◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 22.どこに消えちゃったの、中佐殿  

 

 はい。お二人とも、こちらを見てください。
 広報室の写真撮影室で、心優は真っ白な正装制服姿になって、御園准将と並んでいる。
「おふたりとも、少しだけ身体を斜めに向けてください」
 広報室の隊員が慣れた手際でカメラを準備し、綺麗に写るように姿を整えてくれる。
 ミセス准将も、この日のために真っ白な正装制服姿になってくれた。立派な肩章に、煌びやかな金モール。白い手袋に、白と黒の制帽。心優も同じく、ミセス准将が贈ってくれた少尉の肩章付きの白いジャケットを着てきた。綺麗な金モールも、ミセス自ら心優の肩に丁寧につけてくれた。
 そしてそんな女性二人をニヤニヤと眺めている男性も一人。
「ねえ、あそこの男の人が目障りなんですけれど」
 写る姿を整えた御園准将が、カメラをセットする広報室員の背後にいる御園大佐を軽く睨んでいる。
「いや〜、教え子と奥さんが撮影だっていうなら、覗きたくなるでしょう」
 いつものふざけた旦那さんの顔で、御園大佐はずっとニヤニヤしている。
「なに。私が真面目に撮影に応じたから、それが面白いの」
「奥さんが素敵に写るなら見たいっていうのが、旦那心だろう」
「よく言うわよ」
 いつものどつきあい夫妻の会話に、広報室の隊員達が苦笑いをしてやりすごしている。
 ――はい、行きますよ。
 シャッターボタンを片手に持ったカメラマンの合図に、心優は御園准将と並んで微笑みを浮かべる。
 カシャッとした音、そして一瞬のフラッシュ。そこでカメラマンが、カメラに記憶されたデジタルの画像をみて、ちょっと表情を止めた。
「うん、お二人とも素敵ですね。もう一枚」
 同じようにシャッターとフラッシュ。またカメラマンが不思議そうに首を傾げる。しかも、その後ろに控えていた御園大佐が真顔になっている。さっきまで奥さんをからかって楽しんでいたのに。
「ねえ、隼人さんも一緒にどう」
 ミセス准将の一声に、撮影室の空気がピンと張り詰めたのを心優はかんじてしまう。
「は? なに言っているんだよ。俺だけ、正装じゃないなんて嫌だよ」
 御園大佐が急に慌てて、しかも『部下の澤村』の口調ではなく、すっかり『葉月の夫』の言い方になっている。
「ありますよ。ここに。各衣装、サイズ、万が一のために揃えておりますので。それ、いいじゃないですか!」
 広報担当の少佐が嬉しそうに飛び上がった。そしてカメラマンも。
「ミセス准将が、妹のような女性護衛官と並ぶと優雅な微笑み。しかも! ご主人の澤村大佐とツーショット。こんなこと滅多にありませんよ!」
 広報室の隊員二人が揃って大興奮。今度は、それをみた奥様がニヤリと笑う。
「澤村大佐、着替えてきてよ」
「いや、それは」
「心優も、恩師の姿をお母様に紹介したいわよね〜」
「……そ、そうですね。できれば……」
 それは二人揃って自分と映ってくれたら、こんなに凄いことはないと心優も嬉しい。でもなんだかミセス准将が旦那さんを困らせている魂胆がわからない。
「つまんない。澤村が一緒でないなら、不機嫌な顔で写っちゃおう」
「それ、いつもそうじゃないか」
 心優も思い出す、そう言えば。ミセスが広報誌で取材されたお写真はどれも澄ましたお顔で、それこそ皆がよく言う『アイスドールの准将』だった。
「澤村が目障りで、私、不機嫌なのわかるでしょ」
 そんな奥さんの嫌味な脅しに乗るような夫ではないと心優は思ったのに。
「はあ、わかりました」
 御園大佐が折れると、広報室少佐が直ぐさま着替えるための控え室に連れて行ってしまった。
 暫くすると。そこにも立派な白い正装姿をした御園大佐の姿が。奥様より背も高いのでとても見栄えがする。そしてやはり、男性の軍服正装は惚れ惚れしてしまうものだった。
「まったく。こんなことになるだなんて」
心優を挟んで両隣に、御園准将、御園大佐をご夫妻が寄り添う。しかも正装で! 確かに、とんでもない状況におかれた気がした。これが広報誌で配布されたら、どうなってしまうのだろう!?
