-- 世界でいちばん --

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5.大人ってわからねえ

 

 大勢の部下の前で、ミセス准将が連隊長から『びんた』をくらう。
 そこにはなにも言い返さない葉月さんが頬を押さえ、悔しそうに唇を噛みしめうつむいていた。
 この人の、こんな姿なんか……。だが彼女が平手打ちをくらったのは、上官として冷めた感情になりきれない、パイロット部下と同じような気持ちを持ってくれていたからだった。

 言い返さずとも納得していないミセス准将のふてくされた顔を見て、また連隊長が呆れた溜め息をこぼした。

「確かに俺は理想的な形を組み込んだコンバットを指示した。なにも『理想を持つな』と否定しているのではない。『理想』の性質をよく知って目指すことが大切だと言っているのだ。そこを目指せばこそ、モチベーションもあがるだろう。だが現実的に考えても、1対9をクリア出来るだなんて奇跡に近いあり得ない話。まあ、訓練は必要だろうから、やるだけやることは良いことでもある」

 コンバットを実施させた張本人である連隊長が『1対9など無理』と最初から期待もないかのように切り捨てたので、流石の英太も『なに』と片眉がぴくりと動いてしまった。

「それに俺は監督をしているミセスにも常々伝えたではないか。バレットかスコーピオンが1対9をクリアするだなんて夢のようなことなど考えるな。辞退により生き残った男がエースとなるだろうと」

 その通り。連隊長の予想通りの結果が、この日、起きていた。本当に彼の見通し通りだったということなのだろう。
 それでも、葉月さんは絶対的上官である細川連隊長の言葉に納得していないようだった。
 そんな葉月さんの心情を初めて知り、英太はまた頬を叩かれた気持ちを知る……。
 本当は、葉月さんがいちばん悔しいのか。パイロットなら誰もが全力を出し切って空で散ってしまいたい。その気持ちで雷神のパイロット全ての男達が飛んでいることを思い遣って、そうして数々の辞退を聞き入れてきた。

 英太は熱い頬をさらにさする。この痛みは彼女の痛み。いま同じ頬に同じ痛みを一緒に持っている。
 この日まで、葉月さんはコンバットが始まってからもうずっと『男の辞退』を聞き入れてきたことになる。『もっと頑張りたいが、俺はここで限界です』と心に決めて退いていった男達が口惜しくも辞退していった悔しさを見届けてきた。そして今日が最後。ファイナルまで到達したにもかかわらず、スコーピオンがそこで辞退。
 ――『どうしたの。スコーピオン。せっかくここまで来たのに。あと少し、あと少し、頑張れない? 信じているのよ。貴方だって、英太のように』。
 そう言ってくれそうだ。なのに……。英太はこの時初めて、スナイダー先輩になりきろうと考えた。
 ――『もう無理です。分かっているんです。バレットと組んで初めてファイナルに行けた。このままもう少し頑張ってみたとしましょう。バレットも苦辛しているファイナル。俺自身も大変な苦難となりなかなかクリアすることは出来ないでしょう。それに俺も限界です』。
 そこまで思い浮かべた英太は、最後に、数々のベテランのパイロットが『ある理由』を口にして辞めていったことを、スナイダー先輩の理由として考えてみた。
 ――『俺も、もう若くはありません』『バレットのように、若くはありません』。
 そう付け加えたが、英太は首を振る。やはり、そんな理由は彼には似合わない。三十半ばのスナイダー先輩。今がいちばんの絶好調のピーク。経験もあり、体力もあり、技術を駆使して自由に飛べるピーク。だからこそ今、エースになるべきではないのか。――だったら、なぜ、辞退?

 だがそれを連隊長が教えてくれる。

「バレット。お前に分かるだろうか。男が『衰退』という抗えないものを自ら受け入れ屈し、後から来た若者にその道を譲り退いていく時の悔しさが。ミセスはそれを悔しがっているのだよ」

 やはり。考えたくないが、『それ』だったのかと英太はガックリ項垂れた。
 そして連隊長は、そんな葉月さんを静かに見下ろし、彼女の肩に優しく手を置いた。それは手厳しい兄貴が妹を労るかのような、英太にはそんな連隊長の姿が静かな大人の男に見えた。

「諦めずに理想を追えば、何事も望む結果がやってくるだなんて思うな。現実は理想を目指す間にあっという間に過ぎていく。空部隊トップのお前がそんな青臭いままでどうする」

