う。しかし、七年前と言えば、ちょうど岩佐がメディアから姿を消した頃だ。

「あれから岩佐君は篠原会長の下で一から出直し、叩き上げられてきたわけだ」
「はい。会長には感謝しております。あの時、孤立した俺の全てを受け入れ、一からビジネスを叩き込んで下さったので」

 また御園大佐が黙ってしまう。彼がそっと岩佐から顔を背けた。その顔が華子の目の前に。
 眼鏡の奥の黒い瞳が、どこか不満げで。でも憂いて迷っているようだった。彼が視線を落としているので、華子もその先を追ってみると、そこには華子が濡らしてしまったスラックスの裾。
 彼がそこを見ているかどうかは解らないが、華子にはそれが目について仕方がなかった。

「俺は。俺の家族と妻が一番苦しむことを、自分のステップのために平気な顔で使った君のことを今でも許していないよ」
「分かっています。あそこで『葉月さん』に許してもらったはずですが、俺はそれでもまだ……。そちらのご両親を一番苦しめたことを、後に会長から聞かされていますから。これから謝る機会があればと思っています」
「御園の父と母は、たぶん、今でも君の名前を聞くと良くない顔をすると思う」
「まあ……そうでしょう……ね」

 やはり御園という一家に、岩佐は迷惑をかけたことがあったようだった。そしてそれは余程のことで、今でも許されていないのだと。
 それにあの岩佐が、心苦しそうな顔。華子は迂闊にも、そんな岩佐の悲しそうな顔を見て胸を痛めてしまっていた。

「だけれど。いつまでも許さないことも、家族には苦しいことかもしれない。妻や御園の両親に鎌倉の家族、それに隣の谷村の義兄親子を見てもそう思うこともあってね」

 御園大佐の顔が和らいできた。

「いいでしょう。先ずは婿の俺と義兄さんから貴方のこれからを見させて頂くと言うことで。義兄さんもそれでいいよな」
「次期当主が決めたこと。文句はないね」

 岩佐から喜びの笑みがほころんだ。

「あ、有り難うございます。では、早速ですが、今夜の話を進めてくれると言うことで……。必ず、御園にも貢献いたしますから」

 そんな予想も出来なかった岩佐の懸命な姿に、華子は密かに胸打たれていた。
 ――よろしかったですね、岩佐社長。
 そんな言葉が自然と心の中に。それは優美子ママも同じだったのか、ちょっと感慨深そうに岩佐を見守っていた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 ――では、改めて乾杯いたしましょう。
 ママの音頭で、ビジネスの話も落ち着いた男性達をさらに和やかにしようと、もう一度グラスが整えられた。
 御園のお婿さん兄弟も、岩佐社長も、もう肩の力を抜いて微笑みを交わし合い、また働く男達特有の世間話が始まった。

「ちょっと、失礼」

 だいぶ議論も白熱してきた頃、御園大佐が席を立った。
 場が盛り上がっている中にママもいたので、華子が席を立つ。

 おそらくお手洗いだろう。
 先に部屋を出た御園大佐を静かに追ったのだが。彼が向かったのは賑わいを見せるフロアだった。
 その隅に立って、夜の蝶達がさざめく世界を眺めているようだった。

「大佐、大丈夫ですか」

 華子が声をかけると、御園大佐が振り返った。

「ああ。慣れていないので、ちょっとのぼせたようで」
「基地とは違うのでしょうね。それに小笠原は海も空もとても綺麗な島だそうですね。ここはネオンと人ばかりだから、正反対の世界でしょうし」
「小笠原を知っているんだ。来たことはある?」
「いいえ。一度、行ってみたいです」

 自分が暮らす島に触れたせいか、御園大佐が笑顔になった。
 英太から散々聞かされていることだったから、自然と口に出来ていただけだが、息苦しそうだった大佐がほっとした顔になったので華子も胸をなで下ろす。

 そんな御園大佐が次に興味深そうに見つめたのが、バーテンダーが控えているカウンターだった。

「よろしかったら、カクテルで一息つきませんか」
「いいね。どうせもう、兄貴と岩佐君しか分からないビジネスの話だろうし」

 その気になってくれたので、華子も颯爽と案内をした。

 そして思った。二人きりになれるチャンス。これは仕事だと分かっている。個人のことなど出してはいけないと。だけれど、それなら今度はいつ会うことが出来る? 本当に御礼を言いたいのだから黙って見送るだなんて出来ない。
 華子にとって最初で最後のチャンスだと思ったのだ。