「いいですね! いや〜、こんな写真が撮れる日がくるだなんて、感激です。はい、行きます!」
 心優の隣で、お二人がどのような顔をしているのかわからない。心優もカメラに向かって微笑まなくてはならないから。
「もうワンカットだけよろしいですか。すぐに終わりますから」
 カメラをセットし直している間のこと。御園大佐がポーズを崩さないまま、心優を挟んで隣にいる奥様に話しかける。
「おまえが笑顔で写っているから、広報室の彼等が戸惑っていたじゃないか」
 カメラマンが不思議そうに首を傾げていたことを、心優も思い出す。
「そんな気分になることもあるわよ」
「ふうん、どんな気分。俺もびっくりだわ」
 心優の頭の上は、すっかり夫妻の会話になっている。
 だが、ミセスはそこで微笑みを残したままの顔で黙っている。ただカメラを見つめている。
「嬉しいのよ、ミユと写真を撮れたことが」
「確かに、ちょーっと歳が離れた姉妹みたいで、女同士の柔らかい雰囲気が出ていたよ。これは広報に華を添えるだろう。みろよ、彼等の嬉しそうなこと」
「いままであり得なかった、御園夫妻の写真まで撮れて――だものね。ありがとうね、隼人さん」
 そこで御園大佐が、協力したことにちょっと照れた顔をしていた。
「自分の基地の広報室からいい記事を出すことが彼等の役目だ。話題になるだろう、これは。ミセスと教え子にさらに華を添えるなら、やりますとも。やけくそですが」
 御園大佐が応じてくれたのは……。結局は奥さんが華やかになるなら、やれることは協力するということだったらしい。本当に影で輝く旦那様なんだなと心優は痛感する。
「それにしても姉妹ねえ……。私は、親子って言われても全然平気」
「まあね。彼等もどこかで『姉妹』とは言い難いが、まさか『親子』とも言えないだろうし? でも、いい画(え)だった、本当に」
「そう。嬉しい。……ちゃんと産んであげていたら、最初の子が、心優ぐらいだからね」
 最初の子? ちゃんと産んであげていたら? それがなにを意味するかわかった心優は絶句した。
「……そういうこと、いま言うな」
 そして御園大佐の声が、初めて心優に姿を見せた時のように怖い声になった。
「おまたせいたしました。では、もう一度、お願いします」
 カメラマンの声に心優は気持ちを改めて正面を見たが、正直、いまの『ご夫妻の新しい秘密』に頭が真っ白になった。
 だって。心優ぐらいの子供がいたかもしれないって? ざっと逆算しても、ミセスはその時未成年――。お相手は? 澤村大佐とは出会っていないはず?
「あれ。園田さん、どうかしましたか」
 カメラマンって怖い。ファインダーを通して表情の変化を読みとられた。
「いえ……」
 なんとか笑って見せた。
「隼人さん。パパになってくれるでしょ」
「……、ああ。なるよ。俺しかいないだろ」
「ありがとう」
 心優を娘のように見ていただなんて――。
 だから? 心優と撮影したかった? だから、笑っている?
 もしその子は生まれて育っていたら。父親ではない澤村大佐がパパになって? そんな疑似体験?
