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4.びんた一発

 

 ――どうして。これからが本当のエースコンバットじゃなかったのか!

 夢に描いていた。
 ベテランの先輩達を蹴散らし、末っ子の俺が名実共に『お前がエースだ』と言ってもらえる日を。
 なのに。なんだこれは? いきなり『おめでとう』だなんて。そんなもん俺、望んでいない――! 胸の奥で響いた叫び。

 正々堂々と戦った末のエースの称号。基地中が注目し、絶大な権威を持つ連隊長とミセス准将が共に監督し、絶対的な公平を約束された環境での『冠争奪戦』。崇高な競い合いの中、基地中の誰からも応援されながら……。だからこそ、雷神パイロットの誰もが誇りを持って戦い、納得して辞退し、去っていくのを見送った。
 その誰もが認めているクリーンな競い合いの中で、『鈴木英太が勝者、エースだ』と言われる日は、最大の難関でライバルであるスコーピオンを突破して空母艦をたった一人でロックした日、あるいは名高い雷神の選ばれた男達を一人残らず撃墜できた日。その日に英太は胸を張って『やった。俺は全力でこの冠を獲った』と叫びたかった。その時にもらえる先輩達からの祝福に賛辞、そしてそして……。『正に白稲妻だったわ』。栗毛の、あの茶色いビー玉の瞳を輝かせ、いつもは笑ってくれない人がそう言って着艦した英太を微笑みで迎えてくれる。
 それを夢見て、それを目指して、それを……望んで、だから苛酷なコンバットを勝ち上がって。

 なのに……。
 英太が望まないまったく予測できない瞬間に『冠』から勝手に両手の中に落ちてきて、呆然としているかんじ。
 落とし物の王冠を『これ落ちていたからあげる』と、ただ歩いている時に葉月さんから手に持たされた感覚――。

「……っざけんな」
「英太」

 いつもならなりふり構わず、目の前の絶対的上司であるミセス准将に食ってかかっているはず。なのに唇が震えているだけで僅かな声しか出ない。言葉が続かない。

「英太。これは、ね……」

 そんな聞き分けない弟に、優しく問いかける姉貴のような声。そんな声なんか!

 拳を握り、英太はミセス准将の前から背を向け、この将軍室を飛び出していた。

『待って……!』
『いい、俺が行く』

 葉月さんと隼人さんの声が聞こえてきたが、英太はドアを開け走り出す。

「待て。まだ話の途中だぞ!」

 御園大佐の声。でも英太は構わずに走る。どこに行くか? 決まっている。スナイダー先輩が待機している俺達の事務所、第1空部隊の第1飛行隊、イコール雷神班室だ。

「待ちなさい、バレット!」

 甲板で呼ばれているような声に、英太は思わず立ち止まった。

 准将室から出てきた葉月さんが先に追ってきた御園大佐を退かせ、英太へと向かってくる。
 その目が既に、甲板のミセス准将の険しい目に変化していたので、英太もそこで固まった。あの目には無条件に捕らわれる。雷神の男達はその目に誰もが支配されているのだから。

 そうして躊躇しているうちに、葉月さんが睨むようにして英太の胸元まで迫ってきた。
 長身のパイロットに向かってくる細身の女上官。だが威圧されているのは体格良い英太の方。上目遣いで下からぐっと睨みあげるミセス准将の気迫に、ついに一歩後ずさってしまう。

「どうして辞退したか迫っても、貴方がそんなでは本心は教えてくれないと思うわよ」
「どうしてだよっ。なんで先輩ほどの男がせっかくファイナルに到達できたのに、到達できたその日に辞退するんだよ!」

 先輩が教えてくれないなら、理由を聞いた葉月さんが教えてくれよ。そう言いたい目で、英太は葉月さんを真っ直ぐに見た。いつもの揺るがない眼差しとかち合い、また英太の心臓がぐっと固まった。

