7.時計&アリア

 

 12歳の秋。

 母の命日に黒猫のジュンに逢ったことは、葉月にも言わなかった。

 

葉月に時計を貰ったことを言ったところで同じ言葉の繰り返し。

そんな事…。10歳の夏休みから解っていたのだ。

だが、知りたい衝動は消えない。

ここは例え子供でも頭を使って、何とか解明しなくてはならない。

真一は、その母の命日の後、『小笠原の学校見学』を名目に

秋の連休を使って葉月の元に泊まりに出かけた。

相も変わらず…。海野達也が上がり込んでいたが、

二人はまるで同級生か幼なじみのように口うるさい言い合いをしては

何時も一緒にいる二人だった。

真一の中で…隼人が現れるまでは葉月には一番ピッタリの男で

真一にとっても本当に良く尽くしてくれる面倒見のいい男だった。

『じゃ。俺は演習訓練があるから出かけるぜ!』

海陸隊員だった達也は真一が遊びに来ていたのに残念そうにして

大切な演習実習があるからとこの時は休日返上で出かけていった。

(丁度いいや。葉月ちゃんと二人きりになった…)

達也が仕事に出かけて行ったので、真一は葉月の反応を見ようと

絶対に12歳の子供が持っていないだろう『ロレックス』を腕に巻いて、

葉月の前をうろついた。

『葉月ちゃん。最近ヴァイオリン弾かないね。』

それとなく…尋ねる。

すると葉月の視線がやっと真一の腕に走った。

彼女は少し驚いた顔をして…そして、何かを探るように…

真一が何かを言い出すまでジッと甥っ子の瞳を見つめていた。

真一も…その若叔母の『報告』を待つ瞳から逃げようともしなかった。

葉月も詳しく教えてくれないから、真一も『報告』はしない。

この時から…黒いおじさんとの秘密は、共有しなくなったのだ。

『そうね。近いうちに弾くかも知れないわ。』

余裕の切り返し。意味深な言葉。

葉月のシラっとした冷たい視線。

長く伸びきったロングの栗毛をなびかせて葉月の方から

真一を探る視線を避けていった。

時計が来たから『ヴァイオリンを弾くかも知れない』そんな返事に聞こえた。

(俺の所に来るって事は…葉月ちゃんの所にもおじさんは来るはず…)

最初の『ダイバーウォッチ』

コレを真一にとどけに来た日。

葉月は平日なのにひょっこり鎌倉にやってきた。

真一と黒猫のジュンが『接触する』

きっとそれを確かめに来た。

だから、何時も怠らない訓練も、投げ出してきた。

それだけ…『重要な事。真一の様子が知りたい』

だから…やってきた。

葉月はきっと知っていたのだ…。

『黒猫と真一が接触する』

その前に葉月は黒猫のジュンからそれを聞いていたのかも知れない。

二人が接触して葉月が驚き…そしてなんだか悲しそうに泣いた。

葉月と黒猫のジュンの関係…。

真一は…母の命日以来…いろいろと探ってみたが

谷村家も御園家も、『ジュン』という男の事は何処にも漂わせていない。

亡くなった、真の机も探ったが何もでてこない。

でも…しの・おばあちゃんがいった言葉が本当なら…。

(真・父さんには…兄弟がいたはず!谷村にはもう一人息子がいたんだ!)

そうすれば繋がる。

葉月と黒猫のジュンの関係…。

真と葉月のように…。

葉月と『ジュン』は、紛れもない『義理兄妹』じゃないか!?

真一にとっては…『本当のおじさん』になる。

見たところ…真の『兄』の様な年頃だった。

だが…兄であるかもしれない『ジュン』が母・皐月を愛していたことが引っかかる。

(兄弟で取り合ったとか??)

ジュンは皐月に振られたのかな?…そう思った。

真と皐月の間に真一が出来た。

兄弟で愛し合った女性が他界した。

真・父は亡くなるまで母のことを愛していたのは真一も良く知っている。

そして…もう一人…。

母が亡くなっても尚…彼女を見つめる男。

その男が、母の墓参りに来たり…義理妹の葉月にあったり…。

甥っ子である真一に接触して贈り物をするなら合点がゆく…。

(そうなんだきっと…)

それは…飲み込めた。

でも?今度気になるのは…彼が…『黒猫のジュン』が

さも・この世界に存在しなかったかのように『大人達』が隠していることだった。

任務で行方不明になったのなら、隠すことないし…。

『父さんにはお兄さんがいたんだけど行方不明なんだよ』と…教えてくれても差し支えないのに。

葉月だって…接触をしているなら、

谷村の祖父母に『兄様は生きている』と、報告すればいいじゃないか?

