-- メイビー、メイビー --

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20.ヒーロー候補

 

 『エース』ってなに? 
 それがどれだけのものかわかったつもりでも、華子にはまだ漠然としてる。
 ただ。あの幼馴染みで家族で……中学生の頃から一緒になんでも暖め合ってきた英太が、この青い空にたった独りで飛び立って行き、そこで九機の先輩達と対決するという苛酷さだけが華子にも伝わってはくる。

「クリストファー、彼女にマイクなしの無線ヘッドホンをつけてあげて」

 化粧気のないミセスが淡々と呟く。無表情でロボットみたい。華子にもそう見える。
 男でもなく女でもない横顔を見せるミセスは、潮風の中、蒸気を燻らせているカタパルトを見つめていた。そこには、英太の7号機が甲板要員の手によるセットアップで待機しているところ。

 ミセスの補佐についていた金髪の少佐が、華子と御園大佐用にとヘッドホンを持ってきてくれた。
 それを頭につけて、強い風の中、華子は御園大佐の側でミセスの手元に映っているモニターから目を離さなかった。

「さあ、今から空へ行くわよ」

 ミセスの呟きと共に、英太を乗せているマリンブルーの縁取りをした白い戦闘機の噴射口が大きく開き、真っ赤に燃え始める。それに伴うように高鳴るエンジン音。フラップがばたばたと動き、遠く見えるコックピットの中にいるパイロットが周りにいる整備員と合図を送り合っているのを華子は見る。
 徐々にエンジン音がキーンと高音になり、華子の耳を引き裂きそうになる。それと同時に、その機体からミセスの指揮台まで吹き上がってくる気流――。その気流が英太を見届けようとする華子の視線を外そうと邪魔する。
 顔を直撃され下を向いた華子の肩を御園大佐が叩いた。――『いくぞ』。彼の声ももう聞こえない。だけれどなにを言っているかはすぐに判り、華子は向かい風へと顔を上げる。
 なのに……。華子の目の前では、そんな逆風もものともせず、真っ直ぐに立ってカタパルトの7号機を見据えているミセスがいた。
 サングラスで目の表情がわからない分、その微笑みもしない、ただ風の中立ち尽くしている彼女はほんとうに無情なロボットに見えた。

『GO』

 微かに聞こえたその一声。聞こえた途端に、英太を乗せている白い戦闘機が空母艦の甲板を滑り出す。
 カタパルトから揺らめく白い蒸気を引きながら、真っ白い戦闘機はあっという間に甲板から放り出されるが、すぐに機首を上げ上昇していく。

「ほ、本当に英太?」

 まだ実感がない。あの白い飛行機のコックピットで敬礼をしていた人影が英太だとまだ重ならない。
 カタパルトを瞬間に滑り、あの機体を空へと上昇させているのも英太なのだという手応えもない。
 だから華子はただ呆然と、その戦闘機が空に上昇していくのを見上げていることしかできなかった。

 徐々に飛行音が空高く吸い込まれ、甲板には風の音波の音が戻ってきて静かになった。
 激しい発進を見届けたけれど、空を見上げている華子の目にも英太の白い機体は青空の何処かに吸い込まれ見えなくなってしまった。

「え、どこ? こんなもんなの。見えなくなっちゃった」

 十代からの『相棒』を見失った華子は……。こんな時に初めて『私の片割れが見えなくなった』不安に襲われた。

 するとミセスが、あの無表情なミセスが、そんな華子を見てふと笑ったのだ。
 何故笑ったのかはわからないが、でも不安に思っている華子を見て笑うだなんて……。准将室にいた優雅なミセス御園ではないまるきり男の世界に溶け込んでいる彼女にバカにされたのかと、華子はムッとしてしまったのだが。

「そう。パイロットは一度空に送り出すと見えなくなる。この無線だけ。これも頼りない……」

 自分の目の前に設置されている通信機を、彼女が華子に今一度見せた。

「だから、これを作ってもらったの。そこの大佐と工学の人間達に。あの白い戦闘機と甲板にいる私達指揮官を繋げて置いて欲しいと」

 そんなミセスから、華子の手を取って自分の真横へと引き寄せてくれた。華子はその力に引っ張られ、ミセス准将の隣りに立たされる。
 早速彼女がひとつのモニターを差した。

「見て。これは英太が座っているシートに設置している彼の背後を映しているモニター」

 そのモニターには海が一面に輝いていた。しかもなにか、四角くて灰色のカードが隅に映りそれがどんどん小さくなっていく。ミセスがそれを指さす。

「この灰色の物体が、いま私と貴女がいる空母艦」
「え、どんどん小さくなっていく……ってことは?」
「そうよ。いま英太がぐんぐん上昇しているからよ。後方に海が映っているということは、今尾翼が下に向いている海面に向いているということなの」
「こんな高いところに……!?」
「こんなの、彼にしてみれば序の口。もう既に先輩達と駆け引きを始めているのよ。上昇して、今から先輩達とのコンバットに備える位置へと上がっているところ」