 でも、心優はそれでも構わないとふと思った。それでミセス准将の心の抜けない棘の疼きが癒えるのなら。それでも。きっと澤村大佐も同じ思い――。
「隼人さん。嘘笑いなら得意でしょ。頑張ってね」
「はあ? 笑わないおまえが笑う方が嘘っぽいと思っているよ」
「毎日嘘笑いをしている人の方が、お上手でしょう。私は隠していた微笑みを、心優のおかげでみせられているだけだから本物なの。失礼ね」
「なにを〜。毎日笑っている俺の方が本物」
「嘘くさい微笑みのプロが本物っぽくみせているだけでしょ」
 ご夫妻のやりあいが心優の両サイドで始まってしまう。
 でも……。心優はついに笑いを抑えられなくなって、頬を緩めてしまった。
「はい、いきますよ!」
 その瞬間をカメラマンが逃さなかったのか、そこでシャッターを切られた。
 そこで撮影が終わった。
「くっそー、ついに妻と夫で広報に載ることになってしまったじゃないか」
 御園大佐はすぐに着替えに奥へと消えてしまった。
「はあ〜。終わった〜」
 ミセス准将はもう伸びをしていて、いつもの気ままなお嬢様に戻っている。
「准将、ありがとうございました。いい記事になりますよ。きっと」
 広報室の少佐はほんとうに嬉しそうで、まだ興奮しているのか頬が赤い。
「記事の内容はラングラー中佐と検討してね。彼に押さえて欲しいことは伝えていますので」
「承知致しました」
 そこでミセス准将は夫が消えた奥を見つめている。
「いまパンツ一枚? ちょっとからかってこようっと」
 夫が無防備に着替えているところへと駆けていってしまい、そんなミセス准将が珍しかったのか、少佐もカメラマンも唖然としていた。
 そこに残された心優を、広報室の二人がじっと見ている。
「不思議だな。園田さんがいるだけで、お二人があんなに柔らかくなっているわけ? なんか、スカウトされてきたっていうのがわかる気がするなあ」
 広報少佐が心優をじっと眺めている。
 カメラマンにも聞かれる。
「ご夫妻で園田さんを挟んでなにか小声で喋っていたね。園田さんちょっと困った顔を一瞬したけれど、最後には笑っていたでしょう。あれ、なにを話していたのかな」
 心優が言うことももう決まっている。
「お互いの笑顔が嘘くさいって言い合っていました。喧嘩かなと思ったんですけれど、最後にはおかしくなっちゃって」
 『ちゃんと産んでいたら、心優ぐらいの歳になっている』という話は伏せた。
「なるほど、ご夫妻の普段の会話付きだったんだね。お二人ともいい顔をされていたので気になって」
「ほんとうだよな。奥さんがへそを曲げないように澤村大佐にご機嫌直しの役目で来てもらったのに。まさか奥さんの准将から旦那さんを誘ってくれるだなんてな〜」
「だよなあ。俺もびっくりした。撮れそうで撮れなかったショットだもんな」
 『おまえ、あっちにいけよ。もう准将室に帰れよ』
 奥から御園大佐が奥さんの悪戯に怒る声が聞こえてきた。
 少佐もカメラマンも笑っている。
 その少佐が改めて心優に言った。
「今度の記事が出たら、園田さんはもう怖いものなしになるよ。きっと」
「え、どうしてですか」
 少佐が言う。『御園というバックアップを得たも同じだよ』と――。

 その月の末に、広報誌が発行される。
 その記事は広報室の狙い通りに、基地中の話題になった。
 あのミセス准将が微笑んでいる。しかも夫と並んで、夫妻で写っている! と。
 そして心優は。ミセス准将が期待する女性護衛官として、または、御園大佐が自ら指導し少尉に昇格、教え子。夫妻に育てられる女性隊員として紹介された。
 基地の中、もう心優を知らない隊員はいない。会えば、皆が挨拶をしてくれるように――。

