6.母の命日

 

 『あー!終わった!』

 

 一日の授業が何となく終わって真一は机の上のテキストをまとめた。

「真一。今日はどうするんだよ?また姉さんの所に行って寮に帰ってくる?」

ルームメイトの『エリック』が真一に尋ねる。

彼はアメリカキャンプ育ちで、第一中隊で陸訓練教官をしている少佐の息子だった。

13歳の時…。予備校生として島の学校に入学したときから一緒。

部屋も一緒。医者の志も一緒。

髪の毛も同じ栗色。

でも、エリックの方が背が高かった。

栗毛の二人が並ぶと『後ろ姿は兄弟みたい』とも言われる。

一番の親友だった。

「うーん。どうしようかな?昨夜泊まったし。あんまりお邪魔してもねー…。」

真一が窓辺の席で腕組み悩むと、エリックはにっこり微笑む。

彼の父親にそっくりな笑顔だ。

「じゃぁ。街まで買い物に行こうぜ。付き合って欲しいから。」

「うん!いいよ!おれも本屋に行きたい!」

エリックは横須賀生まれのキャンプ育ちで日本語も英語もバッチリだった。

成績は真一より上々。

尊敬できる同級生だ。

「でもさ。気にせずに遊びに行った方が、姉さんも側近の兄さんも喜ぶのじゃないか?」

エリックはそうして『無理に付き合わなくてもいいよ』と言うのだ。

「まぁ。お邪魔虫とは思っていないけど。そうしょっちゅう通うのもねぇ。

一番お熱い時期だから。そっとしておくのも『叔母孝行』ってね!」

「ふーん。今度の相手は、良い相手みたいだなぁ。お前文句言わないし。」

エリックと葉月はあまり面識がなかった。

だが、エリックとは付き合いが長いので彼は葉月のことを良く知っている。

なんと言っても…葉月は基地の中では一番の有名人女性だ。

『葉月ちゃんに紹介したい』と真一が言うと…。

エリックは『いや!まだいい!恥ずかしい!』と照れるのでまだ紹介はしていない。

葉月も真一の学校でのお付き合いは『年頃の男の子の事』として触れようともしないが…

それとなく、『マッキンレイ少佐の息子がルームメイト』は調べて知っているようで…。

でも、『紹介して』とも『遊びに連れてきなさい』とも言わない。

あのマンションに人をあがらせると言うことは

葉月にとっては大変な冒険のようなのだ。

良く…隼人がスッと暮らすようになったモンだと思っているのだ。

だから、真一も言い出さないし葉月も言い出しはしなかった。

真一はそれでもキャンプ内にあるエリックの実家には良くお邪魔しに行っていた。

そこで見る、良くある暖かい家族の集まりに『うっとり』するのだ。

羨ましいが、その空気が好きだった。

彼の逞しい父親に…優しいマミーに…可愛い妹と弟。

真一の理想だった。

そこにお邪魔に行けば、エリックのパパもマミーも本当に良くしてくれた。

葉月はこの事を知らない。

真一は出来るなら『御園の御曹司扱い』はされたくないので

普通の友人として遊びに行く。

葉月とエリックのパパ…『マッキンレイ少佐』がお互いの子供の保護者として

接触をするようになると、マッキンレイ少佐が構えてしまうような気がしたから…。

だから、葉月のことは抜きで今はマッキンレイファミリーの所にお世話になっているのだ。

今はそんなだから、マッキンレイパパも真一は息子のエリック同様に可愛がってくれるのだ。

「桜。満開だなー♪」

日本育ちのエリックはそんな風流さも身に付いていて、

教室を出るなり中庭の桜の木に感慨深げだ。

「そうそう。海辺の公園で、何か食べない?あそこもきっと満開だよ!」

真一の提案にエリックは『そうだな』とにっこり賛成してくれた。

今日は葉月の所には行かない。

友達との時間も真一には大切な時間だった。

とくにエリックは…。何も言わないけど…

真一が『真実』を知ったときにはそれとなく気を使ってくれた友人だ。

大切な友達なのだ。

 

 

 『わぁ!やっぱり満開だね!!』

 