 さらにミセスが側にあるモニターを指さした。そのモニターにはフロントの空と海を背景に透かしながらも蛍光緑色のデジタル表示が映し出され、数字が表示された何本もの黄緑色の水平線が列車が走るレールのように上から下へと動いていた。

「英太の目の前にある、データーディスプレイ。そうね車で言えばフロントにあるナビゲーションみたいなもの。高度、水平などの様々な情報を前を見たまま確認出来るデジタル表示。いま、この線がぐんぐん動いているのも、英太がどれだけの速さで上昇しているかを示しているの。ほら……ゆっくりになってきた。そろそろ、水平飛行になるわよ」

 その通りに、全てのモニターに青空と雲が映し出され、デジタルディスプレイのナビゲーションも高度表示から違う表示に変わった。
 それを確かめ、ミセスが帽子頭上に避けていたマイクを口元に寄せ、華子に向け『静かに』と指を口元で立てる。

「Bullet―― ready go?」
『……an……OK ma’am』

 華子の耳に、英語で答える英太の声。そんなに話せたかなと、ここでも華子は英太が英太に見えなくなる。でもあの英太――と華子は思い返す。がさつでアンバランスなんだけれど、数学や科学などの理系と英語だけは成績が良く、春美もそれを見て『流石、姉さんと恵太朗さんの子ね』とふいに呟いてはとても嬉しそうにしていることがあった。

『ma’am, I’m just ready』
「OK――Bullet」

 『マム』、『バレット』と英語で二人が呼び合っている。葉月さんに何故そう呼び合うのか聞こうとしたが、見上げた彼女の表情がもう冷たく凍っていた。
 その顔で、向こうにいる銀髪の男性指揮官へと手を挙げて合図を送っている。向こうが頷くと、指揮官二人が気迫ある毅然とした顔を揃え通信機のモニターへと向かった。

「GOT・THUNDER― Go fight」

 ミセスの掛け声に『Roger――!』という英太の返答が返ってきた。

「タックネームなんだ」
「え?」

 もうモニターに集中しているミセスにはなにも聞けなくなってしまい途方に暮れている華子を見ていてくれたのか、今度は御園大佐が華子の横に付き添ってくれた。そして華子がなにを聞きたかったかも既に見通しをつけて話しかけてくれる。

「英太の飛行機の名前?」
「飛ぶ飛行機のことを呼ぶのは、コールサイン。乗っているパイロットの空でのニックネーム。それがタックネーム」
「バレットと呼ばれていたけど」
「本当は『ブレット』とも『ブリット』とも発音するのだが『バレット』とも。同名でライフル会社があるのでミセスがノリで『バレット』という発音を採用した。つまり『Bullet――弾丸』という意味」
「英太の空の名前が、弾丸!」

 やっと意味がわかった華子は、つい笑いたくなった。あまりにもぴったりだったから。

「英太って空でも弾丸なの?」

 笑う華子に、大佐も楽しそうに笑ってくれている。

「ああ、英太は出会った時から弾丸だったもんな。なあ、ミセス」

 大事なエース昇格の一戦本番中で集中しているミセスに、大佐が軽々と話しかけてしまい華子はギョッとしたのだが。でも、ミセスもニヤリと意味深な笑みを見せてくれていた。

「そう。英太は弾丸。だって、彼と出会った時、私は甲板で腰を抜かしそうになったんだもの。ねえ、大佐」
「そう。俺も腰を抜かした」

 こんな時なのに、そこは夫妻らしく和やかに見つめあい笑いあっているのだ。とても懐かしそうに、二人の良き思い出のような顔で『弾丸男』との出会いを見つめて思い出している。
 この夫妻にとっての『弾丸男―英太』はいったいどのような存在なのだろうか……。そして、この夫妻が揃って『腰を抜かした』て、英太ってどんなことを。――英太って、確かに怒ったりすると豪快だけれど。でも空でもそんなに激しいパイロット? 上には上がいて、若手である程度上手く飛べるぐらいにしか思っていなかった。戦闘機乗りとしての、ある程度の自信過剰な部分もあるだろうと、英太がコックピットの話には熱血になることも華子には『パイロットだから。英太もただパイロットの一人』としか思っていなくて……。でも、その英太が、この夫妻が認めるほど、そして今はパイロットが憧れるというフライトのエースになろうとしているなんて。思いもしなかった……!

