◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

TOP BACK NEXT

 24. 列島震撼、コーストガード襲撃事件

 

 真っ正面に横須賀司令部総司令官、夏目中将。彼を前にして、職務停止にて任務業務から外された海東司令と御園准将が並んで座らされている。
「横須賀中央司令部、総司令本部の大崎と申します」
 もう一人控えていた眼鏡の中年中佐が挨拶をした。
 総司令の本部といえば、この中央司令部を司っている中枢だった。そこに配属されている中佐が手元にいくつもの書類をがさがさと音を立てて眺めている。
「まず、ここまでに至った経緯について、空母航空団司令、航空艦隊艦長であるお二人に確認をしたくきて頂きました。ただいまからの質問に答えて頂きます」
 眼鏡の中佐がひと息入れ、また書類を確認している。
「まず、午前○時○分 大陸国より不明機が接近したため、横須賀中央管制指令センターより、御園艦隊へのスクランブルを要請。ただちにスクランブル発進を実施。その後、国際緊急チャンネルより対国のパイロットより通信あり。その際、兼ねてからの要望『御園艦長を出せ』との要求を受けるが受け入れず、そのまま対空侵犯処置に入る。さらに午前○時○分、対国パイロットの兼ねれから宣告通り、本国の雷神飛行部隊の1機が6機に取り囲まれたため、本国のパイロットの安全と侵犯措置の効果がなかったことを考慮し、以後、横須賀中央官制指令センターより『今後、侵犯した航空機については迎撃、撃墜の許可』の指示が出る」
 淡々とその経緯を大崎中佐は読み上げる。
「ここからです。海東少将、確認いたします。この『迎撃、撃墜許可』について、空母の御園准将にはきちんと伝えたか教えて頂きたい」
「はい。確かに伝えました。彼女は上空で対戦中の雷神を指揮していたため、官制員から彼女へという形になっています」
「御園准将、その指示をきちんと受け取りましたか」
「受け取りました。私から城戸大佐に指示をし、城戸から雷神各機へ伝達しております」
「では、御園准将は『以後、領空侵犯する不明機については撃墜する責務をわかっていた』ということでよろしいですね」
「はい。雷神には撃墜体勢を準備させました」
 心優は息を呑む。それを知っていたか確認していたか伝えたか、その指示を理解していたかという追及を目の当たりにしている。
 威圧的な視線を送ってくる夏目中将の顔も怖い。隣にいる大崎中佐の冷めた声の確認をじっと聞いているだけなのに、こちらをずっと睨んでいる。
 そのプレッシャーを目の前に、並んで座らされている御園准将と海東司令は質問にきちんと正直に答えている。
 大崎中佐の『午前○時○分――』にどのような指示が送られ、どう連携が取られていたかという分刻みの確認が続く。雷神が空を飛んでいる時、鈴木少佐がコーストガードが攻撃されている映像を撮影できた経緯について、どうしてそんなことをした、どうしてそうなったという割り込みも一切なく、起きたままのことそのままのことが時間軸で確認されていく。
 そのうちに心優も落ち着きをなくす。徐々にあの決断を答えねばならない時間帯に来た。

午前○時○分、雷神飛行隊7号機『バレット』パイロットの鈴木少佐よりコーストガード巡視船が着弾した映像の報告。
 
午前○時○分、空母から中央官制指令センターにて受信、確認。さらに空母に接近する漁船三隻も確認。
 
午前○時○分、対処について、海東少将より空母飛行部隊の近海に待機している護衛艦からの迎撃許可と砲撃射撃許可ため緊急要請が出る。御園准将の空母でも万が一の措置について配置確認を始める
 
午前○時○分、園田中尉とフランク大尉により不審者報告、園田中尉の伝達にて吉岡二等海曹よりブリッジ封鎖ロックの要請、御園准将の指示により即座に管制室、指令室、艦長室などの指令機関室内にて侵入を防ぐために室内ロック、封鎖――
 
午前○時○分、空母指令室長、御園大佐より、ブリッジ指令フロアの通路にて不審者数名の侵入を確認との報告。先導者はフロリダ本部より極秘警備に配備されたハーヴェイ少佐との報告
 
午前○時○分、雷神飛行部隊4号機『ミッキー』パイロットのベネット大尉からの報告にて、不審漁船にミサイルが搭載されていることが確認される。
 
午前○時○分、横須賀中央官制指令センターより、指定護衛艦に対空迎撃体勢、併せて砲撃射撃体勢が許可される。空母航空団司令の海東少将の指示にて、不審漁船に警告、照準ロックが開始される。
 
