真っ正面に横須賀司令部総司令官、夏目中将。彼を前にして、職務停止にて任務業務から外された海東司令と御園准将が並んで座らされている。
「横須賀中央司令部、総司令本部の大崎と申します」
もう一人控えていた眼鏡の中年中佐が挨拶をした。
総司令の本部といえば、この中央司令部を司っている中枢だった。そこに配属されている中佐が手元にいくつもの書類をがさがさと音を立てて眺めている。
「まず、ここまでに至った経緯について、空母航空団司令、航空艦隊艦長であるお二人に確認をしたくきて頂きました。ただいまからの質問に答えて頂きます」
眼鏡の中佐がひと息入れ、また書類を確認している。
「まず、午前○時○分 大陸国より不明機が接近したため、横須賀中央管制指令センターより、御園艦隊へのスクランブルを要請。ただちにスクランブル発進を実施。その後、国際緊急チャンネルより対国のパイロットより通信あり。その際、兼ねてからの要望『御園艦長を出せ』との要求を受けるが受け入れず、そのまま対空侵犯処置に入る。さらに午前○時○分、対国パイロットの兼ねれから宣告通り、本国の雷神飛行部隊の1機が6機に取り囲まれたため、本国のパイロットの安全と侵犯措置の効果がなかったことを考慮し、以後、横須賀中央官制指令センターより『今後、侵犯した航空機については迎撃、撃墜の許可』の指示が出る」
淡々とその経緯を大崎中佐は読み上げる。
「ここからです。海東少将、確認いたします。この『迎撃、撃墜許可』について、空母の御園准将にはきちんと伝えたか教えて頂きたい」
「はい。確かに伝えました。彼女は上空で対戦中の雷神を指揮していたため、官制員から彼女へという形になっています」
「御園准将、その指示をきちんと受け取りましたか」
「受け取りました。私から城戸大佐に指示をし、城戸から雷神各機へ伝達しております」
「では、御園准将は『以後、領空侵犯する不明機については撃墜する責務をわかっていた』ということでよろしいですね」
「はい。雷神には撃墜体勢を準備させました」
心優は息を呑む。それを知っていたか確認していたか伝えたか、その指示を理解していたかという追及を目の当たりにしている。
威圧的な視線を送ってくる夏目中将の顔も怖い。隣にいる大崎中佐の冷めた声の確認をじっと聞いているだけなのに、こちらをずっと睨んでいる。
そのプレッシャーを目の前に、並んで座らされている御園准将と海東司令は質問にきちんと正直に答えている。
大崎中佐の『午前○時○分――』にどのような指示が送られ、どう連携が取られていたかという分刻みの確認が続く。雷神が空を飛んでいる時、鈴木少佐がコーストガードが攻撃されている映像を撮影できた経緯について、どうしてそんなことをした、どうしてそうなったという割り込みも一切なく、起きたままのことそのままのことが時間軸で確認されていく。
そのうちに心優も落ち着きをなくす。徐々にあの決断を答えねばならない時間帯に来た。
―◆・◆・◆・◆・◆―
それから二日が経とうとしていた。
大勢の幹部に囲まれての査問があるかと構えていたのに、そんなことはまったくなかった。
葉月さん曰く『到着してすぐに、総司令官直々の査問は異例。本来はもっと下の幹部が行って、総司令は報告待ちのスタンス』なのだと。なのにその異例が行われた。
春日部中佐がICレコーダーで録音をしていたことにも御園准将は気がついていた。
『怖い顔をしていたけれど、あれも総司令のお気遣い。御園を落とそうとするいらぬ幹部の聴取で、こんな大事になった事件の追及を行わなければならないのに、心情ひとつで真実を曲げられては自分の責務にも関わると警戒をした。それなら自分が早めに直に聴取をして曲げようもない聴取の裏付けをする為でもあったのだと思う』――と御園准将は気がついており、『もう待つのみ』と悠然と構えていた。
そのせいか、ただただ部屋にいるだけで暇。あんなに緊迫した空母にいたのに、横須賀は穏やか。暖房が効いている部屋、暖かな木漏れ日の窓辺。横須賀の優しい冬日和に包まれている。
それぐらいになって、心優は急に雅臣が恋しくなってしかたがない。
嘘、これから海軍大佐の妻として、陸に上がったらずうっとずうっと何ヶ月も一人で待たなくちゃいけないんだよ。こんなに辛いの? でももう寂しい!