 そんな華子のヘッドホンに、スースーという酸素マスクでの呼吸音が聞こえてくる。英太の上空での呼吸。酸素マスクを付けて苛酷な環境での息づかい。そして甲板の先、ひたすら海と空広がっている向こうから微かな高音が聞こえてきた。

「華子さん。『こんなもん』――と先程言ったわね」

 氷の顔がこんな時に不敵な笑みを見せる。
 『こんなもん』と華子が言った時、ミセスがどこかバカにしたように見せていた笑みだった。

 ゴウとまるで雲の中で響く雷鳴のような唸りが空母に近づいてくる? その音を見上げるようにしてミセスの表情が引き締まった。

「上空に消えてしまうと、なにをしているのか全くわからない彼等が、今から本当の姿を貴女に見せてくれることでしょう」

 そう言うとミセスは通信機のモニターに向かう。そこには雲を切り裂くようなスピードを見せる『バレット』のコックピットが映し出されている。フロントのデーターディスプレイがまた様々な数値を表示し、その動きが慌ただしい。

「彼等がやってくる。危ないわよ、覚悟してそこに捕まって」

 なにを言っているのだろうと、華子はミセスをただ見つめたが、そんな彼女も通信機側にある手すりに掴まり稲妻の刺繍がしてある紺キャップを手で押さえた。

「ここに捕まるんだ。ヘッドホンは外すな。耳がやられるからな」

 御園大佐が急ぐように華子の手を取り、まるで胸の中に華子を抱き込むように両手で取り囲み、彼が手すりに掴まった。
 奥様の目の前で、旦那さんが若い女の子を守るように抱き囲んでいても、ミセスはそんなことも目に入らない様子でモニターを見ては空を見て落ち着きがない。

「来るわよ」

 ミセスや大佐だけではなかった。あの銀髪の男性指揮官も、ミセスの周りにいる機材を扱っていた補佐官達も、そしてカタパルトにいる甲板要員達も。皆がその轟音を耳にして、身を屈めていた。

 そして華子も見た。青空にチカチカと翼の下のライトを光らせる影が幾つも現れたのを――。
 だがそれらは目にも止まらぬスピードだった。華子がそれを確認した時には、もう空母艦の両サイド、そして真上をゴウと切り裂くようにかすめていく姿が――。その時先端から渦巻くような風がざざっと華子の足下まで駆け上がってくるところ!

「きゃあ……っ」

 耳をつんざく轟音、そして風圧に華子が後ずさると、そこには大佐の大きな胸。彼が華子の肩を抱いてよろめいた身体を支えてくれる。だが彼の声が、必死の声が微かに聞こえた。

『上だ、上を見てみろ!』

 大佐の口が大声を出しているのがわかるのに、何機もの戦闘機がやってきた轟音でかき消される。
 それでも華子は聞こえた声に従い、逆風が吹き荒れる中、空を見上げた。

 沢山の戦闘機の風に遅れて、また切り裂くように華子の頭上を三機の戦闘機が過ぎていくところ。いや、過ぎていったところで華子は遅れながらも後ろへと振り返った。
 空母艦のすぐ頭上を三機の白い戦闘機が飛び去り、また空高く昇っていくところ。
 バリバリと雷鳴のように轟かせ、稲妻でもまとっているのかと錯覚させるほど。その姿はまさに雷神。華子の頭上を過ぎ去っていく彼等の尾翼に、本当に稲妻が見えたような気になる!

「三機の先頭を飛んでいるのが英太だ。二機の先輩に追われているところだな」

 その三機が轟音を巻き上げながら、再び青空へと吸い込まれていく。追われている先頭の戦闘機を華子も見つめる。1対9、英太はいま、すぐ後ろを二機に追われ、そして空母艦の周辺を回遊するように旋回している六機も上空へと急上昇をしていく三機を追っていく――。

「英太の得意技は激しい高度変化にもめげない上下飛行だ。身体にのしかかる重力Gが半端じゃない。年齢的にも英太の激しい上下飛行についていけない先輩もいる。追っている二機は英太と対等のタフな体力をもつ二機。周辺に散らばっている戦闘機は、英太がどの高度に出現してもすぐにドッグファイが出来る状態になれるようスタンバイしているわけだ。九機で高度を手分けして、英太を網にかける作戦にしているようだな」
「そんな、むちゃだよっ。味方なしのコンバットを制してエースだなんて、英太じゃなくても無理だよ」

 だが御園大佐とミセス准将が、それでも毅然とした顔になる。

「華ちゃん。だからこそ、エースなんだ。誰も制することが出来ないなら、エースは空席のままでよい。それが連隊長の意気込みだ」
「エースは簡単になってもらっては困るのよ。皆の憧れの雷神の、その中のエースなんですから」