 エリックと自転車で街まで買い物した後…。

いつものスーパーで小腹を埋めるおやつを買って海辺の公園へ…。

小笠原の春は早い。

二月だがもう…桜は爛々と満開だった。

『おれ。日本好き!』

「あ!そのセリフ。去年も聞いた!」

桜を見ると必ずエリックが叫ぶ言葉だった。

「エリックはジョイとロイおじさんと一緒で親日家だねー!」

「親日家?違うよ!俺は日本育ちなの!」

「そっか♪」

二人で笑いながら、涼しそうな木陰にあるベンチの側に自転車を泊めて、座り込む。

平日なので、花見に繰り出す島民もまだいないようだった。

桜の花びらが舞い散る中で二人は一息、空いた小腹を埋めた。

いつもの会話をしていると…

ふと真一は島民の老人会が手入れをしている花壇に目がいった。

感心がそこへ向いたので、会話が止まる。

「どうしたんだよ?真一?」

言葉を止めた真一を気にしてエリックも花壇に視線を移す。

「母さんが…好きだった…て大人達が言う花…。」

真一が見つめていたのはまだつぼみが堅い『チューリップ』だった。

そんな真一を見てエリックも少し…躊躇って…

でも、親友の肩を叩く。

「そうだったよな。最近は?墓参りは?」

「いったよ。去年の秋ね…。命日に…。俺が生まれてすぐに死んだ人だからね。

誕生日の後の命日だモン。忘れないよ…。」

「また。持っていけよ。きっと喜ぶよ。真一は…マミーのことは…

あまり覚えていないかも知れないけど…マミーは、うんと…真一のこと愛していたよ。」

「うん…。」

エリックがこんな時は…言葉の選び方に困っているのを真一も知っている。

何と言っていいか…自分の立場では、人ごととしてしか言葉がでない。

ありきたりな慰めなど…しない方がましなときもあるから。

でも。真一は何時もエリックのそんな言葉は素直に聞き入れていた。

彼のそんな気遣いだけで充分気持ちは伝わっているから…。

真一は、夕風に揺れる花壇の黄色と赤のチューリップを見つめた。

また…小さな記憶が蘇る。

 

 

 あれは……島の学校に、推薦入学が決まった小学校六年生の時。

周りの友達は皆、地元の公立中学校に行くというのに

真一だけが『軍隊学校』に行くとなって周りを驚かせたりしていた。

その上、御園家と谷村家でどう話を付けたかはしらないが、

真一は入学と共に『御園』を名乗ることとなり、

その時…葉月の元に『養子』として籍を変えたのだ。

鎌倉の友達は皆…『やっぱり、谷村は坊ちゃんだなぁ』と言って

真一の早い進路決定にため息をついていたが快く小笠原に見送ってくれた。

推薦入学で島の予備学校生となることが決まったのは、

真一の誕生日が近い九月…。秋のことだった。

自分が生まれて一週間後にはなくなったという母の命日。

真一は毎年かかさず…祖父母と一緒に『チューリップ』を抱えて出かけていた。

鎌倉の七里ヶ浜にある『外人墓地』

そこに…亡くなった母は、真一の曾祖父母『御園源介』と『レイチェル』と眠っている。

その年は…真一は一人で母の墓参りに行くと言い、

谷村の祖父母は、一人での行動に成長を見せ始めた真一を快く送り出してくれた。

季節はずれで高かったが小遣いをはたいて、

母が好きだったという『チューリップ』の花束を抱える。

江ノ電に乗って、七里ヶ浜へ…。

海岸が見渡せる…江ノ島が見える小高い霊園に母は眠っているのだ。

霊園には教会があるが、小さな教会なので何時も人はまばらだ。

仏教の御園がこんな洋式宗教で最後の寝床を陣取っているのは

真一も不思議だったが…。

『源助お祖父様はレイお祖母様をうんと愛していたから…一緒にいたかったのでしょう?』

葉月はそう言うのだ。

レイチェルは真が亡くなる前には既に他界していた。

真一はそれでも…鎌倉で最後を迎えた彼女のことは良く覚えている。

艶やかで美しい栗毛のおばあちゃま。

真一を良く可愛がってくれていた。

でも…本当物心付く前に彼女はいなくなった。

源介のことも覚えている。

でも…彼は妻が亡くなってすぐに長男がいるフロリダに移り住んでしまったのだ。

だが、彼も本当に真一のことは可愛がってくれていた。

ショックだったのは彼の葬式は遺体もない葬式だったことだ。

テロリストの術中にはまって乗っていた航空機を爆破されてそれっきりらしい。

真一が島に入学してすぐのことだった。

真一の将来のために『御園入り』を勧めてくれて…

真一の希望通り、葉月と住む事と側にいる事を一番勧めてくれて大人だった。

葉月のその時の哀しみ様は、今でも覚えている。

怒りと絶望と哀しみを気も狂わんばかりに取り乱していたから…。

そんな…曾祖父母と母が眠っている墓地。

そこへ行くと真一は様々な懐かしい想いに浸ることが出来た。

チューリップを抱えて初めて一人での『お墓参り』

『お母さん!あのね!僕…母さんと同じ軍の学校に行くんだ!

