-- メイビー、メイビー --

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28.のーぶら対決

 

 『ガムテープ』が必要とか言っていたし『準備してくる』とか言っていたし。あれってこの投げ飛ばしのどこで使ったんだ――と、英太は疑問を抱いたのだが。それも直ぐに判明する。

「テッド。それ、こちらに持ってきて」

 倒れている旦那さんの身体の上に立ちはだかっている葉月さんが、壁際に控えていたラングラー中佐に『ちょうだい』と手を差し出した。
 ラングラー中佐の手には、華子の着替えを入れて持ってきたあのペーパーバッグ。そして中佐は『しかし……』とそれを出し渋っていた。
 華子の着替えが入っていたバッグ……。それを見た英太は、奇妙な気持ちになり嫌な予感がした。

「それを持ってきて」

 強い意志を思わせる声に負けたラングラー中佐が、渋々とした顔でそれを葉月さんに手渡した。

「貴方。私の夫なら、これに見覚えがあるわよね」

 腰を打ち付けてそこを押さえたまま、まだ立ち上がらない旦那さんの上で、葉月さんがその紙バックをくるりと逆さにした。
 そこから綺麗な薄紫色の何かがぽとりと落ちたのが英太の目にも見えたのだ、直ぐにはそれが何か確認できなかった。でも一番近くにいる隊員達がまたまた『ぎょ』と目を見開き、隼人さんに釘付けになっている姿が見えた。

「え、なに。英太、あれなに?」

 華子も身を乗り出して、倒れている隼人さんの身体の上に落ちたものを目を凝らして確かめようとして……。

「えー、あれって、あれって!!」

 華子は直ぐに解ったみたいで、それを知ってなんだか嬉しそうに英太のシャツの袖をひっぱり興奮し始めた。

「え、え、なんだよ。華子、あれ……」

 雷神の兄貴達も身を乗り出して見ているが、まだ誰もわからないよう……。そんな中、華子がそっと英太に耳打ちしてくれる。

『あれ、ミセスのブラじゃない?』

 ブラ? そう聞いて英太の目はもう一度それを見ようとすると……。やっと隼人さんがそれを手に持って目の前で確かめているところ。英太も華子の言葉通りの物をはっきりと確認できたので『ぶら!?』と飛び上がりそうになった。

 隼人さんの身体の上に、奥さんのランジェリー!? やっぱり葉月さん、変なことをやろうとしていた、いや、もうやっちゃった!
 あ、そうか。これって華子の、いや若い女のブラジャーを理由はともかく盗んでノーブラで歩かせたことを知った奥さんの復讐ってこと?
 え、じゃあ、ガムテープはどういうことだったんだよ?? 英太の頭の中がぐるぐる回り始める。

 だがある考えが英太の脳天に達した時、英太は益々絶句する。もしかして、葉月さん、ブラを外したから……だから『ガムテープ』!?

 そして葉月さんのおしおきの意図も見えてくる。つまり『私、いま華子さんと同じようにブラジャーをしていないの。ノーブラで歩いているの』という復讐!
 ノーブラとなれば、女性として見られては困る『とんがり』が気になってしまうところ。あらかじめガムテープで保護しているということなのだろう。それでもガムテープを知っているのは英太だけ。
 だがそんなこと知らないここにいる殆どの者の視線は、男性でも女性でも『ノーブラなら、あのとんがりが見えるはず?』と一気に葉月さんの胸元に集中していった。
 だけれど、こっそり対策済みである葉月さんはワザと余裕の笑みで胸を張って、倒れている夫にみせつけている。だから何も知らない隼人さんが凄く慌てた顔で起きあがった。

「これ、お前のっ」
「あら、今朝私が着替えている時にそれを選んでいたの、覚えていてくれたのね。愛人さんに夢中なのかと思っていたけれど。夫として無関心ではなかったみたいで、妻として嬉しいわ」
「この馬鹿っ、こっちに来い!」