 そして母と父からも連絡があった。
 ――心優の少尉姿と、准将とお二人で写っているふたつの写真を見たよ。
 広報誌での華々しい掲載もあり、父も横須賀でいろいろな人に声をかけられるようになってしまったと照れていた。
 心優、頑張ったね。おめでとう。
 両親からも、労いの言葉をもらった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 空母に乗り込む二十日前。横須賀で最終の会議と顔合わせが行われる。
 心優にとってもミセス准将の護衛官として、初めて付き添うおでかけになる。
 准将と主要幹部が揃って行くため、この日は小笠原基地専用の上官移動用のセスナ機を出してくれることになった。
 数名乗りの機内に、ミセス准将と秘書室の側近数名と、護衛官、そして副艦長を務める橘大佐も一緒だった。共に機内に搭乗し、横須賀に向かう。
 ミセス准将の隣は心優が座る。その真後ろの座席に橘大佐がラングラー中佐と並んで座っていた。
 御園准将は窓際の席で静かに書類を眺めているのに、心優の後ろにいる橘大佐は騒々しい。
「これから基地外出張の時も、心優ちゃんが一緒か〜。いいねえ〜」
「初めての出張付き添いですが、よろしくお願い致します」
「うわ、若い女の子が俺達のチームに入ってくるって、いいじゃない。いいじゃない。葉月ちゃん、よく採用してくれた」
 橘大佐は、いつもこんな軽いノリ。どうしようもない冗談ばかり連発しているけれど、冷たい横顔を保っているミセス准将は、いつも呆れた眼差しで淡々として受け流している。
 こちらのノリの軽いおじ様大佐は、横須賀基地出身で、二年前に彼も心優のように御園准将たっての希望でヘッドハンティングをされた人だと聞かされている。その時に、やはり御園に引き抜きをされたことで、彼は中佐から大佐に昇進している。
 彼も当然、元パイロット。長沼准将と同僚で、長沼准将が管理職へと進んだのなら、橘大佐は現場管理職で横須賀のマリンスワロー部隊という広報を兼ねたアクロバット展示飛行の技と得意とするフライトチームを指揮する元隊長だった。
 つまり――。雅臣と鈴木少佐、両エースの元指揮官でもあった。
 長沼准将と同僚だったということは、ミセス准将とも同世代で空を飛んでいたパイロット同士ということにもなる。
 御園准将と橘大佐も、同じ空母に乗り込んで同じ釜の飯を食う同志。だからなのか、橘大佐はいつも御園准将に馴れ馴れしい。
 しかも最近になってようやっとミセス准将指揮下の雷神訓練に空母へと付き添うようになった心優にまで……。
「なあ、心優ちゃん。久しぶりの横須賀だろ。俺も久しぶりの横須賀」
「そうですね」
「お父さんに会えるんじゃないの。転属してから帰省もしていないんだろ。あの広報誌良かったな〜。女子の上官と護衛官。華やかだったなあ。しかも、葉月ちゃんがにこにこしちゃって奇跡だよな」
 いつもこんな調子で、ものすごいお喋りな大佐殿だった。なのにラングラー中佐は彼がどんなに危なげな会話をミセスに投げかけようが放っている。大佐だから注意できないのかと思いきや、時々、橘大佐のあけすけな冗談を聞きかじって笑っていたりする。
 でもミセス准将はたまーにうるさそうにして眉間に皺を寄せる。
「はあ、もう。はしゃぎすぎ。いっておくけれど橘大佐、ミユに手を出したら許さないからね。海に放り投げてサメを呼ぶ」
「マジ顔で怒んないでくれる? 俺って現役時代から葉月ちゃん一筋だろ。独身を貫いてきたのになー」