「大佐のお好みは」
「では王道で。ドライマティーニ」

 バーテンダーに華子が頼むと、御園大佐がすかさず『彼女にも』とちゃんと付け加えてくれた。
 先程のスラックスを濡らしてしまったのにそれとなく庇ってくれたことと言い、華子のカクテルも忘れずに頼んでくれたことと言い。遊び慣れているふうではないけれど、それはきちんと身に付いている人なんだと華子は知る。男の夜の社交場に来たらからやっている仕草には思えなかった。その全てが自然で、品格があった。
 やっぱり華子が想像していたとおりの大佐さんだった。英太の家族を気遣ってくれる人らしい穏和な大佐なら当然と言ったことばかり。

 二人の前に、マティーニのグラスが揃って置かれた。

「えっと。はなさんだったね」
「華やかの華です」
「ぴったりの名前だね」

 赤いドレスを見つめながら、大佐がそう言って華子にグラスを差し向けてきた。
 『有り難うございます』と華子も微笑み、互いのグラスをかちりと合わせ乾杯。

 一口味わった後も、御園大佐は眼鏡の奥の黒い瞳を穏やかに緩め、華子の赤いドレスを見つめていた。

「亡き義姉は、真っ赤な色がよく似合ったと聞いているんだ。それは岩佐君の仕業?」

 まったくその通りだったので、ズバリと見抜いた大佐に驚いてしまった華子。言葉を失ったことで『そうです』という返事になってしまったようで、大佐がくすくすと笑い出した。

「見え見えだな。岩佐君も。赤でもてなしてくれたってことは、俺より義兄さんに気遣っていた訳か」
「赤色が似合うお姉様の婚約者が谷村社長だったからですか? では、私は谷村社長のために?」
「いやいや、気を悪くしないでくれよ。たとえ君が何色のドレスを着ていても、義兄さんはあまり気しなかったと思うよ。赤でもね。だけれど、それだけで、華やかな気持ちにはなると思うんだよ。例え違う女性でも。重ねて、在りし日の幸せな頃を思い出して……」

 そこで御園大佐の黒い瞳がふっと陰り、眼差しを伏せた。よく見ると、大きな瞳に長い睫毛。年齢を重ねた男性の引き締まった頬。少しばかり疲れているようにみえる横顔が余計に、憂いを重ねてきたことで得ただろう彼のシビアさをみせているように思えた。

「全然、私は気にしませんよ。それで社長が少しでも亡くなった愛する人を思い出して、気持ちが和らいでくださったのなら」

 岩佐の狙いも分かった。それが恋人を思い出すだけで幸せなことも悲しいことも味わうことになってしまって、そんなもてなし方で良かったのか悪かったのか分からなくても。華子もそれで良かったのではないかと思う。

「まあ、いいか。岩佐君の思惑なんて……俺は考えたくもないよ。後は義兄さんにお任せだ」

 そこだけ御園大佐は不本意そうに笑った。
 華子はなにも言わないでおいた。岩佐との間に、余程に嫌なことがあったのだと思った。なのにこの人は『これからの結果で許す』と言ったのだ。
 それだけで華子もかなり納得。そして思っていたとおりの大佐さんだったと……。感激していた。

 それならば、なおのこと。このチャンスを逃してはいけない。
 いつママの呼び戻しがあるか分からない。しかも赤いドレスが谷村社長の為だったと知っては、なるべく早く向こうに戻った方がいいだろう。
 互いのカクテルがなくならないうちに……。華子は意を決する。

 傍にいたバーテンダーを呼んで、おすすめのワインを持ってきて欲しいと頼んだ。
 彼がスッと華子達の席から離れた隙に――。

「ご馳走させてください」
「え、駄目だろ。逆に俺が頼むべきで……。だから酒がこぼれて濡れたことはもういいとあれほど」

 また困り果てている大佐に、華子は急いで告げる。

「私、大佐を前から存じています」

 『え』と、御園大佐の顔が固まった。

「確かに。大佐とお話したのは今夜が初めてです。ですけれど、大佐の代理で『叔母』へ連絡を下さる『吉田さん』とは何度もお話しています」

 そう告げると、御園大佐は『あ』と直ぐに通じてくれたようだ。しかし、それが判ったからこそなのか、かなりの驚き顔で止まっている。

「まさか、英太の!」

 知っている名が大佐の口から出てきて、華子も我を忘れ『うんうん』と首を縦に振った。

「そうです。彼が航行に出る時は、私が彼の叔母に付き添っています。ですからその度に気遣いの連絡をしてくださっている吉田大尉とお話させていただいていましたから」

 驚愕醒めやらぬ大佐は、まだ華子を凝視したまま黙っている。だが、そんな大佐が変なことを言い放った。

「歯形の彼女!」

 私がハガタ? 華子は眉をひそめた。
 それってなんのことですか。大佐? と尋ねたが、御園大佐は暫くすると『ああ、そうなんだ。そういうことなんだ』と可笑しそうに笑いだしてしまって暫くはそのままだった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 おすすめの赤ワインがやってきて、笑い転げていた大佐も落ち着いて、やっと再度の乾杯をした。