 妻の腕を掴み上げ、あの隼人さんが真っ赤になって怒った顔。それだけ『いくら仕返しでもそこまでやるか馬鹿!』と憤っているのがわかった。
 あの連隊長すら、じゃじゃ馬嬢の突飛の無さに強烈な打撃を受けたのか、夫妻の間で展開されるままをそこで惚けて見ているだけ。

 しかし葉月さんは『嫌よ、はなして』と気強く夫が捕まえていた腕を振り払ってしまう。

「おかしいわね。貴方って南仏帰りだから女の子のノーブラにトップレスも慣れっこでしょう。だから妻のノーブラも平気かしらって試したくなったのよ。それに私……貴方の可愛い愛人さんみたいに大きくないから、していてもしてないくても目立たないと思うし……」
「わかった、俺が悪かった! だから今すぐここから……」

 すぐさまここから連れ出したいだろう隼人さんの手が、また妻を掴もうとしたのだが、それを察した葉月さんがひょいと避けて旦那さんの手からすり抜けていく。

「これでおあいこ。私も忘れてあげるから、貴方も私も恨みっこなしよ」

 そう言うと葉月さんは、ニンマリと悪戯な笑みをみせてひらりと階段がある出口へと駆けていってしまう。
 その間も、そこらじゅうで見ている男達が、若い青年も中年の男達も皆がミセスの無防備になっているはずの胸元へと視線を向けずにいられない様子。

「こら、葉月!」

 流石の御園大佐が慌てて追いかけていく姿。だが葉月さんは階段を降りようとする手前で振り返ると、旦那さんに向かって『あっかんべー』をしてトンと軽やかにウサギのように跳ねる。一段一段階段を下りずに、一気に踊り場まで軽々と飛び降り消えてしまった。

「こら、じゃじゃ馬、まて! そんな格好で基地中を走るなっ」

 ノーブラで逃走した奥さんを隼人さんも追いかけていってしまった。

 シンとしたカフェテリアでは、皆が呆然とした顔を揃え固まっていた。あの連隊長でさえ……。

「ひ、ひろむ。俺は部屋に帰る。適当にランチをテイクアウトして持ってきてくれ」

 眼鏡を押さえながら、『俺には理解できん』と呟きならががっくりと項垂れ、一人エレベーターに乗っていってしまった。もう怒る気もないようだった。
 連隊長のお咎めもとりあえずナシで収まったよう? だからこそ、まだ誰もが何を見ていたのか意識をあの夫妻にさらわれたままになっていた。
 だが、英太の横にいる華子は。

「ミセスって、すっごい身軽!」

 また目を輝かせて、凄いものを見たと嬉しそうな顔。

「それに……あの大佐をあんなに慌てさせて……! ノーブラなんてすっごい度胸!」
「んなわけないだろう。最初からあのミセスはちゃーんと仕掛けをしていたんだよ」
「どういうこと?」

 華子の耳に、今度は英太が種明かしを耳打ち。すると静まりかえっているカフェテリアに響く程、華子がケラケラと笑い出した。

「あー、すっきりした! あの大佐の慌てる姿が見られるだなんて。奥様最高!」

 げ、お前。お客で来ているのに、見ず知らずの隊員が多い中で目立つような大声で笑うなよ――、英太はそう思って華子の口を塞いだのだが。あちこちから、同じように女性達のクスクスと笑う声がこぼれてくるのを聞く。

『本当ね。やっぱりじゃじゃ馬奥様にはいつまでも振り回されそうなお婿さんだったわね』
『ミセスのじゃじゃ馬さん、久しぶりに見た気がするわ』
『きっと大勢の前で懲らしめたのも、大佐の愛人ごっこなんて悪い遊びもこれで終わりだから、これ以上はなにも噂するなと基地中に知らせたかったのよ』

 女性達も華子同様、どこかすっきりした顔をしていた。
 そして男性達は。

『見えたか?』
『見えなかったなあ。あの女性、そんなに大きくはない方だと思うけど、ノーブラなら絶対に見えているはずだって』
『あのミセスのこと。見えないように細工してから来たんだろ。手抜かりあるか。あのミセス准将だぞ』
『それにまんまと旦那が騙されたワケか』
『俺達もな!』