ロイにしても…葉月が黒猫のジュンと接触をすると顔色を変えて葉月を叱りつける。

彼が…『表の世界で消される理由』

今度は…それが疑問だった。

見たところ…軍人でもなし、でも『お金持ち』のようだった。

(もしかして…)

12歳でそんな想像はしたくないし、世の中に『闇の男』が存在したとしても…。

その男がかなり血縁が近い親戚にいるなんて考えたくなかった。

それに…彼がどうして『闇世界』に足を突っ込んだかも気になる。

ベンツにロレックスに…高級なイタリアンスーツ。

まるで…映画の『ゴットファーザー』みたいに『マフィア』の一味かと思ってしまう…。

あの…ダイバーウォッチだって…後になって知ったが、

ヨーロッパの老舗メーカーの物で、真一がなくして三日で手配できる代物じゃない。

それも。お遊びのような『黒猫デジタル』なんか付けたりして…。『特注品』じゃないか?

そんな物が、三日で日本の離れ小島に手配できる『力』の方が空恐ろしい…。

でも…彼は、それが出来る『男』なのだ。

そんなことを、悶々と葉月の横で考えていると…。

彼女が重たい口を開いた。

「しってる?ロイ兄様と皐月姉様は昔・婚約していたのよ?」

「ほんと!?」

12歳にして初めて知ったのだ。

テレビ前のソファーで、考え込んでいる真一の横に葉月が栗毛を揺らして座り込む。

そして、真一の肩をそっと優しい手で抱いてくれる。

「でも…。姉様が昔から好きだったのは…『兄様』。」

にっこり微笑んで、葉月は真一の鼻を白い指でつついた。

真とそっくりな真一の顔を眺めて葉月は優しく微笑む。

「でも、真兄様は…。丈夫で跳ねっ返りの姉様と違って体が弱かったから…

最初は遠慮していたのよ。残念…。私の初恋の人なのに…姉様相手じゃ適わないわ。」

「………。でも、父さんと葉月ちゃんも仲良かったじゃない。」

そう言うと、葉月は哀しそうにまつげを伏せた。

「あくまでも…お兄さんと…妹。それだけ。」

「俺が生まれなかったら…。葉月ちゃんと父さんは結婚していて…。

母さんはロイおじさんと結婚してたかも?」

そう言うと、葉月はもっと優しく微笑んで真一を抱きしめてくれた。

「ううん。私は…シンちゃんが生まれたことが一番嬉しかったから。

お姉ちゃまが私に残してくれた宝物…。オマケに初恋のお兄ちゃまにそっくり!

末っ子だったから…弟が出来たみたいで嬉しかった!」

葉月のそんな優しい愛情で真一は何時も救われる。

自分の存在価値は…葉月の側が一番証明される。

そんな葉月に、抱きしめられると…他の事なんてどうでも良くなってくる。

葉月がどうして急にそんな母と父とその周りの人間関係を

話し始めたかは解らないが…。

真一は『ロレックス』を外して…ダイバーウォッチと一緒に『宝箱』にしまった。

葉月は時計に関しては…何も言わなかった…。

達也が訓練に出かけて、葉月と二人きりの夜…。

その晩…真一が林側のベッドで眠っていると…ヴァイオリンの音が聞こえた。

眠い目をこすりながら…ドアをそっと開けてリビングを覗くと…。

ガウン姿の葉月がテラスで…予告通り『ヴァイオリン』を演奏していた。

(おじさんが…いるのかな?)