「自分がスナイダーだったら、どう感じるか。彼の気持ちを思いやってから、彼のところに行きなさい」

 先輩の気持ちを思いやる? だが英太の頭に浮かぶことはひとつしかない。

「許せなかったんだろ、自分が。先輩はプライド高いからな。俺なんかと組んでやっと1対9に行けたから、そんな自分が許せなかったんだ。1対9にランクアップするには、必ず誰かに助けてもらってアップしてくるんだ。俺だってそうだ。最後、ランクアップする時、キャプテンのおかげで1対9にアップできたこともあるし、フレディと組んでアップしたこともある。それまで必ず誰かの力を借りているんだ。それを……俺がやっと、やっと、先輩もファイナルステージにチャレンジできるようにって、今日だって!!」

 ライバルが同じステージにやってきたら英太だって心中穏やかではなくなる。でも、そこを分かっていて敢えて、全力で先輩がランクアップできるようフォローしたのに。
 それを、それを。あの先輩は英太の気持ちも無にしたのだ。

 だから英太は、ミセス准将を目の前に堂々と言い放つ。

「逃げたんだ。今度は1対9で俺に負けるのが嫌だったんだろ!」

 その叫びを聞き届けた葉月さんの表情が一変、英太はドキリとさせられる。それと同時に何かがすっ飛んできた!

 スパン――。
 通路に響いた破裂音。その音と一緒に頬がぐいっと横に流され、英太は思わずよろめいていた。

 気が付けば、頬が熱い。傾いた身体のままの英太が次ぎに猛烈に感じたのは、痛み。じんじんとするそこを手で押さえる。

 殴られた。あのミセス准将に、平手打ち『びんた一発』。叩かれたのだとやっと認識。

「は、葉月さん……」

 思わず。彼女が上司だと忘れ、英太は慕うお姉さんの怒りをかってしまったことに呆然とさせられる。だが、彼女の顔が物語っていた。
 甲板でもあまり見せたことがない、表情を見せない彼女が露わにしたその顔に。いまにも『ギリッ』とした歯ぎしりが聞こえてきそうな悔しそうな顔を見せていた。

 彼女のその顔を見て、英太はやっと悟った。

「お、俺……。でも、俺だって……」

 あのミセス准将が唇を噛みしめながら、振り上げていた手をそっと下ろした。そしていつも冷めているあの目に、微かな涙を見て英太は胸を突かれてしまう。また自分は若さに任せて、浅はかで独りよがりなことを言ってしまったのだと悟ったのだ。

 事務室内の本部員が、外の様子に気が付いてざわつき始めた。それでも隼人さんだけはいつも通り、妻を見守るようにして背後で黙ってみているだけ。

「なにをしている」

 険しいその声が英太の背後から。だが振り向かずとも誰の声か直ぐに解った。この基地で誰もが畏れている声。だから、あの葉月さんですらハッとした顔になる。

「葉月。呼んだはずなのにいつになったら、誕生したエースを連れてくるのかと待っていれば。また、こんな……」

 細川連隊長が、眼鏡の奥から細く冷たい眼差しを投げかけ、側近の水沢中佐とそこに立っていた。
 一階下の部下の城へと降りてきた王様と言ったところか。だからその場が一気にシンと静まりかえった。

 そして細川連隊長は毎度の含み笑いをみせると、葉月さんだけをじいっと見ている。
 基地一怖れる男の目は耐えられないのか。あのミセス准将が、連隊長からさっと顔を背けてしまう。それを見た細川連隊長は『はは』と小さな笑いをこぼし、葉月さんの目の前をうろうろ。彼女の顔をいつまでもじろじろと見下ろしている。

「へえ。アイスドールの目に涙ねえ」

 英太はギョッとさせられる。真っ正面向かっていた英太しか分からなかっただろうミセス准将の小さな小さなちょっぴりの涙を、こんな大勢の前で暴露。黙っていれば『氷のミセス准将が、若僧相手に涙を浮かべた』なんて分からずに済んだのに。それをまたもや意地悪そうなこの連隊長がわざわざ口にし、それどころか楽しそうだった。

「これはこれは。自分がスカウトしてきたパイロットからエースが誕生して、感激してしまったのかねえ。それとも? 思ってもいない結果になって、いちばん泣きたかったのはもしやお前だったのかもしれないな」

 ぐっと睨まれるように落とされる冷ややかな視線を、あの葉月さんが受けきれず顔を逸らしてばかり。そんな葉月さんも意外だが、『いちばんガッカリしているのはお前』と言われていることに捕らわれ驚かされる。それはつまり……心の底では、英太と同じ気持ちだから?