 そこまで話が流れていくと、どこからも可笑しそうに笑う声がカフェテリアに広がっていた。

 騙して騙し返して、やっぱりあの夫妻らしい張り合いで終わったな――。

 どこからともなくそんな話し声が雷神と一緒にいる英太のところにも聞こえてきた。

「ああいうの、夫妻っていうのかな」

 夫妻が立場も年齢も忘れたかのように追いかけっこをして去っていった出口を、華子はとても感動したようにいつまでも見つめていた。
 そして英太も思う。悔しいけど……。でも、そうあれが俺を受け止めてくれた二人の姿。あんな二人だから英太はここにいる。ここで空の高見を目指している。あの人達と一緒に。だから。

「俺もそう思う。きっとあの人たちはなにがあっても夫妻なんだ」

 そう言い切った英太を、華子がちょっと心配そうに見上げている。
 だが、英太はそんな華子の手をそっと握った。それだけで、こちらの彼女も英太の言いたいことも秘めている気持ちも、それが少し複雑なことも、全て理解してくれた微笑みをそっと見せてくれる。

「なーんだ。エイタ、お前、彼女がいることを隠していたなっ」

 手を繋いで見つめ合う二人を雷神の先輩達もビーストームの先輩達もじいっと見ていた。
 そう言われ、英太じゃなくて華子が慌てて繋いだ手を振り払おうとしていたのだが、英太はぎゅっと握り直し離さなかった。

「おいおい。お前達ももうどっかにいっちまえっ」

 いつまでも黙って英太が華子を見つめているので、あの華子も真っ赤になって俯いてしまった。

「あのキャプテン。ミセスが今日は早退して彼女に島を案内するようにと、車まで貸してくれたんですけど……」
「ああ、そうなのか。いいぞ。ミセスがそう言ってくれたならそうしてやれ」

 直属の上司の許可も得て、英太は迷わずに華子の手を引っ張ってカフェテリアを出ようとする。
 すれ違う男性隊員に女性隊員からも『大尉の恋人だったのか』と冷やかしの声が飛んできた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 一人帰ってきた准将室。伴っていたテッドが帰ってこない。本当に気が利く側近、今からどうなるかを判っていて帰ってこないか秘書室に控えているのだろう。
 准将席のゆったりとしたいつもの皮椅子に座って、葉月は白い夏シャツのボタンをゆっくりと外し、胸元を開いた。

 両胸にべったりと貼られているガムテープ。それを見て一人笑みを噛み殺しながら、それらをゆっくりと剥がした。乳房が露わになったところで、ノックの音が聞こえてくる。
 だが葉月は黙っていた。いまは誰にも会いたくない……。だがノックの音は止まない。それでも葉月はやり過ごした。
 部下なら反応がなければ秘書室に尋ねて、側近達から取り次ぎの内線がかかってくるだろう。それも無視すれば誰もこの部屋に入れない。
 だが。その准将室のドアがかちゃりと開いた。無視をしても入ってきても良い男がこの基地で三人いる。葉月も頭が上がらない細川連隊長、そしてこちらも上司となった副連隊長の海野准将、そしてもう一人。

「入るぞ」

 夫の隼人が不機嫌な面持ちで入ってきた。大佐といえどもこの夫は部下でも平然と入ってこられる男。

 夫の顔を見て葉月は椅子をくるりと回し、彼に背を向け、シャツの襟元をぎゅっと握った。

「まったくお前は。本当に思わぬ事をしてくれるな」

 准将席にぽいとブラジャーが投げられた。黒髪をかき上げ、夫がつかれた溜め息をこぼすとガックリと肩を落としていた。

「謝らないわよ」
「わかっている。俺も怒れる立場じゃないからな、今回は」

 妻以外の女、しかも若い女の子の肌をどんな理由であれその唇で愛でたこと、それを妻が責め夫が反省している。
 でも葉月もあの口づけの跡を見て、本当に夫がなにを求めて何を頼んでいるかわかってしまったから。怒るよりも夫のその気持ちを痛い程理解してしまったから。