 彼が本日いちばんに言いたいのはそれなのだろう。その一言は憤った英太にも通ずる。『なんでも理想通りの喜びで結べるとは限らない』。スコーピオンと一騎打ちのファイナルステージ、そこでの勝利。その形は巡ってこなかったが、それでも英太はエースになった。それが現実、それを受け入れろ――と連隊長は言っている。
 こうしてみていると、先程のミセス准将と英太のように見えた。今度、聞き分けないガキは葉月さん、そして諭して言い聞かせようと大人の顔をしているのは連隊長。
 そんな葉月さんの姿を見てしまったら、英太も溜飲が下がる。俺達のミセスが同じようにして『真っ向勝負の一騎打ちでエースを誕生させたかった』という英太の気持ちも、『衰えを前に若者に道を譲った中年パイロット』というスナイダー先輩の気持ちもちゃんと分かって、でも残念に思ってくれているその姿を知れたから。

「兄様、わかっております」

 葉月さんもやっと落ち着いたのか、いつにない穏やかな微笑みで、肩にある連隊長の手をそっと外した。
 この場で『兄様』と呟いたので、流石の連隊長も少しばかり戸惑いを見せた。

「パイロットがコックピットで活躍する年月は意外と短いものです。そのうえ、守り養う家族があれば尚更に力加減を覚え実力にブレーキをかけがちになります。『いま、自分は自由に空を飛んでいる。活躍している。思い通りに飛んでいる』。その手応えを感じられるのも、ほんの数年。若ければ恐怖と戦い、それを克服してパイロットのプライドに誇りを持ち、その活躍に栄華を味わう。それが過ぎれば待っているのは下り坂。どこが引き際か、どこが潮時か。誰もがなり得ないコックピットのシートに選ばれた一握りの男達でさえ、その苦悩に苛む……」
「そう。俺の親父もそうだった。まだ飛びたい気持ちは大いにある顔をして、それでも潔く去る為の心積もりを整えるまでが苦しそうだった。子供心に『まだ若いじゃないか』とも言いたかったが」
「だからこそ。短い間に悔いなきパイロットとしての日々を送ってもらいたいのです。それだけなのです」

 『そうだな』。パイロットとしての心情を静かに語った葉月さんの側で、あの連隊長がやっとパイロットの心に歩み寄ってくれたよう。
 眼鏡の銀縁を光らせながら廊下窓から見える青空を遠く見上げた。

「パイロットの誰もが通る道だな。もし、『小笠原エースコンバット』があと二年早かったら、あと五年早かったら。雷神がもっと早く復活していたなら。今から去っていく男達は皆、そう思ったことだろう。もし自分が現役だったら、雷神を目指したかったと思った男達もいたことだろう。パイロットなら誰もがそう思う……」

 空を見て呟いた連隊長のその言葉を聞き届けた英太の額に、急に汗がじんわりと滲み始めた。

 やっと、わかった!
 俺はなんて幸運なんだ――と。
 雷神という伝説のフライトが復活したその時、ミセス准将の葉月さんと出会えた。そしてこのありあまる体力に、身に付き始めた飛行技術。周りは全て年上で中年のベテランパイロットなのに対し、英太はたった一人だけ守る妻子もまだない恐れを知らない独り身。そんな時に連隊長が掲げたエースコンバットにチャレンジできた幸運。そして、兄貴達が次々と英太に道を譲ってきたこの二年。その兄貴達が前を歩いてきた軌跡を辿り、彼等が道を空け、だから俺は英太はここで『エース』と呼ばれるようになった。

「もしかして俺は……ラッキーだったのか」

 呆然とした呟きに、連隊長と葉月さんがハッとした顔でこちらを見た。悟ってくれた若者に、このトップの二人がいつにない柔らかな微笑みを見せてくれた瞬間。

「そうだな。バレット。雷神の兄貴達が、お前に幸運と栄光を運んできてくれたのかもしれない」

 だから『甘ったれるな』。やっと、葉月さんに叩かれた訳も、連隊長に『甘ったれたガキ』と言われた意味を理解した。
 そしてなによりも……。スナイダー先輩が辞退した気持ちも……。

「俺……。兄貴達が胸張れるエースになります」

 やっと。心からそう言えた。そこにいる連隊長を真っ直ぐに見て言った。誓うように。
 だから細川連隊長も、眼鏡の奥にある黒目を満足そうに緩め頷いてくれる。

 名を馳せたパイロットを父親に持つ連隊長。本当はパイロットの気持ちを知っている。でも、彼も葉月さんと同じ『冷めた隊長であるべき』、『俺が青臭くなってどうする』。それを一番言い聞かせているのは彼自身。だからこそ、今度は連隊長である彼が、葉月さんの青臭さを垣間見て憤ったのかもしれない。
 そうして繋がっていく、上司と部下の血脈。英太はそれを見た気がした。

 彼が改めて、空部隊本部に両手を広げ声高に叫んだ。

「雷神のエースパイロットの誕生だ!」

 ワアッとした歓喜と拍手が湧き、それが英太を取り囲んだ。

 理想と願っていた喜びとは違った。だが……英太は思う。
 ――『これで良かった』。一騎打ちで勝ち得たならきっと己一人の力で成し遂げたと思い上がったかもしれない。そうじゃない。ここに来るまで、どのような道が作られてきたかを知ることが出来た。