 ノリは軽いが、橘中佐はミセス准将よりお兄さんで彼女の先輩パイロット。しかもまだ現役パイロット。指揮官だからもう搭乗することは滅多になくなったそうだが、乗ろうと思えば今でもコックピットに入って操縦できるのだそうだ。しかも結婚したことがない『独身』。どこか若々しいのはそのせいなのか、その年齢であっても女性関係も割と派手とか。パイロットで大佐で空母指揮官で独身なので、基地の女の子達が注目している『独身男性の一人』でもあった。
 そんな男性だから、いつも女の子のことばかり口にしている。でもそれが重たくなりがちな指揮チームを柔らかくしているように心優には見えた。
「なにが一筋よ。オバサンより、若い子でしょ。男の人は。基地の女の子と遊んでいる噂ばっかり私のところに来るんだけど」
「なに。葉月ちゃん、もしかして、俺が若い子贔屓になったら嫌だなって危機感もってんの」
「持ってません。まだまだ女の子達が橘さんのこと放っておかないんだから、早く結婚してよ」
「愛人枠、いつ空くの」
「もとより、愛人枠ありません」
 ――というように、こちらも旦那様とのどつきあいに負けない、パイロット戦友同士のかけあいでいつも賑やかだった。
「それより、橘さん。先日の訓練のこれ。どう。出航前に搭乗する編隊の総合演習でやった『対領空侵犯措置、模擬訓練』の記録」
「ああ、岩国基地と合同の」
 仕事の話になると、橘大佐が急に真顔になる。先週実施された対領空侵犯措置を想定した岩国基地との訓練の記録。小笠原の空母に乗るパイロット達が本国を防衛し、対して岩国基地の飛行隊が本国領空を侵犯する側を受け持ってくれた。その訓練の流れを記したものだった。ミセス准将から受け取ると真面目に自分の席に座って、橘大佐が静かになってしまう。
 すこし分厚かった書類をぱらりぱらりとめくる音が心優の背から聞こえてくる。
「向こうの新しい指揮官が組んだプログラムだったけど、すごく良かったと思わない?」
「そうだな。雷神の奴らが息を切らしていたもんな。対領空侵犯措置は、ドッグファイトのシューティング的な演習とは違って、『対距離感の駆け引き』だ。近寄られてはストレスになるし、向こうの動きと意図が読めないぶん苛立ちが募る。その『苛立ち』が元パイロットだけに岩国の大佐殿は、よーくわかっていたな。俺達パイロットが『こういうケースになると困る』というのをうまーく取り込んでくれていた。おかげで、雷神の奴らも他のフライト編成のパイロット達も甲板に戻ってきて数十分経ったらまたアラート発進、せっかく着艦してコックピットをでてきたばかりなのに――という顔だったよな。艦長もその状態を見計らって、待機する編隊を増やしたりする調整は見事でしたよ。こちらにはいい経験だった」
 指揮相棒の橘大佐の言葉に、心優の隣でミセス准将がニンマリと微笑んだ。彼女がこうした笑みを浮かべた時は、なにかを企んでいる時――。心優もだんだんとわかってきた。
「いっちゃうからね、私」
 心優はドッキリとする。『いっちゃうからね』? 悪戯を仕込んでいるじゃじゃ馬さんの顔だと思った。
「いいんじゃないの。俺は賛成……かな。司令にも伝えてあるんだろう」
「三日前だけれどね」
「三日前! ようやるわ。ほんと、なんでもやっちゃうね、君は」
「司令も慣れたと呆れていたけれど」
「そりゃそうだわ。司令に三日前にお願い事をして通してしまうだなんて、葉月ちゃんぐらいだ」
「なにいってんの。この合同演習の結果が動かしたに決まっているじゃないの」
 そうだろうけれど? と、橘大佐がどうあっても君の思い通りに進むのねと書類をぽいっとラングラー中佐へと放ってしまった。
 ラングラー中佐ももう知っている顔をしていた。心優はなにも知らされていない……。ただの護衛ということなのだろうか。まだ新参者だから?