しかもうやむやなまま離ればなれになってしまった。自分が選んだ道とは言え、新婚なのにこれは堪える。
それでも少し広い部屋に移してもらえた。簡易的なテーブルとソファーが窓辺にあり、カーテンで仕切って、同じ部屋でも男子ベッド女子ベッドと分けてもらえた。しかし部屋の周辺の狭い指定区域以外から出ることは禁止状態。
なにも考えなくて良くなった御園准将は思いの外ものぐさだった。
まるで猫のようにしてベッドにうずくまって、お嬢様から借りた文庫本も読んでしまったと投げだし、つまんなそうにしているのを気にした光太が『俺の音楽プレイヤーでも聞いてみます?』と試しに貸してみると、イヤホンをしたままますますぼんやりしているだけ。しかも背を丸めて座っているので、光太が『座禅の修行僧かよ』と喩えるほど。
あれ男だったら髭面になるパターンだよね――と、准将が音楽を聴いているのを良いことに、光太とひそひそと話しては案じてしまう。
そうして二日目の昼下がり、お世話役の総司令官秘書室の女性秘書官、山口大尉が部屋に入ってきた。
「見てください。御園准将からお聞きしたお紅茶、私も買っちゃいました!」
拘束生活一日目の朝食の時に彼女が『お好きな紅茶で朝を迎えたいですよね。食堂のものですみません』と言いながら、『准将はいつもお気に入りはなにを選ばれているのですか。女性として知りたいです』とその場を和やかにするようにしてやんわりと聞いてきたのだ。
それには紅茶好きの准将も喜んで答えていた。それを、彼女がいま目の前に。でも御園准将はベッドの上段で背中を向けて音楽を聴いて、窓の外を眺めているだけ。
「申し訳ないです。吉岡が音楽プレイヤーを手渡したら、ずうっとあの状態で、身体を触らないと気が付いてくださらないんです」
「まあ、そうでしたか。構いません。ティーポットも持ってきましたから、いまここで煎れますね」
心優と光太が戸惑っている内に、さすが司令部秘書室の女性、テキパキと準備をして紅茶を煎れ始めた。ほのかな紅茶の香りが、いつも准将室でかいでいた香りがふわっと室内に広がった。
それでやっと御園准将が振り返った。
「その匂い」
イヤホンも外して、ついにベッドから降りてきた。光太がそっと『修行僧の岩戸を開くには紅茶だったか』と呟いたので心優は噴き出しそうになった。
「准将からお聞きしてどうしても欲しくなって昨日の帰宅時に買いに行ったんです。せっかくですから准将にもと思いまして」
だからとて准将もすぐには飛びつかなかった。
「これも内緒? 昨夜も貴女が浴槽に『内緒ですよ』と入浴剤を入れてくれたのはとても嬉しかった。でも、これも春日部さんに知れたら叱られるんじゃないの。嬉しいけれどそんなに甘えられない」
でも彼女がにっこり笑顔を崩さずに、さらに言った。
「高知沖の補給艦で届きましたお菓子、お気に召しましたか? 女性が喜ぶ極上のお菓子を送りたいと言われて私が選びました」
心優と光太はギョッとした。あのお詫びのように届いた春日部中佐からの差し入れを。それを選ぶようにお願いされたのがこの山口さんということらしい。
しかも彼女が急にすごいやり手の女性に見えてきた。それもそうか、これこそ司令部秘書官なのかもしれない。格が違う。やんわりとなにもわからない女性隊員と見せかけて、実はテキパキと下準備をして業務に臨んでいる。
「春日部からは、少しでも気分が和らぐお世話をするように言われております。残った紅茶は私が自宅で楽しみます。お気になさらず」
つまり春日部中佐からは『何かしてやって欲しい。君に任せる』とされているらしい。そのやり方は彼女次第、差し入れと言って気遣わせないのも彼女のやり方なのかも知れない。