そう思って…ジッと物陰で観察していたが…

葉月は『G線上のアリア』を一頃演奏すると、なんだかがっかりしたようなため息をついて

テラステーブルに置かれているジュラルミンのケースにヴァイオリンを閉まった。

そして…何事もなかったように自分の八帖部屋に入ってしまったのだ。

妹が弾くアリアを母が愛していたことは大人達の話で知っていた。

そのアリアを…葉月は黒猫のジュンがいるかも知れないからと弾く訳も解らない…。

母・皐月を愛していただろう男が…母が愛していた曲を聴きに来る。

その妹は…その男のために母が愛した曲を演奏する。

まだ…繋がらない…釈然としない線がいっぱい…いっぱいある…。

12歳の真一には…絶対・解らない事が…。

心に宿したまま。12歳の真一の中で深く残った疑問…。

繋がらなかった線がすべてひっついたのは…去年の秋…。16歳になった秋。

あの…成績がガタン!と落ちた中間試験の前だった。

 

 

『おい? 真一??』

親友に肩を叩かれて…真一は花壇のチューリップを見つめていた視線を

ハッと…エリックの方に戻した。

「大丈夫か?なんか…このごろ。良く考え事しているみたいだけど?」

「あ。うん…大丈夫…。」

額に少しだけ汗をかいていた。

それをかき上げる真一を、エリックは同じ様な茶色の瞳で心配そうに伺っていた。

「何か…言えることなら。何時でも言えよ?」

エリックは…『真実』を知って葉月に気づかれぬよう『情緒不安定』になっていた真一を

秋頃からずっと…。心配してくれていた。

真一にも解っている。相談したいけど…出来ない。

葉月に問い正したいけど…彼女を一番傷つける『真実』

だから…今は相談できる人はいない。

「海の風に当たってみるか?顔色悪いぜ?」

エリックに腕を引っ張られて…彼の明るい笑顔に真一も少し…気分が良くなる。

「うん!」

公園のはしにある、金網フェンス。

そこに二人で駆け寄って、見渡す限り夕焼けに染まり始めた海原を眺めた。

気持ちがいい潮風が、ヒンヤリ…真一の額をくすぐった。

やっと…二人で明るいいつもの会話をフェンスに寄りかかりながら話すことが出来る。

『帰ろうか?』

真一もすっかり、元の元気に戻ったのでエリックが栗毛を流しながら囁いた。

「そうだね!」

いつもの無邪気な自分を見て…エリックもにっこり微笑んでくれる。

(無邪気か…何処までがね?)

自分自身そう思うのだが…。

周りの大人達が『何時までも無邪気な子』といってくれるが…

自分ではそうではないと思っている。

みんな。知らない。

葉月も知らない。

無邪気でいないと『平和』じゃなくなるような気がして…そうしているだけ?

自分でも良く解らない。

時々、グッと落ちていくような感触。

この感触は…葉月もきっと持っている。

母と叔母を追いつめた男達。

既に死んでしまった憎しみの対象。

葉月はどうやって心の奥底で殺しているのか。

『鬼』を飼い慣らしているのか?

真一にも同じ様な感触が真実を知ってから宿っている。

当事者の葉月ほどではないが…。

葉月はもっと苦しんでいる。

そして…自分だけは産み落として『死』を選んだ母はもっと苦しんだはず。

真父も。ロイも…。

そして…もっと哀しい道を選んだ『黒猫のジュン』も…。

本当は…真一が今一番頼りたいのは葉月ではなく…。

『黒猫のジュン』だった。

なのに…彼は一番肝心なときに姿を見せてくれない。

そう…12歳秋の母の命日以来…。

彼とはあっていない。

でも…ロレックス・カルティエ…ブルガリ…。

猫デジが付いた時計は一年に一回…いろいろな形で真一の元に届けられる。

その度に…葉月にそれとなく見せて彼女の反応を伺う。

いつもと同じ。

その晩に葉月は、『アリア』を弾く。

時には…真一が時計を付けてきた朝に、ヴァイオリンがテーブルにでていることもあった。

真一が時計を付けると、葉月がヴァイオリンを出す。

葉月がヴァイオリンを弾くと、真一に時計が届く。

コレがここ数年続いて、お互いに解っていながらつっこみ合わない形が出来てしまった。

その度に『宝箱』に大切にしまう。

なのに…去年の秋は届かなかった。

(俺が真実を知ったから?隠れたくなったのかよ?黒猫のくせに意気地なし!)

彼を待っていたのに、黒猫のおじさんは、困ったときに来てくれると思ったのに…。

あのふてくされていた10歳の日のように現れてくれるのを待ちわびて…。

もう何ヶ月もたった。

『マジック』が専売特許のおじさんは…。

真一が今どんな状態か知っているだろうに。

音沙汰なしだ。

(無責任な奴!)

葉月とは『秘密』は共用しなくなったから、彼女にはまだいいたくなかった。

真一が今の気持ちを伝えたいのは…『黒猫のジュン』なのだから…。