午前○時○分、不明機が領空に侵入、二分後に漁船と集団船舶を爆撃。雷神は撃墜体勢を取りながらの追尾のみ、侵犯に対しての撃墜実施はなし。確認のsu27、su35の六機はその後、速やかに退去。
 
「お二方、間違いはありませんか」
 大崎中佐の問いに、御園准将も海東司令も『間違いありません』と答えた。
 そこでやっと夏目中将が口を開いた。
「海東君が護衛艦からの迎撃と砲撃射撃の要請をして、私が許可を出したのはどのタイミングになる」
「ミサイルを撃たれた場合の対空の迎撃体勢を取っても良いという許可はすぐに出されましたが、『砲撃射撃をしても良い』という許可が出たのはミッキーがミサイルを搭載している映像を送信し、その映像からミサイルを特定、確認後です」
 この時点で、王子が言ったとおりになる。対空ミサイル迎撃に対してはすぐ許可は出た。でも迎撃なのであちらが撃たないと使えないミサイルについての許可だけ。『こちらから攻撃しないとそちらも攻撃できないだろう』と王子が言ったとおり。その後、時間を少し空けて後に『危険物を確認したため、撃たれる前にこちらから攻撃しても良し』との流れになっている。王子が言うところの『中央司令に確認を取っていたら時間がかかる』はこれに当たるのだろう。
「砲撃射撃許可が出て、海東君はどうした」
 夏目中将の視線が海東司令へ。だが海東司令もしっかりと受け止め答える。
「護衛艦に砲撃体勢を取らせていたため、照準を合わせているところでした。周辺に民間船舶がいないかの確認、そして雷神が上空を飛んでいたため退避させる必要もありました」
「その時、御園准将には『護衛艦が砲撃射撃を開始するからそれに対して準備をせよ』という伝達はしたのかね」
 海東司令が黙り、そこで申し訳なさそうにうつむいた。
「……伝達までには至りませんでした。しようとした時……、フランカーが……」
 ほんの数分の誤差、御園准将が王子との交渉を成立させてしまい決断、実行。こちらの動きが早かったということらしい。
 夏目中将の目線が今度は御園准将に、とても険しい恐ろしい目。海東司令を見る目とは異なっていて心優は密かに震える。
 でも、御園准将もその恐ろしい目をきちんと受け止めている。
「国際緊急チャンネルの問いかけには応答しない決まりになっていたが、御園准将は侵入機のパイロットに応答したとある。どうしてそのようにしたのかね」
「雷神とsu27の六機のドッグファイトを見ていて、対国の彼等がそれまで攻撃的だったのに、ただただ訓練のようにドッグファイトをして、侵犯をした目的を示さず戯れに時間のばしをしているように見えたためです」
「見えたから。それでどうして応対した」
「彼が私にどうしても言いたいことがある。それだけを聞きたかったのです」
「聞いてどうしようと思ったのかね」
「もちろん、不利なことには無視をする。そうでなければ、いまのこの状況を突破できる糸口があるかもしれない。聞くだけなら聞き捨てようが拾おうが大差はないと判断しました」
 夏目中将の目がますます鋭く御園准将を睨んだ。
「そして君は、侵入機のパイロットと勝手に交渉し、勝手に領空侵入を許可し、勝手にこちらから指令で出ている『撃墜実施』に従わなかったというのだね」
「はい」
「侵入を許したsu35は対艦ミサイルを搭載していた。対国の戦闘機が自国から来た船より、元より摩擦があり敵視していた空母を、君を騙して簡単に侵入迎撃を解除させた状態で爆撃するとは思わなかったのかね」
「もちろん、迷いました」
「その迷いが許可という判断にさせたのはなんだ」
 総司令の厳しい声にも、御園准将は躊躇せずに返答する。
「フランカーのパイロットの家族が人質に取られ、脅されての指令で動いていると知ったからです」
 その情報はまだ伝わっていなかったのか、さすがに夏目中将が驚き、そこで一旦口をつぐんだ。そして大崎中佐の資料をめくっているが、やはり見つからないらしい。
「わかった。だが、それもフランカーのパイロットの出任せだと君なら疑ったはずだ」