 叩かれた頬を英太は押さえる。痛さも熱さも。これって葉月さんと同じ痛みなのかと。

 だが連隊長は多くの空部隊隊員が注目する通路で大々的に叫んだ。

「本日、雷神のバレット、鈴木大尉がついにエースコンバットを制し、エースの称号を獲得した」

 まだ一握りの人間しか知らないことを、連隊長自ら発表。彼がそう決めたら、もう英太も逃げ場がない。
 何も知らない本部員達は『ついに』という驚きの顔をみせた後、『バレット、おめでとう!』、『ついにやったな』、『大尉、おめでとう。よかったわね!』と様々な祝福の声を届けてくれる。
 いちばん戸惑っているのは英太。こんなはずではなかったから、その心よりの言葉が受け止められない。誰も、英太がどのようにエースを獲得したかなんてまだ知らないはず。知っている甲板補佐官もミセスが正式にアナウンスをするまでは、黙っているのが常識。それでも知らない彼等にとっては、連隊長がそう言えば『どのような結果』でも、待ちに待っていた『エース誕生』なのだ。

「直に、基地全体で正式授与式を行おうと思う。空部隊本部でもその心積もりを頼んだぞ」

 『すごいことだ』と男達が拍手に沸く。英太はますますいたたまれない気持ちになる。

 そうじゃない。そうじゃない。実力で獲得したんじゃない。スコーピオンと一騎打ちで勝ったのではない。『状況勝利』に過ぎない! こんなの俺の勝利じゃない!!

 ――やめてくれ! 
 連隊長と数々の祝福を跳ね返すように叫びそうになる一歩手前。

「おやめください!」

 連隊長のアイスドールが叫んだ。

「どうしたミセス。お前がいちばん待っていたのではないのか、この日を」

 眼鏡の冷ややかな眼差しが再度、葉月さんに注がれる。今度の葉月さんは、その男の目から逃げずぐっと見つめ返している。

「鈴木はいま聞かされたばかりで、まだ上手く飲み込んでおりません。ウィラードも。その決意をした心情を汲んでくださいませ。せめて今日だけでもそっとしておいてくださませ」

 誰もが手放しで喜べる状態ではない。お祭りのように騒がないで欲しい。葉月さんの雷神を労る気持ちが英太にも伝わってきた。
 それだけ――。誰もが思い描いていた『祝福の日』ではないということ。

 しかし、そこはまた意地悪な連隊長。そんなミセス准将の労りの気持ちを耳にして『ふん』と鼻で笑った。

「師弟でそっくりだな。『甘ちゃんのお嬢ちゃん』。そのお嬢ちゃんが見つけてきた弟子パイロットも『甘ったれたガキ』だしな」

 英太だけでなく、その上司である葉月さんも揃って、この連隊長が甘ったれと言った。『こんなエース誕生あってたまるか!』といつもの如く子供っぽく反抗した自分だけが言われるならともかく! 心の中で英太は憤ったのだが。

「連隊長は空を飛んだことがないから、この結果でも良しと許せるんです」

 葉月さんが連隊長に歯向かった! でも英太が言いたかったことを言ってくれた!

「俺がパイロットのことなどなにも知らないと言うのか」
「如何にもこの結果が当たり前だなんておっしゃらないでください。バレットにもスコーピオンにも思い描いていた空があるんです。でも届かない。それだけ空が苛酷なのに、1対9だなんて理想を最初に掲げたのは連隊長ではありませんか。だから陸にいるだけの貴方になにがわかると……」

 パン――!
 また、あの音が響いた。そこにいる皆の息が引いた様子が伝わってくる。そして英太も目を丸くし硬直。
 そこには先程の英太のように、思いっきり頬を叩かれた葉月さんが頬を押さえよろめいていた。

 あのミセス准将が部下の前で、細川連隊長に思いっきり叩かれた姿。

「現実を受け入れろ。これで『エース誕生』とする」

 公然としたこの場で、連隊長がきっぱりと言い切った。

 

 

 

 

Update/2010.11.20
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