 空軍を担う夫妻が口を揃え、華子はなにも言い返せなくなった。
 だが苛酷な状況に日々チャレンジしている相棒を案じている華子を思ってくれたのだろうか。

「それでも英太は既に誰もできないことを成し遂げているのよ。英太だけの、実績があるの」

 だから彼はエースを目指しているのだと、ミセスが淡々と話し始める。

「5対5のファーストステージから、二回までの撃墜をクリアして味方を減らし1対9までステージアップをするコンバット。二回撃墜されたら、ファーストステージの5対5から再チャレンジ。実は英太。このエースコンバットで、ファイナルステージまで駆け上がってきた挑戦はこれで三回目なのよ」
「三回目。それまでも、途中のステージで駄目になって何度もファーストステージの5対5から再チャレンジしてきたの?」
「そう。4対6で駄目になった時もあったし、ファイナル目の前の2対8で惜しくも振り出しに戻ったことがある。二年かけてやっと1対9のファイナルに辿り着く。だけれど、流石ファイナル。英太をまた阻んでいる。一度目のファイナルステージアップは半年前、二度目は二ヶ月前。一回目のファイナルコンバットでは、ファイナルステージ1対9の条件である五回すべて、戦闘開始合図後、三分もせずに撃墜を受けてあっという間に散った。二回目のファイナルコンバットはある程度逃げられるようになった。だけれど逃げるだけ――」
「それで今が三回目のファイナルステージってことね……。英太だけって聞いたんだけど……ファイナルステージに到達したのは。それも英太一人だけが三回も辿り着いたってことなの?」
「そう。英太はもうファイナルに駆け上ってくるのは確実と連隊長も判断してくださって、この三回目でも敗戦したら、次からはファーストステージからのチャレンジは免除。全てのチャレンジが1対9としてもよいと言わせた程、『1対9』まで確実に抜けられる実力があると認められ『エース目前の男』として今、基地では誰もが注目している程。特にあの連隊長の期待を一身に背負って彼は1対9に挑んでいる最中」

 基地でも、連隊長も、この小笠原の誰もが英太のファイナルコンバットに注目している――。
 幼馴染みの、戦闘機乗りしか興味がない熱血バカだと思っていたあの英太が……。だからミセスが『今、空に出ると過敏になりピリピリしている』と気にしたり、あの少年達が『エースになる男』として熱中していたのだと、やっと華子にもわかった。
 つまり。英太はこの基地の『ヒーロー』になろうとしているのだって――。どこか嬉しくて、でも心の隅で僅かに愕然とした想いも華子の中で入り交じる。

 でも。これを春美が知ったら……きっと喜ぶ!

「今回のファイナルコンバットは、あと何回でお終い?」

 華子はいつしか必死になって相棒の栄光について問うていた。
 そしてミセスも淡々とした表情でひたすら答えてくれる。

「今月初めに三回目のファイナルコンバットに昇格し、十日前に飛行時間十二分で撃墜され終了。今日で二回目。今日を含めあと四回」
「どうなったら、エースと認められるの?」

 ミセスがレーダーとモニターがある通信機をちらちらと確認しつつも、でも話す時は華子の目を見て。

「一番理想は英太がたった一機で九機全てを撃墜し、この空母艦をロックオン撃墜すること。あるいは、九機を撃墜しつつ何機か残っていてもその隙を突破し空母艦をロックした場合もチャレンジ成功としている」
「つまり、この空母艦をロックオンすれば英太の勝ち……」
「ただし。先程見たように、九機がこの空母を取り巻き守備を確実にしている。そんな中、英太も急な低空飛行で空母頭上に近づきかすめ飛んでいくことがやっと……。これが今の英太の現状よ」

 空と甲板は静かで、戦闘機軍団は遠い上空で攻防戦を繰り広げているようで、やっと葉月さんと英太について話をすることができた。だがそれも束の間。

「また来るわよ」

 先程と同じように、ミセスが手すりに掴まる。また大佐が華子を守るように腕の中へと囲んで、彼が手すりに掴まる。そして今度は華子自身も手すりに掴まり踏ん張った。

「バレットが先頭でやってくるわよ!」

 ミセスの声に、周りが一瞬で緊張感を高めたのが華子でも一目でわかった。

「ついにここまでやってのけたか。これで空母をロックすれば、英太の勝ち」

 『エースの誕生だ!』と、大佐も期待を秘めた弾んだ声で叫んだ。

 甲板の誰もが空を見上げていた。隣の銀髪の指揮官が『どうした。バレットが突っ込んでくるぞ! 追いつけるやつはいないのか』と叫んでいるが、彼も拳を握って空を見上げている。指揮しているチームを映すレーダーもモニターもそっちのけだった。

 

 

 

Update/2010.7.16
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