実際に彼女は、この部屋に閉じこめられ出ることを許されない准将や心優に対して、女性らしい気遣いを沢山してくれた。お風呂には入浴剤を入れてくれ、女性がよろこびそうな髪が綺麗になるシャンプーとトリートメントの個装パウチを準備してくれたり、『お洗濯もされたいでしょう』と気が付いてくれ、ユニットバスの側にランドリーが付いている部屋に移動させてくれたのだ。
その手配を全て彼女がやっているということらしい。その気遣いが御園准将に通じる。
「では、せっかくなので頂きます」
御園准将がやっとティーカップを手に取った。きちんとミルクティーにして。
「ああ、おいしい。やっとこの紅茶が飲めた。ありがとう、山口さん」
「私も嬉しいです。こんな時ですけれど、ミセス准将のお好きなものが知れて」
この屈託のない接し方上手いなと、心優も紅茶を戴きながら思ってしまった。優しそうなお姉様だけれど、これは侮れないぞ――と。
なのに光太はきちんとした制服に綺麗に黒髪をまとめているお姉様をうっとり見ているだけ。心優は見なかったことにした。
だが侮れないそんな女性にミセス准将がさらっとひとこと。
「それならば。山口さん、私、新聞が読みたいのだけれど」
「新聞ですか」
少しだけ山口女史の微笑みが翳った。おそらく聞き入れがたい要求なのだろう。
「外の情報がまったく入ってこない。新聞ぐらいは読みたいわね」
山口女史が微笑みを湛えたまま、しかし考えあぐねている。
「かしこまりました。検討いたします」
やっぱりね。そういう当たり障りない返答がベターだよねと心優も思う。
そこで一旦、山口女史は退室した。
「紅茶も入浴剤も彼女が気遣って思いついてくれたことだとわかっている。でも、さすがに『情報』を得るものとなるとね……」
いま御園准将が欲しいのは外の情報。しかし与えた情報が御園准将を刺激しまいか、そう思ってなにも与えないようにしているのではと心優も感じているぐらいだったから。
しかし夕食の時になって、山口さんがにっこりと新聞の束を抱えてやってきた。
「許可が出ましたので、これだけ揃えました。昨日と本日の朝刊と夕刊と主だったスポーツ新聞です」
どさっと持ってこられ、さすがに御園准将が唖然とした。
「こんなに持ってこいだなんて言ってないけど!」
「新聞社によって違ったことが書かれていますからご参考になると思いまして」
そういって彼女がある大手新聞社の一面をさっと御園准将に見せた。
心優も一面見出しを見て硬直する。
『コーストガード、武装船舶集団から襲撃 巡視船に着弾』
巡視船から煙が上がっている写真が大きく掲載されていた。
御園准将がその新聞紙を放って、さらに他の新聞社、さらに他の――とそれぞれの一面を確認する。そのすべてがコーストガードの巡視船が被害を受けたとの記事だった。
「いつからこの騒ぎなの」
「昨日の朝刊からです」
「私が艦から離れて横須賀に帰還して聴取もとって、数時間後に記事になったというの?」
「国防を担っているコーストガードが、これだけの被害をうけましたからね。事件が起きた時にはもうその情報も伝わっていたのでしょう。昨日からテレビもこのことばかり放映されております。こちら、私が独断で抜粋したネットでの反応です。通信できるものはお貸しできないので、プリントアウトで申し訳ありません」
ネットでの呟きやコメントに書き込みなど民間の生の反応まで持ってきてくれた。それらを手渡すと窓際にあるソファーにて御園准将がじっと読み込みを始めた。
夕の茜が差す窓際で、椅子に座って一心不乱に新聞を読み始める。その姿を見て心優は『これこそ御園准将』と急に嬉しくなってくる。
「夕食の前ですが、お紅茶でもお持ちしますね」
また山口女史がにっこり微笑んで退室した。