「うふふ。楽しみ」
「葉月ちゃんが嬉しそうな時は、嫌な予感しかしない」
 さすがの橘大佐も呆れて、あんなに賑やかだったのに黙り込んでしまった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 わたしのボスになったミセス准将はいったいなにをするつもりなのだろう。
 この人と一緒にいると胸騒ぎばかり。

 久しぶりの横須賀基地に到着した。着陸した飛行機から降りると、空の色が異なっていることに心優は気が付く。
 あまりにも鮮やかな南国の色彩になれてしまったのだろうか。横須賀の空が優しい色に見えてしまった。
 会議は午後から。飛行機の中で御園秘書室が準備した軽食で昼食を済ませてある。
「葉月ちゃん。俺、スワローにいる相原のところに行ってきていいかな」
「よろしいですよ。相原さんに、宜しくお伝えください」
 では会議の時間に落ち合いましょう――と、そこで橘大佐と御園准将が別れた。
「准将。俺たち空軍管理官は会議の準備に集まることになっていますので、これで」
 空母のシステムと航行任務の全てを事務的に取り仕切っている空軍管理官長の中佐がそこでミセスと別れようとしていた。
「よろしくね、クリストファー」
 空軍管理長のダグラス中佐がにこやかに手を振って離れていった。
 准将の側には、心優が。その後ろにラングラー中佐とハワード大尉がついてくる。
「カフェテリアで、お茶でもしましょうか」
 御園准将と共にカフェテリアに向かう。
 懐かしい空気に心優は少しばかり泣きたい気持ちになってきた。半年前はここを当たり前に歩いてた。そしてカフェテリア。このミセス准将が来ると、雅臣が秘書室から消えてしまって気持ちを整えていた窓際の席――。それを思い出してしまう。
 ランチタイムがひと息つく時間帯だったが、まだまだ隊員達で混雑していた。
「准将。いかがいたしますか」
 ラングラー中佐が空いている席を探していたが、ミセスが側近と護衛と一緒にお茶をできるところはなさそうだった。
 その時だった。御園准将の側に、一人の男性が歩み寄ってきた。その男性を見て、心優はハッとして固まった。
「御園准将、もういらしていたのですね。ご無沙汰しております」
「塚田君、こちらこそご無沙汰しております。長沼さんはお元気? また後でゆっくりお会いしたいわ。本日はそちらも会議に参加ですよね。宜しくお願い致します」
 眼鏡の塚田少佐だったのだが――。心優は彼の肩についているものを知って、絶句する。それについて御園准将がさっそく触れた。
「先月、中佐に昇進されたのよね。おめでとうございます」
「ありがとうございます。突然のことでしたので、私もまだ実感が湧いておりません」
 塚田少佐が――。『中佐』になっている!
「こちらにおりました園田も少尉に昇進したようで、秘書室一同喜んでおりましたところです。しかも、御園准将と女性お二人と、少尉という昇格まで導いてくださった恩師の御園大佐とのお写真も広報誌で拝見致しました。女性同士のご関係、素敵な記事でした。これまた秘書室で話題になっていたところです。いいえ、横須賀基地中の話題でした」
「ありがとう。撮影も楽しかったわよ。ね、ミユ」
 御園准将の視線が心優へと向くと、塚田中佐とも目が合う。久しぶりだった。
「おかえり、園田。そして少尉への昇進、おめでとう」
「塚田さんも……。中佐へ昇進、おめでとうございます。驚きました」
「俺だって。まさか園田が半年で少尉になるとは思わなかったよ。横須賀にいる時は三年の計画だったからな。やはり御園大佐の手腕には敵わなかったというところだね」
「そんな……。塚田中佐と城戸中佐がわたしを秘書室に採用してくださったから、小笠原ともご縁がありましたのに」
 城戸中佐もお元気ですか――と聞こうとして、心優はふと引っかかったものが……。
 え? 塚田さんが中佐になったということは? 長沼准将秘書室に中佐が二人? そんなことあるの? ――と。
 そこで心優が言葉を止めてしまったので、会話が途切れてしまった。だが目の前の、ラングラー中佐も塚田中佐も、そしてミセス准将までもが、ちょっと戸惑った顔を揃えている。
 先にその場を収めようとしたのは、やはりミセス准将だった。
「塚田君は、中佐の昇進と共に長沼准将秘書室の、秘書室長になったのよ。室長の補佐をしてきて下積みもしているから経験も充分。『交代』の際には誰も文句は言わなかったそうよ」
 『交代の際』? 心優は青ざめた。
「では、その、室長だった城戸中佐は……」
 ラングラー中佐と塚田中佐が困ったように顔を見合わせている。でも、ミセス准将に助けを求めるようにしてなにも言わない。
 だから、御園准将が心優に告げた。
「転属したらしいわよ」
「転属? ど、どうして……ですか……?」
「どうしてかは、長沼さんに直接聞いた方がいいわよ。私からはどうにも」
 長沼准将の意向ということらしい。
 そんな、横須賀でもトップの指揮官層にいる長沼准将の秘書室から転属だなんて。不本意な出来事でパイロットの道を閉ざされ、でも、そこにある空部隊を護るための指揮官の下で秘書室長にまで上りつめた男が、どうして今更、出て行くことに?