「嘘つき」

 背を向けたままそう呟くと、隼人が『なんで』と訝しそうに聞き返してきた。

「奥さんを愛するように愛してと頼まれて、あのキスマーク? 嘘つき。貴方はあんな愛し方はもうしないじゃない」
「そうだな。あんな愛し方俺もしたくないんでね。それに誰が素直に夫妻だけの秘め事を晒すんだよ。絶対に教えるもんか」

 葉月の身体に刻まれた傷跡を慰めるようにキスをしたり愛撫をしたり。結婚後暫くはそんなこともたまにあったが、隼人はもう、そんなことはしない。何故なら……。

「私の傷に触れることは、嫌なことを思い出させるから……貴方はもう触りもしない。それどころかまったく見えていないように愛してくれるもの」
「いつか言っただろう。嫌なんだ。俺が愛している時に、お前が嫌なことを思い出すことも、……俺以外の男を思い出すことさえ、あの男のことなど俺達の愛し合う時間に割って入ってくるなんて、絶対に許せないからな」

 そう聞いただけで。葉月は夫の愛に涙がでそうになる。傷が見える胸元の襟をぎゅっと握りしめる。

「……だから私。貴方が彼女に頼まれたのに、あんな跡を敢えてつけて私に引き渡したこと。きっとそうだろうと思って……」
「彼女を見て。ずっと前のお前に似ていると思ったんだ。世の中の幸せを拒否して、素直に受け入れない。男はただ女を喰うだけの生き物と憎んで、そんなことに怖れてたまるか屈するものかと身体を簡単に投げ出すところ。世の中で生きていること全てに喧嘩を売っているところ」
「私も、そう思った」

 夫が若い女性に触ったことがわかっても、でも打ち合わせていなくても夫が何を言いたいのか、妻に何を頼んだのか通じてしまった。
 それに葉月には実感が湧かなかった。夫が彼女に触って楽しんだなんて想像が出来なかったのだ。もし本当に隼人が楽しんでいたとしても。でも、やっぱり葉月には『隼人さんだから、あの様にした』としか思えなかったのだ。実感があったり妻であれば、英太が言うように顔を真っ赤にして怒るのがまともな妻なのではないか。嫉妬も湧かないだなんて。この人を愛していないのではないかとさえ思ってしまう。でも。

「悪かったな。俺の我が儘に付き合わせてしまった。嫌だっただろう」

 いつのまにか。座っている葉月の足下に、夫が跪いて葉月の顔を覗き込んでいた。その手が伸び、葉月の頬にそっと触れる。

「有り難うな。でも、彼女……お前のことを知って、わかってくれたんだと思うんだ」
「ええ。私に抱きついてごめんなさいって泣いたわ」

 そう伝えると、やっと隼人の頬が緩み『そうか』と安堵した顔。

「それにしても。貴方、今回は愛人やら、ブラジャーを獲るとか酷いわね」
「まあな。ちょっと気になっていたことがいろいろあったもんで」
「やっぱりね。正義兄様も言っていたわ。私のところの本部員は情報提供の素早さはお見事って嫌味をね」

 それを聞いて、また隼人が可笑しそうに笑う。

「連隊長らしいな。でも……気になっていたんだ。ここのところカフェに行くと、空部隊でしか解らないような話が話題になっていることがあって。例えば、雷神の訓練の内容。雷神のパイロット達は自分達の活躍や成果をべらべら喋って自慢するような男達ではないから、それでなければ、エースコンバットの話題で基地中が盛り上がっているムードに流され、空部隊大本部の奴らが自分達のことのようにエキサイトしてその日のフライトがどのようなものであったのかを自慢してしまっているのではないかと……」
「そうだったの。まさか、そんなに口が軽いだなんて思っていなくて……」

 選び抜いたはずの隊員達だからこそ、葉月も今まで信頼してきたつもりだった。
 しかし。だからとて毎年若い隊員も入隊してくる中、いつもそのレベルが保たれているわけではないことを、今回痛い程知った気がした。