心優も本日の夕刊を手に取り、ひとまずざっと記事を確認する。そこには一昨日の午前早くにコーストガードが国籍不明の船団から砲撃を受けたとある。その数日前にもコーストガードが追尾した不審船が巡視船に激突、これが前触れだと警戒をしていたものの、実弾の攻撃から逃れることができたかったようだと書かれている。さらにおなじくそれほど離れていない西南海域でも武装をした不審船を確認、近距離に連合軍海軍空母が巡回任務にて停泊中、空母を標的にしていたのではと予測されている。また上空でもsu27が同時間に度々領空侵犯をしたため、空母よりスクランブル発進、上空で対空措置をしていた最中の武装船舶接近だったと見られる。
コーストガードだけはなく、自分が乗っていた艦のことまで書かれていて、心優はどう書かれているのかとドキドキとしてきた。
対領空侵犯措置中の空母の安全を確保するため、控えていた護衛艦にも迎撃体勢が取られていたと見られるが、国籍不明船が爆発炎上したため被害はなかった――。と締めくくられていた。
しかも最後に『国籍不明船が爆発した経緯は調査中』とあった。
うわ、ぼかしたなこれ……と心優は思った。確かにいま聴取の最中で、ここまでが情報開示ができる精一杯の範囲なのだろう。
「心優さんこれ、見てください」
光太はSNSのプリントアウトを眺めていた。そこには呟きで会話を交わす人々のコメントが並んでいた。
『ついに大陸国が攻めてきた、本当にやってくれた』というものから、『侵犯から空を護ってくれている時に攻撃するなんて許さない』とか『どうして空母に向かっていた漁船は爆発したんだろう。自爆?』、『いや、本当は護衛艦がやったんだ』とか『上空にいた飛行隊に爆撃命令がでてやったんだ』、『国籍不明としているけれど本当は大陸国から出てきた船なんでしょ。あちらの国のものをこっちから攻撃したとしたら、大変なことになるんじゃないの』といろいろと書かれていた。
「誰も王子たちスホーイが爆撃したなんて呟かないね」
心優がそういうと、光太も溜め息をつく。
「そりゃ、大陸国のスホーイがこっちの領空に入ってきて爆撃できるなんてあり得ないからですよ。その前に、侵犯措置されるし、撃墜宣告されるだろうし、最悪撃墜される。その覚悟をしなくちゃいけないし、リスクが大きいから非現実的なんですよ」
でもそこで、そこにいるミセス艦長が『迎撃撃墜解除』をしてしまったので成り立ってしまった。これが世間にも知れたらどうなる?
呟き民はなんというのだろう? 空母を護ってくれたと言ってくれるのだろうか。自分達の国の空に、危険なミサイルを装備した戦闘機を簡単に招き入れたと怒るのだろうか。そしてきっと。空母の中では戦闘があったことなど知られることは決してないのだろう。
「あ、ちらほらとありますね。もしかすると大陸国の戦闘機が自分達の国の始末のために爆撃したのではないかと、こちら日本から爆撃の判断を下すのはよほどのこと。なにか国の間で交渉があってスホイの侵入を許可したかもしれない――と話していますね」
SNSや書き込みでも様々な予測がされていて、大騒ぎになっていた。
准将は昨日の朝刊から順に、黙々と新聞を読んでいる。山口さんが楚々と側にミルクティーのカップを置いて静かに去っていく。もうここは御園秘書室のよう。心優と光太は『山口さんて所作が綺麗な秘書官だよね』、『資料の集め方も超ピンポイント勉強になる』と一緒に唸ってしまうほど、司令秘書官の品格を見せつけられてしまった。
「あ、しまった。これ、母さん知って慌てているかも」
光太がそう言って心優もはっと気が付く。自分の両親もそうだけれど父が同じ海軍だけあってある程度の事情は伝わっているはず、それよりも浜松の雅臣の実家家族はきっとなにも情報がないはず。『ゴリ母さん……、きっと湖畔でハーレーぶっ飛ばしているだろうな』と気が付いて、ちょっと泣きたくなってきた。
結局、隊員の家族にも知れることになった、今回の件。これからほんとうにどうなってしまうのだろう。心優は世間の騒ぎに不安になる。
Update/2017.10.13