「聞いたのはフランカーのパイロットからではありません。ハーヴェイ少佐が『フランカーのパイロットは家族を人質にとられているから、侵犯をして撃墜される危険を冒してでも、雷神が侵犯船舶を爆撃しないよう上空で引きつける指令をやらざる得ない』と発言し、私とフランカーのパイロットが直に交渉するのを恐れた様子をみせたからです。フランカーのパイロットの言葉を信じれば、ハーヴェイ少佐にとって確かに不利になると判断しました」
 また、今度はメインデスクにいる総司令官も中佐二名もそろって息引いたように驚き固まっている。それは隣にいる海東司令も『そんなことになっていたのか』と漏らしたほどだった。
「フランカーのパイロットはなんと言っていた」
「こちらの国のことはなにも気にしなくて良い。自分達の家族のことも気にしなくも良い。妻は良くわかっている。後始末は自分達でしたい。それがどうしても必要なことだからやらせて欲しいと切に願っておりました」
「だから、許可をしたというのだね」
「さようでございます」
 いつものアイスドールの無表情さではっきりと返答した。
 心優も改めて思った。卑怯な少佐よりも、王子との絆がいつのまにかできていて、そして声を聞き合っただけで御園准将と彼は疎通ができていた。
 これが会って話したことがある『力』? そうとしか思えない。
 そこで夏目中将が眼鏡の大崎少佐が持っている書類を一緒にめくって、ひそひそと小声でなにやら話し合っている。
「最後に。御園准将。対国のパイロットとの交渉について、どうして海東司令に報告し指示を仰がなかったのか」
「間に合わないと思ったからです。su27のパイロットはもう攻撃が始まると言っていましたし、不審船がどのようなミサイルを準備していたかわかりませんが射程距離に到達し攻撃を受ける危機回避の緊急を要していました。コーストガードのようにこちら空母も砲弾やミサイルなどを撃ち込まれたら炎上は避けられなかったでしょう。その際は、空母艇体のみならず艦載機は爆破破損、死傷者も出ます。領空侵入の許可をしなければ漁船から攻撃を受ける、許可をすればもしかするとフランカーから対艦ミサイルで爆撃されるかもしれない。どちらにせよ、爆撃される危機にある。ですが『騙されていたとしても』あちらの国の事情と利害が一致したため、一縷の望みにて、被害がでないほうを選びました」
 そこで夏目中将が席を立った。そしてそのまま御園准将と海東司令が座っている正面にやってきた。
 中将が正面に立ったのは御園准将のほう。もう心優は彼の目が見られない。光太もそう、行儀良く膝の上で握っている拳が少し震えている。
「御園准将、覚悟はできてるのだろうね」
「はい。もちろんです」
「どのような処分でも構わないのだね」
「はい。悔いはありません」
「わかった」
 それだけいうと、夏目中将は背を向け、メインデスクの真ん中の席へと戻っていった。
「こちらにて検討をする。報告には二、三日かかると思う。他隊員からの聴取も参考にする。しばらく司令部内の指定場所のみの拘束を続行する。待機するように」
 そこで、この夜の短い聴取は終わってしまった。
 夏目中将と大崎中佐がこの大会議室を退室する。
「御園准将、貴女って人は……」
 海東司令が若白髪の頭を項垂れたまま、声を詰まらせこちらを見た。
「海東司令、このようなことになり申し訳ありません」
「だがクルーは護った。それに元々、貴女とは一蓮托生の覚悟、沈む時も一緒。案じないでください」
 『少将、そこまでです。言葉を交わさない約束です』。こちらも厳しい監視の元の拘束だったのか、司令部の補佐官に会話を止められ、海東司令も退室を促される。上官と部下で口裏合わせをさせないようにということらしい。
 それでも海東司令も覚悟ができているのか、溜め息ひとつだけ付くと胸を張って立ち上がった。そのまま監視の補佐官に連れられていく。
「御園准将も、お部屋へ戻って頂きます」
 こちらも春日部中佐と司令部の補佐官に促され、最後にこの大会議室を後にする。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 それから二日が経とうとしていた。
 大勢の幹部に囲まれての査問があるかと構えていたのに、そんなことはまったくなかった。
 葉月さん曰く『到着してすぐに、総司令官直々の査問は異例。本来はもっと下の幹部が行って、総司令は報告待ちのスタンス』なのだと。なのにその異例が行われた。