「正義さんも気が付いていたかもしれないぞ。あの人のところの情報網は、俺とお前が張ってきた網以上に情報を拾ってくる。俺かお前が本部の穴に気が付かないまま、取り返しのつかない事態が起きたら……。連隊長もそれを案じていたかもしれない。正義さんはリスクを負うのがお嫌いだからそうなる前に厳しい監査をいれようとしただろう。その時点で管理不行き届きとして、それだけでもミセス准将であろうとも今後の戒めとして厳しい処分を下すようになるのではないか。そう案じていたところだったんだ。そんなことになったら手遅れだ。だから、ちょっと試してみたんだ。劇的な情報じゃないと喋りたくならないだろ。しかも誰もが分かり易くて、でも大々的に話すには憚る話題をな」

 危機感は夫の方が素早く察知していたようで、葉月としては改めて青ざめる思い。しかし、それでも。

「にしては。いきなり愛人はひどくない?」
「これが雷神の任務情報だったら懲罰ものじゃないか」
「それぐらい本部員だってわかっているわよ。懲罰になるような情報なんて喋るものですか」
「そうかな。情報の重要性で喋っても良い喋ってはいけないだなんて判断は良くない。本部で管理している情報は小さなことでも門外不出が原則だ」
「そうだろうけど……」
「嘘の愛人情報で気が付いて済んで良かったじゃないか」

 なんて隼人は笑い飛ばすだけ。愛人が嘘情報だったから良かったものを。まったく騙された本部員の方が可哀想に思えてきた葉月。

「一度だけ、お前の反応も見てみたかったんだけど。これは俺の負け、撃沈だったな」
「負けって何よ」
「あ、そうか。俺はなにもかも負けたのか。あんな大勢の前で奥さんに仕留められちゃったし。大恥だな!」

 またまた旦那さんが大笑い。今度は葉月が負けた気分になる。この人、大勢の前で恥をかかされてもちいっとも堪えていないし、悔しがっていないと。

「でもさ。あれで助かった。大勢の前で俺が一発、奥さんにおしおきをされておけば、今回のこともまあだいたい隊員達の中では流してくれるだろうってね」
「そりゃあねえ。大佐たる男が、しかも御園の婿たる男が、それもあの御園大佐が。旦那としても男としても、あんな情けなく妻に投げ飛ばされたら誰だって気が済むでしょう」

 ふてくされて言い捨てたのだが、でも……膝元で葉月をずっと見上げて見つめている彼は、それでもいつもの優しい目で微笑んでいた。

「そう思って。あそこでお前も待っていてくれたんだろう」
「……だから、貴方も簡単に投げ飛ばされたのでしょう。逆らう様子もなく、私の手に従って流れるように任せてくれたから、とっても投げやすかったもの」
「いやー、流石、亮介お父さんの娘。久しぶりに鮮やかだっただろうな。見たかったなー」

 また夫が明るく笑い飛ばしている。
 それを見た葉月は、今度は呆れるどころか胸が熱くなってくる。だからつい、そのまま目の前にある優しい黒髪の頭に抱きついていた。

「ばか、隼人さんのばか。どうしていつも私のために自分を格好悪くしちゃうの」

 強くその頭を胸の中へ抱いた。するとはだけている肌に夫の熱い息を感じた。

「別に。俺は格好悪いだなんて思っていない。俺は俺がやってみたいことをやっただけ。お前を巻き込んでしまったけれどな」

 そう言って、隼人の手がそっと葉月の胸の傷に今日は触れた。

「薬、使わせてしまったか」

 准将席の上に薔薇細工の入れ物。それを見て、申し訳なさそうな顔になる夫。だから葉月はよりいっそう強く夫を抱きしめた。

「いいのよ、貴方。いいの」
「ごめんな。でも放っておけなかったんだ。英太も彼女も」
「そんな貴方だから、どうしようもない女の子だった私を愛してくれたんじゃない。わかっているわ、貴方がどんな男か私が一番良く知っているんだから」