「まさか。ここで会えるとは思わなかったな」
「私もです。常々、いつかはお会いしたいと願っていた大佐が今夜来店されて。なので驚いてこぼしてしまいました」

 『そうだったんだ』と、やっぱり御園大佐はにっこりと柔らかく目元を緩め、華子を見つめてくれた。

「とても信頼している友人がいて、その人に頼んでいると、英太がいつも」
「彼と春美さんは、天涯孤独に近い私の傍にいてくれて助けてくれた人達なんです。……あの……私、春美さんのことは姉のように思っていて、英太は中学から一緒で兄妹みたいで……その……」

 あまりにも個人的なこと。しかも人目がある。ましてやお客をもてなす生業の職場でははっきりとは言えなかった。

「そっか、そうだよな」

 なのに御園大佐は、さっと辺りを見渡し、華子の思うところを分かってくれているように黙り込んでしまった。
 人をもてなすはずの銀座の女が、初めてのお客様が知っている人だったからと、今の自分が悲しく思っていることを事情をぶちまける。それが出来ずにいるのだと。

 すると黙っていた御園大佐が、制服ジャケットの内ポケットから一枚の白い紙とペンを取り出し、何かを書いている。書き終わると、それをスッと華子に差し出してくれた。
 手元に来たのは『国際連合軍小笠原総合基地 第六中隊教育隊工学科科長 大佐 御園隼人』と記してある名刺。その裏に二つの電話番号。

「俺の直通。上は工学科科長室、俺のデスク直通の番号。下は俺の携帯ね」

 それにも驚き、華子は言葉を失ったまま大佐を見つめた。

「いや、気になっていたんだ。かと言って、なるべく心を乱さない状態で英太には空を飛んで欲しいものだから、気丈に振る舞っているだろうところ深く事情を聞くことも出来なくてね。末期でホスピスに移ったと聞かされているから、いつそうなってもおかしくないところ、その時は彼をどう見守っていけばいいかと――」

 そんなに英太のこと。言葉に出来ないが、その分、華子はもう少しで涙が滲みそうになり必死に堪えた。

「だったら。俺の女房が元パイロットだったことも知っているね」

 大佐から一方通行で投げかけてくる質問に甘え、華子はうんと無言で頷いた。

「あれが大事にしているパイロットだから。なにかあったら困るんだ、俺が」

 待って、大佐。英太は貴方の奥様に恋い焦がれているのよ? なのに、なに。それ? もしかして大佐は英太の気持ちに気が付いていないの? あんなに分かり易い英太の気持ち。大佐程の大人の男性なら気づいていそうなのに?
 さらなる華子の驚きをよそに大佐は尚も言った。

「良かったら、一緒に見守って欲しい。パイロットは豪快で体力が一番の職業かもしれないが、実際は内面的にもかなり敏感になってしまう繊細さとも対峙している。ちょっとのことが事故になりかねない。だから英太のためにも協力してくれると有りがたいね。良かった。今夜、華ちゃんと出会えて良かったよ」

 英太の為? 奥様の為? 大佐の為? 華子には御園大佐が一番誰の為を願っているのか、さっぱり理解出来なくて呆然とさせられた。

「いや〜、あの歯形。可愛かったなあ。そっかー」

 またハガタ? そう言っては御園大佐は華子の口元ばっかりみている。
 『なんですか。ちょっとエッチな目をしていませんか? 大佐』――。そう言いたくなるような、大佐の意地悪い笑った目。

「可愛い口なのに、激しいところがそそられるね」

 やっと華子にも何のことか判明!
 当然、華子はそこから走って消えたくなるほどに、顔中を真っ赤にしていたと思う。
 英太の首元に歯形。それをこの大佐に見つけた。それは英太が女と愛し合った跡。華子の歯形だったのだと。

 華子を知るなり、英太の首元の歯形の跡が直ぐに華子のものだと見抜いただなんて!?

「そ、そんなこと知りませんっ」
「あれ、他の子? いや、あの英太に限ってそんなこと……。しかも、こんな可愛い子と許せないなあー、英太のヤツ。それとも華ちゃんは他に思い当たる彼女がいる? その子にも協力してもらいたいところだから教えて欲しいなあ」

 また大佐は、たった一人で笑い始めて楽しそうにワインを飲み干した。
 真っ赤になっている華子は、それで白状したようなものなのに。それでも『違う子かもね』なんて華子をからかうだなんて――。

 やっぱり、このおじ様。かなりのおじ様?
 風貌に騙され、油断大敵!
 銀座の中でもやり手と言われてきた華子なのに。銀座の女が特定の男と寝ていることを、お客に知られてしまった失態! ずっと初対面のこの人にやられっぱなしだった。
 御礼を言おうと思っていたのに、すっかり忘れていた。

 

 

 

 

Update/2010.1.30
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