 春日部中佐がICレコーダーで録音をしていたことにも御園准将は気がついていた。
 『怖い顔をしていたけれど、あれも総司令のお気遣い。御園を落とそうとするいらぬ幹部の聴取で、こんな大事になった事件の追及を行わなければならないのに、心情ひとつで真実を曲げられては自分の責務にも関わると警戒をした。それなら自分が早めに直に聴取をして曲げようもない聴取の裏付けをする為でもあったのだと思う』――と御園准将は気がついており、『もう待つのみ』と悠然と構えていた。
 そのせいか、ただただ部屋にいるだけで暇。あんなに緊迫した空母にいたのに、横須賀は穏やか。暖房が効いている部屋、暖かな木漏れ日の窓辺。横須賀の優しい冬日和に包まれている。
 それぐらいになって、心優は急に雅臣が恋しくなってしかたがない。
 嘘、これから海軍大佐の妻として、陸に上がったらずうっとずうっと何ヶ月も一人で待たなくちゃいけないんだよ。こんなに辛いの? でももう寂しい!
 しかもうやむやなまま離ればなれになってしまった。自分が選んだ道とは言え、新婚なのにこれは堪える。
 それでも少し広い部屋に移してもらえた。簡易的なテーブルとソファーが窓辺にあり、カーテンで仕切って、同じ部屋でも男子ベッド女子ベッドと分けてもらえた。しかし部屋の周辺の狭い指定区域以外から出ることは禁止状態。
 なにも考えなくて良くなった御園准将は思いの外ものぐさだった。
 まるで猫のようにしてベッドにうずくまって、お嬢様から借りた文庫本も読んでしまったと投げだし、つまんなそうにしているのを気にした光太が『俺の音楽プレイヤーでも聞いてみます?』と試しに貸してみると、イヤホンをしたままますますぼんやりしているだけ。しかも背を丸めて座っているので、光太が『座禅の修行僧かよ』と喩えるほど。
 あれ男だったら髭面になるパターンだよね――と、准将が音楽を聴いているのを良いことに、光太とひそひそと話しては案じてしまう。
 そうして二日目の昼下がり、お世話役の総司令官秘書室の女性秘書官、山口大尉が部屋に入ってきた。
「見てください。御園准将からお聞きしたお紅茶、私も買っちゃいました!」
 拘束生活一日目の朝食の時に彼女が『お好きな紅茶で朝を迎えたいですよね。食堂のものですみません』と言いながら、『准将はいつもお気に入りはなにを選ばれているのですか。女性として知りたいです』とその場を和やかにするようにしてやんわりと聞いてきたのだ。
 それには紅茶好きの准将も喜んで答えていた。それを、彼女がいま目の前に。でも御園准将はベッドの上段で背中を向けて音楽を聴いて、窓の外を眺めているだけ。
「申し訳ないです。吉岡が音楽プレイヤーを手渡したら、ずうっとあの状態で、身体を触らないと気が付いてくださらないんです」
「まあ、そうでしたか。構いません。ティーポットも持ってきましたから、いまここで煎れますね」
 心優と光太が戸惑っている内に、さすが司令部秘書室の女性、テキパキと準備をして紅茶を煎れ始めた。ほのかな紅茶の香りが、いつも准将室でかいでいた香りがふわっと室内に広がった。
 それでやっと御園准将が振り返った。
「その匂い」
 イヤホンも外して、ついにベッドから降りてきた。光太がそっと『修行僧の岩戸を開くには紅茶だったか』と呟いたので心優は噴き出しそうになった。
「准将からお聞きしてどうしても欲しくなって昨日の帰宅時に買いに行ったんです。せっかくですから准将にもと思いまして」
 だからとて准将もすぐには飛びつかなかった。
「これも内緒? 昨夜も貴女が浴槽に『内緒ですよ』と入浴剤を入れてくれたのはとても嬉しかった。でも、これも春日部さんに知れたら叱られるんじゃないの。嬉しいけれどそんなに甘えられない」
 でも彼女がにっこり笑顔を崩さずに、さらに言った。
「高知沖の補給艦で届きましたお菓子、お気に召しましたか? 女性が喜ぶ極上のお菓子を送りたいと言われて私が選びました」
 心優と光太はギョッとした。あのお詫びのように届いた春日部中佐からの差し入れを。それを選ぶようにお願いされたのがこの山口さんということらしい。
 しかも彼女が急にすごいやり手の女性に見えてきた。それもそうか、これこそ司令部秘書官なのかもしれない。格が違う。やんわりとなにもわからない女性隊員と見せかけて、実はテキパキと下準備をして業務に臨んでいる。