「これからが試練だと覚えておくんだな」
「はい、連隊長!」

 やっと激励され、英太も胸を張って彼に敬礼をした。
 最後は、この人に祝福して欲しい。そう思った英太は、そこにいる葉月さんへと向いたのだが。

 葉月さんはまだ笑っていなかった。どうしてと、その茶色の瞳と視線が合った途端、彼女が『っう』と手で顔を覆って足早に去っていってしまったのだ。

 え、葉月さん?
 祝福の渦の中、いちばん祝って欲しい人が。あの無感情なミセス准将が、まるで涙を見られまいとばかりに何処かに行ってしまったのだ。
 そこでまた連隊長が溜め息。

「だから、甘ったれ姫だっていうんだ」

 この人にかかれば、あの葉月さんも『いつまでも甘いお嬢ちゃん』という事らしい。

「だが。あの葉月がミセス准将という立場で感情的になって熱くなったり涙を見せたりするところ。久しぶりにみさせてもらった」

 眼鏡の顔で急に彼がニヤリと笑ってみせる。そして『お前、あのアイスドールを感情的にさせるなんてなかなかやるな』と英太の耳元に可笑しそうに囁いた。

「見つけた青年がエースになり、去っていく先輩を思い遣ることが出来るパイロットに。そりゃ『母心、姉貴心』で接してきた葉月にとってこれほど嬉しいことはないだろう」

 『行ってやれ』。連隊長に背中を押されていた。喜びで涙を見せたアイスドールのところに、お前が行ってやれと。
 でも、それは……俺じゃない。そう思った英太はずっと妻の背後で彼女を見守っていた隼人さんへと振り返った。
 彼と目が合う。この時になってやっと、離れて傍観していた旦那さんが彼女の後を追うように動き始めたのだが。

「澤村。ここはお前がいる場所じゃない。さっさと工学科へ帰れ」

 妻を追いかけようとした御園大佐に、またもや連隊長が冷酷な言葉を投げつけた。
 また英太は凍り付いた。だが、それはあの隼人さんも……?

「もちろん、帰りますが」
「お前もいつまでも、葉月の後ろにくっついて女房を甘やかすな」
「私は甘やかしてなどは……」

 どんなことが起きても妻一人にさせようと傍観している夫に対し、それでも連隊長は『女房を甘やかしている』と言い放った。
 そこは流石に、妻の手を放して見守っている夫には聞き捨てならない一言のようで、いつも余裕顔の隼人さんの頬がひきつっているのを見てしまった。

「英太。お前が行け」

 ミセス准将の傍に行けと命令されたのは、英太の方。トップの指示でも戸惑う。

「ここは旦那じゃない。パイロット同士だ。行け」

 顎で強く指示され、英太は言われたとおりに彼女の後を追いかけた。

 

 本部横の階段へと消えていった葉月さんを追ったが、もう姿が見えなくて途方に暮れた。
 とりあえずでも階段を駆け下りると、『英太』と呼び止められた。振り返ると、隼人さんがいた。

「グラウンドの芝土手、一本木立の木陰だ」

 流石、旦那。そして長年、ミセス准将の背を見てきた男。彼女がどんな気持ちの時にどこへ行くか良く知っている。

「それと、これ」

 階段の上にいる隼人さんが、ピンと指で弾くようにして何かを投げてきた。
 銀色にきらきら光って飛んできたそれを、英太もぱしりと受け取る。確かめると五百円玉だった。

「陸部訓練棟、一階にある自販機のレモネード。それがずっと好物で、あいつがこの基地で働いている合間の密かなご褒美だ」

 それを買ってもっていってやってくれ――ということらしい。
 それだけ英太に伝えると、隼人さんが背を向けてしまう。本当は自分が行こうとしていたのに。ただ連隊長に釘を刺されただけのことなのに。

「あの、別に俺が行かなくても。連隊長だってちょっと言っただけで……。旦那さんが行ってあげたほうが……」

 だが隼人さんは肩越しに手を振って、空部隊本部の廊下へと消えてしまった。

 奥さんがどこに行くかも、なにを欲しているかも、なにもかもわかっている男なのに。

「なんだよ。オジサンもオバサンも難しいなあ」

 スナイダー先輩は、あっさり辞退するし。
 葉月さんはアイスドールのくせに、今日に限って怒ったり泣いたり。
 連隊長は、公認の夫妻を引き裂くようにして、あの隼人さんを手厳しく高官棟から追い出すような嫌味を言ったり。
 そして隼人さんは、なにもかも知り尽くした妻の後を追いたいだろうに、上司にあんなことを言われただけであっさり退いてしまったり。

 まったく。大人ってわからねえ!

 

 

 

Update/2010.11.21
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