 ひらすら抱きしめると、胸元に熱い感触。今度は傷がない白く綺麗な肌に、隼人が強く吸い付いていた。

「ひとつで充分だろ。奥さん」
「ええ、充分よ。沢山なんていらない。たったひとつ、強く長く深く愛して」

 乳房のすぐ上の柔らかい肌に、良く知っている赤黒い跡が残った。
 そして隼人はその後、すぐに乳房の胸先も迷わずにその唇の奥まで吸い込んでくれた。まさか、そこまでここでしてくれるとは思わなかった葉月は思わず『あ……』と女の吐息をついてしまう。

「貴方……」
「ここだってお前だけだ」

 そう言って強い甘噛み。そしてついた跡には最後にもう一度、今度は優しいキス。

 隼人の唇が離れる。たったひとつだけのキスマーク。それを互いに確かめて、二人は見つめ合う。そして隼人の手が、露わになっている乳房にそっと触れた。

「なにか貼って見えないようにしていたのか」

 剥がした赤い跡も残っているのをみつけた隼人が、それをなぞった。

「ガムテープを貼ったの」
「ったく。お前もいろいろ考えてくれるなあ」
「貴方が悪いのよ」
「そうだ。ぜーんぶ俺が悪い」
「この口が、悪さをしたのよ」

 そう言って、葉月は夫が噂をばらまいたり女の子の肌に触れた唇をつまんだ。『いて』と隼人が顔をしかめるのだが。次には葉月は笑って、夫の顔を引き寄せ妻からの口づけ。

「愛人だなんて。そんなに私の愛が足りないの。素っ気ない妻だから」

 唇を吸いながら囁くと、夫のふっと笑った熱い息が葉月の口元をくすぐった。

「足りない、全然足りない。だからお前はずっと俺に補給をしなくちゃならないんだ」
「そうね。この悪い口にね、」

 最後のおしおき。葉月は隼人の唇を軽く噛んだ。また『いてて』と目をつむった夫を見て、もうこれでお終い。彼に微笑んでいた。

 口づけが終わると、機嫌が直った妻に安心した隼人の優しい手が、するすると葉月の白シャツを脱がしてしまう。『だめよ、だめよ』と言っているうちに、葉月の上半身は裸にされてしまった。
 夫だから傷も隠しはしないが、流石に自分の仕事場では躊躇い、葉月は両手で乳房を覆ってしまった。

「手を出して」

 隼人の手には、ラベンダー色のブラジャー。言われたとおりに手を差し出す。
 隼人からゆっくりとした手つきで、葉月にブラジャーを着けてくれようとしている。葉月も自分の手で乳房をレエスのランジェリーに包み、ホックは隼人の手が背中に回り丁寧に静かにつけてくれる。そしてまた大事そうに妻の身体を白シャツで包んでボタンも彼がひとつひとつかけてくれた。

 もうそれだけで。私だけの夫の手。それを葉月は心ゆくまで実感できた。

「もし……本当に貴方に愛人が出来ても。私、あの家で部屋でずっと貴方を待っている。貴方が『もうお前を愛せない』と言うまで、ずっと」

 そう言うと、隼人の黒い瞳がひときわ輝いたのを葉月は見る。その瞳がどこまでも葉月を見つめ、そして最後には椅子に座っている妻を、その大きな胸の中へと広く優しく抱きしめてくれていた。

「そんなこと、あるもんか。あるわけないだろ。俺がお前と一緒にいたくて作った家なんだから。俺だってお前と出会った時、孤独だったんだ。それをお前が……連れ出してくれたから……今、俺は……」

 この人が泣きそうな声でそういったから、葉月の瞳からも熱い何かがこぼれ落ちてしまった。

 だが、そんな愛しい夫を抱きかえし葉月はひとり胸の中呟く。
 ――やはりこの男しかない。
 夫でも愛している男としてでもない。ミセス准将として。

 

 

 

 

Update/2010.9.3
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