「准将、お席をお探しですか。私が確保して参ります」
「いいえ、もうよろしいわ、塚田君。他の隊員達がくつろいでいる時間帯だから、遠慮しておくわ」
「でしたら、こちらの秘書室にいらしてください。長沼はランチに出ておりますが、いずれ帰ってきますでしょう」
「そう? よろしいかしら。もう、ついそちらには甘えてしまうわね」
「光栄でございます」
 塚田中佐はもう立派な秘書室長の風格だった。ずっと雅臣の補佐をしてきたから、それはもう当たり前なのだろう。
 だけれど心優はもうなにも考えられない。
 臣さん、どこにいってしまったの!? 今日、アナタに会えると思っていたのに。頑張って甘えた自分を律してからアナタに会いたかったのに。
 どこに消えてしまったの?

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 塚田中佐の招待で会議の時間まで、御園准将と共に長沼准将隊長室で休憩させてもらうことになった。
 御園准将が到着すると、すぐに長沼准将も外から帰ってきて、またこちらもいつもの化かし合いのご挨拶。
 心優も久しぶりの長沼准将隊長室。長沼准将秘書室で久しぶりの歓迎を受けて、親父さんやお兄さん達から昇格のお祝いをしてもらった。
 雅臣が使っていたデスクには、いまは塚田中佐のネームが置かれている。
 本当にいなくなっちゃったんだ……。
 心優は哀しく、そこに彼の影を思い描いている。
 秘書室の誰も、彼のことには触れなかった。心優が聞いても、きっと教えてくれない。そんな空気を感じている。
 長沼准将に聞けば教えてくれるのだろうか。ミセス准将の口ぶりから、隊長に直接聞けという言い方だった。どうも『隊長に聞かなくてはわからないほどのことをさせている』と聞こえた。つまり聞くなということ……。
 そんな心優の寂しそうな表情に気が付いてくれたのか、塚田中佐がそっと教えてくれる。
「会議が終わったら、教えてあげるよ。まずはそれからだ」
「ほんとうですか」
 彼が頷いてくれたから、心優はその時に教えてもらうことにした。

 

 御園准将が艦長を務める航行任務の最終確認。その顔合わせと、最終調整の会議が始まる。
 今日は『司令』もやってくる。空母艦が航行する時、任務に就く時。その空母艦を動かす長は『艦長』だが、その任務全体の指揮と責任を持つのは『空母航空団司令(CAG)』。艦長が海上現場を動かし、司令は陸の中枢にて空母艦と飛行隊の全てを司る総指揮官。ミセス准将のボスということになる。
 その司令が『駄目』と言えば、それまでとなる。御園准将が思い描く航行を実施するには、すべて空母航空司令が容認するかしないかにかかっている。
 会議室は、よくあるデスクを囲いにして、それぞれが対面できる形になっていた。
 いちばん上座にある立派な皮椅子。そこに後ほど、空母航空団司令(CAG)が着席することになっている。
 御園准将はその角合わせになる列のいちばん先頭に座る。その隣に空母航空団司令(CAG)の配下で地上で艦隊を補佐するため長沼准将が座った。さらにその隣に副艦長を務める橘大佐が控える。
 次々と横須賀の高官達が席に着き、その後ろには側近と護衛がパイプ椅子に座って控える形に。
 数々の書類が机に束ねられ、ずらっと人数分並べられている。
 心優もミセス准将の真後ろに控えた。とても緊張する。広報誌でしかみたことがないお偉いさんばかりが集まっている。