「春日部からは、少しでも気分が和らぐお世話をするように言われております。残った紅茶は私が自宅で楽しみます。お気になさらず」
 つまり春日部中佐からは『何かしてやって欲しい。君に任せる』とされているらしい。そのやり方は彼女次第、差し入れと言って気遣わせないのも彼女のやり方なのかも知れない。
 実際に彼女は、この部屋に閉じこめられ出ることを許されない准将や心優に対して、女性らしい気遣いを沢山してくれた。お風呂には入浴剤を入れてくれ、女性がよろこびそうな髪が綺麗になるシャンプーとトリートメントの個装パウチを準備してくれたり、『お洗濯もされたいでしょう』と気が付いてくれ、ユニットバスの側にランドリーが付いている部屋に移動させてくれたのだ。
 その手配を全て彼女がやっているということらしい。その気遣いが御園准将に通じる。
「では、せっかくなので頂きます」
 御園准将がやっとティーカップを手に取った。きちんとミルクティーにして。
「ああ、おいしい。やっとこの紅茶が飲めた。ありがとう、山口さん」
「私も嬉しいです。こんな時ですけれど、ミセス准将のお好きなものが知れて」
 この屈託のない接し方上手いなと、心優も紅茶を戴きながら思ってしまった。優しそうなお姉様だけれど、これは侮れないぞ――と。
 なのに光太はきちんとした制服に綺麗に黒髪をまとめているお姉様をうっとり見ているだけ。心優は見なかったことにした。
 だが侮れないそんな女性にミセス准将がさらっとひとこと。
「それならば。山口さん、私、新聞が読みたいのだけれど」
「新聞ですか」
 少しだけ山口女史の微笑みが翳った。おそらく聞き入れがたい要求なのだろう。
「外の情報がまったく入ってこない。新聞ぐらいは読みたいわね」
 山口女史が微笑みを湛えたまま、しかし考えあぐねている。
「かしこまりました。検討いたします」
 やっぱりね。そういう当たり障りない返答がベターだよねと心優も思う。
 そこで一旦、山口女史は退室した。
「紅茶も入浴剤も彼女が気遣って思いついてくれたことだとわかっている。でも、さすがに『情報』を得るものとなるとね……」
 いま御園准将が欲しいのは外の情報。しかし与えた情報が御園准将を刺激しまいか、そう思ってなにも与えないようにしているのではと心優も感じているぐらいだったから。
 しかし夕食の時になって、山口さんがにっこりと新聞の束を抱えてやってきた。
「許可が出ましたので、これだけ揃えました。昨日と本日の朝刊と夕刊と主だったスポーツ新聞です」
 どさっと持ってこられ、さすがに御園准将が唖然とした。
「こんなに持ってこいだなんて言ってないけど!」
「新聞社によって違ったことが書かれていますからご参考になると思いまして」
 そういって彼女がある大手新聞社の一面をさっと御園准将に見せた。
 心優も一面見出しを見て硬直する。
『コーストガード、武装船舶集団から襲撃 巡視船に着弾』
 巡視船から煙が上がっている写真が大きく掲載されていた。
 御園准将がその新聞紙を放って、さらに他の新聞社、さらに他の――とそれぞれの一面を確認する。そのすべてがコーストガードの巡視船が被害を受けたとの記事だった。
「いつからこの騒ぎなの」
「昨日の朝刊からです」
「私が艦から離れて横須賀に帰還して聴取もとって、数時間後に記事になったというの?」
「国防を担っているコーストガードが、これだけの被害をうけましたからね。事件が起きた時にはもうその情報も伝わっていたのでしょう。昨日からテレビもこのことばかり放映されております。こちら、私が独断で抜粋したネットでの反応です。通信できるものはお貸しできないので、プリントアウトで申し訳ありません」
 ネットでの呟きやコメントに書き込みなど民間の生の反応まで持ってきてくれた。それらを手渡すと窓際にあるソファーにて御園准将がじっと読み込みを始めた。
 夕の茜が差す窓際で、椅子に座って一心不乱に新聞を読み始める。その姿を見て心優は『これこそ御園准将』と急に嬉しくなってくる。
「夕食の前ですが、お紅茶でもお持ちしますね」
 また山口女史がにっこり微笑んで退室した。