父さんと同じ優しくて立派な軍医になるからね!』

そんな報告を早くしたくて、墓地の丘へ上がる階段を駆け足で登る。

石の階段を駆け上がり、後ニ・三段…と来たところで真一の足は止まった。

『!!』

御園家の墓地の前に、男がたたずんでいた。

『…おじさんだ!』

時計を返してくれてから…二年という月日が経っていたが

真一はあの独特なの雰囲気の『彼』は一目でわかった。

この日は…イメージ通り…真っ黒い…また高級そうなスーツを着ていた。

背が高いからものすごく着映えがする。

また・逢いたい!そう思っていたおじさんが目の前にいるのに

真一は、駆け寄ることが出来なかった。

彼はやっぱり…黒いサングラスをかけて黒手袋をしていた。

駆け寄れなかったのは…

彼が母の墓石の前に…真一が持っているより花束より

立派な…何十本とありそうな大きなチューリップの花束を抱えていたからだ。

『なぜ!?おじさんが…母さんのお墓に!?』

葉月と深い関係というのは『軍人』としてか…

もしくは…二人が真一には理解できない『大人の関係』を持っているから…

と、思っていたのだ。

だが…。葉月はこの時『海野大尉』という気の良いお兄さんの側近を付けていて

あの丘のマンションで『半同棲生活』を始めていたから

『黒いおじさん』と葉月はただの知り合いだけかも知れないと

思い始めていた矢先の再開だったのだ。

葉月以外に…黒いおじさんは『葉月の姉・皐月』も知っている!

コレを知った真一に何か衝撃が走った。

真一がそっと…彼に隠れて階段から様子を伺っていると…。

黒いスーツの彼は大きな花束を母の墓石に置いて…

そして…そっとひざまずいて墓石に口づけをしたのだ。

その場面も…真一に電撃のような衝撃を与えた。

『おじさんは…母さんを愛していたッてこと!?』

信じて疑わなかった『真と皐月の両親愛』

それが崩れていくような気がした。

だから…彼には近づけなかった。

彼は一時…江ノ島が見える七里ヶ浜をジッと見つめて

真一がいる石階段に向かって歩き始めたのだ。

階段の両脇は林になっていたので真一はそこに身を隠した。

彼がスラックスのポケットに手を突っ込んで軽い身のこなしで

石階段を一段、二段…三段…と降りて、フッと立ち止まった。

真一は木の陰に身を隠して息を潜める。

『皐月が待っているぞ。早く行ってやれ…。』

彼は真一がいる林を見ずに…誰に言っているのか解らない方向を見つめて呟いた。

真一はそれでも…彼に気が付かれていると知って驚いて…

とうとう…彼の前に姿を出してしまった。

『皐月…って。おじさん…母さんのこと知っているの?』

『古い知り合いだ。』

久しぶりにあった彼の顔…。

あの無精ヒゲがなかった。

前にあったときより若々しく見える。

サングラスをかけていつもの無表情。ぶっきらぼうな言葉。

母に口づけをする男。

10歳の夏にあったときは…気の良いおじさんだったが…。

今日は違う。

真父と。皐月母の何かを邪魔する男に見えて真一は

背の高い…今日はこざっぱりした肌の彼を睨み付けていた。

しかし…。その無精ヒゲがないサングラスをした顔は何処かで見たような顔に感じた。

それが…もどかしいくらい思い出せないのだが…。

そうして・おじさんの顔ばかり見る真一の強ばった顔に彼がまた

余裕気に意地悪く少しだけ微笑む。

『小笠原の学校に行くんだろ?皐月が一番喜んでいるに違いない』

『!?どうして?俺が小笠原の学校に行くこと知っているの!?

もしかして!葉月ちゃんから聞いた??』

すると彼は…また、あの夏の日に見せてくれたような、おどけた笑いを浮かべる。

『御園少佐には…ずっと逢っていない。アイツが怒られるだろ?