 しかもすぐ目の前に、そのうちに空母航空団司令(CAG)が来るかと思うと心臓が飛び出そう……。
「御園君。広報誌をみたよ。その後ろの子? 園田教官のお嬢さん」
 向かいの席に座ったのは師団長だった。
「はい。ご覧くださりまして、ありがとうございます」
 御園准将が楚々とお辞儀をする。栗色の毛先がしっとりと動いて、今日はいつも以上に女性らしい匂いが漂った。
「君が笑うだなんて、驚いたね。何度も眺めてしまったよ。しかもご主人の御園大佐とまで、見応えがあるねえ」
「私も拝見致しましたよ。御園准将。女性同士だとやはり柔らかでいいですね」
 隣に座った業務隊長もご機嫌な様子で、ミセス准将に声をかける。それにも御園准将は楚々とした微笑みに留めて、柔らかなお辞儀をするだけ。
 それだけでも、どうもおじ様達は嬉しいようだった。
 その後も高官達が側近と共に続々と会議室に来るのだが、その高官もミセス准将を一目見れば、広報誌のことを挨拶代わりにして心優にも挨拶をしてくれた。
 そろそろ用意された席が満席――。その頃になって、ミセスの隣にいる長沼准将が落ち着きなく腕時計を眺め始める。
「御園准将。まだ来ないようだけれど、大丈夫だよね」
 彼が橘大佐の隣の席をみた。そこはまだ誰も座っていない。
「ミセスが司令に許可をもらったのが三日前だったらしいからな。ものすごく慌ててるんじゃないの」
 橘大佐もそこに誰が座るか知っている様子だった。そして御園准将が黙り込む。
「間に合わなかったのかしら」
「司令より遅れてくるだなんてことないよな」
 流石の長沼准将でもそわそわしている。
 その時だった。そろそろざわめきが収まって、司令がやってくるお時間。揃いに揃った高官達が並ぶ会議室のドアが開く。
「遅くなりました」
 そこに現れた男を見て……、高官達のざわめきが止まった。
 誰もが驚きの顔を揃えて並んでいる。それは、心優も同じ――。
 御園准将が立ち上がった。
「間に合ったわね、城戸大佐。席はこちらよ」
 心優は耳を疑った。『大佐』!?
 しかも、彼が……懐かしい彼が、こちらに向かってくる。
 あの日のまま、彼は颯爽としている。でも前より少し肌が浅黒くなって、日に焼けていた。
 臣さんの男らしい空気はあの時のままで、でも顔つきが変わっていた。どこか晴れやかで今まで以上に爽やかな微笑みを湛えている。
「余裕無く到着しまして、申し訳ありませんでした」
 制服姿の雅臣がミセスの前にやってきてお辞儀をした。心優の目の前に現れた彼の肩章は、たしかに『大佐』のラインと星。
「こちらこそ、ギリギリの辞令になって悪かったわね。岩国から慌ててきたのでしょう」
「いいえ……、大丈夫です。この度は、お力添え有り難うございました」
 ――『司令、入ります』
 会議の進行を勤めているのは塚田中佐だった。彼の声で会議室が静まる。
「司令がこられるから、まずは座って」
 落ち着いている准将に促され、雅臣が橘大佐の隣に空いていた椅子に座った。
 だけど心優の頭の中は大混乱!
 岩国から来た? 准将が言っていた三日前に許可が出た? 
 とにかく。雅臣が大佐殿になって急に現れた。しかもどうしてこの航行任務の会議に参加しているの? 全くわからない!

 

 

 

 

Update/2015.2.4
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