 心優も本日の夕刊を手に取り、ひとまずざっと記事を確認する。そこには一昨日の午前早くにコーストガードが国籍不明の船団から砲撃を受けたとある。その数日前にもコーストガードが追尾した不審船が巡視船に激突、これが前触れだと警戒をしていたものの、実弾の攻撃から逃れることができたかったようだと書かれている。さらにおなじくそれほど離れていない西南海域でも武装をした不審船を確認、近距離に連合軍海軍空母が巡回任務にて停泊中、空母を標的にしていたのではと予測されている。また上空でもsu27が同時間に度々領空侵犯をしたため、空母よりスクランブル発進、上空で対空措置をしていた最中の武装船舶接近だったと見られる。
 コーストガードだけはなく、自分が乗っていた艦のことまで書かれていて、心優はどう書かれているのかとドキドキとしてきた。
 対領空侵犯措置中の空母の安全を確保するため、控えていた護衛艦にも迎撃体勢が取られていたと見られるが、国籍不明船が爆発炎上したため被害はなかった――。と締めくくられていた。
 しかも最後に『国籍不明船が爆発した経緯は調査中』とあった。
 うわ、ぼかしたなこれ……と心優は思った。確かにいま聴取の最中で、ここまでが情報開示ができる精一杯の範囲なのだろう。
「心優さんこれ、見てください」
 光太はSNSのプリントアウトを眺めていた。そこには呟きで会話を交わす人々のコメントが並んでいた。
 『ついに大陸国が攻めてきた、本当にやってくれた』というものから、『侵犯から空を護ってくれている時に攻撃するなんて許さない』とか『どうして空母に向かっていた漁船は爆発したんだろう。自爆?』、『いや、本当は護衛艦がやったんだ』とか『上空にいた飛行隊に爆撃命令がでてやったんだ』、『国籍不明としているけれど本当は大陸国から出てきた船なんでしょ。あちらの国のものをこっちから攻撃したとしたら、大変なことになるんじゃないの』といろいろと書かれていた。
「誰も王子たちスホーイが爆撃したなんて呟かないね」
 心優がそういうと、光太も溜め息をつく。
「そりゃ、大陸国のスホーイがこっちの領空に入ってきて爆撃できるなんてあり得ないからですよ。その前に、侵犯措置されるし、撃墜宣告されるだろうし、最悪撃墜される。その覚悟をしなくちゃいけないし、リスクが大きいから非現実的なんですよ」
 でもそこで、そこにいるミセス艦長が『迎撃撃墜解除』をしてしまったので成り立ってしまった。これが世間にも知れたらどうなる?
 呟き民はなんというのだろう? 空母を護ってくれたと言ってくれるのだろうか。自分達の国の空に、危険なミサイルを装備した戦闘機を簡単に招き入れたと怒るのだろうか。そしてきっと。空母の中では戦闘があったことなど知られることは決してないのだろう。
「あ、ちらほらとありますね。もしかすると大陸国の戦闘機が自分達の国の始末のために爆撃したのではないかと、こちら日本から爆撃の判断を下すのはよほどのこと。なにか国の間で交渉があってスホイの侵入を許可したかもしれない――と話していますね」
 SNSや書き込みでも様々な予測がされていて、大騒ぎになっていた。
 准将は昨日の朝刊から順に、黙々と新聞を読んでいる。山口さんが楚々と側にミルクティーのカップを置いて静かに去っていく。もうここは御園秘書室のよう。心優と光太は『山口さんて所作が綺麗な秘書官だよね』、『資料の集め方も超ピンポイント勉強になる』と一緒に唸ってしまうほど、司令秘書官の品格を見せつけられてしまった。
「あ、しまった。これ、母さん知って慌てているかも」
 光太がそう言って心優もはっと気が付く。自分の両親もそうだけれど父が同じ海軍だけあってある程度の事情は伝わっているはず、それよりも浜松の雅臣の実家家族はきっとなにも情報がないはず。『ゴリ母さん……、きっと湖畔でハーレーぶっ飛ばしているだろうな』と気が付いて、ちょっと泣きたくなってきた。
 結局、隊員の家族にも知れることになった、今回の件。これからほんとうにどうなってしまうのだろう。心優は世間の騒ぎに不安になる。

 

 

 

 

Update/2017.10.13
TOP BACK NEXT
Copyright (c) 2017 marie morii All rights reserved.