俺みたいなうさんくさい男と接触すると怖い金髪の若将軍に殴られたりな。』

『なんで!そんなことまで知っているんだよ!』

葉月が少佐になり…ロイが少将に昇格したことまで知っている!

その上…あの時計をなくした海水浴の日のことまで!

さらに驚いて彼に突っかかると、彼はまた…黒い手を両方空に向けて…

『『マジック』さ。種明かしは出来ない。俺の専売特許だ。』

と、クスクスと笑ったのだ。

黒いスーツに渋い銀色のネクタイが格好良くはためいていた。

『チェッ!息子の俺より立派な花束持ってくるなよ!』

適わない大人の彼へのせめてもの抵抗の一言。

彼にからかわられているような気がして、真一はふてくされる。

彼に背を向けて階段を上がり始めると…

『俺なんかが、何百本と持ってきても息子の一本には何時までも及ばないさ。』

そんな彼の…妙に悲しそうな声が背中に届いた。

『親父のような立派な医者になれよ。』

その一言で…真一はまた…気の良いおじさん会えた気になって振り返ると…

『!?』

さっきまですぐ側に声が聞こえたのに彼の姿はもう何処にも見えなかった。

驚いて…階段を駆け下りても…教会の広場にも…林の中にも彼の姿はなかった。

(いったい何者!?)

10歳の時と違ってもう子供だましは通用しない。

真一は冷や汗をかいてたたずんだ…。

海辺から吹いてくる潮風の音しか聞こえない…。

まるで…幻に出逢ったようだった。

『早く帰れよ。ボウズ』

『一人で遊ぶと危ないぞ』

『立派な医者になれよ』

やっぱり…彼からはそんな暖かさが伝わってくるのだ。

嫌いになりきれない何かがあった。

暫くして…諦めがついたので花束を抱えて母の墓地へと再び階段を登る。

母の墓地に着くと…大きな花束。

『??』

花束の影に小さな箱が置かれてあって手に取ってみた。

『医者になる男へ』

そんな紙が挟まれている。

自分宛だと知って驚いてその場でその紙包みを開けてみる。

『あ!』

中からでてきたのは…銀色の立派な時計。『ロレックス』だ!

また…黒猫のデジタルが付いていた。

今度は…今の真一を見透かしたようにすました猫が『?マーク』を点滅させていた。

『母さん…誰?あの人!』

母に問いかけても答えなど返ってくるはずがない…。

それとなく真一に何時もエールを送ってくれるぶっきらぼうな男。

真一の疑問はまた膨れ上がった。

首を傾げながら…海風の中。母に問いかけた12歳秋の命日だった。

 

 

 初めての一人での『お墓参り』

それをすませて、谷村の祖父母が待つ鎌倉の家に帰る。

『お帰り。真一。少し遅いから心配したぞ』

診察を終えた宏一祖父がいつもくつろぐときに着ている着物ででてきた。

『うん…。ちょっと長話』

葉月とおじさんと真一だけの秘密。

それは、良く心得ていたので祖父にも黒い彼にあったことは言わなかった。

祖父は真父と一緒で目が悪く眼鏡をかけていた。

靴を脱いでその祖父をフッと見上げると…祖父の眼鏡が夕日に反射して

彼の優しい瞳を隠してしまった。

『!!』

その眼鏡が反射した瞬間に真一はもどかしかった想いがやっと解けて…

解けたのに…すごい衝撃が走った。

(おじさんと…お祖父ちゃん…なんだか似ている!輪郭も背格好も!)

何処かで見たような顔…。それは年老いた祖父の顔だった。

そして急に何かが繋がったように昔のことがワッと沸き上がってきた。

もう亡くなってしまったあの『しの・お婆ちゃん』が時々呆けたように繰り返していた言葉。

しのさんは、真が亡くなった後、急に痴呆症が始まったのだ。

でも…あの言葉は繰り返して使っていた。

『ジュンちゃんがいたらねぇ…。任務で行方不明だなんて…』

この人の名がでると、真父は『誰のこと言っているの?』といったり…

真が亡くなった後も宏一祖父は『そんな奴は知らん』としのさんに言い続けていた。

しのおばあちゃんの『ぼけ』と思っていたし、例えその人が実在しても

遠い真の友人かと思っていた。

(もしかして…あのおじさん…谷村の男?父さんは一人っ子だったのでは?)

そんな疑問が沸き上がった。

この時から…真一は彼のことをこう心で呼ぶようになった。

『黒猫のジュン』と…。